小国喜弘の発言 (国民生活・経済及び地方に関する調査会)
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○参考人(小国喜弘君) ありがとうございます。
三浦先生、ありがとうございます。
やっぱり、今先生から御質問いただいた問題が、学校教育の中の一番非常に、何ですか、固い、何とも変わらない部分になっているような気がいたします。
不思議な気がいたしますのは、憲法であるとか教育基本法のレベルであると、必ずしもその学力を付けなさいという話はないんですね。ところが、学校教育法辺りになると、その改正されたところに少し出てきている感じがありまして、それでも、やはり憲法とか教育基本法を引き継ぐ形で、やはり生きる力といいますか、先生がおっしゃってくださったような、そういう友達と協働しながら生きていくような力を付けるということが意義付けられていると思うんですけれども、これが学習指導要領になると、総則のところでは出てくるんですが、細則のところになると、当然教科に分かれていてというところでは全く消えてしまうという。つまり、目的としては、既に日本の社会の法体系の中にもそういう共に生きるみたいな話は位置付けられているにもかかわらず、細則に落ちれば落ちるほど、実はその教科の意識でがんじがらめにされていて、そこからでは全く、うまくそのそういう生きる力みたいなものは育めないと。
もう一方で、実は日本の学校教育は海外と比べて学校行事というのが比較的盛んな国でして、済みません、時間はあれですよね、ごめんなさい。そういう意味で、実はそこの部分が今回、やはり二〇〇七年からの全国学テの中で、やっぱり授業が教育の全てで行事はなるべく短縮してという、この流れに入ってしまいました。それから、休み時間も、本来子供の権利の中には遊ぶ権利とか休息する権利というのがあるはずなのに、もう単なる授業と授業の間の準備時間になってしまいました。
こういう閉塞状況みたいなものを揺り戻すだけでも随分うまくいく部分はあるんじゃないか。だから、今の学校がもう全くうまくいかなくなったとも思わない部分も、何かまだ信じたいところがございまして、それは、本来的な法の趣旨に、それこそ憲法の趣旨ですとか、そういったところに戻していくということだけでも随分やれるところがあるのではないかなという気がしております。
ちょっと答えになったかならないか、済みません、不安なんですが。