町村金五 に関する国会発言
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○中山(泰)委員 自由民主党の中山泰秀でございます。 本日は、今懸案になっております国家安全保障に関する特別委員会におきましての特定秘密の保護に関する法律案に賛成の、もちろん立場で質問をさせていただくわけであります。賛成討論のように聞こえるというお声がございましたが、ありがとうございます。意識して、あえて発言しております。 まずは、ここまでに至る経緯で、自由民主党内ではプロジェクトチームが立ち上がりました。秘密保全等のプロジェク
○議長(河野洋平君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。 ————————————— 伊吹 文明君のあいさつ 此度、院議により在職二十五年の表彰を賜わりました。昭和五十八年の初当選以来、苦しかったこと、政治家冥利であったこと等々、過ぎし歳月を想い、万感胸に迫るものがあります。この表彰は身に余る光栄でありますが、ひとえに先輩、同僚の皆さまのご指導
○町村国務大臣 私は、今まで何度も沖縄に参りました。 一番最初に行ったのは、昭和三十八年のときであったと記憶をいたしております。北海道の数多くの方々が亡くなられた北霊の碑という大変小さな碑がありまして、そこに、当時知事でありました北海道知事町村金五とともにお参りをしに行った記憶がございます。 それ以降、何度かそうした戦地を訪ねるにつけて、大変悲惨な戦争であった、軍人のみならず一般の方々までを含めて大変な悲惨な経験をされたというこ
○鳩山(由)委員 まずは、町村外務大臣の御就任、おめでとうございます。 個人的なことをちょっと申し上げれば、私は、この世界に、政治の世界に入るときに、御尊父の町村金五先生に御相談を申し上げたことがございます。そのときに、北海道で政治をやりたいと申し上げたら、大いに頑張ってくれと御指導をいただきました。そんな意味で、町村外務大臣とは同じ北海道ということもあり、大いに外務大臣として期待を申し上げております。 知性派の外務大臣としてぜ
○萱野茂君 民主党の萱野茂であります。 町村文部大臣にお会いすると、どうしても忘れられないことがあるわけであります。大臣のお父上、町村金五先生が北海道の知事をやっておられた昭和三十五年、うちの二風谷で生活館が欲しい、そういうことをお願いに行ったら、本当に二つ返事で大きな生活館をつくってくれたわけであります。そして、そのときに一緒に、アイヌたちが、私をも含めてですけれども粗末な家にいた。何とか暖かい家に入るようにということで、町営住宅
○河村(建)委員 ありがとうございました。 大臣、緊急アピールで、「ナイフを学校に持ち込むな 命の重さを知ってほしい」という訴えをされたわけであります。このアピールというものがどの程度しみ込んでいくのか、特に学校現場での教育力が私は問われているのではないか、こう思いますし、新聞等でも報じられておるわけでありますが、本当に子どもたちはこの新聞を読むかどうか、そういうこともあるわけであります。 しかし、いずれにしても、これは国を挙げ
○児玉委員 そして、昭和四十九年三月ですが、北海道開発庁の長官をされていた町村金五さん、町村さんの政治的な経歴や御意見について私はさまざまな意見を持っておりますが、町村国務大臣が国会において次のように答弁をしております。「北海道は、開道百年前には、わずかに人口は、いわゆる和人、内地の人は数万にすぎなかった。」そう述べた後、「そのあとに和人が入りまして、次第に彼らの生活圏をだんだんと縮めていってしまったというようなことで、現在は御承知のよ
○鈴木(宗)委員 この点につきましては、事務方も何とか大臣の日程をつくるようにくれぐれもよろしくお願いしたいと思います。 次に、北方領土隣接地域振興等基金について私からも伺いたいと思います。 五年間で百億の約束、現在四年間で四十億です。あと一年しかないわけなんですけれども、来年度予算で残りが積めるかどうかというと、先ほどの大臣の答弁を伺っていると、極めて悲観的であります。 ただ、やはり昭和五十七年四月二十七日、党三役、当時の
○国務大臣(竹下登君) これは町村金五先生がございますから、五十八年度予算を編成しますときに大臣折衝で総務長官と私との意見がなかなか折り合いませんでしたので、したがって、「この場合の改定率は、原則として昭和五十七年度において見送ることとした給与改定率を下回らない率とする。」、人事院勧告の取り扱いがまだ決まっていない状態のときでございますから、総務長官側の主張というのは、恐らくこの五十七年の見送り分に上乗せされたものが実施されるという、観
○町村金五君 はなはだ僣越ではございますが、慣例によりまして、私が年長のゆえをもちまして、来る七月九日をもって任期を満了する議員を代表し、一言ごあいさつを申し上げます。 ただいまは、議長からわれわれに対し御丁重なごあいさつをいただき、まことに感謝にたえません。私どもが任を終えて今日に至りましたことは、ひとえに議長並びに同僚各位の深甚なる御厚情と絶大なる御支援のたまものでありまして、ここに謹んで御礼を申し上げる次第でございます。
○議長(徳永正利君) この際、一言ごあいさつを申し上げます。 今期国会におきましては、幾多の重要案件の審議を行い、本日をもって百五十日間にわたる会期を円満に終了いたしますことは、御同慶の至りでありまして、皆様の御労苦に対し衷心より敬意を表する次第であります。 顧みますれば、国会も会期を重ねることすでに九十八回に及び、この間幾たびかの試練に直面いたしましたが、それらを乗り越え、国権の最高機関として憲政の大道を歩んでまいりました。
○町村金五君 お許しをいただきまして、私は、議員一同を代表し、ただいま永年在職のゆえをもって表彰せられました小柳勇君に対し、一言お祝いの言葉を申し述べます。 小柳勇君は、昭和三十三年参議院福岡地方区補欠選挙に当選され、自来四たびの通常選挙において選挙民の強い支持を得て当選を果たされ、今日まで二十五年の長きにわたり、本院議員として御活躍をされてまいりました。 この間、小柳君は、社会労働委員長、石炭対策特別委員長、災害対策特別委員長
○議長(徳永正利君) 町村金五君から発言を求められました。発言を許します。町村金五君。 〔町村金五君登壇、拍手〕
○斎藤参考人 いま岡田先生のお言葉の中に唐突にというお言葉がありましたが、実は自民党に関する限りは唐突ではございませんね。もう十年ぐらい前からこの改革の案を練っておりました。私のつたない本の中にも町村金五案というのが載っております。ですから、唐突に出たわけでは全くありません。それは当然のことなので、たとえばマルクスの思想というのはリカルドの思想の発展の上にのみ成り立ったのであって、いま私たちが取り扱っておる問題も、先輩の思想の上に成り立
○安藤委員 そういうふうに考えておられる。それで、金丸先生がタッチされる前の話ですが、昨日もずっとその経過をいろいろお尋ねして、私の方からも申し上げたのですが、いわゆる中西案と町村金五さんがプロジェクトチームの座長をしておられたときにおまとめになった報告、この中には定数是正が盛り込まれておったのですね。それが、一票制と二票制が出されてきた。そうしたら、その段階からこの定数是正というのが抜けてしまっておるわけなんです。そういう緊急な課題の
○安藤委員 その後の自民党の党内におけるいろいろな審議の問題については、これから逐次お尋ねをしていこうと思っております。 次に、同じ年、昭和五十二年、中西案ができたのが五月ですが、十月になって、当時の自民党の政審会長の園田清充さん、この方が自民党を代表して政治広報センターのアンケートにお答えになって、自民党はこういうふうに考えているというのが出されております。これは後でも出てまいりますが、町村金五さんが座長をしておられたプロジェクト
○議長(徳永正利君) 御異議ないと認めます。 よって、議長は、検察官適格審査会委員に安孫子藤吉君、矢田部理君を、 安孫子藤吉君の予備委員に松尾官平君を、矢田部理君の予備委員に立木洋君を、 鉄道建設審議会委員に町村金五君、藤田正明君、青木薪次君を、それぞれ指名いたします。 —————・—————
○町村金五君 私は、本院議員を代表いたしまして、ただいま永年在職のゆえをもって表彰せられました江藤智君、阿具根登君、白木義一郎君並びに故市川房枝君に対しまして、一言お祝いの言葉を申し上げます。 江藤智君は、昭和三十一年第四回通常選挙に全国区より当選され、以来今日に至るまで本院議員として活躍されてまいりました。その間同君は、運輸委員長のほか、第二次池田内閣の経済企画政務次官、第二次田中内閣の運輸大臣として、また一方、党内におきましては
○議長(徳永正利君) 町村金五君から発言を求められました。発言を許します。町村金五君。 〔町村金五君登壇、拍手〕
○町村金五君 私は、本院議員を代表いたしまして、ただいま永年在職のゆえをもって表彰せられました田中正巳君に対し、一言お祝いの言葉を申し述べます。 田中正巳君は、昭和三十年二月二十七日執行の第二十七回衆議院議員総選挙に当選され、政界に入られました。以来、衆議院議員に当選されること連続八回に及び、在職二十四年十カ月の長きにわたり衆議院議員として御活躍されてまいりました。その後、今年六月に行われました参議院議員通常選挙に当選され七月八日本