石塚伸一の発言 (法務委員会)
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○参考人(石塚伸一君) 龍谷大学の石塚と申します。よろしくお願いいたします。
研究者として呼ばれていますので、ポレーミッシュに議論したいと思います。
今井先生のレジュメを御参照いただきます。二の二の一のところです。
確かに、刑罰の目的は応報刑論と目的刑論に分かれます。刑罰論はこの二つで展開してまいりました。
本日、目的刑論の中で、刑罰は犯罪の抑止、無害化、社会復帰に役立つものであるという御発言がありました。そのとおりでございます。既に犯罪を犯した者がいて、その人が二度と犯罪を犯さないようにするためには、特別抑止、特定の人に対して犯罪を犯さないようにするという効果があります。閉じ込める無害化、威嚇する抑止、特別抑止と申します。社会復帰のための諸手段、これもそうです。
ただし、一般市民が犯罪を犯さないようにするためには、刑罰は一般抑止あるいは一般予防という効果があります。つまり、刑法典に明確にやってはいけない犯罪と刑罰が書いてあれば、字の読める教育の進んだ社会では犯罪を犯すということを思いとどまります。本日、今井先生のお話の中にはこの一般予防のことの言及がありませんでした。
そういう観点から見ますと、私が今日配付させていただいた資料は、まず一番目のところですけれども、刑事政策学研究者の声明と書いてあります。今井先生は刑法の大家でいらっしゃいますが、私どもは刑事政策の研究者です。日本の刑事政策は、明治以来、刑政仁愛主義。仁義礼智信の仁です。愛は愛情です。人を大切にしながら、人の道を大切にしながら愛情を持って罪を犯した人たちに接する、そういう原理で成り立ってまいりました。
陸奥宗光という政治家がいらっしゃいます。国事犯として刑事施設の中に収容されていた御経験があります。その方は、元老院に申し出て、蘆野徳林という方の、儒学者でいらっしゃいますけれども、「無刑録」、無いという字に刑罰、記録の録でございます、「無刑録」という古い本を復刻するようにというふうに提案し、これが日本の刑事政策にとって非常な重要な資源になっております。
「無刑録」には、刑は刑なきを期すと書いてあります。人を処罰するのは将来的に刑罰が要らなくなるようにするためだと、その意味では矛盾を含んでいるというわけです。私の中央大学時代の先生である、恩師である八木國之先生は常にそのことをおっしゃっていました。刑罰は刑罰であるがゆえに持続するのではなく、刑罰は最終的になくなることを目指した制度なのです。
戦後、この刑事政策に基づいていろいろな方法が講じられてきました。戦前、大きな失敗を私どもは刑事政策でしております。正木亮という矯正局長を務められた刑事政策家がいらっしゃいます。立派な方です。戦後は死刑廃止についていろいろと活動されまして、死刑は日本の恥だというふうにおっしゃっています。
その方は、戦前、労働改善法というナチスの法を、これはすばらしいという論文を書かれています。労働をもって人を改善するという考え方はすばらしいというのです。懲役刑に一元化して、労働によって、懲役によって人を改善すれば犯罪はなくなるという考え方でした。当時の時代の流れの中では、それはある意味真っ当なものであったと言えると思います。
しかし、戦後はこのような考え方は捨て去られました。労働は人を教育するためのものではありません。その人の自己実現をするための一つの方法でしかないわけです。そのような考え方が広がりまして、国連の被拘禁者処遇最低基準規則という、原則というのがありますが、これは一九七〇年頃の日本の監獄法、刑法改正のときに非常に大きな手本となったものです。
今から五十年前、まあ五十一年前、二年前になりますか、京都で会議が開かれました。国連の犯罪防止会議という会議です。そのとき日本は、アジアのリーダーになって、刑法を最低基準規則の方向に進めるということで、アジ研と呼ばれるアジア極東犯罪防止研修所で、そこでアジアの人々の矯正の力をアップするという努力をされてきました。
そして、二年前本当は開催するはずだったんですが、二回目の京都会議というのが開かれました。犯罪防止及び刑事司法会議という会議でしたが、そのときに、この拘禁刑の改正というのをなされるということを法務省は一切おっしゃっていません。なぜか。これは、まさに今の世界の矯正の流れに反しているのです。
私たち刑事政策の研究者が声明を出させていただいたのは、この法案が、刑法改正です、刑法の改正です、一般市民に刑罰とは何か、犯罪とは何かを告げるための法改正であるにもかかわらず、法文の出来が極めて悪いのです。極めて悪いのです。
先生方見ていただくと分かると思いますが、この私のレジュメの十一ページ、資料七と書いてありますが、今回の法案の拘禁刑についての十二条の規定がございます。十二条の一項は分かります。二項も、拘禁刑は刑事施設に拘置する。自分が犯罪を犯すと刑務所に入ることがあるんだな、分かります。
三項、御覧になってください。拘禁刑に処せられた者は、改善更生を図るため必要な作業を行わせ又は必要な指導を行うことができる。誰ができるのか。この文章を読んで、誰ができるのか分かる一般の国民はそうたくさんはいらっしゃらないと思います。私は改善の指導してほしいですよと言ったら、その方が認めていただけるという意味なのでしょうか。私は働きたいと言ったら、私は働けるという意味なのでしょうか。
これは、刑罰執行、すなわち行刑における法律の規制を解釈している者が読めば、これは刑務所長はが主語だということが分かります。刑務所長は、拘禁刑に処せられた者に対して、改善更生を図るため必要な作業を行わせたり、あるいは必要な指導を行わせたりすることができるというのは、刑務所長ができるということなのです。一般国民にこういう犯罪、こういう刑罰が科されますよということを示す刑法典です。刑法典にこのような規定を設けることは、極めて出来の悪い条文だというふうに私どもは考えました。
そこで、元に戻っていただいて、声明の中では、まず、この法案が提案された経緯について説明した後、国会においてこの法律案を真摯かつ慎重に御審議いただきたいということを要望しております。次に、刑罰制度に関しては、関連学界、まあ刑法学会です、刑法学会において科学的かつ真摯な検討、国民の議論を踏まえて変更の可否を検討すべきであると。
刑法学会に、今までの刑法改正の場合には、こういう改正をしますというふうに法務省の方から提案、作成者の方がいらして説明をされました。この前の処遇法ですね、監獄法の改正の際には、現在、検事総長の林眞琴氏がいらっしゃいまして、分科会で説明をされて、私も質問をしてお答えをいただきました。そういうことをした上で、刑法学者はこういう意見を持っているんだということを学ばれた上で法案を提出されるという経緯を踏んでいます。
ところが、今年は、今回の案は、三月に閣法として出たときに私たちは初めてこの法案を見ました。五月に刑法学会ありましたが、その際も、分科会の第三部会は刑事政策の部会ですが、その際に若干の説明があっただけで、法務省の方からの説明はありませんでした。是非慎重な審議をして、私どもがこの法案をもう一度検討する時間が欲しいということでございます。
法案の内容に関しましては、まず、三ページ、三という足下の番号がある(2)ですが、まず第一に、懲役刑が実際上重くなる可能性があるということです。先ほど申しましたが、懲役刑は、拘禁して、定役とかつては言っていましたけど、所定の作業を課す刑罰です。必要的です。必ずします。それに改善の指導をするということが加わるのかという、加わるのであれば重くなります。
第二番目に、禁錮刑と拘留刑は、身体を拘束する、刑事施設に収容するというだけの刑罰です。これがなくなるということでしたから問題はないように見えるんですが、違います。現に、拘禁刑や拘留刑、先ほどお話ありましたけど、拘留刑はほとんど科されていませんけれども、禁錮刑や拘留刑に処せられている現在の受刑者の方、その方にとっては、同じ類型の行為を犯した方にとっては重罰化になるんです。
じゃ、どういうときに禁錮刑は使われているかというと、あの池袋で大きな事故を起こした年配の方、九十歳の方いらっしゃいました。あの方は自動車運転過失致死で刑罰科されましたが、禁錮刑を科されています。労働の義務付けをしていません。懲役刑ではないのです。これが何を意味しているかです。働けない人に働けということを強制するような刑罰は、やはりいけないのです。
次に参ります。
もう一つ、先ほど陸奥宗光の話をしましたが、刑法改正に際し、昭和四十九年に刑法改正草案というのが出ております。そこでもいろいろ議論がなされまして、自由刑を一元化するという議論がありました。しかし、そのときに最終的な結論は禁錮と懲役を分けて残すということでした。これは、国事犯に対して懲役刑を科すことは侮辱することになるからだということです。松尾浩也先生という法務省の顧問をされた先生が書いておられますが、国事犯があったので禁錮刑は残ったと書いておられます。これは、陸奥宗光のような人が懲役刑に科せられて刑務所の中に入ったとき、政治家が国を思ってあえて行ったような行為に刑罰が科されたときに、その人に労働を課したり改善のための教育をしたりするのでしょうか。
刑法は国の基です。今後、何年にもわたってこの国の基礎を守っていくわけです。現在の刑法は一九〇七年に作られた古い刑法で、明治四十年の刑法です。しかし、今までこの刑法はこの国を守ってきたわけです。この刑法を変えるのであれば、それだけの気概とそれだけの哲学を持ってほしいというふうに考えます。
私たちは研究者です。キルヒマンという方が、立法者が法の言葉を三言語れば汗牛充棟の書物がほごになるとおっしゃいました。研究を重ねてきていろいろな本を書いても、先生方が改正するとおっしゃれば私たちの研究は全てほごになります。是非慎重な審議をしていただきたいというふうに思います。
以上です。