羽田孜 に関する国会発言
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○篠原(孝)委員 誠実な気持ちで取り組んでいただきたいと思います。 また古い農林族の話ですけれども、羽田孜さん、農林族のドン、いっぱいいたんですけれども、加藤紘一さんと羽田さんが一時、農政を相当きちんとやっておられたときがありますけれども、きっかけは農林水産政務次官になったときなんです。それまで、自民党の間、井出一太郎さんが同じ選挙区にいて、でんと構えた農林族だったので、遠慮して農林水産委員会に入れなかったんです。それをきっかけに農
○羽田次郎君 立憲民主・社民の羽田次郎です。 昨年十一月に初めてこの委員会で質問させていただいたときは同じ長野県の宮下一郎大臣に対しての質問でしたが、今回、坂本大臣に初めて質問させていただきますので、どうぞよろしくお願いいたします。 特定農産加工業経営改善臨時措置法は、日米農産物交渉等により、牛肉、オレンジと農産物十二品目について輸入数量制限の撤廃と関税率の段階的な引下げが合意されたことを受け、国内への輸入自由化の影響を抑えるべ
○須藤元気君 こんにちは。無所属の須藤元気です。 本日は、みどり戦略を中心に質問していきたいと思います。 今年の八月、宮下大臣の地元である長野県の有機農家さんを視察してきました。長野県は羽田議員の地元でもあるので一緒に回っていただいたんですが、お会いしたらまさかの省エネルックでした。省エネルックといえば、お父様の羽田孜元首相が推進していた時代を思い出します。そのキャッチー過ぎるビジュアルに定着はしませんでしたが、羽田議員が継承し
○尾辻秀久君 本院議員羽田雄一郎先生は、昨年十二月二十七日、新型コロナウイルス感染症のため、逝去されました。享年五十三歳。余りにも早過ぎる御最期であり、誠に哀悼痛惜の念に堪えません。 ここに、皆様のお許しを得て、従三位旭日大綬章故羽田雄一郎先生の御霊に対し、謹んで哀悼の言葉をささげます。 先生は、昭和四十二年七月、後の内閣総理大臣羽田孜先生の御長男としてお生まれになりました。子供の頃から保育園の先生になりたいとの夢を持たれ、敬和
○鉢呂吉雄君 おはようございます。立憲民主党・民友会の鉢呂吉雄でございます。 農水委員会に初めて所属することになりまして、参議院のしきたりをきちんと守って、格式の高い当委員会ですから、しっかりと議論をしていきたいとまずは思っておるところでございます。 そして、吉川大臣におきましては、同じ北海道ということもございますけれども、御就任、誠におめでとうございます。よろしくお願い申し上げます。 私も、議員になって今年が足掛け三十年目
○向大野事務総長 まず最初に、日程第一、常任委員の選任につきまして、議長は各会派からの申し出のとおり指名いたします。 次に、日程第二、常任委員長の選挙につきましては、動議により、手続を省略して、議長において指名されることになります。 次に、日程第三、憲法審査会委員の選任につきまして、議長は各会派からの申し出のとおり指名いたします。 次に、日程第四、情報監視審査会委員の選任の件についてお諮りいたします。共産党が反対でございます
○古屋委員長 次に、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る五月二十一日、永年在職議員として表彰された元議員与謝野馨君が逝去されました。また、去る八月六日、永年在職議員として表彰された元議員上原康助君が逝去されました。また、去る八月二十八日、羽田孜君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、与謝野馨君については去る七
○議長(大島理森君) 元新生党党首、元民主党最高顧問、前議員羽田孜君は、去る八月二十八日逝去されました。痛惜の念にたえません。謹んで御冥福をお祈りいたします。 羽田孜君に対する弔詞は、議長において去る九月八日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。 〔総員起立〕 元新生党党首元民主党最高顧問前衆議院議員従二位桐花大綬章 羽田孜君は 多年憲政のために尽力され 特に院議をもってその功労を表彰され しばしば国務大臣の
○事務総長(郷原悟君) 御説明申し上げます。 本日の議事は、最初に、日程第一 議席の指定でございます。議長は、仮議席のとおり議席を指定されます。 次に、元議員立木洋君逝去につき哀悼の件でございます。議長は、既に弔詞をささげた旨御報告の後、弔詞を朗読されます。その際、一同御起立をお願いいたします。 次に、元内閣総理大臣羽田孜君逝去につき哀悼の件でございます。議長は、既に弔詞をささげた旨御報告の後、弔詞を朗読されます。その際、一
○議長(伊達忠一君) 元内閣総理大臣羽田孜君は、去る八月二十八日逝去されました。誠に痛惜の極みであり、哀悼の念に堪えません。 同君に対しましては、議長は、既に弔詞をささげました。 ここにその弔詞を朗読いたします。 〔総員起立〕 参議院は わが国 民主政治発展のため力を尽くされました 元内閣総理大臣従二位桐花大綬章羽田孜君の長逝に対し つつしんで哀悼の意を表し うやうやしく弔詞をささげます ─────・──
○北澤俊美君 これを提示することをお許しをいただいておりました。(資料提示) 私は、これを読むと、今でも胸に込み上げるものがあります。風土は人を育てる、人は風土をつくり上げる。この選挙区、この小さな選挙区で長年選出をされてきたのは井出一太郎先生、井出正一さん、そして羽田武嗣郎先生、羽田孜先生であります。 一言付け加えて、私の質問を終わらせていただきます。ありがとうございました。
○前田武志君 ただいま、院議をもって在職二十五周年の表彰を賜りました。誠に光栄であり、心より御礼申し上げます。 また、溝手顕正先生より丁重なる御祝辞をいただき、誠にありがとうございました。皆様に厚く感謝申し上げます。 昭和六十一年七月の衆議院選挙において、奈良全県区から初当選をさせていただきました。米ソ冷戦終結等、内外激動の時代となりました。政治改革が大きな課題となり、そのうねりに身を投じました。 平成五年六月、政治の師匠で
○篠原委員 わかりました。石破大臣はみんなおわかりになっていただいておると思います。 しかし、こういうのだって、大胆な改革をやろうと思ったら、できないことはないんですよね。それは、政治家になる道を摘むことになるというのがあるかもしれませんけれども。 地方自治体の議員は三カ月の居住要件というのがありますよ。ですから、例えば、私の理想どおりにするんだったら、地元の小学校か中学校か高校は出てなくちゃだめだ。それから、社会人になってから
○前田武志君 MRAというのはモラルリアーマメントですか、稲田大臣から言われたように道徳再武装という運動で、あの占領下にあった日本、さらにはサンフランシスコ講和条約で復帰を果たしてからというあの時代に、日本でも非常に左右が荒れた時代があります。特にコミンテルン等の指令というようなものがあった時代ですからね。そういう中で、日本の政治家あるいは経済人あるいは労働組合、本当に何が正しいかというモラルを再構築していこうということで随分大きな成果
○羽田雄一郎君 私も、思いは共有をさせていただきたいと思います。 また、鎮霊社にお参りをしていただいたということ、これは世界の平和も含めて日本からしっかりと発信していくという思いで行っていただいたというふうに思っておりまして、そういう意味では、私はこの思いというものはしっかりと受け止めていかなければならない、日本の国民の一人としてそう思っております。 私も幼少の頃から、父、羽田孜に連れられて靖国神社の参拝をしてまいりました。大人
○篠原委員 常識的な線でいいんだろうと思います。 二人の師と言われましたけれども、これについてはいろいろお考えがあると思います。 しかし、前のときに申し上げました。私は、日本国民のことを考え、日本の美しい国土をちゃんと守っていきたい、それを前面に押し出したら、今すぐというのは、それは極論だと思います、じゃんじゃんつくるというのも極論だと思います、ですけれども、なるべく安全なエネルギーにかえていくというのは当たり前の話で、そういう
○寺島委員 ぜひ、地方自治体への配慮ある取り組みをよろしくお願いします。 最後であります。 私が尊敬をしております羽田孜先生は、四十三年間、長野の地で御努力をいただいてまいりました。大変すばらしい政治家であります。当時、長野冬季オリンピック・パラリンピックも開催が決定をしたというふうなこともございまして、上信越自動車道を初め高速道路網、さらには長野新幹線の開業等、大きく前進がされたわけであります。 そして、民主党政権下におけ
○中山参考人 中山太郎でございます。 本日は、大畠会長を初め憲法審査会の先生方の御要請を受ける形で、本院の憲法調査会及び日本国憲法に関する調査特別委員会の設置の経緯並びにその調査及び国民投票法制定の経緯につきまして、お話をさせていただくことになりました。大変に光栄なことであり、心から感謝を申し上げます。 私は、二〇〇〇年から二〇〇七年まで約七年半にわたって、衆議院の憲法調査会会長及び憲法調査特別委員長を務めさせていただきました。
○保利委員 この問題は意外に複雑でして、国民の皆様はここが一番わかりにくいところじゃないか。 自由貿易はWTOの場でやろうということで、ずっと、ドーハ・ラウンド、その前のウルグアイ・ラウンド、その前にもありました、それがやられてきて、自由貿易というのはそこでやるものだということが宣伝されて、そこへ持ってきて、部分的な、もっときつい意味のTPPなんかが発生してきているということは、国民の皆さんは一番わかりにくいところなんです。だから、
○国務大臣(北澤俊美君) 十五年でありますから、そう短い言葉で表現するのは難しいと思いますが、しかし、モンデール・橋本会談で決定をされた直後、私も羽田孜先生と沖縄へ行って大田知事とも会談をしてまいりました。今そのことも鮮明に覚えておりますし、また、帰ってきて予算委員会で橋本総理と議論したこともしっかり覚えておるわけでありまして、このときは御案内のように、ではこの普天間の基地をどこへ置くかということは詰めてない中で橋本総理が決断をしたとい