明石康の発言 (外交・安全保障に関する調査会)

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○参考人(明石康君) 私は、国連、国際連合というものは、ある意味では一貫した恒常的な一つの流れであり、運動であり、哲学であり、理念であると思いますし、また時代によって変わっていく面があると思います。そういう二面性を持っておるということですね。
 それぞれの時代によって国連の在り方というのが変わってきているのも事実だと思います。カンボジアPKOの実は成功の一つは、カンボジアPKOというのは幾つかのPKOの中の一つにすぎませんけれども、実は、みんな普通の人が、特に日本の方々がお金を自ら出してカンボジアに国連放送局というのができました。カンボジアは、たしか識字率が当時はかなり低くて、五〇%以下だったわけですけれども、その文字が読めないカンボジアの民衆でも、国連放送局によるカンボジア語による民主主義に関するメッセージというのは聞き分けることができたんですね。
 実は、コンゴ民主共和国のPKOが実施、今でもまあ何らかの形で存在しているわけですけども、そこで国連放送局をカンボジアの例をまねてつくりたいということで、ヨーロッパのPKOなんかの協力も得てそれをつくろうとしました。できたかどうかは私は確かめておりませんけれども、そういうものがあればいいなと、国連の一つのメッセージの伝え方として非常に大きな力があるんですね。
 で、国連事務総長のガリさんは、カンボジアを見に来て、明石、俺はニューヨークで世界中の新聞を取って読んでいるんだけれども、それを読むと、カンボジアでの国連の民主選挙というものはどうも失敗に終わりそうだという意見が世界の新聞に多いようだと。しかし、おまえたちの、こういう放送局をつくり、また草の根で運動しようという情熱みたいなのを私も感じ取ることができたんで、これからはある程度の希望を持って俺はニューヨークに帰るぞと言って、帰りました。
 そんな意味でも、それぞれの国連の世界の各地における在り方、問題のまた所在、なし得ること、なし得ないこと、いろいろあるわけですね。ですから、皆さんは、国連に関してやたらに楽観的になってもらいたくもないし、かといって、やたらに、国連はウクライナで何もできないんだから、もうこれ以上の期待するまでもないだろうということで諦めてしまうのも私はもったいない気がするんですね。
 だから、余り白でも黒でもないグレー、無限のグレーを、グレーの国連、国際平和に対する我々の思い、またその中で日本が果たし得る役割、そういうものについてお互いの意見を火花を散らすように闘わせながら我々はやっていくしかないという感じがします。
 実は、私、先週、京都で、京都芸術大学と京都の国際構築センター共同で、カンボジアのときに命を失った、国連ボランティアだった中田厚仁さんの三十周年を記念して、四月の五日と六日、二日間にわたって、大変厳粛な、いろんな国のいろんな人が発言してそれぞれの感想を述べておりましたけども。
 中田君は、当時、三十……(発言する者あり)二十五歳で亡くなったんです。その二日後に私は、彼のお父さんとお母さんと妹さんが三人プノンペンに我々を訪ねてきまして、お会いしたんです。夜々に泣き伏す中田君の家族に会うのはつらいなと思ったんですけども、お父さんがにこにこ笑っておられました。自分の息子はこういう形で国際平和のために命を失ったんで、自分としては本当にうれしく思っているということをお父さんはおっしゃいました。
 で、このお父さんは、その後、自分の職を辞めて、国連ボランティアの名誉大使になって、世界中を駆け回って国連に対する思いを、熱い思いをみんなに伝えたんですね。その後、うれしいことに、読売新聞の国際平和賞を中田君ももらうことになったんですけれども。
 私はその父君の笑っている姿を見て、実は、芥川龍之介は私の愛読している作家の一人なんですけど、ハンカチーフという題の小編を残しておるんです。実は、ある大学の先生のところに自分の学生の母親が訪ねてきた、で、淡々としてその女性の息子さんが亡くなってしまったということを全く感情を表すことなく静かに先生に伝えた、しかし、それはある夏の日であったんですけど、その先生が自分の落とした扇を拾おうと思ってしゃがんだら、その母親の手が、本当に手に持ったハンカチがちぎれるほどその感情を表しておったと。
 ただそれだけのことなんですけれども、そういう日本的ストイシズムといいますか、どんなに悲しくとも悲しさを表には表さないという表現の仕方、それが永続していることにその大学の先生は思いをはせたというだけの話なんですけれども、そういう、私は、その芥川の中に出てくる学生の母親と中田君のお父さんとの、そういう感情表現の一貫している日本文化というものについて考えさせられたわけですけれども。
 とにかく、カンボジアだけでも中田君が亡くなったし、文民警察官の人も一人亡くなって、それ以後、日本の警察は一人も、あっ、部隊としてはその後一度ももう出なくなったんです。今アフリカのPKOに一番参加しているのは中国の文民警察官なんです。
 私は、日中関係を考えるにつれても、国連をいろいろ世界中で使いながら活躍している中国と、何人かの犠牲者が出たからもう国連とは付き合わないよということが、日本の一部にそういう気持ちが残っているとしたらとても残念だなと思うんですけれども。
 ちょっと、長い時間済みません。

発言情報

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発言者: 明石康

speaker_id: 32147

日付: 2023-04-12

院: 参議院

会議名: 外交・安全保障に関する調査会