飯塚耕一郎の発言 (北朝鮮による拉致問題等に関する特別委員会)
⚠️ コピーしたテキストを転載する際は、転載元URL(kokkai-data.com)および原典URL(kokkai.ndl.go.jp)を必ず残してください。発言内容の改変・出典削除は禁止です。
詳細は利用規約をご確認ください。
○参考人(飯塚耕一郎君) ちょっと済みません、前代表飯塚繁雄の思い出話半分になってしまうのかもしれませんけれども、本当にこの問題に対して定年を過ぎてから参加して、本当に晩年になる大体その二十数年ですね、ずっと彼は頑張ってきたわけです。晩年、特に体の調子が悪いにもかかわらず、持病を持っていたにもかかわらずに、本当にちょっとでも体調が良ければ、埼玉の上尾の実家からわざわざ都内に出ていって、こういう特別委員会でしたりとか各講演でしたりとか、あと実際、対要人と会うという形でしたりとかというのを本当に続けていたわけです。
ただ、やはり、先日の集会でも申し上げたとおり、例えば、前回、トランプ大統領と面会するときでしたりとか、迎賓館までわざわざもう本当に体を横にして車で移動して、迎賓館着いたら、体力を蓄えるためにずっとトランプさんと面会するまで寝ているわけですよね。横になってずっと静かにしていて、その面会のときにちゃんと発言をすると。そこまで本当に自分の体がきついのに、体を押して、何とかしてこの問題を解決に進めたい、八重子の顔を見たいというのを彼がすごく晩年頑張っていたわけです。
実際、去年の十一月の十九日に倒れる直前まで集会に出ていたりとかテレビのインタビューとか受けていて、そのまま、十九日に倒れてしまって、そのまま肺炎の症状が大体、だんだんひどくなってきて一か月後に亡くなるんですけれども、その亡くなったときの最後のメモ用紙が二枚あって、一番最初に書かれているのが、家族のことでもなくて、八重子という文字が書かれていたわけですよね。
本当に死ぬまでこの問題を考えていた、本当に肺炎で苦しくなって意識がもうろうとする中でも考えていたというのが前代表でありますし、前代表だけではなくて、我々拉致家族のその各メンバーは同じように思っているのではないでしょうか。
有本明弘さんも、いまだに都内出てきますけれども、本当に横から支えてあげないといつ倒れるか分かんないぐらいで、いつも拉致対策本部の支援者が付いていただいているという状況なわけです。本当に命を削ってという表現って僕は毎回どうなのかなと思うんですけど、あの姿を見ていたら、本当に命を削って娘を助ける、姉、妹を助ける、家族を助けるという行動をしている、それを御理解いただきたいなと思っています。