泉田裕彦の発言 (農林水産委員会)
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○泉田委員 おはようございます。自由民主党の泉田裕彦です。
本日は、質問の機会をいただき、大変ありがとうございます。
時間が限られておりますので、早速質問に入らせていただきたいと思います。
私の地元新潟におきましては、中央競馬なんですけれども、新潟競馬場、直線千メートルのコースを持っております。全国から多くの競馬ファンが訪れていただいております。
そしてまた、競馬場の近くにはサッカー場もあるんですけれども、経済効果を比較いたしますと、三万人の観客を集めるサッカーの試合よりも、一万人前後集まっていただいた競馬のファンの方々が地域にもたらす経済効果の方が大きいという現実があります。試合が終わった後に近くの温泉にお出かけをいただいて経済効果に貢献していただいているというような状況であります。できればG1レースも開催してもらえると大変地方創生につながるなという期待をいたしております。
一方、地方競馬なんですけれども、新潟にもかつて三条競馬というものがありました。しかし、赤字続きで自治体の財政負担になることから、ファンに惜しまれながらも廃止をされました。二〇〇二年のことです。その後、二〇〇四年に水害があったんですが、結果として、この競馬場が災害のごみ置場として活用されるということになってしまいまして、その姿を見て悲しむ人が大勢いたという状況でございました。
そこで、競馬の今日的意義を考えるために、簡単に競馬の歴史を振り返ってみたいと思います。
日本の競馬なんですけれども、中世以来、お祭りの行事として、神社などで、祭典競馬若しくは花競馬と呼ばれる、二頭の馬を競わせる形式の競馬、これが広く行われておりました。
一方、現代に連なる西洋式の競馬、これは明治維新の前なんですけれども、一八六〇年に横浜そしてまた神戸の外国人居留地において行われるようになったのが始まりでございます。その後、一八七〇年には、陸軍によりまして招魂社競馬、これを皮切りに日本人によって開催されるようになりました。
競馬は、日本が西洋諸国と同等の文明国になった象徴として位置づけられ、不平等条約の改正の一助にする意図があったというふうにも言われております。
地方競馬の方なんですが、一九〇八年、競馬規程によりまして、祭典などの娯楽のために競馬を行うことが法的に認められました。しかし、公的団体が主催するわけではなく、様々な主催者が競馬を主催したということから、またいろいろな問題が生じることになりました。
その結果、地方競馬は政府の統制下に置く必要があるということになりまして、一九二七年ですけれども、地方競馬規則が施行されることになるわけです。このときの地方競馬の数は、五十二主催者、五十九競馬場、現在よりもはるかに多くの主催者が全国にいたということになります。
その後、競馬は、日中戦争が勃発するとともに娯楽から少しずつ変質をしてまいります。軍馬の需要が急激に増大をしてまいりました。
一九三九年には軍馬資源保護法が施行されます。これによって、地方競馬は、馬券発売を認められた軍用保護馬鍛錬競走に移行したわけでございます。国防上、特に必要とする馬の資質の向上を図り軍馬資源の充実を期すること、これが目的となり、終戦まで続くということになったわけです。
戦後は、軍馬資源保護法並びに国家総動員法が廃止をされたということで、地方競馬はその法的根拠を再び失うということになってしまいました。
ところが、一九四五年、終戦の年の秋には、もう既に静岡県で法的根拠を持たない闇競馬が始まるということになりました。地方競馬を望む機運、これは全国に波及をしてまいります。そして、一九四六年になりますと、中央政府の黙認の下で、地方長官の認可と条例を基に競馬が施行されるようになりました。そして、その売上げの五%前後、これは戦災復興や海外引揚者への支援金のため地方自治体へ寄附をするという慣行が生じたわけでございます。
GHQは、当初、競馬は民営化をするという志向があったんですが、反社会的勢力の蔓延防止、これをする必要があったために、結局は、一九四八年、競馬法が施行され、六十一か所が公営競技に移行することになりました。しかしながら、問題は残ったままということでございます。
一九五一年には、今度は、競合する、公営ギャンブルということになるんですが、競艇が開始をされます。競輪も始まって売上げを伸ばしていくという中で、戦前以来の旧態依然たる施設に頼っていた競馬は、特に地方競馬の開催成績が低迷をしていく、そして急速にその数を減らしていくことになりました。
さらに、一九六〇年代から八〇年代には、騎手や調教師、厩務員への反社会的勢力の浸透、これが避けられなかった。そのため、逮捕、追放された事例が全国に数多く発生をいたしました。そしてまた、競馬場内におけるのみ屋、コーチ屋のばっこ、これも問題でありました。
これはプロ野球の八百長の話なんですけれども、黒い霧事件、これを契機に、これは一般社会においても注目を集めた、公営競技を取り巻く黒い陰の存在、少しでも怪しい競技が訪れるとファンが声高に八百長を叫ぶというような事態も生じたわけです。そんな事件が現在まで語り継がれています。
八〇年代後半になりますと、今度は光を放つ時代なんですが、改革の効果、また、バブル経済による経済の好転もあって、競馬は光を放っていくことになります。特に印象的なのが、オグリキャップの登場。笠松競馬場で登場するということになりました。その後、地方競馬の開催成績も向上し、経済的合理性を持って出場し続けたハルウララが全国的にも注目を浴びるということになりました。
バブル経済の崩壊とともに競馬場が潰れていくんですが、我が新潟の競馬場も、これは完全に廃止をするということになりました。生き残りを懸けて、その後、インターネットの投票等が行われる競馬法の改正が行われて現在に至っているわけでございます。
そこで、大臣にお伺いしたいんですが、競馬は公営ギャンブルの一つであり、反社会的行為の抑制が不可避であったというのが歴史でございます。加えて、戦前には軍馬の獲得、戦後では復興資金の調達、引揚者への支援、こういう社会的意義を有していたわけでございますが、今日、軍馬の獲得や引揚者への支援、こういった政策目的は不要になっております。今日の競馬の社会的意義についてどのように考えているのか、お聞かせいただければと思います。