新井誠の発言 (憲法審査会)
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○参考人(新井誠君) よろしくお願いいたします。広島大学の新井と申します。
この度は、このような貴重な機会をいただき、ありがとうございました。
早速始めさせていただきたいと思います。
初めに、人口少数地域の代表者減少の中で再考する参議院の姿とございますが、もう既に御承知のとおり、参議院の中での代表というのは、非常に小さい県などは代表者が少なくなっているという現状でございます。で、数年前からこの合区というものが導入されたわけですけれども、私は合区というのは非常にいろいろな課題を抱えている問題だと思っております。
早速、一に入らせていただきたいと思います。合区をめぐる問題としては、私が考えていることは、そこに書いてあることがあります。まず一つは、人口少数の隣り合う一部の県、人口少数県のみが対象とされているというふうなことに対しての不公平感や不満感、不安感などがあるのではないかというふうなことがございます。
この点、私などは、実は人口多数の都道府県選挙区に関しての改革提案などはなぜなされていないのかというふうなことに常々逆に疑問を持っております。まあ少数県というのは、人口が少ないがために大きな声を上げてもなかなか国政の大きな話題になりづらいというふうなことが背後にあるのではないかなと思うわけですが、さらに、重要な御指摘として、その合区というふうなものは実は論理的にもちょっと問題があるんではないかというふうなことが京大、京都大学名誉教授の大石眞先生などからお話が出ておるわけです。そこに引用させていただきましたが、仮に隣接する区域や県などに限るとするならば、地域的限定を排除するとしながらそれに依拠した議論をするものであって背理というほかないだろうという厳しい御意見なども出されているところであります。
二番目です。この問題は、人々の土地にまつわる感情というふうなものを非常に軽視されているのではないかと私などは思うところがございます。
実は、都道府県単位という認識しやすい指標によってその選挙区というものが設定されていたわけですが、それの喪失によって全国の地域の人々が政治参加をしているのだという実感それ自体を持ちづらくなっているというふうなことにならないかというふうな問題がございます。
古い文献ですが、宮澤俊義教授が、非常に古い文献ではございますが、人と土地との関係というのはある意味において全人格的であるというふうなことをおっしゃっているところです。ですから、地域を基盤とする選挙区というのは正統化されるのだというふうなことをおっしゃっているところですが、この土地というふうなものとの人格というふうなものとの関係というのを重視した検討が必要ではないかなと思うところでございます。
三番目。都道府県制とは何かというふうなこと、あるいはその憲法上の位置付けの問題がございます。
先ほど、括弧の二番のところでは人の感情の面からお話をしましたが、実は都道府県というふうなものは、それ自体がやはり政治的、行政的単位として重要な位置付けを与えられてきているわけです。仙台高裁の秋田支部の令和元年判決というのは、参議院選挙の一票の較差について議論されたものですが、そこの中では、単に都道府県という心理的一体感の素因として存在するにすぎないものではないということが言われていて、都道府県自体の意味というふうなものが述べられているところでございます。
それを選挙区の中に、選挙区として都道府県をどういうふうな位置付けるのかというふうな問題というのは出てくるところではございますが、しかし、既に長いこと定着している都道府県制というふうなものを選挙制度の中でその重要な考慮要素として位置付けることが重要ではないかなと思っているところでございます。
実は、こうした問題というのは、具体的なその憲法上のどこの条文というふうなことというふうなことよりも、そもそも代表制のあるべき姿とか、人々と政治との間の距離の視点から見た場合の憲法秩序全体に関わる問題がここには登場しているんではないかと私は思っているところでございます。
二番に入りたいと思います。合区導入と最高裁判決の話でございます。
この辺りは既に御案内のことかと思いますので非常に簡潔にお話ししたいと思いますが、実は合区導入前の平成二十四年、平成二十六年判決の辺りで、この一票の較差を厳格にすべきだという、厳格に捉えてそれをきちんと確保すべきだというふうなことで、都道府県の選挙区単位などは憲法上の要請ではないといったものとか、それを選挙の仕組みの合理性を基礎付けるには足りなくなっているといった評価がなされておりました。これによって合区が導入されたわけですが、その後、御承知のとおり、その当時の投票率などが下がったりしたりとか、またあるいは関連団体が合区反対の決議を採るなどというふうなことがあったりしました。
その後、実は平成二十九年判決や令和二年判決などは少しやや揺り戻しがあったのかなというふうなことがあります。揺り戻しといっても、私は釈明というふうなことの言葉を使っていますが、実は、別に、その都道府県を参議院の選挙区単位とすること自体が不合理なものとして許されぬものではないといった言い方とか、また令和二年判決などは、合区の解消を強く望む意見も存在する中でというふうなことを言うというふうなことがございます。この辺りは最高裁も、やはりこうした人々の動向というふうなものを非常に重視したのではないかなと思っているところでございます。
大きな二番に入りたいと思います。
この問題をめぐっては、常々言われてきた憲法上の諸論点というものがあるかなと思います。
まず一つは、一票の価値の平等の議論で投票価値の平等の議論が出てくるかなと思います。
これについては、多くの場合は、投票価値の平等論というのは非常に重要だというふうなことは当然言われているところがあります。ただ、古い文献などを当たると、機会の平等に加えて価値の平等をどこまで入れるのかというふうな問題というのがあるとは言われています。
もっとも、それでも投票価値の平等というのはやっぱり重要な価値であるというふうなことを考えてみたとしても、これを一義的に重視することによって失われる他の利益の喪失みたいなものがないのかというふうなことは考えるべきではないかなと思っております。
また、二番です。全国民代表に関する議論というのは、これも憲法学的には通常二つの側面があるとして議論されています。
一つは、禁止的な規範意味ということで、いわゆる自由委任原則というふうな議論です。もう一つが、積極的規範意味というふうなことで、これは法的に何かというよりも、全国民のために行動することを国会議員に求めるという規範でございます。
実は、この積極的規範意味というふうなことというのは、その地域を基盤とする場合もしない場合も、議員が全国民代表するなら、のために行動するならば、どちらでもよいと言うとあれなんですけど、どちらでもよいというふうな概念として機能することになりますが、ただ、実はこのことというのは、私は、比較的その都市の代表というふうなものが多数になる事態というのが当然見込まれるんではないかなと。つまり、事実上の問題で、全国民代表として振る舞う議員さんというふうな像があるわけですが、しかし、その議員さんも地域で選ばれている以上、やはり人口多数地域の方が多いとなると、都市代表が増えるというふうなことは事実的に出てくるだろうというふうなことがあります。
実は、このような全国民代表論というのは、地域利益というふうなものばかりを考えてはいけないというふうなことで機能してはいたかと思うんですが、では、じゃ、その地域の人々が心配しているのはそこなのかというふうなことになると、私は、実は地域の人々は、議員さんがその全国民のために代表すること自体は否定していなくて、それは否定しないけれども、自分たちの基盤とする地域から人が出せないというふうなことに関しての何か少し弱い地位を与えられているんではないかという不安感みたいなものがあるのではないかなと思います。
実は、この全国民代表の議論をめぐっては、かつて公正かつ効果的な民意の反映というものが最高裁などでも言われてきました。今も言われてはいるんですが、実はこのことが非常に積極的に使われてきたところがあるような気がします。すなわち、それは多角的民意の確保をしようという議論でありました。
私などは、人口や有権者比例からはこぼれ落ちる諸価値を拾い上げる機能として、補完的な意義としてこの問題を捉えておりまして、とりわけ合区というふうなものというのは、こういうふうな本来的には拾われる諸価値のうちの一つの観点からすると、もう少し考えられなければいけない、解消されなければいけないというふうに思っているところがございます。
三番、民主的単一国家における両院制の現代的意義とございます。
両院制の議論をめぐっては、よく二つの観点から消極的な評価がされることがございます。一つは、その政体との関係から民主的単一国家においては不要だとする、もう一つは、両院の権限関係からその両方の、一方が強過ぎても弱過ぎても問題があるという功利的な観点から言われています。
ただし、私は、民主的な単一国家において、じゃ、本当に両院制は不要なのかというと、すなわち常に消極的意義しかないのかと言われますと、いや、そうではないと、現代の国家においては実は非常に意味があるというふうに思っております。とりわけ、ちょっと長くなるので読みませんが、多元的な意味でデモクラシー型の、要は両院制というふうな観点からしますと、実はここに書かれているようなことというのは、要は単に国民の理解、利益というのは単一で利害を共通にするという観念というのは、まあ古典的には重要だったけれども、しかし現在ではいろいろな価値をデモクラシーの中で反映させるんだというふうなことが重視されているんだということがある中で、実は両院制のやっぱり一つの大きな意味は、地域などを基盤とする利益というふうなものをどういうふうに代表者の中に創出していくかというふうなことが重要ではないかと思っているところでございます。
大きな三番に入ります。
参議院の役割論から考えるというふうにございます。
この辺りは、両院の権限関係と組織方法との関係で両院の姿が変わってくるというのはよく言われることでございます。
これについて、最高裁によって出されているメッセージというのは、私が理解しますには、例えば平成二十四年判決などを見ますと、権限関係に関する説示も組織関係に関する説示も、両方同質的なものになってきているので投票価値の平等の確保を優先しようというふうな論理になっているような気がします。
ただ、実は、この問題と、一方で実は最高裁が持っているかなと思われる、これまで出してきた問題としては、権限関係をめぐる最高裁判決のメッセージというものがあるような気がします。そこに幾つか下線を引いていますように、例えばそれぞれの議院に特色のある機能を発揮させるとか、参議院の性格や機能、衆議院との異同をどうするのか、参議院が果たすべき役割をどうするのかという、実はこういうことを言っております。
実は、こうした観点から、参議院の新たな役割を期待するという声は憲法研究者の中からも出ております。ここに挙げましたのは一つの例ですが、こうした例えば政府、衆議院の政策を監視、統制するような機能を持たせるべきだといった、こういうふうな考え方もございます。
実は、この括弧三番のことをというふうなことではなく、今回の合区問題などを考えるに当たっては参議院の役割論から考える地域を基盤とする代表選出の在り方というのを考えるというふうなことがあり得るかなと思います。
東京大学の宍戸教授などは、やはりこの問題というのは参議院の権限とか意思決定の手続の見直しとセットで行われなければいけないというふうなことをおっしゃっていて、とりわけその権限とか意思決定手続の議論というのですね、それと都道府県制の維持というふうなことを重視しているところがあろうかなと思っております。
最後のページになりますが、そうすると、考えられますのはどういうふうなことかというふうなことなんですが、一つには地方公共団体、とりわけ都道府県を基盤とする制度、何かしら参議院における役割をより積極的に導入するといった方法が考えられるのかなと思います。
宍戸教授の示しているものは両院に関するものだったりしますが、とりわけ参議院で自主的にできる何かをというふうなことというのはあり得ます。他方で、フランスの第五共和制憲法などでは、これは憲法で元老院が地方公共団体の代表としての位置付けを与えられていますので、なかなか日本とすぐには比較はできませんが、こうした権能を与えたりしているというふうなことがございます。
もっとも、なぜ都道府県なのかというふうなことなどを考える必要というのは当然出てくるかなと思います。また、衆議院と地方との関係というふうなことを考えたときに、参議院のみが地方の利益を担うのかというふうなことを当然言われてしまうことがありますので、この辺りを考える必要があろうかなと思います。
大きな四番になりますが、この辺りも本当は重要なんですけど、ちょっと時間になったのであれなんですが、恐らく合区解消には法律レベルでの改革と憲法典レベルでの改革の方法があろうかなと思いますが、法律レベルの改革をしようとすると、結局最高裁からどういうふうなメッセージを受けることになるかというふうなことが課題になります。
他方で、憲法典レベルで改革をしようとすると、現在の憲法の中で選挙事項法定主義を非常に広く認めていることの意義とか、又は都道府県制を必ずしも憲法に書いていないというふうなこととの関係とか、またあるいは地域代表というふうなものを要は積極的に書き込んだ場合に、参議院自体の代表性の意味が変わったりする可能性がある、またあるいは衆参の権限関係をめぐっては、要はこういうふうな代表性を取るんであれば大分もっと変えなきゃいけないんではないかという、そんな議論も出てくるかと思います。
急ぎましたが、私の意見を以上で終わらせていただきます。ありがとうございました。