曽我謙悟の発言 (行政監視委員会)

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○参考人(曽我謙悟君) ありがとうございます。
 京都大学の曽我と申します。本日は、このような貴重な機会を与えてくださり、誠にありがとうございます。
 私からは、政策評価の具体的な事例を素材として、国と地方の関係を中心に考えるところを申し上げたいと思います。
 昨年の六月十八日、参議院本会議において総務大臣から説明が行われています政策評価から行政監視の一年のサイクル始まっておりますので、これを取り上げることで今後の委員会での御議論に資するところがあればと願っております。
 話のポイント、三つあります。第一は、行政が政策評価活動を通じて生み出すデータや情報をもっとオープンにしていく必要があるということです。第二は、国と地方を連結した形で政策評価を行っていく必要があるということです。第三は、行政の限界を見極め、政治の側で引き取るべきところを見極めるということが行政監視の役割ではないかということになります。
 早速中身に入ります。
 具体的に取り上げますのは、総務省による生活道路における交通安全対策に関する政策評価です。今なお、年間約二千六百名が交通事故で死亡されており、三十万人以上が負傷されているということで、人々の命や健康を大きく損ねる問題です。これを減らすための活動は注目されにくいですが、また地道なものですが、こうした活動こそが行政の本来の役割なのだと思います。
 ところが、実際どの程度事故を減らせているかというのは市区町村によって大きく異なります。しっかり危険な箇所の解消に取り組んでいけばもっと事故を減らせるはずだと、それには事故がどこでなぜ生じたのかというデータを自治体が利用していくということが鍵となるというのがこの政策評価の基本的な問題意識となっています。
 生活道路の整備、管理は、市区町村が自治事務として担当しております。その七割近くは単独事業であり、また補助金も大ぐくりにされていますので、どれだけの資源を交通安全に使うかというのは自治体の判断になります。また、組織面でも自治体による違いは大きく、市民生活系のところに位置付けられているところ、防災系に位置付けられているところ、さらには土木系に位置付けられているところが見られます。
 では、この市区町村による交通安全対策というのがいかなるものか、その実態を解明するために、総務省は四百五十四の市区町村を抽出し、アンケートやヒアリング調査を行っています。その調査結果について、論点絞って御紹介をしておきます。
 まず、事故情報の収集についてです。事故発生箇所を一部分であれ把握している市区町村となると七割超えるんですけれども、多くは地元警察からの情報提供によっているということで、警察庁が整備をしているんですけれども、事故オープンデータというものがありますが、これを活用している市区町村となると六・九%にすぎません。また、過去の事故ではなく、潜在的に事故のリスクが高い箇所の把握となると、ほとんど把握していないという自治体が六二%に上ります。
 担当者からは、住民要望への対応に追われる中、事故発生箇所を把握する余裕はなく、その必要性も感じないという、そういった声が上がっています。
 次に、事故の情報を今度は施設整備の方で用いているかというと、その程度も高いとは言えません。事故実績をほとんど参考にしないという自治体が四四・六%であって、リスク箇所情報に至ってはもう八割近くが使用していないという状況です。
 実際の整備の手順は、住民要望を受け付け、受付順に現地確認を行い、担当者の経験から危険性、緊急性、必要性を判断するという、そういった自治体が大半になっています。
 そして、施設整備によりどの程度交通事故の被害を減らすことができたかという施設整備の効果検証について、体系的な検証を実施している市区町村は一つもありません。
 以上の実態調査からの提言として、データの活用がもっと必要であると、国交省に対しては市区町村への周知啓発、警察庁に対してはオープンデータ情報の充実と都道府県警察による市区町村への情報提供の促進というものを求めているというのが政策評価です、今回の政策評価となります。
 以上がこの政策評価の中身なんですけれども、一年以上掛けて丁寧に実態の分析を行われた成果であるということは認めた上で、三つ批判を加えたいと思います。
 まず第一ですけれども、これは、EBPMが必要という結論ありきで、実効性に乏しい処方箋になっているのではないかと思われます。
 評価書は、自治体がデータを活用しないのは人材やノウハウやスキルが不足しているからだというふうにこれも前提してしまい、データの提供等、周知啓発が処方箋になるというふうに示しています。
 しかし、調査の中身をよく見ていきますと、その多くの自治体は、使いたいけど使えないと言っているのではなくて、使う必要性をそもそも感じていないというのが実態のように思われます。
 処方箋のピントずれてしまっているのは、オープンデータの利用によって行政の実態を改善するという提言が最初から設定されていたのではないかというふうに思われます。確かに、せっかく充実したオープンデータあるということで、EBPM推進したいというのは、それが望ましいことだというのは私もそう思いますけれども、しかし、だからといって、その結論が先にありきというのは問題だと思います。
 なぜ自治体はデータを用いないのかという問いを立てて、じっくりと分析することから始めなければならなかったのではないかと思われます。実態をもたらしている要因の分析に基づかずに性急にデータの利用やEBPMを迫っても、実態を変えることは難しいと思います。
 では、なぜデータを使わないのかというと、例えば、箇所付けには地方議員の方が影響を持っているのではないかとか、担当部署が市民生活系でなければ事故への注目が弱くなってしまうのではないかといった様々なこと考えられます。
 こうした仮説、検証していくためには、調査で収集したデータ、公開していただくことが何よりも大事です。それがあれば、研究者は多角的に分析していくことができます。政策評価法では学識経験者の知見活用というのが定められていますけれども、評価で集めたデータが公開されていなければ、研究者の知見は活用できません。行政の側がよりオープンになっていただければ、一緒に政策の現状を分析し、改善点を考えていく、そういうことに寄与したいと思っている研究者はたくさん存在しています。調査データの公開を強く求めたいと思います。
 次に、第二の批判になりますけれども、事故情報を用いた施設整備が事故を減らせているのかということが検証できていないことです。そのため、ほかの政策手段との比較も行えていないということが言えるかと思います。
 自治体の側が施設整備の効果検証を行っていないわけですね。これ、施設整備によって本当に安全を高めるということができているのか、いま一つ確証ないわけですけれども、しかし、検証まで踏み込むということもできていないというのが現状になります。そうすると、総務省の側が今回この政策評価通じて効果の検証を行っているということは十分に意義があることだと思います。
 ただ、この評価書で行っていることというのは、よく見ますと、事故情報を用いる市区町村とそうでない市区町村のその事故減少率を比較するという、かなり単純な統計的な検定を行っているということになります。こうした方法では、それ以外のいろんな要因によって推定不正確になるというような問題があるわけです。回帰分析等も行われているわけですけれども、事故情報と元々の事故の件数以外の要因統制されていないということで、因果推論としては不十分なものになっています。
 このように、事故情報に基づいて施設整備の効果が十分明らかにされていないということですので、ほかの政策手段と比べてより大きな効果を生む政策手段を探し出すということもできていません。警察が行っている様々な交通規制との比較等も行われていません。リソースに限りがある中で、もっと安全性高めるにはどうすればいいかということはこの評価では分からないと言わざるを得ないかと思います。
 最後、三つ目の批判ですけれども、評価制度が構造的に断絶しているというふうに思われます。
 この評価では、国交省と警察庁という国の機関だけが提言の対象になっています。自治体が効果検証を行っていないことに対しても、特段注文付けているわけではありません。また他方で、注目すべき取組があるわけですけれども、それをベストプラクティスという形で推奨するようなこともしていません。
 これは今回の調査に限られた話ではないかと思います。政策評価法の対象は国の機関だけであって、委任や補助があるか、あるいは法定受託事務でなければ総務省による評価の対象にもなっていません。国と地方が一つの政策を協働して実施しているにもかかわらず、評価において国と自治体を峻別し、自治体への意見表明を一切行わないということが必ずしも適切とは私には思えません。地方自治の観点から自治体への助言に慎重であるということは理解できますけれども、しかし、実際の政策実施の実態を踏まえ、政策評価法における国と地方の関係についても見直しが必要ではないかと思っています。
 ただ、それには国による政策評価が地方自治体の現状を正確に把握するということが条件となります。今回の調査においても、地方自治体の声、拾い上げられているわけですけれども、ただ、結論に沿うようにピックアップされているようにも見受けられます。そうではないというのであれば、それを確認できるよう、調査におけるインタビュー調査の記録等についてもオープンにしていただくということが必要だと考えます。
 以上が批判ということですけれども、さらに、この評価から、この評価が示している国と地方にまたがる問題の中で、行政では扱いにくい、政治の場で議論するということが望ましいのではないかと思われる点を四点申し上げたいと思います。
 第一が、参加と平等の間のジレンマの問題です。これは言い換えると、自治体の意思決定はどのような情報に基づいて行われるべきかという問題でもあると思います。
 地域住民からの要望と客観的なデータという二つがあるとき、とりわけ両者が食い違うときにどちらをどのような理由で重視すべきか、その答えってそう簡単ではないかと思います。住民要望に応えるということは、民主主義的には正しいようにも思いますけれども、声の大きな地区の整備が進むというような形になるかと思います。他方で、データ活用によって客観的に把握するということは、平等であるというふうにも言えますけれども、しかし、安全意識が低いとか活動を一生懸命していないというようなそういった地区でも整備が進むというのは、ある意味では悪平等と言えるのかも知れません。
 誰が優先順位決めるのか、住民なのか、議会なのか、専門家なのか、あるいは国なのかという、そういう役割分担の設計問題として考えるべき論点だと思われます。
 二つ目ですけれども、命か経済かという、そういった価値選択、それと国と地方の役割分担の関係についてです。
 安全施設の整備を通じて、命か金かと、あるいは命か利便性かという、そういった選択を自治体は暗黙のうちに行っているということになります。こうした選択、新型コロナウイルスへの対応時に顕著に現れたわけですけれども、日常的なふだんからの自治体の行政というのも様々な政策においてこうした選択を行っているわけです。ただ、そうした選択、全て地方が担っていくというのも過重な負担のように思います。
 あと、住むところによっては交通事故リスクに大きな格差が生じているというのがこの調査で示されているところです。大阪なんかですと、事故多発箇所というのは同規模の都市平均の一・五倍あるんだというようなところが見えています。こうした格差は、国がやっぱりサポートして初めて是正できる問題のようにも思います。
 地方分権の観点から補助金はできるだけ減らすべきだというふうにされてきたわけですけれども、命と経済を、そういうシビアな選択を国と地方でどう分担するかという観点からも、使途を限定した補助金の意義、改めて問い直すことが必要ではないかというふうに思います。やる気がある自治体の足かせになることは避けつつ、また条件的にしかし不利なところを下支えする、そういった補助というのは必要ではないかと考えるところです。
 第三に、AIデータと専門職不足への対応です。
 これまで道路整備というのは土木系の専門職の経験と知識に依存してきましたが、今後人材の確保、ますます困難になっていきます。他方で、この調査の中で出ているので言うと、浜松市のように、AIで学習させて事故危険度予測モデルを構築していく、そういった事例も現れているわけです。AIによる意思決定支援が実現していくと、技術職不足を補いながら客観的な施設整備も可能になっていくかと思われます。
 こうしたAIモデル開発の担い手は国なのか、それとも先進的な地方なのか、技術系の役割分担の再設計が求められていると思います。
 最後、第四ですが、自動運転の時代に向けた道路管理の再設計の話です。
 行政の側から見ると、国道、県道、市道という所管ベースで道路は分けているわけですけれども、実際の道路ネットワークというのは、生活道路、幹線道路、高速道路といった、そういう機能ベースになっているわけです。自動運転、恐らく高速道路から順に普及していくと思いますけれども、そうしたときに所管別のこの管理分割というのは円滑に対応するということが難しくなってくる可能性があるかと思います。
 今後、自動運転の普及というのは、技術だけではなくて、社会側の制度整備にも懸かっているかと思います。日本の自動車産業、自動運転時代においても国際競争力を維持しようと思うのであれば、国と地方の道路管理ガバナンスについても見直していく必要が出てくるように思います。
 以上四つの課題、いずれもこれは現状の行政の在り方だけでは対応が難しい問題だと思われます。これらは政治の側が引き取るべき課題ではないかと考えるところです。
 最後に一言申し上げたいと思います。
 行政が自らの活動や評価を通じて手にした情報やデータをより一層オープンなものにしていただくことで、実情の理解を通じて社会を改善していくということが進むよう、国会議員の皆様には是非お力添えをいただきたいと思っています。また、行政が扱えない価値選択の問題を国会が主体的に扱う役割を担っていただくということを期待しております。
 行政監視というのは、単に行政の誤りを指摘するだけではなく、行政が問えない問いを政治として問い直していただくことに意義があるというふうに私は考えています。個別の政策について丁寧に検討を行いつつ、そこから構造的に見られる問題を抽出していき、全体の改善を図っていくということが行政監視の質を高める一つの有効な方法ではないかということを改めて申し上げ、意見陳述を終わりにしたいと思います。
 御清聴、心より感謝申し上げます。

発言情報

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発言者: 曽我謙悟

日付: 2026-03-09

院: 参議院

会議名: 行政監視委員会