川崎政司の発言 (憲法審査会)
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○法制局長(川崎政司君) 参議院法制局長の川崎でございます。どうかよろしくお願いいたします。
私の方からは、お手元の資料に基づき、第一として、参議院の制度とその経緯、第二として、参議院選挙制度と定数較差に関する最高裁判決の変遷、最高裁の判断枠組み、令和四年選挙をめぐる高裁判決の状況について御説明させていただきます。
表紙をめくっていただき、一ページには、選挙権や投票価値の平等も含め、参議院の位置付け、組織、権能、衆議院との関係など、憲法の関連規定を挙げておりますので、適宜御参照ください。
まず、参議院の制度に関する経緯等について、日本国憲法制定時にまで遡って確認をしておきたいと思います。二ページとなります。
終戦後、帝国憲法の改正が問題となる中で、日本政府は、二院制の維持を前提に、貴族院を参議院に改称し、選挙又は勅任された議員で構成することを考えていたところ、GHQから示された案は一院制を採用していました。日本政府側は直ちに二院制について問いただし、GHQ側も民選を条件に二院制を認め、日本側がGHQに提示した三月二日案では、参議院は地域別又は職能別に選挙された議員及び内閣が両議院の議員から成る委員会の決議により任命する議員で組織するとしましたが、GHQはこれを受け入れず、両議院は国民により選挙せられ全国民を代表する議員をもって組織すると規定されることになりました。これが現在の憲法四十三条の規定となったものでございます。
そして、そのような参議院の意義について、政府は帝国議会の審議において、一院の専制の防止、慎重審議、世論の反映を挙げております。
一枚めくっていただきまして、三ページでございます。
参議院の権能の規定の経緯についても衆議院との関係を中心に簡単に触れておきますと、まず、法律案の議決については、日本政府の三月二日案では、衆議院で引き続き三回可決して参議院に移した法律案は、最初の議事の日から二年を経過したときは、参議院の議決の有無によらず法律として成立するとしていましたが、GHQの提案を受け、衆議院での出席議員の三分の二以上による再議決と参議院が六十日以内に議決しないときの衆議院によるみなし否決の規定に変更されております。
また、予算、条約の承認、内閣総理大臣の指名の議決についても、三月二日案や憲法改正草案要綱では、参議院で衆議院と異なる議決をした場合の規定は設けられていたのに対し、参議院が一定の期間内に議決しない場合の規定は設けられていなかったところ、審議の引き延ばしを制限するためとして、総司令部側の了承を得て、四月十七日に発表した憲法改正草案では、予算と条約については四十日以内、内閣総理大臣の指名については二十日以内に参議院が議決しないときは衆議院の議決が国会の議決となる旨が規定され、その期間については、帝国議会における衆議院の審議の段階で十日ずつ短縮する修正が行われております。
さらに、四ページとなりますが、参議院の独自の権能である緊急集会については、三月二日案には、第七十六条として、衆議院の解散その他の事由により国会を召集できない場合において緊急の必要があるときは、内閣は法律又は予算に代わる閣令を制定することができる旨の規定があり、これは帝国憲法の緊急勅令条項と緊急財産処分条項を念頭に置いたものでしたが、GHQは、あらかじめ法律で適当に委任しておけばよいなどとして拒否し、一旦はこのような規定は消えることになります。
しかし、日本政府は諦めず、その後の交渉の場で、衆議院の解散の場合に活動不能となるのは不合理として、参議院が国会としての権限を行うとする案、国会に置かれる常置委員会が国会の権限を行うとする案、さらには、衆議院の解散等の事情により国会を召集できない場合に内閣が緊急措置をとることができるとする案などを提示しますが、GHQ側からは、拒否され、逆に、議会解散に備えこうした規定が絶対必要であるならば、参議院に議会の職能を代行させることがよいとして参議院の緊急集会制度の提案がなされ、これが採用されたものであります。
その意義については、下の段に、四ページ下の段になりますが、政府は、帝国議会において、従来の憲法は緊急の措置を講ずるに当局者に便宜過ぎるがために、民主政治を徹底する見地から、衆議院が解散され、急に国会を開くことができない場合に、参議院の緊急集会という方法をもって、予測すべからざる緊急の事態に対し暫定の措置をとり得ることとしたと説明をしているところでございます。
一ページめくっていただきまして、参議院の選挙制度創設の経緯についても見ておきたいと思います。
全国民を代表する選挙された議員で組織するという枠が規定された上で、法律で定めることとされた参議院の選挙制度をどのようなものとするのか、日本政府は腐心することになり、また、衆議院の帝国憲法改正案委員会の附帯決議では、衆議院と重複する機関とならないよう、参議院の構成については、努めて社会各部門各職域の知識経験ある者がその議員となるに容易なるよう求められることにもなります。
参議院の選挙制度は政府の臨時法制調査会で検討が行われ、そこでは、練達堪能の士の選出を念頭に、地域や全国の直接選挙制、間接選挙、複選制、職能代表制、推薦制など様々な案が議論されましたが、結局、議員定数は衆議院議員の定数の三分の二内外とする、選挙区については、議員の半数は各都道府県の区域により、残りの半数は全国一選挙区とすることを柱とする要綱を政府に答申することになります。
これを受けまして、参議院議員選挙法案が帝国議会に提出されます。その審議で、大村国務大臣は、主として被選挙人の年齢及び選挙区の構成を異ならせることにより、衆議院との構成上の相違を実現していくほかはないとし、全国選出議員は学識経験共に優れた全国的な有名有為の人材を簡抜することを主眼とし、職能的知識経験を有する者が選挙され得ることにより職能代表制の長所を取り入れる狙いを持ち、地域代表的性格を有する地方選出議員と相まって参議院を特徴あらしめる旨の説明を行っております。
これらを踏まえつつ、六ページとなりますが、参議院の制度に関する見方についても確認をしておきたいと思います。
憲法制定時における政府側の見方は、参議院に衆議院と同じ権能を認めるものではなく、地道な組織ではあるけれども激しい力を持たない院になっており、任期も衆議院より長いことなどにより参議院の性格が決まってくるとしており、第二次院や反省院といった捉え方がなされております。
これに対し、最高裁平成二十四年判決では、憲法の趣旨は、議院内閣制の下で限られた範囲について衆議院の優越を認める一方、立法を始めとする多くの事柄について参議院にも衆議院とほぼ等しい権限を与え、参議院議員の任期をより長く、長期とすることによって、多角的かつ長期的な視点から民意を反映し、衆議院との権限の抑制、均衡を図り、国政の運営の安定性、継続性を確保しようとしたものであるとし、参議院は衆議院とともに国権の最高機関として適切に民意を国政に反映する責務を負っているとしているところでございます。
このように、時代の変化、衆参のねじれなどを背景とした参議院の役割や存在感の高まりなどにより、参議院の制度に対する見方には変化が見られ、そのことが参議院の民主的性格、ひいては投票価値の平等の議論にも影響を与えていると見ることができるのではないかと思われます。
なお、御参考までに、アメリカの政治学者、レイプハルトによる著名な二院制の分類では、日本の二院制は、権限等が対等で構成が類似的な中程度に強い二院制とされているところでございます。
次に、以上のことを念頭に置き、参議院の選挙制度と定数の較差の問題について見ていきたいと思います。
七ページと八ページを御覧ください。
左のページで参議院の選挙制度の経緯、右のページで最高裁判決の変遷を示しております。
参議院の選挙については、昭和二十二年に、都道府県を単位とする地方区選挙百五十人、全国区選挙が百人という構成でスタートします。憲法制定時において注目されたのは七ページの右の列の全国区の方であり、初期の参議院選挙では無所属議員が多数当選して緑風会が結成され、是々非々による対応をするなどして参議院の独自性が発揮されましたが、全国区選挙につきましては、次第に有権者の選択や選挙運動の困難性などの問題点が議論されるようになり、昭和五十七年には拘束名簿式の比例代表制が導入されることになります。
しかし、この制度に対しても、候補者の顔が見えない選挙、過度の政党化などの批判が生じ、平成十二年の改正では非拘束名簿式に改正されます。
なお、平成三十年の改正では、一部を拘束式にできる特定枠の制度も導入されております。
ちなみに、非拘束名簿式の比例代表制と特定枠につきましては、最高裁は合憲との判断を示しているところでございます。
他方、七ページ左の列の地方区、現在の選挙区選挙については、人口比例の形で議員数が各都道府県の選挙区に配分され、当初の最大較差は二・六二倍でした。しかし、その後は、都市への人口の移動により、選挙区間の定数較差が四倍や五倍、さらには六倍を超え、定数較差訴訟が裁判所に提起されるようになり、国会はこの定数較差問題への対応を迫られることになります。
最高裁が参議院選挙について投票価値の平等が憲法上の要請であるとしたのは、昭和五十八年判決であります。当初は、都道府県単位の選挙にも理解を示しつつ、投票価値の平等の要請についても最高裁は緩やかに解し、較差が五倍台でも合憲としましたが、次第に実質的に厳格な姿勢を示すようになります。最高裁はこれまでに、平成八年、平成二十四年、平成二十六年の三度ほど違憲状態判決を出していますが、特に平成二十四年判決以降は投票価値の平等の要請を重視する姿勢をより強め、平成二十六年判決では平成二十四年改正による是正後の四・七七倍の較差を違憲状態としております。
国会の側では、それまで選挙区間での定数の増減により最大較差を縮小する改正で対応してきましたが、それには限界もあることから、平成二十六年の判決を受け、平成二十七年改正では四県二合区を含む十増十減を行い、最大較差は二・九七倍にまで縮小し、これに対し平成二十九年判決は、選挙時最大較差三・〇八倍を合憲と判断しました。そして、平成三十年改正の選挙区での定数二増による較差是正に対し、最高裁は令和二年判決で、選挙時三・〇〇倍の較差を合憲としております。
一ページおめくりくださいませ。
九ページには、投票が選挙結果に及ぼす影響力の平等を要求する投票価値の平等の意義・憲法上の根拠・選挙制度における位置付け、憲法四十三条の全国民の代表の意義に関する最高裁の判断を示しております。
また、右側の十ページでございますが、最高裁が国会の広い裁量を認めた両議院議員の選挙制度の憲法適合性に関する判断枠組み、参議院選挙制度の独自性に関する国会の合理的裁量についての最高裁の判示を挙げております。
その上で、十一ページに参ります。
定数較差に関する判断枠組みをこちらで示しております。
最高裁は、昭和五十八年判決以来、何倍未満といった較差基準は採用しておらず、投票価値の著しい不平等状態が生じ、かつ、それが相当期間継続しているにもかかわらず是正措置を講じないことが国会の裁量権の限界を超えると判断される場合に憲法に違反するとの考えを示しております。
すなわち、下の段でございますが、裁判所は、第一段階として、投票価値の不均衡が違憲の問題が生ずる程度の著しい不平等状態に至っているかどうか、第二段階として、不平等状態になっている場合に、選挙までの期間内に是正しなかったことが国会の裁量権の限界を超えるとして憲法違反に至っているかどうかといった二段階で審査を行っているところです。
なお、十二ページで投票価値の平等と国会の対応に関する最高裁の判断がどう変わってきたのかをまとめております。
まず、昭和五十八年判決は、都道府県単位の選挙の仕組みの下では、投票価値の平等の要請は人口比例主義を基本とする選挙制度の場合と比較して一定の譲歩、後退を免れず、較差の是正にも限度があるとしていましたが、これに対し平成二十四年判決は、実質的にこの考え方を変更し、参議院の選挙であること自体から直ちに投票価値の平等の要請が後退してよいと解すべき理由は見出し難い、都道府県を参議院の選挙区単位とする憲法上の要請はなく、投票価値の平等との関係から、その仕組み自体を見直すことが必要としました。
平成二十四年判決の考え方はその後も基本的に維持されておりますが、平成二十九年判決では、投票価値の平等の要請との調和が保たれる限りで都道府県の意義や実体等を考慮要素とすることは否定されないとした上で、合区を平成二十四年判決の趣旨に沿った較差是正であるとし、また、令和二年判決では、参議院選挙制度改革の漸進性にも言及しつつ、立法府の較差是正を指向する姿勢は失われていないとしております。
最後に、十三ページから十四ページで令和四年の参議院選挙をめぐる高裁判決の状況について簡単に御説明いたします。
まず、参議院の選挙区間の定数較差の状況を確認しておきますと、令和四年選挙では最大較差は三・〇三倍、三倍を超える選挙区が三つに増えております。ちなみに、合憲とされた令和元年選挙の最大較差は三・〇〇倍、平成二十八年の選挙は三・〇八倍でした。これに対して、十四ページでございますが、全部で十六の訴訟が提起されましたが、高裁判決については合憲が七、違憲状態が八、違憲が一といった状況となっております。
そのポイントをまとめておりますが、合憲判決では、第一段階で、平成二十八年選挙や令和元年選挙と比較して較差は縮小、僅かな拡大にとどまること、参改協や憲法審査会で検討が行われ、継続も予定されていることなどが考慮されております。
これに対し違憲状態判決では、第一段階で、三・〇三倍の較差のほか、三倍を超える選挙区が三つで全有権者数に占める割合が二〇・一%となっていること、較差の是正を指向する立法府の姿勢が弱まっていることなどを問題視する一方、第二段階で、令和二年最高裁判決が合憲であったこと、選挙制度改革の漸進性、合区解消をめぐる議論などを考慮し、裁量の限界は超えていないとするものでございます。
さらに、違憲判決は、第二段階でも、令和二年国勢調査により不平等状態が明らかとなったのに是正しなかったことが裁量権の逸脱であるとして違憲としましたが、選挙は無効としませんでした。
これらを受け、舞台は最高裁に移り、これまでの例に照らすと、来年の秋頃までにはその判断が示されるのではないかと思われます。
私からは以上でございます。