文教科学委員会

2015-04-16 参議院 全77発言

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会議録情報#0
平成二十七年四月十六日(木曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月八日
    辞任         補欠選任
     礒崎 哲史君     森本 真治君
     山下 芳生君     田村 智子君
 四月十五日
    辞任         補欠選任
     衛藤 晟一君     堂故  茂君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         水落 敏栄君
    理 事
                石井 浩郎君
                二之湯武史君
                神本美恵子君
                斎藤 嘉隆君
    委 員
                赤池 誠章君
                堂故  茂君
                橋本 聖子君
                藤井 基之君
                堀内 恒夫君
                丸山 和也君
                吉田 博美君
                榛葉賀津也君
                那谷屋正義君
                森本 真治君
                秋野 公造君
                新妻 秀規君
                柴田  巧君
                田村 智子君
                松沢 成文君
   国務大臣
       文部科学大臣   下村 博文君
   副大臣
       文部科学副大臣  丹羽 秀樹君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        美濃部寿彦君
   政府参考人
       文部科学省初等
       中等教育局長   小松親次郎君
       文部科学省科学
       技術・学術政策
       局長       川上 伸昭君
       文部科学省スポ
       ーツ・青少年局
       長        久保 公人君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○政府参考人の出席要求に関する件
○教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関
 する調査
 (政治資金規正法の趣旨に対する文部科学大臣
 の認識に関する件)
 (道徳教育の歴史的経緯と教科化への懸念に関
 する件)
 (国立天文台が参画する国際プロジェクト推進
 のための予算確保の必要性に関する件)
 (教育バウチャー制度を検討する必要性に関す
 る件)
 (国立大学法人運営費交付金の削減が学術研究
 にもたらす影響に関する件)
 (国立大学に対する国旗掲揚・国歌斉唱に係る
 文部科学大臣の要請と大学の自治との関係に関
 する件)
○独立行政法人大学評価・学位授与機構法の一部
 を改正する法律案(内閣提出)
    ─────────────
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水落敏栄#1
○委員長(水落敏栄君) ただいまから文教科学委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、山下芳生君、礒崎哲史君及び衛藤晟一君が委員を辞任され、その補欠として田村智子さん、森本真治君及び堂故茂君が選任されました。
    ─────────────
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水落敏栄#2
○委員長(水落敏栄君) 政府参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関する調査のため、本日の委員会に、理事会協議のとおり、文部科学省初等中等教育局長小松親次郎君外二名を政府参考人として出席を求め、その説明を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
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水落敏栄#3
○委員長(水落敏栄君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
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水落敏栄#4
○委員長(水落敏栄君) 教育、文化、スポーツ、学術及び科学技術に関する調査を議題とし、質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
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那谷屋正義#5
○那谷屋正義君 おはようございます。民主党の那谷屋正義でございます。
 今日は十分ほどいただきましたけれども、この間、予算委員会そして当委員会において、大変残念な質疑をうちの方からもやらなければならないという、そういう状況になったことに対して、大変私自身も残念であり、何年か前に星陵会館で教育二十三団体を前にして、学校の先生方は給料はもう全額国で払ってもいい、とにかく定数をしっかりと改善していくというふうな強い決意を申された下村大臣としっかりと教育論について議論をしていくということが私のある意味楽しみでもあったんです。何というんですかね、いろいろと同じようなところはあるというふうに思うし、また違うところは徹底的に議論をしていくという、このことが非常に私にとっても楽しみでありました。
 しかし、この間のやり取りの中で非常にやはり残念だなというふうに思うのは、ちょっと整理をしなきゃいけないんですけれども、やはり政治資金規正法の趣旨というものがいろんな意味で今回衆参の予算委員会を通じて骨抜きになっているんじゃないかという、そういうふうなことの中で質疑をさせていただいております。またかというふうに思われるかもしれませんけれども、やはりこの問題はしっかりと議論をして説明責任を果たしていただくということが大事だというふうに思いますので、今日もそれについて質問をさせていただきたいというふうに思います。
 この間の問題を幾つか整理させていただきたいと思いますけれども、その前に、政治資金規正法の趣旨というもの、これを大臣はどのように認識をされているか、お聞かせいただけたらと思います。
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下村博文#6
○国務大臣(下村博文君) おはようございます。
 那谷屋委員とは、教育におけるよって立つところ、違うところはありますけれども、那谷屋委員は日教組の大幹部でもいらっしゃいましたし、しかし、一人一人の子供をいかに育みながらより良い教育環境をつくるかということについては、これはまさに一致しているのではないかと思います。
 義務教育国庫負担の問題も、今までの経緯の中で三分の一になりましたが、私はこれは国が責任を持って行うべきことであるというふうに思っておりますし、そういう部分で今いろんな教育改革を通じて進めているところでもございますから、是非政策の部分で積極的な議論ができれば大変に有り難いというふうに思います。
 政治資金規正法については、これは法律を作ることによって国民の皆さんが政治家に対して信頼を持ってもらうような、そういう資金管理におけるルールを作ったわけでございまして、私も国会議員でありますから、そのルールにのっとって、国民の皆さんに信頼を損ねないような、そういうことについては十二分に注意して今までもそれぞれ届出また報告をしているつもりでありますが、更に御疑問の点があれば、きちっと説明をすることによって理解を得るようにしてまいりたいと思います。
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那谷屋正義#7
○那谷屋正義君 今、趣旨については大臣が言われたとおりだというふうに思いますけれども、そのことについてやはり大変疑義があるということで、この間ずっといろいろと質問を同僚の議員からもさせていただいたところであります。
 少し整理をしますと、言ってみればこの地方博友会がどういうものなのかということが一番問題なのではないかというふうに思っています。普通に見れば、我々から見れば、この間の資料、そこにある言葉、こういったものから見たら、もうどう見ても政治団体にしか見えないわけであります。だとすると、そこで収支報告がされていなければいけないわけでありますけれども、大臣いわく、これは任意団体であると、大臣の見解で言うと任意団体であると。そして、年に一回程度というふうに、こういうふうにいつも固執されますけれども、私は何回であろうとそれは余り関係ないんじゃないかなというふうに思うんですけれども。そして、しかしながら、収支報告書がされないけれども、収入と支出がしっかりある。例えば、講演会だとか催物、パーティー、こういったものの中でそういったものがあるということでございます。
 そして、大臣言われるところの政治団体ではない、登録されていない、収支報告もないということなので、私はタッチしていないというのが大臣の答弁でありますから、果たしてこの今の何というのかな、ある種平行線的になりつつあるこのことが、政治資金規正法の趣旨と絡めて、このままで放っておいていいのかなという、そういう気持ちも私はすごくあるわけであります。その中で、やはりお金の流れというものをはっきりとしていかなければいけないというふうに思います。
 先日、予算委員会の最後の方で、同僚の小川委員あるいは安井委員から質問がありました。いわゆる寄附のお願いをするための郵送代というものがここに来て出てまいりました。これは、言ってみれば、大臣いわく、その他の経常費の中で総括表の中では一括して掲載しているというふうに言われましたけれども、それでは、そのやはり領収書というのは私はあるんだろうと思うんですけれども、それについてはいかがでしょうか。
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下村博文#8
○国務大臣(下村博文君) まず、地方の博友会については今おっしゃったような状況がありますが、これはいろんなことが国会の中で議論された、また一部週刊誌でも非常に誹謗中傷に近い誤解された記事が多々ありましたので、これについては、二月十三日、全国の方々が集まった中で、今後、東京の博友会は、これは届出団体ですけれども、そこに年に一回の会合についての収支報告を入れることによって東京の博友会の中に一緒に位置付けようということは幹部の中では決めていただきました。ただ、実際はそれぞれの地方の博友会でどうするかは持ち帰って決めていただくということでありますが、そういう方向にこれからなっていくのではないかというふうに思います。
 それから、地方の博友会についての寄附のお願いについての郵送領収書、これは十一自民党選挙区支部としてお願いをしておりまして、ここは国会議員関係団体なので、記載義務は一万一円以上、それ以下のものはその他支出として一括して記載して届出をしております。
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那谷屋正義#9
○那谷屋正義君 しかし、今一万一円以上というふうに言われましたけれども、領収書の保管そのものは義務付けられているというふうに思います。そういう意味では、その領収書はちゃんと保管をされているということでよろしいでしょうか。
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下村博文#10
○国務大臣(下村博文君) 当然そうであります。
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那谷屋正義#11
○那谷屋正義君 それでは、これは大臣というよりも委員長にお願いしたいんですけれども、その領収書について、是非御提出をいただきたいというふうに思っておりますので、よろしくお願いしたいと思います。
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水落敏栄#12
○委員長(水落敏栄君) 理事会で協議をいたします。
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那谷屋正義#13
○那谷屋正義君 それと、その発送代だけでなくて、やはり様々なパーティーの問題だとか、様々なその収支の問題も含めて、二十六年度全体の収支報告というものもやはりお示しいただいた方が私はいいのではないかと、こういうふうに思っているわけでありますけれども、それについてどのようにお考えでしょうか。
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下村博文#14
○国務大臣(下村博文君) 二十六年度ですか。二十六年度は、今年の五月末までにこれは選管に届け出ることになっておりますので、まだ作成中でございます。
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那谷屋正義#15
○那谷屋正義君 でしたら、できましたら速やかに、まあ十一月に自然に公表されるということになっていますけれども、それではやはり、こういう問題は早く解決しておくべきだろうというふうに思いますので、是非、またこれも御提出いただきたいというふうに思いますけれども、委員長、よろしくお願いします。
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水落敏栄#16
○委員長(水落敏栄君) 後ほど理事会で協議をいたします。
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那谷屋正義#17
○那谷屋正義君 まあ、これまでのありようでいろいろな疑義が出てきているから、このままではやっぱり良くないというふうに理解をして、二月十三日にある程度の軌道修正を図ったという、そういう考え方でよろしいでしょうか。
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下村博文#18
○国務大臣(下村博文君) 軌道修正ということではなくて、元々は、今までも何回も申し上げていますが、年に一度行って、二、三十人ぐらいの地方の塾とか教育関係者の方々に対して私の教育とか政治について話をしてくれということで、していた経緯がございます。ただ、大臣になって、たくさんの方々がお集まりになるような会合になったという中で、今回のような問題が週刊誌等で指摘されたり書かれたり、国会で疑義があるというような御質問があったわけでありますから、全くありませんが、しかし、何か隠しているみたいに見られるのはこれは本意ではありませんから、その辺は整理する必要があるというふうに思っております。
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那谷屋正義#19
○那谷屋正義君 済みません、時間が来ましたので、何か中途半端ですけれども、今日はこれで終わりたいと思いますけれども、また引き続き、本当に真剣に教育論についていろいろとここで議論をしていくためにも、今後ともこの点についていろいろと質疑、質問、たださせていただきたいということを明言いたしまして、私の質問を終わります。
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神本美恵子#20
○神本美恵子君 おはようございます。民主党の神本美恵子でございます。
 今、那谷屋議員が取り上げました問題について、私も前回の一般質疑の中で質疑させていただいたんですが、丸々その問題だけで終わってしまって、本当に教育問題についてやらなければいけない課題を私もいっぱい抱えておりまして、大臣にお聞きしたいことがありますので、今日はそれを中心にしたいと思いますが。
 前回のときも、この政治資金の問題について、大臣は、今ある各博友会は任意団体であると、しかし様々な疑義が掛けられているので改善する形として下部組織にしたいというふうなことをおっしゃっておりますけれども、ということは、これまでの在り方にやっぱり問題があったと、疑義が持たれているという、その疑義がまだ晴れていない中で改善をしたいとおっしゃっているということは、私はやっぱりこれは御自身の中にも何かあるのではないかというふうなことを私が思っているということだけまず申し上げて、あと、今日は道徳の教科化について質問をしたいと思います。限られた時間ですので、今日全部やり切れるかどうか分かりませんが、やれるところまでお聞きをしたいと思います。
 中教審が答申を出しまして、文科省としては、その答申を受けて、道徳を今の特設時間、道徳の時間から教科にする、特別の教科にするという方向で、今パブコメも終わって、学習指導要領も改訂をされて、この四月から先行実施も可というような状況になっていることは承知しておりますが、私は、この道徳を教科にするということについて、こんなに簡単にと言っては悪いですけれども、国会で十分な議論もなしに行われていくことについて大変な危惧を持っております。そういう問題意識から今日は質問させていただきたいと思います。
 先月、三月十六日の参議院予算委員会で自民党の議員から、八紘一宇という言葉を使いながらこれを肯定的にする、そういう質疑がございました。
 八紘というのは、四方、よもと四隅のことですけれども、転じてこれを天下、全世界と表して、宇というのは屋根のことであります。言葉そのとおり解釈すればそういうことであります。つまり、世界を一つの家とするという考え方です。
 太平洋戦争期に、この言葉は日本の海外侵略、進出を正当化する標語として用いられたことは皆さんも御承知のことだと思います。ですから、この言葉は戦後はほとんど使われておりませんし、政治家の認識もそのように持っているものと承知しています。
 一九八三年、昭和五十八年ですけれども、一月の衆議院本会議で、当時の中曽根康弘総理大臣は本会議の中で、「戦争前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであった。」というふうに述べられています。
 さきの参議院のあの発言に対して、八紘一宇本来の言葉の意味は違うんだというようなコメントが、ネット上でも擁護するようなコメントが見られますけれども、言葉、特に政治家が使う政治的な言語というのは、それが語られた歴史的な文脈の中で理解すべきであって、本来の言葉の意味はこうだああだというようなことは通用しないと私は思います。
 そこで大臣にお聞きしますけれども、中曽根元総理の認識、こういった八紘一宇に対する認識ですけれども、それと下村大臣の認識は同じでしょうか、それとも違うでしょうか。もし違っているならどの点が違うのか、お聞かせいただきたいと思います。
 そしてまた、政治的な言語、標語などは、それが用いられた歴史的な文脈の中で判断されるべきではないかという点についても御見解をお示しいただきたいと思います。
 あわせて、そう言うのも、道徳のことを聞きたいのに何で八紘一宇なんだと思われるかもしれませんけれども、道徳もまた同じでありまして、それが用いられ人々の規範となった時代や歴史の文脈を抜きにしては考えられないというふうに私は思っているからであります。
 大臣は先日、那谷屋議員から、教科化することが現場からの要請なのかと問われたのに対して、こうお答えになっています。歴史的経緯に影響され、いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があるなどの課題が文科省に設置された道徳教育の充実に関する懇談会や中教審によって指摘されているということを紹介されておりましたけれども、では大臣御自身は、道徳教育が戦前そして戦後たどってきた歴史的経緯をどのように認識され、今回なぜ教科化するという判断をされたのか、お答えいただきたいと思います。三つほどお伺いしておりますが。
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下村博文#21
○国務大臣(下村博文君) まず、八紘一宇でありますが、これは自民党の三原じゅん子議員が三月十六日の参議院の予算委員会で発言されたことであります。私も、それは同席しておりましたから聞いておりました。
 元々、三原委員がおっしゃっていたのは、八紘一宇というのは、初代神武天皇が即位の折に、天の下覆いて家となさむとおっしゃったことに由来している言葉であるということで言われている中で、この八紘一宇というのは、世界が一家族のようにむつみ合うこと、一宇、すなわち一家の秩序は一番強い家長が弱い家族を搾取するのではない、一番強い者が弱い者のために働いてやる制度が家であると、それが本来の初代神武天皇の即位のときの趣旨であると。それはそうであろうというふうに思います。
 中曽根元総理がどんな発言をこのことについてされているのかということは、全てにおいて承知しているわけではありませんが、中曽根総理のときの御発言の中で、戦前は八紘一宇ということで、日本は日本独自の地位を占めようという独善性を持った、日本だけが例外の国になり得ると思った、それが失敗のもとであったというような御発言とか、それから、私は、中曽根総理、当時ですね、八紘一宇という言葉には戦前の限定された意味が非常に強くありまして、私自身はそういうものは取りませんと発言されていますが。
 元々も、確かに神武天皇の頃の、これは八紘一宇という言葉ではなかったと思いますが、趣旨はそういう趣旨で、それ自体はすばらしいお考えだというふうに思います。
 ただ、歴史的な経緯を見ますと、この八紘一宇というのは、これは昭和十三年の「建國」という書物の中で初めて出てきた言葉だというふうに承知しておりますので、やはり八紘一宇という言葉自体の四字熟語が、中曽根当時総理が言われたように世界では取られているし、また我が国でもそういうふうに取られているという部分がありますので、私は、今この時代にもう一度、八紘一宇という言葉を使って、趣旨はともかくとして、しかし定義としては戦前のある意味では軍国主義の象徴のような言葉としてやっぱりイメージされていますから、これは、私自身、使うこととしては適切でないというふうに考えております。
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神本美恵子#22
○神本美恵子君 それともう一つ、道徳教育が戦前戦後たどってきた歴史的経緯をどのように認識されているかということもお聞きしたんですが、併せてお願いします。
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下村博文#23
○国務大臣(下村博文君) まずは歴史的な経緯ということで申し上げたいというふうに思いますけれども、これは、道徳の教科化が実現してこなかった過去の議論ということでありますが、平成二十年の学習指導要領の全面改訂の際に道徳の教科化についても検討をされましたが、このときの結論としては、指導内容をより体系的なものに見直すことや道徳教育推進教師を配置することなどによりまして指導の充実を図ることとして、教科化は見送った経緯があります。
 しかしながら、平成二十五年二月の教育再生実行会議第一次提言におきまして道徳の時間の新たな枠組みによる教科化が提言されたことを受けて文部科学省に設置されました道徳教育の充実に関する懇談会や中央教育審議会においては、歴史的経緯に影響され、いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があると。
 この歴史的経緯というのは、これは戦前の修身、この修身の徳目についても、基本的には今の時代に合うものがほとんどだと思いますが、しかし、全てではなくて一部、これは戦前の徳目であるけれども今の徳目に合わないという部分があります。これは基本的に教育勅語から来ていると思いますが、そういう中で、その教育勅語そのものが戦前の軍国主義を更に加速させるための思想的なバックボーンになったのではないかというようなことがあることによって戦後それも教えられなくなったと、そういうふうな歴史的な経緯、影響があるというふうに思います。
 それから、教師の指導力が不十分である、また他教科に比べて軽んじられている、あるいは読み物の登場人物の心情理解のみに偏った形式的な指導が行われる例があるなどの課題が今現在も存在することが指摘をされました。
 また、平成二十四年度に実施した道徳教育実施状況調査の結果では、道徳教育実施上の課題について、各学校も、指導の効果を把握することが困難である、あるいは効果的な指導方法が分からない、また適切な教材の入手が難しいと考えている実態も明らかになりました。
 中教審においては、これらの現状を変えるために、道徳の時間を従来の教科とは異なる特別の教科として新たに位置付けるとともに、道徳科を要として効果的な指導をより確実に展開するため検定教科書を導入することが必要と提言をいたしました。
 文科省としては、これらの指摘を踏まえ、道徳の時間を教育課程上の特別の教科に位置付けるというふうにしたものでもございます。
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神本美恵子#24
○神本美恵子君 大臣自身、戦前の修身というこの道徳教育の教科については、軍国主義的な考え方を植え付ける上で問題であったというような、その徳目の中も、今通じるところもあるけれどもそういう問題はあったという御認識は示されたんですけれども、その後、戦後またたどってきた歴史的経緯というのもまたあると思うんですね。
 その歴史的経緯をどのように認識されて今回教科にするというふうに判断されたのかということについては、ちょっと今お答えは明確になかったんですけれども、昨年十月にまとめられた中教審の答申では、教科化が必要な理由について、道徳の時間は各教科等に比べて軽視されがち、道徳の要として有効に機能していないことも多く、このことが道徳教育全体の停滞につながっているということを挙げておりますけれども、道徳の時間として充実を図るのではなくて、なぜ教科という形を取らなくてはならないのかということが私には分からないんですね。
 もう一度お聞きしますけれども、道徳を教科にしなければならない解決されない課題とは何なのかということをお答えいただきたいと思います。
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下村博文#25
○国務大臣(下村博文君) 道徳教育は、人が人として生きるために必要な規範意識や社会性、思いやりの心など豊かな人間性を育み、一人一人が自分に自信を持って、また社会の責任ある構成者として幸福に生きる基盤をつくる上で不可欠なものであるというふうに考えます。
 戦後の我が国における道徳教育は、学校教育の全体を通じて行うという方針の下に進められてきたという経緯があったと思います。特に、昭和三十三年の改訂で初めて告示として制定された学習指導要領におきまして、教科とは別に、小中学校に各学年週一時間の道徳の時間が設置されて以降、この道徳の時間が学校教育全体で行う道徳教育の要として位置付けられてきたという経緯がございます。
 そして、先ほどもちょっと申し上げましたが、平成二十年の学習指導要領の全面改訂の際には、教育再生実行会議、これは当時は教育再生会議ですね、教育再生会議などにおける議論も踏まえて道徳の教科化についても検討をされましたが、結論としては、指導内容をより体系的なものに見直すことや道徳教育推進教師を配置することなどによりまして指導の充実を図ることとして、道徳の教科化というのは見送ったという経緯がありました。
 しかしながら、我が国の道徳教育を全体として捉えると、歴史的な経緯に影響され、いまだに道徳教育そのものを忌避しがちな風潮があることや、読み物から一定の価値観を読み取るべきとする一方、形式的な指導も見られることなど各教科等に比べて軽視しがちであることなど、多くの課題が指摘されております。
 また、いじめの問題などに起因して、子供の心身の発達に重大な支障を生じる事案や、尊い命が絶たれるといった痛ましい事案まで生じておりまして、いじめを早い段階で発見し、その芽を摘み取り、全ての子供を救うことが喫緊の課題ともなっております。
 こうした状況の下で、教育再生実行会議の第一次提言、道徳教育の充実に関する懇談会報告や中央教育審議会答申を踏まえて、今回、道徳の時間を従来の教科とは異なる特別の教科として新たに位置付けたものであります。このことによりまして、その目標や内容等を見直すとともに、検定教科書も導入し、また見方や立場によって答えは一つでない課題、道徳は特にこれだけが正義でこれだけが正しいとは言えない部分があると思います。自分の問題として考え、捉え、そして真剣に議論するための道徳、アクティブラーニング等もここに入れる必要があるのではないかと思います。そういうふうに質的に転換をし、学校の道徳教育全体の真の要として機能する、そのことが可能になるのではないかと考えております。
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神本美恵子#26
○神本美恵子君 私がお聞きしたかったのは、道徳を教科にしなければ解決できない課題というのは何なのかということをお聞きしたかったんですが、戦後の道徳がどのように扱われてきたのかということの御説明が今あったんですけれども、中教審が言っている、さっき私申し上げました、ほかの教科に比べて軽視されがちであるとか、道徳教育全体が停滞しているというようなことを挙げて、だからこれを教科にしようというように受け取れるんですけれども。
 それだけでは全く、私も現場感覚でいえば、各教科に比べて道徳の時間が軽視されているというよりも、各教科の中でも受験科目以外の芸術とか体育とかそういうものは本当に軽視されているんですね、もう実態的に。道徳の時間だけではありません。受験科目に振り替えたりというような、現場ではそういう現実対応といいますか、ことが行われているその中の一つとして、確かに道徳の時間がほかの受験科目に変えられたりという実態はあるかもしれませんけれども。
 むしろ、今の道徳の時間の扱いというのは、学校教育全体で行う道徳教育の要としてそこに一時間あるのであって、あとはもう日常的に、本当に道徳教育上の課題というのは、私も経験がありますけれども、朝学校に来て子供同士トラブっている、それを解決しないと一時間目の授業に入れないというようなことが現実的に、道徳の時間一時間ではとても解決できない問題が山ほどあって、例えば一時間目の国語の時間に朝の会が食い込んで、トラブルを収めて解決を何とかして気持ちを授業に向かせて、そうすると国語の時間が減っているわけですよね。その分をどこかで取り返さなければいけないというような、まあ学校は小学校も中学校も学級担任がそういう工夫をしながら、道徳教育といいますか、学級集団づくりといいますか、特別活動といいますか、そういうことを柔軟にやっているので、決して道徳の時間を使っているから使っていないからとか、副読本を使っている使っていないとかいうことでは測れない。
 そういう現状があることを考えれば、これを教科にしたからといって、そして検定教科書を配って、そして一定の評価をしたからといって、道徳教育が充実したものになるとはとても思えないので、教科にしなければならない解決されない課題とは何かということをお聞きしたかったんですけれども、逆に、これを教科にするということは、以前、那谷屋議員が質問したように、学校現場からの要求、要請ではなくて、別なところにこの教科にするという、何かあるのではないかというふうに私は危惧を持たざるを得ないわけです。
 そこで、道徳教育の歴史というものを振り返ってみたいと思います。
 私は、国会図書館などにもお手伝いいただいて、戦前からの道徳教育の始まりからずっと、どのように議論されて今日に至ってきたのかということを私なりに勉強させていただきました。そうすると、やはりこれを教科にして、検定教科書、まあ戦前は国定教科書ですけれども、それを作って、そして評価をするということは、大変別な意味で危惧がある、危険性があるということを歴史を学べば学ぶほど思うわけです。
 それで、限られた時間ですけれども、先ほど大臣もちょっとおっしゃいましたが、戦前は修身として登場したこの教科は、改正教育令で最も重要な首位教科と位置付けられて、国語、算数、体操みたいなのの三科目ぐらいしかない中の一番上に修身というのがあって、首位教科なんですね。重視されて、先ほどおっしゃったように、明治天皇の名で出された教育勅語をその修身の時間に暗記をさせて仁義忠孝の心を植え付ける。そのためには、これは改正教育令で書かれているんだと思いますが、「幼少ノ始ニ其脳髄ニ感覚セシメテ培養スル」、つまり幼少時から洗脳することが必要だとされてこの修身が位置付けられ、そしてそれが、国に殉ずる、「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ」というその教育勅語の文言で分かりますように、殉国思想や皇国史観が子供たちに幼少の頃から植え付けられていったという、これは紛れもない我が国の道徳教育の始まりの歴史であるわけですね。
 首位教科、筆頭教科として位置付けられてそういうことが行われてきた、そのことは何もそうやったからそのとおりになったということはないかもしれないとおっしゃるかもしれませんけれども、当時、国民学校の教員であった作家の三浦綾子さんは、実際に自分が少年航空兵募集のポスターを指しながら、まだ小学校三年生の子供たちに、大きくなったらあなた方もお国のために死ぬのよと語ったという。これは私も、戦前母親が教員をしておりましたので、母親にそんなことを問い詰めたこともあります。子供にそんなことを教えてきたのというように問い詰めたことがあるんですけれども、そういう事実や、また、修身教科書の内容を徹底する上で成績評価や入学考査が重要な役割を果たしてきていたことは、国民学校の当時、子供だった作家の山中恒さんはこう証言しております。上級学校に進学を希望する場合、何が何でもいい内申書を書いてもらうために先生に気に入られるように振る舞ったと。
 このことは、戦前だからということではなくて、今でも、検定教科書が配られてそれに基づいて教科として評価をされるということになれば、こういう懸念が、これからはそんなことはないとは言い切れないというふうに思うんですね。そういう危惧を非常に強く抱くわけですけれども。
 私は、その後、もう少し紹介したいと思うんですけれども、一九四五年、敗戦を迎えて、占領軍が修身教育はこれは廃止をしました。当時、文部省は、高等学校用教科書、文部省が教科書を出していたらしいんですけれども、「民主主義」という教科書の中で、民主社会では、政府が教育機関を通じて国民の道徳思想をまで一つの型にはめようとするのは最もよくないことであると述べて、修身のような教科を設けずに学校教育全体を通じて行うことにしているんですね。
 それからずっと、先ほど大臣が紹介されたように、教育課程審議会や中教審や教育改革国民会議などで何度も教科にすべきというような意見も出たようでありますけれども、それはよくないということでずっと来ていたわけです。
 なぜよくないかというと、道徳教育を主体とする教科あるいは科目は、ややもすれば過去の修身科に類似したものになりがちであるのみならず、過去の教育の弊に陥る糸口ともなるおそれがあるというような、文部省、その後の文科省、一貫してそういうスタンスでずっと来ていたわけですけれども、これらの考え方というのは、私は今日でも全く当てはまる、こういう懸念という、危惧というものは当てはまると思うんですけれども、今回、こうした過去の議論が根底から覆されて、教科にする、明確な教科にしなければならない、道徳教育が充実できないということはお答えがなかったんですけれども、その覆された理由は何なのかということをもう一度お伺いしたいと思います。
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下村博文#27
○国務大臣(下村博文君) まず、神本委員は現場で教師をされておられた、その体験からのお話でもありますから、大変に重いものがあるというふうに思います。
 おっしゃるとおり、学校教育全体がある意味では子供たちにとって道徳的な環境であるというのはもうそのとおりでありまして、道徳を特別の教科化にすれば、そこだけに特化すればいいという話では全くないというふうに思います。
 ただ、一般的にも、やっぱり教育というのは、知育、徳育、体育の三つをバランスよくきちっと教えるべきだと。徳育に対する社会からの、子供たちに対する、学校現場に対する期待というのは大変大きなものがありまして、どんな世論調査でも、道徳についてもっと力を入れるべきだと、あるいは、道徳を特別の教科とすべきだということについては、六割から高いところでは八五%ぐらいのそういう賛成があるということでありまして、なぜそれはそうなのかということを考えると、本来は家庭で徳育の部分についてはきちっとやるべきところが、家庭力が弱くなってきている部分があるし、また地域力も弱くなっている部分があるので、家庭教育、地域教育、学校教育ということであれば、学校教育に対して更に期待をしたいと、そういう表れが道徳をもっと教えてほしいという、そういう世論調査の結果にも出ているのではないかというふうに思います。
 ただ、今回、なぜ教科にするということについては、戦前のような修身教育を復活しようということではないということが基本的にあります。これは、今回の道徳の特別の教科化は、昨年十月の中央教育審議会答申、「道徳に係る教育課程の改善等について」を踏まえて行うものでありますが、この答申におきまして、評価という先ほどのお話がありましたが、評価に関しては、児童生徒が自らの成長を実感し、学習意欲を高め、道徳性の向上につなげていくことや、評価を踏まえ、教員が道徳教育に関する目標や計画、指導方法の改善、充実に取り組むことが期待されることなど、一人一人の良さを伸ばし、成長を促すための適切な評価を行うことが必要と提言されていると。これは今までなかったことだと思います。
 つまり、先ほどの危惧の中でもお話がありましたが、道徳を他の教科と同じように一、二、三、四、五の例えば通知表で付けるということはやっぱりなじまないということの中で、教科化にすることについては慎重な意見があったわけでありますが、そもそもそういう評価そのものをやめようということからこの中教審の答申もスタートしております。
 そして同時に、道徳性は極めて多様な児童生徒の人格全体に関わるものであるから、個人内の成長過程を重視すべきであって、特別の教科道徳について指導要録等に示す評価として数値などによる評価は導入すべきでない、こういう提言がされているというのは今申し上げたとおりであります。
 そのために、文科省としては、子供たちがいかに成長したかを積極的に受け止め励ます評価の確立のために、平成二十七年度に評価や道徳教育、発達障害等の専門家による会議を設け、道徳科の評価に関する専門的な検討を行う上で、教師用指導資料の作成や指導要録の改訂を行うこととしております。つまり、他者との比較ではなくて、一人一人の子供がトータル的にどのように伸びているかどうかということについて記述式で教師が書くというような、他者との比較検討ではない。
 ですから、さらに、この道徳の時間も、教師が教科書にのっとって一方的に講義をする、説明をするということでなく、まあ、これは道徳だけでなく、これからの我が国において、教育全体、他教科にも必要な部分として、例えばアクティブラーニングというのがあると思います。受け身だけの教育ではなくて、子供たちが自ら積極的な主体性を育むような、あるいはコミュニケーション能力を育むような、そういう意味で、道徳というのは、正義は一つだけではないと、いろんな角度から見たときにいろんな考え方があるという典型的な、それを指導できる科目にもなるのではないかというふうに思いますし、そういうような形で、子供たちの広い意味での徳育、それは、一方的に教師が何か価値観を教科書によって与えるとかいうことではない、そういう新しい道徳ということをこれから是非考えていく必要があるというふうに思います。
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神本美恵子#28
○神本美恵子君 いろいろおっしゃいましたけれども、道徳性の向上の状況を記述式で評価をする。評価ですよね、これはね。航空兵のポスター見ながら、あなたたちも立派な大人になってお国のために死ぬのよというようなことは言わないまでも、教師が何らかの形で記述であれ評価をしていくということは、その方向性がそこで方向付けられるといいますか、私はこの評価というのは本当に問題だと思います。この道徳の評価じゃなくても、内申書、特別活動の記述式の評価などにおいても、もう内申書に影響するといって、やりたくもないボランティアをやるとか、高校生がやっているふりをするとか、中学生ですか、そういう話も過去に何度もあったわけですね。
 ただ、これを普通の教科、科目であったら検定教科書を使って評価をするというような、一応そういうふうな考え方があるんですけれども、特別な教科であればこれは評価を要件としないということも可能じゃないですか。そんなことはできないんですか。
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下村博文#29
○国務大臣(下村博文君) 基本的にどのように評価することかと、評価すべきかということの今検討でありますが、まず一つは、数値による評価ではなく、先ほど申し上げました記述式の評価がいいだろうと。また、ほかの児童生徒との比較による相対評価ではなくて、児童生徒がいかに成長したかを積極的に受け止め励ます個人内評価として行うことが望ましいのではないか。また、他の児童生徒と比較して優劣を決めるような評価はなじまないということに対してきちっと留意する必要があるということ。それから、個々の内容項目、このことについてはきちっとやれているとかやれていないとか、そういう生徒に対する評価ではなくて、全体的な大ぐくりなまとまりを踏まえて評価を行うべきではないか。それから、発達障害等の児童生徒についての配慮すべき観点等を学校や教員間で共有をすることであると。それから、あとは現在の指導要録の書式における総合的な学習の時間の記録とか、それから特別活動の記録、また行動の記録及び総合所見及び指導上参考となる諸事項、こういうふうな既存の欄も含めて、その在り方を総合的に見直す必要があるのではないかということが、今基本的な方向性を前提に専門的な検討を行っていきたいと思います。
 ですから、御指摘のような、何か教師にとって、あるいは教師に対して、いわゆるいい子のような態度を取ることが、それがその評価につながるというようなことでない道徳の特別の教科の評価、検討をしていきたいと考えております。
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