内閣委員会
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会
会議録情報#0
昭和四十九年三月七日(木曜日)
午前十時三十九分開議
出席委員
委員長 徳安 實藏君
理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君
理事 中山 正暉君 理事 野呂 恭一君
理事 服部 安司君 理事 上原 康助君
理事 大出 俊君 理事 中路 雅弘君
赤城 宗徳君 大石 千八君
近藤 鉄雄君 竹中 修一君
旗野 進一君 藤尾 正行君
三塚 博君 吉永 治市君
吉田 法晴君 和田 貞夫君
木下 元二君 鈴切 康雄君
受田 新吉君
出席国務大臣
国 務 大 臣
(総理府総務長
官) 小坂徳三郎君
出席政府委員
内閣総理大臣官
房管理室長 伊藤 廣一君
内閣総理大臣官
房総務審議官 佐々 成美君
委員外の出席者
内閣総理大臣官
房参事官 小林 哲一君
内閣総理大臣官
房参事官 平井 芳男君
警察庁警備局参
事官 赤木 泰二君
外務大臣官房儀
典官 野村 忠策君
労働省労政局労
働法規課長 寺園 成章君
建設大臣官房官
庁営繕部長 上山 勝君
自治大臣官房参
事官 栗田 幸雄君
自治省行政局振
興課長 田中 和夫君
内閣委員会調査
室長 本田 敬信君
—————————————
委員の異動
三月六日
辞任 補欠選任
和田 貞夫君 中澤 茂一君
瀬長亀次郎君 不破 哲三君
同日
辞任 補欠選任
中澤 茂一君 和田 貞夫君
不破 哲三君 瀬長亀次郎君
—————————————
三月六日
外務省設置法の一部を改正する法律案(第七十
一回国会閣法第一四号)(参議院送付)
文部省設置法の一部を改正する法律案(第七十
一回国会閣法第一五号)(参議院送付)
は本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
総理府設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第一六号)
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時三十九分開議
出席委員
委員長 徳安 實藏君
理事 加藤 陽三君 理事 小宮山重四郎君
理事 中山 正暉君 理事 野呂 恭一君
理事 服部 安司君 理事 上原 康助君
理事 大出 俊君 理事 中路 雅弘君
赤城 宗徳君 大石 千八君
近藤 鉄雄君 竹中 修一君
旗野 進一君 藤尾 正行君
三塚 博君 吉永 治市君
吉田 法晴君 和田 貞夫君
木下 元二君 鈴切 康雄君
受田 新吉君
出席国務大臣
国 務 大 臣
(総理府総務長
官) 小坂徳三郎君
出席政府委員
内閣総理大臣官
房管理室長 伊藤 廣一君
内閣総理大臣官
房総務審議官 佐々 成美君
委員外の出席者
内閣総理大臣官
房参事官 小林 哲一君
内閣総理大臣官
房参事官 平井 芳男君
警察庁警備局参
事官 赤木 泰二君
外務大臣官房儀
典官 野村 忠策君
労働省労政局労
働法規課長 寺園 成章君
建設大臣官房官
庁営繕部長 上山 勝君
自治大臣官房参
事官 栗田 幸雄君
自治省行政局振
興課長 田中 和夫君
内閣委員会調査
室長 本田 敬信君
—————————————
委員の異動
三月六日
辞任 補欠選任
和田 貞夫君 中澤 茂一君
瀬長亀次郎君 不破 哲三君
同日
辞任 補欠選任
中澤 茂一君 和田 貞夫君
不破 哲三君 瀬長亀次郎君
—————————————
三月六日
外務省設置法の一部を改正する法律案(第七十
一回国会閣法第一四号)(参議院送付)
文部省設置法の一部を改正する法律案(第七十
一回国会閣法第一五号)(参議院送付)
は本委員会に付託された。
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本日の会議に付した案件
総理府設置法の一部を改正する法律案(内閣提
出第一六号)
————◇—————
徳
吉
吉田法晴#2
○吉田委員 法案は二つの部分から成っております。一つは迎賓館に関する点、もう一つは同和対策協議会の設置期限を五年間延長する点。そこで、迎賓館のことと同和対策について、限られた時間でございますけれども、順次お尋ねをいたしたいと思います。
先般、修理されつつある国会図書館のあとの建物を、現地について見せていただきました。たいへんりっぱなのに驚いたのですが、過去において迎賓館と称するものがあったと記憶をしております。それから、多少は聞いたところでありますが、この迎賓館が使用目的として考えております国賓やあるいは国賓に準ずる賓客が、公賓がおいでになりましたときに、どういうぐあいにしておられましたのか、その施設あるいは取り扱い等について、外務省にお尋ねをいたしたいと思います。
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野
野村忠策#3
○野村説明員 お答え申し上げます。
過去におきましては、国賓等の外国の賓客が日本に来られました際には、主として迎賓館という名前である民間のホテル、これはプリンス系のホテルだと承知いたしておりますが、このホテル、それから、あとは帝国ホテルだとかホテル・ニューオータニ、ホテル・オークラ等におきまして、宿泊の便を供していただいた次第でございます。
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吉
吉田法晴#4
○吉田委員 吉田内閣時代に、目黒に迎賓館という建物があり、その前には外務大臣公邸、あるいは総理大臣としての吉田さんも、その外務大臣公邸を使われたのかあるいは総理大臣公邸になったのか知りませんけれども、使っておられた。これは間違いない事実だと思います。私は、その後、迎賓館という名前で使われておりましたし、そこに何人かの国賓やあるいは公賓が泊まられたことも承知をしておりますから、実はあれは外務省かあるいは政府の迎賓館かと思っておったのですが、そうではなさそうであります。そこで、その辺の——目黒の公邸といいますかあるいは迎賓館というのは、実際にやはり国賓なり公賓の迎賓館として使われたようでありますが、その関係と、現在の関係はどうなっておるか承りたい。
この発言だけを見る →野
野村忠策#5
○野村説明員 ただいまお尋ねの、目黒にございます迎賓館と称するホテルは、昔、たしか朝香宮家の所有になっておりまして、これがある期間吉田さんに使用を認めておりまして、それでその後……(吉田委員「吉田さん個人ですか」と呼ぶ)いえ、政府が、個人ではございませんようです。それで、その後、この契約が解除されまして、その後は、民間のホテルとして、一応迎賓館という名前にはなっておりましたけれども、民間のホテルとして使用されていたように記憶いたしております。それで、このホテルは、国賓の警備等が非常にやりやすいという観点から、しばしば国賓の宿泊の便に供していたように記憶いたしております。
この発言だけを見る →吉
吉田法晴#6
○吉田委員 説明をしていただいております方も、ずっと前から担当でおられるわけではないでしょうから、全部をあなたの責任としてお尋ねをするのは、多少酷かと思いますが、私は、目黒に迎賓館があったということを記憶しておりましたから、あれを、政府で迎賓館として転用された、所有権は別の問題にして、迎賓館として使用されたと実は理解をしたのです。
実際、承りますと、いまお話しのように、前には朝香宮邸であった。それを借り上げて、外務大臣公邸あるいは総理大臣公邸として使用した。朝香宮家とそれから外務省との間の使用契約ですか、借用契約を解除した後には、西武鉄道が朝香宮から買い上げて、ホテル迎賓館として使用して今日に至っておる。なお、現在は閉館になっておるということであります。この西武鉄道、かつて衆議院議長をされた堤康次郎氏だと思いますが、西武鉄道が朝香宮から買い上げたこの関係は、別にここで問題にすることはないと思いますけれども、いわば迎賓館として使っておられた。あるいはその中で、これは全部そこを使われたかどうかは知りませんけれども、この間に、モブツ大統領あるいはファイサル国王あるいはラザク首相あるいはカルロス殿下あるいはイタリアのアンドレオッチ首相、たくさんの国賓なり公賓が来られて、そのホテル迎賓館を使われた方も相当あると聞きます。
いまお話しのとおりに、あるいは赤坂プリンスホテルや、あるいはほかのプリンスホテルに泊まられたり、あるいは帝国ホテルを使われたりしたこともあるかもしれませんけれども、国賓を迎え、公賓を迎えて泊めるというのは、これは外務省のお仕事、あるいは政府のなさることでありますが、迎賓館を建てるについて、まあホテル迎賓館であるのか、あるいはほかのホテルを使われるにしても、三十年から、あるいは暦年でいいますと、いま申し上げましたのは四十六年から四十八年に至る間でありますが、その間に迎賓の施設として使われた、そのことと、いまの迎賓館をつくりたいという話とはどういう関係になるでしょうか、承りたい。
というのは、われわれは迎賓館として使われた、そして支障がなかったならば、あるいは支障があったならば、その段階で国会に相談があり、その上で迎賓館をつくりたいということで出発さるべきだったと思いますけれども、その辺があいまいでございますから、お尋ねをしておくのであります。
この発言だけを見る →実際、承りますと、いまお話しのように、前には朝香宮邸であった。それを借り上げて、外務大臣公邸あるいは総理大臣公邸として使用した。朝香宮家とそれから外務省との間の使用契約ですか、借用契約を解除した後には、西武鉄道が朝香宮から買い上げて、ホテル迎賓館として使用して今日に至っておる。なお、現在は閉館になっておるということであります。この西武鉄道、かつて衆議院議長をされた堤康次郎氏だと思いますが、西武鉄道が朝香宮から買い上げたこの関係は、別にここで問題にすることはないと思いますけれども、いわば迎賓館として使っておられた。あるいはその中で、これは全部そこを使われたかどうかは知りませんけれども、この間に、モブツ大統領あるいはファイサル国王あるいはラザク首相あるいはカルロス殿下あるいはイタリアのアンドレオッチ首相、たくさんの国賓なり公賓が来られて、そのホテル迎賓館を使われた方も相当あると聞きます。
いまお話しのとおりに、あるいは赤坂プリンスホテルや、あるいはほかのプリンスホテルに泊まられたり、あるいは帝国ホテルを使われたりしたこともあるかもしれませんけれども、国賓を迎え、公賓を迎えて泊めるというのは、これは外務省のお仕事、あるいは政府のなさることでありますが、迎賓館を建てるについて、まあホテル迎賓館であるのか、あるいはほかのホテルを使われるにしても、三十年から、あるいは暦年でいいますと、いま申し上げましたのは四十六年から四十八年に至る間でありますが、その間に迎賓の施設として使われた、そのことと、いまの迎賓館をつくりたいという話とはどういう関係になるでしょうか、承りたい。
というのは、われわれは迎賓館として使われた、そして支障がなかったならば、あるいは支障があったならば、その段階で国会に相談があり、その上で迎賓館をつくりたいということで出発さるべきだったと思いますけれども、その辺があいまいでございますから、お尋ねをしておくのであります。
小
小坂徳三郎#7
○小坂国務大臣 吉田委員も、すでに御承知のことだと思いますが、このいきさつにつきましては、三十七年の十月に、池田総理の時代に、迎賓館をつくる、そうしてまた、ちょっといまの御質問とはピンぼけになりますけれども、白金迎賓館が適当か不適当かということについて、当時の池田総理から、次官会議で検討をするように発意があったようであります。そしてまた、新しくつくる場合の敷地あるいは規模等について、宮内庁の試案を求めたようでありますし、そうしたいきさつから、三十八年の五月に、赤坂御用地の西南すみに新しくつくるということを閣議で決定をしております。
そうしたところから、この赤坂離宮を——さらにその後に、いろいろと敷地の問題等がございまして、三十八年以来いろいろと議論がなされて、旧赤坂離宮は、衆議院の所管となっておって、これを迎賓館として使用することについて、総理府に所管がえの手続がとられたのが、四十二年の七月十七日から二十六日の間でございました。さらに四十二年の七月の二十八日に閣議決定で、旧赤坂離宮を改修して迎賓館に充てることが決定され、さらに四十二年の八月には、臨時迎賓館関係閣僚協議会を設置することについての閣議決定がなされ、同月、同じく関係閣僚協議会が開催されて、迎賓館建設の基本方針の決定がなされた次第でございます。
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吉
吉田法晴#8
○吉田委員 そういたしますと、名前は迎賓館だけれども、それは政府のものではなかった。そのつど、ホテル迎賓館あるいはその他のホテルを使っておったが、必ずしも十分ではないので、迎賓館をつくろうという議が昭和三十七年に起こって、それからいま御説明のような経緯をたどった、こういうことですね。
そこで、お尋ねいたしますが、そこのところがはっきりしなかったわけですが、だんだんしゃべてっいるうちに明らかになりました。そこで、次官会議なりあるいは関係閣僚の会議はわかりますが国会に対しては、どういう手続をとられてきたのでしょうか、お尋ねいたします。
この発言だけを見る →そこで、お尋ねいたしますが、そこのところがはっきりしなかったわけですが、だんだんしゃべてっいるうちに明らかになりました。そこで、次官会議なりあるいは関係閣僚の会議はわかりますが国会に対しては、どういう手続をとられてきたのでしょうか、お尋ねいたします。
小
小坂徳三郎#9
○小坂国務大臣 これは、衆議院の所管となっておりましたものを、迎賓館として使用することについて、総理府に所管がえの手続が、四十二年の七月十七日から二十六日の間に行なわれたわけでございます。それで、これらの問題につきましては、所管がえの手続でございますので、この時点において、国会との関連が生まれたと私は了解しております。
この発言だけを見る →吉
吉田法晴#10
○吉田委員 所管がえの手続をされたということですが、迎賓館をつくるということについての国会の議決は、どういうぐあいに、何日どこで進められたか、あるいは国会の承認がされたのか。所管がえといいますか、所有権を移すといいますか、先ほど宮内庁との協議云々でございましたが、宮内庁から国会図書館に使われたりいたしましたその使用関係は、ここでは問題ではございません。問題ではございませんが、迎賓館をつくるということを、国会の承認を得て、自後三、四年にわたりまして、累計をいたしますと、先般承りますと、百億をこすようでありますが、その迎賓館をこういう規模でつくろうということは、いつ国会の承認を得られたのですかと、こういうことをお尋ねしておるわけです。
この発言だけを見る →小
小坂徳三郎#11
○小坂国務大臣 国会の承認ということは、四十三年の国会において予算案がスタートをしたという記録になっておりますので、その意味で、昭和四十二年の七月の閣議決定に基づきまして、旧赤坂離宮を改修して、迎賓館施設とすることがきまって、四十三年度からその予算についての国会の御審議をいただいておる、今日まで必要な経費を計上してまいりましたといういきさつになっておるわけでございます。
この発言だけを見る →吉
吉田法晴#12
○吉田委員 そこで、総務長官にお尋ねをしたいのですけれども、四十二年の七月の閣議、これはわかります。それから四十三年の予算の中で、迎賓館をつくるという予算を計上した。ところが、その当時、いまのような規模だとかあるいは内容だとか、そういうことの説明はあったのかもしれませんが、実際には関係者に承りますと、あまり具体的な質問がなかったから明らかにならなかっただけだ、こういうお話です。初め四十三年の予算のときには、ちょっと詳細を、いま手元に持っておりませんけれども、いまのような規模にすることについては、予算の計上がなかったのだろうと思う。あるいは新しくつくられた日本式の庭園と建物、それは、そのときに審議する以外になかったと思うのですが、最初の機会には、おそらくそういうものはなかったろうと思う。
そうしますと、やはりいまから考えてみて、でき上がって、あるいは賛成するか反対するかしか残っておりませんが、幾らか意見があったとしても、もうでき上がったものについて、反対をしてこわせと言うわけにはまいりません。これは予算として計上をされただろうけれども、これを、やはり件名として、議案として、迎賓館をつくるということを、その当時の国会にかけるべきではなかったでしょうか。総務長官どう思われますか。
この発言だけを見る →そうしますと、やはりいまから考えてみて、でき上がって、あるいは賛成するか反対するかしか残っておりませんが、幾らか意見があったとしても、もうでき上がったものについて、反対をしてこわせと言うわけにはまいりません。これは予算として計上をされただろうけれども、これを、やはり件名として、議案として、迎賓館をつくるということを、その当時の国会にかけるべきではなかったでしょうか。総務長官どう思われますか。
小
小坂徳三郎#13
○小坂国務大臣 閣議決定によってなされておりますけれども、予算につきましては、四十三年度の予算から国会の御審議をいただいておるわけでございまして、おそらくその当時に、この概要等については、御説明を申し上げておったと私は思うのでございます。全く一切、あらゆる形における国会の議を経ずに——こうしたものが、その後も引き続いて予算をいただいて工事を進めておるわけでございますから、四十三年度の予算審議のときには、当然いろいろな面で、御審議があったものと私は思います。
この発言だけを見る →吉
吉田法晴#14
○吉田委員 四十三年度の予算、それから四十四年度、四十五年度と、これは今日まで工事は続いているのですし、だんだん最初の規模よりも大きくなったようです。ですから予算に計上されて、予算として承認されておることは、これは認めないわけではございません。しかし、内閣委員会にかかってまいりましたのは、いわば官制としての迎賓館の問題で、ここに、突如としてとは言いませんけれども、出てきた。いままで内閣委員会で審議をされたということは聞かないのです。
そうしますと、四十二年の七月に閣議があって、四十三年に予算を、国会に審議を求める際に、件名として、議案として出さるべきではなかったかということをお尋ねしているわけです。いかがでしょうか。
この発言だけを見る →そうしますと、四十二年の七月に閣議があって、四十三年に予算を、国会に審議を求める際に、件名として、議案として出さるべきではなかったかということをお尋ねしているわけです。いかがでしょうか。
小
小坂徳三郎#15
○小坂国務大臣 吉田委員の御質問は、私も、そうしたことがなぜなされなかったのか、ちょっとわからない点でございますが、事務的な説明を私がする必要はないと思いますけれども、一応工事のほうはどんどん進んでいった、しかし、その迎賓館なるものを、内閣の職能の中で扱うかどうかということについては、きわめて星雲のような状態に推移したのではないかと思います。そして、いよいよ建物が本年完成するということになって、あらためてこの迎賓館というものを、内閣の職能の中でどこが担当するかというような問題が論議されて、そして、それを総理府で所管しろということになったので、今回、設置法の改正をお願い申し上げたというふうに考えます。しかし、これは見方によれば、ものができてから、あと職制のほうも組織のほうも承認しろというような形は、私は、そう適当ではなかったと思います。
先般も委員会において、御質問もございましたのですが、こうした問題は、やはり建物をつくる時点において、むしろそれをどこでどうやって運営するかという問題まで含めて、一括して国会で議論をしていただいてスタートすべきではなかったかというふうに私は考えております。
この発言だけを見る →先般も委員会において、御質問もございましたのですが、こうした問題は、やはり建物をつくる時点において、むしろそれをどこでどうやって運営するかという問題まで含めて、一括して国会で議論をしていただいてスタートすべきではなかったかというふうに私は考えております。
吉
吉田法晴#16
○吉田委員 妥当な御見解が示されましたから、それで了承したいと思うのですが、やり方は、やはり政府優先といいますか、行政優先、そして予算で承認を求めているからいいではないかということでどんどん進めて、その間に、全体的な討議というものがなされなかった。そこで今日、批評をしようにも批評のしようがないということになっております。こういうことは、再び繰り返さるべきではないという意味で、やはりはっきり妥当でなかった、最初から承認を求めるべきだったという言明をいただきたいと思います。
それに関連をして、実質的にそこのところをお尋ねしたいのですが、先ほど外務省から説明がありましたように、朝香官邸であったものを、外務大臣公邸として最初借り上げられた。それを、総理大臣を長らくやられましたから、総理大臣公邸として——これは吉田さん好みでしょう。吉田さん好みでしょうと思いますけれども、それを引き続いて使われる。そして二十九年には、朝香宮と外務省との使用契約は解除されて、三十年に西武鉄道が買い上げている。あのプリンスホテルといわれるもので、ほとんど堤さんの西武鉄道に買い上げられておりますが、その買い方は、御承知のとおり、あの終戦の混乱期といいますか、宮家にそれぞれ融資をされたり、そして、その支払いができないので、公邸として買い上げてプリンスホテルにされた。
それの当否を言おうとは思いませんけれども、その段階でも、あそこが迎賓館として適当ならば、迎賓館としてどこを改造して、あるいは買い上げて使うべきかということがフリーに論議をされたと思うのです。今日では、元赤坂離宮を国会図書館に、その国会図書館のあとを迎賓館にというのは、いまのお話でいきますと、佐藤総理のときですか……。最初、朝香宮邸を外務大臣公邸に使われたのは、吉田さんの個人的な嗜好も多分にあったようです。いわば行政府が国会と相談をしないで、あるいは国民の代表と相談をしないでやってまいりますと、個人の嗜好だとかあるいは総理大臣、大臣の個人的な嗜好とかなんとかいうものが入る余地がありますだけに、それは、やはりちゃんとしなければならぬと、こう申し上げているわけであります。
それから、手続面でのそういう感想は、大体御承認いただきましたが、数年の経過を経て百億をこしておるようでありますが、既設のものを改造、使用するという点は、私どもも賛成をいたしますけれども、あるいは何人もそう反対はしないと思いますけれども、結果からして百億をこす予算をかけた、あるいはあの中心をなしますホールの絵だとかあるいはシャンデリヤだとかあるいは側壁だとか、こういうものを考えますと、国際的に見てみても、あの迎賓館として修理、復活をされたものは、一、二を争うといいますか、相当りっぱなものです。
そうしますと、百億の金があったら、いまの国民生活の中からいって、住宅にも困っておる国民がたくさんありますが、何万戸の家が建つだろうかという想像を、われわれ国民の代表としてはついいたします。そうすると、そういう意見を述べることが国会としては事実上できなくなっている。あるいは、先ほどちょっと申しましたけれども、新たに日本式の食堂と庭園とをつくらなければならぬものかどうか。聞きますと、茶室は、専門家だそうですけれども、裏千家のくわしい方だということ。しかし、ああいうものを、日本式な建物の代表として私ども見るわけにいかぬと思う。あるいは庭園にいたしましても、ほんとうに日本式なものかどうかということに多少疑問があると思うのです。どうしてあれだけのものを、新しくあそこにつくらなければならぬだろうかという問題も起こります。
これらの点については、事実上意見を述べる余地がありませんけれども、個人的といいますか、あるいは総務長官としても、内容についてどう考えられますか、お伺いしたい。
この発言だけを見る →それに関連をして、実質的にそこのところをお尋ねしたいのですが、先ほど外務省から説明がありましたように、朝香官邸であったものを、外務大臣公邸として最初借り上げられた。それを、総理大臣を長らくやられましたから、総理大臣公邸として——これは吉田さん好みでしょう。吉田さん好みでしょうと思いますけれども、それを引き続いて使われる。そして二十九年には、朝香宮と外務省との使用契約は解除されて、三十年に西武鉄道が買い上げている。あのプリンスホテルといわれるもので、ほとんど堤さんの西武鉄道に買い上げられておりますが、その買い方は、御承知のとおり、あの終戦の混乱期といいますか、宮家にそれぞれ融資をされたり、そして、その支払いができないので、公邸として買い上げてプリンスホテルにされた。
それの当否を言おうとは思いませんけれども、その段階でも、あそこが迎賓館として適当ならば、迎賓館としてどこを改造して、あるいは買い上げて使うべきかということがフリーに論議をされたと思うのです。今日では、元赤坂離宮を国会図書館に、その国会図書館のあとを迎賓館にというのは、いまのお話でいきますと、佐藤総理のときですか……。最初、朝香宮邸を外務大臣公邸に使われたのは、吉田さんの個人的な嗜好も多分にあったようです。いわば行政府が国会と相談をしないで、あるいは国民の代表と相談をしないでやってまいりますと、個人の嗜好だとかあるいは総理大臣、大臣の個人的な嗜好とかなんとかいうものが入る余地がありますだけに、それは、やはりちゃんとしなければならぬと、こう申し上げているわけであります。
それから、手続面でのそういう感想は、大体御承認いただきましたが、数年の経過を経て百億をこしておるようでありますが、既設のものを改造、使用するという点は、私どもも賛成をいたしますけれども、あるいは何人もそう反対はしないと思いますけれども、結果からして百億をこす予算をかけた、あるいはあの中心をなしますホールの絵だとかあるいはシャンデリヤだとかあるいは側壁だとか、こういうものを考えますと、国際的に見てみても、あの迎賓館として修理、復活をされたものは、一、二を争うといいますか、相当りっぱなものです。
そうしますと、百億の金があったら、いまの国民生活の中からいって、住宅にも困っておる国民がたくさんありますが、何万戸の家が建つだろうかという想像を、われわれ国民の代表としてはついいたします。そうすると、そういう意見を述べることが国会としては事実上できなくなっている。あるいは、先ほどちょっと申しましたけれども、新たに日本式の食堂と庭園とをつくらなければならぬものかどうか。聞きますと、茶室は、専門家だそうですけれども、裏千家のくわしい方だということ。しかし、ああいうものを、日本式な建物の代表として私ども見るわけにいかぬと思う。あるいは庭園にいたしましても、ほんとうに日本式なものかどうかということに多少疑問があると思うのです。どうしてあれだけのものを、新しくあそこにつくらなければならぬだろうかという問題も起こります。
これらの点については、事実上意見を述べる余地がありませんけれども、個人的といいますか、あるいは総務長官としても、内容についてどう考えられますか、お伺いしたい。
小
小坂徳三郎#17
○小坂国務大臣 先ほどの白金迎賓館というのは、ちょうど朝香宮の執事みたいなことをやっている中田虎一という人が、東京都の教育委員会の常田という文化課長に、このいきさつを述べた文書がございますが、ちょうどその当時、宮家のものが接収対象になっているのでまずいというので、外務大臣に頼んで、吉田さんが、それではというので、それを一応公邸に借りたというようないきさつが書いてございます。
これは、一つの歴史の中でのことでございますので、一言、その点について触れさせていただきたいと思いますが、これは何も、私、吉田さん個人が、ああいう非常に豪勢なものを趣味で持ったというふうには解釈したくないわけでございまして、接収をのがれるということの一つの方法としての外相公邸というふうにスタートはなったと聞いておるわけでございます。
それから、ただいまの和風の別館でございますが、これも見てみますと、昭和四十二年、三年ごろには、和風の別館をつくるかどうかについて、何度も協議が行なわれているように記録に載っております。御指摘のように、吉田委員は非常に御造詣の深い万でございますから、その和風別館のつくり方その他が、本物であるかどうかは、ちょっと私もわかりませんが、しかし、一応その議論の中の経過を見てみますと、迎賓館そのものの本体の赤坂離宮は、全く洋風でございます。したがって、日本的な零囲気を出すために、やはり別に和風のものをつくったほうがよろしいというような結論がるる出されておりますので、私は、そのような結果、議論の末、和風別館がつくられたというふうに了承しております。
この発言だけを見る →これは、一つの歴史の中でのことでございますので、一言、その点について触れさせていただきたいと思いますが、これは何も、私、吉田さん個人が、ああいう非常に豪勢なものを趣味で持ったというふうには解釈したくないわけでございまして、接収をのがれるということの一つの方法としての外相公邸というふうにスタートはなったと聞いておるわけでございます。
それから、ただいまの和風の別館でございますが、これも見てみますと、昭和四十二年、三年ごろには、和風の別館をつくるかどうかについて、何度も協議が行なわれているように記録に載っております。御指摘のように、吉田委員は非常に御造詣の深い万でございますから、その和風別館のつくり方その他が、本物であるかどうかは、ちょっと私もわかりませんが、しかし、一応その議論の中の経過を見てみますと、迎賓館そのものの本体の赤坂離宮は、全く洋風でございます。したがって、日本的な零囲気を出すために、やはり別に和風のものをつくったほうがよろしいというような結論がるる出されておりますので、私は、そのような結果、議論の末、和風別館がつくられたというふうに了承しております。
吉
吉田法晴#18
○吉田委員 こまかいことまで言おうとは思っておりませんけれども、おそらくいまの議論は、政府部内での議論でしょう。そうしますと、それが国会にかけられたら、国民の立場から是非善悪が論議されただろう。総理個人とかあるいは総務長官個人でお考えになったことではないと思いますけれども、政府の、総理あるいは外務大臣あるいは大臣クラスで論議をされることと、国民サイドから見たあの迎賓館の中身というのとでは違うと思うのです。現に、私どもが見た感想は違います。それだけに問題を、初めから国会に投げかけて、国民の代表の承認を求めるということが必要なのではないか。
結果から見ても、あまりにもゴージャスです。あるいは初めは百億以上かけるということは考えられなかったのだろうと思いますけれども、今日でいえば、関係者に聞いても、国際的にいっても、あれだけゴージャスな迎賓館は、ほかにはあまり見当たらぬという話を聞きますだけに——それは国賓を迎えるんだから、できるだけいいのがいいにきまっておりますけれども、しかし、必ずしも貴族的な建物が、あるいは貴族的な趣味が喜ばれるわけでもないと思います。国と国とのつき合いは、前にも申し上げたことですけれども、ほんとうにそれぞれの民族の対等なつき合い、それから上だけでなしに、国民と国民との間の交流、ほんとうの友好関係の樹立というものが指向されなければならぬのであって、かつてスカルノ大統領をもてなすときにも、私は問題があったと思いますけれども、スカルノ大統領を失脚させるような接待のしかたというものが、過去において日本で行なわれております。これは考えものだと思います。
そういう意味において、国賓の迎賓のしかたというものにも、迎賓のあり方についても問題があり得ると思いますけれども、しかし、これは論議の余地がないようになっていることについて、たいへん遺憾の意を表して——先ほど言われましたけれども、本来、国会の承認を初めから求めておくべきだった。こういう点については、お認めいただきましたから、最後に、御答弁いただきたいけれども、こういう承認の求め方は、好ましくないことであります。今後、こういうことはしないことを、ひとつ御確約を願いたいと思いますが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →結果から見ても、あまりにもゴージャスです。あるいは初めは百億以上かけるということは考えられなかったのだろうと思いますけれども、今日でいえば、関係者に聞いても、国際的にいっても、あれだけゴージャスな迎賓館は、ほかにはあまり見当たらぬという話を聞きますだけに——それは国賓を迎えるんだから、できるだけいいのがいいにきまっておりますけれども、しかし、必ずしも貴族的な建物が、あるいは貴族的な趣味が喜ばれるわけでもないと思います。国と国とのつき合いは、前にも申し上げたことですけれども、ほんとうにそれぞれの民族の対等なつき合い、それから上だけでなしに、国民と国民との間の交流、ほんとうの友好関係の樹立というものが指向されなければならぬのであって、かつてスカルノ大統領をもてなすときにも、私は問題があったと思いますけれども、スカルノ大統領を失脚させるような接待のしかたというものが、過去において日本で行なわれております。これは考えものだと思います。
そういう意味において、国賓の迎賓のしかたというものにも、迎賓のあり方についても問題があり得ると思いますけれども、しかし、これは論議の余地がないようになっていることについて、たいへん遺憾の意を表して——先ほど言われましたけれども、本来、国会の承認を初めから求めておくべきだった。こういう点については、お認めいただきましたから、最後に、御答弁いただきたいけれども、こういう承認の求め方は、好ましくないことであります。今後、こういうことはしないことを、ひとつ御確約を願いたいと思いますが、いかがでしょうか。
小
吉
吉田法晴#20
○吉田委員 大体、私どもの言わんとするところを、御了解いただいたようですから、この程度にいたします。
次は、同和対策ですが、実は私も、同和対策という問題、部落解放という問題については、個人的にもだいぶ縁故を持っております。それから、基本問題については、先般、皇室経済法の審議の際にお尋ねをいたしました。
同和対策審議会というもの、これは私もお願いをしてつくってもらった一人です。そこで、同対審の答申を完全に実施を願いたい、こういう運動を全国的に広げました。そして特別措置法ができました。特別措置法ができるときの経緯と、それから四党を代表して八木さんが質問をしました代表質問と、それから当時の佐藤総理や関係大臣に感謝をした記録もあらためて読みました。
そして、きょうの質問に備えて、総理府やあるいは厚生省から来ていただきましたが、質問をするにあたって、いかに同和問題というものがむずかしいかということを、初めて、きのうあらためて知らされた。総務長官は、お育ちもお育ちですから、なかなかむずかしいと思います。御理解がしにくいと思うんですけれども、しかし担当大臣としては、ぜひあなたにほんとうに理解をしてもらって、本格的に取り組んでもらわなければならぬ。これは個人的にもですが、制度として、政府として、あるいは大臣として、取り組んでもらわなければならぬところですから、あらためて同和問題とその対策についてどう考えられておりますか、決意のほどをまず承りたいと思います。
この発言だけを見る →次は、同和対策ですが、実は私も、同和対策という問題、部落解放という問題については、個人的にもだいぶ縁故を持っております。それから、基本問題については、先般、皇室経済法の審議の際にお尋ねをいたしました。
同和対策審議会というもの、これは私もお願いをしてつくってもらった一人です。そこで、同対審の答申を完全に実施を願いたい、こういう運動を全国的に広げました。そして特別措置法ができました。特別措置法ができるときの経緯と、それから四党を代表して八木さんが質問をしました代表質問と、それから当時の佐藤総理や関係大臣に感謝をした記録もあらためて読みました。
そして、きょうの質問に備えて、総理府やあるいは厚生省から来ていただきましたが、質問をするにあたって、いかに同和問題というものがむずかしいかということを、初めて、きのうあらためて知らされた。総務長官は、お育ちもお育ちですから、なかなかむずかしいと思います。御理解がしにくいと思うんですけれども、しかし担当大臣としては、ぜひあなたにほんとうに理解をしてもらって、本格的に取り組んでもらわなければならぬ。これは個人的にもですが、制度として、政府として、あるいは大臣として、取り組んでもらわなければならぬところですから、あらためて同和問題とその対策についてどう考えられておりますか、決意のほどをまず承りたいと思います。
小
小坂徳三郎#21
○小坂国務大臣 吉田委員の御指摘のとおり、この問題は非常にむずかしい。私は、まずその非常にむずかしい問題であるということを十分理解することから、この問題は取り組むべきだと考えます。簡単に、小手先の問題では解決しないということでございます。
したがいまして、この同和問題に対しては、やはり長い歴史の中で起こっておるところの日本社会におけるいろいろなひずみだと思うし、同時にまた、この問題を解決するのには、単に現時点までとられてきたような物的なと申しますか、施設、設備、そうしたような問題だけで解決するものではない。やはりこれは、教育の問題であるし、社会生活における平等の問題でもある、そうしたいろいろな問題を踏まえまして、むしろ物的な面についての措置というものは、過去においてある程度の成果はあがってきていると思いますけれども、問題は、もっと社会生活における平等ということ、しかし、これは日本国民全員の、あるいは地域社会に住む人々全員の理解と協力がなければ実現するものではない。それを、どうしてやるかということが、これからの非常な問題であると思いますし、同時に、そうした精神的な問題というものを、非常に重要なファクターとして考えて、今後は対処してまいりたいと思います。
この発言だけを見る →したがいまして、この同和問題に対しては、やはり長い歴史の中で起こっておるところの日本社会におけるいろいろなひずみだと思うし、同時にまた、この問題を解決するのには、単に現時点までとられてきたような物的なと申しますか、施設、設備、そうしたような問題だけで解決するものではない。やはりこれは、教育の問題であるし、社会生活における平等の問題でもある、そうしたいろいろな問題を踏まえまして、むしろ物的な面についての措置というものは、過去においてある程度の成果はあがってきていると思いますけれども、問題は、もっと社会生活における平等ということ、しかし、これは日本国民全員の、あるいは地域社会に住む人々全員の理解と協力がなければ実現するものではない。それを、どうしてやるかということが、これからの非常な問題であると思いますし、同時に、そうした精神的な問題というものを、非常に重要なファクターとして考えて、今後は対処してまいりたいと思います。
吉
吉田法晴#22
○吉田委員 同対審答申は、もちろんお読みをいただいたと思いますが、これは、いろいろな人に接触をしてみて、読んだだけではなかなかほんとうにおわかりをいただけるところまでは至らぬと思うんです。いま、一応お述べをいただきましたけれども、いまひずみと言われましたが、過去における厚生省を中心にしました同和対策は、おっしゃいましたように、ひずみを直すために、物的な施設、環境整備に中心を置きました。
ところが、いまや厚生省だけでなくて、政府全部で、あるいは政府と自治体を含んで、政治の全部の問題として、この問題に取り組んでいただいております。それだけ認識も広まったと思うんですけれども、それでもなお、結婚、就職あるいは教育の平等については、必ずしも認識は十分ではないように思います。
私は、全国行動をいたします際に、特にこの二、三回は、通産省担当におのずからなりました。おのずからなりましたが、政府の大臣なりあるいは担当者に会っても、やはり問題は、ほんとうに認識させにくいということをつくづく、この何年かで感じてまいりました。それだけに、ほんとうにこの同和問題の中心は何なのか、これが原因については、いろいろ説がございますけれども、問題の中心はどこにあるのかということについては、いまの御説明だけではほんとうに核心に触れられておったとは思いませんが、重ねて、おそれ入りますけれども、お願いしたいと思います。
この発言だけを見る →ところが、いまや厚生省だけでなくて、政府全部で、あるいは政府と自治体を含んで、政治の全部の問題として、この問題に取り組んでいただいております。それだけ認識も広まったと思うんですけれども、それでもなお、結婚、就職あるいは教育の平等については、必ずしも認識は十分ではないように思います。
私は、全国行動をいたします際に、特にこの二、三回は、通産省担当におのずからなりました。おのずからなりましたが、政府の大臣なりあるいは担当者に会っても、やはり問題は、ほんとうに認識させにくいということをつくづく、この何年かで感じてまいりました。それだけに、ほんとうにこの同和問題の中心は何なのか、これが原因については、いろいろ説がございますけれども、問題の中心はどこにあるのかということについては、いまの御説明だけではほんとうに核心に触れられておったとは思いませんが、重ねて、おそれ入りますけれども、お願いしたいと思います。
小
小坂徳三郎#23
○小坂国務大臣 これは、もう申すまでもなく、人権の問題である、そしてまた同時に、その人権というものは、自由ということだと私は理解するし、同時にまた、この自由が阻害をされているという歴史的な問題、これらについての非常に大きな社会的な問題だと私は理解しております。自由と同時に平等であるという、この平等が確保されておらないという現実に、私らは目をつぶってはならないというふうに思います。
この発言だけを見る →吉
吉田法晴#24
○吉田委員 人権の問題、自由、それから平等の問題あるいは社会的な問題だとおっしゃいますが、中には人種問題と間違える人もおります。しかし、答申にも書いてございますけれども、これは民族が違うわけでもございませんし、人種が違うわけでもございません。そして、それは人権、自由に関連をいたしますけれども、これは封建時代につくられました身分的な差別の問題が、その本質だと私どもは考えておりますが、いかがでしょうか。
そして、これは国際的に見ましても、一番——よその国のことを言って、たいへん恐縮ですけれども、もう十年以上になりますから、最近は多少違っておるかもしれませんけれども、インドにおいて、これも憲法上は身分差別がなくなっている、階級差別がなくなっていると思いますけれども、実際にはやはり階級差別の大きな残滓が残っていることは事実であります。日本の場合には憲法、明治の初めの太政官布告、そうして、その後の経過は答申にも書いてございます。日本の憲法では、思想、信条による差別あるいは貴族制度を廃止することによって、制度的なこういう差別はなくなっているはずであります、法律上は。しかし、なお実際的に身分差別がどういうぐあいに残っているか、その残り方については、お読みいただいたらわかると思いますが、人権あるいは自由、平等に関連をするその本質は何であるか、ということについては、私は、身分的な差別だと思いますが、長官はどう思われますか。重ねてお尋ねをいたします。
この発言だけを見る →そして、これは国際的に見ましても、一番——よその国のことを言って、たいへん恐縮ですけれども、もう十年以上になりますから、最近は多少違っておるかもしれませんけれども、インドにおいて、これも憲法上は身分差別がなくなっている、階級差別がなくなっていると思いますけれども、実際にはやはり階級差別の大きな残滓が残っていることは事実であります。日本の場合には憲法、明治の初めの太政官布告、そうして、その後の経過は答申にも書いてございます。日本の憲法では、思想、信条による差別あるいは貴族制度を廃止することによって、制度的なこういう差別はなくなっているはずであります、法律上は。しかし、なお実際的に身分差別がどういうぐあいに残っているか、その残り方については、お読みいただいたらわかると思いますが、人権あるいは自由、平等に関連をするその本質は何であるか、ということについては、私は、身分的な差別だと思いますが、長官はどう思われますか。重ねてお尋ねをいたします。
小
小坂徳三郎#25
○小坂国務大臣 市民的な権利とか自由というものが保障される、それが人間だと私は思っております。そうした問題がゆがめられて、職業選択の自由とかあるいは結婚の問題とか教育の機会均等とか住居の問題とか、そうしたことに今日なお問題が残されているというその現実を、私は目をつぶらないではっきり見詰めて対策を立てなければならないという考えでございます。
この発言だけを見る →吉
吉田法晴#26
○吉田委員 人権や自由やあるいは市民的な権利について差別がある、支障がある、そこで、それを除くためには、教育だとか就職だとかいった市民的な生活の自由の実質について保障する必要がある、これはそのとおりであります。そのとおりでありますが、その人権や自由における差別がなぜ起こってきたのか。それから、中にはそれは観念的なものである、差別観念だ、だから、教育を徹底すれば、その差別はなくなるというような意見がございますが、教育だけでは、思想だけではいかないものがあることも、答申は指摘をいたしております。その生活の実態、そして、その原因が何であるかということになりますと、一言の表現で言えば、旧身分的な差別だという以外にないのではないかとも思うのですが、その実態の、差別の根拠については、どういうぐあいにお考えになりますか。おそれ入りますが、重ねて伺います。
この発言だけを見る →小
小坂徳三郎#27
○小坂国務大臣 吉田委員もよく御承知のように、日本の社会の発展というものの中の歴史をひもとけば、おのずからそうした封建時代もあるし、その前の時代もあるし、いろいろな世代を通ってまいりましたから、そのいつの時点にこうした問題が発生したかということは、私、つまびらかにいたしておりませんが、しかし今日のこの同和問題というものは、社会的、歴史的な人権問題というふうに私は考えておるものでございます。
いま御指摘のように、身分制度とおっしゃるわけでありますが、身分制度そのものといえども、これは、やはり社会的、歴史的な所産であるのでございまして、私は、身分制度そのものの可否を論じても、この同和問題の解決にはならぬ、しかし、そうしたものの積み上げの中に、今日の問題が残ってきたということは——これは一つの新しい日本の社会生活が、もっと平等と自由の中で繁栄をしていくということを、われわれは理念としておるものでありますから、そうした問題は解決する努力をすべきだ、真正面から取り組んで、すべきだというふうに理解をしております。
この発言だけを見る →いま御指摘のように、身分制度とおっしゃるわけでありますが、身分制度そのものといえども、これは、やはり社会的、歴史的な所産であるのでございまして、私は、身分制度そのものの可否を論じても、この同和問題の解決にはならぬ、しかし、そうしたものの積み上げの中に、今日の問題が残ってきたということは——これは一つの新しい日本の社会生活が、もっと平等と自由の中で繁栄をしていくということを、われわれは理念としておるものでありますから、そうした問題は解決する努力をすべきだ、真正面から取り組んで、すべきだというふうに理解をしております。
吉
吉田法晴#28
○吉田委員 総務長官の答弁は、点数でいいますと、相当の点数をあげられると思うのですけれども、秀才的な答弁で、あまり実態は御存じないと見えるものだから、理解をされました程度で受け取っても、答弁としてはりっぱですけれども、もう少し血の通った認識をお願いしたいという意味で、先ほどからお尋ねをいたしたわけであります。
そこで、あまり原則問題をやってもしようがございませんが、実際はその認識から、ほんとうに血の通う認識から解決万策が生まれてくるから、若干の御質問をあえて申し上げたわけで、お許しをいただきたいと思います。
この同和対策問題が本格的に取り上げられてから、同対審答申とそれに基づきます特別措置法ができてから、予定をされました十年のすでに半ばに達しております。いままでの経験からしまして、このままでいきますと、ほんとうに同和問題、部落問題が解決するだろうか、こう私は思うから、ここであらためて取り上げておる。そして、いまのままでいったら、この十年の間に、ほんとうに法律が所期しました、答申が念願をいたしましたほんとうの解決ができないのではないかと実は危惧をいたします、正直に。
そして、その一番大きな原因は、法律ではあるいは口では、答弁では、そうおっしゃいますけれども、実際には国の計画というか、国の姿勢というものがあるかというと、私はないという気がします。それは全国的な調査もされました。それから数府県を対象にして精密調査もされました。しかし、法律に書いてございますが、国が責任を持って同和対策を進めるというならば、国がまず調査をやり、基本計画を持ち、そして国の基本政策を立てて、自治体と協力をして進める。自治体にはその住民の要望が反映をするでしょう。ところが、いまのやり方を見ておりますと、住民の、関係者の要求に基づいて市町村がまず立てる。ところが、市町村長の理解の程度に従って、市町村あるいは県の中にも著しいアンバランスがあります。これは、もう所管大臣として御存じだと思うのですが、相当のアンバランスがあります。そして自治体が進めます同和対策について、国がその裏づけをする、こういうのが実際の大勢ではないかと思うのです。
それでは、これだけの、何百年かかかりました問題を——それは予算も、年々ふえておることも知っております。ふえてはおりますけれども、予定をされた十年の間にほんとうに解決するかというと、なかなかだという感じが率直にいたします。それだけに、もう一ぺん国の態度といいますか、あるいは計画といいますか、再調査を一斉に、あるいは一斉にできなければ順次でもかまいませんけれども、精密調査もし、そして国の総合計画、長期計画を立てるべきではないかと思いますが、どう考えられますか、承ります。
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この同和対策問題が本格的に取り上げられてから、同対審答申とそれに基づきます特別措置法ができてから、予定をされました十年のすでに半ばに達しております。いままでの経験からしまして、このままでいきますと、ほんとうに同和問題、部落問題が解決するだろうか、こう私は思うから、ここであらためて取り上げておる。そして、いまのままでいったら、この十年の間に、ほんとうに法律が所期しました、答申が念願をいたしましたほんとうの解決ができないのではないかと実は危惧をいたします、正直に。
そして、その一番大きな原因は、法律ではあるいは口では、答弁では、そうおっしゃいますけれども、実際には国の計画というか、国の姿勢というものがあるかというと、私はないという気がします。それは全国的な調査もされました。それから数府県を対象にして精密調査もされました。しかし、法律に書いてございますが、国が責任を持って同和対策を進めるというならば、国がまず調査をやり、基本計画を持ち、そして国の基本政策を立てて、自治体と協力をして進める。自治体にはその住民の要望が反映をするでしょう。ところが、いまのやり方を見ておりますと、住民の、関係者の要求に基づいて市町村がまず立てる。ところが、市町村長の理解の程度に従って、市町村あるいは県の中にも著しいアンバランスがあります。これは、もう所管大臣として御存じだと思うのですが、相当のアンバランスがあります。そして自治体が進めます同和対策について、国がその裏づけをする、こういうのが実際の大勢ではないかと思うのです。
それでは、これだけの、何百年かかかりました問題を——それは予算も、年々ふえておることも知っております。ふえてはおりますけれども、予定をされた十年の間にほんとうに解決するかというと、なかなかだという感じが率直にいたします。それだけに、もう一ぺん国の態度といいますか、あるいは計画といいますか、再調査を一斉に、あるいは一斉にできなければ順次でもかまいませんけれども、精密調査もし、そして国の総合計画、長期計画を立てるべきではないかと思いますが、どう考えられますか、承ります。
小
小坂徳三郎#29
○小坂国務大臣 吉田委員の、このままいって十年たっても、たいしたことないじゃないかというような……(吉田委員「たいしたことないとは言いません。ほんとうに解決ができるか……」と呼ぶ)私は、やはり同じような危惧を持ちます。先ほど吉田委員は、私の答弁は、点数はやれるが心がないとおっしゃいましたが、私は、それは非常に不満でございます。私は、この問題は、きわめて重大な問題であるし、こういう問題が解決されて、初めて日本の社会がもっと平和で住みよいものになるというふうに思って、こうした問題を努力したい、その上にまた、いままでやってきたものを反省する意味もあって——物的の投資額については、吉田委員もおっしゃいましたように、相当の投資をやったということでございますが、問題は、さらに、先ほどから触れておりますように、心の問題をもっと大切にしなければならない。同時に、その心の問題は、一地域の住民の方々の心の問題であると同時に、日本人全体がこの問題を十分認識して、この長い歴史的な所産である問題を、もっと合理的に、もっとあたたかい気持ちで解決するという方向がとられなければならぬということは事実だと思います。
同時にまた、そうした面を補強する意味で、ちょっとお触れになりましたが、われわれは、四十九年度においては、なるべく早い時期に精密な調査をしていく。これは、いままでのように、物的なものは、大体四千億ないし五千億近い投資をすれば、まあまあというような試案が出ておりますが、それだけではいけないのであって、さらに心の問題や現実の生活面における困難な問題、いま吉田委員が御指摘されたような種々の問題についても、深く掘り下げて実態を把握して、同時に、同和対策協議会を、さらに五年間延長して大ぜいの方々の、有識者の御議論も承って、そして問題の解決の前進をはかりたいというふうに考えるものでございます。
ただ、御指摘のように国が何から何までやるべきだということは、私はちょっと考えられない。これは、もう明らかに国としては、全国民の理解と協力ということをとりたい、かちえたい。そのために同和白書も今回発表しておる。いままで、そういうことは触れないで通ってきたと私、思いますが、同和白書を出して国民の目に、この問題を十分に映じさせるという努力もしておりますけれども、問題は、やはり地域社会において、その地域地域で具体的に問題の処理に当たるべきが正当ではないか。そして国は、そうした活動に対しての財政的な援助や、あるいは総合的ないろいろな協力をしていくというたてまえで進むべきではなかろうかというふうに私は考えますが、いずれにいたしましても、同和対策室を今回つくらしていただいて、そして精密な調査を夏までに行なって、具体的な問題点を、もっとはっきりとした形でつかんでまいりたいというふうに考えるものでございます。
この発言だけを見る →同時にまた、そうした面を補強する意味で、ちょっとお触れになりましたが、われわれは、四十九年度においては、なるべく早い時期に精密な調査をしていく。これは、いままでのように、物的なものは、大体四千億ないし五千億近い投資をすれば、まあまあというような試案が出ておりますが、それだけではいけないのであって、さらに心の問題や現実の生活面における困難な問題、いま吉田委員が御指摘されたような種々の問題についても、深く掘り下げて実態を把握して、同時に、同和対策協議会を、さらに五年間延長して大ぜいの方々の、有識者の御議論も承って、そして問題の解決の前進をはかりたいというふうに考えるものでございます。
ただ、御指摘のように国が何から何までやるべきだということは、私はちょっと考えられない。これは、もう明らかに国としては、全国民の理解と協力ということをとりたい、かちえたい。そのために同和白書も今回発表しておる。いままで、そういうことは触れないで通ってきたと私、思いますが、同和白書を出して国民の目に、この問題を十分に映じさせるという努力もしておりますけれども、問題は、やはり地域社会において、その地域地域で具体的に問題の処理に当たるべきが正当ではないか。そして国は、そうした活動に対しての財政的な援助や、あるいは総合的ないろいろな協力をしていくというたてまえで進むべきではなかろうかというふうに私は考えますが、いずれにいたしましても、同和対策室を今回つくらしていただいて、そして精密な調査を夏までに行なって、具体的な問題点を、もっとはっきりとした形でつかんでまいりたいというふうに考えるものでございます。