西原博史 に関する国会発言
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○北神委員 有志の会の北神圭朗です。 いろいろ聞いていますと、立法事実というのは、単純に過去に起きた事実しか認めないというような議論に若干違和感を感じています。具体的には、実際に国会が機能を発揮できないほどの選挙困難事態というのは本当にこれまであったのかねといった疑問が呈されています。 確かに、芦部教授によりますと、立法事実とは、法律の基礎を形成し、かつその合理性を支える一般的事実と定義づけられています。しかし、この一般的事実と
○北神委員 有志の会の北神圭朗です。 先週も多くの問題提起がございましたので、幾つかについて、有志の考えを申し上げたいと思います。 まず、立憲民主党の本庄幹事さんより、国会機能維持について、肝腎の立法事実について、認識が共有されているとは思えませんとの発言がありました。また、東日本大震災では、直後の首長、地方議員選挙が数か月延期されたものの、それは東北地方の被災三県内に限られた措置でしたとの例も挙げられました。 この点につい
○参考人(西原博史君) どうしたらよいかという御質問、大変正直な御質問で有り難く思うんですけれども、まず憲法学に属する者として申し上げたいのは、やはり憲法上の懸念のある条文が余りに多過ぎる、あるいは正確に言うと、どうしてもこれは修正の要があると憲法上認められる条文としてやはり百三条の地位利用の問題、これが余りにやはり規制の範囲が広範に過ぎ、かつ不明確であるという点において、法文として成立したその瞬間に憲法違反の状態ができ上がる危険が高い
○参考人(西原博史君) まず、幾つかやはり区別して考えなきゃいけないと思うんですけれども、まず、猿払事件判決において公務の中立性に対する国民の信頼というのが一つの根拠とされたことがもちろん挙げられます。その部分が今回の国民投票のケースとどう関係しているのかというのは相当慎重な検討が必要なわけでして、先ほどの宮里参考人への御質問を繰り返す形になりますけれども、要するに、例えば憲法九十九条における憲法尊重擁護義務の問題とはこれは事柄が違うと
○参考人(西原博史君) 残念ながら、私はこの地位利用禁止規定に具体的に何を実現するための意味があるのかがよく分からないので、したがって、実現しなきゃいけないものを目的として、こういう規定の仕方であればよいという回答は持ち合わせておりません。 二、三付け加えますと、今、宮里参考人がおっしゃった点なんですが、例えば、これやっぱり解釈の枠が非常に広いのが気になるわけでして、その意味では、先ほどおっしゃったとおり、例えばどう懲戒処分の対象に
○参考人(西原博史君) 重要な観点だと思うんですけれども、まず、幾つか分けて、場面を分けて考えなきゃいけないと思うのは、大学生に対して大学教員がどういうかかわり方をするのかという問題が一つあります。大学生の場合には、基本的には、先ほど西先生おっしゃったとおり、学生の批判能力というものをある程度想定した上でのことになりますので、例えば、私が憲法改正に私は賛成だ反対だと言ったからといって、学生がそう単純に動いてくれることはないであろう、そこ
○参考人(西原博史君) まず、これは憲法の解釈の問題になるわけですけれども、国民の承認を得るということが単純に投票者の過半数ということ、有効投票の過半数ということになるかどうかはまた別問題というところから多分考えが始まるんだと思います。 そういう意味でいいますと、まず、基本的には、これ存立を前提にして、それを変えるだけの支持が集まるかということに関して言えば、国民の、あるいは有権者の過半数の賛成を得ない限りは改正しないというやり方も
○参考人(西原博史君) もちろん、国民主権はお金の主権ではないわけですから、お金の力で投票結果あるいは政治行動が決まるということはふさわしくない。その意味において、スポンサーが番組を支配することによるマインドコントロールに対してはもちろん警戒的でなければいけないというのは御指摘のとおりだと思います。 幸い、日本の放送は放送法の規制の下にあって、やはり政治的な中立性を義務付けられているという基本的な精神はこれはやはりあるわけですから、
○参考人(西原博史君) 御指摘いただきましたとおり、私はまだまだ審議が足りないという見解でありますけれども、これはやはり主権的な権利の行使、あるいは基本的人権の行使にかかわる手続について話そうとしているわけです。 現時点では、例えば公務員の扱い、教員の扱い、一体何が許されて何が許されないのかについて法文上明確な指針が得られない。これはやはり基本的人権を制限、あるいは基本的人権の実現に資するための法律としては、やはりまだまだ法律として
○参考人(西原博史君) 時間が余り残されていないので簡潔に申し上げますが、これまで国民投票法がなかったことをどう評価するか。これまでなかったことはある意味で言うと、先ほど私が触れましたとおり、国民投票法というものの構造的な難しさからしてまあ無理はなかったかもしれないということはあるかと思います。つまり、本来であれば、国民がどう意見表明するかに関して国会が決めなきゃいけないというところに一種のねじれが存在するわけですから、その部分について
○参考人(西原博史君) 御紹介いただきました西原でございます。本日は、重要な法案審議におきまして意見陳述の機会をお認めいただきましたことを深く感謝しております。 私は、憲法学を研究する者として今日ここに参ったつもりでおりまして、その観点から、憲法改正、国民投票の在り方をめぐる幾つかの点について私見を申し述べさせていただきます。 インターネットの中継等々、これまで審議経過をずっと拝見してまいりましたけれども、正直、なお根本的な諸問
○委員長(関谷勝嗣君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。 日本国憲法の改正手続に関する法律案の審査のため、本日の委員会に駒澤大学法学部教授西修君、ジャーナリスト・「国民投票・住民投票」情報室事務局長今井一君、早稲田大学社会科学総合学術院教授西原博史君、弁護士・日本労働弁護団会長宮里邦雄君、立教大学大学院法務研究科教授・弁護士鈴木利治君、慶應義塾大学教授・弁護士小林節君、上智大学法科大学院教授高見勝利君、専修大学名
○参考人(成嶋隆君) 新潟大学の成嶋でございます。 私は、憲法学及び教育法学を専攻する者としまして、これらの学問的な観点から、主として政府提出の教育基本法案について所見を述べたいと思います。論点は大きく二つありまして、一つは法律主義の限界という問題、もう一点は法と道徳の関係という、原理原則にかかわる問題であります。 第一の法律主義の限界についてであります。 法律主義といいますのは、戦後日本の教育法制の改革の中で確立されました
○西原公述人 西原博史でございます。 本日、教育基本法改正に関しまして意見を申し述べる機会をお認めいただきましたこと、心から御礼申し上げます。 私は、早稲田大学に身を置きまして、憲法学、特に基本的人権の理論、中でも思想、良心の自由の研究にこれまで精力を費やしてまいりました。十年ほど前に上梓いたしました私の学位論文におきましても、良心の自由を扱いまして、アメリカ憲法、ドイツ憲法などとの比較の上で、国家が個人に対して特定価値観に基づ
○森山委員長 これより会議を開きます。 第百六十四回国会、内閣提出、教育基本法案及び第百六十四回国会、鳩山由紀夫君外六名提出、日本国教育基本法案の両案について公聴会を行います。 本日は、公述人として、独立行政法人国立青少年教育振興機構理事長松下倶子君、石川県立金沢泉丘高等学校教諭鹿野利春君、早稲田大学社会科学総合学術院教授西原博史君、日本大学文理学部教授広田照幸君、弁護士・日本弁護士連合会教育基本法改正問題対策会議議長、同元副会
○参考人(西原博史君) 御指摘いただきました問題、やはり私にとっても非常に重要な問題だと思うんですが、基本的な立場は赤坂参考人とかなり重なると思います。国立の事件を引用していただいたわけですけれども、正に国立の事例は一つの典型的なケースだったのかな。つまり、国立においてはやはり地域住民が景観を守るために今まで一生懸命努力していて、自分たちの間での自己規制をきっちりやってきた、その積み重ねによって自分たちにとっての景観というのはやはり高さ
○参考人(西原博史君) 例えば、だれしもがその質問で想定するのは憲法九条の問題かと思うんですけれども、私自身は、政府解釈は政府解釈としてそれなりの役割は果たしている、それが私の個人としての憲法解釈と同じかどうかの問題はちょっとさておいて、やはり政府解釈というのは国に対するコントロールとして一定の機能を果たしているという認識は認識として持たなければならないと思いますので、現状において、いや、憲法全く役に立っていないという領域は私は現時点で
○参考人(西原博史君) ありがとうございます。基本的には御指摘のとおりだと思います。 ただ、憲法と現実との乖離が社会権の領域において非常に強く発生しているかという点については、これは評価は難しいと思います。私自身は、もちろん、社会権もっともっと実現すべきであるという考え方、一方で社会権の読み方としてありますけれども、私自身はどちらかというと社会権というのはやっぱり最低限度をきっちり確保するというところに向けての法的な役割を果たしてい
○参考人(西原博史君) 重要な点なんですけれども、確かに一九四〇年代、五〇年代の日本の国民生活を考えますと、豊かになるという非常に大きな夢を抱いていた時代でもありましたし、それを生存権という言葉に読み込んで託した国民がいたというのも恐らく先生御指摘のとおりの事実だと思います。 ただ、結局これは、今となって気が付いてみますと、まあ豊かになるために国がリーダーシップを取って頑張る、それが生存権の実現だという言い方をしてきたことによって、
○参考人(西原博史君) 御指摘のありましたとおり、ドイツは九〇年代憲法改正の中で、いわゆる国家目標規定と呼ばれる規定の仕方なんですけれども、国家の義務あるいは国家としてやるべき任務を定めるというやり方をしております。 もちろん、日本においても国家目標規定としての環境保護という観点を取り入れるというのは憲法政策論的にはあり得る選択肢の一つかと思います。ただなんですけれども、これは、現在基本的人権等々で保障されているものは、今生きている