尾崎末吉 に関する国会発言

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1982-08-19 林百郎 法務委員会 衆議院

○林(百)委員 念のために申しますが、新入会者の横顔として、星野亨斉というのが新入会した。これは昭和十四年生まれで、藤沢市下土棚六百四十、郵便番号二五二、ここまで書いてあるのですよ。ここへ行けば、これは隊員だからすぐわかるわけですから、あなた、これわかっていませんか。わかっていなかったらいま申しますから、よく覚えておいてください。藤沢の下土棚六百四十番地です。郵便番号二五二です。これが最近隊へ入った。衆議院議員戸沢政方の私設秘書だとまで

1982-08-06 山原健二郎 文教委員会 衆議院

○山原委員 警察庁おいでくださっていると思いますが、この教科書論議が始まりまして、右翼団体からの脅迫状が幾つか来ております。他の党の方にも来ておるかもしれません。これは恐らく星野亨斉という人物だろうと思いますが、現職の衆議院議員戸沢政方私設秘書あるいは横浜、森田弁護士事務所事務局長、元衆議院予算委員長尾崎末吉秘書というような名義でございまして、こういう中身なんです。  私の党の松本善明議員、さらに参議院の佐藤昭夫議員に対するものであり

1958-04-03 青野武一 法務委員会 衆議院

○青野委員 私は、先ほども申しましたように、岸総理がおいでになったときに、神近さんからぜひという希望がありましたので、質疑を保留して、そうしてお譲りしたわけでありますが、岸首相が三悪追放を天下に呼号せられても、岸総理が一人ではやれないことです。唱えておることはまことにりっぱなことである。貧乏、汚職、暴力を追放すると言う。私は、演説のときに、汚貧暴追放、こうやっておる。聞いている人は何言っているかわからないけれども、汚は汚職の汚、貧は貧乏

1954-12-21 山口喜久一郎 予算委員会 衆議院

○山口委員長 先刻の津雲國利君の質疑に関して尾崎末吉君より関連質疑の発言を求められておりますから、これを許します。尾崎末吉君。

1954-11-30 菅家喜六 議院運営委員会 衆議院

○菅家委員長 次に国務大臣の演説であります。政府の所信に門する演説、内閣総理大臣吉田茂君、財政に関する演説、大蔵大臣小笠原三九郎君であります。  次に、すでに決定しておりました追悼演説の件ですが、名誉議員尾崎行雄君に対しては金光庸夫君、議員冨吉榮二君に対しては尾崎末吉君、議員菊川忠雄君に対しては花村四郎君、議員金子與重郎君に対しては武藤運十郎君、右四君が議員一同を代表して追悼演説を行うということに決定いたしましたが、御異議ありませんか

1954-11-30 尾崎末吉 本会議 衆議院

尾崎末吉君 ただいま議長の御報告のごとく、衆議院議員冨吉榮二君は去る九月二十六日夜半洞爺丸船中において不慮の死を遂げられました。まことに哀惜の情にたえません。私は、ここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手)  君は、明治三十二年七月鹿児島県国分町に生れ、大正九年に私立研数学館高等科を卒業せられました。一時教壇に立たれましたが、二年ばかりで教鞭を捨て、そのころようやく盛んになりかか

1954-11-30 堤康次郎 本会議 衆議院

○議長(堤康次郎君) なお御報告いたすことがあります。議員冨吉榮二君及び議員菊川忠雄君は去る九月二十六日洞爺丸で遭難逝去せられました。また、議員金子與重郎君は去る十月九日にわかに逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。三君に対する弔詞は議長においてそれぞれ贈呈いたしました。なお、この際、弔意を表するため、尾崎末吉君、花村四郎君及び武藤運十郎君よりそれぞれ発言を求められております。順次これを許します。尾崎末吉君。     

1954-11-29 菅家喜六 議院運営委員会 衆議院

○菅家委員長 次に、追悼演説の件でございます。名誉議員尾崎行雄君、議員冨吉榮二君、菊川忠雄君、同じく金子與重郎君の四君が逝去されましたことば御存じの通りでございます。この追悼演説者を決定しなければなりませんが、理事会においては、尾崎行雄議員に対しては年長者の金光庸夫君にしていただくことに決定を見た次第でございます。なお冨吉議員に対しましては尾崎末吉君、菊川さんに対しましては花村四郎君、金子與重郎君に対しては武藤運十郎君、おのおのこの四君

1947-07-30 加藤勘十 労働委員会決算委員会連合審査会 衆議院

○加藤委員長 尾崎末吉