青木愛の発言 (本会議)
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○青木愛君 本日、この本会議場に室井邦彦先生のお姿を拝見できないこと、この上なく寂しい気持ちでいっぱいです。
私が、昨年十二月十三日の国土交通委員会の終了後、室井先生に駆け寄り、御挨拶をさせていただいたのが最後となりました。年明けに届いた訃報は、余りにも突然で、いまだに信じられない思いであります。
本院議員室井邦彦先生は、去る一月三日、肝細胞がんを原因とする肝不全のため御逝去されました。享年七十六歳、誠に哀悼痛惜の念に堪えません。
私は、ここに皆様のお許しを得て、議員一同を代表し、従三位旭日重光章故室井邦彦先生の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉をささげます。
室井邦彦先生は、昭和二十二年四月十日、京都府京都市にてお生まれになり、兵庫県尼崎市立大庄北中学校、兵庫県立尼崎西高等学校に在学されました。
その後、追手門学院大学文学部に進学された後、御両親が経営されていた室井運輸株式会社において社業に従事されるとともに、尼崎青年会議所に所属し、地域社会にも貢献されてこられました。
そして、昭和五十八年四月、三十六歳で尼崎市議会議員に当選、さらに、平成三年四月には兵庫県議会議員に当選され、以後二期にわたり県政において御活躍されました。
その間、福祉生活常任委員会副委員長、警察常任委員会委員長の要職を務められました。
また、先生は、二十五歳のときに入会された尼崎青年会議所において理事長を務められた際には、幾多の困難を乗り越え、尼崎国際ハーフマラソンを実現されました。議員生活を通じ、一貫して国と地方との橋渡しを担われたのは、リーダーを志す青年経済人の社会活動を通じて得られた幅広い知見と、御自身の強い使命感に基づくものでありました。
先生は、こうした御経験を踏まえて、地域を、そして、この国をこのままにしておくことはできないとの強い思いに駆り立てられて国政選挙に挑戦します。失敗しても、それに負けず、四度目の挑戦で平成十五年の第四十三回衆議院議員総選挙において当選を果たされ、国政に活動の場を移されることとなりました。衆議院議員となられた室井先生は、国土交通委員会の場で御活躍されたのであります。
その後、平成十七年のいわゆる郵政選挙で苦杯をなめることとなりましたが、先生は持ち前の不屈の精神で、平成十九年七月の第二十一回参議院議員通常選挙において当選、再び国政の場へと返り咲くこととなったのです。
以来、連続三回の当選を果たされ、両院を通算して十八年五か月の長きにわたり、国政の舞台で御活躍されたのであります。
室井先生は、本院において、国土交通委員会、議院運営委員会、国家基本政策委員会、懲罰委員会、災害対策特別委員会、政治倫理の確立及び選挙制度に関する特別委員会、国際・地球温暖化問題に関する調査会など、多岐にわたる委員会、調査会等に所属されました。懲罰委員会及び国家基本政策委員会では委員長を務められ、国会役員の要職を歴任されました。
中でも、国土交通委員会は、衆参両院を通じ、任期中一貫して在籍された、先生の議員活動の中心であり、平成二十三年九月には、野田内閣において国土交通大臣政務官に御就任されました。
先生は、政務官として、安全・危機管理、海上保安、住宅、海事、港湾、航空、観光の陸海空と多岐にわたる分野を担当されました。かねてより国土交通省の現場力の重要性を認識されていた先生は、一年間で出先機関である北海道開発局、八つの地方整備局、九つの地方運輸局、十一の管区海上保安本部の全てに足を運び、第一線の職員に対し、直接、感謝と激励のお言葉を掛けられました。
先生は、御自身が阪神・淡路大震災の被災者でもあることから、一貫して追求してこられたのは国民の安全、安心の確保でした。強靱な国土づくりをより強力に進め、国民の皆様が安心して暮らせる社会をつくりたいとの強い思いから、情熱を傾けてこられました。
東日本大震災の発災から間もない時期には、災害に強い物流ネットワークの構築を目的とする日本海側拠点港の形成に関する検討委員会の座長を務められ、日本海側拠点港の選定及びフォローアップを目的とする十九の拠点港の視察を行い、港湾行政の充実強化にも御尽力されました。
また、室井先生は、心のふるさとがお父様の御出生地である福島県南会津郡下郷町ということもあり、東日本大震災と原発事故で甚大な被害を受けた福島の復興再生に向けて、被災者の皆様の気持ちに寄り添い、一日も早くかつての暮らしやなりわいを取り戻すことができるよう、国土交通大臣政務官としてはもちろん、退任されたその後も全力で取り組んでこられました。福島の真の復興再生には、観光振興による地域活性化が重要な政策課題であるとの信念の下、広域周遊観光の促進を実現すべく、会津縦貫道を始めとした交通ネットワーク整備の推進に心血を注いでこられたのであります。
さらに、党におかれましては、日本維新の会国会議員団の参議院幹事長、参議院会長代行を務められました。先生は、常々、若い議員の方々に御自身の経験を伝えたいと語っておられたそうです。
私たちも、先生にお目にかかりますと、いつも温かみのある語り口で声を掛けていただき、先生に見守られているように思えたものです。周りの先生方だけではなく、政府の皆さんや職員の皆さんなどにも分け隔てることなく、ユーモアを交えた優しい語り口で話しかけられ、その場の空気を自然と和らげてくださいました。
このように、室井先生は、国会、政府及び党において、政策の実現に向けて奔走されておられましたが、昨年の一月頃から、体調が大変厳しい状況にあったと伺いました。今思えば、昨年末、国土交通委員会のいつものお席に座っていらっしゃったのは、国会議員としての責務を果たそうとする一念であり、私たちに国会議員としての大切なものを伝えてくださっていたのではないかと改めてそう思うのです。
年初の地震により甚大な被害を受けた能登地方を始め、日本全体を元気にしていかなければならないこの時期に、参議院のみならず国政にとって必要とされる先生が御逝去されたことは、誠に痛恨の極みです。
室井先生が精力を注ぎ続けた大規模自然災害から国民の命と暮らしを守るというその御遺志は、今後国会の場において、我々議員一同が引き継いでまいります。
ここに、謹んで、在りし日の故室井邦彦先生の篤実なお人柄と数々の御功績をしのびつつ、本院を代表して御冥福をお祈り申し上げ、哀悼の言葉といたします。