野村哲郎の発言 (農林水産委員会)
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○野村哲郎君 自由民主党の野村哲郎でございます。
私は、岸田総理から一昨年の八月にお電話をいただいて、農林水産大臣に任命をいただきました。心から御礼を申し上げますとともに、ちょうど任期の期間が四百日でございましたので、調べてみますとほかの大臣よりも少し長く、二週間ぐらい長くしたかなというふうに思っておりますが。ただ、その間、大変緊張の連続でございましたので、坂本大臣にも先ほど申し上げたんですが、是非体をいとうてくださいということでありまして、こうして総理を始め坂本大臣、そして鈴木副大臣、そしてまた高橋大臣政務官、本当に、農水省の皆さんを始めとしまして、日頃より農業振興について大変な御尽力をいただいておりますことを、農林族の一人として心から御礼を申し上げる次第でございます。
私は最初、筆頭から聞いたときに、時間が二十分だということで質問を幾つか用意させていただいておりましたが、八分間に短縮されましたので、ほぼ質問の時間はないんじゃないかというふうに思っておりますが、まあそれはそれとして、総理の決意のほども最後に伺いたいと、かように思っております。また、坂本大臣にも一問だけ質問をさせていただきたいと、かように思っているところでございます。
総理からは、十月に官邸の方で、おい、おまえら、もう食料の基本法ができてから二十五年たつんだぞと、これについての見直しを進めたらどうかということを総理から御指示をいただきました。そして、農水省に帰りまして、幹部を集めてその旨を話したところでございました。
ちょっとそのときに話したことを少しここで御披露させていただきたいと思うんですが、私の経歴は、昭和四十四年にJA中央会に入りました。三十五年間勤めたわけでありますが、このJA中央会に入りましたときに、先輩から、おい、野村、これからの鹿児島の農業は変わるぞと、こういうふうに言われました。
当時の鹿児島の生産額の一番大きいのは当然米でありました。そしてその次がカンショ、その次がサトウキビだったんです。ローカル色豊かな農産物でありますけれども、ほかはあと肉用牛が若干ございましたけれども、ほとんど換金作目的なものが余りなかった時代でありまして、そのときに、県とそれからJAグループが一緒になりまして十年後の鹿児島のビジョンをつくろうということになって、十年後の鹿児島の農業の姿というのを冊子にまとめていただきました。
私どももそれで勉強したわけでありますが、そのときに皆さんがもう生き生きとしておりまして、そして、そこにはやっぱり人が大事だということで、経済連の技術員の人たちをそれぞれの地区に張り付けをさせまして、三年間でおまえたちは団地をつくってこいと。ここは肉用牛団地、ここは養豚団地、ここは酪農団地という形で団地をつくってこいと、でないと、鹿児島県内全体にばらついているので、何とかやっぱりまとめる必要があるぞということで、今でも私どもは団地団地と、こういうふうに言っているんですが、熊本も同じようにそういった団地的なところの取組をされたというふうに認識をしております。
私はそのときに、やっぱり、人が張り付いてそこの農家の人たちと話をして、そしてやってきたというのが一番これは良かったんじゃないかというふうに思います。三年間地域に出向だったものですから、三年間のうちにおまえたちは団地をつくり上げてこいというのが技術員に対する指示でございました。
当時の鹿児島県の生産物は先ほど言ったようなことだったんですが、ひもといてみますと、鹿児島県のそのときの農業生産額は三千億をちょっと超えたぐらいで、全国十八位だったんです。現在では幾らかというと、全国の二位で、そして五千三百億円にもなっておりまして、もう全然、鹿児島の農業の姿というのが物すごく変わってきたわけであります。
ですけれども、今回この法案ができたので、是非、私は選挙のときに、皆さん、鹿児島の農業も変えていきましょうということを森山先生と二人でずっと街頭を打って。今の鹿児島で何が不足しているのかというと、やはり畜産ですが、飼料が足らない。だから、飼料が足らないものをどういうふうにしてカバーしていくか。稲わらだって中国から輸入しているぐらいでしたから、もうこれではとてもじゃないけれども経費がかさんで、農業として成り立っていくかどうかということはこれからの正念場だということをやりまして、あと二分ですね、やってきたわけでありますが、おかげさまで鹿児島の農業が見違えるような、そう言うと田名部さんからいつも言われて、あんたは自分のお国のことの自慢話ばっかりすると、こう言われているんですが、そのぐらいみんな、農家も組織の皆さん方も行政の皆さんも頑張ってきたというふうに思います。
これからも、またもう少し変えようじゃないかと。それは、一番最初、もう何を一番最初に去年やったかというと、肥料を作り出したんです。畜産県ですから堆肥がいっぱいあります。それで、その堆肥に基づいてペレット化して固形化して、それをほとんどの農家に一昨年から配布をしておりまして、これが一番良かったのがお茶だったんです。お茶は、いわゆるアメリカにもEUにも、輸出するには無農薬でないと駄目、あるいは肥料も無農薬でないと駄目というのがありましたから、このペレット肥料を使い出してからどんどん輸出が伸びていきました。
ということで、自慢話をさせていただきましたが、この基本法で、今回、私は総理に、日本の農業をやっぱり変えていかなきゃいけない、金があって変えれるものじゃないし、これからやっぱり農協の皆さん方の……