稲葉秀三 に関する国会発言

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2002-07-16 舘澤貢次 経済産業委員会 参議院

○参考人(舘澤貢次君) 舘澤です。  私、取材記者の立場から石油開発行政、石油公団を見てまいりまして、その取材記者の目からこの流れについてお話しさせていただきたいと思います。  基本的には、私、現状の石油開発自体、行政並びに公団の動きを見まして、一九七一年の昭和四十六年、これは政府の方が派遣しました海外エネルギー事業調査団という巨大な、六百八十ページにわたる報告書がございます。団長が有沢広巳様で、当時の原子力委員会の委員の方が団長を

1997-05-29 寺崎昭久 大蔵委員会 参議院

○寺崎昭久君 手元に「日本銀行を中心とする戦後金融の実態調査」という昭和三十四年三月十八日の報告書がございます。これは中央銀行制度特別委員会のもとに設けられた実態調査小委員会というところがまとめた七十ページに及ぶ大変分厚い報告書でございます。この小委員会のメンバーというのは、日銀の理事をされた舟山正吉さん、朝日新聞の土屋清さん、日経新聞の円城寺次郎さん、エネルギー調査会の稲葉秀三さんという大変高名な方々でございます。  それで、その調

1994-01-17 亀井正夫 政治改革に関する特別委員会公聴会 参議院

○公述人(亀井正夫君) 私ども民間人で政治改革に取り組んだ、その私の個人的な動機から申し上げたいと思います。  実は、昭和五十六年に土光臨調がありまして、その際に私は専門委員で参画いたしまして、規制緩和、補助金、それから中央と地方の機能分担という第三部会長として二年間いろいろ苦労いたしました。それから、今度は国鉄改革の再建監理委員会の委員長として四年間やりました。  その間につくづく感じましたのは、国鉄の問題のときには国会にも何遍か

1990-10-29 藤目和哉 産業・資源エネルギーに関する調査会 参議院

○参考人(藤目和哉君) 総合エネルギー調査会自体は、会長が稲葉秀三、私どもの研究所の会長でもあって、それから全体の取りまとめをやっている需給部会長が私どもの研究所の理事長ということで、一応私どもの研究所も参加しているんですけれども、基本的には通産省の考え方というのが強く反映されていると思うんです。やはりGNP当たりのエネルギー消費を三六%今後二十二年で落とすというと、そのぐらいやらないと基本的には供給に対応していけないといういわゆる供給

1983-03-24 上田耕一郎 建設委員会 参議院

○上田耕一郎君 このJAPICの動きというのはきわめて私は問題だと思うんです。先ほど東京都の長期計画懇談会が外環道路についてほぼ認識の一致を見たということを述べましたが、これの座長の稲葉秀三氏はJAPICの顧問をやっていますね。長期計画懇談会の座長を引き受けていて、JAPICの顧問に就任する。JAPICが外環道路を猛烈にやれと言うと、長期計画懇談会の座長としてそういう取りまとめをするということを見ても、財界がいろんな人脈を通じ、人脈の配

1983-03-24 上田耕一郎 建設委員会 参議院

○上田耕一郎君 それじゃ、経緯を踏まえると、行政の継続性をきちんと踏まえるというように理解しておきます。    〔理事茜ケ久保重光君退席、委員長着席〕  さて、建設省はそういう基本態度で、必要は認めるけれども、住民との関係で過去の凍結発言についても踏まえるという態度と理解しますが、情勢は非常に動いているんですね。これは八一年五月に首都圏サミットで鈴木都知事が座長としてコメントをされて、湾岸道路の建設促進をゴーというサインを出された。

1982-04-08 守住有信 内閣委員会 参議院

○政府委員(守住有信君) この懇談会におきましては、なるべくいろんな各界の方のコンセンサス、特にデータ通信自由化問題につきましてはそれを得たいと思いまして、産業界からの方、あるいはまた稲葉秀三産業研究所の理事長あるいは電電公社の総裁も自由な意見交換会ということで御出席いただいた次第でございまして、それぞれの自由な御意見と、こういうことでございました。したがいまして、これにつきましては、一応のたたき台というふうな感じでそれぞれの先生がそれ

1982-03-25 稲葉秀三 商工委員会 参議院

○参考人(稲葉秀三君) それじゃ三点につきまして私の意見を申し上げさせていただきたいと思います。  まず、国内炭のあり方でございますけれども、御存じのように昭和五十五年度の実績は千八百万トンでございます。しかも、その中には北炭のやつが入っておりますから、恐らく現実はそれよりは百五十万トンか二百万トンは下がる、それが率直に申しまして現実の出発点であります。そして私たちは、でき得るなれば、まず千八百万トンを早期に回復したい。しかし、先ほど

1982-03-25 稲葉秀三 商工委員会 参議院

○参考人(稲葉秀三君) 確かに先生のおっしゃったような面があると思います。  しかし、私たちは、初めおっしゃいましたように千八百万トンでいいじゃないかという現状を、だんだん日本としては石炭を使っていかねばならぬ、この点も御存じだと思うのでありますけれども、まあ三、四年前にエネルギー総合調査会でつくりました目標は、昭和六十五年に輸入炭を一億六千五百万トンといたしております。それに国内炭を合わせますと一億八千五百万トンの石炭を、日本は原子

1982-03-25 稲葉秀三 商工委員会 参議院

○参考人(稲葉秀三君) それではお答え申し上げたいと思います。  しかし、阿具根先生にまずお聞きをいたしたい主要点といたしまして、第一に、今回の第七次答申では千八百万トンの現状を二千万トン前後まで上げたい。そして、それを達成した上でいろいろな条件あるいは内外炭格差というものをもとにして、またいろいろ時間的な経過もありますから、二千万トンプラスアルファの方へ持っていく、こういう政策を答申をしているようだけれども、もっと国内石炭の安定性か

1982-03-25 稲葉秀三 商工委員会 参議院

○参考人(稲葉秀三君) 簡単に御報告させていただきます。  合理的な生産費というものを基礎にしながらどのようにしていくのかということが今後の問題でございまして、私は石炭鉱業審議会の需給部会長と、それからその基準炭価を決める部会の仕事もお手伝いをいたしまして、これが言うのと現実とがいかにむずかしいかということを身をもっていままで体験をいたしております。そのような価格設定とあわせまして現在立地条件及び自然条件の差異等もございまして、炭鉱ご

1982-03-25 稲葉秀三 商工委員会 参議院

○参考人(稲葉秀三君) ただいま御紹介を賜りました稲葉でございます。  私は、終戦直後の傾斜生産政策当時から石炭政策並びにその背後にございまするエネルギー政策にかかわり合いを持って現在に至っております。そして昨年八月の第七次答申につきましても石炭鉱業審議会政策部会長といたしまして論議に参画をさせていただいた者でございます。本日はこのような立場から、これからの石炭政策のあり方につきまして、私が考えておりますことを申し述べさしていただき、

1982-03-25 降矢敬雄 商工委員会 参議院

○委員長(降矢敬雄君) ただいまから商工委員会を開会いたします。  石炭鉱業合理化臨時措置法等の一部を改正する法律案並びに炭鉱離職者臨時措置法の一部を改正する法律案を便宜一括して議題といたします。  本日は、参考人として、北海道大学教授礒部俊郎君、産業研究所理事長稲葉秀三君、石炭労働三団体政策推進会議議長森田久雄君、以上三名の方々に御出席をいただいております。  この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御

1981-04-01 森山信吾 エネルギー対策特別委員会 参議院

○政府委員(森山信吾君) 有澤廣巳さん、有吉新吾さん、安西浩さん、円城寺次郎さん、向坂正男さん、土屋清さん、永山時雄さん、平岩外四さん、土方武さん、吉瀬維哉さん、以上の方々が委員でございまして、稲山嘉寛さん以下稲葉秀三さん、石原武夫さん、上床国夫さん、神原……

1981-03-24 日野市朗 科学技術委員会 衆議院

○日野委員 私、この窪川町の例を見て、また、通産がこのような研究会などを設置して原発の許認可の迅速化を図ろうとしておられることなんかを見て、これは原子力推進の国の全体のプログラムが非常におくれていることに対する焦りというようなものを強く感ずるわけなんです。原子力発電所の推進というのが従来政府が掲げてきた目標から非常におくれている。いままでエネルギーの需給見通しなどではもうすでに二度ほど下方修正をやっているけれども、さらに大幅に下方修正を

1980-03-18 稲葉秀三 予算委員会公聴会 参議院

○公述人(稲葉秀三君) ちょっと私の先ほど申し上げましたのか誤解を生んでおりますので、私が申し上げました数字は現在価格で三十八ドルということでございます。実際の場合は、国際的なインフレとか物価上昇ということがございますので、恐らく私の言うとおりにいたしますと、四十五ドルから五十ドル見当に恐らくドルの値段が上がっていくのではなかろうかと思っております。  私がそのようなことを申し上げましたのは、国際会議で、七八年価格で八五年、九〇年、二

1980-03-18 稲葉秀三 予算委員会公聴会 参議院

○公述人(稲葉秀三君) いいです。

1980-03-18 稲葉秀三 予算委員会公聴会 参議院

○公述人(稲葉秀三君) 第一点の御質問に対しましては、私は次のようにお答えを申し上げたいと思います。私は、戦後三年ばかり政府の中で経済を廃墟からどのように再建をするかという仕事に関係をさしていただきましたが、その一つといたしまして、日本はまず石炭を掘っていかねばならないという政策を推進をいたしましたことは御存じのとおりであります。それで、太平洋戦争中はガソリンの一滴血の一滴と、こういうふうに言われた時代もございました。しかし、日本が戦争

1980-03-18 稲葉秀三 予算委員会公聴会 参議院

○公述人(稲葉秀三君) 五百万キロリットルと言われております。

1980-03-18 稲葉秀三 予算委員会公聴会 参議院

○公述人(稲葉秀三君) 八〇%。