小田原潔の発言 (外務委員会)
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○小田原委員 おはようございます。自由民主党の小田原潔であります。
御指名をいただいて本日質問させていただくのですけれども、本日この場で質問させていただくことに格別の感慨がございます。それは理由があります。私がこの仕事をしたいと思ったきっかけが、五十二年前の今日、一九七二年五月十五日の出来事だったからであります。私が八歳のとき、沖縄が日本に返ってきました。大変感激いたしました。
個人的なことで恐縮ですけれども、私の父親は自衛官でありました。当時、自衛隊に対する風当たりは必ずしも今ほど、例えば、国民の支持が九二%とか、そういう時代ではありませんでした。それでも、自衛官の子供というのは、私に限らず、平時であっても、いざというときは親が命を失うかもしれないという覚悟を持って育つものであります。名誉ある殉職であれば残された家族は胸を張って生きていけると思いますが、できれば、ばかな思いつきとか無謀な作戦で犬死にしてほしくないという切実な子供心がありました。ということもあって、沖縄の返還は、一発の銃弾も発射せず、一滴の血液も流さず、戦争に負けて取られてしまった領土が返ってくるなんて、外交と政治の力はすごいと思いました。
私は庶民の家でありましたし、十三年前に初当選させていただくまでにそれから四十年かかりましたけれども、それも天命でありましょう。本日は、ちょっと僭越ですけれども、我が国の独立と平和を託す外交を担う皆さんの在り方、生き方、そういったところまで質問できればというふうに思います。
私は、プロフィールとか略歴とか、そこはいいことしか書かないんですけれども、尊敬する人物のところには必ず陸奥宗光公を挙げています。
ついこの間まで、日経新聞の朝刊の小説に陸奥公の青春時代のお話がありました。かみそり陸奥と言われてはいるものの、女郎屋通いをしたり、政府転覆のたくらみがばれて山形に投獄されたり、紆余曲折がありましたけれども、不平等条約を解決し、私たち日本人に夢と希望を与えてくれた立て役者であろうと思います。
また、陸奥宗光公に見出された小村寿太郎大臣も、退官直前であったところ、その才能を買われたということであろうと思います。
現在は、卓越した個人の力やチームの力だけではなくて、一か国同士の外交にとどまらず、近年ではクアッドとかFOIPとか、同盟国とまでは申しませんけれども、ライク・マインデッド・ステーツというんですかね、価値と目的、国益を共有する国々で枠組みをつくっていく、そういう力、さらには、国際連盟ができてからは、地球上の秩序を守ったり、もっとよくしたり、人類共通の課題を力を合わせて解決していく、そういう力も求められていると認識いたします。
さて、私が七年前、外務大臣政務官を拝命した直後、我が党の中でも、国際機関に働く日本人の幹部の数が少ないんじゃないかという議論がありました。それについて少し取り組んだこともありました。この話題は、恐らく七十年近く、起きては収まり、起きては収まりという課題だと思います。
ただ、少ないんじゃないかと言う方も、そして、それを構築する方も、無責任ではないかと思うことがちょっとあります。国際機関に働く日本人幹部の数が少ないというのは何に対して少ないと言うのか。例えば、拠出している金額の割合に対して幹部の数が少ないのか。それとも、扱っている課題、例えばGDPの金額とか順位に比べて日本人が少ないと言っているのか。さらには、例えばCO2の排出量が多い順になっていないとか、いろいろな尺度があると思います。また、人材の出どころも、どういうふうにすれば、日本人で国際機関に勤め、そして人生をそれにささげたいという人を培うことができるのか。そういった裾野の広い努力も必要だと思います。
まず、伺います。聞き方が漠として恐縮ですけれども、現在、主な国際機関において日本人の幹部というのはどれぐらいいるのでしょうか。