椎名悦三郎 に関する国会発言

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2024-05-24 浜田聡 政府開発援助等及び沖縄・北方問題に関する特別委員会 参議院

○浜田聡君 ありがとうございます。  この件、石垣市の中山市長であったり、あと、石垣市議会、いずれも重く受け止められていると承知をしております。大臣におかれましても、適宜御留意いただければと思います。  次に、質問の順番を変えまして、上川外務大臣に日米関係について一つ質問させていただきたいと思います。  言うまでもなく、日本にとってアメリカは最も重要な同盟国でありまして、その関係性について外務大臣として常に気を配っておられること、

2018-03-26 儀間光男 予算委員会 参議院

○儀間光男君 よく外交史を見ていますと、同盟国であったにしても、自国の利益が第一優先ですね。なかんずくトランプ大統領、アメリカ・ファーストですから、自国が北朝鮮あるいは韓国と、あるいはその背景にいるロシアや中国とうまくいくことになるというと、アメリカン・ファーストで時として同盟国の立場を吹っ飛ばしていくような、外交の中のよくあることなんですね、それを心配しているところです。  直近では、身近では、一九七二年、昭和四十七年、四十六年です

2018-03-22 渡辺喜美 財政金融委員会 参議院

○渡辺喜美君 要は、源泉徴収制度も法人税法も昭和十五年にできたという制度なんですね。その頃、近衛内閣だったかと思います、二年前の昭和十三年に国家総動員令というのが出されます。企業は競争するな、国家社会主義ですよ、早い話がね。それで、企業に戦費調達を代行させる。これがオール月給制化の下で行われた国家社会主義政策。そうやって集めたお金を今度は内務省が地方に配賦する。地方交付税の原形、地方配付税というのも同じ昭和十五年に作られております。

2013-05-22 笠井亮 外務委員会 衆議院

○笠井委員 しかし、向こうの側はそうは言っていないわけで、だから三条に基づいて言ってきているというわけであります。  そもそも、協定第三条が設定されたこと自体が、一九六五年の協定締結当時、日韓間で解釈に関する紛争が起こり得ることに備えたものであることを示していると思うんです。つまり、二条でそう言っているけれども、三条でわざわざこういう項目を設けている。  日韓基本条約締結当時、日本側の交渉責任者であったのは椎名悦三郎当時外務大臣であ

2011-04-22 伴野豊 外務委員会 衆議院

○伴野副大臣 笠井委員にお答えいたします。  一九六五年、文化財及び文化協力に関する日本国と大韓民国との間の協定を締結されましたのは、当時、昭和四十年十二月十八日と記憶しておりますが、内閣総理大臣及び外務大臣におかれましては、佐藤栄作内閣総理大臣と椎名悦三郎外務大臣でいらっしゃいます。  また、いま一つの、一九九一年、故李方子女史云々という協定を締結されました当時の内閣総理大臣、これは平成三年五月二十四日と記憶しておりますが、内閣総

2007-02-28 近藤洋介 財務金融委員会 衆議院

○近藤(洋)委員 そうですね、経理局長ですね。  資料二、資料の一枚目をおめくりいただきたいんですが、ここに自由民主党の歴代経理局長が記載されています。やはり、経理局長というのは、こう見るといかに重要なポストかよくわかります。歴代を見ると、椎名悦三郎先生、前尾繁三郎先生、宮沢喜一先生、小沢辰男先生等々、大変立派な方々がなられております。最近でも、福田康夫先生、麻生太郎先生、亡くなられましたが亀井善之先生等、大変見識のある方々がなられて

2005-03-25 渡辺周 安全保障委員会 衆議院

○渡辺(周)委員 それはタイミングもあると思うんですね。ただ、私自身は、ちょっとこれは一体いつまで続くんだろうかと。  一つ国内事情を考えますと、四月の末に韓国で国会の補欠選挙があるそうなんですが、今大統領を支持している与党が非常に劣勢に立たされている、いや、今回の選挙事情じゃなくて、かつてのような期待がなくなっていて、しりすぼみになっているのではないか。そして、当然、選挙ですから、どちらも反日ということを一つテーマに、争点にすれば、

2002-02-27 達増拓也 経済産業委員会 衆議院

○達増委員 去年の秋の臨時国会のときに、戦前、経済危機の中で満州国という国づくり、そこで新しい産業家、当時の革新官僚などもそこに集って、本国の方にないような新しい産業、そして社会福祉、文化芸能なども巻き込んだ、そういう新しい国づくりというのをフロンティアでやった。軍事力を使ってよそのところに行ってやるというのはだめなわけでありますけれども、二十一世紀のフロンティアは、地域というのがやはりフロンティアなんだと思います。  中央集権の中で

1995-06-13 青木慎治 厚生委員会 衆議院

○青木参考人 私は、本来、ここに立っているのが大変不思議な立場なんです。  と申しますのは、一九八九年の三月に肝臓移植をサンフランシスコで受けました。といいますのは、八七年に、私はその当時、皆さんにもなじみのあった椎名悦三郎という立派な政治家の秘書を長年務めておりまして、選挙区へ行っておりまして、選挙区は岩手でございますが、花巻から帰ってきて、どうもおかしいなと思ったのが、夜半に大吐血をいたしまして、そのまま救急車に乗せられて最寄りの

1994-05-23 大出俊 予算委員会 衆議院

○大出委員 さっき私が申し上げましたように、十六年も私は内閣委員会にいましたから、永山忠則さんが内閣委員長で、靖国神社国家護持法案でこんなになっちゃって、担架で委員長は運ばれた。私は心配して飛んでいったこともあるんですよ。小宮山重四郎君だなんだ、藤尾君だの、三原朝雄さんだのみんな理事で、一番印象に残るのは、恩給で本当に一生懸命やってくれたのは、千葉の、自民党の筆頭理事をやっておられて……「椎名悦三郎さん」と呼ぶ者あり)椎名悦三郎さんじゃ

1989-05-17 竹下登 予算委員会 参議院

○国務大臣(竹下登君) ただいまの問題でございますが、昭和三十九年十一月九日でございましたが、私は内閣官房副長官を拝命いたしました。北朝鮮の日本人妻の里帰り問題は、そのころからもとより問題になっておりました。私自身、その後失脚されましたけれども朝総連の最高幹部の方とお会いをいたしまして、初めていわゆる北朝鮮に対する墓参、したがって受け入れの再入国の問題は、当時の外務大臣は椎名悦三郎先生、法務大臣は石井光次郎先生でございましたが、私が調整

1988-12-06 石原慎太郎 決算委員会 衆議院

○石原国務大臣 先般、アメリカの駆逐艦タワーズ号が事もあろうに日本の領海内で実弾の射撃練習をいたしました。しかも、これはまだ確認されておりませんけれども、そこにフライヤーを投下するほかの艦船は周囲におりませんでしたし、海の上でフライヤーが燃えておりまして、何事かと思い、そこに急行をしました保安庁の「うらが」という船を一種の標的にして、直接撃ったわけじゃありませんけれども、海の上でよくあることですが、何か目標を定めて、それから数百メートル

1984-04-17 竹下登 大蔵委員会 参議院

○国務大臣(竹下登君) 特許庁のいわゆる人員の問題でございますが、これは何年でございましたか、特許庁長官が十六年組の人でございますから、今若杉さんが二十八年ですから十二年ぐらい前だったと思いますが、あの行管長官が木村武雄さん、通産大臣が椎名悦三郎さん、そのときに何かの関係で間へ入らせられまして、片や百何十人、片やで、結局、足して二で割って百人にするとなんですから、二けたというので九十九人ということを覚えておりまして、そのときから多少コン

1984-04-04 竹下登 予算委員会 参議院

○国務大臣(竹下登君) 私も今度大蔵大臣になりまして、今まで大臣になって、自分が一番年寄りだったことは今度が初めてでございます。その点、我が大蔵省を見ましても、幹部職員で大正生まれが私と事務次官と二人、こういうような状態になりました。したがって、例えば岸信介先生とか椎名悦三郎先生とかそういう人は大体四十歳と四十一歳で事務次官になっていらっしゃる。あのころから見るいわば平均寿命ですか、そういうものの伸び方からいたしますと、やはり徐々にそう

1982-03-18 櫻内義雄 予算委員会 参議院

○国務大臣(櫻内義雄君) これは先ほど申し上げましたように、一九六五年の六月二十二日に交換公文によりまして竹島のような紛争地域がある、紛争問題がある、こういうことからそういうものに対する取り扱いが明記されておるのであります。日本国外務大臣椎名悦三郎より大韓民国外務部長官李東元閣下に手紙が出て、それに対してまた李東元外務部長官から椎名悦三郎外務大臣あての文書が来ております。「両国政府は、別段の合意がある場合を除くほか、両国間の紛争は、まず

1981-04-09 川本敏美 社会労働委員会 衆議院

○川本委員 いわゆる政府の方針というのは先ほど来いろいろ言っておられますけれども、昭和四十二年六月二十七日に当時の自由民主党幹事長福田赳夫、自由民主党総務会長椎名悦三郎、自由民主党政務調査会長西村直己、総理府総務長官塚原俊郎、大蔵大臣水田三喜男、この五名による合意文書が御承知のとおりあるわけです。  その合意文書はどういうことかといいますと、そのとき、昭和四十二年にいわゆる引き揚げ者に対する特別交付金の交付をするという法律が出されて、

1981-03-10 鈴木善幸 予算委員会 参議院

○国務大臣(鈴木善幸君) 確かに、私はそのとき自由民主党の総務会長でございました、総理官邸の総理の執務室に当時の副総裁であられた椎名悦三郎さん、それから幹事長の二階堂進君、総務会長の私、それから政調会長は山中君であったと思います。この四人が呼ばれまして、非常に自分は疲れておる、もう政権を担当する気力もうせたと、ついては後継者について諸君がよく相談をし、副総裁を中心にして後の措置を講じてほしいと、確かにこういう意味合いのことを私ども副総裁

1980-03-29 竹下登 予算委員会第二分科会 参議院

○国務大臣(竹下登君) 三つございます。退職金問題については民間からもそのような指摘があるではないかと、これは事実でございます。したがって、二年たった今日検討に入ったということであります。一方、先般も民間と話し合いをやりまして、これも宇野さんと官房長官と私とでやったわけですが、民間から公社、公団の人をいただこうじゃないかということになると、今度は給料が安いからなかなか出にくい、まあこういうような事態もあって、むずかしいものだなあというこ

1979-06-05 久保亘 文教委員会 参議院

○久保亘君 あなたがいま言われましたようにね、大学とは直接関係を持たない任意の団体だということですね。ところが、趣意書も、それからその経理の操作も、全部大学の中で行われておりました。ただ、だれが会員で、だれが幾ら金を納めたのかということだけが明らかにならない。昨年の四月に事実上解散したようなお話でありますけれども、昨年の四月に事実上解散したとすれば、そのときこの後援会はどういう清算をしたのか、そういうことも一切不明のままであります。これ

1979-06-05 久保亘 文教委員会 参議院

○久保亘君 ここの学園の不正入学を調査された、その調査の結果などをお聞きしたり、資料を見せてもらったりしますと、判定資料の中に、もう初めからいわゆる申請者というのか、理事長などが、受験生の名前が書いてある、その横に欄があるんです。そこに理事長の名前が書き込まれておる。そして欄外にいろんな人の名前が勝手に書き込まれておるんです、これはまあ勝手に書き込まれたんでしょうがね。そして、そういうことが入試委員会に対して、理事長がこれだけは入れても