長谷川利夫の発言 (厚生労働委員会)
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○参考人(長谷川利夫君) 杏林大学の長谷川と申します。
本日は、お招きいただき、ありがとうございます。私は、こちらのパワーポイントの配付資料を主に使いながら御説明いたします。
これ、一枚目の方に、私自身が精神科病院のベッドで身体拘束されている写真が写っております。二〇一三年に、この二ページ目にある青い本を出しました。身体拘束が徐々に増えているときでした。しかし、それ以降、身体拘束は増え続け、このグラフにあるように十年で二倍になり、現在も一万人以上の方が身体拘束を受けています。
二〇一七年五月に、ケリー・サベジさんという男性が、神奈川県内の精神科病院で身体拘束を十日され続けた後に心肺停止になり、その後亡くなりました。しばらくして、地震学者でニュージーランド在住の母と日本在住の兄が私の大学の部屋を訪ねてこられました。確かに家では具合が悪かった、しかし、病院に着くと、医師はケリーさんに診察室にあるベッドに歩いて横になるように命じ、横になるとすぐ看護師は身体拘束をしました。兄のパットさんは、自分の足でベッドまで歩ける人をなぜ身体拘束するのかと思いながら、従わざるを得ませんでした。身体拘束を受けて十日後にケリーさんは心肺停止の状態で発見され、その後、転送先の病院で亡くなりました。
その後、外国特派員協会でも会見が行われ、イギリスのガーディアンを始め国内外で広く報じられました。このこともあり、当時、塩崎厚生労働大臣が、身体拘束に関する調査を行うことを約束しました。昨年二月に取りまとめられ、さきの十月二十七日にこちらの委員会で大臣が答弁なさっている調査はこの調査なのです。
このケリーさんの死をきっかけに、私は、遺族と一緒に二〇一七年に精神科医療の身体拘束を考える会を立ち上げ、私の携帯番号を全国に公開しました。そうすると、精神科病院で行われている様々な相談を受けることになりました。
そのような中で、こちらに情報がもたらされたのが、石川の大畠一也さんの身体拘束死でした。二〇一六年に石川の精神科病院に大畠さんは入院しました。二週間後に突然御自宅に電話が入り、お母さんが電話を取ると、一也さんが亡くなりましたと言われ、病院に駆け付けると、そこで初めて身体拘束をしていたことを知らされます。解剖の結果、肺血栓塞栓症、いわゆるエコノミークラス症候群でした。
御家族は実名で記者会見をして社会に訴えました。そして、二審で原告の逆転勝訴。そのときに、スライドにあるワシントン・ポストで大きく報じられています。医師の裁量の逸脱を認め、身体拘束開始時からの違法性が全面的に認められました。
被告の上告受理申立てについて、最高裁は昨年の十月にそれを受理せず、判決は確定しました。判決文では、生命の保護や重大な身体損傷を防ぐことに重点を置いたものだということを強調しています。
しかし、この判決が最高裁で確定した一か月後に、日本精神科病院協会は、会長自らが記者会見をし、声明を発しました。引用します。こちらに書いてあります。「このような非専門家による判断によって精神科医療に対して法的強制力を伴う制限を加えることは、患者に対する行動制限としての身体拘束の要否についての専門的判断は、精神保健指定医という格別の専門資格者しか行い得ないとされた精神保健福祉法の立法趣旨に正面から抵触するものである。」としました。
しかし、これは大きな勘違いをしていると言わざるを得ません。専門家が専門性によって判断に一定の幅があるのは当然のことです。しかし、それが無制限になされることはあり得ず、違法性が問われ、違法とされることもまた当然あり得ることです。日本の千以上ある精神科病院を取りまとめるアソシエーションがこのような主張をされているということは、非常に恐ろしいことだと思います。
しかしながら、事もあろうに厚生労働省は、検討会の中で、今年の三月に、身体拘束の大臣告示を三十年以上ぶりに改変する、しかも、今までには隔離にしか認められていなかった要件を加える提案をしてきました。
そこで、身体拘束の基準というのを見てみます。これは十ページの下の方からです。
精神保健福祉法の三十七条では、処遇の基準を定めることができるとしています。その中に、通信・面会、隔離、身体的拘束、任意入院の開放処遇の制限となっています。
十一ページの上にあるように、第四、身体的拘束についてで、基本的な考え方として、やむを得ない処置として行われる、できる限り早期に他の方法に切り替えるよう努めなければならないとなっています。これは、下にあるように、非代替性、一時性を表します。
しかしながら、十二ページの上にあるように、三月十六日、厚生労働省は、検査及び処置等を行うことができない場合というふうに変えようとしてきました。その後、赤字にあるような、議員会館で院内集会を三回開催しました。そうすると、最終的には下にあるような、患者に対する治療が困難でありというところに取りまとめられたということです。
しかし、ここで注意しなければならないのは、十三ページの上にあるように、石川の大畠さんの身体拘束を行った日のカルテです。これは、医師は何と記入しているかというと、昨日もスタッフへの暴力があり、検温等関わりも難しい、抑制の上フォローするしかないと書いてあります。これはまさに、三月十六日の厚生労働省案の検査及び処置等に該当します。すなわち、もし三月十六日の案で大臣告示が書き換えられていれば、このような身体拘束は適法化されてしまう可能性があります。
衆議院の附帯決議はどう書いてあるでしょうか。「大臣告示の改正を速やかに進めること。」と書いてあります。なぜ速やかに進めなければいけないんでしょうか。
もし十四ページの上にあるように要件を狭めるならば、切迫性、非代替性、一時性の要件の三要件をそのまま書き込めばいいだけの話です。あるいは、イ要件とウ要件をかつでつなげる、そうすれば確実に狭くなります。しかし、私は、その医師の裁量を広げる方向の改定には最大限の強い言葉をもって反対いたします。そもそも人身の自由に直接関わることを大臣告示で定めているのはいかがなものかというのは、十月二十日の予算委員会でも申し上げました。
そもそも大臣告示には非常に問題があります。十四ページの下にあるように、常時の臨床的観察であるとか頻回に診察と書いてあります。十五ページに行きますと、常時の臨床的観察とはどのようなものなんでしょうか、頻回とは何回でしょうか。これらは曖昧で、法律的に事実認定しにくいものとなっています。治療が困難という言葉も同様です。
つまり、人権の問題が医療化してしまいます。常時の臨床的観察は誰が判断するのか。医療者以外が客観的に見ることが極めて困難になりがちです。医療者がそうだと言えばそうなってしまう。人を拘禁する要件として、非常に問題が大きいと考えます。
しかも、厚生労働省は、今、十月から野村総研に研究を委託しています。その事業実施計画書では、処遇基準の告示の見直しを含む要件の検討ということが書かれています。なぜ人身の自由のことや人の拘禁に関わることを野村総研に委託してしまうんでしょうか。これは、濫用されないようにグリップを利かせなければならないはずです。もっと議会に監視していただきたいと思っています。
十六ページに行き、精神保健福祉法の内容に入ります。
先ほども話にありましたように、束ねている問題です。なぜ束ねてはいけないのか。精神保健福祉法は人身の自由の問題を含みます。総合支援法は、主にサービス、給付に関する法律です。そもそも方向性の全く逆の内容を含みます。
十七ページに行きます。
イギリスの政治哲学者のリンゼーは次のように述べています。討論の目的は、互いに異なった見解の中から正しい意味での統一された目標をつくり上げることである、民主政治においては、国家の目的を遂行するために強制力を必要とすること、しかもその強制力は、共同社会の内での不一致とか対立というものを是が非でも法的、制度的な方法によって解決するためにこそあるということと述べています。すなわち、討論というのは時間が掛かるものです。それを分かっていながら束ねて出すというのは非常に良くないと思います。
次に、精神保健福祉法の改正案の第一条です。
「精神障害者の権利の擁護」という言葉が入ったことは一定の評価ができると思います。しかしながら、「その発生の予防」という言葉が残っています。この「その」というのは、その前段には精神障害者と障害者しかないことから、これは精神障害者の発生の予防というふうに考えられます。これは、十八ページにあるように、障害者権利条約十七条の、「心身がそのままの状態で尊重される権利を有する。」、これと真っ向から反する、合致しないと思います。
三十五条二、三の入院者訪問事業です。
ここでは、誠実かつ熱心に聞くというふうに書かれたり、精神科病院の協力を得てということが書かれています。
十九ページに行きまして、私は、病院に異なる風が入ること自体は期待したいと思いますが、精神科病院は二十六万人中約半数の十三万人が医療保護入院という強制入院であり、拘禁する側と拘禁される側というのが根本的な関係です。しっかりとしたリーガルな視点による解決が必要であるにもかかわらず、現状それが抜け落ちている、あるいはその考えが今後及ばなくなることを危惧します。
四十条五では、虐待防止法が織り込まれました。ここでは、通報があった場合に、当該職員若しくはその指定する指定医が立ち入る、精神科病院に立ち入るということになっています。
二十ページに行きます。
何年かにわたって、虐待防止法によってこれは行われるべきだとの議論がありました。しかし、結果として精神保健福祉法に盛り込まれたところ、虐待の通報があった際は、今述べたような当該職員若しくはその指定する指定医に立ち入らせることになってしまっています。指定医が前面に出れば同僚審査になってしまいます。
二〇二〇年三月に、神戸市にある神出病院で、看護師六名が入院患者に対する準強制わいせつ、暴行、監禁等で逮捕される神出病院事件が起きました。患者さんを裸にしてトイレで放水する、柵付きベッドを逆さにしてその下の狭い空間に患者を閉じ込める、床や患者の陰部にジャムを塗って他の患者になめさせるなどの行為を繰り返していました。しかも、これは、内部からは全く話が漏れることはなく、犯人が外部で捕まったときに押収されたスマートフォンの中からこの動画が出てきて、職員同士でそれを回して楽しんでいたという状況でした。
このような虐待は、医療者でなくても外形的に見て虐待と判断できます。むしろ、長期間の身体拘束などの行動制限について、指定医が立ち入ることで医療的に必要と判断され続けてしまうこともあるでしょう。虐待の判断においてイニシアチブを取るのは指定医ではないと思います。
それから、今日申し上げたいのは、「精神保健福祉法詳解」は誰が書いているのかという問題です。
こちらの本は御覧になったことがあるでしょうか。私は何度か厚生労働委員会を傍聴したことがあって、そうすると、大臣席の後ろの方で厚生労働省の方がこの本をよく持っているのを見かけたことがあります。これは精神保健福祉法のバイブルのような本で、いろんなところで引用されたりします。
しかし、これは一体誰が書いているんでしょうか。これを見ると、精神保健福祉研究会監修としか書いてありません。しかし、幾らインターネットで調べても、どう調べても何も分かりません。このような誰が書いたのか分からないものをなぜ根拠に政策を立案したり決定したりできるんでしょうか。これは一体誰が書いているんでしょうか。学者でしょうか、官僚のOBでしょうか。著者が分からなければ、学問的検証も議論もできません。まさしく魔術のようなものです。
私は、今後、この本を参照して物事の根拠にする場合は、執筆者を明らかにしてほしいと思っています。誰が書いたか分からないものを根拠に政策立案をされたのではたまらないからです。私は真面目に言っています。これは、議論や討論の前提になることです。
次に、検討会、政策決定に関わる検討会の人選についての問題です。代表性の問題と言ってもいいです。
厚生労働省の検討会の構成員は厚生労働省が選びます。しかし、例えば当事者といっても、あくまでも厚生労働省が一本釣りした当事者です。法律家が入っているといっても、それは厚生労働省の一本釣りです。果たしてそれは公平公正なのでしょうか。議会においては、国民の代表たる与野党の先生方の合意により、こうやって意見陳述をさせていただくことも可能です。当事者なら当事者団体とか、法律家なら実務法律家団体に推薦を求める方が公平公正な在り方だと思います。
続いて、医療保護入院のことです。これは二十一ページの下の方です。
医療保護入院は、厚生労働省の検討会において、本年三月に、基本的には将来的に廃止も視野に縮小というふうに廃止の方向性が出ました。しかし、四月には、将来的な継続を前提とせず縮減となり、そして、とうとう六月の最終報告書には、課題の整理に取り組み、具体的かつ実効的な方策を検討することが必要というふうに、全く訳が分からないものになってしまいました。もう大変な大後退です。
しかも、検討会の終盤では、日本精神科病院の会長が、三十分の予定のところを一時間十五分話をするに及びました。なぜ話を止めないんでしょうか。もしもそれが許されるならば、他の発言者や参考人にも認められるべきです。極めて公平性や公正性に欠けた検討会だと思います。これは、先ほどの精神保健指定医の行動に違法判断が下ったことに対しての声明が出たことと同様の態度だと思います。
二十二ページです。
社会学者のフリードソンが、「医療と専門家支配」ということでこういうことを述べています。これは五十年以上前の本です。専門家にしても官僚にしても、決して悪意の人物ではない、両者は他の人々と同じように自分自身の視点のとりことなっているが、これらの視点は、訓練や献身によって、そして仕事上での個人的な経験から学び取った教訓によって制約を受けている、このような専門家の行為は簡単に矯正されるようなものではなく、社会生活の本性に由来するものであり、その矯正には、個々の専門家が善意を持つ以上に、専門家以外の視点によって専門家の視点を相殺することが必要であると述べています。
今求められているのは、行政に対する議会の民主的統制だと思います。非常に政策決定のプロセスが不透明です。
法案がもうかなりでき上がってきて、厚生労働省の検討会でも方向性が出て、そして社会保障審議会でもうほぼほぼできてしまう。そして、衆議院を通る。そして、もう参議院に回ってきたときは附帯決議を少しいじるしかできないなんというのは、それはそもそもがおかしい話であって、討論を尽くすべきだと思います。
もう一度繰り返しますが、行政に対する議会の民主的統制を強めるように是非お願いしたいと思います。
私の発表は以上です。御清聴ありがとうございました。