国民生活・経済及び地方に関する調査会
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会
会議録情報#0
令和六年二月十四日(水曜日)
午後一時開会
─────────────
委員の異動
二月七日
辞任 補欠選任
天畠 大輔君 木村 英子君
─────────────
出席者は左のとおり。
会 長 福山 哲郎君
理 事
今井絵理子君
清水 真人君
長峯 誠君
田名部匡代君
下野 六太君
中条きよし君
舟山 康江君
山添 拓君
委 員
白坂 亜紀君
田中 昌史君
堂故 茂君
友納 理緒君
長谷川英晴君
星 北斗君
山本 啓介君
山本佐知子君
和田 政宗君
若林 洋平君
柴 愼一君
森屋 隆君
竹内 真二君
三浦 信祐君
高木かおり君
木村 英子君
事務局側
第二特別調査室
長 村田 和彦君
参考人
東京大学大学院
教育学研究科教
授・教育学研究
科附属バリアフ
リー教育開発研
究センター長 小国 喜弘君
NPO法人あな
たのいばしょ理
事長 大空 幸星君
一般社団法人日
本ケアラー連盟
理事
一般社団法人ケ
アラーワークス
代表理事 田中悠美子君
─────────────
本日の会議に付した案件
○国民生活・経済及び地方に関する調査
(「誰もが取り残されず希望が持てる社会の構
築」のうち、社会経済、地方及び国民生活に必
要な施策(若者への教育支援)について)
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この発言だけを見る →午後一時開会
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委員の異動
二月七日
辞任 補欠選任
天畠 大輔君 木村 英子君
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出席者は左のとおり。
会 長 福山 哲郎君
理 事
今井絵理子君
清水 真人君
長峯 誠君
田名部匡代君
下野 六太君
中条きよし君
舟山 康江君
山添 拓君
委 員
白坂 亜紀君
田中 昌史君
堂故 茂君
友納 理緒君
長谷川英晴君
星 北斗君
山本 啓介君
山本佐知子君
和田 政宗君
若林 洋平君
柴 愼一君
森屋 隆君
竹内 真二君
三浦 信祐君
高木かおり君
木村 英子君
事務局側
第二特別調査室
長 村田 和彦君
参考人
東京大学大学院
教育学研究科教
授・教育学研究
科附属バリアフ
リー教育開発研
究センター長 小国 喜弘君
NPO法人あな
たのいばしょ理
事長 大空 幸星君
一般社団法人日
本ケアラー連盟
理事
一般社団法人ケ
アラーワークス
代表理事 田中悠美子君
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本日の会議に付した案件
○国民生活・経済及び地方に関する調査
(「誰もが取り残されず希望が持てる社会の構
築」のうち、社会経済、地方及び国民生活に必
要な施策(若者への教育支援)について)
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福
福山哲郎#1
○会長(福山哲郎君) ただいまから国民生活・経済及び地方に関する調査会を開会いたします。
委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、天畠大輔君が委員を辞任され、その補欠として木村英子君が選任されました。
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この発言だけを見る →委員の異動について御報告いたします。
昨日までに、天畠大輔君が委員を辞任され、その補欠として木村英子君が選任されました。
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福
福山哲郎#2
○会長(福山哲郎君) 国民生活・経済及び地方に関する調査を議題といたします。
本日は、「誰もが取り残されず希望が持てる社会の構築」のうち、「社会経済、地方及び国民生活に必要な施策」に関し、「若者への教育支援」について三名の参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
御出席いただいております参考人は、東京大学大学院教育学研究科教授・教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター長小国喜弘君、NPO法人あなたのいばしょ理事長大空幸星君及び一般社団法人日本ケアラー連盟理事・一般社団法人ケアラーワークス代表理事田中悠美子君でございます。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、小国参考人、大空参考人、田中参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後、午後四時頃までを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度会長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず小国参考人からお願いいたします。ヤジ小国参考人、挙手をお願いいたします。
小国参考人。
この発言だけを見る →本日は、「誰もが取り残されず希望が持てる社会の構築」のうち、「社会経済、地方及び国民生活に必要な施策」に関し、「若者への教育支援」について三名の参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
御出席いただいております参考人は、東京大学大学院教育学研究科教授・教育学研究科附属バリアフリー教育開発研究センター長小国喜弘君、NPO法人あなたのいばしょ理事長大空幸星君及び一般社団法人日本ケアラー連盟理事・一般社団法人ケアラーワークス代表理事田中悠美子君でございます。
この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
次に、議事の進め方について申し上げます。
まず、小国参考人、大空参考人、田中参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後、午後四時頃までを目途に質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
また、御発言の際は、挙手をしていただき、その都度会長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
なお、御発言は着席のままで結構でございます。
それでは、まず小国参考人からお願いいたします。ヤジ小国参考人、挙手をお願いいたします。
小国参考人。
小
小国喜弘#3
○参考人(小国喜弘君) どうぞよろしくお願いいたします。(資料映写)
私どもは、インクルーシブ教育の定例研究会というオンラインの研究会を毎月開催しております。大体二千人から三千人が毎回参加しております。そこの中では、親たちの、やはり自分の子供を普通学級に入れたいのにやはり先生から行けないと言われた、その点数では駄目だと言われた、担任ではないけれども、周りの先生からやはり汚いとか気持ち悪いと言われた、そのような様々な声が飛び交っている状況がございます。先生方は先生方で、非常にしんどい思いをされている先生方がもう一方でたくさんいらっしゃいます。もっといろんな子供と一緒に育てたいのに学校の方針でできないであるとか、そういった悩みをそれぞれが抱えていらっしゃる。
その個々の保護者の方とか教師の方に、何かそれぞれが本当に、その地域ではばらばらに孤立していらっしゃるという感じで、それがつながれていない、学校の中ではもう本当に何とかしたいという思いを持ちながらもという、そんなお声をたくさんいただいています。特別支援教育で満足していらっしゃる保護者の方も当然いらっしゃるわけですけれども、そうでない保護者の方もいらっしゃるということを前提にして少しお話をさせていただけたらなというふうに思っています。
先生方もよく御存じのように、この平成二十四年から例えば令和四年を取ってみますと、全体の数は少子化で九〇%になっているわけですけれども、特別支援教育の対象児童生徒というのは大体二倍になっているという状況がございます。
ここで見方が分かれているんだと思います。つまり、特別支援教育が充実をしてきてそれが認知をされ、希望者が増えているということによってこの数が増えているんだという、それはむしろメインの説明になっているように思います。
もう一方で、マイナーな説明としてあるのは、実は学校というのが非常に閉塞感を強めていて窮屈な場になっていると。少しでも違っていたらその違いが目立つようになってしまい、で、検査を受けたらどうですかというような形で検査を受けさせられる。そうすると、発達障害という診断が付いて、それが特別支援学級に措置される一つの理由になっていく、こんなことはよく耳にします。
医師にお話を伺いますと、やっぱり自分たちは仕事で、目の前に困っている人が来て何とかしてくれと言っていると、自分ができることというのは症名を付けることと薬を出すことしかないんだと。そうしたら、やはりそこの目の前にいて何らかの問題を訴えているわけですから、その問題に対する対処としては、症名も付くし、薬も出ると。これが本当にその人の、脳の機能障害というのはこれ一種の仮説でございまして、本来、脳の機能障害なのかどうかというのは、実は医学的には実証されていないとおっしゃるお医者様の方がマジョリティーだと思うんです。
ところが、脳の機能障害という言葉が独り歩きしてしまうと、やはり、それは脳の仕組み的に定型ではないのだから障害なんだという形になってしまいますが、例えば、我々でもそうですよね、すごいしんどいこととか、もう本当につらいことが起きると、やはり、感情が表に出なくなったりとか、一緒になって笑えなかったりとか、言動がちょっと変になってしまったりとか、時には人に当たってしまったりとか、そういうことってどうしても起こりがちだと思うんですけれども、それが、学校に来ると、何でこの子はそうなっているんだろうと思わずに、他害傾向の例えばある子というふうにみなされることになるわけです。
それが、医者に連れていかれますと、確かに暴力傾向を持っているわけですから、ただ、それは本来的に脳の機能的に暴力傾向を持っているわけでは必ずしもなくて、本当につらい中でそれをどうにかしてくれという大人たちへの悲鳴なんかもいっぱいあるわけですけれども、そういうことが丁寧に聞き取られずに症名が付けられていく、こんなことがいっぱい起きているような気がいたします。
もう時間もありませんので、ずっと見ていただきたいと思いますが、特別支援学校も特別支援学級も、それから通級による指導もずっと増え続けているという現状でございます。これが、学校が閉塞感を強めているんじゃないかということの背景になるのは、間接的な証拠になるのは、例えば、不登校の児童生徒もこの間ずっと増えているわけですよね。学校に行けない子供たちは、この二年間連続で毎年二〇%ずつ増えているという非常に深刻な状況かと思います。いじめの問題も増えています。それだけではなくて、実は、学校というのは、本来、先生にとってみたら、子供と出会って、一緒に何か教育活動をして、子供の成長を喜び合えるというのは本当に本来は幸せな仕事のはずなのですが、その幸せが十分に実感できないような環境になっていて、休職をしている先生方がいっぱいいらっしゃる。
これらを総合して見ますと、やはり、学校全体が閉塞感を強めていて、様々な問題が派生している。その中に特別支援教育の対象児童生徒もいるんだというふうに見ることはできないのだろうかということでございます。やはり気になりますのは、この間、教育施策は非常に充実してきておりまして、不登校特例校であるとか学校内の居場所の設置であるとか、また、特別支援教育の充実というのもその一つだと思いますけれども、そういう形で教育施策は充実しているんですが、実は問題は、通常学校の通常学級のところでしんどさが起きているにもかかわらず、そこに手を入れるような施策が打たれず、実は対症療法として、何かそこからこぼれた子をどうやってすくい取るかということが検討されているような気がいたします。
その意味において、例えば、特別支援学校とか特別支援学級を、今結構、保護者が積極的に、自分の子供のですね、かぎ括弧付きですけど、障害程度がそれほど重くないという感じに見える子であっても積極的に、うちの子はもう普通級は無理なのでといって特別支援学級とか特別支援学校に措置する例というのはすごく多いというふうに先生方からも本当に聞いております。
その一つの背景は、やはり、自分たちの子供は普通学級で暮らせるのは無理だ、あんな競争が入っていて、テスト漬けになっているあんなところに自分の子供を置くのは無理だとか、置かせたくないという理由も非常に増えているという実態をまずは御報告したいというふうに思います。
そうなってきますと、やはり、学校の慣習であるとか文化であるとか制度であるとか授業の仕方などが抱える問題のやっぱり根本的解決というものを志向すべきなのに、必ずしもそれが志向されていないのではないかという現状を感じてしまいます。
先生方、これもよく御存じのように、二〇二二年の九月には、障害者権利委員会が日本政府に対して行った勧告の中で、特別支援教育を分離特別教育という名称で呼び、それの廃止に向けた行動計画を立てるべきだという勧告を行いました。これ、私、国連のこの文書を見て、あっ、自分の認識が甘かった部分があるなと思った文章があったので、今日、先生方にも共有をさせていただきたいなと思ってお持ちをいたしました。インクルーシブ教育の利点を議論するというのは、奴隷制の廃止、アパルトヘイトの廃止の利点を議論することと等しいというふうに、ユネスコなんかのインクルージョンと教育とかという報告書の序文なんかを見ますともう明確に書いてあるんです。
日本の議論は、例えば教育関係者と議論をしますと大抵こういうふうに言われます。インクルーシブ教育が大事だというのは僕は分かりますと、校長先生なんか皆さんおっしゃいます。だけど、率直に言って、インクルーシブ教育をやると、だって、できない子とできる子を一緒にするんだから学力下がるよねとおっしゃる先生は本当に多いです。ですけれども、奴隷制の廃止をした方が社会の安全性が高まるでしょうかとかアパルトヘイトを廃止した方が社会の生産性が高まるんでしょうかという議論をするということ自体がこれは差別だということは誰しも分かること。それと同じ文脈で海外ではもう考えているんだということなんだと思います。
これ、男女共学というのを戦後始めたときに、あのGHQの指令で始めたわけですよね、国内の教育関係者はすごく議論したんです。それは何かといいますと、女性と一緒にすると男子学生の学力が下がるということです。これを差別とも思わずに、いや、もう新聞なんかを見るとその手の記事にあふれ返っているという実態があるんです。今その話を聞いたら、もうここにいらっしゃる先生方、皆さん誰一人残らず、それは差別だよね、七十年前っていかに人権意識低かったんだろうとおっしゃると思うんです。そのことの言わば障害者版が今起きているというふうにお考えいただくと、この問題は非常に理解しやすい問題なんだろうと思います。
何をもって障害とみなすのかというのは社会によっても違ってくると思いますし、例えば、私なんかの同僚の星加良司という、これは全盲の研究者ですけれども、その研究者が言うのは、もし日本が車椅子ユーザーの国であったら、むしろ二足歩行している人の方が障害者だよねというふうに言います。そうすると、天井はもっと低くなるはずで、その低い天井に合わない背丈を持っているのであれば、みんなむしろ車椅子の生活になるような手術をした方がいいんじゃないかという極論まで、これは極論であることによってそのおかしさに気付いてもらいたいというための極論で、ちょっと語弊もある比喩になっているかもしれませんけれども。
そういうことを考えますと、やはり社会の中の常識を変えていくということが大事ですし、教室の中の常識を変えていくということがすごく大事なんだというふうに思って、今日出席をさせていただきました。
余り時間もないのでこちらのスライドにさせていただきますけれども、やはり日本で考えているインクルーシブ教育というのは、現状、非常にその範囲が狭いように思います。
まず、先ほど申し上げたように、海外でインクルーシブ、これは日本でも言われているわけですけれども、共生社会をどうつくるのかという原体験をするのが学校なんだと、だから学校はインクルーシブにしなきゃいけないんだという、ここまでは言われるわけですけれども、実は日本の教育の議論というのは、これはお恥ずかしいことに授業の問題だけを論じるんです。授業で一緒に学べるか学べないかだけなんですね。
だけれども、先生方も御記憶をたどっていただけたら、例えば、それは当時の担任の教師の人たちは一生懸命授業をされたと思うんですけれども、必ずしも先生方がいい授業をお受けになったから今のような知見をお持ちになられたということでは更々ないんじゃないかと思います。やっぱり、むしろ友達同士との出会いであるとか、時には深刻なけんかをしたり、いじめてしまったりいじめられたり、いろんなそのコンフリクトがあるということを御経験される中で人間として成長されたり、知的に興味を抱かれて御自身で勉強されたりという側面があると思います。
そういう意味において、例えば本来的には地域の構成員が参画をしていくであるとか、それから教職員がその声を拾われていくであるとか、それから生徒会なんかがその自治として参加することですとか、そういったことが非常に重要なはずなんですが、そういった問題をインクルーシブ教育の問題として議論する研究者というもの自体がほぼいないというお寒い現状がございます。これは、教育学のお寒い現状、我々の問題でございます。
さらに、海外では、性差、民族差、経済格差、能力差など多様な差異が問題になるんですけれども、ですから、取り出しなんというのも、海外では例えば天才児も取り出すわけですよね。ところが、日本は、かぎ括弧付きですけど、障害児だけを取り出すので、差別の問題と非常に密接に取り出しが絡んでしまうという問題が起きているように思います。そういった問題の中で、日本では障害のみに焦点が当たっているということです。
それから、障害の社会モデルが重要なんですが、日本では障害の医学モデルを前提としているので、障害の克服とか軽減という問題にばっかり焦点が当たりまして、もしかしたら、何ですかね、子供たちの表れをより深刻なものにしている学校の慣習だとか文化とか授業のやり方には関心が向かないというところがございます。
日本はこれがインクルーシブ教育システムということになっておりまして、障害の程度に応じて学びの場を連続的に準備し、最適なところにということになるわけですけれども、これが結果的に見れば、例えば学校なんかでも、行ってみると特別支援学級と普通学級の間に交流があるところというのは非常にまれです。交流が行われていても、結局、その特別支援学級の子供が普通級に入っていたら、それはお客様になっているという例がほとんどです。だから、友達になれて一緒になって学んでいるということがどこまで実質化されているかというと、極めて微妙な状況にあろうかと思います。
もう時間も余りなくなってきたので、このようなところが日本の非常に大きな問題、限界になっているような気がするわけです。
医学モデルをそういう意味では社会モデルとか人権モデルにどう転換していくのかというのが日本の学校で問われているところで、そのために少し先生方に共有をさせていただきたい論点を四点、いや、五点だったかもしれません、済みません、一生懸命準備したので、ちょっと忘れておりますけれども、準備させていただいたので御説明させていただきます。
一つは、やはり過剰な医療化が進行しているという。やはり医師とつなぐ、専門家とつなぐということは大事なんですが、医師とつないだ時点で、これは発達障害の研究をしているお医者さん自体が非常に後悔をされているのは、発達障害という症名を付けることによって、先生方がその背景にあるものは何だろうかということを丁寧に探り始めると思っていたというふうに書いていらっしゃる方、何人もいらっしゃいます。
現実に起きたのは何なのかというと、医師に任せておけばいいというので、医師につないだ時点で、それから特別支援学級に措置した時点で自分の問題ではないという形で放り出してしまう先生方が本当に増えた。背景は、やっぱり探らないことによって薬の処方だけがされているということの大きな問題があるという、この問題でございます。この問題は、早い段階から国連の子どもの権利委員会から日本政府への勧告の中で取り上げられてきたものです。
もう一つが、これ、実は日本のやっぱり学校教育のなかなか難しい問題だと思うので共有をさせていただきたい、法律の問題がございます。今インクルーシブ教育で一番ネックになっているのは、この義務標準法なのではないかと思うんです。つまり、三十五人子供がいればそこに一学級ができて一人の教師を配置できますよというのは、全国に均質、比較的平等な教育条件を整えるのには非常に効果的だったと思います。
ところが、様々なことで手厚いケアが必要になる子供たちが増えていったときに、教師を安定的に増やす方法というのは、実は特別支援学級を増やすということにおいてしか実現ができないというのが学校関係者の認識になってございます。
さらに、そういう形で、特別支援学級で、じゃ、その数を増やさざるを得ない、そうすると、その増やした人はつまり特別支援学級の教員なので、それ以外のことで働くのは違法だという形でございます。これは昨年の四月二十七日に文科省で出された通知の中でもそういったことが改めて確認をされておりますし、通級による指導なんというのは本当に微妙だなと思うんです。
通級による指導って今目玉施策になっておりますけれども、これは十三人に一人で基礎定数化をやはりしていただいたわけですよね。基礎定数化することによって通級指導教室で指導しなくてはいけないというのは、この義務標準法の恐らく縛りだろうと思うんですね。
つまり、ソシアルトレーニングとかそういうことであれば、カナダのインクルーシブ教育なんかであれば、全校生徒に対してソシアルトレーニングとかをしているというわけです。ところが、障害のある子供だけに、しかも十三人に一人の基礎定数化ですから、特別な教室でやらなきゃいけないことになっています。
何が起きているかといいますと、これはLDの子なんかが疑われる場合が多いので、算数とか国語で取り出すんですね。そうすると、御存じのように算数とか国語は続き物教科ですから、週四時間のうちの大抵一時間ずつ取り出したりするケースが多いです。そうすると、算数を一時間ずつ毎週取り出されたらどうなるかといえば、つまり、そもそもLDを疑われて通級指導の対象になる子というのは勉強の苦手な子が多いわけですから、勉強の苦手な子が授業を十分に受けられずにより勉強ができなくなるという。
ですから、その通級指導の対象になったことによって落ちこぼれになって、学校に行くのが嫌になって不登校になったみたいな相談事例も私どものところには寄せられたりしている、そんな状況がございます。
ですから、その通級による指導で充実するというのはすごいいい話なんですけれども、是非、これはその運用を柔軟化していただけるような通知をむしろ文科省さんに出していただけるような働きかけをしていただけると、この子供の不幸というのは随分、先生方がそもそも通級による指導を充実させようという法律を作ってくださったのは、やはり一人残さず子供を幸せにしたい、社会で取り残される子供を少なくしたいという、そういう思いからだということは疑っておりません。だけれども、それが現場でこの法律どおりに運用されてしまうと、実は分離を促進したり、落ちこぼれを促進したり、つまり学校を通して希望を喪失せざるを得ないような子供が今増えているのではないかということを率直に感じざるを得ないというのは深刻な実態のように思っております。
それから、非常に不思議なことがございます。子どもの権利条約というのは一九九〇年代半ばに日本でも批准をしておりますが、当時、文部省さんで通知を出されました。児童の権利に関する条約についてというこの通知の中で、この子どもの権利条約というのは、法律が整備されていない途上国を対象としたものであると、だから、先進国である日本が必ずしも法整備の必要とかもないし、これに対して特に対応する必要がないというようなお墨付きを与えるような印象のある通知が出ております。この通知は、確認をしていただきますと、現在でも生きているという状況だそうでございます。
不思議な気がいたしますのは、通知というのは、実は時代に合わなくなると廃止されている事例がございます。学園闘争が大変深刻だった一九六九年には、高等学校における政治的教養と政治活動についてということで、高校生の政治活動を禁止する、そういう通知が文部省から出されました。ところが、十八歳選挙権が実現するに当たって、文部省は平成二十七年にこの通知を廃止するというそういう新しい通知をわざわざ出しているわけです。
そうしますと、日本政府としては、こども基本法までお作りになった、改めて子ども権利条約というものを遵守する国をつくろうというふうな、そういう体制をお整えになった。そうであるとしたら、是非そのことを、ですけれども、この話は学校現場には率直に申し上げましてほとんど落ちていません。ほとんどの学校がこども基本法によって何も変わっていないというのが現状だろうと思います。やはり、権利のないところに子供のしんどさとかは表れるんだと思います。
ここに引用させていただきました高校生の声、これは雑誌「教育」に載ったものでございますけれども、やはり、子どもの権利条約を知っていたら、子供が意見を言えるようになると思います、学校現場でそういう環境がつくれたら、社会に出て意見が言える大人が育つのではないかというふうに書いてございます。
何か、こういう道筋の中で是非学校に子供の権利を入れていけるような、これはやはり文科省さんがその一九九〇年代半ばの通知を廃止するという一点を出してくだされば、かなり学校現場はぴりっと変わっていくのではないかという気がいたします。
結局、インクルーシブ教育って何なのかといえば、その成員の中でマイノリティーとされてしまって十分に権利を認められていない子供、若しくは、成員の中では無意識かもしれないけれども現実としては差別を受けてしまっているかもしれない子供、そういう子供の権利擁護をしよう、権利保障をしよう、それからエンパワーメントをしよう、ここのところが基本なのだと思いますので、インクルーシブ教育を充実させる一丁目一番地は、まずはこのやはり子どもの権利条約をしっかりと学校の中に入れていく。せっかくこども基本法といういい法律を作っていただいたので、あの法律をちゃんと、今までは国際法だから国内法がそれに優先するんだみたいな言い方の中で、必ずしも子どもの権利条約は日本の学校教育の中に入っていっていなかったと思いますけれども、今回は国内法ができたということでいえば、なぜ今学校の中にこども基本法を意識した教育実践が生まれていないのかということ自体が極めて不思議なんですが、もう一方で通知も生きているという、そういう現状が問題なのではないかと思うところでございます。
済みません、時間があるのだろうと思うので……
この発言だけを見る →私どもは、インクルーシブ教育の定例研究会というオンラインの研究会を毎月開催しております。大体二千人から三千人が毎回参加しております。そこの中では、親たちの、やはり自分の子供を普通学級に入れたいのにやはり先生から行けないと言われた、その点数では駄目だと言われた、担任ではないけれども、周りの先生からやはり汚いとか気持ち悪いと言われた、そのような様々な声が飛び交っている状況がございます。先生方は先生方で、非常にしんどい思いをされている先生方がもう一方でたくさんいらっしゃいます。もっといろんな子供と一緒に育てたいのに学校の方針でできないであるとか、そういった悩みをそれぞれが抱えていらっしゃる。
その個々の保護者の方とか教師の方に、何かそれぞれが本当に、その地域ではばらばらに孤立していらっしゃるという感じで、それがつながれていない、学校の中ではもう本当に何とかしたいという思いを持ちながらもという、そんなお声をたくさんいただいています。特別支援教育で満足していらっしゃる保護者の方も当然いらっしゃるわけですけれども、そうでない保護者の方もいらっしゃるということを前提にして少しお話をさせていただけたらなというふうに思っています。
先生方もよく御存じのように、この平成二十四年から例えば令和四年を取ってみますと、全体の数は少子化で九〇%になっているわけですけれども、特別支援教育の対象児童生徒というのは大体二倍になっているという状況がございます。
ここで見方が分かれているんだと思います。つまり、特別支援教育が充実をしてきてそれが認知をされ、希望者が増えているということによってこの数が増えているんだという、それはむしろメインの説明になっているように思います。
もう一方で、マイナーな説明としてあるのは、実は学校というのが非常に閉塞感を強めていて窮屈な場になっていると。少しでも違っていたらその違いが目立つようになってしまい、で、検査を受けたらどうですかというような形で検査を受けさせられる。そうすると、発達障害という診断が付いて、それが特別支援学級に措置される一つの理由になっていく、こんなことはよく耳にします。
医師にお話を伺いますと、やっぱり自分たちは仕事で、目の前に困っている人が来て何とかしてくれと言っていると、自分ができることというのは症名を付けることと薬を出すことしかないんだと。そうしたら、やはりそこの目の前にいて何らかの問題を訴えているわけですから、その問題に対する対処としては、症名も付くし、薬も出ると。これが本当にその人の、脳の機能障害というのはこれ一種の仮説でございまして、本来、脳の機能障害なのかどうかというのは、実は医学的には実証されていないとおっしゃるお医者様の方がマジョリティーだと思うんです。
ところが、脳の機能障害という言葉が独り歩きしてしまうと、やはり、それは脳の仕組み的に定型ではないのだから障害なんだという形になってしまいますが、例えば、我々でもそうですよね、すごいしんどいこととか、もう本当につらいことが起きると、やはり、感情が表に出なくなったりとか、一緒になって笑えなかったりとか、言動がちょっと変になってしまったりとか、時には人に当たってしまったりとか、そういうことってどうしても起こりがちだと思うんですけれども、それが、学校に来ると、何でこの子はそうなっているんだろうと思わずに、他害傾向の例えばある子というふうにみなされることになるわけです。
それが、医者に連れていかれますと、確かに暴力傾向を持っているわけですから、ただ、それは本来的に脳の機能的に暴力傾向を持っているわけでは必ずしもなくて、本当につらい中でそれをどうにかしてくれという大人たちへの悲鳴なんかもいっぱいあるわけですけれども、そういうことが丁寧に聞き取られずに症名が付けられていく、こんなことがいっぱい起きているような気がいたします。
もう時間もありませんので、ずっと見ていただきたいと思いますが、特別支援学校も特別支援学級も、それから通級による指導もずっと増え続けているという現状でございます。これが、学校が閉塞感を強めているんじゃないかということの背景になるのは、間接的な証拠になるのは、例えば、不登校の児童生徒もこの間ずっと増えているわけですよね。学校に行けない子供たちは、この二年間連続で毎年二〇%ずつ増えているという非常に深刻な状況かと思います。いじめの問題も増えています。それだけではなくて、実は、学校というのは、本来、先生にとってみたら、子供と出会って、一緒に何か教育活動をして、子供の成長を喜び合えるというのは本当に本来は幸せな仕事のはずなのですが、その幸せが十分に実感できないような環境になっていて、休職をしている先生方がいっぱいいらっしゃる。
これらを総合して見ますと、やはり、学校全体が閉塞感を強めていて、様々な問題が派生している。その中に特別支援教育の対象児童生徒もいるんだというふうに見ることはできないのだろうかということでございます。やはり気になりますのは、この間、教育施策は非常に充実してきておりまして、不登校特例校であるとか学校内の居場所の設置であるとか、また、特別支援教育の充実というのもその一つだと思いますけれども、そういう形で教育施策は充実しているんですが、実は問題は、通常学校の通常学級のところでしんどさが起きているにもかかわらず、そこに手を入れるような施策が打たれず、実は対症療法として、何かそこからこぼれた子をどうやってすくい取るかということが検討されているような気がいたします。
その意味において、例えば、特別支援学校とか特別支援学級を、今結構、保護者が積極的に、自分の子供のですね、かぎ括弧付きですけど、障害程度がそれほど重くないという感じに見える子であっても積極的に、うちの子はもう普通級は無理なのでといって特別支援学級とか特別支援学校に措置する例というのはすごく多いというふうに先生方からも本当に聞いております。
その一つの背景は、やはり、自分たちの子供は普通学級で暮らせるのは無理だ、あんな競争が入っていて、テスト漬けになっているあんなところに自分の子供を置くのは無理だとか、置かせたくないという理由も非常に増えているという実態をまずは御報告したいというふうに思います。
そうなってきますと、やはり、学校の慣習であるとか文化であるとか制度であるとか授業の仕方などが抱える問題のやっぱり根本的解決というものを志向すべきなのに、必ずしもそれが志向されていないのではないかという現状を感じてしまいます。
先生方、これもよく御存じのように、二〇二二年の九月には、障害者権利委員会が日本政府に対して行った勧告の中で、特別支援教育を分離特別教育という名称で呼び、それの廃止に向けた行動計画を立てるべきだという勧告を行いました。これ、私、国連のこの文書を見て、あっ、自分の認識が甘かった部分があるなと思った文章があったので、今日、先生方にも共有をさせていただきたいなと思ってお持ちをいたしました。インクルーシブ教育の利点を議論するというのは、奴隷制の廃止、アパルトヘイトの廃止の利点を議論することと等しいというふうに、ユネスコなんかのインクルージョンと教育とかという報告書の序文なんかを見ますともう明確に書いてあるんです。
日本の議論は、例えば教育関係者と議論をしますと大抵こういうふうに言われます。インクルーシブ教育が大事だというのは僕は分かりますと、校長先生なんか皆さんおっしゃいます。だけど、率直に言って、インクルーシブ教育をやると、だって、できない子とできる子を一緒にするんだから学力下がるよねとおっしゃる先生は本当に多いです。ですけれども、奴隷制の廃止をした方が社会の安全性が高まるでしょうかとかアパルトヘイトを廃止した方が社会の生産性が高まるんでしょうかという議論をするということ自体がこれは差別だということは誰しも分かること。それと同じ文脈で海外ではもう考えているんだということなんだと思います。
これ、男女共学というのを戦後始めたときに、あのGHQの指令で始めたわけですよね、国内の教育関係者はすごく議論したんです。それは何かといいますと、女性と一緒にすると男子学生の学力が下がるということです。これを差別とも思わずに、いや、もう新聞なんかを見るとその手の記事にあふれ返っているという実態があるんです。今その話を聞いたら、もうここにいらっしゃる先生方、皆さん誰一人残らず、それは差別だよね、七十年前っていかに人権意識低かったんだろうとおっしゃると思うんです。そのことの言わば障害者版が今起きているというふうにお考えいただくと、この問題は非常に理解しやすい問題なんだろうと思います。
何をもって障害とみなすのかというのは社会によっても違ってくると思いますし、例えば、私なんかの同僚の星加良司という、これは全盲の研究者ですけれども、その研究者が言うのは、もし日本が車椅子ユーザーの国であったら、むしろ二足歩行している人の方が障害者だよねというふうに言います。そうすると、天井はもっと低くなるはずで、その低い天井に合わない背丈を持っているのであれば、みんなむしろ車椅子の生活になるような手術をした方がいいんじゃないかという極論まで、これは極論であることによってそのおかしさに気付いてもらいたいというための極論で、ちょっと語弊もある比喩になっているかもしれませんけれども。
そういうことを考えますと、やはり社会の中の常識を変えていくということが大事ですし、教室の中の常識を変えていくということがすごく大事なんだというふうに思って、今日出席をさせていただきました。
余り時間もないのでこちらのスライドにさせていただきますけれども、やはり日本で考えているインクルーシブ教育というのは、現状、非常にその範囲が狭いように思います。
まず、先ほど申し上げたように、海外でインクルーシブ、これは日本でも言われているわけですけれども、共生社会をどうつくるのかという原体験をするのが学校なんだと、だから学校はインクルーシブにしなきゃいけないんだという、ここまでは言われるわけですけれども、実は日本の教育の議論というのは、これはお恥ずかしいことに授業の問題だけを論じるんです。授業で一緒に学べるか学べないかだけなんですね。
だけれども、先生方も御記憶をたどっていただけたら、例えば、それは当時の担任の教師の人たちは一生懸命授業をされたと思うんですけれども、必ずしも先生方がいい授業をお受けになったから今のような知見をお持ちになられたということでは更々ないんじゃないかと思います。やっぱり、むしろ友達同士との出会いであるとか、時には深刻なけんかをしたり、いじめてしまったりいじめられたり、いろんなそのコンフリクトがあるということを御経験される中で人間として成長されたり、知的に興味を抱かれて御自身で勉強されたりという側面があると思います。
そういう意味において、例えば本来的には地域の構成員が参画をしていくであるとか、それから教職員がその声を拾われていくであるとか、それから生徒会なんかがその自治として参加することですとか、そういったことが非常に重要なはずなんですが、そういった問題をインクルーシブ教育の問題として議論する研究者というもの自体がほぼいないというお寒い現状がございます。これは、教育学のお寒い現状、我々の問題でございます。
さらに、海外では、性差、民族差、経済格差、能力差など多様な差異が問題になるんですけれども、ですから、取り出しなんというのも、海外では例えば天才児も取り出すわけですよね。ところが、日本は、かぎ括弧付きですけど、障害児だけを取り出すので、差別の問題と非常に密接に取り出しが絡んでしまうという問題が起きているように思います。そういった問題の中で、日本では障害のみに焦点が当たっているということです。
それから、障害の社会モデルが重要なんですが、日本では障害の医学モデルを前提としているので、障害の克服とか軽減という問題にばっかり焦点が当たりまして、もしかしたら、何ですかね、子供たちの表れをより深刻なものにしている学校の慣習だとか文化とか授業のやり方には関心が向かないというところがございます。
日本はこれがインクルーシブ教育システムということになっておりまして、障害の程度に応じて学びの場を連続的に準備し、最適なところにということになるわけですけれども、これが結果的に見れば、例えば学校なんかでも、行ってみると特別支援学級と普通学級の間に交流があるところというのは非常にまれです。交流が行われていても、結局、その特別支援学級の子供が普通級に入っていたら、それはお客様になっているという例がほとんどです。だから、友達になれて一緒になって学んでいるということがどこまで実質化されているかというと、極めて微妙な状況にあろうかと思います。
もう時間も余りなくなってきたので、このようなところが日本の非常に大きな問題、限界になっているような気がするわけです。
医学モデルをそういう意味では社会モデルとか人権モデルにどう転換していくのかというのが日本の学校で問われているところで、そのために少し先生方に共有をさせていただきたい論点を四点、いや、五点だったかもしれません、済みません、一生懸命準備したので、ちょっと忘れておりますけれども、準備させていただいたので御説明させていただきます。
一つは、やはり過剰な医療化が進行しているという。やはり医師とつなぐ、専門家とつなぐということは大事なんですが、医師とつないだ時点で、これは発達障害の研究をしているお医者さん自体が非常に後悔をされているのは、発達障害という症名を付けることによって、先生方がその背景にあるものは何だろうかということを丁寧に探り始めると思っていたというふうに書いていらっしゃる方、何人もいらっしゃいます。
現実に起きたのは何なのかというと、医師に任せておけばいいというので、医師につないだ時点で、それから特別支援学級に措置した時点で自分の問題ではないという形で放り出してしまう先生方が本当に増えた。背景は、やっぱり探らないことによって薬の処方だけがされているということの大きな問題があるという、この問題でございます。この問題は、早い段階から国連の子どもの権利委員会から日本政府への勧告の中で取り上げられてきたものです。
もう一つが、これ、実は日本のやっぱり学校教育のなかなか難しい問題だと思うので共有をさせていただきたい、法律の問題がございます。今インクルーシブ教育で一番ネックになっているのは、この義務標準法なのではないかと思うんです。つまり、三十五人子供がいればそこに一学級ができて一人の教師を配置できますよというのは、全国に均質、比較的平等な教育条件を整えるのには非常に効果的だったと思います。
ところが、様々なことで手厚いケアが必要になる子供たちが増えていったときに、教師を安定的に増やす方法というのは、実は特別支援学級を増やすということにおいてしか実現ができないというのが学校関係者の認識になってございます。
さらに、そういう形で、特別支援学級で、じゃ、その数を増やさざるを得ない、そうすると、その増やした人はつまり特別支援学級の教員なので、それ以外のことで働くのは違法だという形でございます。これは昨年の四月二十七日に文科省で出された通知の中でもそういったことが改めて確認をされておりますし、通級による指導なんというのは本当に微妙だなと思うんです。
通級による指導って今目玉施策になっておりますけれども、これは十三人に一人で基礎定数化をやはりしていただいたわけですよね。基礎定数化することによって通級指導教室で指導しなくてはいけないというのは、この義務標準法の恐らく縛りだろうと思うんですね。
つまり、ソシアルトレーニングとかそういうことであれば、カナダのインクルーシブ教育なんかであれば、全校生徒に対してソシアルトレーニングとかをしているというわけです。ところが、障害のある子供だけに、しかも十三人に一人の基礎定数化ですから、特別な教室でやらなきゃいけないことになっています。
何が起きているかといいますと、これはLDの子なんかが疑われる場合が多いので、算数とか国語で取り出すんですね。そうすると、御存じのように算数とか国語は続き物教科ですから、週四時間のうちの大抵一時間ずつ取り出したりするケースが多いです。そうすると、算数を一時間ずつ毎週取り出されたらどうなるかといえば、つまり、そもそもLDを疑われて通級指導の対象になる子というのは勉強の苦手な子が多いわけですから、勉強の苦手な子が授業を十分に受けられずにより勉強ができなくなるという。
ですから、その通級指導の対象になったことによって落ちこぼれになって、学校に行くのが嫌になって不登校になったみたいな相談事例も私どものところには寄せられたりしている、そんな状況がございます。
ですから、その通級による指導で充実するというのはすごいいい話なんですけれども、是非、これはその運用を柔軟化していただけるような通知をむしろ文科省さんに出していただけるような働きかけをしていただけると、この子供の不幸というのは随分、先生方がそもそも通級による指導を充実させようという法律を作ってくださったのは、やはり一人残さず子供を幸せにしたい、社会で取り残される子供を少なくしたいという、そういう思いからだということは疑っておりません。だけれども、それが現場でこの法律どおりに運用されてしまうと、実は分離を促進したり、落ちこぼれを促進したり、つまり学校を通して希望を喪失せざるを得ないような子供が今増えているのではないかということを率直に感じざるを得ないというのは深刻な実態のように思っております。
それから、非常に不思議なことがございます。子どもの権利条約というのは一九九〇年代半ばに日本でも批准をしておりますが、当時、文部省さんで通知を出されました。児童の権利に関する条約についてというこの通知の中で、この子どもの権利条約というのは、法律が整備されていない途上国を対象としたものであると、だから、先進国である日本が必ずしも法整備の必要とかもないし、これに対して特に対応する必要がないというようなお墨付きを与えるような印象のある通知が出ております。この通知は、確認をしていただきますと、現在でも生きているという状況だそうでございます。
不思議な気がいたしますのは、通知というのは、実は時代に合わなくなると廃止されている事例がございます。学園闘争が大変深刻だった一九六九年には、高等学校における政治的教養と政治活動についてということで、高校生の政治活動を禁止する、そういう通知が文部省から出されました。ところが、十八歳選挙権が実現するに当たって、文部省は平成二十七年にこの通知を廃止するというそういう新しい通知をわざわざ出しているわけです。
そうしますと、日本政府としては、こども基本法までお作りになった、改めて子ども権利条約というものを遵守する国をつくろうというふうな、そういう体制をお整えになった。そうであるとしたら、是非そのことを、ですけれども、この話は学校現場には率直に申し上げましてほとんど落ちていません。ほとんどの学校がこども基本法によって何も変わっていないというのが現状だろうと思います。やはり、権利のないところに子供のしんどさとかは表れるんだと思います。
ここに引用させていただきました高校生の声、これは雑誌「教育」に載ったものでございますけれども、やはり、子どもの権利条約を知っていたら、子供が意見を言えるようになると思います、学校現場でそういう環境がつくれたら、社会に出て意見が言える大人が育つのではないかというふうに書いてございます。
何か、こういう道筋の中で是非学校に子供の権利を入れていけるような、これはやはり文科省さんがその一九九〇年代半ばの通知を廃止するという一点を出してくだされば、かなり学校現場はぴりっと変わっていくのではないかという気がいたします。
結局、インクルーシブ教育って何なのかといえば、その成員の中でマイノリティーとされてしまって十分に権利を認められていない子供、若しくは、成員の中では無意識かもしれないけれども現実としては差別を受けてしまっているかもしれない子供、そういう子供の権利擁護をしよう、権利保障をしよう、それからエンパワーメントをしよう、ここのところが基本なのだと思いますので、インクルーシブ教育を充実させる一丁目一番地は、まずはこのやはり子どもの権利条約をしっかりと学校の中に入れていく。せっかくこども基本法といういい法律を作っていただいたので、あの法律をちゃんと、今までは国際法だから国内法がそれに優先するんだみたいな言い方の中で、必ずしも子どもの権利条約は日本の学校教育の中に入っていっていなかったと思いますけれども、今回は国内法ができたということでいえば、なぜ今学校の中にこども基本法を意識した教育実践が生まれていないのかということ自体が極めて不思議なんですが、もう一方で通知も生きているという、そういう現状が問題なのではないかと思うところでございます。
済みません、時間があるのだろうと思うので……
福
小
小国喜弘#5
○参考人(小国喜弘君) 分かりました。
あと、じゃ、二点だけ。
もうこれは学習指導要領の基準性というもの自体も是非見直しの対象としてお考えをいただけたらと思います。
それから、やはり現場に行きますと、もう先生方がどこの自治体でもおっしゃるのは、テスト漬けになっていて、もう子供たちがかわいそうだという話です。やはりテストを上げるのにどうしたらいいかといいますと、実は、できない子供を一人特別支援学級に移せば平均点は数字のマジックで上がってしまうという、そういう隠れ技がございますので、そういう意味において、是非これは、学力調査は悉皆調査ではなくて、やはり抽出調査にしていただくということが、本当にいろんな子供たちが、そこの場で穏やかにゆったりと過ごせる、いろんな間違いをしながらもその中で育っていける、そんな教室を実現するための重要なきっかけになるのではないかと思ってお話をさせていただきました。
時間超過いたしまして申し訳ありませんでした。
この発言だけを見る →あと、じゃ、二点だけ。
もうこれは学習指導要領の基準性というもの自体も是非見直しの対象としてお考えをいただけたらと思います。
それから、やはり現場に行きますと、もう先生方がどこの自治体でもおっしゃるのは、テスト漬けになっていて、もう子供たちがかわいそうだという話です。やはりテストを上げるのにどうしたらいいかといいますと、実は、できない子供を一人特別支援学級に移せば平均点は数字のマジックで上がってしまうという、そういう隠れ技がございますので、そういう意味において、是非これは、学力調査は悉皆調査ではなくて、やはり抽出調査にしていただくということが、本当にいろんな子供たちが、そこの場で穏やかにゆったりと過ごせる、いろんな間違いをしながらもその中で育っていける、そんな教室を実現するための重要なきっかけになるのではないかと思ってお話をさせていただきました。
時間超過いたしまして申し訳ありませんでした。
福
大
大空幸星#7
○参考人(大空幸星君) あなたのいばしょの大空と申します。
本日は、こうした貴重な機会をいただきましたことを、会長始め理事、先生方皆様に感謝申し上げたいと思います。
本日は、困難や生きづらさを抱える子供たちということで、子供や若者が今置かれている現状を、我々のその相談支援の現場から見えてきた声ということも御紹介をしながら、具体的な、最後、対策までお示しできればなと思っております。(資料映写)
簡単に自己紹介させていただきますと、私、大学在学中にこのNPO法人あなたのいばしょというのを立ち上げまして、先日二十五歳になりましたので、NPOの中では比較的若手ということになろうかと思いますが、現場のNPOの活動と行政の活動と発信をしていくというようなこともやっております。
私どものNPO法人あなたのいばしょが何をやっているのか。簡潔に申し上げると、これはチャット相談の窓口です。いのちの電話さんとか、皆さん、先生方はお聞きになったことあると思いますが、こうした伝統的な電話相談窓口に対して我々のようなチャット相談窓口というのは、これ、基本的には電話を余り使わない子供や若者たちに向けたセーフティーネットということになります。これは厚生労働省の自殺防止対策事業として実施をされておりますけれども、自殺に限らず、いじめや不登校、貧困、恋愛相談、ペットロス、もうありとあらゆる相談というのが日々寄せられています。
二〇二〇年の三月、まさにパンデミックの一番初期に、当時大学に在学をしていて、私自身の過去のいろんな原体験からこの相談窓口をつくりましたが、もうすぐ四年たちます。四年間で相談件数は九十万件です。今、一日千から千五百件、多いときでは三千人以上の子供が一日相談来るわけですね。非常に大規模な相談窓口、これだけ需要があるということになりますけれども、それは当然、これだけ悩みや困難を抱えている若年層がたくさんいるんだということを示しているわけです。
我々、今、心理士さんそれから看護師さんを含めた専門職の職員と合わせて約一千名の市民ボランティアの相談員を抱えています。もちろんしっかり研修をやっています。この市民ボランティアの相談員は、今世界三十二か国に住んでいます。世界中に何でいるか。今二十四時間やっている相談窓口、まだまだ少ないんです。チャット相談窓口でいうとほとんどありません。ただ、一番相談が増えるのは、これは夜から朝方にかけてなんです。自ら命を絶つ方が最も多い時間帯というのも、不詳を除くと午前零時から二時の時間帯と言われています。人は夜悩みを深めるんですね。例えば、昼夜逆転生活を送っていて生活リズムが乱れている方というのは、当然、夜間非常に孤独を感じやすいということも指摘をされています。でも、この時間帯、行政の窓口もやっていないし、民間の相談窓口もほとんどやっていない。これは、人手不足、高齢化といった慢性的な問題がこうしたセーフティーネットには存在しますから、開けたくても開けられないというのが現状です。
ただ一方で、私たちはチャット相談窓口ですから、実際の相談員の活動、全てオンラインなんですね。これは、書類選考、面接、研修、そして実際の相談対応までパソコン一台あれば自宅からできるという体制を取りました。こうすることによって、私たちは、世界中にいる、これ在外邦人、今百三十万人いると言われていますけれども、海外に住む日本人、それから日本語話者の方、こうした人たちが相談に入ります。一番相談が増える夜間から早朝の時間帯、主に北米とかヨーロッパに住んでいる相談員、これは朝方とか昼間ですから相談対応できるんですね。要は、時差を使うことによって二十四時間対応が可能になったと、そういうアプローチを我々は取っています。
これやることによって、良かった点があります。相談員不足とずうっと何十年も言われてきました。でも、これ相談員になりたいという人がいないのではなくて、なりたいけれどもなれないというのが現状だということが分かってきたわけですね。というのも、やはり既存の相談窓口のように、若しくはいろんな行政のボランティアもありますけれども、じゃ、事務所に月に何回か行って、夜勤までやってください、これはやっぱり時間的にも金銭的にも余裕のあるシニアの方しかできないということで、相談窓口、高齢化しているわけです。
でも、今、例えば就職活動にしても、これはガクチカといいますけれども、学生時代に力を入れたこと絶対聞かれるわけですね。エントリーシートには必ず書くんです。AO入試、推薦入試、これだけメジャーになりました。高校時代から社会活動をやるということが、今の子供たち、若者たち、もう当たり前になっています。それは就職のため、進学のためという何か目的があるかもしれませんけれども、手は動かしているわけですね。ということは、やはり社会的に参加をしていくと、ボランティアに参加をしていくということに対しては物すごくこれポピュラーになってきたと言えるんだと思います。
そうした状況の中でパンデミックが起きました。DVや虐待が増えたという報告がたくさん出ました。メディアでも自殺が増えましたというようなことが報道されました。何か自分もしたいという人たちがやっぱりこの社会にはたくさんいるんですね。
そうした人に対して、我々のように、例えば、じゃ、月に四時間、パソコン一台あればボランティアできますよというような体制を整えると、物すごい数の応募があるんです。今、一年間に約四回、我々、相談員の採用をやりますけれども、四回それぞれごとに五百人から七百人ぐらいはこれやりたいという方々がいらっしゃるんです。そのうち我々採用するのは約百名程度ですから、かなり厳選はしますけれども、やりたい人というのは今も途切れることなく応募が続いているという状況です。
ですから、ボランティアとか誰かの支え手になりたいという人たちはたくさんいるという前提の下で、体制をどうやって構築をしていくのかということが我々セーフティーネット側にも求められているということなんだろうと思います。
どういう仕組みでやっているか簡単に御紹介しますと、ほとんどは相談者はスマホで相談に来ます。ほとんど、残りは何かというとゲーム機です。ゲーム機と、そして学校のパソコン室、あとはGIGAスクール構想の一人一台端末、こうした端末を使うことによって相談来れます。というのは、親がお子さんに携帯を買い与えていない御家庭、これまだまだたくさんあります。
今、いろんな行政がSNS相談窓口ってつくるんですけれども、ほとんどこれSNSを使うわけです。例えばLINEとかですね。これは携帯の電話番号の登録が必要、すなわち親が子供に携帯を買い与えている家庭でしか基本的にこういった窓口は使えないんです。でも、今そこにどんどん予算が付いているという現状もあります。
我々は、SNS相談窓口ではなくてチャット相談窓口、ウェブのページに埋め込んでいますので、電話番号の登録も必要ありませんし、メールアドレスの入力も必要ありません。必要なのはデジタル端末だけ。そして、日本は、これはほかの国とは違って間違いなくアドバンテージなのは、一人一台端末配ったわけですね。もう今年は更新の自治体もあるそうですけれども、これはほかの国と比較してもなかなか珍しい事例になるわけです。経済的な状況にかかわらずデジタル端末を有する今の日本の子供たち、若者たちにとって、チャット相談というのは実は最もアプローチしやすい、リーチしやすい相談手法だということが最近分かってきました。
ただ一方で、リーチしやすいということは、それだけ相談が逼迫をするということです。今、物すごい数の相談が来る中で、我々、正直申し上げて、全ての相談に瞬時に対応することはできません。これは我々のみならず、世界中どの相談窓口も全ての相談返せるというところは前提としてないと思います。
ない中でどうするか。我々はやっぱりリスクの高い方を最初に応じるということをやらなければいけないわけですね。例えば、一日の相談窓口の中で、今駅のホームに立っていて、これから飛び降りようと思いますというお子さんからの相談、こうした相談毎日あるわけですけれども、一方で、今日は学校の部活でちょっと嫌なことがあった、急いでいないけれども話を聞いてほしい、こういうお子さんもいらっしゃるわけです。同時に相談来ます。どちらを優先するかというと、当然前者を優先しなければこれはならないと、セーフティーネットとしての役割がありますから、我々はそれをやるわけですね。
どうやるか。目視でやるわけにはいきません。もう何千件も相談来ます。我々は独自の自動化のシステムを持っていて、相談の一番最初はAIのチャットボットと会話をしてもらっているんですね。人間の相談員とつながるのはその後です。AIのチャットボットと会話をしてもらうことによって、我々百万件の膨大な相談データを持っていますから、リスクの高い人が使う言葉みたいなものを分かっているわけですね。それを自動的に判別をしていきます。リスクの判定を自動化していくことによって、リスクの高い人を専門職の相談員が、そうじゃないのを市民のボランティアが、こういうふうに振り分けをします。この振り分ける機能を持っていることで、より多くの市民ボランティアがこの相談窓口に参画できていけるような仕組みをそもそも持つことができると、そういうことで我々は構造としてやっています。
今いろんな数字が出ます。例えば、不登校の子供の数は、令和四年度三十五万九千六百二十三人で過去最多。これは、虐待の相談対応件数、いじめの認知件数共に令和四年度、過去最多なんです。
これは、やっぱり政治の現場では深刻に捉えていただく必要はあるんですが、ただ同時に、これまで、じゃ、無理やり学校に行かなきゃいけないと思っていたお子さんが、無理して学校へ行かなくてもいいよというようなことをいろんな大人たちが言うようになったことによって、不登校、要は学校へ行かないという選択をしたということもこの数字には含まれているんですね。ですから、必ずしも一〇〇%ネガティブな数字というふうに捉えるのではなくて、問題は顕在化したんだけれども、同時に、声を上げられるようになったからこそ、例えば一八九に電話できるようになったとか、不登校という選択をできるようになったとか、そういう少しポジティブな側面もやはり我々は同時に見ていかなきゃいけないんだろうと思いますね。
これ、余り過剰に、不登校、虐待、いじめ、大変だ大変だと言ったときに、じゃ、支援者側は、学校は無理して行かなくてもいいよというようなことを言うわけです。無理して行かなくてもいいと言った結果として不登校の子供の数が増えて、それまた大変だと。これどんどんどんどん繰り返しているだけですから、やっぱりこの数字を扱うときには、声を上げられるようになってよかったねと、ただ、この数字の中で抱えている問題というのをしっかりと捉えていこうと、そういう議論の仕方をしなければいけないんだろうと思います。
一方で、子供の自殺に関する数字は別です、これは特殊です。二〇二二年は五百十四人の子供が自ら命を絶ちました。これは過去最多。そして、先日出た最新の数字だと、二〇二三年は五百七人の子供が自ら命を絶っています。これは速報値ですから、恐らく確定値が出る三月にはもう少し積み上がるだろうということが言われています。少子化の中で出生数が激減しているにもかかわらず、子供の自殺というのはこれまで全く減らなかった、むしろ過去最多を記録し続けているというのはまさに異常事態なんですね。
そして、先ほど申し上げた、不登校とか虐待とかいじめ、この数字と何が違うか。亡くなった子供は生き返らないということですね。今年五百十四人だったとしたら、その年、次の年にまたその子たちが生き返るわけではありませんから、これ積み上がっているんですね。それを考えると、この十年間で約四千人の子供たちが自ら命を絶っている。これ、亡くなった子供だけですから、未遂、これ少なく見積もっても倍以上あると言われています。こうした自殺未遂をしている子供たち、オーバードーズというのも最近増えているという報告もあります。こうした子供たちというのは今現状増えていると。これは深刻に捉えなきゃいけない問題です。
一方で、行政も国も何もしていないかというと、それは全く間違いで、いろんな支援を講じてきたのが現状です。
例えば、スクールカウンセラー、これ平成七年、約二十七、八年前ですけれども、百五十四か所しか全国に設置されていなかったんです。今は三万か所以上に配置されています。約三十年弱でスクールカウンセラーの数というのは実は二百倍に増えている、増やしてきたんですね。
一方で、全国で百五十四か所しかスクールカウンセラーが設置されていなかったときの子供の自殺は百三十九人なんです。三万か所以上に配置をした令和四年の子供の自殺は五百十四人。この間、繰り返しになりますが、当然出生数は減っています。スクールカウンセラーの数二百倍に増やしながら、子供の自殺の数は実は三・七倍に増えているんですね。これが現状です。
今どうしても、我々のような分野はどうやって支援者を増やそうかというような議論に終始してしまいがちです。相談窓口を拡充するとか支援者を増やすとか、それは絶対重要です。やらなくてはいけませんが、やってきたけれども残念ながら結果が出ていないということはやっぱり重く受け止めなければならないわけですね。何で結果が出ていないか。例えば、今スクールカウンセラーの予約を取るのに担任の先生経由じゃなきゃいけないような自治体がいっぱいあります。担任の先生との関係で悩んでいるのにみたいな、そういうことが起こっているわけですね。また、これやっぱり対面です。そして、いろんな掛け持ちをしているスクールカウンセラーさんもたくさん多いと。匿名で気軽に話せるような相談窓口というのが重要だったわけです。
子供たちからの相談を聞いてみると、こういうことで悩んでいますというよりも、こういうことで相談してもいいんでしょうか、自分は悩んでいていいんだろうか、心配掛けて申し訳ないというような声が多く聞かれます。頼ることが恥ずかしいとか相談することは負けだといったような、これは英語でスティグマと呼ばれますけれども、いわゆるためらいのようなものがあるわけです。支援を増やすのであれば、同じぐらいのコストを、相談することは恥ずかしくないというような文化をつくることにお金を掛けなきゃいけないんですね。
これは、例えば、相談窓口を広報するときに、相談してくださいとしか我々支援者や行政は言いません。でも、例えば、洗剤を売っている民間の企業は、洗剤買ってくださいとはCMで打たないんです。この洗剤を使ったらこれぐらい汚れが落ちますと言ってCMを打っているわけですね。
要は、相談につながるとどういった効果が得られるのか、どういった変化が起きるのかというのを悩みや困難を抱えている人たちには見せていかなきゃいけない。相談することによってちょっと気持ちが軽くなるとか、支援につながったことによってこういう生活の変化がありましたよというような相談のその先を見せていくという、これは広報の仕方を今まるっと変えるということですね。今でもポスターでは相談窓口の表示に基本的には終始してしまいがちですけれども、そうしたコミュニケーション方法を変えるだけでもこのスティグマという文化を変革していくことにつながるんだろうと思います。
今起きている現状というのは、若年層が支援にたどり着いていないということです。これは様々な要因がありますけれども、非常に子供たち、若者たちの問題が矮小化されているんだと思います。
例えば、子供の自殺と聞いて、今でもいじめが大きな原因なんだろうと思っておられる方はたくさんいらっしゃると思います。ただ、いじめを原因とする子供の自殺というのは失恋の三分の一以下なんですね。これはやっぱり、いじめというのは、加害者の存在がありますから、メディアでもセンセーショナルに報道されますし、やはりこれは人間の感情として、許せない、こんなことはあってはならないと思うわけです。
一方で、失恋で亡くなった子供、毎年三十人ちょっといますけれども、そうした報道を見たときに、何で恋愛なんかで亡くなるんだってきっと多くの方は思うと思うんですね。でも、子供の場合は自分の見えている世界が当然これ全ての世界ですから、大人がそれもいい経験だよなんと言っても、これは何の意味もないわけです。
やはり、いじめだろうが失恋だろうが無気力だろうが、子供たちが抱えている問題というのを正面から深刻に捉えていくというのがまず最初のステップ。それを考えたときに、今の仕組みというのは明らかにおかしい。例えば、いじめを原因とする自殺については、これは調査していくわけですね。それでも不十分ですし暗数もありますが、でも調査されるんです。ただ、これは、いじめ防止対策推進法が議員立法によって成り立っているわけですから、当然これはやっていきます。ただ、先ほど申し上げた失恋とか部活動の悩みとか、こういうことを原因とする自殺というのはほとんど調査されていないのが現状です。いじめ以外の要因というのが残念ながら無視されてしまっていると言ってもいいんだと思います。子供たちの自殺は五百人ですよ。五百人、一件一件調べるのにそんなにコストは掛からないはずです。
複合的ということなんですね、背景は。一つの自殺、これは平均して四つ以上の背景や要因があると言われています。一つだけで、限定的な要因で苦しんでいるということではないんです。学業不振があれば、そのことを誰にも相談できないということもこれまた一つの悩みなわけです。幾つも重なっていきます。例えば、私たちの相談窓口を見ていくと、将来に対する漠然とした不安とか、勉強意欲の低下とか、無気力、これは不登校の要因として一位ですけれども、こうしたものが挙げられてくるわけですね。今の仕組みは、いじめとか、この後御紹介あると思いますが、ヤングケアラーとか不登校、虐待とか、個別の問題に特化し過ぎているんですね。こういう漠然とした不安とか無気力に対しては全く今なすすべがないと、現状よく分からないというのが実態だと思います。そのためにも実態を把握しなければいけないということになります。
これは、私たちの相談窓口で使われた言葉の大きさ、要は使われた回数が多ければ多いほど大きく表示している。これを緊急事態宣言ごと、これ東京の期間ですけれども、四回あります。一回目の緊急事態宣言の期間というのは、最も相談窓口で使われた言葉というのはコロナという言葉なんです。それが二回目、三回目、四回目の緊急事態宣言に移っていくにつれて、コロナという言葉は消えました。代わりに死という言葉、死にたいというような言葉が最も多く使われるようになりました。この背景には、学校のことで悩んでいる、親のこと、友達のこと、不安、いろんな要因というのが重層的になっていったということが読み取れるわけです。ですから、問題を限定的に捉えないということは非常に重要ということです。
今の支援というのはほとんど、次のページにありますが、川のようになっているというふうに捉えると下流なんです。対症療法なんですね。虐待が起きた後どうするか、不登校になった後どうするか、引きこもりになった後どうするか。それは、もちろん個別の対症療法は重要なんですが、もっと上流へのアプローチがあるはずなんです。
それは、悩みを抱えないという子供はいないということです。これは、孤独・孤立対策、我々も一生懸命やってきましたけれども、例えば不登校で悩んでいるお子さん、まあ学校ちょっと行きたくないなという段階が最初にあるはずなんです。学校に行きたくないなということを誰にも相談できないことによって、今度不登校になります。不登校というのがどんどん続いていくことによって、今度は引きこもり、これは約、引きこもりの二割ぐらいは不登校経験者です。そして、引きこもりの御家族もまた悩みを抱える。ちょっとしたもやもや、誰にも相談できないということが実は新たな社会問題を生んでしまっているんですね。ですから、源流へのアプローチというのが大事。この源流というのが、誰にも頼れない、頼りたくても頼れないんだというような、いわゆる望まない孤独に当たる部分です。
悩まない子供がいないという中で、子供たち、何で支援しづらいか。客観的に見えません。孤立している子供というのはほとんどいないです。これ、何でかというと、子供たちには学校や家庭が基本的にはありますから、社会や地域で孤立しづらいんですね。むしろ、家族や友達がいるお子さんの方が、心配を掛けちゃいけない、迷惑を掛けてはいけないということで、相談できていないという現状が今あります。
どちらかというと、こちらの方が問題です。やはり、センセーショナルに報道される非常に深刻なケースも大切なんですが、もう少し源流の段階で、もやもやするけれども心配掛けちゃいけないな、ここにどう対処できるか、アプローチできるかというのが新たな社会問題の発生を防ぐことにつながるんだろうと思います。
じゃ、どうするのか。一つはやっぱり居場所なんです。居場所という概念は非常に曖昧です。もし何か立法措置とるのであれば、この居場所という概念を僕は整理しなければいけないと思っていますけれども。
居場所、こどもの居場所づくりに関する指針、こども家庭庁で審議会の中で私たちも去年議論してきましたけれども、子供たちに限って言ってもなかなか難しいです。これは、子供の居場所をつくろうとすると、これ、今度は大人を排除するという性質も生まれます。でも一方で、悩みを抱えている親もまた悩みを抱えていたりするわけですね。だから、親の居場所をつくろうとすると、それ、今度は子供にとって居場所じゃなくなることもあるし、大人たちが想定していないオンラインゲームとかSNSがもう立派な居場所になっているということもあるわけです。ですから、こうしたことを解決をしていくためには、やはり居場所という概念をもう一度整理していく必要があります。
そして、日本は、大変すばらしいのは既存のリソースがあるんです。一つは民生委員です。子供、若者民生委員という民生委員を若者たちがやるという仕組みを今我々はずっと提言をしてきました。今の民生委員さん、一生懸命頑張っておられますが、約九割が六十歳以上なんです。全国で九十歳代の方もいらっしゃるそうです。これはすばらしいんですけれども、例えば、SNSのネットいじめに悩んでいる中学生がスマホを持っていない高齢の民生委員さんには相談できないというのが現状なんですね。
やはり、最初、冒頭申し上げたことと同じで、民生委員さんやりたい人がいないわけではありません。僕、地元の東京江東区に住んでいますが、江東区の民生委員やろうと思っても僕はなれないわけですね、やはり推薦されませんから。なりたい人はいます。でも、なれる仕組みがないということなんです。子供たち、若者たちがオンラインで同じ地域に住んでいる同世代とかちょっと年下の子供たち、若者たちを支援するという子供、若者民生委員の仕組みをつくって、やはりこれは同世代同士の支援ということを進めていく。この子供、若者民生委員、何の問題もなく務め上げた方を既存の民生委員、児童委員の仕組みに入れていくということができれば、民生委員の大幅な若返りもできるはずです。
新しく何かを、ゼロから一をつくるんじゃなくて、既にある、この日本の百年続いているすばらしい民生委員制度の仕組みを百年後も持続化させていくためにアップデートをしていくというような取組も居場所づくりにとっては重要ですので、是非、今のものを見返しながら、検証しながらということで進めていただくというようなことも一つの案として御検討いただければと思います。
以上になります。
この発言だけを見る →本日は、こうした貴重な機会をいただきましたことを、会長始め理事、先生方皆様に感謝申し上げたいと思います。
本日は、困難や生きづらさを抱える子供たちということで、子供や若者が今置かれている現状を、我々のその相談支援の現場から見えてきた声ということも御紹介をしながら、具体的な、最後、対策までお示しできればなと思っております。(資料映写)
簡単に自己紹介させていただきますと、私、大学在学中にこのNPO法人あなたのいばしょというのを立ち上げまして、先日二十五歳になりましたので、NPOの中では比較的若手ということになろうかと思いますが、現場のNPOの活動と行政の活動と発信をしていくというようなこともやっております。
私どものNPO法人あなたのいばしょが何をやっているのか。簡潔に申し上げると、これはチャット相談の窓口です。いのちの電話さんとか、皆さん、先生方はお聞きになったことあると思いますが、こうした伝統的な電話相談窓口に対して我々のようなチャット相談窓口というのは、これ、基本的には電話を余り使わない子供や若者たちに向けたセーフティーネットということになります。これは厚生労働省の自殺防止対策事業として実施をされておりますけれども、自殺に限らず、いじめや不登校、貧困、恋愛相談、ペットロス、もうありとあらゆる相談というのが日々寄せられています。
二〇二〇年の三月、まさにパンデミックの一番初期に、当時大学に在学をしていて、私自身の過去のいろんな原体験からこの相談窓口をつくりましたが、もうすぐ四年たちます。四年間で相談件数は九十万件です。今、一日千から千五百件、多いときでは三千人以上の子供が一日相談来るわけですね。非常に大規模な相談窓口、これだけ需要があるということになりますけれども、それは当然、これだけ悩みや困難を抱えている若年層がたくさんいるんだということを示しているわけです。
我々、今、心理士さんそれから看護師さんを含めた専門職の職員と合わせて約一千名の市民ボランティアの相談員を抱えています。もちろんしっかり研修をやっています。この市民ボランティアの相談員は、今世界三十二か国に住んでいます。世界中に何でいるか。今二十四時間やっている相談窓口、まだまだ少ないんです。チャット相談窓口でいうとほとんどありません。ただ、一番相談が増えるのは、これは夜から朝方にかけてなんです。自ら命を絶つ方が最も多い時間帯というのも、不詳を除くと午前零時から二時の時間帯と言われています。人は夜悩みを深めるんですね。例えば、昼夜逆転生活を送っていて生活リズムが乱れている方というのは、当然、夜間非常に孤独を感じやすいということも指摘をされています。でも、この時間帯、行政の窓口もやっていないし、民間の相談窓口もほとんどやっていない。これは、人手不足、高齢化といった慢性的な問題がこうしたセーフティーネットには存在しますから、開けたくても開けられないというのが現状です。
ただ一方で、私たちはチャット相談窓口ですから、実際の相談員の活動、全てオンラインなんですね。これは、書類選考、面接、研修、そして実際の相談対応までパソコン一台あれば自宅からできるという体制を取りました。こうすることによって、私たちは、世界中にいる、これ在外邦人、今百三十万人いると言われていますけれども、海外に住む日本人、それから日本語話者の方、こうした人たちが相談に入ります。一番相談が増える夜間から早朝の時間帯、主に北米とかヨーロッパに住んでいる相談員、これは朝方とか昼間ですから相談対応できるんですね。要は、時差を使うことによって二十四時間対応が可能になったと、そういうアプローチを我々は取っています。
これやることによって、良かった点があります。相談員不足とずうっと何十年も言われてきました。でも、これ相談員になりたいという人がいないのではなくて、なりたいけれどもなれないというのが現状だということが分かってきたわけですね。というのも、やはり既存の相談窓口のように、若しくはいろんな行政のボランティアもありますけれども、じゃ、事務所に月に何回か行って、夜勤までやってください、これはやっぱり時間的にも金銭的にも余裕のあるシニアの方しかできないということで、相談窓口、高齢化しているわけです。
でも、今、例えば就職活動にしても、これはガクチカといいますけれども、学生時代に力を入れたこと絶対聞かれるわけですね。エントリーシートには必ず書くんです。AO入試、推薦入試、これだけメジャーになりました。高校時代から社会活動をやるということが、今の子供たち、若者たち、もう当たり前になっています。それは就職のため、進学のためという何か目的があるかもしれませんけれども、手は動かしているわけですね。ということは、やはり社会的に参加をしていくと、ボランティアに参加をしていくということに対しては物すごくこれポピュラーになってきたと言えるんだと思います。
そうした状況の中でパンデミックが起きました。DVや虐待が増えたという報告がたくさん出ました。メディアでも自殺が増えましたというようなことが報道されました。何か自分もしたいという人たちがやっぱりこの社会にはたくさんいるんですね。
そうした人に対して、我々のように、例えば、じゃ、月に四時間、パソコン一台あればボランティアできますよというような体制を整えると、物すごい数の応募があるんです。今、一年間に約四回、我々、相談員の採用をやりますけれども、四回それぞれごとに五百人から七百人ぐらいはこれやりたいという方々がいらっしゃるんです。そのうち我々採用するのは約百名程度ですから、かなり厳選はしますけれども、やりたい人というのは今も途切れることなく応募が続いているという状況です。
ですから、ボランティアとか誰かの支え手になりたいという人たちはたくさんいるという前提の下で、体制をどうやって構築をしていくのかということが我々セーフティーネット側にも求められているということなんだろうと思います。
どういう仕組みでやっているか簡単に御紹介しますと、ほとんどは相談者はスマホで相談に来ます。ほとんど、残りは何かというとゲーム機です。ゲーム機と、そして学校のパソコン室、あとはGIGAスクール構想の一人一台端末、こうした端末を使うことによって相談来れます。というのは、親がお子さんに携帯を買い与えていない御家庭、これまだまだたくさんあります。
今、いろんな行政がSNS相談窓口ってつくるんですけれども、ほとんどこれSNSを使うわけです。例えばLINEとかですね。これは携帯の電話番号の登録が必要、すなわち親が子供に携帯を買い与えている家庭でしか基本的にこういった窓口は使えないんです。でも、今そこにどんどん予算が付いているという現状もあります。
我々は、SNS相談窓口ではなくてチャット相談窓口、ウェブのページに埋め込んでいますので、電話番号の登録も必要ありませんし、メールアドレスの入力も必要ありません。必要なのはデジタル端末だけ。そして、日本は、これはほかの国とは違って間違いなくアドバンテージなのは、一人一台端末配ったわけですね。もう今年は更新の自治体もあるそうですけれども、これはほかの国と比較してもなかなか珍しい事例になるわけです。経済的な状況にかかわらずデジタル端末を有する今の日本の子供たち、若者たちにとって、チャット相談というのは実は最もアプローチしやすい、リーチしやすい相談手法だということが最近分かってきました。
ただ一方で、リーチしやすいということは、それだけ相談が逼迫をするということです。今、物すごい数の相談が来る中で、我々、正直申し上げて、全ての相談に瞬時に対応することはできません。これは我々のみならず、世界中どの相談窓口も全ての相談返せるというところは前提としてないと思います。
ない中でどうするか。我々はやっぱりリスクの高い方を最初に応じるということをやらなければいけないわけですね。例えば、一日の相談窓口の中で、今駅のホームに立っていて、これから飛び降りようと思いますというお子さんからの相談、こうした相談毎日あるわけですけれども、一方で、今日は学校の部活でちょっと嫌なことがあった、急いでいないけれども話を聞いてほしい、こういうお子さんもいらっしゃるわけです。同時に相談来ます。どちらを優先するかというと、当然前者を優先しなければこれはならないと、セーフティーネットとしての役割がありますから、我々はそれをやるわけですね。
どうやるか。目視でやるわけにはいきません。もう何千件も相談来ます。我々は独自の自動化のシステムを持っていて、相談の一番最初はAIのチャットボットと会話をしてもらっているんですね。人間の相談員とつながるのはその後です。AIのチャットボットと会話をしてもらうことによって、我々百万件の膨大な相談データを持っていますから、リスクの高い人が使う言葉みたいなものを分かっているわけですね。それを自動的に判別をしていきます。リスクの判定を自動化していくことによって、リスクの高い人を専門職の相談員が、そうじゃないのを市民のボランティアが、こういうふうに振り分けをします。この振り分ける機能を持っていることで、より多くの市民ボランティアがこの相談窓口に参画できていけるような仕組みをそもそも持つことができると、そういうことで我々は構造としてやっています。
今いろんな数字が出ます。例えば、不登校の子供の数は、令和四年度三十五万九千六百二十三人で過去最多。これは、虐待の相談対応件数、いじめの認知件数共に令和四年度、過去最多なんです。
これは、やっぱり政治の現場では深刻に捉えていただく必要はあるんですが、ただ同時に、これまで、じゃ、無理やり学校に行かなきゃいけないと思っていたお子さんが、無理して学校へ行かなくてもいいよというようなことをいろんな大人たちが言うようになったことによって、不登校、要は学校へ行かないという選択をしたということもこの数字には含まれているんですね。ですから、必ずしも一〇〇%ネガティブな数字というふうに捉えるのではなくて、問題は顕在化したんだけれども、同時に、声を上げられるようになったからこそ、例えば一八九に電話できるようになったとか、不登校という選択をできるようになったとか、そういう少しポジティブな側面もやはり我々は同時に見ていかなきゃいけないんだろうと思いますね。
これ、余り過剰に、不登校、虐待、いじめ、大変だ大変だと言ったときに、じゃ、支援者側は、学校は無理して行かなくてもいいよというようなことを言うわけです。無理して行かなくてもいいと言った結果として不登校の子供の数が増えて、それまた大変だと。これどんどんどんどん繰り返しているだけですから、やっぱりこの数字を扱うときには、声を上げられるようになってよかったねと、ただ、この数字の中で抱えている問題というのをしっかりと捉えていこうと、そういう議論の仕方をしなければいけないんだろうと思います。
一方で、子供の自殺に関する数字は別です、これは特殊です。二〇二二年は五百十四人の子供が自ら命を絶ちました。これは過去最多。そして、先日出た最新の数字だと、二〇二三年は五百七人の子供が自ら命を絶っています。これは速報値ですから、恐らく確定値が出る三月にはもう少し積み上がるだろうということが言われています。少子化の中で出生数が激減しているにもかかわらず、子供の自殺というのはこれまで全く減らなかった、むしろ過去最多を記録し続けているというのはまさに異常事態なんですね。
そして、先ほど申し上げた、不登校とか虐待とかいじめ、この数字と何が違うか。亡くなった子供は生き返らないということですね。今年五百十四人だったとしたら、その年、次の年にまたその子たちが生き返るわけではありませんから、これ積み上がっているんですね。それを考えると、この十年間で約四千人の子供たちが自ら命を絶っている。これ、亡くなった子供だけですから、未遂、これ少なく見積もっても倍以上あると言われています。こうした自殺未遂をしている子供たち、オーバードーズというのも最近増えているという報告もあります。こうした子供たちというのは今現状増えていると。これは深刻に捉えなきゃいけない問題です。
一方で、行政も国も何もしていないかというと、それは全く間違いで、いろんな支援を講じてきたのが現状です。
例えば、スクールカウンセラー、これ平成七年、約二十七、八年前ですけれども、百五十四か所しか全国に設置されていなかったんです。今は三万か所以上に配置されています。約三十年弱でスクールカウンセラーの数というのは実は二百倍に増えている、増やしてきたんですね。
一方で、全国で百五十四か所しかスクールカウンセラーが設置されていなかったときの子供の自殺は百三十九人なんです。三万か所以上に配置をした令和四年の子供の自殺は五百十四人。この間、繰り返しになりますが、当然出生数は減っています。スクールカウンセラーの数二百倍に増やしながら、子供の自殺の数は実は三・七倍に増えているんですね。これが現状です。
今どうしても、我々のような分野はどうやって支援者を増やそうかというような議論に終始してしまいがちです。相談窓口を拡充するとか支援者を増やすとか、それは絶対重要です。やらなくてはいけませんが、やってきたけれども残念ながら結果が出ていないということはやっぱり重く受け止めなければならないわけですね。何で結果が出ていないか。例えば、今スクールカウンセラーの予約を取るのに担任の先生経由じゃなきゃいけないような自治体がいっぱいあります。担任の先生との関係で悩んでいるのにみたいな、そういうことが起こっているわけですね。また、これやっぱり対面です。そして、いろんな掛け持ちをしているスクールカウンセラーさんもたくさん多いと。匿名で気軽に話せるような相談窓口というのが重要だったわけです。
子供たちからの相談を聞いてみると、こういうことで悩んでいますというよりも、こういうことで相談してもいいんでしょうか、自分は悩んでいていいんだろうか、心配掛けて申し訳ないというような声が多く聞かれます。頼ることが恥ずかしいとか相談することは負けだといったような、これは英語でスティグマと呼ばれますけれども、いわゆるためらいのようなものがあるわけです。支援を増やすのであれば、同じぐらいのコストを、相談することは恥ずかしくないというような文化をつくることにお金を掛けなきゃいけないんですね。
これは、例えば、相談窓口を広報するときに、相談してくださいとしか我々支援者や行政は言いません。でも、例えば、洗剤を売っている民間の企業は、洗剤買ってくださいとはCMで打たないんです。この洗剤を使ったらこれぐらい汚れが落ちますと言ってCMを打っているわけですね。
要は、相談につながるとどういった効果が得られるのか、どういった変化が起きるのかというのを悩みや困難を抱えている人たちには見せていかなきゃいけない。相談することによってちょっと気持ちが軽くなるとか、支援につながったことによってこういう生活の変化がありましたよというような相談のその先を見せていくという、これは広報の仕方を今まるっと変えるということですね。今でもポスターでは相談窓口の表示に基本的には終始してしまいがちですけれども、そうしたコミュニケーション方法を変えるだけでもこのスティグマという文化を変革していくことにつながるんだろうと思います。
今起きている現状というのは、若年層が支援にたどり着いていないということです。これは様々な要因がありますけれども、非常に子供たち、若者たちの問題が矮小化されているんだと思います。
例えば、子供の自殺と聞いて、今でもいじめが大きな原因なんだろうと思っておられる方はたくさんいらっしゃると思います。ただ、いじめを原因とする子供の自殺というのは失恋の三分の一以下なんですね。これはやっぱり、いじめというのは、加害者の存在がありますから、メディアでもセンセーショナルに報道されますし、やはりこれは人間の感情として、許せない、こんなことはあってはならないと思うわけです。
一方で、失恋で亡くなった子供、毎年三十人ちょっといますけれども、そうした報道を見たときに、何で恋愛なんかで亡くなるんだってきっと多くの方は思うと思うんですね。でも、子供の場合は自分の見えている世界が当然これ全ての世界ですから、大人がそれもいい経験だよなんと言っても、これは何の意味もないわけです。
やはり、いじめだろうが失恋だろうが無気力だろうが、子供たちが抱えている問題というのを正面から深刻に捉えていくというのがまず最初のステップ。それを考えたときに、今の仕組みというのは明らかにおかしい。例えば、いじめを原因とする自殺については、これは調査していくわけですね。それでも不十分ですし暗数もありますが、でも調査されるんです。ただ、これは、いじめ防止対策推進法が議員立法によって成り立っているわけですから、当然これはやっていきます。ただ、先ほど申し上げた失恋とか部活動の悩みとか、こういうことを原因とする自殺というのはほとんど調査されていないのが現状です。いじめ以外の要因というのが残念ながら無視されてしまっていると言ってもいいんだと思います。子供たちの自殺は五百人ですよ。五百人、一件一件調べるのにそんなにコストは掛からないはずです。
複合的ということなんですね、背景は。一つの自殺、これは平均して四つ以上の背景や要因があると言われています。一つだけで、限定的な要因で苦しんでいるということではないんです。学業不振があれば、そのことを誰にも相談できないということもこれまた一つの悩みなわけです。幾つも重なっていきます。例えば、私たちの相談窓口を見ていくと、将来に対する漠然とした不安とか、勉強意欲の低下とか、無気力、これは不登校の要因として一位ですけれども、こうしたものが挙げられてくるわけですね。今の仕組みは、いじめとか、この後御紹介あると思いますが、ヤングケアラーとか不登校、虐待とか、個別の問題に特化し過ぎているんですね。こういう漠然とした不安とか無気力に対しては全く今なすすべがないと、現状よく分からないというのが実態だと思います。そのためにも実態を把握しなければいけないということになります。
これは、私たちの相談窓口で使われた言葉の大きさ、要は使われた回数が多ければ多いほど大きく表示している。これを緊急事態宣言ごと、これ東京の期間ですけれども、四回あります。一回目の緊急事態宣言の期間というのは、最も相談窓口で使われた言葉というのはコロナという言葉なんです。それが二回目、三回目、四回目の緊急事態宣言に移っていくにつれて、コロナという言葉は消えました。代わりに死という言葉、死にたいというような言葉が最も多く使われるようになりました。この背景には、学校のことで悩んでいる、親のこと、友達のこと、不安、いろんな要因というのが重層的になっていったということが読み取れるわけです。ですから、問題を限定的に捉えないということは非常に重要ということです。
今の支援というのはほとんど、次のページにありますが、川のようになっているというふうに捉えると下流なんです。対症療法なんですね。虐待が起きた後どうするか、不登校になった後どうするか、引きこもりになった後どうするか。それは、もちろん個別の対症療法は重要なんですが、もっと上流へのアプローチがあるはずなんです。
それは、悩みを抱えないという子供はいないということです。これは、孤独・孤立対策、我々も一生懸命やってきましたけれども、例えば不登校で悩んでいるお子さん、まあ学校ちょっと行きたくないなという段階が最初にあるはずなんです。学校に行きたくないなということを誰にも相談できないことによって、今度不登校になります。不登校というのがどんどん続いていくことによって、今度は引きこもり、これは約、引きこもりの二割ぐらいは不登校経験者です。そして、引きこもりの御家族もまた悩みを抱える。ちょっとしたもやもや、誰にも相談できないということが実は新たな社会問題を生んでしまっているんですね。ですから、源流へのアプローチというのが大事。この源流というのが、誰にも頼れない、頼りたくても頼れないんだというような、いわゆる望まない孤独に当たる部分です。
悩まない子供がいないという中で、子供たち、何で支援しづらいか。客観的に見えません。孤立している子供というのはほとんどいないです。これ、何でかというと、子供たちには学校や家庭が基本的にはありますから、社会や地域で孤立しづらいんですね。むしろ、家族や友達がいるお子さんの方が、心配を掛けちゃいけない、迷惑を掛けてはいけないということで、相談できていないという現状が今あります。
どちらかというと、こちらの方が問題です。やはり、センセーショナルに報道される非常に深刻なケースも大切なんですが、もう少し源流の段階で、もやもやするけれども心配掛けちゃいけないな、ここにどう対処できるか、アプローチできるかというのが新たな社会問題の発生を防ぐことにつながるんだろうと思います。
じゃ、どうするのか。一つはやっぱり居場所なんです。居場所という概念は非常に曖昧です。もし何か立法措置とるのであれば、この居場所という概念を僕は整理しなければいけないと思っていますけれども。
居場所、こどもの居場所づくりに関する指針、こども家庭庁で審議会の中で私たちも去年議論してきましたけれども、子供たちに限って言ってもなかなか難しいです。これは、子供の居場所をつくろうとすると、これ、今度は大人を排除するという性質も生まれます。でも一方で、悩みを抱えている親もまた悩みを抱えていたりするわけですね。だから、親の居場所をつくろうとすると、それ、今度は子供にとって居場所じゃなくなることもあるし、大人たちが想定していないオンラインゲームとかSNSがもう立派な居場所になっているということもあるわけです。ですから、こうしたことを解決をしていくためには、やはり居場所という概念をもう一度整理していく必要があります。
そして、日本は、大変すばらしいのは既存のリソースがあるんです。一つは民生委員です。子供、若者民生委員という民生委員を若者たちがやるという仕組みを今我々はずっと提言をしてきました。今の民生委員さん、一生懸命頑張っておられますが、約九割が六十歳以上なんです。全国で九十歳代の方もいらっしゃるそうです。これはすばらしいんですけれども、例えば、SNSのネットいじめに悩んでいる中学生がスマホを持っていない高齢の民生委員さんには相談できないというのが現状なんですね。
やはり、最初、冒頭申し上げたことと同じで、民生委員さんやりたい人がいないわけではありません。僕、地元の東京江東区に住んでいますが、江東区の民生委員やろうと思っても僕はなれないわけですね、やはり推薦されませんから。なりたい人はいます。でも、なれる仕組みがないということなんです。子供たち、若者たちがオンラインで同じ地域に住んでいる同世代とかちょっと年下の子供たち、若者たちを支援するという子供、若者民生委員の仕組みをつくって、やはりこれは同世代同士の支援ということを進めていく。この子供、若者民生委員、何の問題もなく務め上げた方を既存の民生委員、児童委員の仕組みに入れていくということができれば、民生委員の大幅な若返りもできるはずです。
新しく何かを、ゼロから一をつくるんじゃなくて、既にある、この日本の百年続いているすばらしい民生委員制度の仕組みを百年後も持続化させていくためにアップデートをしていくというような取組も居場所づくりにとっては重要ですので、是非、今のものを見返しながら、検証しながらということで進めていただくというようなことも一つの案として御検討いただければと思います。
以上になります。
福
田
田中悠美子#9
○参考人(田中悠美子君) よろしくお願いします。
一般社団法人日本ケアラー連盟理事の田中悠美子と申します。
本日は、貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございます。
ヤングケアラー、家庭支援について、現状、課題、そして課題に対しての展望についてお話しさせていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(資料映写)
まず、私が所属しております一般社団法人日本ケアラー連盟について御紹介をいたします。
ついついケアをしている人は自分のことを後回しにして、ケアが必要な人のことを大切に過ごしています。ケアラーも、健康で文化的な生活を送り、一人の個人として自分の人生を自分らしく自分で選択しながら生きる権利があると思います。私たちが大切な人をケアするあなたも大切な一人ですという意識を持つこと、社会がケアをしている人を支える仕組み、法制化をしていくことを目指して、御覧の四つの事業を展開しております。
また、本日別紙で配らせていただきましたヤングケアラープロジェクトにおいては、ヤングケアラー経験のある方、研究者、そして支援者が集い、協働しながらヤングケアラーの支援体制づくりに健闘しております。
また、私は、東京都の府中市と協働してヤングケアラーと家族を支援する自治体モデルづくりに取り組んでおります。ヤングケアラーコーディネーターという立場でも活動しておりまして、今回は、ヤングケアラーの支援の現場の声、子供と家族を一体的に支えていくこと、そのための体制整備の必要性についてお話ししていきます。
まず、ケアラーとは何か。改めてなんですけれども、私たちの連盟では、心や体に不調のある人へ介護、看護、養育、世話、気遣いなど、ケアを必要とする家族や近親者、友人、知人などを無償でケアする人たちのことを指しています。この言葉が十年ほど前に出た頃はケアワーカーと混同されることがありました。無償でケアをしている人たちのこと、ケアする人たちのことをケアラーというふうに呼んでいます。ケアする相手の病気や障害、続き柄にかかわらず、ケアラーに焦点を当てて横串に刺すものとして考えています。
総務省の調査によりますと、介護をしている人は六百二十八万八千人に上っており、大人も子供も誰もがケアをする時代になってきています。日本には、家族のケアは家庭内の問題、課題であるために、家族で何とかしなければならないという考えがあるかと思います。大人側もSOSを出しづらいというところがあると思います。また、デリケートなことでもありますので、周囲の人が家庭内を見ることは難しさもありますし、入っていくことも容易ではないと思います。ただ、ケアをしている子供たち、若者の未来を考えたときに、生きづらさを感じているような場合があれば、やはり見過ごすことはできないというふうに思います。
ヤングケアラーという言葉がこの三年ほどで社会に浸透しつつあると思いますが、子供たちが家族のお世話や介護をしている現状は昔から存在していると考えます。今は大介護時代と言われるようになっていて、深刻な少子高齢化が進む中、認知症の方が増えたり、精神疾患を持つ方も増えているということで、ケアを必要としている人は増えているという状況がございます。
ケアは、個別の、個人の問題ではなくて、社会的な課題として捉えていくことが重要だと思います。ケアが必要な人に対しては支える法制度が整いつつあります。しかし、大人も含めたケアをする方に対しての支援やサービスの法整備化はなされていないという現状です。ケアをすることを求められて、自分の人生や生活、健康が奪われている状況がございます。
ケアラーの悩みは尽きません。誰に相談していいのか分かりません。場所も知りません。そもそも、介護をしている人の生活や進路、仕事、子育てなど、ケアラーさん自身の悩みを誰に相談していいのか、そもそも相談していいのというふうに思う方もいらっしゃいます。また、家族がいるからヘルパーの利用ができないなど、一律的にそういったサービスができないという判断がされてしまう実情もあったりします。家族の状況を十分に把握、アセスメントしてもらう機会がございません。ケアラーは、孤独を抱え、心身共に疲れ、社会的に孤立しがちになってしまいます。
また、昨今の医療的ケア児の支援法や認知症基本法などでは、家族支援ということが位置付けられてきています。それはとてもすばらしいことだと思います。ただ、個別の制度ごとに対策が検討、実施なされていて、自治体においては、相談窓口の設置ですとか人材確保に苦慮している状況もあります。なので、自治体単位で総合的に対応できる、例えばケアラー支援センターのような、そういった横断的かつ包括的な対応が必要ではないかというふうに考えています。
ヤングケアラーがしているケアは、こちらのイラストにあるように多岐にわたっております。家族に病気や障害があってケアを要する場合に、大人が担うようなケア責任を引き受けて、家事や家族の世話、介護、見守り、感情面のサポートなどを行っている十八歳未満の子供という概念を指しています。家族構成や、いつから誰のケアをしているのか、また、家計の状況は困窮しているのかどうか、共働き世帯なのかなど、様々なグラデーションがあります。そして、ケアを必要とする人もケアをする人も、時間とともに状況はどんどん変化をしていくという特性もございます。
そして、ヤングケアラーの悩みもこのように多岐にわたっています。お手伝い、とても推奨されることだと思いますが、その線引きというのも難しさが大変あります。ヤングケアラーは、いわゆるお手伝いの範囲を超えた大きな責任を伴う場合があります。子供の年齢や成熟度に見合わない過度な負担を背負うことは、本来あるべき子供自身の健康や生活に大きな影響を及ぼします。国の調査の結果、ケアを担う子供たちの多くが家族のお世話を優先するために自分の時間が取れないと訴えています。ケアすること自体はもちろん悪いことではありません。ただ、ケアによる問題や悩みが発生する前の気付きというのが大切になると思います。
では、どのようなまなざしで子供たちを見ていけばよいかというところでは、ヤングケアラーは、ケアラーである前に成長途中にある子供というふうなまなざしが大事だと思います。その子に関わりのある人たちが認識を高め、見る角度を少し変えてみるだけでも、その子の状況や気持ちに気付いて寄り添うことができるのではないでしょうか。支援が必要な場合も想定し、子供の声をしっかり聞くということが大切になります。こちらには、学校の先生始め、子供や若者の関わりのある身近な人たちを掲載してみました。
そして、ヤングケアラーについて、現在、法令上の定義はなく、国が示している概念はこちらのとおりです。本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子供、さらに、子供自身がやりたいことができないなど、子供の権利が守られていないと思われる子供というふうに示されています。
令和五年度からこども家庭庁ができ、ヤングケアラーの施策が厚労省からこども家庭庁に移管されたということもあり、子供からまた更に若者というふうに広げて政策がなされているというのはとてもすばらしいことだなというふうに思っています。
また、十二月の下旬に、こども家庭庁が児童虐待防止対策部会の方でヤングケアラーに関する制度改正について示しています。改正のイメージ案としては、子ども・若者育成支援推進法のところにおいて、家族の介護その他日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子供、若者と定義して、国や自治体が各種支援に努める対象にヤングケアラーを明記することとしてはどうかというふうに示されています。
また、全国で二十か所ですね、自治体のケアラー支援条例という制定の動きがございます。国内で一番最初に制定された埼玉県においてはこのような定義となっています。ケアラーは、高齢、身体上又は精神上の障害又は疾病等により援助を必要とする親族、友人その他身近な人に対して、無償で介護、看護、日常生活上の世話その他援助を提供する者というふうにして、ヤングケアラーは、ケアラーのうち十八歳未満の者としています。
また、北海道のケアラー支援条例においては、定義とともに基本理念というものを出しています。ケアラー支援においては、全てのケアラーが個人として尊重される、夢や希望を持って暮らすことができるように行わなければならない、ヤングケアラーの支援においては、ヤングケアラーの意向を踏まえつつ適切に行われるとともに、子供の権利及び利益が最大限に尊重され、心身共に健やかに育成され、適切な教育の機会が確保されるように行わなければならないとしています。
国の定義において、過度に行っていると認められる子供、若者という程度を示している状況なんですが、先ほどの埼玉県や北海道の定義よりも、そうするとこれでは狭い概念や定義になってしまうのではないかと思います。過度というのはどの程度を指すのかも難しいことだと思いますし、同じ量のケアや内容でも、その子供さん自身の受け取り方によっても変わってきてしまうと思います。また、過度にならないように支援するということも大切になります。また、過度な状態の子供、若者イコールヤングケアラーというふうにしてしまうと、過度でないけれども、そういった状況だけれども、心理的に負担やもやもや、葛藤を感じているような子供、若者の方は支援の対象外になってしまいます。定義につきましては、是非慎重な議論をしていただきたいというふうな思いがございます。
そして、国が行った実態のところについて御紹介ですが、ケアをしている子供たちの人数、中学二年生の場合で十七人に一人、高校二年生では二十四人に一人という状況が分かってきています。そして、ケアに割り当てる時間を見てみますと、多くは、三時間未満というところが多い傾向にあります。中には一日七時間以上という子供さんも一割ほどいることが分かりました。
そして、家族のお世話をしている子供たちが相談について、相談経験について確認をすると、ないという回答が六七・七%という状況でした。ないの理由としては、誰かに相談するほどの悩みではないという考えが七割、また、相談しても状況が変わるとは思わないという声も二割ほどの方が感じています。また、相談をしたことがある人は、身近な御家族や友人に相談したという状況のようです。
そして、ケアをすることの若者への影響ということも生じています。ケアが優先となり、進路を変更したり受験の準備が十分にできなかったりします。また、十八歳以降もケアを継続する場合、ケアと高等教育との両立に悩んでしまったり、就業の機会を逃し経済的に困窮してしまうということも考えられます。疲労やストレスを感じ体調不良に悩み、不安を抱きながら生活することにもあって、若者ケアラーは、ケアラーである前に自分の人生を歩み始めたばかりの若者たちです。ケアをすることで二十代、三十代で経験するライフチャンスが得られないことがないようにするということが大事だと考えます。
そして、若者ケアラーの実態として少し御紹介ですが、就業している二十代の若者、介護者のうち、非正規職員の方は四六・四%に上っているという状況です。様々な背景から、職業の選択の中で非正規職員を選択している状況があります。
また、介護や子育てを同時期に行うダブルケアという状況の方、最近の分析データでは二十九万三千七百人というように言われております。
周囲の人が気付きにくい特徴や背景があるということ、見ようとしないと見えてこないというところをまず認識することが大事だと思います。ケアをしている子供たち自身、若者自身が、家族のことは自分たち家族でしなければならないと思っていたり、当たり前となっていて子供自身がケアの負担にも気付きにくいというところ、また、自分の役割、使命感を持って担っている場合もあります。障害や病気の家族のことを隠している、言いたくないという思いもあります。相談できることを知らないというそもそもの状況もあったり、大人のケアラーの陰に隠れて見えないということもあります。
一方、大人や支援者側は、子供がケアをしていると思っていなかったり、子供を介護力とみなして期待しているという場合もあります。
まずは、そういったケアをしている子供たちの存在を知っていくということが大事になると思います。
そして、子供のしているケアの内容、役割について確認し、それによる影響についても考えることが重要です。やはり、身体的なケアというところはとても分かりやすい部分あると思いますが、見守りや感情面のサポートもケアの重要な関わりだと思います。ヤングケアラーかどうか厳密な判断にとらわれず、将来に負担を抱えるかもしれない可能性の段階から、ヤングケアラーと思われる時点で見過ごすことなく対応すること、また、過度な負担にならないように予防的な支援も必要だと思います。そして、丁寧に状況を把握する、アセスメントをするということ、子供の声を聞くということ、そして、十八歳以降、また子供と違った異なる生活ニーズが有していますので、そういったところも含めた体制を築いていくことが大事だと思います。
国において、ヤングケアラー支援施策の動向ということでまとめてみました。
二〇二一年の三月から、本当にすさまじいばかりの勢いで施策を展開してくださっています。私たちの活動、本当に背中を押してもらっているなというふうに感じます。また、地方自治体においては、こちらに記載のように①から⑥までいろいろな施策が取り組まれております。
私は東京都や埼玉県の委員にも入らせていただいて、こういった支援マニュアルやハンドブックというものも制作が昨年度されている状況です。
この数年でヤングケアラーという言葉が広まり、施策は急速に進んでいるというふうに感じますが、一方で課題というところもいろいろと感じています。
まず、ヤングケアラーと知られたくない、認めたくない、そういったヤングケアラーという言葉への抵抗感を抱いている子供たちも、当事者の方もいらっしゃいます。また、そこまで大変ではないわということで、そういう思いもあり、ネガティブな印象を抱いているという側面があります。いろいろな普及啓発がありますが、当事者の立場から見ると、とても難しい状況、ネガティブな感情を抱いています。
また、親や家族が責められているような思いになったり、SOSが出しにくい、虐待やネグレクトと誤認されてしまっているような状況もあると思います。
そして、施策が進む中で、やはり、どこがヤングケアラー施策を所管するのか、とても難しさを抱えている自治体もあると思います。自治体内の、組織の内外で協力できる基盤がまだまだ弱い、根深い縦割りの弊害もあるのではないかというふうに感じているところです。
右側に少しポイントを書かせてもらいましたが、そういった課題を考えると、本人の意思を尊重できる継続的な関わり、つながり続ける機会ということも大事だと思いますし、課題解決の視点だけではない、理解や配慮のある、そういった対応も求められると思います。そして、分野横断で相談体制をつくる、子供、若者と接する支援者、また教育者も含めた、そういった方への支援、サポートというのも大切だと感じます。
そして、子供にとって信頼できる人やつながりたいタイミング、一人一人違うと思います。ですので、地域の中、身近な地域の中で、話してもいいんだと思える環境、安心して話せる相手や場所に出会えることが重要ではないかと思います。
そういう意味では、学校という場は子供たちが長い時間を過ごす場所でもあります。先生方にヤングケアラーについて正しく理解をしていただき、子供たちの様子を見守り、変化に気付いていくことが大切だと思います。
学校教育の現場でヤングケアラーについて知ってもらうための取組というものが埼玉県で活発に行われております。また、先生方が気付いた後の対応の中で、子供たちに寄り添い、子供自身がどんな状況、この状況をどう思っているのか、またどうしたいと思っているのかということを、子供の思いや希望をきちんと聞いていただきたいなという思いがございます。
では、本当の意味でヤングケアラーの心に寄り添うにはどのようにしたらよいのでしょうか。私は以下の三つの視点が大事になると考えております。
まず一つ目は、子供の権利を守るという視点です。先ほど来も出ておりますけど、子供の権利、教育を受ける権利ですとか意見を表す権利、その子供の権利が脅かされていないかを確認しながら、権利が奪われている場合は改善をしていく対応が求められると思います。また二つ目に、子供のウエルビーイングという視点です。子供の幸せ、心身の健やかな成長や発達、そして自立が図られるように子供たちを支えていくことも大切になります。そして、家族全体を見るという視点です。子供に影響が生じているというと、大人自身にも時間や心の余裕がなく困っている場合があると考えられます。ケアを必要としている家族、大人のケアラー、そして子供を一体的に支援していくことが求められると思います。
では、具体的にというところで少し御提案ですが、認識が持ちにくい特性を踏まえた関わり方を提案、提供していくというところですね。ケアは生活の一部として当たり前であるために、支援が必要という自覚は持ちにくい場合があります。また、家族も子供に頼っていることや、分担をして生活が成り立っている場合もありますので、周囲から指摘が入るとやはり抵抗感を感じると思います。子供や若者が困っていても、大人がイエスと言わなければサポートが受けることが難しい場合もあります。そのような場合は、まずは子供として守られる権利や配慮してもらえる権利、機会があるということを説明し、自分の状況を理解したり、支援について知れるように関わるということから始める必要があると思います。また、情報共有する際に、誰に知らせてよいのか確認や同意を得たり、偏見を持たれないように配慮をするということも大切になります。
そして、課題解決のための支援のみならず、傾聴や心理的支援が求められるという点です。ついつい、相談支援の現場にいますと、早期発見や早期介入といった、困っていることを課題解決するんだというような関わりがなされていきます。もちろん、それは負担を軽減をしていくという意味では重要なことだと思うんですが、その同時期に、一方で課題解決とは違う、話を聞くという関わりや心理的な支援を行うという関わりも大切になります。改めて自分の将来を考え、自分の人生を歩むことができるよう、定期的に話ができる機会や心が安らぐ居場所、一緒に考えたり気持ちを話せるような機会が大事になると思います。
そして、ヤングケアラーやその家族に情報提供や共有をして選択肢を広げるという関わりも大事になると思います。ヤングケアラーやその家族、また関係者に正しい情報を提供するということも大切なサポートです。自分に必要な支援を考える時間ですとか、気持ちを整理するためにも情報というものは大事になると思います。
最後、まとめに代えて、ヤングケアラーの施策が動き出して三年間、言葉が広がりつつ認識も高まっているんですが、ヤングケアラー、若者ケアラーがかわいそうというような印象を持たれているケースもあるかと思います。決してかわいそうな人でもないですし不幸な人でもないと思います。そんなこと他人が決めることではないというふうに思います。家族が苦しんでいるのを放っておけず、自分よりも家族を大切にする優しい人で、我慢強く責任感が強いような、そんなパワーのある方々だなと私は思います。その子供や若者が、自分が望む進路や人生、自分の将来もしっかりと大切に歩んでいけるように、家族全体を支えながら、学校を始め地域、頼れる人が身近にいる環境を整備し、その子自身が、分かってくれる人がいる、話してみようかなと安心感を持って一歩踏み出せるような関わりが大事だと思います。
最後に、誰もがケアをする時代になります。子供、若者、そしてケアをしている人、あらゆる世代を支えるために、分野を超えて具体的な支援体制、法制化が必要です。是非、参議院の議員の皆さんに一緒に考えていただきたいという思いがあります。
本日はどうもありがとうございました。以上で終わります。
この発言だけを見る →一般社団法人日本ケアラー連盟理事の田中悠美子と申します。
本日は、貴重な機会をいただきまして、本当にありがとうございます。
ヤングケアラー、家庭支援について、現状、課題、そして課題に対しての展望についてお話しさせていただければと思います。どうぞよろしくお願いいたします。(資料映写)
まず、私が所属しております一般社団法人日本ケアラー連盟について御紹介をいたします。
ついついケアをしている人は自分のことを後回しにして、ケアが必要な人のことを大切に過ごしています。ケアラーも、健康で文化的な生活を送り、一人の個人として自分の人生を自分らしく自分で選択しながら生きる権利があると思います。私たちが大切な人をケアするあなたも大切な一人ですという意識を持つこと、社会がケアをしている人を支える仕組み、法制化をしていくことを目指して、御覧の四つの事業を展開しております。
また、本日別紙で配らせていただきましたヤングケアラープロジェクトにおいては、ヤングケアラー経験のある方、研究者、そして支援者が集い、協働しながらヤングケアラーの支援体制づくりに健闘しております。
また、私は、東京都の府中市と協働してヤングケアラーと家族を支援する自治体モデルづくりに取り組んでおります。ヤングケアラーコーディネーターという立場でも活動しておりまして、今回は、ヤングケアラーの支援の現場の声、子供と家族を一体的に支えていくこと、そのための体制整備の必要性についてお話ししていきます。
まず、ケアラーとは何か。改めてなんですけれども、私たちの連盟では、心や体に不調のある人へ介護、看護、養育、世話、気遣いなど、ケアを必要とする家族や近親者、友人、知人などを無償でケアする人たちのことを指しています。この言葉が十年ほど前に出た頃はケアワーカーと混同されることがありました。無償でケアをしている人たちのこと、ケアする人たちのことをケアラーというふうに呼んでいます。ケアする相手の病気や障害、続き柄にかかわらず、ケアラーに焦点を当てて横串に刺すものとして考えています。
総務省の調査によりますと、介護をしている人は六百二十八万八千人に上っており、大人も子供も誰もがケアをする時代になってきています。日本には、家族のケアは家庭内の問題、課題であるために、家族で何とかしなければならないという考えがあるかと思います。大人側もSOSを出しづらいというところがあると思います。また、デリケートなことでもありますので、周囲の人が家庭内を見ることは難しさもありますし、入っていくことも容易ではないと思います。ただ、ケアをしている子供たち、若者の未来を考えたときに、生きづらさを感じているような場合があれば、やはり見過ごすことはできないというふうに思います。
ヤングケアラーという言葉がこの三年ほどで社会に浸透しつつあると思いますが、子供たちが家族のお世話や介護をしている現状は昔から存在していると考えます。今は大介護時代と言われるようになっていて、深刻な少子高齢化が進む中、認知症の方が増えたり、精神疾患を持つ方も増えているということで、ケアを必要としている人は増えているという状況がございます。
ケアは、個別の、個人の問題ではなくて、社会的な課題として捉えていくことが重要だと思います。ケアが必要な人に対しては支える法制度が整いつつあります。しかし、大人も含めたケアをする方に対しての支援やサービスの法整備化はなされていないという現状です。ケアをすることを求められて、自分の人生や生活、健康が奪われている状況がございます。
ケアラーの悩みは尽きません。誰に相談していいのか分かりません。場所も知りません。そもそも、介護をしている人の生活や進路、仕事、子育てなど、ケアラーさん自身の悩みを誰に相談していいのか、そもそも相談していいのというふうに思う方もいらっしゃいます。また、家族がいるからヘルパーの利用ができないなど、一律的にそういったサービスができないという判断がされてしまう実情もあったりします。家族の状況を十分に把握、アセスメントしてもらう機会がございません。ケアラーは、孤独を抱え、心身共に疲れ、社会的に孤立しがちになってしまいます。
また、昨今の医療的ケア児の支援法や認知症基本法などでは、家族支援ということが位置付けられてきています。それはとてもすばらしいことだと思います。ただ、個別の制度ごとに対策が検討、実施なされていて、自治体においては、相談窓口の設置ですとか人材確保に苦慮している状況もあります。なので、自治体単位で総合的に対応できる、例えばケアラー支援センターのような、そういった横断的かつ包括的な対応が必要ではないかというふうに考えています。
ヤングケアラーがしているケアは、こちらのイラストにあるように多岐にわたっております。家族に病気や障害があってケアを要する場合に、大人が担うようなケア責任を引き受けて、家事や家族の世話、介護、見守り、感情面のサポートなどを行っている十八歳未満の子供という概念を指しています。家族構成や、いつから誰のケアをしているのか、また、家計の状況は困窮しているのかどうか、共働き世帯なのかなど、様々なグラデーションがあります。そして、ケアを必要とする人もケアをする人も、時間とともに状況はどんどん変化をしていくという特性もございます。
そして、ヤングケアラーの悩みもこのように多岐にわたっています。お手伝い、とても推奨されることだと思いますが、その線引きというのも難しさが大変あります。ヤングケアラーは、いわゆるお手伝いの範囲を超えた大きな責任を伴う場合があります。子供の年齢や成熟度に見合わない過度な負担を背負うことは、本来あるべき子供自身の健康や生活に大きな影響を及ぼします。国の調査の結果、ケアを担う子供たちの多くが家族のお世話を優先するために自分の時間が取れないと訴えています。ケアすること自体はもちろん悪いことではありません。ただ、ケアによる問題や悩みが発生する前の気付きというのが大切になると思います。
では、どのようなまなざしで子供たちを見ていけばよいかというところでは、ヤングケアラーは、ケアラーである前に成長途中にある子供というふうなまなざしが大事だと思います。その子に関わりのある人たちが認識を高め、見る角度を少し変えてみるだけでも、その子の状況や気持ちに気付いて寄り添うことができるのではないでしょうか。支援が必要な場合も想定し、子供の声をしっかり聞くということが大切になります。こちらには、学校の先生始め、子供や若者の関わりのある身近な人たちを掲載してみました。
そして、ヤングケアラーについて、現在、法令上の定義はなく、国が示している概念はこちらのとおりです。本来大人が担うと想定されている家事や家族の世話などを日常的に行っている子供、さらに、子供自身がやりたいことができないなど、子供の権利が守られていないと思われる子供というふうに示されています。
令和五年度からこども家庭庁ができ、ヤングケアラーの施策が厚労省からこども家庭庁に移管されたということもあり、子供からまた更に若者というふうに広げて政策がなされているというのはとてもすばらしいことだなというふうに思っています。
また、十二月の下旬に、こども家庭庁が児童虐待防止対策部会の方でヤングケアラーに関する制度改正について示しています。改正のイメージ案としては、子ども・若者育成支援推進法のところにおいて、家族の介護その他日常生活上の世話を過度に行っていると認められる子供、若者と定義して、国や自治体が各種支援に努める対象にヤングケアラーを明記することとしてはどうかというふうに示されています。
また、全国で二十か所ですね、自治体のケアラー支援条例という制定の動きがございます。国内で一番最初に制定された埼玉県においてはこのような定義となっています。ケアラーは、高齢、身体上又は精神上の障害又は疾病等により援助を必要とする親族、友人その他身近な人に対して、無償で介護、看護、日常生活上の世話その他援助を提供する者というふうにして、ヤングケアラーは、ケアラーのうち十八歳未満の者としています。
また、北海道のケアラー支援条例においては、定義とともに基本理念というものを出しています。ケアラー支援においては、全てのケアラーが個人として尊重される、夢や希望を持って暮らすことができるように行わなければならない、ヤングケアラーの支援においては、ヤングケアラーの意向を踏まえつつ適切に行われるとともに、子供の権利及び利益が最大限に尊重され、心身共に健やかに育成され、適切な教育の機会が確保されるように行わなければならないとしています。
国の定義において、過度に行っていると認められる子供、若者という程度を示している状況なんですが、先ほどの埼玉県や北海道の定義よりも、そうするとこれでは狭い概念や定義になってしまうのではないかと思います。過度というのはどの程度を指すのかも難しいことだと思いますし、同じ量のケアや内容でも、その子供さん自身の受け取り方によっても変わってきてしまうと思います。また、過度にならないように支援するということも大切になります。また、過度な状態の子供、若者イコールヤングケアラーというふうにしてしまうと、過度でないけれども、そういった状況だけれども、心理的に負担やもやもや、葛藤を感じているような子供、若者の方は支援の対象外になってしまいます。定義につきましては、是非慎重な議論をしていただきたいというふうな思いがございます。
そして、国が行った実態のところについて御紹介ですが、ケアをしている子供たちの人数、中学二年生の場合で十七人に一人、高校二年生では二十四人に一人という状況が分かってきています。そして、ケアに割り当てる時間を見てみますと、多くは、三時間未満というところが多い傾向にあります。中には一日七時間以上という子供さんも一割ほどいることが分かりました。
そして、家族のお世話をしている子供たちが相談について、相談経験について確認をすると、ないという回答が六七・七%という状況でした。ないの理由としては、誰かに相談するほどの悩みではないという考えが七割、また、相談しても状況が変わるとは思わないという声も二割ほどの方が感じています。また、相談をしたことがある人は、身近な御家族や友人に相談したという状況のようです。
そして、ケアをすることの若者への影響ということも生じています。ケアが優先となり、進路を変更したり受験の準備が十分にできなかったりします。また、十八歳以降もケアを継続する場合、ケアと高等教育との両立に悩んでしまったり、就業の機会を逃し経済的に困窮してしまうということも考えられます。疲労やストレスを感じ体調不良に悩み、不安を抱きながら生活することにもあって、若者ケアラーは、ケアラーである前に自分の人生を歩み始めたばかりの若者たちです。ケアをすることで二十代、三十代で経験するライフチャンスが得られないことがないようにするということが大事だと考えます。
そして、若者ケアラーの実態として少し御紹介ですが、就業している二十代の若者、介護者のうち、非正規職員の方は四六・四%に上っているという状況です。様々な背景から、職業の選択の中で非正規職員を選択している状況があります。
また、介護や子育てを同時期に行うダブルケアという状況の方、最近の分析データでは二十九万三千七百人というように言われております。
周囲の人が気付きにくい特徴や背景があるということ、見ようとしないと見えてこないというところをまず認識することが大事だと思います。ケアをしている子供たち自身、若者自身が、家族のことは自分たち家族でしなければならないと思っていたり、当たり前となっていて子供自身がケアの負担にも気付きにくいというところ、また、自分の役割、使命感を持って担っている場合もあります。障害や病気の家族のことを隠している、言いたくないという思いもあります。相談できることを知らないというそもそもの状況もあったり、大人のケアラーの陰に隠れて見えないということもあります。
一方、大人や支援者側は、子供がケアをしていると思っていなかったり、子供を介護力とみなして期待しているという場合もあります。
まずは、そういったケアをしている子供たちの存在を知っていくということが大事になると思います。
そして、子供のしているケアの内容、役割について確認し、それによる影響についても考えることが重要です。やはり、身体的なケアというところはとても分かりやすい部分あると思いますが、見守りや感情面のサポートもケアの重要な関わりだと思います。ヤングケアラーかどうか厳密な判断にとらわれず、将来に負担を抱えるかもしれない可能性の段階から、ヤングケアラーと思われる時点で見過ごすことなく対応すること、また、過度な負担にならないように予防的な支援も必要だと思います。そして、丁寧に状況を把握する、アセスメントをするということ、子供の声を聞くということ、そして、十八歳以降、また子供と違った異なる生活ニーズが有していますので、そういったところも含めた体制を築いていくことが大事だと思います。
国において、ヤングケアラー支援施策の動向ということでまとめてみました。
二〇二一年の三月から、本当にすさまじいばかりの勢いで施策を展開してくださっています。私たちの活動、本当に背中を押してもらっているなというふうに感じます。また、地方自治体においては、こちらに記載のように①から⑥までいろいろな施策が取り組まれております。
私は東京都や埼玉県の委員にも入らせていただいて、こういった支援マニュアルやハンドブックというものも制作が昨年度されている状況です。
この数年でヤングケアラーという言葉が広まり、施策は急速に進んでいるというふうに感じますが、一方で課題というところもいろいろと感じています。
まず、ヤングケアラーと知られたくない、認めたくない、そういったヤングケアラーという言葉への抵抗感を抱いている子供たちも、当事者の方もいらっしゃいます。また、そこまで大変ではないわということで、そういう思いもあり、ネガティブな印象を抱いているという側面があります。いろいろな普及啓発がありますが、当事者の立場から見ると、とても難しい状況、ネガティブな感情を抱いています。
また、親や家族が責められているような思いになったり、SOSが出しにくい、虐待やネグレクトと誤認されてしまっているような状況もあると思います。
そして、施策が進む中で、やはり、どこがヤングケアラー施策を所管するのか、とても難しさを抱えている自治体もあると思います。自治体内の、組織の内外で協力できる基盤がまだまだ弱い、根深い縦割りの弊害もあるのではないかというふうに感じているところです。
右側に少しポイントを書かせてもらいましたが、そういった課題を考えると、本人の意思を尊重できる継続的な関わり、つながり続ける機会ということも大事だと思いますし、課題解決の視点だけではない、理解や配慮のある、そういった対応も求められると思います。そして、分野横断で相談体制をつくる、子供、若者と接する支援者、また教育者も含めた、そういった方への支援、サポートというのも大切だと感じます。
そして、子供にとって信頼できる人やつながりたいタイミング、一人一人違うと思います。ですので、地域の中、身近な地域の中で、話してもいいんだと思える環境、安心して話せる相手や場所に出会えることが重要ではないかと思います。
そういう意味では、学校という場は子供たちが長い時間を過ごす場所でもあります。先生方にヤングケアラーについて正しく理解をしていただき、子供たちの様子を見守り、変化に気付いていくことが大切だと思います。
学校教育の現場でヤングケアラーについて知ってもらうための取組というものが埼玉県で活発に行われております。また、先生方が気付いた後の対応の中で、子供たちに寄り添い、子供自身がどんな状況、この状況をどう思っているのか、またどうしたいと思っているのかということを、子供の思いや希望をきちんと聞いていただきたいなという思いがございます。
では、本当の意味でヤングケアラーの心に寄り添うにはどのようにしたらよいのでしょうか。私は以下の三つの視点が大事になると考えております。
まず一つ目は、子供の権利を守るという視点です。先ほど来も出ておりますけど、子供の権利、教育を受ける権利ですとか意見を表す権利、その子供の権利が脅かされていないかを確認しながら、権利が奪われている場合は改善をしていく対応が求められると思います。また二つ目に、子供のウエルビーイングという視点です。子供の幸せ、心身の健やかな成長や発達、そして自立が図られるように子供たちを支えていくことも大切になります。そして、家族全体を見るという視点です。子供に影響が生じているというと、大人自身にも時間や心の余裕がなく困っている場合があると考えられます。ケアを必要としている家族、大人のケアラー、そして子供を一体的に支援していくことが求められると思います。
では、具体的にというところで少し御提案ですが、認識が持ちにくい特性を踏まえた関わり方を提案、提供していくというところですね。ケアは生活の一部として当たり前であるために、支援が必要という自覚は持ちにくい場合があります。また、家族も子供に頼っていることや、分担をして生活が成り立っている場合もありますので、周囲から指摘が入るとやはり抵抗感を感じると思います。子供や若者が困っていても、大人がイエスと言わなければサポートが受けることが難しい場合もあります。そのような場合は、まずは子供として守られる権利や配慮してもらえる権利、機会があるということを説明し、自分の状況を理解したり、支援について知れるように関わるということから始める必要があると思います。また、情報共有する際に、誰に知らせてよいのか確認や同意を得たり、偏見を持たれないように配慮をするということも大切になります。
そして、課題解決のための支援のみならず、傾聴や心理的支援が求められるという点です。ついつい、相談支援の現場にいますと、早期発見や早期介入といった、困っていることを課題解決するんだというような関わりがなされていきます。もちろん、それは負担を軽減をしていくという意味では重要なことだと思うんですが、その同時期に、一方で課題解決とは違う、話を聞くという関わりや心理的な支援を行うという関わりも大切になります。改めて自分の将来を考え、自分の人生を歩むことができるよう、定期的に話ができる機会や心が安らぐ居場所、一緒に考えたり気持ちを話せるような機会が大事になると思います。
そして、ヤングケアラーやその家族に情報提供や共有をして選択肢を広げるという関わりも大事になると思います。ヤングケアラーやその家族、また関係者に正しい情報を提供するということも大切なサポートです。自分に必要な支援を考える時間ですとか、気持ちを整理するためにも情報というものは大事になると思います。
最後、まとめに代えて、ヤングケアラーの施策が動き出して三年間、言葉が広がりつつ認識も高まっているんですが、ヤングケアラー、若者ケアラーがかわいそうというような印象を持たれているケースもあるかと思います。決してかわいそうな人でもないですし不幸な人でもないと思います。そんなこと他人が決めることではないというふうに思います。家族が苦しんでいるのを放っておけず、自分よりも家族を大切にする優しい人で、我慢強く責任感が強いような、そんなパワーのある方々だなと私は思います。その子供や若者が、自分が望む進路や人生、自分の将来もしっかりと大切に歩んでいけるように、家族全体を支えながら、学校を始め地域、頼れる人が身近にいる環境を整備し、その子自身が、分かってくれる人がいる、話してみようかなと安心感を持って一歩踏み出せるような関わりが大事だと思います。
最後に、誰もがケアをする時代になります。子供、若者、そしてケアをしている人、あらゆる世代を支えるために、分野を超えて具体的な支援体制、法制化が必要です。是非、参議院の議員の皆さんに一緒に考えていただきたいという思いがあります。
本日はどうもありがとうございました。以上で終わります。
福
福山哲郎#10
○会長(福山哲郎君) ありがとうございました。
以上で参考人の御意見の陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。
まず、各会派一名ずつ指名させていただき、一巡後は、会派にかかわらず御発言いただけるよう整理してまいりたいと存じます。
発言は着席のままで結構でございます。
また、質疑者には、その都度答弁者を明示していただくようお願いいたします。
なお、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますように、答弁を含めた時間が一巡目はお一人十五分以内となるよう御協力お願いいたします。
これより一巡目の質疑を行います。
質疑のある方は挙手を願います。
山本啓介君。
この発言だけを見る →以上で参考人の御意見の陳述は終わりました。
これより参考人に対する質疑を行います。
本日の質疑はあらかじめ質疑者を定めずに行います。
まず、各会派一名ずつ指名させていただき、一巡後は、会派にかかわらず御発言いただけるよう整理してまいりたいと存じます。
発言は着席のままで結構でございます。
また、質疑者には、その都度答弁者を明示していただくようお願いいたします。
なお、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますように、答弁を含めた時間が一巡目はお一人十五分以内となるよう御協力お願いいたします。
これより一巡目の質疑を行います。
質疑のある方は挙手を願います。
山本啓介君。
山
山本啓介#11
○山本啓介君 自由民主党の山本啓介でございます。
発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
また、参考人の皆様方におかれましては、それぞれの専門で大変な御尽力をいただいておりますことに、まずもって心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。そして、今日、この場に御出席をいただき、詳細にわたるお話をいただきましたことも御礼を申し上げたいと思います。誠にありがとうございます。
総じて三名の方々のお話が、若年層や子供たちにおける環境について、まず定義がない事柄が我が国には少し多いのかなということを印象として感じました。さらには、それらについて、やはり既存のシステムや構造というものをアップデートできずにいる、そのことから、小国参考人の場合は、海外から入ってくる情報とか国連の取組などを通じて、価値観というものが我が国の今とちょっと異なるところが大きいと、そういったお話であったと思います。
まず、小国参考人にお尋ねしたいんですけれども、カリキュラムに子供を当てはめるという言い方がちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、今、日本の教育の形はそういったところで様々な教育環境はつくられているところもあるのかなと、で、そういったものを少しずつ緩和していく。参考人のお話は、十分今の現状の中でバランスというものを意識しながら御発言をされていたというふうに理解をするんですけれども。
その中で、国連の取組にもあるように、海外は、それでは特別支援学級やそういった学校がないというわけではないと思うんですよ。ありながらも、その後、インクルーシブの考えから社会と融和していきながら取り組んでいる部分が多分にあると思うんです。そういった部分、日本ではこうだけれども、海外はこうではなくて、海外にも特別支援学級という施設はありながらも、どのような教育環境が構築されているのか、その辺りについて少し詳しくお尋ねさせていただきたいと思います。
この発言だけを見る →発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
また、参考人の皆様方におかれましては、それぞれの専門で大変な御尽力をいただいておりますことに、まずもって心からの敬意と感謝を申し上げたいと思います。そして、今日、この場に御出席をいただき、詳細にわたるお話をいただきましたことも御礼を申し上げたいと思います。誠にありがとうございます。
総じて三名の方々のお話が、若年層や子供たちにおける環境について、まず定義がない事柄が我が国には少し多いのかなということを印象として感じました。さらには、それらについて、やはり既存のシステムや構造というものをアップデートできずにいる、そのことから、小国参考人の場合は、海外から入ってくる情報とか国連の取組などを通じて、価値観というものが我が国の今とちょっと異なるところが大きいと、そういったお話であったと思います。
まず、小国参考人にお尋ねしたいんですけれども、カリキュラムに子供を当てはめるという言い方がちょっと乱暴な言い方かもしれませんが、今、日本の教育の形はそういったところで様々な教育環境はつくられているところもあるのかなと、で、そういったものを少しずつ緩和していく。参考人のお話は、十分今の現状の中でバランスというものを意識しながら御発言をされていたというふうに理解をするんですけれども。
その中で、国連の取組にもあるように、海外は、それでは特別支援学級やそういった学校がないというわけではないと思うんですよ。ありながらも、その後、インクルーシブの考えから社会と融和していきながら取り組んでいる部分が多分にあると思うんです。そういった部分、日本ではこうだけれども、海外はこうではなくて、海外にも特別支援学級という施設はありながらも、どのような教育環境が構築されているのか、その辺りについて少し詳しくお尋ねさせていただきたいと思います。
小
小国喜弘#12
○参考人(小国喜弘君) 山本先生、ありがとうございます。
やはり我々は、ともすると、私の説明の仕方もそんなふうになっていたかもしれないんですけれども、海外は良くて、何か日本は悪い、遅れているみたいな、そういう説明の仕方をしてしまうことがよくあって、何かそういうところを先生、補足していただいたのかなと思って、有り難く拝聴いたしました。
これ、海外で、例えば研究をしたり、それから我々のオンラインの会なんかですと、結局オンラインですので、それこそ海外でリアルタイムに参加してくる人たちがいまして、例えば、イタリアのフルインクルーシブ教育について日本の研究者が説明をすると、ともすると非常にきれいな説明をしてしまうんですけれども、そこに海外に住んでいる人が、いや、イタリアにも差別がありますとか、イタリアにも特別支援学校があるんですというような、そういう話がございます。
海外の場合、実は見えやすいのは、様々な移民が顕在化している中で、移民の持っている特性として排除すると、これは民族差別に明らかになってしまうので、これを一種、障害の問題と変換して、障害者差別として排除、周縁化するという、そういう形の差別が非常に深刻化しているんだそうです。ですから、一番そういう意味では取り上げにくい差別が障害者差別というふうになっていて、その問題がまずは違いがあるということだと思います。
それから、海外にもそういう意味での差別がありますので、当然生きにくい子供がいたり、それから、日本の方が進んでいるというのは、医療的ケア児なんかのインクルージョンという意味でいうと、実は日本の方が進んでおります。海外の場合は、意外とそういう重度の医療的ケアが必要なお子さんが普通学級で学べるという例は少ないというふうなお声も聞いたりしております。
いずれにせよ、やはり海外との違いという意味で、一番我々にとって重要なのは、やはりその差別をどう克服するのかという認識の中で学校を運営するということと、日本は一応差別がないということが前提として学校生活が営まれてしまっているために、差別を議論するということ自体が何か決定的なことを議論するかのような構えになってしまって、もうその日常的な改善のサイクルの中に入れないという、何かその問題は非常に大きいのかなという気がいたします。
それともう一つは、やはり日本は一斉授業が非常に機能しております。海外は、やはりグループワークであるとか探求学習みたいなものがもっと中心になっておりますので、それぞれがそれぞれなりに取り組みやすいような部分がございます。
山本先生おっしゃってくださったように、やはりその日本のシステムというのは、第二次産業の中で工場労働者をどうつくるのかという中でかなり発展してきた部分がございまして、ですから、遅刻について厳禁になっておりますし、先生の言うことは聞かなくてはいけないことになっておりますし、聞いたことは最後までしっかりやり遂げなくてはいけない。これは工場労働者としては非常に重要な資質ということになっていることに先生方どなたも御異論のないところだと思うんですが、今、そういう労働自体が非常にしぼんでいたり、工場でも様々な労働能力が必要になっているという状況がありますし、そもそも労働能力を養成することが学校の目的なのかということ自体が問われなくてはならない状況の中で、やはり高度経済成長の日本とは、我々が今いる現在というのは違うということの中でやっぱり学校を考えていかなくちゃいけないと、そういうことを山本先生からの御指摘の中で今考えさせていただきました。
ありがとうございます。
この発言だけを見る →やはり我々は、ともすると、私の説明の仕方もそんなふうになっていたかもしれないんですけれども、海外は良くて、何か日本は悪い、遅れているみたいな、そういう説明の仕方をしてしまうことがよくあって、何かそういうところを先生、補足していただいたのかなと思って、有り難く拝聴いたしました。
これ、海外で、例えば研究をしたり、それから我々のオンラインの会なんかですと、結局オンラインですので、それこそ海外でリアルタイムに参加してくる人たちがいまして、例えば、イタリアのフルインクルーシブ教育について日本の研究者が説明をすると、ともすると非常にきれいな説明をしてしまうんですけれども、そこに海外に住んでいる人が、いや、イタリアにも差別がありますとか、イタリアにも特別支援学校があるんですというような、そういう話がございます。
海外の場合、実は見えやすいのは、様々な移民が顕在化している中で、移民の持っている特性として排除すると、これは民族差別に明らかになってしまうので、これを一種、障害の問題と変換して、障害者差別として排除、周縁化するという、そういう形の差別が非常に深刻化しているんだそうです。ですから、一番そういう意味では取り上げにくい差別が障害者差別というふうになっていて、その問題がまずは違いがあるということだと思います。
それから、海外にもそういう意味での差別がありますので、当然生きにくい子供がいたり、それから、日本の方が進んでいるというのは、医療的ケア児なんかのインクルージョンという意味でいうと、実は日本の方が進んでおります。海外の場合は、意外とそういう重度の医療的ケアが必要なお子さんが普通学級で学べるという例は少ないというふうなお声も聞いたりしております。
いずれにせよ、やはり海外との違いという意味で、一番我々にとって重要なのは、やはりその差別をどう克服するのかという認識の中で学校を運営するということと、日本は一応差別がないということが前提として学校生活が営まれてしまっているために、差別を議論するということ自体が何か決定的なことを議論するかのような構えになってしまって、もうその日常的な改善のサイクルの中に入れないという、何かその問題は非常に大きいのかなという気がいたします。
それともう一つは、やはり日本は一斉授業が非常に機能しております。海外は、やはりグループワークであるとか探求学習みたいなものがもっと中心になっておりますので、それぞれがそれぞれなりに取り組みやすいような部分がございます。
山本先生おっしゃってくださったように、やはりその日本のシステムというのは、第二次産業の中で工場労働者をどうつくるのかという中でかなり発展してきた部分がございまして、ですから、遅刻について厳禁になっておりますし、先生の言うことは聞かなくてはいけないことになっておりますし、聞いたことは最後までしっかりやり遂げなくてはいけない。これは工場労働者としては非常に重要な資質ということになっていることに先生方どなたも御異論のないところだと思うんですが、今、そういう労働自体が非常にしぼんでいたり、工場でも様々な労働能力が必要になっているという状況がありますし、そもそも労働能力を養成することが学校の目的なのかということ自体が問われなくてはならない状況の中で、やはり高度経済成長の日本とは、我々が今いる現在というのは違うということの中でやっぱり学校を考えていかなくちゃいけないと、そういうことを山本先生からの御指摘の中で今考えさせていただきました。
ありがとうございます。
山
山本啓介#13
○山本啓介君 ありがとうございます。私も遅刻は多かった方なんですけれども。
その現状に即してどうするかというよりも、子供というか、その子に対してどうするか、そういう環境づくりが重要だということは今日の話を通じて非常に感じたところであります。ありがとうございました。
次に、大空参考人にお尋ねしたいと思います。
参考人におかれましては、自由民主党の不安と寄り添う政治の勉強会や、又は孤独・孤立対策増進法の成立等々にも大変な御尽力をいただきました。本当に心からの敬意を表したいと思います。
その上で、私もいろいろとお話を伺った経験がありますので、今日もまた改めて聞かせていただいてからの質問をさせていただきたいと思うんですが、具体的に言えば、大変なお取組をいただいていると。
どのような理由があれ、命を落とした子たちがいる、確実に毎年いらっしゃる、十年で四千人に上ると。非常に厳しい現実がそこにあるのと同時に、本人たちが大変悩まれた、そういった人生があったんだなということを感じます。
その上で、一人一人に向き合おうと努力されている参考人の組織の取組はこれNPOでされていますね。それは、非常に限界というか、活動に苦労が多いんだと思うんですけれども、ただ、今、参考人がされている取組がなければどのような結果がまた別に生まれるかといえば、大変恐怖を感じる。このNPOという取組を通じての現状について何か説明があればお願いしたいと思います。
この発言だけを見る →その現状に即してどうするかというよりも、子供というか、その子に対してどうするか、そういう環境づくりが重要だということは今日の話を通じて非常に感じたところであります。ありがとうございました。
次に、大空参考人にお尋ねしたいと思います。
参考人におかれましては、自由民主党の不安と寄り添う政治の勉強会や、又は孤独・孤立対策増進法の成立等々にも大変な御尽力をいただきました。本当に心からの敬意を表したいと思います。
その上で、私もいろいろとお話を伺った経験がありますので、今日もまた改めて聞かせていただいてからの質問をさせていただきたいと思うんですが、具体的に言えば、大変なお取組をいただいていると。
どのような理由があれ、命を落とした子たちがいる、確実に毎年いらっしゃる、十年で四千人に上ると。非常に厳しい現実がそこにあるのと同時に、本人たちが大変悩まれた、そういった人生があったんだなということを感じます。
その上で、一人一人に向き合おうと努力されている参考人の組織の取組はこれNPOでされていますね。それは、非常に限界というか、活動に苦労が多いんだと思うんですけれども、ただ、今、参考人がされている取組がなければどのような結果がまた別に生まれるかといえば、大変恐怖を感じる。このNPOという取組を通じての現状について何か説明があればお願いしたいと思います。
大
大空幸星#14
○参考人(大空幸星君) ありがとうございます。
私たちの活動は、NPO法人としての法人格を持ってやっている活動でありますが、今、例えばNPO法人のこの経営者の平均年齢というのは六十五歳を超えていると言われているんですね。こちらもまた高齢化しています。
起業する若者は増えています。これ、政府もスタートアップ支援をやっています。社会問題に関心を持っている若者たちは、今、NPOを選ばずに株式会社を起業していくわけですね。それは、十年前、十五年前と比べると、VC、ベンチャーキャピタルとか様々な個人投資家、若者にも投資をしていくという土壌が間違いなくできています。
政府も後押しがあります。例えば、先日、株式会社の代表の住所、個人の住所はこれ登記する際に公開しなくていいというようなことで、起業しやすいような環境になりましたね。でも、これは、実はNPO法人は入っていないんですね。株式会社だけを対象にしています。やっぱり株式会社を、平たく申し上げると優遇するということをやってきています。
一方で、今起きている問題というのは、我々には、セーフティーネットは、これ経済合理性が全くありません。ですから、市場の中で経済合理性の外にあって、ただ、問題の普遍性が高いので、また解決も難しいのでやらなければいけないということをこの非営利セクターが担っているわけですね。
でも、今の社会の環境は、間違いなくその非営利セクターへ行く人がいません。ですので、我々は、NPO法人として、例えば、これは、じゃ、行政からの補助金を受けるときにNPO法人とか非営利型の一般社団法人じゃなければいけないみたいな事務的な話はありますが、もう少しマクロな話で、このセーフティーネットを誰が担うのかといったときに、やはり経済合理性を株式会社というのは原則として追い求めていかなくてはならないわけで、そうした組織体では、このNPO法人がやっているような経済合理性のない分野では活動ができない、すなわちセーフティーネットは担えないという我々としては感覚を持っています。
ただ、この数年、我々は非常にNPO法人が行うこのセーフティーネットの活動にはもう限界を感じております。というのは、昨今、先生方御承知のように、様々な不祥事もありました。NPO法人に対して非常に厳しい目が向けられていると思います。ただ、株式会社が何か不祥事を起こしたときに、株式会社が悪いとはならないわけですね。でも、NPOの場合は、とあるAというNPOが仮に何か不祥事があった場合には、NPOが悪いんだということで、NPOには寄附をしてはいけないというような、そういう話が今急速に広がっているのが現状です。
やはり、元々、小さな地域のボランティア団体に法人格を与えようということで、阪神・淡路大震災の後に様々な先生方の御尽力でNPO法ができたはずですけれども、こうした社会を広く捉えていくような、要は地域という概念を超えたセーフティーネットを担っていく、すなわち何億も必要です。従業員もたくさん抱えなくてはいけません。そうした大きなNPOが出てくる、メガNPOみたいなのが出てくるということは、既存のNPO法が恐らく想定をしていなかったんだろうと思うんですね。
一方で、株式会社というものがあるということで、これ非常にこれから重要なのは、株式会社とNPOのやっぱり中間の組織なんですね。これは、様々な、パブリックカンパニーとかいろんな呼び方がありますけれども、株式会社という法人格、NPOという法人格はおいておいてですね、経済合理性のない、すなわち無料でのセーフティーネットみたいなものを支えていきつつ、寄附以外の、すなわち様々な事業によって収益を上げて、その収益の一部を常にこの非営利部門、相談窓口の運営などに充てていくということを株式市場も認めるし、投資家も認めるし、株主も認めるんだというようなことは、やっぱりこれ社会の合意形成が必要ですので、これから検討していかなくてはならない。非常に、非常に厳しいというのが今の感覚ですね。
この発言だけを見る →私たちの活動は、NPO法人としての法人格を持ってやっている活動でありますが、今、例えばNPO法人のこの経営者の平均年齢というのは六十五歳を超えていると言われているんですね。こちらもまた高齢化しています。
起業する若者は増えています。これ、政府もスタートアップ支援をやっています。社会問題に関心を持っている若者たちは、今、NPOを選ばずに株式会社を起業していくわけですね。それは、十年前、十五年前と比べると、VC、ベンチャーキャピタルとか様々な個人投資家、若者にも投資をしていくという土壌が間違いなくできています。
政府も後押しがあります。例えば、先日、株式会社の代表の住所、個人の住所はこれ登記する際に公開しなくていいというようなことで、起業しやすいような環境になりましたね。でも、これは、実はNPO法人は入っていないんですね。株式会社だけを対象にしています。やっぱり株式会社を、平たく申し上げると優遇するということをやってきています。
一方で、今起きている問題というのは、我々には、セーフティーネットは、これ経済合理性が全くありません。ですから、市場の中で経済合理性の外にあって、ただ、問題の普遍性が高いので、また解決も難しいのでやらなければいけないということをこの非営利セクターが担っているわけですね。
でも、今の社会の環境は、間違いなくその非営利セクターへ行く人がいません。ですので、我々は、NPO法人として、例えば、これは、じゃ、行政からの補助金を受けるときにNPO法人とか非営利型の一般社団法人じゃなければいけないみたいな事務的な話はありますが、もう少しマクロな話で、このセーフティーネットを誰が担うのかといったときに、やはり経済合理性を株式会社というのは原則として追い求めていかなくてはならないわけで、そうした組織体では、このNPO法人がやっているような経済合理性のない分野では活動ができない、すなわちセーフティーネットは担えないという我々としては感覚を持っています。
ただ、この数年、我々は非常にNPO法人が行うこのセーフティーネットの活動にはもう限界を感じております。というのは、昨今、先生方御承知のように、様々な不祥事もありました。NPO法人に対して非常に厳しい目が向けられていると思います。ただ、株式会社が何か不祥事を起こしたときに、株式会社が悪いとはならないわけですね。でも、NPOの場合は、とあるAというNPOが仮に何か不祥事があった場合には、NPOが悪いんだということで、NPOには寄附をしてはいけないというような、そういう話が今急速に広がっているのが現状です。
やはり、元々、小さな地域のボランティア団体に法人格を与えようということで、阪神・淡路大震災の後に様々な先生方の御尽力でNPO法ができたはずですけれども、こうした社会を広く捉えていくような、要は地域という概念を超えたセーフティーネットを担っていく、すなわち何億も必要です。従業員もたくさん抱えなくてはいけません。そうした大きなNPOが出てくる、メガNPOみたいなのが出てくるということは、既存のNPO法が恐らく想定をしていなかったんだろうと思うんですね。
一方で、株式会社というものがあるということで、これ非常にこれから重要なのは、株式会社とNPOのやっぱり中間の組織なんですね。これは、様々な、パブリックカンパニーとかいろんな呼び方がありますけれども、株式会社という法人格、NPOという法人格はおいておいてですね、経済合理性のない、すなわち無料でのセーフティーネットみたいなものを支えていきつつ、寄附以外の、すなわち様々な事業によって収益を上げて、その収益の一部を常にこの非営利部門、相談窓口の運営などに充てていくということを株式市場も認めるし、投資家も認めるし、株主も認めるんだというようなことは、やっぱりこれ社会の合意形成が必要ですので、これから検討していかなくてはならない。非常に、非常に厳しいというのが今の感覚ですね。
山
山本啓介#15
○山本啓介君 ありがとうございます。
ちょっと委員会の場ではありますけれども、非常にちょっと抽象的な言い方になって恐縮ですけれども、少し緩やかな、官民の緩やかなつながりというか、そういったハイブリッドな組織体というのが必要なのかなというのを今の説明で伺って感じました。
その上で、恐らく、そうはいうものの、先ほどから百年の歴史のある民生委員制度の話もしていただきましたし、地域の誰かがその存在を知る、それは障害者の方々の暮らす世界でもそうですし、恐らくケアラーの方もヤングケアラーの方もそうだと思いますし、そういう地域にいらっしゃる、日本に暮らす方々がそういったもの、情報を知るということも恐らく重要なのかなというふうに感じました。
最後に、田中参考人にお伺いしたいと思います。
私は、長崎の小さな島を出身としているものですから、非常に、包括ケアの方々が綿密な計画を立てて家族の方の負担が軽減されるような状況をつくっていただく、又は介護の在り方を、快適に過ごせる環境づくりにも非常に親身になって計画を作っていただける、そういう実体験があります。
その上で申し上げれば、各都道府県や自治体で行われているこのケアラー条例、これがそれぞれで行われているところに、全てを見られているわけではないかもしれませんけれども、凸凹があると暮らす場所によって考え方や価値観というのが異なるような状況が生まれるんじゃないか、そういうことも考えますし、もう一つは、今日、支える人を支えるという説明がありましたけれども、その支える人を支えるための聞く場所、傾聴する場所、そのカウンセリングのスキルとか、そういったものも今後重要になっていくんだと思いますけれども、そういった部分について、何か加えて説明があればお願いしたいと思います。
この発言だけを見る →ちょっと委員会の場ではありますけれども、非常にちょっと抽象的な言い方になって恐縮ですけれども、少し緩やかな、官民の緩やかなつながりというか、そういったハイブリッドな組織体というのが必要なのかなというのを今の説明で伺って感じました。
その上で、恐らく、そうはいうものの、先ほどから百年の歴史のある民生委員制度の話もしていただきましたし、地域の誰かがその存在を知る、それは障害者の方々の暮らす世界でもそうですし、恐らくケアラーの方もヤングケアラーの方もそうだと思いますし、そういう地域にいらっしゃる、日本に暮らす方々がそういったもの、情報を知るということも恐らく重要なのかなというふうに感じました。
最後に、田中参考人にお伺いしたいと思います。
私は、長崎の小さな島を出身としているものですから、非常に、包括ケアの方々が綿密な計画を立てて家族の方の負担が軽減されるような状況をつくっていただく、又は介護の在り方を、快適に過ごせる環境づくりにも非常に親身になって計画を作っていただける、そういう実体験があります。
その上で申し上げれば、各都道府県や自治体で行われているこのケアラー条例、これがそれぞれで行われているところに、全てを見られているわけではないかもしれませんけれども、凸凹があると暮らす場所によって考え方や価値観というのが異なるような状況が生まれるんじゃないか、そういうことも考えますし、もう一つは、今日、支える人を支えるという説明がありましたけれども、その支える人を支えるための聞く場所、傾聴する場所、そのカウンセリングのスキルとか、そういったものも今後重要になっていくんだと思いますけれども、そういった部分について、何か加えて説明があればお願いしたいと思います。
田
田中悠美子#16
○参考人(田中悠美子君) 御質問ありがとうございます。
条例が二十か所の自治体でできて、様々な先進的な取組がなされて、計画に基づいて予算や人が付いて展開されていくってとっても重要だなというふうに感じております。
特に、私、埼玉県の事業に関わることが多いんですけれども、やはり、先ほどの学校での出前講座というところも、本当に、子供たちにも伝えてまず知ってもらうという取組もありますし、先生方にも職員会議の一部を使って研修をするなんということもあるので、条例があることで本当に具体的に進んでいくんだなというふうに思いますが、やはり、凸凹といいますか、この地域ではどんどん進んで、じゃ、一歩この境でこっちに行くとそういった支援が得られないというようなことも生じてしまうので、もっと広くやっぱり法制化というところが求められるというふうに思っています。
あと、その支える人を支える、支援者支援、ケアする人を支えるというところもあるんですけど、支援者支援のところというところですよね。こちらも、やはり子供の、府中市においては、要保護児童対策地域協議会の方と連携しながらヤングケアラーさん、若者ケアラーさん支えていく仕組みがあるんですけど、そもそもその虐待の対応なさっている方のワーカーさんが本当にお忙しい状況もあると思います。その中で、新たなまた視点が入って、またちょっと緩急付けながらサポートをしていくことも求められるので、虐待の対応と同様に話を進めてしまうと関係がなかなか構築できなかったりという問題もあるのかなと感じています。
そうすると、ケアマネジャーさんですとかそういった立場の方も含めて、やはりこのたくさんのケースの方と向き合いながら、本当にお忙しい中で家族のことも目くばせしてというのは限界があるのではないかなというふうに思うので、そういったその支援者の方を支える機会、研修等だけではなくて、本当に人員体制ですとか介護報酬ですとか、そういったところの検討というのはもう本当に必要だなというふうに感じております。
以上です。
この発言だけを見る →条例が二十か所の自治体でできて、様々な先進的な取組がなされて、計画に基づいて予算や人が付いて展開されていくってとっても重要だなというふうに感じております。
特に、私、埼玉県の事業に関わることが多いんですけれども、やはり、先ほどの学校での出前講座というところも、本当に、子供たちにも伝えてまず知ってもらうという取組もありますし、先生方にも職員会議の一部を使って研修をするなんということもあるので、条例があることで本当に具体的に進んでいくんだなというふうに思いますが、やはり、凸凹といいますか、この地域ではどんどん進んで、じゃ、一歩この境でこっちに行くとそういった支援が得られないというようなことも生じてしまうので、もっと広くやっぱり法制化というところが求められるというふうに思っています。
あと、その支える人を支える、支援者支援、ケアする人を支えるというところもあるんですけど、支援者支援のところというところですよね。こちらも、やはり子供の、府中市においては、要保護児童対策地域協議会の方と連携しながらヤングケアラーさん、若者ケアラーさん支えていく仕組みがあるんですけど、そもそもその虐待の対応なさっている方のワーカーさんが本当にお忙しい状況もあると思います。その中で、新たなまた視点が入って、またちょっと緩急付けながらサポートをしていくことも求められるので、虐待の対応と同様に話を進めてしまうと関係がなかなか構築できなかったりという問題もあるのかなと感じています。
そうすると、ケアマネジャーさんですとかそういった立場の方も含めて、やはりこのたくさんのケースの方と向き合いながら、本当にお忙しい中で家族のことも目くばせしてというのは限界があるのではないかなというふうに思うので、そういったその支援者の方を支える機会、研修等だけではなくて、本当に人員体制ですとか介護報酬ですとか、そういったところの検討というのはもう本当に必要だなというふうに感じております。
以上です。
山
福
田
田名部匡代#19
○田名部匡代君 立憲民主・社民の田名部匡代です。
三名の参考人の皆様、今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
まだまだ時間が皆さんにとっても足りなかったのではないかなというふうに思いましたし、聞いている私ももっとお話を伺いたかったなという思いで聞かせていただきました。限られた時間ですけれども、何問か質問させていただきたいというふうに思います。
まずは、小国先生にお伺いをいたします。
私も、こうした教育の現場におけるある意味分断というものが、結果として社会全体の終わりのない分断につながっていくことがあってはならないというふうに思っています。ただ一方で、先生が冒頭おっしゃったように、障害児を持つ保護者の側も特別支援学級を求めてきているという事実もあるわけですよね。
私も、障害児を持つ保護者の方とお話をさせていただく機会、これまでも何度かありました。普通の、通常の学級に通いたいと言って断られたケースももちろんあります。例えば、車椅子には対応していませんだとか、ちょっとひどいなと思うような断られ方したケースもありますし、逆に言うと、普通学級に通わせることは不安、また、何か差別やいじめを受けるんじゃないだろうか、学業に、その授業に付いていけないんじゃないだろうか、だとすれば、そうではない形で学びたいという方も、まあいろいろ考え方はあると思うんです。
しかしながら、先生が様々これまでも御指摘されているように、日本におけるそのインクルーシブの教育の考え方は、やはり国連とはちょっと違いがある。誰もが同じに、一緒に学べるような環境をつくっていきましょうねということではなくて、まあ聞こえよく言えば、一人一人に対応できる学びの場を提供するのが我々の役割じゃないかというのが日本のある意味考え方なのではないかなというふうに思っています。
これを解消していくためには、例えば教職員の働き方の改革もそうですし、競争だとか効率というものを優先する教育の在り方の問題も変えていかなければならないというふうに思いますし、当然、社会全体の意識というものも変えていかなければならないというふうに思っています。
様々な課題が山積する中で、やはり先生はどういったことにまずは我々が取り組んでいくべきだと、政治の側で取り組んでいくべきだということをお考えなのかということと、あわせて、資料の十七ページ、過剰な医療化の進行ということについて一言だけお伺いしておきたいと思いますが、「子どもの心とからだ」という日本小児心身医学会雑誌、これ先生の御講演を掲載されたものだと思いますけれども、そこの結びの部分にも書かれているんですが、医療と教育が新たな協働関係の下で子供の生育環境を再検討する課題というものが浮かび上がってきているのではないかということをお話しになっておられます。是非、この過剰な医療化の問題に対して今後どういう取組をするべきなのか、その医療と教育の協働という、どういう形で何を再検討していくべきだとお考えなのか、伺いたいと思います。ヤジ
この発言だけを見る →三名の参考人の皆様、今日はお忙しい中、本当にありがとうございました。
まだまだ時間が皆さんにとっても足りなかったのではないかなというふうに思いましたし、聞いている私ももっとお話を伺いたかったなという思いで聞かせていただきました。限られた時間ですけれども、何問か質問させていただきたいというふうに思います。
まずは、小国先生にお伺いをいたします。
私も、こうした教育の現場におけるある意味分断というものが、結果として社会全体の終わりのない分断につながっていくことがあってはならないというふうに思っています。ただ一方で、先生が冒頭おっしゃったように、障害児を持つ保護者の側も特別支援学級を求めてきているという事実もあるわけですよね。
私も、障害児を持つ保護者の方とお話をさせていただく機会、これまでも何度かありました。普通の、通常の学級に通いたいと言って断られたケースももちろんあります。例えば、車椅子には対応していませんだとか、ちょっとひどいなと思うような断られ方したケースもありますし、逆に言うと、普通学級に通わせることは不安、また、何か差別やいじめを受けるんじゃないだろうか、学業に、その授業に付いていけないんじゃないだろうか、だとすれば、そうではない形で学びたいという方も、まあいろいろ考え方はあると思うんです。
しかしながら、先生が様々これまでも御指摘されているように、日本におけるそのインクルーシブの教育の考え方は、やはり国連とはちょっと違いがある。誰もが同じに、一緒に学べるような環境をつくっていきましょうねということではなくて、まあ聞こえよく言えば、一人一人に対応できる学びの場を提供するのが我々の役割じゃないかというのが日本のある意味考え方なのではないかなというふうに思っています。
これを解消していくためには、例えば教職員の働き方の改革もそうですし、競争だとか効率というものを優先する教育の在り方の問題も変えていかなければならないというふうに思いますし、当然、社会全体の意識というものも変えていかなければならないというふうに思っています。
様々な課題が山積する中で、やはり先生はどういったことにまずは我々が取り組んでいくべきだと、政治の側で取り組んでいくべきだということをお考えなのかということと、あわせて、資料の十七ページ、過剰な医療化の進行ということについて一言だけお伺いしておきたいと思いますが、「子どもの心とからだ」という日本小児心身医学会雑誌、これ先生の御講演を掲載されたものだと思いますけれども、そこの結びの部分にも書かれているんですが、医療と教育が新たな協働関係の下で子供の生育環境を再検討する課題というものが浮かび上がってきているのではないかということをお話しになっておられます。是非、この過剰な医療化の問題に対して今後どういう取組をするべきなのか、その医療と教育の協働という、どういう形で何を再検討していくべきだとお考えなのか、伺いたいと思います。ヤジ
小
小国喜弘#20
○参考人(小国喜弘君) 済みません、無礼を申し訳ございません。もう本当に慣れていなくてごめんなさい。本当に非常に、何かその田名部先生が今御質問いただいたことの、すごい本質的で難しい問題をいただいた、その興奮で手を挙げるということすら忘れてしまうような状況でした。
もう本当にそのこと、まずは、これはやっぱり、まあいろいろあり得る、政治の、先ほど申し上げたようなことの一つ一つが政治で取り上げていただけたら有り難いなと思ったことなんですけれども、例えば、その施策として言いますと、その学力調査を悉皆から抽出に落としていただくとか、この辺りは予算の削減にもなると思いますし、本当に今全ての学校が競争しなきゃいけないのかということの中でやはり取り組んでいただければ。
それから、やはり子供の人権の問題、この子供の人権が毀損されている状況の中に、実は教師の人権も毀損されているという、何かそういう問題が隠されているように思いますので、これやっぱり学校は、子供が、一人一人の子供がその子らしく育ったり学んだりできる、そういう場であるべきだということは誰しも疑わないのだとすれば、やはり子供の学習権が保障されるべきであり、それはひいてはやっぱり子供の人権が学校の中で守られるということが何か一番大事で、ここが、本当に我々は、そういう意味で、工場労働者を育てるかのように様々な規制を、学校教育は社会とはちょっと違う特別な訓練機関であるかのようにして正当化してきたという現状があるような気がいたします。是非、子供のこの基本法が学校生活の中でどういうふうに具体化されればいいのかということがあるような気がします。
もう一つ余計なことを申し上げますと、これお叱り受けるかもしれませんが、やはりインクルーシブ教育を文科省の特別支援教育課が所管してしまっているということの限界は意外なほど大きいと思います。やはり、特別支援教育課が所管してしまえば、障害児教育の問題にしかならないわけです。ですから、この所管をやっぱり変えていただくということは、これは是非お取り組みいただけたら有り難いなというふうに思っているところです。
もう一つ、医療と教育のというところで、私が講演させていただいたところの香川県の牛田先生という医師の方は、もう投薬を中心にするのではなくて、実は発達障害の、その先生は、八割が社会的障害、二次的障害だというふうにおっしゃいます。今の時代でいえば、お母さんが非常に社会的に、それは近所の目であったり、おじいちゃん、おばあちゃん、香川ですから、やっぱり三世帯が多いんだそうです。おじいちゃん、おばあちゃんの目であったり、旦那の、そういう配偶者の目であったり、いろんな目の中でもうしんどい思いをしているそのしんどさが、やはり子供に抑圧移譲になってしまっていると。子供がやはり思うとおりにならないということが自分の失敗であるかのように責め立てられることが問題を複雑化している。
だから、お母さんをまず呼んで、お母さんが少し距離を取って子供と対せるようなそういうトレーニングプログラムを一年間のものを作っていらっしゃいまして、それは、香川であるにもかかわらず、全国から患者さんが押し寄せてなかなか予約も取れないという状況になっているそうですが、今度は、なかなかやはりそれは医学界の中で認知されるかというと、これも、済みません、語弊があったら恐縮ですが、国連の子どもの権利委員会も日本に対して勧告する中で、発達障害の研究をやっぱり製薬会社と切り離して行えという勧告をしております。この問題がもう一つ、実は非常に複雑な問題をはらませているのではないかというふうに危惧するところです。
出させていただいたその学会は、三日間、私、オンラインだったので視聴しましたけれども、こんなことを国会で申し上げたらお叱りを後で受けるのかもしれません、済みません、これはもう個人の体験ということで一つの事例としてお伝えしたいんですけれども、薬害について研究発表している事例は一件もございませんでした。薬の効能について研究している研究発表はたくさんございました。で、ふと見ると、実は学会のパンフレットなんかにはその製薬会社が協賛しているという、そういうものがあるわけです。
ですから、やはり製薬会社がいろんな形で医学界を支えてしまっているというこの現状が、恐らくこれはアメリカも同じ問題が起きているというふうに伺っていますけれども、やはりこういう問題の背景にある可能性があるということは、幾つも本も出ている状況ではあるんですけれども、そんなことも少し共有をさせていただきたいなと思いました。
この発言だけを見る →もう本当にそのこと、まずは、これはやっぱり、まあいろいろあり得る、政治の、先ほど申し上げたようなことの一つ一つが政治で取り上げていただけたら有り難いなと思ったことなんですけれども、例えば、その施策として言いますと、その学力調査を悉皆から抽出に落としていただくとか、この辺りは予算の削減にもなると思いますし、本当に今全ての学校が競争しなきゃいけないのかということの中でやはり取り組んでいただければ。
それから、やはり子供の人権の問題、この子供の人権が毀損されている状況の中に、実は教師の人権も毀損されているという、何かそういう問題が隠されているように思いますので、これやっぱり学校は、子供が、一人一人の子供がその子らしく育ったり学んだりできる、そういう場であるべきだということは誰しも疑わないのだとすれば、やはり子供の学習権が保障されるべきであり、それはひいてはやっぱり子供の人権が学校の中で守られるということが何か一番大事で、ここが、本当に我々は、そういう意味で、工場労働者を育てるかのように様々な規制を、学校教育は社会とはちょっと違う特別な訓練機関であるかのようにして正当化してきたという現状があるような気がいたします。是非、子供のこの基本法が学校生活の中でどういうふうに具体化されればいいのかということがあるような気がします。
もう一つ余計なことを申し上げますと、これお叱り受けるかもしれませんが、やはりインクルーシブ教育を文科省の特別支援教育課が所管してしまっているということの限界は意外なほど大きいと思います。やはり、特別支援教育課が所管してしまえば、障害児教育の問題にしかならないわけです。ですから、この所管をやっぱり変えていただくということは、これは是非お取り組みいただけたら有り難いなというふうに思っているところです。
もう一つ、医療と教育のというところで、私が講演させていただいたところの香川県の牛田先生という医師の方は、もう投薬を中心にするのではなくて、実は発達障害の、その先生は、八割が社会的障害、二次的障害だというふうにおっしゃいます。今の時代でいえば、お母さんが非常に社会的に、それは近所の目であったり、おじいちゃん、おばあちゃん、香川ですから、やっぱり三世帯が多いんだそうです。おじいちゃん、おばあちゃんの目であったり、旦那の、そういう配偶者の目であったり、いろんな目の中でもうしんどい思いをしているそのしんどさが、やはり子供に抑圧移譲になってしまっていると。子供がやはり思うとおりにならないということが自分の失敗であるかのように責め立てられることが問題を複雑化している。
だから、お母さんをまず呼んで、お母さんが少し距離を取って子供と対せるようなそういうトレーニングプログラムを一年間のものを作っていらっしゃいまして、それは、香川であるにもかかわらず、全国から患者さんが押し寄せてなかなか予約も取れないという状況になっているそうですが、今度は、なかなかやはりそれは医学界の中で認知されるかというと、これも、済みません、語弊があったら恐縮ですが、国連の子どもの権利委員会も日本に対して勧告する中で、発達障害の研究をやっぱり製薬会社と切り離して行えという勧告をしております。この問題がもう一つ、実は非常に複雑な問題をはらませているのではないかというふうに危惧するところです。
出させていただいたその学会は、三日間、私、オンラインだったので視聴しましたけれども、こんなことを国会で申し上げたらお叱りを後で受けるのかもしれません、済みません、これはもう個人の体験ということで一つの事例としてお伝えしたいんですけれども、薬害について研究発表している事例は一件もございませんでした。薬の効能について研究している研究発表はたくさんございました。で、ふと見ると、実は学会のパンフレットなんかにはその製薬会社が協賛しているという、そういうものがあるわけです。
ですから、やはり製薬会社がいろんな形で医学界を支えてしまっているというこの現状が、恐らくこれはアメリカも同じ問題が起きているというふうに伺っていますけれども、やはりこういう問題の背景にある可能性があるということは、幾つも本も出ている状況ではあるんですけれども、そんなことも少し共有をさせていただきたいなと思いました。
田
田名部匡代#21
○田名部匡代君 大変貴重な御意見伺わせていただきまして、ありがとうございました。
次に、大空参考人にお伺いをしたいと思います。
二年前でしたでしょうか、現場、私たち視察に行かせていただいたときもいろいろお話を聞かせていただきました。
非常にほかと違う大事なところは、今、国も予算をたくさん付けていろんな相談窓口をつくっています。ただ、五時で終わってしまう。まさに働いている人たちはなかなかそんな時間には相談できないし、帰ってきて一番悩みを相談したい時間にはもう窓口が開いていない。それを二十四時間三百六十五日対応できる、そういう環境をつくったというのは、本当に私は命を守るという意味においても必要だというふうに思っています。
それで、朝日新聞のこれインタビューの記事に、去年の八月ですね、相談支援が制度化されていないことも大きな課題だと感じるというふうに御意見述べられているんですね。ちょっとこのことについて具体的にお伺いをしたいのと、相談員を相当数抱えていらっしゃる。これは専門性を、何というか、高めるというか、専門的な知識を持った人材を育てるために何らかの特別な、何というかな、対応されているのか。人とつながる、相談をする場所があるということが大事なんだと思うんですけれども、それを受ける側の相談員への支援であるとか教育であるとか、そういったことはどんなふうに取り組んでいらっしゃるのかという、ちょっと具体的なことを教えていただければと思います。
この発言だけを見る →次に、大空参考人にお伺いをしたいと思います。
二年前でしたでしょうか、現場、私たち視察に行かせていただいたときもいろいろお話を聞かせていただきました。
非常にほかと違う大事なところは、今、国も予算をたくさん付けていろんな相談窓口をつくっています。ただ、五時で終わってしまう。まさに働いている人たちはなかなかそんな時間には相談できないし、帰ってきて一番悩みを相談したい時間にはもう窓口が開いていない。それを二十四時間三百六十五日対応できる、そういう環境をつくったというのは、本当に私は命を守るという意味においても必要だというふうに思っています。
それで、朝日新聞のこれインタビューの記事に、去年の八月ですね、相談支援が制度化されていないことも大きな課題だと感じるというふうに御意見述べられているんですね。ちょっとこのことについて具体的にお伺いをしたいのと、相談員を相当数抱えていらっしゃる。これは専門性を、何というか、高めるというか、専門的な知識を持った人材を育てるために何らかの特別な、何というかな、対応されているのか。人とつながる、相談をする場所があるということが大事なんだと思うんですけれども、それを受ける側の相談員への支援であるとか教育であるとか、そういったことはどんなふうに取り組んでいらっしゃるのかという、ちょっと具体的なことを教えていただければと思います。
大
大空幸星#22
○参考人(大空幸星君) ありがとうございます。
制度化されていない、相談支援がというのは、頼ることが恥ずかしいとか相談することは負けだといったいわゆるスティグマをどうなくしていくかというような議論の中出てきた話なんですね。
というのは、例えば介護について、間違いなく半世紀以上前には、家族以外がケアをすることなんというのは近所の人に知られたら恥ずかしいとか、やっぱりそれはあり得ないというようないわゆるスティグマが間違いなくあったはずなんです。ただ、介護保険事業という制度ができたことによって、今、例えば、じゃ、ケアマネさんが入ってくる、ヘルパーさんが入っているのを、ちょっと公園とかどこか遠くに止めて歩いてきてください、見られるの恥ずかしいんでみたいなことは恐らくほとんど起きていないはずなんですね。これは、制度ができたことによってスティグマがなくなったという非常にいい例だと思います。
ほかにも、例えば年金をもらうのに恥ずかしいと思っている人は恐らくほとんどいないはずです。これは、自分たちが負担をしていって、そして当然制度として受けていく、受益者としてその制度を享受していくんだというような感覚があるからです。
ですから、スティグマをなくす、その頼ることが恥ずかしいとか相談できないんだ、これだけ支援制度があっても届かないという問題を解決するというときに、文化的なアプローチとやっぱり制度的なアプローチがあって、その制度的なアプローチといったときに、今、例えば具体的な不登校支援とか、ヤングケアラーもそうかもしれませんけれども、その個別の問題については、これはやっぱりある程度制度的に対応されていって行政が入っていくわけですけれども、それらはやっぱりあくまで非常に重層的なものであって、我々のようなこのボランタリーベースの相談窓口というのは、実は一番最初の入口と最後の出口というのを残念ながら担っているという現状があって、ここは完全にもう市民がボランティアでやって、それにあくまで行政が毎年単年助成で取りあえず補助をしていただくと、そしてそれも当然足りないよというような現状がもうずうっと続いてきたわけですね。
これを解決していくためには、例えば単年助成からの脱却ということもあるでしょうし、今度、これは例えば、じゃ、国民が負担してとかという話になると、またそれは議論が大きくなっていきますので、そうではなくて、自分たちが相談窓口を実は、金銭的かもしれませんけど担っているんだというような感覚を多くの人に持っていただく必要あるんだろうと思うんです。そのためには、やはり、相談窓口というのが何をやっているのか、どういう効果を出していてどういう役割を果たしているのかって、やっぱりもっと明確にするべきなんですね。
今、相談窓口幾つかあります。でも、例えば、これは具体的な例ではありませんけれども、じゃ、一年間に三十万件相談に応じているAという団体と、一年間に三千件応じているBという団体、これは、実はBという団体とAという団体は全く同じ金額、若しくはBという団体の方が多く予算をもらえるというような今仕組みになっているわけですね。ですから、効果がどこにあるのか、役割が何なのか、いま一度しっかり定義するべきです。
我々も、自殺防止対策事業という厚生労働省の予算でこの窓口をやっていますが、でも、その中には、当然、文科省の所管のものもあればこども家庭庁の所管のものもあれば、若しくは、今、在外邦人といって海外に住んでいる日本人からの相談も毎月四百件程度ありますから、これは今度外務省の所管になるわけですね、こうしたものも受けていく。だから、一体何の役割を果たしているのかなというところをやっぱりもっと明確に示して、効果を示していかなきゃいけないんだろうと思います。
その延長で、じゃ、具体的に相談員にはどういったスキルが求められているのかなというこのスキルセットが初めてそこで可能になってくるんですね。
今は、チャット相談窓口というのは、座間市で数年前に起きました、二〇一五年だったと思いますが、九遺体殺害事件と、犯人の白石という男は、SNSで死にたいとつぶやいている若者や子供たちに声をDM、ダイレクトメッセージで掛けて、家に連れ込んで九人殺害したわけですね。あの後からSNS相談というのは発展してきたんです。ですから、本当に十年もたっていないわけですね。なので、チャット相談やSNS相談、この文字を使った相談で一体どういった傾聴のスキルとかカウンセリングの技術が必要なのかなって、これはまだ確立したものはありません。
なので、私たちは日々、例えばこれは精神科医の方もそうです、SNS相談のある程度研究をされておられる研究者の方もいらっしゃいます、そうした方々をお招きをしてこの我々の研修の制度というのを監修をしていただくんですね。
今は、書類選考があって、そして面接があって、その後には我々はこのオンデマンドのオンラインの研修があります、これを大体四十時間ぐらいやっていただいて、その後実地研修に入っていくみたいな、そういう一連のプロセスの中でどんどんどんどん我々としては必要なスキルというのを探し出して、授けていって、そしてどんどんアップデートしていくということを今繰り返しているという。
だから、非常に各団体も、全く教えている内容も違うし哲学も違う。例えば我々だと、傾聴もそうだけれども、地域へのつなぎ、児童相談所へのリファー、こういったこともやらなきゃいけないと思っていますけれども、同じように相談窓口やっている団体さんでは、やっぱり傾聴で終わらすべきだというところもあるんです。
だから、同じこの例えば厚生労働省の予算を受けている団体の中でも、役割も違うければやっていることも目的も全然ばらばらと。それがいいという御意見もあると思いますけれども、やっぱりこれ、予算が入っている以上は明確にしていく必要があるんだろうとは思いますね。
この発言だけを見る →制度化されていない、相談支援がというのは、頼ることが恥ずかしいとか相談することは負けだといったいわゆるスティグマをどうなくしていくかというような議論の中出てきた話なんですね。
というのは、例えば介護について、間違いなく半世紀以上前には、家族以外がケアをすることなんというのは近所の人に知られたら恥ずかしいとか、やっぱりそれはあり得ないというようないわゆるスティグマが間違いなくあったはずなんです。ただ、介護保険事業という制度ができたことによって、今、例えば、じゃ、ケアマネさんが入ってくる、ヘルパーさんが入っているのを、ちょっと公園とかどこか遠くに止めて歩いてきてください、見られるの恥ずかしいんでみたいなことは恐らくほとんど起きていないはずなんですね。これは、制度ができたことによってスティグマがなくなったという非常にいい例だと思います。
ほかにも、例えば年金をもらうのに恥ずかしいと思っている人は恐らくほとんどいないはずです。これは、自分たちが負担をしていって、そして当然制度として受けていく、受益者としてその制度を享受していくんだというような感覚があるからです。
ですから、スティグマをなくす、その頼ることが恥ずかしいとか相談できないんだ、これだけ支援制度があっても届かないという問題を解決するというときに、文化的なアプローチとやっぱり制度的なアプローチがあって、その制度的なアプローチといったときに、今、例えば具体的な不登校支援とか、ヤングケアラーもそうかもしれませんけれども、その個別の問題については、これはやっぱりある程度制度的に対応されていって行政が入っていくわけですけれども、それらはやっぱりあくまで非常に重層的なものであって、我々のようなこのボランタリーベースの相談窓口というのは、実は一番最初の入口と最後の出口というのを残念ながら担っているという現状があって、ここは完全にもう市民がボランティアでやって、それにあくまで行政が毎年単年助成で取りあえず補助をしていただくと、そしてそれも当然足りないよというような現状がもうずうっと続いてきたわけですね。
これを解決していくためには、例えば単年助成からの脱却ということもあるでしょうし、今度、これは例えば、じゃ、国民が負担してとかという話になると、またそれは議論が大きくなっていきますので、そうではなくて、自分たちが相談窓口を実は、金銭的かもしれませんけど担っているんだというような感覚を多くの人に持っていただく必要あるんだろうと思うんです。そのためには、やはり、相談窓口というのが何をやっているのか、どういう効果を出していてどういう役割を果たしているのかって、やっぱりもっと明確にするべきなんですね。
今、相談窓口幾つかあります。でも、例えば、これは具体的な例ではありませんけれども、じゃ、一年間に三十万件相談に応じているAという団体と、一年間に三千件応じているBという団体、これは、実はBという団体とAという団体は全く同じ金額、若しくはBという団体の方が多く予算をもらえるというような今仕組みになっているわけですね。ですから、効果がどこにあるのか、役割が何なのか、いま一度しっかり定義するべきです。
我々も、自殺防止対策事業という厚生労働省の予算でこの窓口をやっていますが、でも、その中には、当然、文科省の所管のものもあればこども家庭庁の所管のものもあれば、若しくは、今、在外邦人といって海外に住んでいる日本人からの相談も毎月四百件程度ありますから、これは今度外務省の所管になるわけですね、こうしたものも受けていく。だから、一体何の役割を果たしているのかなというところをやっぱりもっと明確に示して、効果を示していかなきゃいけないんだろうと思います。
その延長で、じゃ、具体的に相談員にはどういったスキルが求められているのかなというこのスキルセットが初めてそこで可能になってくるんですね。
今は、チャット相談窓口というのは、座間市で数年前に起きました、二〇一五年だったと思いますが、九遺体殺害事件と、犯人の白石という男は、SNSで死にたいとつぶやいている若者や子供たちに声をDM、ダイレクトメッセージで掛けて、家に連れ込んで九人殺害したわけですね。あの後からSNS相談というのは発展してきたんです。ですから、本当に十年もたっていないわけですね。なので、チャット相談やSNS相談、この文字を使った相談で一体どういった傾聴のスキルとかカウンセリングの技術が必要なのかなって、これはまだ確立したものはありません。
なので、私たちは日々、例えばこれは精神科医の方もそうです、SNS相談のある程度研究をされておられる研究者の方もいらっしゃいます、そうした方々をお招きをしてこの我々の研修の制度というのを監修をしていただくんですね。
今は、書類選考があって、そして面接があって、その後には我々はこのオンデマンドのオンラインの研修があります、これを大体四十時間ぐらいやっていただいて、その後実地研修に入っていくみたいな、そういう一連のプロセスの中でどんどんどんどん我々としては必要なスキルというのを探し出して、授けていって、そしてどんどんアップデートしていくということを今繰り返しているという。
だから、非常に各団体も、全く教えている内容も違うし哲学も違う。例えば我々だと、傾聴もそうだけれども、地域へのつなぎ、児童相談所へのリファー、こういったこともやらなきゃいけないと思っていますけれども、同じように相談窓口やっている団体さんでは、やっぱり傾聴で終わらすべきだというところもあるんです。
だから、同じこの例えば厚生労働省の予算を受けている団体の中でも、役割も違うければやっていることも目的も全然ばらばらと。それがいいという御意見もあると思いますけれども、やっぱりこれ、予算が入っている以上は明確にしていく必要があるんだろうとは思いますね。
田
田名部匡代#23
○田名部匡代君 済みません、ありがとうございました。
田中参考人、ごめんなさい。時間がなくなってしまって、質問準備していたんですけど、また最後、時間があったらお伺いしたいと思います。
ありがとうございました。
この発言だけを見る →田中参考人、ごめんなさい。時間がなくなってしまって、質問準備していたんですけど、また最後、時間があったらお伺いしたいと思います。
ありがとうございました。
福
三
三浦信祐#25
○三浦信祐君 公明党の三浦信祐でございます。
参考人の皆様には、本当に貴重なお話をいただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。
大変直截的なお話であったので、適切な質問ができるかどうかというのもちょっと考えながらではありますけれども、何点か教えていただきたいと思います。
まず、私自身、障害に特化したこの日本の制度があるというところはもうよく感じるところです。
一方で、インクルーシブ教育というのは何かのきっかけがやっぱり必要だということもあって、私自身も、地元の横浜で、障害があるお子さんが車の中で、学校へ通っている、友達もたくさんできていると。で、フロアが中学校の中なのでバリアフリーじゃなかった。そういうときに、今度その重たい車をみんなで持って、そして授業のインターバルが短いけど、重いのをみんなで手伝って次の階へ行って、一人取り残さないなんというのは、大人がわざわざ言わなくてもそういうもんだという構築ができていた。今度、そこにエレベーターを付けるということに携わらせていただいたら、スピードがもう全然変わる。そうすると、逆にいろんなことをその子から学んだりをする機会が増えるということで、大人が思っている以上にきっかけ、機会をつくるということはとても大事だなということをあらゆるところで今学ばせていただいていると思います。その上で、先ほどの学校の閉塞感という言葉は大変苦しい思いに立つところであります。
そういう中にあって、教育という部分で考えると、先ほど田名部先生もありましたけれども、学びというのは当然いろんな学問的要素、これもやることも大事だと思いますけれども、これ、学ぶということは、生きるために必要な学問、例えば、何かあったときに行政のシステムがありますよ、何かあったときに相談というのができるんですよ、何かあったときに本当にみんなで助け合うということが大事なんですよとか。また、加えて、金融政策、将来の自分の設計という部分もあるんですよと。これ全部学校の先生がやるというのはなかなか大変ではありますけれども、本来、生きていくために、伸び伸びと、どのような状況でも生きていくための社会をつくるというのは、それこそが教育の一端でもあると思います。
そういう問題意識はありながら、一方で学習指導要領というこのがっちりしたシステムがあって、それが日本の経済も支えてきたということもあるんですけれども、この辺を今後どう開いていったらいいか、またそれが将来のお子さんにとっても、また我が国にとってもいいんではないかと私は思うんですけれども、これについて先生のお考え方を伺いたいと思います。
この発言だけを見る →参考人の皆様には、本当に貴重なお話をいただきましたことに心から感謝を申し上げたいと思います。
大変直截的なお話であったので、適切な質問ができるかどうかというのもちょっと考えながらではありますけれども、何点か教えていただきたいと思います。
まず、私自身、障害に特化したこの日本の制度があるというところはもうよく感じるところです。
一方で、インクルーシブ教育というのは何かのきっかけがやっぱり必要だということもあって、私自身も、地元の横浜で、障害があるお子さんが車の中で、学校へ通っている、友達もたくさんできていると。で、フロアが中学校の中なのでバリアフリーじゃなかった。そういうときに、今度その重たい車をみんなで持って、そして授業のインターバルが短いけど、重いのをみんなで手伝って次の階へ行って、一人取り残さないなんというのは、大人がわざわざ言わなくてもそういうもんだという構築ができていた。今度、そこにエレベーターを付けるということに携わらせていただいたら、スピードがもう全然変わる。そうすると、逆にいろんなことをその子から学んだりをする機会が増えるということで、大人が思っている以上にきっかけ、機会をつくるということはとても大事だなということをあらゆるところで今学ばせていただいていると思います。その上で、先ほどの学校の閉塞感という言葉は大変苦しい思いに立つところであります。
そういう中にあって、教育という部分で考えると、先ほど田名部先生もありましたけれども、学びというのは当然いろんな学問的要素、これもやることも大事だと思いますけれども、これ、学ぶということは、生きるために必要な学問、例えば、何かあったときに行政のシステムがありますよ、何かあったときに相談というのができるんですよ、何かあったときに本当にみんなで助け合うということが大事なんですよとか。また、加えて、金融政策、将来の自分の設計という部分もあるんですよと。これ全部学校の先生がやるというのはなかなか大変ではありますけれども、本来、生きていくために、伸び伸びと、どのような状況でも生きていくための社会をつくるというのは、それこそが教育の一端でもあると思います。
そういう問題意識はありながら、一方で学習指導要領というこのがっちりしたシステムがあって、それが日本の経済も支えてきたということもあるんですけれども、この辺を今後どう開いていったらいいか、またそれが将来のお子さんにとっても、また我が国にとってもいいんではないかと私は思うんですけれども、これについて先生のお考え方を伺いたいと思います。
小
小国喜弘#26
○参考人(小国喜弘君) ありがとうございます。
三浦先生、ありがとうございます。
やっぱり、今先生から御質問いただいた問題が、学校教育の中の一番非常に、何ですか、固い、何とも変わらない部分になっているような気がいたします。
不思議な気がいたしますのは、憲法であるとか教育基本法のレベルであると、必ずしもその学力を付けなさいという話はないんですね。ところが、学校教育法辺りになると、その改正されたところに少し出てきている感じがありまして、それでも、やはり憲法とか教育基本法を引き継ぐ形で、やはり生きる力といいますか、先生がおっしゃってくださったような、そういう友達と協働しながら生きていくような力を付けるということが意義付けられていると思うんですけれども、これが学習指導要領になると、総則のところでは出てくるんですが、細則のところになると、当然教科に分かれていてというところでは全く消えてしまうという。つまり、目的としては、既に日本の社会の法体系の中にもそういう共に生きるみたいな話は位置付けられているにもかかわらず、細則に落ちれば落ちるほど、実はその教科の意識でがんじがらめにされていて、そこからでは全く、うまくそのそういう生きる力みたいなものは育めないと。
もう一方で、実は日本の学校教育は海外と比べて学校行事というのが比較的盛んな国でして、済みません、時間はあれですよね、ごめんなさい。そういう意味で、実はそこの部分が今回、やはり二〇〇七年からの全国学テの中で、やっぱり授業が教育の全てで行事はなるべく短縮してという、この流れに入ってしまいました。それから、休み時間も、本来子供の権利の中には遊ぶ権利とか休息する権利というのがあるはずなのに、もう単なる授業と授業の間の準備時間になってしまいました。
こういう閉塞状況みたいなものを揺り戻すだけでも随分うまくいく部分はあるんじゃないか。だから、今の学校がもう全くうまくいかなくなったとも思わない部分も、何かまだ信じたいところがございまして、それは、本来的な法の趣旨に、それこそ憲法の趣旨ですとか、そういったところに戻していくということだけでも随分やれるところがあるのではないかなという気がしております。
ちょっと答えになったかならないか、済みません、不安なんですが。
この発言だけを見る →三浦先生、ありがとうございます。
やっぱり、今先生から御質問いただいた問題が、学校教育の中の一番非常に、何ですか、固い、何とも変わらない部分になっているような気がいたします。
不思議な気がいたしますのは、憲法であるとか教育基本法のレベルであると、必ずしもその学力を付けなさいという話はないんですね。ところが、学校教育法辺りになると、その改正されたところに少し出てきている感じがありまして、それでも、やはり憲法とか教育基本法を引き継ぐ形で、やはり生きる力といいますか、先生がおっしゃってくださったような、そういう友達と協働しながら生きていくような力を付けるということが意義付けられていると思うんですけれども、これが学習指導要領になると、総則のところでは出てくるんですが、細則のところになると、当然教科に分かれていてというところでは全く消えてしまうという。つまり、目的としては、既に日本の社会の法体系の中にもそういう共に生きるみたいな話は位置付けられているにもかかわらず、細則に落ちれば落ちるほど、実はその教科の意識でがんじがらめにされていて、そこからでは全く、うまくそのそういう生きる力みたいなものは育めないと。
もう一方で、実は日本の学校教育は海外と比べて学校行事というのが比較的盛んな国でして、済みません、時間はあれですよね、ごめんなさい。そういう意味で、実はそこの部分が今回、やはり二〇〇七年からの全国学テの中で、やっぱり授業が教育の全てで行事はなるべく短縮してという、この流れに入ってしまいました。それから、休み時間も、本来子供の権利の中には遊ぶ権利とか休息する権利というのがあるはずなのに、もう単なる授業と授業の間の準備時間になってしまいました。
こういう閉塞状況みたいなものを揺り戻すだけでも随分うまくいく部分はあるんじゃないか。だから、今の学校がもう全くうまくいかなくなったとも思わない部分も、何かまだ信じたいところがございまして、それは、本来的な法の趣旨に、それこそ憲法の趣旨ですとか、そういったところに戻していくということだけでも随分やれるところがあるのではないかなという気がしております。
ちょっと答えになったかならないか、済みません、不安なんですが。
三
三浦信祐#27
○三浦信祐君 大変重要な指摘をいただいたというふうに思います。
その上で、三人の参考人の方々に共通していたキーワード、言葉は一致はしていませんけれども、共有していることがあると思います。まず、予防的措置、予防的支援、これとても重要なことだと思います。例えば、学校の現場で学びだけをしてくれる先生になってしまったら、学校での相談の仕方ということができなくなってしまうということもあると思います。
その上で、私も実はメンタルヘルスケアのことのずっと取組をしているものですから、このメンタルヘルス・ファーストエイドという取組をする中で最も重要なのが聞く力、と同時に相談の仕方という、この二つがリンクすることが大事だと。どう相談したらいいかが分からないというのが実は大きな課題になると思います。
なので、学校で本当は、友達がこうなっているけれどもどう相談したらいいかというのも大事ですし、自分のことがどうなっているのかというのを相談するということ、これがとても大事だなというふうに思います。ただ、相談の仕方はなかなか教えてくれないという課題にも直面していると思います。また、相談されたときにどうやって受け止めればいいかというのが分からないというのも、実は我が国の今現状だというふうに思います。
先ほどあった発達障害の方で、子供のうちに気付いた場合にはいろんな相談支援があっても、大人になって、あっ、もしかしたらということの位置付けになったときに、上司がそのことを言われたらどう対応したらいいか分からないと、これが実態でもあり、もしかしたら教育現場でもそうなっているのではないかなというふうに思います。ですので、この予防的措置をいかに我が国の中でより多くの方々が、家庭も親も含め、そして社会も企業も含め広めていくということは私は大事だなと改めて痛感した次第であります。
そういう面では、多くの相談を受けられたところから見たときに、大空参考人そして田中参考人が、この聞く力をどうやって付ければいいか、そういう社会を構築するために改めてどうしたらいいかということについて御知見をお述べいただければというふうに思います。
この発言だけを見る →その上で、三人の参考人の方々に共通していたキーワード、言葉は一致はしていませんけれども、共有していることがあると思います。まず、予防的措置、予防的支援、これとても重要なことだと思います。例えば、学校の現場で学びだけをしてくれる先生になってしまったら、学校での相談の仕方ということができなくなってしまうということもあると思います。
その上で、私も実はメンタルヘルスケアのことのずっと取組をしているものですから、このメンタルヘルス・ファーストエイドという取組をする中で最も重要なのが聞く力、と同時に相談の仕方という、この二つがリンクすることが大事だと。どう相談したらいいかが分からないというのが実は大きな課題になると思います。
なので、学校で本当は、友達がこうなっているけれどもどう相談したらいいかというのも大事ですし、自分のことがどうなっているのかというのを相談するということ、これがとても大事だなというふうに思います。ただ、相談の仕方はなかなか教えてくれないという課題にも直面していると思います。また、相談されたときにどうやって受け止めればいいかというのが分からないというのも、実は我が国の今現状だというふうに思います。
先ほどあった発達障害の方で、子供のうちに気付いた場合にはいろんな相談支援があっても、大人になって、あっ、もしかしたらということの位置付けになったときに、上司がそのことを言われたらどう対応したらいいか分からないと、これが実態でもあり、もしかしたら教育現場でもそうなっているのではないかなというふうに思います。ですので、この予防的措置をいかに我が国の中でより多くの方々が、家庭も親も含め、そして社会も企業も含め広めていくということは私は大事だなと改めて痛感した次第であります。
そういう面では、多くの相談を受けられたところから見たときに、大空参考人そして田中参考人が、この聞く力をどうやって付ければいいか、そういう社会を構築するために改めてどうしたらいいかということについて御知見をお述べいただければというふうに思います。
福
三