戸叶里子 に関する国会発言

← 検索ページへ

517件  /  26ページ  /  1 ページ目

1989-04-11 河上民雄 外務委員会 衆議院

○河上委員 なぜこのことに私がこだわるかと申しますと、昭和四十五年の改正のときに、我々の先輩の帆足計さんとか戸叶里子さんとかそういう方々がこの問題について非常に深く掘り下げた議論を情熱を持って闘わせておられます。当時帆足さんはソ連に行くというのを阻止されたわけですけれども、今やそういうことはなくなりつつあります。歴史の流れの中で、極めて技術的な旅券法でありますけれども、日本の外交的姿勢のあり方というものがいつも問われてきた。そういう意味

1983-05-13 河上民雄 外務委員会 衆議院

○河上委員 私ども当委員会における過去の審議状況を振り返ってみますときに、この基金というのがいつごろからあったのか必ずしもよく承知しておらないのでありますけれども、かつて戸叶里子委員あるいは伊藤惣助丸委員が質問に取り上げた問題がありまして、それは基金の使い方というものの内容についてであります。その結果当時農林省がその使い方についてチェックをするということで一応決着がついたというふうに聞いておるわけでございますけれども、いまのお話でござい

1979-02-27 西宮弘 予算委員会第二分科会 衆議院

○西宮分科員 私も、ぜひそうあってほしい。また、そうするという道を歩んで、われわれの終局の理想に近づいていくという以外にはないのじゃないかと思います。  大変偉そうなことを言うようで恐縮でありますが、ここで、日本におけるいわゆる世界連邦というか、世界国家というか、そういうものの思想の系譜を若干御披露しておきたいと思うのです。  まず、幕末の碩学佐藤信淵、この人は「混同秘策」という書物をあらわしまして、その中で今日言うところの世界連邦

1976-08-24 戸叶武 外務委員会 参議院

○戸叶武君 私は、かねがね、政治家の生命は見識にある、政治家の評価はその進退によって決する、こういう見解を持っております。いま宮澤さんに期待しているのは、やはり自民党の中にも、少数であっても見識を持った政治家が存在してもらいたいのであります。政権争奪にのみ狂奔するような形においては私は国民の信を失っていくと思うのでありまして、文明史観と哲学を持たない民族は必ず滅びるのです。人類のいままでの歴史を見ても、ギリシャでもローマでも、ヨーロッパ

1975-12-16 戸叶武 外務委員会 参議院

○戸叶武君 私はもう議会政治の、あなたは議会の子になり私は議会の鬼になろうと考えております。私らは地位や何かを求めていないが、やはり十歳のときまで感化を受けた田中正造翁の精神というものが全身に焼きついております。九月五日に私は「湯川博士と田中正造翁の悲願」という文を朝日新聞の論壇に書きましたけれども、私は最高の知性人と見られる湯川さんでも田中正造翁でも、現実政治から飛躍するかもしれませんけれども、人が人を殺すような殺戮の修羅の世界をなく

1974-04-05 田英夫 予算委員会第二分科会 参議院

○田英夫君 時間が来ましたので意見だけ最後に言わしていただきますが、実はこのミクロネシア協定も、日本側の十八億円というのはなぜか物資と役務で支払う、そしてアメリカ側はキャッシュで支払う、こういうことになっていて、この問題については、私の記憶では当時これを審議した衆議院の外務委員会で、ここに戸叶先生おいでですが、戸叶里子先生が取り上げられたと記憶しておりますが、社会党の委員の方から指摘があったと思います。にもかかわらず、これがそのまま多数

1974-03-06 渡部一郎 外務委員会 衆議院

○渡部(一)委員 それじゃ局長御退席してけっこうでございます。  今度は外務省のほうに伺います。  まず非常に妙な話から伺うわけでありますが、気になさっている方もありますので、非常に妙な話を一つ伺います。  衆議院外務委員会昭和四十四年六月六日の審議によりますと、当時戸叶里子議員はこの付表の「付」の字に対しまして精細な議論をいたしております。こざとへんのある「附」の字とこざとへんのない「付」の字という有名な議論をなさったわけであり

1972-08-11 戸叶武 農林水産委員会 参議院

○戸叶武君 足立さんは戦後のドルの不足の荒廃期の事例を述べましたが、私は、昨夜、外交問題と二十五年八カ月取り組んできた私のなくなった妻の戸叶里子のメモを繰り広げてみましたところが、やはりあの荒廃期における農政の中の具体的な間違いとしては、一九六七年までの五年間に米国から二百九十七万トンの外米を押しつけられた。日本においては一九六八年、昭和四十三年ですが、二百六十五万トンの米が余った、こういう事実が明確にはっきりしているのに、具体的な事実

1971-12-23 田中榮一 外務委員会 衆議院

○田中委員長 これより会議を開きます。  この際御報告申し上げます。  二十数年にわたり、終始外務委員会の委員あるいは理事として委員会の審査のために尽力されてまいりました戸叶里子君が去る十一月七日逝去されました。まことに痛恨のきわみであります。  ここに哀悼の意を表し、御冥福をお祈りするために黙祷をささげたいと存じます。御起立をお願いいたします。黙祷。   〔総員起立、黙祷〕

1971-12-08 中沢伊登子 物価等対策特別委員会 参議院

○中沢伊登子君 ちょっと二、三点お伺いをしたいんですが、きょうは、はからずも、消費者保護基本法をつくることに非常に御尽力になった衆議院の戸叶里子さんの党葬の日でございます。たいへん何か私ども意義があるような感じがするわけですが、その日に、こうして皆さんと物価問題でいろいろ議論することができることを、たいへんうれしい感じがいたします。  きょうは御遠方からいらしていただいたわけですが、先ほど来いろいろとお話を伺ったり、また質問が行なわれ

1970-12-24 田中榮一 外務委員会 衆議院

○田中委員長 戸叶里子君。

1970-12-17 田中榮一 外務委員会 衆議院

○田中委員長 これより会議を開きます。  国際情勢に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。戸叶里子君。

1970-12-10 松平忠久 物価問題等に関する特別委員会 衆議院

○松平委員長 戸叶里子君。

1970-12-04 田中榮一 外務委員会 衆議院

○田中委員長 戸叶里子君。

1970-12-03 岩間正男 外務委員会 参議院

○岩間正男君 沖縄の金武(きん)湾におけるアメリカのガルフ石油会社に対する港湾管理権の問題をめぐって二、三お聞きしたいと思うんです。これはまあ非常に今後の対米外交の政府の姿勢をはかるバロメーターとして重要だと思う。で、外相は去る十一月十七日の衆議院外務委員会で、戸叶里子議員の質問に対して次のように答えています。「ガルフ会社に対して六十年間の管理権が与えられた旨の報道についてでありますが、問題にされております指令にはこのような規定は全然ご

1970-11-17 田中六助 外務委員会 衆議院

○田中委員長 引き続き国際情勢に関する諸問題について質疑を行ないます。戸叶里子君。

1970-11-17 田中六助 外務委員会 衆議院

○田中委員長 戸叶里子君。

1970-09-10 田中榮一 外務委員会 衆議院

○田中委員長 戸叶里子君。

1970-07-15 田中榮一 外務委員会 衆議院

○田中委員長 これより会議を開きます。  国際情勢に関する件について調査を進めます。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。戸叶里子君。

1970-07-10 松平忠久 物価問題等に関する特別委員会 衆議院

○松平委員長 戸叶里子君。