2025-05-30
衆議院
柳沢剛
東日本大震災復興・防災・災害対策に関する特別委員会
柳沢剛の発言 (東日本大震災復興・防災・災害対策に関する特別委員会)
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○柳沢委員 ありがとうございます。
被災地の議員の一人として、私は様々な震災遺構、震災伝承施設を訪れておりますが、先週、改めて、宮城県山元町の震災遺構、旧中浜小学校を訪れました。山元町の現在の人口は一万一千人余り、東日本大震災では六百三十七人が犠牲になりました。震災遺構となっている旧中浜小学校の校舎は、児童や教職員、地域の人など屋上に避難した九十人の命を守り、その災害を今なお伝える校舎です。見学通路からは、押し寄せ、通り抜けていった津波被害の痕跡が、そして、寒さと余震の中、子供たちが一夜を過ごした倉庫が被災したままの状態でそのまま保存されています。
校舎と海岸との距離はおよそ三百メートル、津波の第一波、第二波の後、第三波は、一波、二波より更に高く、屋上から見えたそうです。もはやこれまでかと思った方もいたそうですが、第一波と第二波の引き波で第三波の高い津波が崩れたんだそうです。屋上にいた先生たちはその波を見ていました。
前回の質疑のときに、私は、津波はより低いところを探すかのように真っ先に川を遡上するというお話をしましたが、中浜小学校でもその現象による津波があったようです。校庭の南側に小さな一の沢川という川が流れていますが、その川を周りの陸地よりも早く津波は遡上して、回り込むように南の校庭側から校舎に入ってきて、北側に抜けていったそうです。
津波が来る方向は海側からだけではない。川はもちろん、その土地の地形により、ぶつかった反射波と引き波が重なり、時間差で思わぬ方向から津波が襲ってくることがあります。宮城県の多賀城市内では、この思わぬ方向から来た津波により、多くの犠牲者が出ています。
現場に行くことによって分かる、現場に行ったからこそ理解できることがあります。中浜小学校には、ここ三年間、毎年二万人以上の人が訪れています。人口の二倍近い人たちが訪れていることになりますが、このうち、去年見学に訪れた学校は五十四校、しかし、多くが宮城県内の学校で、調べてみますと東北以外の学校は七校のみでした。
首都直下地震、南海トラフ地震に備えて、日本中の多くの人たち、そして子供たちに東北の地を訪れていただき、自分の目で見て、考え、未来の災害に備えるための知識に変えていってもらいたいと思いますが、大臣の見解はいかがでしょうか。