野中広務 に関する国会発言
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○議長(額賀福志郎君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君の挨拶につきましては、これを会議録に掲載することといたします。 ――――――――――――― 阿部 知子君の挨拶 二〇〇〇年六月の初当選から二十五年、この度、永年在職の表彰を頂きましたこと、厚くお礼申し上げます。 徳洲会の勤務医であった私に社会民主党から立候補のお誘いがあった時、その背を押して下さったのは、今は亡き徳田虎雄理事長でした。弱い立場の患
○小池晃君 要するに、何にでも使えるお金だということなんですよ。それは説明もしなくていいということなんですよ。 十月八日から今年一月五日までに支出されたのは二億九千万円、実に一日当たり三百二十二万円です。毎日毎日、三百二十二万円、官房長官のポケットに入るんですよ。何に使ってもいいんですよ、これ。説明もしなくていい。領収書も要らない。 二〇一〇年のテレビ番組で、亡くなられた野中広務さんは、官房長官時代に総理の部屋に月一千万円ずつ持
○青柳(仁)委員 マルチ、バイ、いろいろな場があるというふうに今おっしゃいましたので、是非、アメリカ任せにするとか、今の成り行きを見守るとかではなくて、現場では人がたくさん死んでいますから、今日も死んでいますから。一刻も早くこの事態を収拾するに当たって、日本ができることはたくさんあると思うんですね。是非、外務大臣として、外務省として、しっかりと意思を持って取り組んでいただきたいなと思います。 それから、次の質問に移りますが、前回、通
○福山哲郎君 私は福山です。今日はよろしくお願いします。 今井議員の質疑に触発されました。私も京都府障害団体連合会の会長をやらせていただいておりまして、実は自民党の野中広務先生から後を受けさせていただきました。 昨日も全国車いす駅伝を京都でやらせていただいたところでございますが、この物価高の中で障害者の皆さんそれぞれの生活が厳しくなっているのは、もう今井議員が言われたとおりでございます。特に子供もそうでございますし、手当、それか
○福山哲郎君 まずは、トルコ・シリア地震の被災者にお見舞いを申し上げ、ウクライナでの戦争の一日も早い終結を願います。 ただいま、院議をもちまして在職二十五年の栄えある表彰を福島みずほ先生、櫻井充先生、鶴保庸介先生とともに賜りますことは、身に余る光栄であり、望外の喜びであります。心から御礼を申し上げます。ありがとうございます。 また、関口昌一自民党参議院議員会長より御丁重な御祝辞を賜り、誠にありがとうございました。重ねて、尾辻議長
○山岸委員 大臣、心のこもったお話、御答弁、ありがとうございます。是非よろしくお願いいたします。 今、沖縄の政治家の皆さんということで議論してまいりましたけれども、実は、この世代間の問題というのは、沖縄だけではなくて、本土、日本全体の政治家も同じであって、もっと深刻なんだろうなというふうに思っています。 我々沖縄政策に取り組んでいる国会議員にも、三つの世代が同じようにございます。直接戦争体験がおありだった野中広務さんですとか山中
○有田芳生君 立憲民主党沖縄県連の有田芳生です。 私は、先週の土曜日に沖縄市民会館で開かれたノーモア沖縄戦 命どぅ宝の会、命どぅ宝というのは、命こそ大切だと、その結成集会に参加をしました。 本土ではなかなか感じられませんけれども、沖縄では、もう一度戦場になるのではないかというおそれが非常に広まっております。 今年は沖縄の本土復帰五十年ですけれども、ということは、自衛隊が進駐して五十年ということになります。南西諸島で今、与那国
○西銘国務大臣 お答えいたします。 かつてですと、山中貞則先生とか、小渕恵三先生とか、橋本龍太郎先生とか、野中広務先生とか、そうそうたるメンバーが沖縄応援団としていたなということを四十年近い政治の場に身を置いている者としては感じております。 そういう意味では、もう復帰五十年ですけれども、復帰のときにはまだ生まれていなかったという国会議員も大分増えてきておりますし、沖縄に対する熱量は、トータルで見ると、私が政府に入る前、自民党の沖
○北神分科員 ありがとうございます。 おっしゃるとおり、特殊な事例だというふうに思いますけれども、先ほど申し上げたとおり、中之島というところで結構実際に被害に遭う方々がそれなりにおられるということと、嵐山にとっても非常に重要な観光の一つである保津川下りの船もそこを活用していますので、何とぞよろしくお願いしたいというふうに思います。ありがとうございます。 三点目なんですが、今度は京都市内、亀岡を通り越して南丹市というところで、ここ
○芳賀道也君 次に、小渕内閣で官房長官を務めた野中広務氏は、かつてテレビなどで意見を述べるジャーナリストなどに官房機密費から資金提供を行っていたと自ら明らかにしています。 そこで、前田会長に伺いますが、NHKでは今でも記者や論説委員など、官邸の官房機密費から資金提供を受けているのか、受けているかいないかというのは調査も行っているのか、いかがでしょう。
○井出委員 選択肢の一つとして検討いただけるものだと。聞こえなかった答弁のときは、選択肢の一つとして十分検討いただけると言ったのではないかと思いますが、そのことはきちっと議事録に残しておいていただきたいと思います。 それで、法制審が法案にすべしということをまとめて、法案化がなされなかったというものは、民事の分野においては、これと、もう一つあると聞いているんですけれども、極めてまれなケースであると。 大体、民事系の法制審にかかるも
○赤嶺委員 適切に遺骨は発見していると言いますが、糸満の南部地域での遺骨の発見の大半は、このボランティア団体、ガマフヤーの皆さんですよ。厚労省がわざわざ行っているわけじゃないんですよ。厚労省もガマフヤーから連絡を受けて現場を見に行っているんですよ。適切になんて、そんなでたらめな答弁しないでくださいよ。 事は、遺骨はやはり家族のもとに帰りたいわけですよ。それは兵士であっても民間人であっても同じですよ。そういう遺骨が今でもどんどん出てく
○辻元委員 政権の危機だと思ったんですよ。 学者がこのとき行動いたしました。私は、あのときの総理の姿勢、まるで、憲法違反だと主張する学者たちは政権を脅かす脅威、総理にはそう映ったように私は見えました。そして、本でも、かなり危機感を持っていらっしゃる、書いていらっしゃる。 そして、今から思えば、今回の任命拒否の、あそこに源流があったように思います。二〇一四年に閣議決定をしたあたりからおかしくなっちゃったんです。 総理、権力には
○小川委員 なかなか、予想はしていたとはいえ、やはり相当不都合なんでしょうね、このゼロ回答。これは倒れるんでしょう、答弁したら、政権が。見積書が出てきたら大変なことになるんでしょう。 先ほど、自民党とホテルとのやりとりをお尋ねしたんですが、私、これは本当に自分の立場抜きにして申し上げなきゃいけないと思っているんですけれども、今回、このANAホテルは、誰に盾突いているわけでもない、誰の肩を持っているわけでもないと思っているんですね。ま
○国務大臣(武田良太君) 早いもので二十五年の歳月がたったわけでありますけれども、当時、私は亀井静香運輸大臣に仕えておりまして、村山内閣だったと思うんですけれども、亀井運輸大臣とお亡くなりになられた野中広務自治大臣との間でこの対策について熱心に相談、また会議等々を通じて熱心に対応されていたことを思い出します。 とにかく私の記憶としては、あのテレビの映像を見たときに、何か現実のものとは思えないような映像がどんどん流れておりまして、本当
○谷田川委員 谷田川元でございます。 まず、今回の災害で亡くなられた方にお悔やみ申し上げますとともに、被災された皆さんに心からお見舞い申し上げます。 それでは、質問に入ります。 残念ながら、西村官房副長官に質問したかったんですが、私は、今回の災害の大きな問題はやはり初動のおくれだと思っています。内閣改造を延期すべきだ、これが一番大事な点だったと思います。 二十年前のジェー・シー・オーの臨界事故のときに、当時の野中広務官房
○穀田委員 ありませんよね。 そうすると、私は、日韓のこの基本条約、日韓請求権協定の交渉過程で、日本政府が植民地支配の不法性についてやらなかったことを、これを公式に大臣が述べたということについては重要な意味が私はあると思います。一切そういうことについては、一切と言っていませんけれども、なかったということですから、一切なかったということだと思うんですね。 日韓基本条約は、一九一〇年の韓国併合をもはや無効と述べるだけで、日本側の責任
○阿部委員 立憲民主党の阿部知子です。 冒頭、十分のお時間を頂戴いたしましたので、主に菅官房長官、そして梶山大臣に御質疑をいたします。 先週土曜日、四月十四日、梶山大臣とも御一緒でしたが、野中広務先生のお別れの会が京都でございました。自民党からも二階幹事長あるいは安倍総理も御出席でありましたけれども、野中元官房長官が四年ほど前に国会に来られて、参議院で御発言の折に、最も気にしておられたのは、内閣と国会との関係、すなわち行政と立法
○阿部知子君 立憲民主党の阿部知子です。 私は、ただいま議題となりました予算委員長河村建夫君解任決議案につきまして、立憲民主党・市民クラブ、希望の党・無所属クラブ、無所属の会、自由党、社会民主党・市民連合の五会派を代表し、提案の趣旨を説明いたします。(拍手) まず、案文を朗読いたします。 本院は、予算委員長河村建夫君を解任する。 右決議する。 以下、その理由を申し上げます。 日ごろより、大変温厚かつ誠実なお
○國場委員 総理、ありがとうございました。 続きまして、総理に、沖縄振興に対する思いも伺ってみたいと思います。 歴史を振り返りますと、ことしは明治百五十年ですが、沖縄は、明治十二年に沖縄県の誕生となりました。さきの大戦では住民を巻き込んだ地上戦により多くのとうとい人命が失われ、二十七年間の米軍統治が続きました。本土は一九五二年のサンフランシスコ講和条約で主権を回復して高度経済成長へと突き進みましたが、同じころ、沖縄県には本土から