文教委員会

1984-04-11 衆議院 全222発言

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会議録情報#0
昭和五十九年四月十一日(水曜日)
    午前十時三十分開議
出席委員
  委員長 愛野興一郎君
   理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君
   理事 白川 勝彦君 理事 船田  元君
   理事 佐藤  誼君 理事 馬場  昇君
   理事 有島 重武君 理事 中野 寛成君
      青木 正久君    稻葉  修君
      臼井日出男君    榎本 和平君
      河野 洋平君    坂田 道太君
      二階 俊博君    葉梨 信行君
      町村 信孝君    渡辺 栄一君
      木島喜兵衛君    佐藤 徳雄君
      田中 克彦君    中西 績介君
      池田 克也君    伏屋 修治君
      滝沢 幸助君    藤木 洋子君
      山原健二郎君    江田 五月君
 出席国務大臣
       文 部 大 臣  森  喜朗君
 出席政府委員
       文部政務次官   中村  靖君
       文部大臣官房長  西崎 清久君
       文部大臣官房審
       議官       齊藤 尚夫君
       文部省初等中等
       教育局長     高石 邦男君
       文部省大学局長  宮地 貫一君
       文部省学術国際
       局長       大崎  仁君
       文部省社会教育
       局長       宮野 禮一君
       文部省体育局長  古村 澄一君
       文部省管理局長  阿部 充夫君
       文化次長     加戸 守行君
 委員外の出席者
       警察庁刑事局保
       安部少年課長   山田 晋作君
       外務大臣官房審
       議官       遠藤 哲也君
       外務省アジア局
       北東アジア課長  高島 有終君
       大蔵省主計局主
       計官       米澤 潤一君
       厚生省児童家庭
       局母子福祉課長  佐野 利昭君
       厚生省援護局業
       務第一課長    森山喜久雄君
       通商産業省生活
       産業局文化用品
       課長       山浦 紘一君
       文教委員会調査
       室長       中嶋 米夫君
    —————————————
委員の異動
四月六日
 辞任         補欠選任
  臼井日出男君     平泉  渉君
  北川 正恭君     山中 貞則君
同日
 辞任         補欠選任
  平泉  渉君     臼井日出男君
  山中 貞則君     北川 正恭君
    —————————————
四月六日
 身体障害児者に対する学校教育改善に関する請
 願(上野建一者紹介)(第二一六一号)
 同(武部文君紹介)(第二一六二号)
 私学助成の大幅増額に関する請願(池田行彦君
 紹介)(第二二三八号)
同月九日
 私学助成の増額等に関する請願外十一件(中西
 績介君紹介)(第二三五八号)
 高校新増設費国庫補助増額等に関する請願(山
 本政弘君紹介)(第二三五九号)
同月十一日
 私学助成等に関する請願(中島武敏君紹介)(
 第二四四二号)
 高校新増設費国庫補助増額等に関する請願(岡
 崎万寿秀君紹介)(第二四四三号)
 同(中島武敏君紹介)(第二四四四号)
は本委員会に付託された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 昭和四十四年度以後における私立学校教職員共
 済組合からの年金の額の改定に関する法律等の
 一部を改正する法律案(内閣提出第五九号)
 文教行政の基本施策に関する件
     ————◇—————
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愛野興一郎#1
○愛野委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。江田五月君。
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江田五月#2
○江田委員 おはようございます。
 入学式も終わって新学期になりまして、大分所信に対する質疑を待たされましたが、やっと私も衆議院で新入生になったようなつもりで、フレッシュマンのつもりでお伺いをしますので、ひとつよろしくお願いします。
 森文部大臣のいろいろな言動を興味を持って注意深く見たり聞いたりきせていただいているのですが、せんだって臨教審の法案が提出されたときのマスコミのインタビューで、たしかNHKだったと思うのですが、なかなかおもしろい、すばらしいことを言われている。初めて言うんだがという前置きで、ひとつ教育について国民から論文を募集してみたらということをおっしゃっていましたね。私は非常におもしろいアイデアと思ったのですが、ひょっとして文部大臣のお考えが、私がおもしろいと思っていることと違っていると困りますので、どういうようなお気持ち、意図でああいうことをおっしゃったのか、御説明願います。
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森喜朗#3
○森国務大臣 江田さんの御質問、大分遅くなりまして、秋の責任でもないのですが、おわびを申し上げるわけであります。私も同じように初めての体験でありますので、私もフレッシュに、一生懸命に頑張って日本の教育のために努力をしたいと思っておりますので、江田先生の御指導をまた心からお願いを申し上げる次第です。
 今お尋ねのことでございますが、新しい臨時教育審議会設置法案を国会にお願いをいたしたわけでございますが、私が大臣に就任いたしまして、そして教育改革の問題を御提言を申し上げる。本当に毎日のようにお手紙が来るんです。大体平均一日十通ぐらいお手紙が来ます。全然私の存じ上げていない方からです。なかなか全部読み切れませんが、できるだけ目を通しておるんですけれども、教育問題に対して国民の皆さんの関心が非常に広いなということをうかがえる一幕でもあるわけです。
 そこで、これから教育改革を、総理も私も申し上げておるように、できるだけ国民のすそ野の広い議論をと、国民の多くの皆さんに参加してもうえるようなそういう機会は、また新しい審議機関の皆さんでお考えをいただくことになるだろうと思いますが、一つの方法として、たまたまお手紙をたくさんいただいて、書く人にはってはもう二十枚も三十枚も便せんに書いてあるのもあるわけですから、何か国民的に多くの関心がありますだけに、そういう教育に関するお考え方を広くお呼びかけをして求めるという方法も一つの方法ではないかな。たまたまNHKの記者の方が、どんな方法がございますかということでございましたので、幾つかのその場で考えたことの一つとしてそういうふうに申し上げたわけでございます。
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江田五月#4
○江田委員 まさにそのとおりだと思うのです。今この教育というのは、本当にもう一億総教育評論家なんて言われる。これはある意味でやゆした言葉ではあるけれども、同時にやはりそれだけ国民に関心が深い。国民皆、子を持つ親であったり、あるいは子供の立場というものもあるでしょう。と同時に、これから先の日本が一体どうなっていくのか、世界がどうなっていくのか、みんなに関心があることで、みんなそれぞれにいろいろな思いを持っている、悩みを持っている、希望を持っている。ですから、ひとつ広く議論を大いに沸き起こしてほしいと思うのですが、その中で文部大臣は文教行政に関してはベテラン中のベテランでいらっしゃいますけれども、私なぞは文教というのは全くの素人で、しかし今、国民みんなが関心を持っているみんなの課題であるということを考えるなら、もちろんそういう教育の専門の皆さんの発言は大切ですが、いわゆる素人、しかし本当は素人じゃないかもしれませんよ。いろいろなところでそれぞれ、子供をどう育てるかというのは親が一番関心がある、一番重大に思っている、一番利害関係を持っている、そういう意味でいわゆる素人が、ピントが外れていようが当たっていようが、さまざまなそういう大きな論議の渦を起こしていただきたい。私などピント外れの発言も、ひとつそれなりに大いに参考にしていただきたい。この全員参加の教育改革、新聞も、ある新聞を見ますと、教育をめぐり百家争鳴なんていうことで、いろいろな投書をいっぱい集めておるということですので、全員参加の教育改革を目指していただきたいと思うのですが、いかがですか。
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森喜朗#5
○森国務大臣 教育の成果といいますか、これはなかなか予測しがたいものもございますし、今日までも日本の国民、そしてまた行政、政治、各種あらゆる分野の皆さんが、敗戦の中から今日の日本の興隆を皆目指して大変さまざまな努力をされたわけであります。やはりその基本的な大きなバックボーンというのは教育にあっただろうと思っておりますが、そういう意味でこれから特に、江田さんもそうですし、私たちの世代は、それこそ二十一世紀の中盤ぐらいまでのそういう日本の将来に対して責任がある政治家の立場でございます。
 そういう中で日本の教育はどうあるべきなのか。そういう意味で、多くの国民の皆さんの意見をいただきながら、間違いのない日本の将来をきちっと定めておくということがとても大事なことだと考えておりまして、そういう意味で、私も多くの皆さんの声に謙虚に耳を傾けながら過ちのないような日本の教育の行政を担当していきたい、こう思っているわけでございます。
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江田五月#6
○江田委員 今文部大臣のお言葉の中に出てまいりましたけれども、戦後の教育ですね。大臣が昭和十二年生まれとたしか伺っておりますか、そうすると終戦時が小学校の二年生ですか、ある意味では戦後の大変混乱した時期に教育のスタートを受けられた。私は昭和十六年生まれ、大体同世代ですが、小学校へ入ったのが昭和二十三年。大臣の場合は、恐らく墨で消された教科書をお使いになった。私の場合にはそれよりちょっと後です。しかし学校の運動場は、かわらのかけらなどがごろごろしている。学校の隅の方は、戦争中に空襲で亡くなった皆さんを積み上げて焼いたような場所がある。骨こそ出てこないようになっていますけれども、ある意味ではそういう劣悪な教育環境。教育の内容も、私、たしか小学校二年のときに、国という字が国構えに或という字を習って、今度三年のときに今の国という字を習って、一円二円の円という字も途中で変わった。そういう時期に教育を受けて、騒然たる教育環境であり、不十分な教育設備、しかし、何かあの当時の教育に私は自分の教育の原点を持っているんですが、文部大臣の教育の原点というのは一体どの辺におありなのか。
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森喜朗#7
○森国務大臣 私も初めて大臣として国会で答弁いたしましたのは、参議院の決算委員会だったんですが、そのときに参議院の社会党の先生から、大臣は戦後の教育を受けた初めての大臣だから、戦後教育がよかったか、戦前の教育がよかったか、どちらかという質問をいただきまして非常に困ったのですが、やはり教育というのはゼロ歳から生涯にわたるものだということ、私は内分の体験上そう確信をしているわけです。
 戦後のさまざまな変化はございましたけれども、今江田さんがおっしゃったように、私たちの小学校から中学に至る過程というのは、教育に非常に大きく動かされたわけでございます。しかし、その割には、自分で言うのはおかしいのですが、我々の世代はみんなそれなりにしっかりしていたと思うんですね。それは、やはり小学校に入る幼児教育というのが一つの基盤だったんじゃないかな、確かにそのころは戦争志向の、まさに戦争の激化の中での子供時代でございましたけれども、それなりに物事に対する判断力というのはきちっとついておったような気がいたしております。そういう意味で、いたずらに昔はいいとか今は悪いとか、今がいい、背がいいということではなくて、いいことと悪いことをしっかりと見きわめて、そしてそういう体験を通じながら人間生涯を全うしていきたい、そんなふうに思っているわけでございます。
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江田五月#8
○江田委員 私は、教育の原点は、私自身にとってはやはり情熱であり、悩みであり、模索であり、何かをやっていこうという触れ合いだという気がするんですね。それは小学校の校庭は石ころだらけだったけれども、僕らは石ころを片づけながら自分たちで校庭をつくった。僕らのちょっと先輩は、新しくできた中学校を自分たちでつくったわけですね。勉強の中身についても、先生方も、社会科なんというのが新しくできて、どう教えていいかわからない。しかし、その中で何か子供たちと一緒にやっていこうと……。地域と学校との結びつきも随分あって、運動会、学芸会なんていうと、それが地域の共通の楽しみの場所で、弁当を持ってござの上に座って、一日子供の下手な演芸を楽しんだなんていうのが、できのよさ悪さじゃなくて、そういう一つの触れ合いが教育の原点じゃないかという気がするのです。これは大臣も同じだと思うのですが、さて、そういう教育が今何かおかしな方向に行っている。それで教育改革。
 ところで、大臣は就任のときに、この教育改革については臨調方式でやることを総理に進言するつもりだ、そういうようなことをおっしゃいましたが、これはどういう意味ですか。簡単で結構ですからお答えください。
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森喜朗#9
○森国務大臣 臨調方式という言葉がどうもひとり歩きをして、行政改革と同じように受けとめられているということについては、いささか言葉足りずであったなと思って反省をしておるわけですが、要は教育は、文部省の行政はもちろん中心でありますが、いろんな各行政の部局に関係のあることが非常に多くなってきている、それから長期的なものとして取り組んでいかなきゃならぬ、そういうことも考えまして、政府全体としてこの問題に取り組んでいくべきだ、私はこういう意味のことを申し上げたかったからでございます。
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江田五月#10
○江田委員 それならいいのですが、しかし、どうも気になる言葉が時にあったですね。今私がここに持っているのは、「内外教育」という雑誌のインタビューで大臣が、「もし教育改革をするということになれば、相当なところから抵抗が出てくると思う。教育臨調——それくらいの構えがないと」、こうおっしゃっている。抵抗を排除して、何かのものを目指してがむしゃらに、切って切って切りまくって教育改革をやる、そういうようなニュアンスに聞こうと思えば聞こえるんですが、そういうことなんですか。それとも、何かちょっと言葉足らずで、意図は別だということなんですか、どうなんですか。
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森喜朗#11
○森国務大臣 それぞれの教育の任に当たっている方々は、自分たちの持っておられることに手を入れられることはやはり嫌なものだと思うのです。例えば四十六年答申がございましたいわゆる先導的試行という、今から見ればみんなが検討しなきゃならぬという立場になりますが、あの当時は国民が大変大きな議論を沸かせたわけでありますが、その当時、幼保の問題が出ると、あるいは就学年齢のことが出てきますと、何となく幼稚園が侵されるのではないか、あるいは学制の年限の話が出ると小学校長会が何となく異論を唱えるというふうに、やはり自分たちが抱えておりますところに手をかけられるということに対しては、どうしても抵抗するということがございまして、抵抗を排除しようという言葉はちょっと私も反省しなきゃなりませんが、まだ大臣になったばかりで、ちょっと言葉の選び方がまずかったんだと思います。先ほどから申し上げましたように、やはり政府全体として取り組んでいかなければならぬ、そういうような意味で私は申し上げたわけでございまして、まあ反対する者を押しのけてがむしゃらにやっていく、そういう意味ではないわけでございます。
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江田五月#12
○江田委員 それを聞いて安心したんですが、中曽根さんも恐らくそういう抵抗を排除してということじゃないんだろう、文部大臣も、広く国民の意見を聞きながら、国民的な大きな議論の中で方向を探っていくということなんで、ぜひそうしていただきたい。いろいろ雑音があるけれども、そういうものには耳をかさずにじゃなくて、あるいはまた、あらかじめ何か——これは聞いておかなきゃいけないんですが、あらかじめこういう教育の方向にもう向けていくんだということを設定されて、それに向けていろんな段取りだけをつくっていく、そういう教育改革じゃないわけでしょう。みんなの意見をこれから闘わせて、一つの方向をみんなで探ろうということなんでしょう、これは確認ですが。
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森喜朗#13
○森国務大臣 何度か申し上げてまいりましたが、基本的には今まで日本の教育というものは大きな成果を見ているんです。量的にも質的にも充実をいたしておりますし、世界の国々から比較いたしましても、日本の教育はまさに注目を集めている、こう申し上げてもいいぐらい充実をしていると思います。
 ただ、いかなる制度もこれで完全だとは言い切れない。これからはやはり二十一世紀を志向する。日本の国の中にも、例えば高齢化社会、高学歴化社会、あるいは情報化社会、あるいはコンピューター時代、いろんなことが考えられる。そういう時代に対応して、今のこの制度だけがすべて真っ当で進んでいくとは私には考えられない。現に、先ほど申し上げたように量的にも質的にもかなり効果が出ているのに、現実の問題としては、先ほど江田さんのお話もございましたように、何か今の日本の教育に対して物足りなさをみんなが感じている。それは一体何なのか。それは結局、国民の物の考え方に社会が対応していけなくなってきている。そういう意味で、もう少し柔軟に、あるいはまたもう少し多様化した考え方、あるいは教育を受ける立場のニーズに対してもう少し柔軟な教育体制はできないものだろうか。全体として、今の教育を踏まえながら、新しい二十一世紀を担う子供たちに対して、また国際社会の中で生きていく日本として、どのような教育があるべき姿なんだろうか、こういうことをそれぞれのお立場の皆さんで広く御協議をいただきたい、こういうことが基本的な私どもの構えでございます。
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江田五月#14
○江田委員 先ほど大臣、もう毎日のように手紙をいただく、いろんな意見があるとおっしゃいました。私は、いろんな意見だけでなくて、日本の教育全体として大きな問題を抱えているけれども、しかし、それぞれ地方地方で、現場現場で、実はいろんな工夫がやはりあるんだと思うんですね。日本の教育は悪いばかりじゃない、みんな一生懸命やっている。先生方も一生懸命、PTAも親御さんたちも一生懸命、地域の人も一生懸命のところがあって、そういうかなりの成果を上げているところは至るところにゃはりあるんだと思う。そういう現場に学ぶという姿勢がこれから必要なんじゃないかと思うんですね。
 一つ、今私のすぐ身近なところにある、これはおもしろいな、大臣にぜひこういうのを知ってもらいたいなと思う例を、これは別に私が申し上げる例が全国でただ一つすぐれているという意味じゃなくて、一つの例として申し上げてみたいんです。
 実は私の住んでおりますところ、岡山市に旭操小学校という学校がありまして、その学区は人口がおよそ七千人ぐらいのところなんですが、ここでお年寄りの皆さんがあいさつ運動、子供たちに「おはよう」、「こんにちは」とあいさつをする運動をやろうとやり出したら子供たちが返事しないというんですね。なぜだろう。お年寄りを知らない、知らない人から声をかけられてうっかり返事したら誘拐でもされるなんという時代ですからね。そこで、お互いに知り合おうじゃないか。学校の方も、それはなかなかおもしろい、地域と学校の結びつきをひとつ考えていこう。それで、六十五歳以上のお年寄りに「ふれあい会」の会員になってください。これが八十何人か会員ができまして、いろいろな催し物に参加をしていただく。遠足に一緒に行く、あるいは学習発表会、運動会へお招きをする、七夕、もちつき、お年寄りの皆さんに昔のおもちゃをつくってもらう、子供たちがそのお返しで肩をたたいてあげる、そういうことをやっていまして、それでこういう文集ができたのですね。後で学校の方から文部大臣に贈呈をさすようにちょっと言おうかと思いますが、この中で、おもしろいですよ。
 あるおばあさんの書いていることですが、「今まで六回出席させていただき、遠く離れた孫達のことを想像して楽しい一時一時を過ごさしていただきました。有難うございました。七月六日、三・四年生を対象に七夕祭り、昔の遊び等で過ごした時の思い出について書いてみます。」ずっとこうやっていまして、お手玉、「「わあ、おばあちゃんすごい。」と、おほめに預りすっかり六十年位昔に帰った様で私の方が嬉しくなりました。」そして七夕、「その日、女のお子さんが「おばあちゃん方に犬がいる。」「おらんのよ。」」岡山弁ですがね。「「ねこは。」「おらんのよ。」「何にもおらんの。」「お庭に鯉がいるよ。」というと、「ほんとう。見にいっていい。」「来て頂戴。でもお家の人に言ってからくるのよ。」」そうやって、しばらくして子供たちが遊びに来た。池のコイにえさを上げて、「「食べた。食べた。」「大きいのがいろんなあ。」」こうやって子供たちと遊んで、子供たちがお茶を飲んで帰っていった。何となくほのぼのするのじゃないですか。それから、三年生の男の子ですが、
 きょう、七夕まつりがありました。学区にすんでいる、おじいさん、おばあさんといっしょにやりました。
 ぼくたちは、おじいさんとやりました。おじいさんは、やさしく教えてくれました。ぼくたちは、紙でっぽうを教えてもらいました。作っているとちゅう、手を切ってしまいました。おじいさんは、「つばをつけてごらん。」と言いました。ぼくは、つけてみました。つけるとあんまりいたくありません。おじいさんは、やさしいと思いました。けがしてつばをつけると、つばに化膿防止の効果か何かあるらしい。そんな研究発表もあるようですが、そんなようなことで地域とお年寄りとが結びついていく、学校とお年寄りが結びつく、子供たちがお年寄りの友達を何人つくったなんて競争を始める、お年寄りが一つの生きがいを見つけていく。今大臣、高齢化社会を迎えたと。こういうすばらしい現場の実践というのがあるんだ、これをずっとたずねていこうじゃないか、そんなお気持ちになられないでしょうか、どうでしょうか。
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森喜朗#15
○森国務大臣 今の江田さんの地元の旭操小学校のお話、大変興味深く伺いました。
 私は、戦後の教育の中で、地方のそれぞれの教育委員会に教育のいろいろな意味での権限をお任せをしてある、それは学校教育が多様的になっていくという意味で非常にいいことだと思うのです。ですから、その地域地域の実情に合った教育年教育委員会あるいは学校長、教職員の皆さん、そして児童生徒、みんなが一緒になって自分たちの学校を盛り上げていく、そして教育の効果をよくあらしめていく、これは私は戦後の教育の一番いいところだ、そういうように思います。
 したがって、今日本の子供たちは、僕たちが考えてみてかわいそうだなと思うのは、やはりお父さん、お母さんは忙しい。どうも日本のこの現代社会というのは、それぞれ独立して核家族になっていくことが何となく文化生活のように一時的に思っていた時代があった。おじいちゃん、おばあちゃんのいないところにお嫁に行くというのは、何か若い人たちの希望みたいであった。しかし最近では、おじいちゃん、おばあちゃんがいてくれた方がいいなという考え方にだんだん若い人たちも少しまた変わってきたような感じもするわけであります。特に幼児教育などというのは、長い人生の経験をしてこられたお年寄りの方から自然な形で教えられる知恵というのが、我々の昔を振り返ってみても、父母に教えられたことよりも祖父母に教えられたことの方が非常に印象に残っているわけであります。そういう意味で、こうした旭操小学校のような、地域全体がお年寄りを理解して、おじいちゃん、おばあちゃんも、どちらかといえば戦後何となく子供たちにそっけなくされておったけれども、こういう学校を通していろいろ多くの、みんな我が孫のように触れ合うことができるというのは私は大変すばらしい教育のあり方だろうと思います。
 私自身、自分の生まれ出た小学校を見てみましても、やはりおばあちゃん、おじいちゃんを入れた運動会をやりましたり、いろいろそれぞれの工夫をしているようでございますし、孫とお年寄りの運動会なんというのは私の選挙区でもよくやっておりますが、見ておりましても、非常にほほ笑ましくていいなというような感じがいたします。そうすると、町の中を歩いておりましても、親を全然知らなくても孫の顔を知っていて、「おい、五月君」なんて言っておじいさんが頭をなでている。みんなが地域社会全体に子供たちをよく導いていこうということになる。そういう意味で大変すばらしいことだと思います。ぜひ江田さんを通じて、学校の皆さんにも激励をしてあげていただきたい。こうした考え方でできるだけ地域全体と取り組むということ、いわゆる不良、問題児童というものの対応には、家庭と地域社会と学校の連帯というのが一番大事なことでございますので、文部省としてもそういう方向は大変ありがたいと思っておりますし、またできる限りそういうような方向で指導もしていきたいな、こう思うわけでございます。
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江田五月#16
○江田委員 確かに核家族の動きに対して一つの反省も起こってきている。しかし、これは国が三世代同居をしろとか、おじいさんと一緒に住めとか言って号令をかけてそうなるわけでもないし、やはり核家族という大きな趨勢はあるんだと思うのですね。ですから、家庭の中でお年寄りと孫と触れ合わさせるというのは、なかなかそうはいかない。そうすると、やはり地域でそういうコミュニティーづくりにみんなが励む。背はコミュニティーづくりなんて励まなくても、強過ぎるくらいな向こう三軒両隣、隣組とかなんとか、私はその当時は小さいから知りませんけれども、そういうのが強過ぎた。今はなくなってしまって、コミュニティーというのをみんなが意識してつくらなければいけなくなってきている。そういう時代ですのでこうした動きが本当にありがたいと思うのですが、しかし、こういう中で大臣、悩みもあるのですよ。
 まず、こういう前例が余りどこにでもあるわけじゃないので、それなりに教師も決断をしなければならぬ。ひょっとして教育委員会に怒られるのじゃないかなんということを気にしながら、いや、しかしといって信念を持って決断をする、これは決断をします。ですからよろしい。しかし、カリキュラムが込み過ぎていてなかなかその時間がとれないというような問題、あるいは予算がもうどうにもしょうがない。この旭操小学校の場合には、学校全体の予算から二十万何とかひねり出したんだけれども、それを老人クラブの予算の方から出してもらってどうやら使わずに済んだとかいう話ですが、予算的にも非常に困る。
 これは一般的要望で、そういうこともひとつお考えになりながら手当てをしていただきたいと思いますが、特に困るのがお年寄りがけがした場合ですね。あるいはお年寄りですから何かの拍子に事故が起きた場合に、これは一体どうなるのか。例えば学校安全会は子供たちだけということですけれども、そういう学校での教育の場で事故が起きたときに、先生はいろいろ手当がありますけれども、地域の皆さんが入ってきて学校での一つの行事をやっているようなときに事故が起きた場合に、学校安全会では無理ですかね。そうでなければボランティア保険とか、そうしたことで何か知恵を絞ってみるという態度が今文部省に必要とされているのじゃないかと思うのですが、いかがですか。
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森喜朗#17
○森国務大臣 今お話がございましたような行事だけでなくて、学校を中心とした社会教育におきましても、できるだけ参加者の皆さんの健康とか安全に配慮するというのは当然のことだろうと思いますが、今御指摘をいただきましたように、教育行政の中でこうした立場の特別の補償制度、これはやはり教職員そして児童生徒というふうにある程度限られているわけでありますから、それを社会参加の皆さんへも及ぼすということ、現実の教育行政の中でそれを組み入れるということは困難だろうと私は思います。詳しいことが必要でございましたら政府委員から答弁をさせますが……。
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江田五月#18
○江田委員 教育行政という小さな枠じゃなくてもっと広く、だって教育改革なんという内閣全体にわたるようなことをお考えなんですから、教育行政と今の行政のいろんなシステムの中で、こうやったらあそこが問題、ああやったらここが問題なんというちまちましたことじゃなくて、こういうものに対して本当に安んじてそういうことをみんなでやっていただくために、国の方は心配のない体制をつくるよういろいろ勉強してみますと、そのぐらいのお答えがあっていいと思うのですが、どうですか。
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高石邦男#19
○高石政府委員 学校管理下における補償については先ほど大臣が御答弁申し上げたとおりでございますが、例えばスポーツ保険というのがありまして、スポーツ活動を重視している際に、自主的な形での保険の仕組みができ上がっているわけでございます。したがいまして、一般的なボランティア活動だとかそういう面について、スポーツ保険と同じような形での自主的な保険制度ができれば一つの前進かと思うのです。そこまでいくためには、検討していかなきゃならぬ問題がいろいろあろうかと思います。
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江田五月#20
○江田委員 問題を変えまして、地域の実情に合った教育、それぞれの地域地域での教育実践というのが大切だ、そういうものが教育を生き生きさせるという、そういう認識を大臣がお持ちであることを伺って本当にうれしいんですが、それにしては先般「中野区教育委員会の委員の選任に関する事務の改善について」五十九年三月五日付、文部事務次官、東京都中野区長殿という、これは地方自治法に基づく勧告ですか、お出しになった。どうもそれぞれの地域の教育実践に対して、文部省が余計なくちばしを差し挟んでいるんじゃないかという気がするんですが、この点はちょっと文部大臣と対立をするかもしれませんけれども、なぜ一体こういうことをおやりになったんですか。
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森喜朗#21
○森国務大臣 今申し上げたように、それぞれの教育委員会のもとで生き生きとした教育をやるということは大変私は結構なことだと思いますが、やはり日本の国は法治国家ですから、法律の枠の中でやるということが基本的な姿勢じゃないでしょうか。教育行政を進めるに当たっては、教育基本法、学校教育法あるいは地教行法、それぞれの法律があって、その法律の中で柔軟にやっていくということでなかったら、法治主義ということを否定することになるのではないか。そんなことは江田さんが一番よくおわかりになっていると私は思うのであります。そういう意味で、文部省といたしましては、かねてからこの問題については違法であるという見解を表明してきたところでございます。
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江田五月#22
○江田委員 違法であるか違法でないかというのも、これもいろいろ見解が分かれる場合があるんですね。憲法九条についてもいろいろな解釈がある。やはり見解が分かれる場合に、余りかたくなに考えてしまってもどうも困るので、恐らく文部省は区長の教育委員選任権が阻害されるというお考えなんだと思います。
 ところが、これは教育委員の場合じゃありませんけれども、裁判所の判断が、東京の場合ですが、区議会が区長を選任するという制度の時代に、投票をしてその投票結果を参考にして区長を選んだ。だから、区長についてだれがいいかという一種のアンケートのような投票を行ってみて、その結果を参考にして区議会が区長を選ぶという、そういう制度を採用したときに、東京高等裁判所もそれから最高裁判所も、そういうような制度は違法でない、こういう判断をしておるんですね、この最高裁、高等裁判所の判断、裁判所の判断というのがやはり法律の判断については最終的な判断だということは、これは法治主義ですね。それならば、その判断を尊重されたらいかがですか。
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森喜朗#23
○森国務大臣 それは区長を選ぶということに対しての法を皆で定めたんだろうと思いますが、教育委員を選びますのは、教育委員を任命制にするということは法律で決められているわけでございます。したがって、参考にする——当時は尊重するとかいろいろ変化をしたようでありますけれども、やはりこれは区長の権限でありますから、たとえ参考ということでありましても、端的に言えば区民の税金を使って、そしてまあ一応公選のような形で選挙をして、その選ばれた順位を全く無視して選ぶということは区長としては恐らくしにくいはずでございましょう。したがって、区長が教育委員を選ぶという権限はやはりそこに制約を受けるということになるので、それは法に触れる、我々はそう考えているわけであります。
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江田五月#24
○江田委員 区民の税金を使ってとおっしゃいますけれども、教育改革にお金が一銭もかからぬなんて、大臣も思っていらっしゃらないわけですよね。これで区長の参考のための投票というのは、五十九年度の場合の予算が三千五百万円だそうですね。三千五百万円程度で区の教育に対する区民の参加ができて、みんなが区の教育について関心を持って、すばらしい教育制度ができるならば安いものじゃないですかね。私はこれは違法じゃないと思うのです。違法じゃないところか、むしろすばらしい区民の知恵だと思うのですが、もし違法だとおっしゃるなら、なぜとことん違法だからやめろというふうに文部省は頑張らないんですか。頑張っておられますか。
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高石邦男#25
○高石政府委員 第一回目の準公選の際にも、文部省は東京都を通じてそういう見解で指導してきたわけです。今回も、区の方で条例を議決する前に文部省の見解を明らかにするということで勧告を出してきたわけです。
 ただ、法律的にいろいろ区とそれから国が争うということについては直接的なルールがない、裁判にこれを持ち込むというようなルールがないということで、基本的に文部省の姿勢は、この制度は違法であるということで見解を明確にしてきているわけでございます。
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江田五月#26
○江田委員 前回のとき、区議会が議決をして、区長がそれに対して再議に付して、もう一週区議会が議決をして、そして区長が都知事に対して審査の申し立てをして、都知事がその審査を却下する裁定を下した。
 さて、地方自治法にすごい規定がありますね。たとえ住民に選ばれた知事であっても、その知事に対して所管の大臣がある行動をとるように命令して、もしその命令に従わなければ、最終的には知事を罷免させることができるような制度がありますね。なぜそういう制度をおとりにならないんですか。
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高石邦男#27
○高石政府委員 確かに御指摘のように、地方自治法の形態で国の機関委任事務につきましてはそういうルールがあるわけでございます。ただ、今回の教育委員選任の準公選について地教行法の解釈をする立場にある文部省、文部大臣、それはその意思を明確にしているという立場でいろいろ行政指導をしてきたわけです。
 そこで、地方自治法の規定に基づく機関委任事務と考えて、そういうルートでそれが処置できるかどうかという問題が残るわけでございます。この問題は、地方自治法の解釈については自治省が有権的な解釈をするわけで、自治省にもいろいろ問い合わせをしておりますけれども、自治省の見解はこれについてまだ検討していかなければならないということで、それが機関委任事務になるという判断を明確にしていないという段階でございます。
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江田五月#28
○江田委員 かなり言いわけでして、三年前ですか、この問題が起きたときに、都知事の裁定の権限が国の機関としての権限であるかどうかというような検討はされてないんじゃないですか。そこまで、職務執行命令、地方自治法百四十六条ですか、までやらなければというようなことまではお考えになっていなかったんじゃないですか。そうじゃなくて、見解は違うけれども、しかし、しばらく情勢の推移、様子を見ていこう。行政指導という形で、指導に従わなくてもそれはそれで、地方でやっていることだから、別に違法だという見解を変えるというところまではいかなくても、様子を見るのもまた結構じゃないかという程度の気持ちじゃなかったのですか。どうなんですか。
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高石邦男#29
○高石政府委員 第一回目のときに、御指摘のように、ぎりぎりいっぱい争って最終的には区長の罷免権までいくような決心でやるかどうかと、そこまでの詰めた議論を徹底してやられなかったという点は御指摘のとおりだと思うのです。
 ただ、第二回目の中野区の投票をやるという状態が実は全国的に、関西においてもそういう動きが出てきたということで、これは中野区だけではなくして、かなり全国的な問題として波及するという状況を憂慮しているわけでございます。したがいまして、そういう段階になれば、なお一層これに対して強い対応をしていかなければならない。先ほど先生御指摘の三千五百万という話がありましたが、これを全部の市町村三千に掛けて、ないしは都道府県までそれをやると一千億ぐらいの金がかかるわけですね。だから、そういうような形でやるのが、本当に準公選にそれだけの金を投資する値打ちがあるのかという議論もあろうかと思うのです。
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