山中貞則 に関する国会発言
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○村上国務大臣 私の世代は、山中貞則さんという税の大家がおりまして、税は理論だと、我々若手に向かって常に勉強しろというのが口癖でありました。ただ、山中貞則さんが常におっしゃっていたのは、公平、公正、簡素、大原則であるんだけれども、税というのは、要するに、財政が潤沢なときはいいんだけれども、潤沢じゃないときはある程度、例えば本当に生活の苦しい方だとか、向学心に燃えているんだけれども残念ながら家庭が貧しいのでなかなか授業料とかそういうことを
○伊東国務大臣 昔と言ったらおかしいですけれども、私、農水の副大臣を二回やらせていただきまして、そのときも、九州に行ったとき、ミカンの中にコミバエが入っていて、かつて山中貞則先生が絶滅に御努力されたという話も聞き、重大なテーマだというふうに認識しているところであります。
○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美です。 沖縄県による辺野古埋立承認撤回を取り消した国土交通大臣の裁決は違法だということで辺野古周辺の住民四人が裁決の取消しを求めた訴訟で、福岡高裁那覇支部は、五月十五日、四人の原告適格を認め、審理を那覇地裁に差し戻すという画期的な判断を行いました。 国が辺野古新基地建設に正当性があると自信を持っているなら、こそくな上告によって、原告から主張の機会を奪うのではなく、原告適格を認められた原告四人の主張
○原口委員 先ほど財務副大臣がお答えになった応能負担原則です。払う力のない人たちから取っちゃいけないんですよ。そして、国民に余計な手間暇をかけちゃいけないんです。 当時の資料を、八、九、十と持ってきました。すごいね、当時の。この時代、僕も自民党だったけれども、やはり侍がいますよ。あの当時の自民党税調会長は山中貞則先生です。そして山中先生は、税率を上げようと言う人たちに対して無礼者とおっしゃっているんです。私も、中曽根内閣でこの消費税
○猪瀬直樹君 日本維新の会の猪瀬直樹です。 日本の意思決定はロジックでなく空気によってつくられて動いていくと、それでよいのかというテーマで述べさせていただきます。 憲法九条に自衛隊を明記する是非の議論が今年四月に衆議院の憲法審査会で行われました。御承知のとおり、自衛隊は、昭和二十五年に警察予備隊として発足してから、実に七十年以上もその憲法上の位置付けが曖昧なまま今日に至っています。 本日は、この曖昧さが我が国の国際貢献を妨げ
○篠原(孝)委員 おはようございます。立憲民主党、略称民主党の篠原孝でございます。 まず、余り期待されていなかったかもしれませんけれども、前にここの質疑に立たせていただいたときは、GX脱炭素電源法では三時間質問させていただきますというようなでかい口をたたきましたけれども、ちょっと西の方に、ポリティカル、政治的な、行かなくちゃいけない事情がありまして、ずっといなくて、お気づきかもしれませんけれども、私と同じ年の女性がずっと私のところに
○野村国務大臣 お答え申し上げます。 私は、鹿児島には競馬場はないというふうに申し上げましたが、軽種馬はおりまして、鹿児島も、今十二戸でございますけれども、大分生産者は減ってきましたが、競走馬を飼育している農家はおります。ただ、非常に数が減って、それこそ以前は、御承知の皆さんもおられると思いますが、山中貞則先生が軽種馬協会の会長をされておりまして、大変盛んに、生産者も増えてきたんですが、現在では十二戸まで減ってきました。 全国的
○林国務大臣 杉本先生の御質問についつい釣られて、いろいろなことを言いそうになるわけでございますが。 外務省の所管ではございませんけれども、為替相場は、私、宮沢大蔵大臣の下で、一九九九年から二〇〇〇年まで政務次官というのをやっておりました。そのときに、本当に今でも記憶をしておりますが、為替について聞かれたら、経済のファンダメンタルズを反映して安定的に推移することが望ましい、以上、こういうふうにずっと言われてきたわけでございますが、こ
○山岸委員 大臣、心のこもったお話、御答弁、ありがとうございます。是非よろしくお願いいたします。 今、沖縄の政治家の皆さんということで議論してまいりましたけれども、実は、この世代間の問題というのは、沖縄だけではなくて、本土、日本全体の政治家も同じであって、もっと深刻なんだろうなというふうに思っています。 我々沖縄政策に取り組んでいる国会議員にも、三つの世代が同じようにございます。直接戦争体験がおありだった野中広務さんですとか山中
○吉田(豊)委員 日本維新の会の吉田です。よろしくお願いいたします。 今日は、会派の皆さんの御配慮をいただいて質問時間を調整いただきまして、ありがとうございます。 前回の質問の後に、びっくりしたんですけれども、琉球新報のところにも私の質問したところが載っておりまして、それで、ほかの皆さんももちろん載っているんですけれども、その中で、私が質問しました一括交付金のところについて、五十年間という間違った認識の下にお聞きしてしまって、そ
○西銘国務大臣 お答えをいたします。 私が政府に入る前、自民党の沖縄振興調査会のヒアリングの場で、ビールの関係者から、職員の待遇の問題では、給与も高い方の会社になっているとか、あるいは、五年後をめどに全国並みの税制にしていきたいという発言が出ました。当時、党の沖振調査会の幹事長をしていた私は、おっ、自らこんな発言をするのかなという思いで聞いていた記憶があります。 ですけれども、振り返ってみますと、当時、オリオンビールの件では、山
○西銘国務大臣 お答えいたします。 かつてですと、山中貞則先生とか、小渕恵三先生とか、橋本龍太郎先生とか、野中広務先生とか、そうそうたるメンバーが沖縄応援団としていたなということを四十年近い政治の場に身を置いている者としては感じております。 そういう意味では、もう復帰五十年ですけれども、復帰のときにはまだ生まれていなかったという国会議員も大分増えてきておりますし、沖縄に対する熱量は、トータルで見ると、私が政府に入る前、自民党の沖
○麻生国務大臣 これは末松先生、もう長い歴史ですよね。これを最初に導入したときに、総額か外枠かというのでえらいもめましたけれども、両方されたらどうですと、私が自民党のまだ若造で、若造といったって五十ぐらいの若造だったんですけれども言わせていただいた記憶はあるんですけれども、山中貞則先生という方が税調に君臨しておられましたので、あの方に言われて、外枠だというのを強烈に主張されておられたので、失礼ですけれども、ビールを外枠でやったら、ビール
○片山虎之助君 日本維新の会の片山です。 持ち時間が十分ですから、もうすぐなくなるんですけれども、ちょっとだけ昔話をさせてください。 過疎問題が我が国の大きい問題になったのは昭和四十年代なんですよ。昭和三十五年からの池田内閣は、所得倍増計画、経済の高度成長を打ち出して、だあっと労働力が動くんですよ。いろんなところから首都圏を中心に大都市圏へ動いていく。そこで過密過疎ということが初めて言葉で出るんですね。いろいろなところで使われる
○国務大臣(麻生太郎君) この話をもう度々お話をさせていただいておりますのであれですけれども、少子高齢化という、この国にとりましては長期的には最もでかい問題はこれは少子高齢化だと思っていますけれども、そういった意味では、国民の安心というものをきちんとさせるためには、これは社会保障制度というのは、今のアメリカのような話になったら、今アメリカにいる日本人は日本の社会保障がいかにいいかと思い知っているだろうと思いますけれども、改めて、この社会
○麻生国務大臣 私自身が自分の年金が幾ら入ってくるであろうかということを真剣に心配したことはあるかという御質問でしょうか。 これも事前通告にはなかったと存じますから、私ども、あれですけれども、たしか、私の記憶ですけれども、議員年金が廃止になったときはちょっと正直驚きました。五十年務めた山中貞則、ゼロということで亡くなられましたので、ああ、悲惨なことになるんだなといったときの年金の記憶がすごくありますけれども。 今、六十五歳からも
○国務大臣(麻生太郎君) 長浜先生、これは海外に、そういう一〇%、二〇%のところに住んでおりましたのであれですけれども、北欧若しくはヨーロッパは基本的には高福祉高負担、傍らアメリカの方はこれは明らかに低負担低福祉と、極端な分け方すればそうなるんでしょうと思いますが、じゃ、日本はといえば、多分我々は中福祉中負担を狙ってきた、みんな、そういう国民的合意があったかどうかはともかく、結果として中福祉中負担と。ヨーロッパとアメリカと比べたら、その
○麻生国務大臣 初めて代議士に出たときでしたか、まだ当時、海外から帰ってきてしばらくたっていましたけれども、イギリスの学生時代のときに、先ほどどなたかの質問にお答えもしましたけれども、全ての税というのは一律一割、千万円稼いだやつは百万、十万稼いだやつは一万、どんな貧しい人で生活保護を受けても、その受けた人の一割というのが、取りさえすれば、それで全て賄えるはずだ、それで賄えないのは、いわゆる財政の支出、歳出がおかしいという極めてわかりやす
○下地委員 それで、総理、ちょっと二つの私の歴史の中における教訓みたいなものを示させていただきたいと思うんですけれども、ここにありますように、これ、密約と書いてありますが、ここの一九五五年から一九七五年まではベトナム戦争だったんですよ。このベトナム戦争の中において沖縄を返還するというのは、非常に政治的決断というのはすごいことがありました。 これは、今、北方領土問題でもいろいろと総理も御苦労なされていると思いますが、あのときも、核抜き
○太田政府参考人 お答えを申し上げます。 その場にいたのは二人ですが、二人ともメモは作成しておりません。 私なりに、三十何年この仕事をやっておりましたので、委員始め国会で御質問いただく先生のところに、かつて課長補佐時代、よく質問取りというか、教えていただきに伺いました。メモをとらないと翌日の質問の問いが起こせないので、そういう意味でそういうことをやるわけですし、あるいは、正直に申し上げれば、委員がどういうお考えでどういう御質問を