本会議
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会
会議録情報#0
平成三十年五月二十二日(火曜日)
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議事日程 第二十二号
平成三十年五月二十二日
午後一時開議
第一 文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)
第二 気候変動適応法案(内閣提出)
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○本日の会議に付した案件
国務大臣茂木敏充君不信任決議案(辻元清美君外五名提出)
永年在職の議員林幹雄君、穀田恵二君、山本公一君、鴨下一郎君、塩崎恭久君、志位和夫君、安倍晋三君、浜田靖一君、岸田文雄君、野田聖子君、前原誠司君、玄葉光一郎君及び茂木敏充君に対し、院議をもって功労を表彰することとし、表彰文は議長に一任するの件(議長発議)
日程第一 文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)
日程第二 気候変動適応法案(内閣提出)
特定複合観光施設区域整備法案(内閣提出)の趣旨説明及び質疑
午後一時二分開議
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議事日程 第二十二号
平成三十年五月二十二日
午後一時開議
第一 文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)
第二 気候変動適応法案(内閣提出)
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○本日の会議に付した案件
国務大臣茂木敏充君不信任決議案(辻元清美君外五名提出)
永年在職の議員林幹雄君、穀田恵二君、山本公一君、鴨下一郎君、塩崎恭久君、志位和夫君、安倍晋三君、浜田靖一君、岸田文雄君、野田聖子君、前原誠司君、玄葉光一郎君及び茂木敏充君に対し、院議をもって功労を表彰することとし、表彰文は議長に一任するの件(議長発議)
日程第一 文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)
日程第二 気候変動適応法案(内閣提出)
特定複合観光施設区域整備法案(内閣提出)の趣旨説明及び質疑
午後一時二分開議
大
田
田野瀬太道#2
○田野瀬太道君 議事日程追加の緊急動議を提出いたします。
辻元清美君外五名提出、国務大臣茂木敏充君不信任決議案は、提出者の要求のとおり、委員会の審査を省略してこれを上程し、その審議を進められることを望みます。
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大
大
大島理森#4
○議長(大島理森君) 御異議なしと認めます。よって、日程第一に先立ち追加されました。
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国務大臣茂木敏充君不信任決議案(辻元清美君外五名提出)
この発言だけを見る →—————————————
国務大臣茂木敏充君不信任決議案(辻元清美君外五名提出)
大
大島理森#5
○議長(大島理森君) 国務大臣茂木敏充君不信任決議案を議題といたします。
提出者の趣旨弁明を許します。玉城デニー君。
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国務大臣茂木敏充君不信任決議案
〔本号末尾に掲載〕
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〔玉城デニー君登壇〕
この発言だけを見る →提出者の趣旨弁明を許します。玉城デニー君。
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国務大臣茂木敏充君不信任決議案
〔本号末尾に掲載〕
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〔玉城デニー君登壇〕
玉
玉城デニー#6
○玉城デニー君 ハイサイグスーヨーチューウガナビラ。皆様、こんにちは。自由党の玉城デニーです。
きょうは貴重な機会をいただきまして、非常に光栄です。どうぞ、真摯に思いを述べさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。拍手
経済再生担当大臣茂木敏充君解任決議案につきまして、立憲民主党、国民民主党、日本共産党、社民党及び自由党の提出者を代表して、提案の趣旨を説明いたします。
その前に、ここで申し上げたいことがあります。それは、国会における法案審議の前提が著しく毀損されているということです。
国会に提出された公文書、財務省の決裁済みの文書の改ざん、厚生労働省のデータ偽装、防衛省・自衛隊の日々報告書の隠蔽などが白日のもとにさらされ、大臣及び政府参考人がこれまで国会で答弁してきたことについて多大な疑義が生じることになり、国会での審議における最前提であるはずの信憑性や信頼性が今成り立っていないということです。
真正のものではない全く別の資料を提出して空疎な議論を重ねさせられるということは、国民に対する冒涜とも言えるもので、絶対に許されるものではありません。
資料提出の期日についても、与党、野党の国会対策から財務省に幾度も確認、念押しをしたにもかかわらず、また先送りされている現状から鑑みるに、これは、政府による行政全体の管理監督責任が緩み切っていることの証左であると断じざるをも得ないのではないでしょうか。
国会で証人喚問を受けた佐川元理財局長は、刑事訴追のおそれを理由に、森友学園の公有地取引問題に関する内容及び自身の関与についての事実や詳細を明らかにしませんでした。他方、国会に証人喚問された籠池前森友学園理事長は、事の次第をでき得る限りお話ししようとなさっていました。その証言内容からするならば、公有地取引の全容解明について、いわゆる名誉校長を一時期就任なさっていた安倍昭恵総理令夫人を含めた関係者全員の国会招致を含めた事実の解明を図らなければなりません。
加計学園に関する件について、参考人として招致された柳瀬前首相秘書官は、記憶にない、メモはとっていない、総理への報告もないと答えましたが、これは、中村愛媛県知事側から物的証拠の提示によって、柳瀬氏の答弁と実際の状況報告との事実関係が大きく異なっていることが明らかにされました。柳瀬氏本人は否定していますが、首相案件という特別な計らいを示唆するかの発言もあったことが、これも面談の際の当事者のメモからも明らかとなっています。
あったことをなかったと言うのは、事実がゆがめられてしまうということです。国会での答弁でゆがめられている事実は、やはり国会の場で明らかにするしかないのではないでしょうか。
いつまで森友、加計やっているのかという国民の声は、国会における審議の前提が崩壊している現状を放置したままでいいと開き直るような安倍政権と、それを見過ごしている与党に向けられていることを、各世論調査が示しているとおりです。そして、うそはいつか白日のもとに明かされるときが必ず来るのです。
学校法人加計学園の獣医学部新設について、二〇一五年二月に学園の加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と面会して学部新設の目標について説明し、首相が、新しい獣医学部の考えはいいねと返したと記録された愛媛県の文書が存在することがわかったと、昨日、五月二十一日、朝日新聞で報道がされました。そして、けさの全国紙、新聞各一面はこのことを大きく報じております。
愛媛県は二十一日、こうした内容を含む獣医学部関連の文書を参議院の予算委員会に提出いたしました。これまで安倍首相は、加計氏について、私の地位を利用して何かをなし遂げようとしたことは一度もなく、獣医学部の新設について相談や依頼があったことは一切ないと語っておりました。また、加計学園の獣医学部新設計画を知ったのは二〇一七年一月二十日と説明しています。しかし、文書には、二〇一五年二月の段階で加計氏から相談があったと記録されており、発言の整合性が問われることは間違いありません。
「愛媛県企画振興部地域振興局地域政策課 文書の提出について(回答)」。国政調査権に基づいて平成三十年五月十日付で参議院予算委員会理事会から依頼があり、五月十七日に電話で督促いただきました件について、県庁を挙げて調査したので、下記文書を提出いたします、なお、提出する文書には個人情報が含まれておりますので、その取扱いには御注意くださいますようお願いいたしますということで出された文書です。
報告 獣医師養成系大学の設置に係る加計学園関係者との打合せ会等について
平成二十七年三月 地域政策課
1 加計学園から、理事長と安倍首相との面談結果等について報告したいとの申出があり、三月三日、同学園関係者と県との間で打合せ会を行った。
2 加計学園からの報告等は、次のとおり。
1二月二十五日に理事長が首相と面談(十五分程度)。理事長から、獣医師養成系大学空白地帯の四国の今治市に設置予定の獣医学部では、国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明。首相からは「そういう新しい獣医大学の考えはいいね。」とのコメントあり。また、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったので、早急に資料を調整し、提出する予定。
2下村文科大臣が一歩引いたスタンスになっており、県においても、官邸への働きかけを非公式で実施いただけないかとの要望があったが、政治的な動きは難しい旨回答。
3検討中の大学附置施設(高度総合検査センター等)の設置には多額の費用が必要であるが、施設設置に伴う国からの補助がない中、一私学では困難であるので、国の支援が可能となる方策の検討を含め、県・市の財政支援をお願いしたい。
なお、三月四日には、同学園と今治市長が面会し、ほぼ同内容の説明があった。
3 おって、三月三日に開催された国家戦略特区諮問会議では、特区法改正案に盛り込む追加規制緩和案が決定されたが、新潟市の国家戦略特区(獣医学部設置に係る規制緩和)は、含まれていない。今後、二十六年度末までに出される構造改革特区提案(愛媛県・今治市)に対する回答と合わせて、国家戦略特区の結論も出される模様。
4 ついては、加計学園の具体的な大学構想が示されたことから、特区提案の動向を踏まえ、今後の対応方針について、今治市としっかりと協議を進めていきたい。
このように報告が上がっています。
二十七年三月 地域政策課
今治市と加計学園関係者との獣医師養成系大学の設置に係る協議(三月十五日、同市役所で実施)結果概要について、次のとおり報告があった。
(1)柳瀬首相秘書官と加計学園の協議日程について(二月二十五日の学園理事長と総理との面会を受け、同秘書官から資料提出の指示あり)
(学園)三月二十四日(火)で最終調整中である。
(2)柳瀬首相秘書官への提出資料について
ここは省略いたします。
(3)大学構想について
(学園)日本獣医師会の反対意見から考えて、今回提案したレベルのものでなければ難しいと思う。
(市)今回の構想の実現に関しては非常に巨額の資金が必要とのことであるが、今治市としては、五十億円の支援と用地の無償提供が限界である。その中で資金計画を練ってほしい。
また、県からも協力をいただけると思っているが、県としても厳しいとの話は受けている。加計学園からの反応なし。
(学園)構想実現のために、愛媛大学との共同大学院の開設や愛媛県の研究機関との連携を検討しているので、協力願いたい。
三月二十四日(火)、首相官邸において、柳瀬首相秘書官らと加計学園関係者(田丸相談役、渡邊事務局長)との間で、獣医師養成系大学の設置について協議した結果について、次のとおり今治市から報告があった。
柳瀬首相秘書官の主なコメント
獣医師会の反対が強い。
この反対を乗り越えるためには、地方創生特区の活用が考えられるので、県や今治市と一緒に内閣府の藤原地方創生推進室次長に相談されたい。
2 また、加計学園から内閣府の藤原次長との相談日程が四月二日十一時三十分に調整できたとの連絡があったと今治市から報告があった。
さらに、安倍総理と加計学園理事長が先日会食した際に、獣医師養成系大学の設置について地元の動きが鈍いとの話が出たとのことであり、同学園としては柳瀬首相秘書官に四月二日午後三時から説明したいので、県と今治市にも同行願いたいとの要請があったと今治市から連絡があった。
3 ついては、柳瀬首相秘書官に対し、県・今治市の獣医師系養成大学の設置に向けた取組状況を丁寧に説明するとともに、内閣府藤原次長から地方創生特区等について、情報収集をいたしたい。
内閣府藤原次長と柳瀬総理秘書官との面談について
四月二日(木)の面談結果について下記のとおり概要メモを報告します。
内閣府 藤原次長
愛媛県と今治市からこれまでの取組を簡単に説明した後、今後の特区提案について下記のような話があった。
構造改革特区として提出されているが、突破口を開くという意味では国家戦略特区で申請することも考えられる。
今年度から構造改革特区と国家戦略特区を一体的に取り扱うことになった。国家戦略特区では広く全国レベルの制度改革提案というものであり、一般的な話にはなるものの、やはり風穴をあけた自治体を特区として指定するというのは十分に考えられる。
今後四月末か五月の連休明けには提案を募集するので、それにぜひ応募を。
総理は一次産業にも熱心である。申請の軸として獣医学部のみならず水産、養殖といった他産業についても盛り込むことも考えられるが、そのあたりは自治体に任せる。
事前相談も対応する。むしろ熱心な自治体ほどもってきているといった感じがある。言い換えると自治体にどれくらいの熱意があるか、というところが重要になってくる。
公衆衛生の観点、公務員獣医の確保といったこれまでの獣医学部ではなかったようなものを提示することも重要である。加計学園の名前は公式なペーパーには出ていないそうだが、実際の事業者と具体的な話ができている、といった点でかなりプラスであると思う。
申請するにあたっては、二、三枚の分量で具体的かつインパクトがあるものを。資料を作成されたら、早めに相談してもらいたい。
今治市からは、「現在二十六次特区申請を行っているところだが」と質問。藤原次長は、「特区申請を一体化するという理由から現在審議を止めているところ。」
愛媛県から、「新潟市から国家戦略特区で追加申請があったかと思うが」という質問。藤原次長、「一時期は打診があったが、現在はそうでもない。具体性があるかどうかでいえば、今治市のほうが上だと思われる。」
これが最後です。
獣医師養成系大学の設置に向けた県の取組みについて
二十七ページの報告書の二十七ページはこう書いてあります。
柳瀬首相秘書官説明用
○今治新都市への獣医師養成系大学の設置の必要性
危機管理事象が発生時の四国ブロックとしてのゾーニング対応が必要
愛媛県が全国一位である海面養殖の技術革新
本県畜産物のブランド化や安全確保
獣医師の卒後教育、地域動物医療の二次診療拠点施設
公務員獣医師・産業動物獣医師の育成・確保
地域産業活性化
○愛媛県と今治市による獣医学部新設にかかる規制緩和のこれまでの取組
平成十九年十一月から、十五回(第二十六次提案)にわたり、共同で構造改革特区提案を行う
当初は「特区対応不可」、平成二十二年からは「提案の実現に向けて対応を検討」という状況が続く
国に対し本県の最重点項目として要望を行う
平成二十一年度からは、本県と徳島県の提案により四国知事会でも提言
平成二十五年度には愛媛県議会も要望書を採択
文部科学省には、副知事と今治市長が事務次官らを訪問し、獣医大学構想と地元定着策を説明。
文部科学省からの地元の要望が大きな要素との助言を受けて、県と今治市で四国三県や各県獣医師会、四国経済連合会にも協力要請
○今後の対応
日本獣医師会の強い反対、その意向を踏まえて愛媛を除く四国三県獣医師会や四国他県の積極的な協力が得られない状況
賛同が得られるよう、各県の獣医師会等へ粘り強い働きかけを行う
二十七ページのうち、抜粋して読み上げただけでも、このように、間違いなく総理がかかわっていた、首相補佐官がかかわっていた、れっきとした文書として記されている実物が存在いたします。
新聞にはそれぞれ、加計ありきであるという表現、あるいは、最初からつくることが国家戦略特区の中で織り込まれ、国家戦略特区が、規制改革の名のもとに、そして岩盤規制に穴をあけるというその名目のもとで、行政が行うその正しかるべき公文書の、その期日と、そしてその提出を政府側が拒んでいるという実態は、看過されるべきではありません。
それでは、趣旨の説明をいたします。
去る五月八日の衆議院本会議において、環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律の一部を改正する法律案の提案趣旨説明が茂木経済再生担当大臣によってなされました。これに先立つ四月十七日、本法案の協定にかかわる部分が外務委員会に付託され、審議が始まっていましたが、本来は、協定の締結とそれに伴う国内法の整備は総合的、一体的に捉えられねばならず、外務委員会、内閣委員会と担当を分けて審議しようとした茂木大臣の姿勢に大きな瑕疵があったものです。
さきのTPP12にあっては、少なくとも、協定とその対策、関連法整備は特別委員会において関係大臣出席のもと、総合的に行われ、そのマイナス面の影響を最小化しようとする姿勢だけはありました。逆に言えば、しっかりした対応をとらねば、この協定の副作用は余りに激甚で、日本の社会も文化も暮らしもそれに耐えられないという国民からの強い懸念の声に押されて、そうせざるを得なかったのかもしれません。
衆議院で約七十時間に及んだ審議はそれでも不十分で、農業対策についてはある程度審議に時間がかけられたものの、重要なISDS、ISD条項やラチェット条項ほかの非関税障壁分野では、著作権や食の安心、安全分野が一部論じられた以外は、まだまだ疑念と激しい対立を残したまま、TPP12とその対策法が二〇一六年十二月に成立しました。
それからわずか一カ月後に、米国トランプ大統領は永久にこの協定から離脱することを表明して、TPP12は完全に宙に浮く中で、残る十一カ国との広域FTA、すなわちTPP11の調整に乗り出したのが甘利大臣にかわる茂木大臣であり、各国の事情も、交渉から見えてきたTPP11の姿も、実は最も認識している方でもあります。
すなわち、TPP11とは何か、アメリカが去った今、当初の目的と役割は何であるのかを国民にわかりやすく示す責任が茂木大臣にはあります。
しかし、茂木大臣の我々国会議員に対する答弁は、言葉こそ流暢ですが、アジア太平洋を挟んだ十一の国々がなぜ広域FTAを結ばねばならないのか、その答弁からはさっぱり理解ができません。アメリカを待ちながら、いつアメリカが帰ってきても対応できるよう、とりあえず十一カ国でスタートさせる協定の意味とは何なのか。
そして、その中途半端な協定であるという認識ゆえに、いまだ発効していない協定、TPP12を取り込んだ形で、次の協定、TPP11の二つがともに承認も求められ、それに対する関連整備法は一つという、いびつとも異形とも思える関連法の成立が図られようとしています。
国民に対して不誠実なばかりか、関連整備法としても真剣に考えられた内容とは言いがたいことは、茂木大臣が答弁の中で、米国抜きでもTPPを早期に発効させる重要性があると述べたことや、二十一世紀型の新しいルールづくりを日本がリードする意味合いは非常に大きいと答えたことにもあらわれているのではないでしょうか。
いびつな法案のその中身や詳細な方向性について質疑を求め、TPPは米国抜きではあり得ないと安倍総理が答えた意味をなすのかなど、更に詳しく追及する必要があると考えていました。
ところが、内閣委員会で慎重審議がされるどころか、わずか三日足らずの質疑でこの関連法の審議を終了し、採決が行われようとしていることは、到底認められません。国民への説明責任を踏まえれば、当然、十分かつ慎重審議する必要がそこかしこにある法案であることは疑う余地なしです。委員会としても、広く国民や有識者からの声を聞くための中央及び地方公聴会の開催、関係委員会との集中審議、テーマ別の集中審議、総理出席の審議を複数回行うことなども重ねた上で、茂木大臣には真摯に説明を尽くしていただかなければならないのではないでしょうか。
関連整備法案のわずか三日間の審議の中で、参考人質疑がたった一回行われました。
東京大学大学院農学生命科学研究科教授の鈴木宣弘参考人の意見及び資料は、このような内容でした。
TPP11はTPP12より悪い。アメリカ抜きのTPP11を進めるということは、セットで、TPP12のとき以上のアメリカからの対日要求に応えるということになり、TPP11を進めれば、TPP12のとき以上に日本は打撃を受けるということも、そもそも最初から想定して受け入れていると言わざるを得ない。
なぜTPPをアメリカが否決したのかについて、日本では議論が全くない。アメリカ国民の八〇%が、TPPをやってもグローバル企業の経営陣がもうかるだけで、賃金は下がる、失業がふえる、国家主権の侵害だ、食の安全性が脅かされるということで、大統領候補の全てがTPP反対と言わざるを得なくなった。これは保護主義との闘いではなく、アメリカは、自由貿易からの反省でTPPを否定せざるを得なかった。新自由主義経済が、現実を説明できないし改善できないとして急速に見直されている。
国家戦略特区に象徴される規制改革は、ルールを破って特定企業に便宜供与する国家私物化であり、TPP型協定に象徴される自由貿易は、国境を越えたグローバル企業への便宜供与で、世界の私物化である。お友達への便宜供与である。
アメリカのハッチ共和党議員がTPPを進めたのはどういうことなのか。これは、製薬企業から二年で五億円の献金をもらって、患者さんが死んでもいいから、ジェネリック医薬品をつくれないように新薬のデータ保護期間を二十年に延ばしてくれと主張した。これがある意味でTPPの本質なのである。
そもそも、TPP破棄で一番怒ったのはアメリカの農業団体である。我々にとって日本にあんなにおいしい約束をさせたのにそれができなくなると怒った。だから、日本は相当なことをやってしまっていたということですが、アメリカの農業団体のすごいのは、ここの切りかえの速さだ。TPPも不十分だったのか、要はそれ以上の要求を二国間ですればいいと。
それを見越して、日本は準備を当然どんどん進めています。アメリカへの要求にどう応えるかというリストも、実は全部できています。例えば、TPP枠でアメリカに七万トンの米の輸入枠をつくったが、それが実現できなくなるかというと、実は日本は、SBS米という、一万トンくらいしかアメリカの米を買ってなかったのを六万トンまでふやしています。このように、いろいろな手だてでアメリカの要求に応える用意をしているわけです。
TPP11にするときに、凍結したい項目が、最初八十もの項目が出てきました。それから二十二まで絞り込まれたけれども、その中で、日本だけが、私は何も外したい項目はありませんと言いました。
ここまでアメリカと同調する姿勢をとったのに、今、ISDSについて何が起きたかというと、あれだけ、グローバル企業が人の命や環境を痛めつけてでも自分たちの利益を損害賠償してでもとってやるというISDSはいかぬという議論があったのに、日本とアメリカだけが主張し、ほかの国は全部反対でした。EUは、こんなものは死んだものだと言っていました。
ところが、その中で、日本はアメリカに追従して絶対にやらなきゃいけないと言ってまいりましたが、今、アメリカが世論に押されて、これは国家主権の侵害だということで、NAFTAの交渉からアメリカは、ISDSはもうやらないと言い始めています。これは入れないんだと。ISDSをアメリカが拒否し、今、日本だけが宙に浮いて、ISDSに固執しているという異常な状況になっている。TPP11から、ISDSは当然凍結ではなく削除するべきです。
ここまでアメリカに追従してはしごを外されるということの繰り返しをやめないと非常に危険であるということが、ここからもわかると思います。
TPP11で、早く決めてしまおう、成果を出そうということで何をやったかというと、アメリカを含めて決めたことを、アメリカはいなくなったのに、ほかの国にそれを譲ってしまったということです。オーストラリア、ニュージーランドは大喜びです。乳製品の輸出がアメリカの分まで全部できるぞと。それで、最強のオセアニアの農業国から我々は攻められなければならないことになります。
しかし、そうすると、今度はアメリカが黙っているわけはありませんから、俺の分はどうしてくれるんだと要求される。そして、それ以上のものをやってくれという話になるわけだから、結局、TPP12以上の打撃を農林水産業、食料が受けるということをわかっていて進めています。
ここは本当に戦略を考えないといけません。日本は、チーズについても、TPPでアメリカから、ハード系のチーズは得意だからゴーダとかチェダー、関税を撤廃してくれと言われ、はい、わかりました、でもカマンベールは守りましたと言っていました。ところが、EUとの協定もTPPレベル以上にやっていいぞということになったものだから、EU側からカマンベールの関税は撤廃してくれと言われて、ソフト系も実質関税撤廃してしまいました。気がついたら、チーズの関税が完全全面撤廃になっていたわけです。
カナダは、日本の米に匹敵する酪農を絶対死守するということで、TPPでも、EUとカナダとの協定でも、一切乳製品の関税には手をつけていません。こういう戦略というものが日本にあるのかということが問われています。
その影響と対策については、影響がないように対策するから影響がないと言います。対策はどうなっているのかという問題なんです。
TPP11で、加工原料乳はキロ八円下がります。それでも、生産量も所得も影響ないと言います。チーズ向けの奨励金をふやしただけで八円の差額がふえるのか。畜産クラスター事業をやれば八円のコストが下がるのか。そうであるとするならば、そのことをきちんと説明する必要と責任があります。
牛肉、豚肉については、今回の法案でも、マルキンという仕組みを九割補填にし、豚肉は生産者負担を二五%まで、牛肉と同じにすると強化しました。法制化もすると。これは評価される方向性だと思いますが、だからといって、牛肉や豚肉の生産や収入がそのままのわけにはいかないと見なければなりません。牛肉では、最大規模階層二百頭以上が赤字を免れ、豚肉でも、最大規模階層二千頭以上だけが赤字を免れます。それだけの効果なのだということは押さえておかないといけません。
一方、酪農についてはそのようなものが全くない。ことしの夏から国産牛乳は全く飲めなくなるかもしれないということが業界では大きな話題になっています。このことを国民が認識しなければいけません。ことしの夏から、小売の店頭から牛乳が時々消えるかもしれないということです。
酪農はトリプルパンチです。TPP11と日・EUのFTA、そして指定団体の解体、酪農協の解体が決まりました。世界で、牛乳については、量を把握して消費者に届けないときちんと届かないということで、全量出荷の原則を全ての国がとっています。それを日本は法律で、全量出荷を義務づけてはいけない、二股出荷でも受け付けるという、世界で唯一、例のないことをやってしまいました。このことは大変な事実です。そういう不安もあって、都府県酪農を中心に生産がどんどん減り、ことしの夏から牛乳が足りなくなるといいます。
酪農については、牛肉、豚肉のようなマルキンをきちんと入れなければいけないという議論があってしかるべきなのに、そういうことがないままである。
今回は酪農、畜産に影響が大きいということになっているが、米と関係がないということではありません。米の生産も減っていきます。しかし、生産より消費の方が減り方が大きいので、十五年後には米が七十万トン余り、餌米をやらなければならなくなります。ところが、このまま酪農、畜産が五割、六割と減っていくとすると、餌米をどう消費するのかということになります。そのことに対する整合性をどうとるのかが問題になってきます。
さらには、安い食品が入ってきます。食の安全基準が緩められていくということを続けていった場合、輸入食品の検疫でひっかかるものがふえてきます。あり得ないような化学薬品が出てきています。だが、検査率は全体の七%で素通りし、それを食べています。日本人は、安いものが食べたいから、現地へコストを下げてくれと要求します。しかし、同時に、安全性に対するコストも低くなり、危なくなってきている現実があります。
輸入農産物は、成長ホルモンの問題、成長促進剤の問題、除草剤、遺伝子組み換え、防カビ剤などのリスクが、危機が満載の状況です。だからこそ、国内で安心、安全の食材をつくっている農家さんのことを今考えておかないと、牛乳でことしの夏から起こりそうな事態がどんどん広がっていき、気がついたときには国内の自給率が一割台になっていて、もはや商品を選ぶことすらできないという事態が目の前に来ているのです。
国民の命を守り国土を守るには、どんなときにも安全、安心な食料を安定的に国民に供給できること、それを支える自国の農林水産業が持続できることが不可欠であり、国家安全保障のかなめです。国民全体で農林水産業を支え、食料自給率を高く維持するのは世界の常識です。
食料自給は独立国家の最低条件です。日本の産業が過保護であるというのはマスコミにつくり上げられたうそです。農業所得に占める補助金の割合は、日本三〇%、スイス一〇〇%、イギリス、フランスでも九十数%です。ヨーロッパは、幾たびの戦争で、食糧難と国境の危機にさらされました。命を守り、環境を守り、地域を守って国土を守るための産業は、みんなで支えるのは当たり前であると認識されています。しかし、それが当たり前でないのが日本であるということになります。食料自給率という言葉を死語にしてしまうような流れに歯どめをかけないといけません。
欧米諸国が、所得の一〇〇%近くを税金で払っても、自分たちの国境、国土、地域を徹底して守っている、そのようなときに、我が国は、民間活力の最大限の活用とか、企業参入が全てであるとか、自由貿易が全てであるという名目のうちに、気づいたら、安全性の懸念が大きい輸入農水産物に一層依存し、国民の健康がむしばまれる、資源、環境、地域社会、そして国民の主権さえもが実質的に奪われかねないような状況をもたらす政策をあらゆる形で組み合わせて今進めようとしているのではないか、ここが問われているわけです。
イタリアの水田地帯では、こう言われています。田んぼにオタマジャクシがすめる生物多様性、ダムのかわりに貯水できる洪水防止機能、水をろ過してくれる機能、こうした機能にみんなお世話になっているが、では、きちんと値段に反映できているか。できていないのならみんなでお金を集めて払おうじゃないかということで、EUでは、農業の持つさまざまな多面的機能、環境機能について指標化し、それを国民がどれだけ支えていくかという壮大な環境支払いシステムをつくり上げています。だから、国民は納得して払えるし、生産者は誇りを持ってつくっていけるわけです。
そのようなシステマチックな支援体制をつくり上げた上で、政策として十分納得して進めていけるのか。食を外国に握られることは、国民の命を握られ、国の独立を失うことであることを常に念頭に置いて、安全保障戦略の中心を担う恒久的な農林水産業政策を、政党の垣根を越え、省庁の垣根を越えた国家戦略予算として再構築するべきであるという、多岐にわたり、そして大変貴重な意見を陳述していただきました。
茂木大臣に繰り返し問いただしたいことは、米国抜きのTPPは意味をなすのか、なさないのか、そのことについて国民が納得できる言葉で答えるべきです。
アメリカがTPPを離脱するまでの政府のアジア太平洋地域における経済戦略というのは、米国を含む十二カ国でハイスタンダードのTPPをつくり、それを基礎として、APECにおいてFTAAP、アジア太平洋自由貿易圏をつくるというものでした。果たして、米国抜きTPP11はハイスタンダードとなるのでしょうか。米国が入ってきたら凍結を解除する項目が二十二ありますが、高い要求項目を出していたアメリカが入ってこなければ、大臣には期待外れのハイスタンダードになってしまうのではないでしょうか。
希望的観測以上にファンタジー、幻想を振りまく説明では、激しく変わりつつあるアジア太平洋地域を前に、日本は茫然と立ちすくみ、現実の対応や将来に向けたビジョンを描けぬまま、日本独自の通商外交を放棄することになります。
TPP11を初めての広域FTAであると豪語する茂木大臣は、アメリカ抜きでもやれる確信やそのときの展望も、ファンタジーではない現実的な通商の姿として国民に語る立場にあるのです。
元農林水産大臣の山田正彦氏は、以前御自身が畜産農家であった経験を踏まえ、TPP協定の議論が始まった当時から、この協定に対する各界各層からの丹念な調査と、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどの関連各国の研究者の方々とともに、この壮大なグローバル企業優先協定に強く警鐘を鳴らしていたお一人です。
TPP関連の著書も幾つか上梓している中から、参考までに一文を紹介したいと思います。
NAFTAのときに、メキシコの農家三万戸が倒産した。その結果、二百万人もの移民が職を求めて米国内に流入し、それによって米国民が五百万人も失業した。これから私たち日本人の失業がどんどんふえていくことは目に見えている。
米国ではこの二十年の間に、四万二千の工場がメキシコに出ていき、製造業の二五%が空洞化したと言われる。日本からもこれから企業のベトナムなどへの工場進出は加速される。既に日本でも有数の造船所がベトナム進出を決め、工場建設に取りかかっている。
こうして考えると、私たち日本人の給料は、TPPに加入後、どんどんと引き下げられていくことを覚悟しなければなりません。ただでさえ給料は下がっている。十五年前にサラリーマンの平均給与が約四百六十七万円だったのが、現在では四百八万円にまで下落した。これが加速されることになるかもしれません。米国がNAFTAの締結以降どんどん給料が下がり続けて、二十年の間に一九七二年の水準まで下がってしまったように。
例えば、為替が円安にぶれて、食料品、燃料が上がり続けて、更に追い打ちをかけるように消費税が上がっていくと、本当に生活できないことになる。恐ろしい話です。
現在、日本でも、一%の多国籍企業と富裕層だけで国の三〇%の富を持っていると言われているが、TPPによって貧富の差は更に広がってしまうだろうと述べていらっしゃいます。
安い外国からの食品が流通すると、国内企業の生産性が下がってしまい、現場の給料が支払えないため、職員の皆さんはやむなく離職する。立ち行かなくなった会社や工場は、再建のめどが立たなければ倒産する。農林水産、畜産業への影響のみならず、ごく普通に暮らしていた日常の大激変がやってくるかもしれません。特に、中小零細企業への圧力となって重たくのしかかってくることに、果たしてどれくらいの国内企業がそれに耐えられるだけの底力があるのでしょうか。
TPPから離脱した米国との間で、政府は昨年、麻生副総理とペンス副大統領による日米経済対話を立ち上げ、その下部機関とも言えるFFRをスタートさせることで合意していますが、TPP11協定の発効が早ければことし中とも報じられる中、では、我が国と米国との自由貿易制度のあり方はどうなるのか、FFR及び日米経済対話が今日的に何を目指しているのか、茂木大臣は明確に答弁をしていません。米国輸出に係る幅広い日本の障壁を除去することを求めていくとした米国の強硬姿勢の前に、日本自身から、国益、国民の暮らし、文化、雇用を守るという覚悟が伝わってまいりません。
加えて、米国は、大統領令の中で、米国の産業を促進し、アメリカ人の労働者を守り、アメリカ人の賃金を上げるためにTPPから永久に離脱すると述べる一方で、これからは二カ国間の貿易交渉を開始すると宣言していますから、米国が主張する日米FTAに対しての態度も曖昧にはできません。
米国が加わっていたTPP12交渉の段階から、米国は、米韓FTAを参考にして、それ以上ハイレベルなものにすると言っていた経緯からしても、日本、米国の二国間による協定の内容がTPPを上回るような要求が出されないとも限りません。米韓FTAで国内法をことごとく変えさせられた韓国の前例から考えても、決して安閑としていられる場合ではないと強く認識するべきです。それについても、茂木大臣からその認識は全く伝わってまいりません。
茂木大臣から明確にされないままでは、本年六月からは日米経済対話が本格化するのですから、国民はやはり納得できていません。
そして、政府は、TPP12からアメリカの離脱によりTPP11となって以降、基本的にはアメリカの復帰を待つ姿勢をとりながら、再交渉の可能性について、従来のように、米国から求めがあっても応じる考えはないと主張できるんでしょうか。
茂木大臣は、一部のみを取り出して再交渉する、変えることは極めて困難と答弁し、再交渉に余地を残しているかの発言ですが、凍結二十二項目を解凍させるなど、もし政府方針が変わるのであれば、それを明確にしておくべきです。
TPP12はTPP11に変わり、そこからまたもとに戻すことが前提であれば、今回このTPP11をつくる意味はどこにあるのか。国内準備法の内容は二〇一六年時点のまま、施行日だけをTPP11の発効の日とするだけの極めて技術的な変更のみで、中身についての精査は全く必要としない、国民への説明も要らないかのような茂木大臣の対応は、極めて不誠実と言わざるを得ません。
ゆえに、TPP12並びにTPP11に関する整備法の審議はそれぞれその土台を欠いており、データの開示以前の問題であります。
加えて、安倍内閣の常として、情報開示には後ろ向きです。TPP12とは異なり非公開とはされていない以上、可能な限りの交渉経過が明らかにされねばなりません。
しかしながら、政府並びに茂木大臣の対応は、相手国の事情を盾に、公開したのは交渉経過の概要とその都度の記者ブリーフや記者会見のコピーのみでした。これは交渉経過の説明にはなり得ません。もしそれをして情報公開というのなら、一つ一つの判断がなぜとられたのかは闇の中になってしまいます。この交渉にかかわった議事録、メモ等の公文書は果たして今後どのように公開されるのでしょうか。
この交渉の結果、十年、二十年後、トランプ大統領が指摘したと同じように、産業が衰退し、雇用が減り、賃金が下がったとき、あるいは、農業が破滅的になり、食料自給率が更に下がり、海外からの食料輸入の道も途絶えるような事態が生じたら、今回の判断を記した交渉録がじっくりと検証されるでしょう。
責任者は幾人かわれども、そこにいた責任、それを進めた責任まで変わってしまうわけではないのです。茂木大臣に、国民の命のもとを守ろうという責任者たる姿勢がかいま見えないのは実に残念です。
さきに読み上げた愛媛県による調査報告文書のように、事実は事実として記録され、後年後日、一つの事案に関連する問題が惹起したとき、その文書に記された事実の経過が事の真相を語るわけです。ある事実から一つの真実になるのです。そして、国民は、その説明責任を全ての当事者が果たした後、みずからの出処進退を明らかにする姿勢を見て、職務の責任を全うしたと初めて認めるわけです。政治の責任のあり方、とり方によって、政治への信頼が戻ってくるわけです。国民の命、暮らしがかかっているものであれば、なお言うまでもありません。
以上申し上げましたとおり、茂木大臣には、所管大臣として職責を担うに甚だ適正とは認められず、辞任を求めるものであります。
以上、私の説明とさせていただきます。
ニフェーデービタン。ありがとうございました。拍手
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この発言だけを見る →きょうは貴重な機会をいただきまして、非常に光栄です。どうぞ、真摯に思いを述べさせていただきたいと思いますので、よろしくお願いいたします。拍手
経済再生担当大臣茂木敏充君解任決議案につきまして、立憲民主党、国民民主党、日本共産党、社民党及び自由党の提出者を代表して、提案の趣旨を説明いたします。
その前に、ここで申し上げたいことがあります。それは、国会における法案審議の前提が著しく毀損されているということです。
国会に提出された公文書、財務省の決裁済みの文書の改ざん、厚生労働省のデータ偽装、防衛省・自衛隊の日々報告書の隠蔽などが白日のもとにさらされ、大臣及び政府参考人がこれまで国会で答弁してきたことについて多大な疑義が生じることになり、国会での審議における最前提であるはずの信憑性や信頼性が今成り立っていないということです。
真正のものではない全く別の資料を提出して空疎な議論を重ねさせられるということは、国民に対する冒涜とも言えるもので、絶対に許されるものではありません。
資料提出の期日についても、与党、野党の国会対策から財務省に幾度も確認、念押しをしたにもかかわらず、また先送りされている現状から鑑みるに、これは、政府による行政全体の管理監督責任が緩み切っていることの証左であると断じざるをも得ないのではないでしょうか。
国会で証人喚問を受けた佐川元理財局長は、刑事訴追のおそれを理由に、森友学園の公有地取引問題に関する内容及び自身の関与についての事実や詳細を明らかにしませんでした。他方、国会に証人喚問された籠池前森友学園理事長は、事の次第をでき得る限りお話ししようとなさっていました。その証言内容からするならば、公有地取引の全容解明について、いわゆる名誉校長を一時期就任なさっていた安倍昭恵総理令夫人を含めた関係者全員の国会招致を含めた事実の解明を図らなければなりません。
加計学園に関する件について、参考人として招致された柳瀬前首相秘書官は、記憶にない、メモはとっていない、総理への報告もないと答えましたが、これは、中村愛媛県知事側から物的証拠の提示によって、柳瀬氏の答弁と実際の状況報告との事実関係が大きく異なっていることが明らかにされました。柳瀬氏本人は否定していますが、首相案件という特別な計らいを示唆するかの発言もあったことが、これも面談の際の当事者のメモからも明らかとなっています。
あったことをなかったと言うのは、事実がゆがめられてしまうということです。国会での答弁でゆがめられている事実は、やはり国会の場で明らかにするしかないのではないでしょうか。
いつまで森友、加計やっているのかという国民の声は、国会における審議の前提が崩壊している現状を放置したままでいいと開き直るような安倍政権と、それを見過ごしている与党に向けられていることを、各世論調査が示しているとおりです。そして、うそはいつか白日のもとに明かされるときが必ず来るのです。
学校法人加計学園の獣医学部新設について、二〇一五年二月に学園の加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と面会して学部新設の目標について説明し、首相が、新しい獣医学部の考えはいいねと返したと記録された愛媛県の文書が存在することがわかったと、昨日、五月二十一日、朝日新聞で報道がされました。そして、けさの全国紙、新聞各一面はこのことを大きく報じております。
愛媛県は二十一日、こうした内容を含む獣医学部関連の文書を参議院の予算委員会に提出いたしました。これまで安倍首相は、加計氏について、私の地位を利用して何かをなし遂げようとしたことは一度もなく、獣医学部の新設について相談や依頼があったことは一切ないと語っておりました。また、加計学園の獣医学部新設計画を知ったのは二〇一七年一月二十日と説明しています。しかし、文書には、二〇一五年二月の段階で加計氏から相談があったと記録されており、発言の整合性が問われることは間違いありません。
「愛媛県企画振興部地域振興局地域政策課 文書の提出について(回答)」。国政調査権に基づいて平成三十年五月十日付で参議院予算委員会理事会から依頼があり、五月十七日に電話で督促いただきました件について、県庁を挙げて調査したので、下記文書を提出いたします、なお、提出する文書には個人情報が含まれておりますので、その取扱いには御注意くださいますようお願いいたしますということで出された文書です。
報告 獣医師養成系大学の設置に係る加計学園関係者との打合せ会等について
平成二十七年三月 地域政策課
1 加計学園から、理事長と安倍首相との面談結果等について報告したいとの申出があり、三月三日、同学園関係者と県との間で打合せ会を行った。
2 加計学園からの報告等は、次のとおり。
1二月二十五日に理事長が首相と面談(十五分程度)。理事長から、獣医師養成系大学空白地帯の四国の今治市に設置予定の獣医学部では、国際水準の獣医学教育を目指すことなどを説明。首相からは「そういう新しい獣医大学の考えはいいね。」とのコメントあり。また、柳瀬首相秘書官から、改めて資料を提出するよう指示があったので、早急に資料を調整し、提出する予定。
2下村文科大臣が一歩引いたスタンスになっており、県においても、官邸への働きかけを非公式で実施いただけないかとの要望があったが、政治的な動きは難しい旨回答。
3検討中の大学附置施設(高度総合検査センター等)の設置には多額の費用が必要であるが、施設設置に伴う国からの補助がない中、一私学では困難であるので、国の支援が可能となる方策の検討を含め、県・市の財政支援をお願いしたい。
なお、三月四日には、同学園と今治市長が面会し、ほぼ同内容の説明があった。
3 おって、三月三日に開催された国家戦略特区諮問会議では、特区法改正案に盛り込む追加規制緩和案が決定されたが、新潟市の国家戦略特区(獣医学部設置に係る規制緩和)は、含まれていない。今後、二十六年度末までに出される構造改革特区提案(愛媛県・今治市)に対する回答と合わせて、国家戦略特区の結論も出される模様。
4 ついては、加計学園の具体的な大学構想が示されたことから、特区提案の動向を踏まえ、今後の対応方針について、今治市としっかりと協議を進めていきたい。
このように報告が上がっています。
二十七年三月 地域政策課
今治市と加計学園関係者との獣医師養成系大学の設置に係る協議(三月十五日、同市役所で実施)結果概要について、次のとおり報告があった。
(1)柳瀬首相秘書官と加計学園の協議日程について(二月二十五日の学園理事長と総理との面会を受け、同秘書官から資料提出の指示あり)
(学園)三月二十四日(火)で最終調整中である。
(2)柳瀬首相秘書官への提出資料について
ここは省略いたします。
(3)大学構想について
(学園)日本獣医師会の反対意見から考えて、今回提案したレベルのものでなければ難しいと思う。
(市)今回の構想の実現に関しては非常に巨額の資金が必要とのことであるが、今治市としては、五十億円の支援と用地の無償提供が限界である。その中で資金計画を練ってほしい。
また、県からも協力をいただけると思っているが、県としても厳しいとの話は受けている。加計学園からの反応なし。
(学園)構想実現のために、愛媛大学との共同大学院の開設や愛媛県の研究機関との連携を検討しているので、協力願いたい。
三月二十四日(火)、首相官邸において、柳瀬首相秘書官らと加計学園関係者(田丸相談役、渡邊事務局長)との間で、獣医師養成系大学の設置について協議した結果について、次のとおり今治市から報告があった。
柳瀬首相秘書官の主なコメント
獣医師会の反対が強い。
この反対を乗り越えるためには、地方創生特区の活用が考えられるので、県や今治市と一緒に内閣府の藤原地方創生推進室次長に相談されたい。
2 また、加計学園から内閣府の藤原次長との相談日程が四月二日十一時三十分に調整できたとの連絡があったと今治市から報告があった。
さらに、安倍総理と加計学園理事長が先日会食した際に、獣医師養成系大学の設置について地元の動きが鈍いとの話が出たとのことであり、同学園としては柳瀬首相秘書官に四月二日午後三時から説明したいので、県と今治市にも同行願いたいとの要請があったと今治市から連絡があった。
3 ついては、柳瀬首相秘書官に対し、県・今治市の獣医師系養成大学の設置に向けた取組状況を丁寧に説明するとともに、内閣府藤原次長から地方創生特区等について、情報収集をいたしたい。
内閣府藤原次長と柳瀬総理秘書官との面談について
四月二日(木)の面談結果について下記のとおり概要メモを報告します。
内閣府 藤原次長
愛媛県と今治市からこれまでの取組を簡単に説明した後、今後の特区提案について下記のような話があった。
構造改革特区として提出されているが、突破口を開くという意味では国家戦略特区で申請することも考えられる。
今年度から構造改革特区と国家戦略特区を一体的に取り扱うことになった。国家戦略特区では広く全国レベルの制度改革提案というものであり、一般的な話にはなるものの、やはり風穴をあけた自治体を特区として指定するというのは十分に考えられる。
今後四月末か五月の連休明けには提案を募集するので、それにぜひ応募を。
総理は一次産業にも熱心である。申請の軸として獣医学部のみならず水産、養殖といった他産業についても盛り込むことも考えられるが、そのあたりは自治体に任せる。
事前相談も対応する。むしろ熱心な自治体ほどもってきているといった感じがある。言い換えると自治体にどれくらいの熱意があるか、というところが重要になってくる。
公衆衛生の観点、公務員獣医の確保といったこれまでの獣医学部ではなかったようなものを提示することも重要である。加計学園の名前は公式なペーパーには出ていないそうだが、実際の事業者と具体的な話ができている、といった点でかなりプラスであると思う。
申請するにあたっては、二、三枚の分量で具体的かつインパクトがあるものを。資料を作成されたら、早めに相談してもらいたい。
今治市からは、「現在二十六次特区申請を行っているところだが」と質問。藤原次長は、「特区申請を一体化するという理由から現在審議を止めているところ。」
愛媛県から、「新潟市から国家戦略特区で追加申請があったかと思うが」という質問。藤原次長、「一時期は打診があったが、現在はそうでもない。具体性があるかどうかでいえば、今治市のほうが上だと思われる。」
これが最後です。
獣医師養成系大学の設置に向けた県の取組みについて
二十七ページの報告書の二十七ページはこう書いてあります。
柳瀬首相秘書官説明用
○今治新都市への獣医師養成系大学の設置の必要性
危機管理事象が発生時の四国ブロックとしてのゾーニング対応が必要
愛媛県が全国一位である海面養殖の技術革新
本県畜産物のブランド化や安全確保
獣医師の卒後教育、地域動物医療の二次診療拠点施設
公務員獣医師・産業動物獣医師の育成・確保
地域産業活性化
○愛媛県と今治市による獣医学部新設にかかる規制緩和のこれまでの取組
平成十九年十一月から、十五回(第二十六次提案)にわたり、共同で構造改革特区提案を行う
当初は「特区対応不可」、平成二十二年からは「提案の実現に向けて対応を検討」という状況が続く
国に対し本県の最重点項目として要望を行う
平成二十一年度からは、本県と徳島県の提案により四国知事会でも提言
平成二十五年度には愛媛県議会も要望書を採択
文部科学省には、副知事と今治市長が事務次官らを訪問し、獣医大学構想と地元定着策を説明。
文部科学省からの地元の要望が大きな要素との助言を受けて、県と今治市で四国三県や各県獣医師会、四国経済連合会にも協力要請
○今後の対応
日本獣医師会の強い反対、その意向を踏まえて愛媛を除く四国三県獣医師会や四国他県の積極的な協力が得られない状況
賛同が得られるよう、各県の獣医師会等へ粘り強い働きかけを行う
二十七ページのうち、抜粋して読み上げただけでも、このように、間違いなく総理がかかわっていた、首相補佐官がかかわっていた、れっきとした文書として記されている実物が存在いたします。
新聞にはそれぞれ、加計ありきであるという表現、あるいは、最初からつくることが国家戦略特区の中で織り込まれ、国家戦略特区が、規制改革の名のもとに、そして岩盤規制に穴をあけるというその名目のもとで、行政が行うその正しかるべき公文書の、その期日と、そしてその提出を政府側が拒んでいるという実態は、看過されるべきではありません。
それでは、趣旨の説明をいたします。
去る五月八日の衆議院本会議において、環太平洋パートナーシップ協定の締結に伴う関係法律の整備に関する法律の一部を改正する法律案の提案趣旨説明が茂木経済再生担当大臣によってなされました。これに先立つ四月十七日、本法案の協定にかかわる部分が外務委員会に付託され、審議が始まっていましたが、本来は、協定の締結とそれに伴う国内法の整備は総合的、一体的に捉えられねばならず、外務委員会、内閣委員会と担当を分けて審議しようとした茂木大臣の姿勢に大きな瑕疵があったものです。
さきのTPP12にあっては、少なくとも、協定とその対策、関連法整備は特別委員会において関係大臣出席のもと、総合的に行われ、そのマイナス面の影響を最小化しようとする姿勢だけはありました。逆に言えば、しっかりした対応をとらねば、この協定の副作用は余りに激甚で、日本の社会も文化も暮らしもそれに耐えられないという国民からの強い懸念の声に押されて、そうせざるを得なかったのかもしれません。
衆議院で約七十時間に及んだ審議はそれでも不十分で、農業対策についてはある程度審議に時間がかけられたものの、重要なISDS、ISD条項やラチェット条項ほかの非関税障壁分野では、著作権や食の安心、安全分野が一部論じられた以外は、まだまだ疑念と激しい対立を残したまま、TPP12とその対策法が二〇一六年十二月に成立しました。
それからわずか一カ月後に、米国トランプ大統領は永久にこの協定から離脱することを表明して、TPP12は完全に宙に浮く中で、残る十一カ国との広域FTA、すなわちTPP11の調整に乗り出したのが甘利大臣にかわる茂木大臣であり、各国の事情も、交渉から見えてきたTPP11の姿も、実は最も認識している方でもあります。
すなわち、TPP11とは何か、アメリカが去った今、当初の目的と役割は何であるのかを国民にわかりやすく示す責任が茂木大臣にはあります。
しかし、茂木大臣の我々国会議員に対する答弁は、言葉こそ流暢ですが、アジア太平洋を挟んだ十一の国々がなぜ広域FTAを結ばねばならないのか、その答弁からはさっぱり理解ができません。アメリカを待ちながら、いつアメリカが帰ってきても対応できるよう、とりあえず十一カ国でスタートさせる協定の意味とは何なのか。
そして、その中途半端な協定であるという認識ゆえに、いまだ発効していない協定、TPP12を取り込んだ形で、次の協定、TPP11の二つがともに承認も求められ、それに対する関連整備法は一つという、いびつとも異形とも思える関連法の成立が図られようとしています。
国民に対して不誠実なばかりか、関連整備法としても真剣に考えられた内容とは言いがたいことは、茂木大臣が答弁の中で、米国抜きでもTPPを早期に発効させる重要性があると述べたことや、二十一世紀型の新しいルールづくりを日本がリードする意味合いは非常に大きいと答えたことにもあらわれているのではないでしょうか。
いびつな法案のその中身や詳細な方向性について質疑を求め、TPPは米国抜きではあり得ないと安倍総理が答えた意味をなすのかなど、更に詳しく追及する必要があると考えていました。
ところが、内閣委員会で慎重審議がされるどころか、わずか三日足らずの質疑でこの関連法の審議を終了し、採決が行われようとしていることは、到底認められません。国民への説明責任を踏まえれば、当然、十分かつ慎重審議する必要がそこかしこにある法案であることは疑う余地なしです。委員会としても、広く国民や有識者からの声を聞くための中央及び地方公聴会の開催、関係委員会との集中審議、テーマ別の集中審議、総理出席の審議を複数回行うことなども重ねた上で、茂木大臣には真摯に説明を尽くしていただかなければならないのではないでしょうか。
関連整備法案のわずか三日間の審議の中で、参考人質疑がたった一回行われました。
東京大学大学院農学生命科学研究科教授の鈴木宣弘参考人の意見及び資料は、このような内容でした。
TPP11はTPP12より悪い。アメリカ抜きのTPP11を進めるということは、セットで、TPP12のとき以上のアメリカからの対日要求に応えるということになり、TPP11を進めれば、TPP12のとき以上に日本は打撃を受けるということも、そもそも最初から想定して受け入れていると言わざるを得ない。
なぜTPPをアメリカが否決したのかについて、日本では議論が全くない。アメリカ国民の八〇%が、TPPをやってもグローバル企業の経営陣がもうかるだけで、賃金は下がる、失業がふえる、国家主権の侵害だ、食の安全性が脅かされるということで、大統領候補の全てがTPP反対と言わざるを得なくなった。これは保護主義との闘いではなく、アメリカは、自由貿易からの反省でTPPを否定せざるを得なかった。新自由主義経済が、現実を説明できないし改善できないとして急速に見直されている。
国家戦略特区に象徴される規制改革は、ルールを破って特定企業に便宜供与する国家私物化であり、TPP型協定に象徴される自由貿易は、国境を越えたグローバル企業への便宜供与で、世界の私物化である。お友達への便宜供与である。
アメリカのハッチ共和党議員がTPPを進めたのはどういうことなのか。これは、製薬企業から二年で五億円の献金をもらって、患者さんが死んでもいいから、ジェネリック医薬品をつくれないように新薬のデータ保護期間を二十年に延ばしてくれと主張した。これがある意味でTPPの本質なのである。
そもそも、TPP破棄で一番怒ったのはアメリカの農業団体である。我々にとって日本にあんなにおいしい約束をさせたのにそれができなくなると怒った。だから、日本は相当なことをやってしまっていたということですが、アメリカの農業団体のすごいのは、ここの切りかえの速さだ。TPPも不十分だったのか、要はそれ以上の要求を二国間ですればいいと。
それを見越して、日本は準備を当然どんどん進めています。アメリカへの要求にどう応えるかというリストも、実は全部できています。例えば、TPP枠でアメリカに七万トンの米の輸入枠をつくったが、それが実現できなくなるかというと、実は日本は、SBS米という、一万トンくらいしかアメリカの米を買ってなかったのを六万トンまでふやしています。このように、いろいろな手だてでアメリカの要求に応える用意をしているわけです。
TPP11にするときに、凍結したい項目が、最初八十もの項目が出てきました。それから二十二まで絞り込まれたけれども、その中で、日本だけが、私は何も外したい項目はありませんと言いました。
ここまでアメリカと同調する姿勢をとったのに、今、ISDSについて何が起きたかというと、あれだけ、グローバル企業が人の命や環境を痛めつけてでも自分たちの利益を損害賠償してでもとってやるというISDSはいかぬという議論があったのに、日本とアメリカだけが主張し、ほかの国は全部反対でした。EUは、こんなものは死んだものだと言っていました。
ところが、その中で、日本はアメリカに追従して絶対にやらなきゃいけないと言ってまいりましたが、今、アメリカが世論に押されて、これは国家主権の侵害だということで、NAFTAの交渉からアメリカは、ISDSはもうやらないと言い始めています。これは入れないんだと。ISDSをアメリカが拒否し、今、日本だけが宙に浮いて、ISDSに固執しているという異常な状況になっている。TPP11から、ISDSは当然凍結ではなく削除するべきです。
ここまでアメリカに追従してはしごを外されるということの繰り返しをやめないと非常に危険であるということが、ここからもわかると思います。
TPP11で、早く決めてしまおう、成果を出そうということで何をやったかというと、アメリカを含めて決めたことを、アメリカはいなくなったのに、ほかの国にそれを譲ってしまったということです。オーストラリア、ニュージーランドは大喜びです。乳製品の輸出がアメリカの分まで全部できるぞと。それで、最強のオセアニアの農業国から我々は攻められなければならないことになります。
しかし、そうすると、今度はアメリカが黙っているわけはありませんから、俺の分はどうしてくれるんだと要求される。そして、それ以上のものをやってくれという話になるわけだから、結局、TPP12以上の打撃を農林水産業、食料が受けるということをわかっていて進めています。
ここは本当に戦略を考えないといけません。日本は、チーズについても、TPPでアメリカから、ハード系のチーズは得意だからゴーダとかチェダー、関税を撤廃してくれと言われ、はい、わかりました、でもカマンベールは守りましたと言っていました。ところが、EUとの協定もTPPレベル以上にやっていいぞということになったものだから、EU側からカマンベールの関税は撤廃してくれと言われて、ソフト系も実質関税撤廃してしまいました。気がついたら、チーズの関税が完全全面撤廃になっていたわけです。
カナダは、日本の米に匹敵する酪農を絶対死守するということで、TPPでも、EUとカナダとの協定でも、一切乳製品の関税には手をつけていません。こういう戦略というものが日本にあるのかということが問われています。
その影響と対策については、影響がないように対策するから影響がないと言います。対策はどうなっているのかという問題なんです。
TPP11で、加工原料乳はキロ八円下がります。それでも、生産量も所得も影響ないと言います。チーズ向けの奨励金をふやしただけで八円の差額がふえるのか。畜産クラスター事業をやれば八円のコストが下がるのか。そうであるとするならば、そのことをきちんと説明する必要と責任があります。
牛肉、豚肉については、今回の法案でも、マルキンという仕組みを九割補填にし、豚肉は生産者負担を二五%まで、牛肉と同じにすると強化しました。法制化もすると。これは評価される方向性だと思いますが、だからといって、牛肉や豚肉の生産や収入がそのままのわけにはいかないと見なければなりません。牛肉では、最大規模階層二百頭以上が赤字を免れ、豚肉でも、最大規模階層二千頭以上だけが赤字を免れます。それだけの効果なのだということは押さえておかないといけません。
一方、酪農についてはそのようなものが全くない。ことしの夏から国産牛乳は全く飲めなくなるかもしれないということが業界では大きな話題になっています。このことを国民が認識しなければいけません。ことしの夏から、小売の店頭から牛乳が時々消えるかもしれないということです。
酪農はトリプルパンチです。TPP11と日・EUのFTA、そして指定団体の解体、酪農協の解体が決まりました。世界で、牛乳については、量を把握して消費者に届けないときちんと届かないということで、全量出荷の原則を全ての国がとっています。それを日本は法律で、全量出荷を義務づけてはいけない、二股出荷でも受け付けるという、世界で唯一、例のないことをやってしまいました。このことは大変な事実です。そういう不安もあって、都府県酪農を中心に生産がどんどん減り、ことしの夏から牛乳が足りなくなるといいます。
酪農については、牛肉、豚肉のようなマルキンをきちんと入れなければいけないという議論があってしかるべきなのに、そういうことがないままである。
今回は酪農、畜産に影響が大きいということになっているが、米と関係がないということではありません。米の生産も減っていきます。しかし、生産より消費の方が減り方が大きいので、十五年後には米が七十万トン余り、餌米をやらなければならなくなります。ところが、このまま酪農、畜産が五割、六割と減っていくとすると、餌米をどう消費するのかということになります。そのことに対する整合性をどうとるのかが問題になってきます。
さらには、安い食品が入ってきます。食の安全基準が緩められていくということを続けていった場合、輸入食品の検疫でひっかかるものがふえてきます。あり得ないような化学薬品が出てきています。だが、検査率は全体の七%で素通りし、それを食べています。日本人は、安いものが食べたいから、現地へコストを下げてくれと要求します。しかし、同時に、安全性に対するコストも低くなり、危なくなってきている現実があります。
輸入農産物は、成長ホルモンの問題、成長促進剤の問題、除草剤、遺伝子組み換え、防カビ剤などのリスクが、危機が満載の状況です。だからこそ、国内で安心、安全の食材をつくっている農家さんのことを今考えておかないと、牛乳でことしの夏から起こりそうな事態がどんどん広がっていき、気がついたときには国内の自給率が一割台になっていて、もはや商品を選ぶことすらできないという事態が目の前に来ているのです。
国民の命を守り国土を守るには、どんなときにも安全、安心な食料を安定的に国民に供給できること、それを支える自国の農林水産業が持続できることが不可欠であり、国家安全保障のかなめです。国民全体で農林水産業を支え、食料自給率を高く維持するのは世界の常識です。
食料自給は独立国家の最低条件です。日本の産業が過保護であるというのはマスコミにつくり上げられたうそです。農業所得に占める補助金の割合は、日本三〇%、スイス一〇〇%、イギリス、フランスでも九十数%です。ヨーロッパは、幾たびの戦争で、食糧難と国境の危機にさらされました。命を守り、環境を守り、地域を守って国土を守るための産業は、みんなで支えるのは当たり前であると認識されています。しかし、それが当たり前でないのが日本であるということになります。食料自給率という言葉を死語にしてしまうような流れに歯どめをかけないといけません。
欧米諸国が、所得の一〇〇%近くを税金で払っても、自分たちの国境、国土、地域を徹底して守っている、そのようなときに、我が国は、民間活力の最大限の活用とか、企業参入が全てであるとか、自由貿易が全てであるという名目のうちに、気づいたら、安全性の懸念が大きい輸入農水産物に一層依存し、国民の健康がむしばまれる、資源、環境、地域社会、そして国民の主権さえもが実質的に奪われかねないような状況をもたらす政策をあらゆる形で組み合わせて今進めようとしているのではないか、ここが問われているわけです。
イタリアの水田地帯では、こう言われています。田んぼにオタマジャクシがすめる生物多様性、ダムのかわりに貯水できる洪水防止機能、水をろ過してくれる機能、こうした機能にみんなお世話になっているが、では、きちんと値段に反映できているか。できていないのならみんなでお金を集めて払おうじゃないかということで、EUでは、農業の持つさまざまな多面的機能、環境機能について指標化し、それを国民がどれだけ支えていくかという壮大な環境支払いシステムをつくり上げています。だから、国民は納得して払えるし、生産者は誇りを持ってつくっていけるわけです。
そのようなシステマチックな支援体制をつくり上げた上で、政策として十分納得して進めていけるのか。食を外国に握られることは、国民の命を握られ、国の独立を失うことであることを常に念頭に置いて、安全保障戦略の中心を担う恒久的な農林水産業政策を、政党の垣根を越え、省庁の垣根を越えた国家戦略予算として再構築するべきであるという、多岐にわたり、そして大変貴重な意見を陳述していただきました。
茂木大臣に繰り返し問いただしたいことは、米国抜きのTPPは意味をなすのか、なさないのか、そのことについて国民が納得できる言葉で答えるべきです。
アメリカがTPPを離脱するまでの政府のアジア太平洋地域における経済戦略というのは、米国を含む十二カ国でハイスタンダードのTPPをつくり、それを基礎として、APECにおいてFTAAP、アジア太平洋自由貿易圏をつくるというものでした。果たして、米国抜きTPP11はハイスタンダードとなるのでしょうか。米国が入ってきたら凍結を解除する項目が二十二ありますが、高い要求項目を出していたアメリカが入ってこなければ、大臣には期待外れのハイスタンダードになってしまうのではないでしょうか。
希望的観測以上にファンタジー、幻想を振りまく説明では、激しく変わりつつあるアジア太平洋地域を前に、日本は茫然と立ちすくみ、現実の対応や将来に向けたビジョンを描けぬまま、日本独自の通商外交を放棄することになります。
TPP11を初めての広域FTAであると豪語する茂木大臣は、アメリカ抜きでもやれる確信やそのときの展望も、ファンタジーではない現実的な通商の姿として国民に語る立場にあるのです。
元農林水産大臣の山田正彦氏は、以前御自身が畜産農家であった経験を踏まえ、TPP協定の議論が始まった当時から、この協定に対する各界各層からの丹念な調査と、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリアなどの関連各国の研究者の方々とともに、この壮大なグローバル企業優先協定に強く警鐘を鳴らしていたお一人です。
TPP関連の著書も幾つか上梓している中から、参考までに一文を紹介したいと思います。
NAFTAのときに、メキシコの農家三万戸が倒産した。その結果、二百万人もの移民が職を求めて米国内に流入し、それによって米国民が五百万人も失業した。これから私たち日本人の失業がどんどんふえていくことは目に見えている。
米国ではこの二十年の間に、四万二千の工場がメキシコに出ていき、製造業の二五%が空洞化したと言われる。日本からもこれから企業のベトナムなどへの工場進出は加速される。既に日本でも有数の造船所がベトナム進出を決め、工場建設に取りかかっている。
こうして考えると、私たち日本人の給料は、TPPに加入後、どんどんと引き下げられていくことを覚悟しなければなりません。ただでさえ給料は下がっている。十五年前にサラリーマンの平均給与が約四百六十七万円だったのが、現在では四百八万円にまで下落した。これが加速されることになるかもしれません。米国がNAFTAの締結以降どんどん給料が下がり続けて、二十年の間に一九七二年の水準まで下がってしまったように。
例えば、為替が円安にぶれて、食料品、燃料が上がり続けて、更に追い打ちをかけるように消費税が上がっていくと、本当に生活できないことになる。恐ろしい話です。
現在、日本でも、一%の多国籍企業と富裕層だけで国の三〇%の富を持っていると言われているが、TPPによって貧富の差は更に広がってしまうだろうと述べていらっしゃいます。
安い外国からの食品が流通すると、国内企業の生産性が下がってしまい、現場の給料が支払えないため、職員の皆さんはやむなく離職する。立ち行かなくなった会社や工場は、再建のめどが立たなければ倒産する。農林水産、畜産業への影響のみならず、ごく普通に暮らしていた日常の大激変がやってくるかもしれません。特に、中小零細企業への圧力となって重たくのしかかってくることに、果たしてどれくらいの国内企業がそれに耐えられるだけの底力があるのでしょうか。
TPPから離脱した米国との間で、政府は昨年、麻生副総理とペンス副大統領による日米経済対話を立ち上げ、その下部機関とも言えるFFRをスタートさせることで合意していますが、TPP11協定の発効が早ければことし中とも報じられる中、では、我が国と米国との自由貿易制度のあり方はどうなるのか、FFR及び日米経済対話が今日的に何を目指しているのか、茂木大臣は明確に答弁をしていません。米国輸出に係る幅広い日本の障壁を除去することを求めていくとした米国の強硬姿勢の前に、日本自身から、国益、国民の暮らし、文化、雇用を守るという覚悟が伝わってまいりません。
加えて、米国は、大統領令の中で、米国の産業を促進し、アメリカ人の労働者を守り、アメリカ人の賃金を上げるためにTPPから永久に離脱すると述べる一方で、これからは二カ国間の貿易交渉を開始すると宣言していますから、米国が主張する日米FTAに対しての態度も曖昧にはできません。
米国が加わっていたTPP12交渉の段階から、米国は、米韓FTAを参考にして、それ以上ハイレベルなものにすると言っていた経緯からしても、日本、米国の二国間による協定の内容がTPPを上回るような要求が出されないとも限りません。米韓FTAで国内法をことごとく変えさせられた韓国の前例から考えても、決して安閑としていられる場合ではないと強く認識するべきです。それについても、茂木大臣からその認識は全く伝わってまいりません。
茂木大臣から明確にされないままでは、本年六月からは日米経済対話が本格化するのですから、国民はやはり納得できていません。
そして、政府は、TPP12からアメリカの離脱によりTPP11となって以降、基本的にはアメリカの復帰を待つ姿勢をとりながら、再交渉の可能性について、従来のように、米国から求めがあっても応じる考えはないと主張できるんでしょうか。
茂木大臣は、一部のみを取り出して再交渉する、変えることは極めて困難と答弁し、再交渉に余地を残しているかの発言ですが、凍結二十二項目を解凍させるなど、もし政府方針が変わるのであれば、それを明確にしておくべきです。
TPP12はTPP11に変わり、そこからまたもとに戻すことが前提であれば、今回このTPP11をつくる意味はどこにあるのか。国内準備法の内容は二〇一六年時点のまま、施行日だけをTPP11の発効の日とするだけの極めて技術的な変更のみで、中身についての精査は全く必要としない、国民への説明も要らないかのような茂木大臣の対応は、極めて不誠実と言わざるを得ません。
ゆえに、TPP12並びにTPP11に関する整備法の審議はそれぞれその土台を欠いており、データの開示以前の問題であります。
加えて、安倍内閣の常として、情報開示には後ろ向きです。TPP12とは異なり非公開とはされていない以上、可能な限りの交渉経過が明らかにされねばなりません。
しかしながら、政府並びに茂木大臣の対応は、相手国の事情を盾に、公開したのは交渉経過の概要とその都度の記者ブリーフや記者会見のコピーのみでした。これは交渉経過の説明にはなり得ません。もしそれをして情報公開というのなら、一つ一つの判断がなぜとられたのかは闇の中になってしまいます。この交渉にかかわった議事録、メモ等の公文書は果たして今後どのように公開されるのでしょうか。
この交渉の結果、十年、二十年後、トランプ大統領が指摘したと同じように、産業が衰退し、雇用が減り、賃金が下がったとき、あるいは、農業が破滅的になり、食料自給率が更に下がり、海外からの食料輸入の道も途絶えるような事態が生じたら、今回の判断を記した交渉録がじっくりと検証されるでしょう。
責任者は幾人かわれども、そこにいた責任、それを進めた責任まで変わってしまうわけではないのです。茂木大臣に、国民の命のもとを守ろうという責任者たる姿勢がかいま見えないのは実に残念です。
さきに読み上げた愛媛県による調査報告文書のように、事実は事実として記録され、後年後日、一つの事案に関連する問題が惹起したとき、その文書に記された事実の経過が事の真相を語るわけです。ある事実から一つの真実になるのです。そして、国民は、その説明責任を全ての当事者が果たした後、みずからの出処進退を明らかにする姿勢を見て、職務の責任を全うしたと初めて認めるわけです。政治の責任のあり方、とり方によって、政治への信頼が戻ってくるわけです。国民の命、暮らしがかかっているものであれば、なお言うまでもありません。
以上申し上げましたとおり、茂木大臣には、所管大臣として職責を担うに甚だ適正とは認められず、辞任を求めるものであります。
以上、私の説明とさせていただきます。
ニフェーデービタン。ありがとうございました。拍手
—————————————
大
亀
亀岡偉民#8
○亀岡偉民君 自由民主党の亀岡偉民です。
私は、自由民主党並びに公明党を代表して、ただいま議題となりました国務大臣茂木敏充君に対する不信任決議案に対し、断固反対の立場から討論を行います。拍手
まず申し上げたいのは、この決議案を提出する理由とタイミングが全く意味不明だということであります。余りにも場当たり的で、単に国会をとめるためだけの方便としての決議案を提出したとしか思えません。旧態依然とした筋の通らない日程闘争に対して、我々はいつまでもおつき合いしているわけにはまいりません。極めて不誠実な姿勢に対し、強く猛省を求めます。
提出会派は、不信任提出の理由の中で、TPP協定につき十分な議論が必要であると述べていますが、その一方で、議論の機会をみずから閉ざしているのです。何という矛盾でしょうか。
もとより国会は議論の場であり、言論の府であります。つい先ごろまで十八日間も審議拒否を続けておいて、更に仕事を放棄するというのなら、今も、そしてこれからも、到底国民の負託に応えられるものではありません。
更に言えば、この決議案が提出されたのは、内閣委員会で審査中のTPP国内整備法が、採決まであとわずかというタイミングであります。審査の過程で不信任に値するような言動があったのならまだしも、むしろ茂木大臣は誠実に答弁を繰り返してこられました。
かくも的外れな理由をあげつらって不信任案を提出し、いたずらに法案審査をとめようとする姿勢は、健全な議会運営に水を差す、形を変えた審議拒否であると強く非難いたします。
茂木大臣は、就任以来、豊富な知識と経験を生かしながら、行政や国会対応と真摯に向き合い、誠実にその重責を果たしてこられました。
皆さん御承知のとおり、国益増進に対する茂木大臣の熱意はとどまることを知りません。アメリカがTPPからの離脱を表明して以降、世界的に保護主義への懸念が高まっている中、茂木大臣は、自由で公正なルールに基づく経済圏の創設に向けて各国と密接に連携をとり、かつ主導的に議論を進めて、わずかな期間でTPP11の署名を交わすことができました。
また、地方の中堅・中小企業の海外展開や国内産業の競争力強化、そして農林水産業の強化など、真に我が国の経済成長に直結するために必要な政策を盛り込んだ総合的TPP等関連政策大綱の取りまとめに尽力を尽くし、不安を抱えるさまざまな方々の懸念を踏まえ、きめ細やかな対策を講じるのみならず、TPPに関する情報や政府の取組につき、みずからも先頭に立って丁寧に説明を繰り返し、不安の払拭に努めてこられたのであります。
もちろん、TPP以外にも、茂木大臣の功績はたくさんあります。
経済財政諮問会議においては、関係閣僚や有識者議員の広く深い見識を十分に活用し、会議の司令塔として新しい経済政策パッケージの取りまとめにすぐれた手腕を発揮されました。その政策パッケージは、成長戦略の推進を加速するのみならず、人づくり革命と生産性革命を両輪として、幼児教育の無償化や待機児童の解消、高等教育無償化、介護人材の処遇改善などに手厚い対応を施すなど、我が国の将来や人生百年時代をしっかりと見据えた構想に満ち満ちております。
さらには、国の内外でアベノミクスの重要性を発信し、イノベーションに関する先進事例の視察にも積極的に取り組むなど、安倍内閣はもちろんのこと、今や我が国の成長と発展のために絶対に欠かすことのできない存在なのであります。
今回、この決議案を提出された方々は、茂木大臣の強い責任感とリーダーシップこそが国益と国民生活を着実に押し上げ、我が国を輝ける未来へと導くものだということを全く理解しておられません。
このように、茂木大臣が不信任に値する理由は全く見当たりません。かかる無節操かつ無責任な決議案は、速やかに圧倒的多数をもって否決し、この後に予定されている茂木大臣の永年勤続表彰に大輪の花を添えようではありませんか。
以上をもちまして、私の反対討論とさせていただきます。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、自由民主党並びに公明党を代表して、ただいま議題となりました国務大臣茂木敏充君に対する不信任決議案に対し、断固反対の立場から討論を行います。拍手
まず申し上げたいのは、この決議案を提出する理由とタイミングが全く意味不明だということであります。余りにも場当たり的で、単に国会をとめるためだけの方便としての決議案を提出したとしか思えません。旧態依然とした筋の通らない日程闘争に対して、我々はいつまでもおつき合いしているわけにはまいりません。極めて不誠実な姿勢に対し、強く猛省を求めます。
提出会派は、不信任提出の理由の中で、TPP協定につき十分な議論が必要であると述べていますが、その一方で、議論の機会をみずから閉ざしているのです。何という矛盾でしょうか。
もとより国会は議論の場であり、言論の府であります。つい先ごろまで十八日間も審議拒否を続けておいて、更に仕事を放棄するというのなら、今も、そしてこれからも、到底国民の負託に応えられるものではありません。
更に言えば、この決議案が提出されたのは、内閣委員会で審査中のTPP国内整備法が、採決まであとわずかというタイミングであります。審査の過程で不信任に値するような言動があったのならまだしも、むしろ茂木大臣は誠実に答弁を繰り返してこられました。
かくも的外れな理由をあげつらって不信任案を提出し、いたずらに法案審査をとめようとする姿勢は、健全な議会運営に水を差す、形を変えた審議拒否であると強く非難いたします。
茂木大臣は、就任以来、豊富な知識と経験を生かしながら、行政や国会対応と真摯に向き合い、誠実にその重責を果たしてこられました。
皆さん御承知のとおり、国益増進に対する茂木大臣の熱意はとどまることを知りません。アメリカがTPPからの離脱を表明して以降、世界的に保護主義への懸念が高まっている中、茂木大臣は、自由で公正なルールに基づく経済圏の創設に向けて各国と密接に連携をとり、かつ主導的に議論を進めて、わずかな期間でTPP11の署名を交わすことができました。
また、地方の中堅・中小企業の海外展開や国内産業の競争力強化、そして農林水産業の強化など、真に我が国の経済成長に直結するために必要な政策を盛り込んだ総合的TPP等関連政策大綱の取りまとめに尽力を尽くし、不安を抱えるさまざまな方々の懸念を踏まえ、きめ細やかな対策を講じるのみならず、TPPに関する情報や政府の取組につき、みずからも先頭に立って丁寧に説明を繰り返し、不安の払拭に努めてこられたのであります。
もちろん、TPP以外にも、茂木大臣の功績はたくさんあります。
経済財政諮問会議においては、関係閣僚や有識者議員の広く深い見識を十分に活用し、会議の司令塔として新しい経済政策パッケージの取りまとめにすぐれた手腕を発揮されました。その政策パッケージは、成長戦略の推進を加速するのみならず、人づくり革命と生産性革命を両輪として、幼児教育の無償化や待機児童の解消、高等教育無償化、介護人材の処遇改善などに手厚い対応を施すなど、我が国の将来や人生百年時代をしっかりと見据えた構想に満ち満ちております。
さらには、国の内外でアベノミクスの重要性を発信し、イノベーションに関する先進事例の視察にも積極的に取り組むなど、安倍内閣はもちろんのこと、今や我が国の成長と発展のために絶対に欠かすことのできない存在なのであります。
今回、この決議案を提出された方々は、茂木大臣の強い責任感とリーダーシップこそが国益と国民生活を着実に押し上げ、我が国を輝ける未来へと導くものだということを全く理解しておられません。
このように、茂木大臣が不信任に値する理由は全く見当たりません。かかる無節操かつ無責任な決議案は、速やかに圧倒的多数をもって否決し、この後に予定されている茂木大臣の永年勤続表彰に大輪の花を添えようではありませんか。
以上をもちまして、私の反対討論とさせていただきます。
ありがとうございました。拍手
大
山
山崎誠#10
○山崎誠君 立憲民主党・市民クラブの山崎誠でございます。
会派を代表して、ただいま議題となりました経済再生担当大臣茂木敏充君の不信任決議案に対して、賛成の立場から討論をいたします。拍手
永年在職議員の表彰のこの日に、この不信任決議案という不名誉な議案のために登壇されていらっしゃいます茂木大臣、心中お察しいたします。でも、その理由は茂木大臣にございますので、その理由を述べさせていただきます。
まず問わなければいけないのは、国際交渉、TPP11に対する茂木大臣の基本的な姿勢でございます。
政府は、TPP11の意義、二十一世紀型の自由で公正な新しいルールをアジア太平洋地域につくり上げるとしております。自由貿易の価値を一定理解するところではございますが、TPP11はグローバル企業に一方的な有利な環境を提供するもので、グローバル企業への便宜供与、世界の私物化との批判があります。
日本の国内の農業や畜産、酪農に対して壊滅的な打撃を与える可能性も高い。また、例えば食の安全に対する規制緩和など、国民の命や健康への危険も拡大します。公共事業への外国企業の参加を広げるなど、疲弊する地方再生に逆行する規定も含まれている。自民党、これでいいんでしょうか。
茂木大臣にとって大切なのは、グローバル企業が闊歩する弱肉強食の自由貿易ですか、それとも、国民の命や暮らし、農業によって支えられている豊かな日本の自然環境、多くの先人の努力によって築き上げられた信頼された日本ですか、どちらですか。
私たち日本の政治家が真っ先に守るべきものを見失っている茂木大臣に国際交渉を担っていただくわけにはまいりません。
安倍政権は、TPP11はTPP12の延長で中身は変わらない、審議する必要はないと考えているのではないですか。とんでもない間違いでございます。
米国では、もうかるのはグローバル企業の経営陣だけ、賃金は下がり、失業はふえ、国家主権が侵害される、食の安全が脅かされるとの理由で、多くの国民がTPP反対の声を上げています。大統領候補全員がTPPを否定せざるを得なかったこの事実をどう受けとめるんですか。米国というTPP12のキープレーヤーが抜けてしまったTPP11を、TPP12と同じ考え方に立っていく合理性は全くありません。
政府は、TPP11の日本の農業への影響を千五百億円と試算しております。この試算は、国内政策がうまく効果を発揮したことを前提に算出されている。国内対策を前提としない影響評価をお聞きをしても、一向にその試算は明らかにされません。国内の農業生産量は変わらないということも言っている。こんな御都合主義が許されるんでしょうか。TPP11ありきの情報操作と言われても仕方ない状況ではないですか。政府の希望的観測だけを聞かされて、納得いくわけにはまいりません。
こうした多くの問題を、課題を抱えながら、与党は、関連法案の審議をわずか三日間、十数時間の審議で終わらせようといたしました。このようなごくわずかな時間と期間で審議を終わらせるような政府・与党の姿勢は、国民に問題を知られたくない、気づいてほしくない、そういう意識のあらわれではないですか。
安倍政権から始まる国難は去っていません。国難国会は会期を大幅に延長して、じっくり議論しようではありませんか。なぜ議論を避けようとするんですか。どうか逃げずに、国民の皆様に堂々と議論を尽くそうではありませんか。よろしくお願いいたします。
最後に、自民党、公明党の皆様に申し上げます。
戦後の焼け野原となった日本は、自民党の政治的リーダーシップのもと復興を遂げ、高度成長期を経て、世界有数の経済的にも社会的にも豊かな国となりました。そこには、国民に対する責任を誰よりも自覚し、日本の未来を描こうとする、誇り高き政治の姿があったと思います。私は、主義主張や政策の違いはあっても、こうした自民党の政治に対して尊敬と敬意の念を持ってまいりました。
しかしながら、今の安倍政権、自民党、公明党の政治は、こうしたかつての自民党政治とは全くかけ離れた、正義に欠ける政治になってしまったと糾弾せざるを得ません。極めて残念です。
政治における正義とは何か。私は、政治における正義とは、たとえ少数であっても、困難に陥っている方、本当に社会の支えが必要、そういう方々を真っ先に考えること、お互いに違いを認め、多様な価値、価値観を尊重すること、無私の心、広く公共、国民のために尽くすこと、こうした姿勢とともに、一人も置き去りにしないという決意こそ、そこに正義が宿るんだと考えます。
働き方改革、働かせ改革に正義があるでしょうか。今、過労死、過労自殺が社会問題化しています。多くのかけがえのない命が日本社会のひずみの中で奪われています。今なすべきは、こうした過労死、過労自殺の実態に真摯に向き合い、その原因を究明し、対策を打つことではありませんか。働く皆さんの暮らしや命を犠牲にして、企業経営のニーズを優先させる働き方改革に正義はありません。
東京電力福島第一原発事故への対応に正義はあるでしょうか。家族を守りたい、子供たちを守りたいとの一念で、断腸の思いで自主的に福島の地を離れた方々がいます。今、そうした自主避難者への住まいの有償提供が打ち切られようとしています。避難者の方々は経済的にも困窮しており、かわりの住まいを見つけることができていません。福島の子供たちへのいじめも続いています。転校はいじめを助長するんです。こうした何の落ち度もない苦悩する避難者の方々を置き去りにして、原発推進はありません、正義はありません。
生活保護の切捨て、自衛隊の日報問題、沖縄の基地問題、カジノの問題、セクハラ問題、全く同じでございます。安倍政権に正義はありません。
そして、安倍政権の不正義の象徴とも言える加計問題です。昨日、愛媛県から出された文書は、まさに衝撃的でした。これまで繰り返されてきた安倍総理の自信満々に見えるあの答弁も、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人質疑のあの答弁も、もはや何の信用も置けない、虚偽に満ちたものであった疑いが極めて濃厚となりました。
そういう獣医学部の考え方はいいねと総理のコメントを、恐らく、真面目な愛媛県職員は、そして熱心な加計学園関係者は、この言葉を聞いて、いろいろと思って、しっかりと記録に残したのだと思われます。その後に、幾ら記憶にないと言い張っても、記録はきちんと残っているのです。
この発言だけを見る →会派を代表して、ただいま議題となりました経済再生担当大臣茂木敏充君の不信任決議案に対して、賛成の立場から討論をいたします。拍手
永年在職議員の表彰のこの日に、この不信任決議案という不名誉な議案のために登壇されていらっしゃいます茂木大臣、心中お察しいたします。でも、その理由は茂木大臣にございますので、その理由を述べさせていただきます。
まず問わなければいけないのは、国際交渉、TPP11に対する茂木大臣の基本的な姿勢でございます。
政府は、TPP11の意義、二十一世紀型の自由で公正な新しいルールをアジア太平洋地域につくり上げるとしております。自由貿易の価値を一定理解するところではございますが、TPP11はグローバル企業に一方的な有利な環境を提供するもので、グローバル企業への便宜供与、世界の私物化との批判があります。
日本の国内の農業や畜産、酪農に対して壊滅的な打撃を与える可能性も高い。また、例えば食の安全に対する規制緩和など、国民の命や健康への危険も拡大します。公共事業への外国企業の参加を広げるなど、疲弊する地方再生に逆行する規定も含まれている。自民党、これでいいんでしょうか。
茂木大臣にとって大切なのは、グローバル企業が闊歩する弱肉強食の自由貿易ですか、それとも、国民の命や暮らし、農業によって支えられている豊かな日本の自然環境、多くの先人の努力によって築き上げられた信頼された日本ですか、どちらですか。
私たち日本の政治家が真っ先に守るべきものを見失っている茂木大臣に国際交渉を担っていただくわけにはまいりません。
安倍政権は、TPP11はTPP12の延長で中身は変わらない、審議する必要はないと考えているのではないですか。とんでもない間違いでございます。
米国では、もうかるのはグローバル企業の経営陣だけ、賃金は下がり、失業はふえ、国家主権が侵害される、食の安全が脅かされるとの理由で、多くの国民がTPP反対の声を上げています。大統領候補全員がTPPを否定せざるを得なかったこの事実をどう受けとめるんですか。米国というTPP12のキープレーヤーが抜けてしまったTPP11を、TPP12と同じ考え方に立っていく合理性は全くありません。
政府は、TPP11の日本の農業への影響を千五百億円と試算しております。この試算は、国内政策がうまく効果を発揮したことを前提に算出されている。国内対策を前提としない影響評価をお聞きをしても、一向にその試算は明らかにされません。国内の農業生産量は変わらないということも言っている。こんな御都合主義が許されるんでしょうか。TPP11ありきの情報操作と言われても仕方ない状況ではないですか。政府の希望的観測だけを聞かされて、納得いくわけにはまいりません。
こうした多くの問題を、課題を抱えながら、与党は、関連法案の審議をわずか三日間、十数時間の審議で終わらせようといたしました。このようなごくわずかな時間と期間で審議を終わらせるような政府・与党の姿勢は、国民に問題を知られたくない、気づいてほしくない、そういう意識のあらわれではないですか。
安倍政権から始まる国難は去っていません。国難国会は会期を大幅に延長して、じっくり議論しようではありませんか。なぜ議論を避けようとするんですか。どうか逃げずに、国民の皆様に堂々と議論を尽くそうではありませんか。よろしくお願いいたします。
最後に、自民党、公明党の皆様に申し上げます。
戦後の焼け野原となった日本は、自民党の政治的リーダーシップのもと復興を遂げ、高度成長期を経て、世界有数の経済的にも社会的にも豊かな国となりました。そこには、国民に対する責任を誰よりも自覚し、日本の未来を描こうとする、誇り高き政治の姿があったと思います。私は、主義主張や政策の違いはあっても、こうした自民党の政治に対して尊敬と敬意の念を持ってまいりました。
しかしながら、今の安倍政権、自民党、公明党の政治は、こうしたかつての自民党政治とは全くかけ離れた、正義に欠ける政治になってしまったと糾弾せざるを得ません。極めて残念です。
政治における正義とは何か。私は、政治における正義とは、たとえ少数であっても、困難に陥っている方、本当に社会の支えが必要、そういう方々を真っ先に考えること、お互いに違いを認め、多様な価値、価値観を尊重すること、無私の心、広く公共、国民のために尽くすこと、こうした姿勢とともに、一人も置き去りにしないという決意こそ、そこに正義が宿るんだと考えます。
働き方改革、働かせ改革に正義があるでしょうか。今、過労死、過労自殺が社会問題化しています。多くのかけがえのない命が日本社会のひずみの中で奪われています。今なすべきは、こうした過労死、過労自殺の実態に真摯に向き合い、その原因を究明し、対策を打つことではありませんか。働く皆さんの暮らしや命を犠牲にして、企業経営のニーズを優先させる働き方改革に正義はありません。
東京電力福島第一原発事故への対応に正義はあるでしょうか。家族を守りたい、子供たちを守りたいとの一念で、断腸の思いで自主的に福島の地を離れた方々がいます。今、そうした自主避難者への住まいの有償提供が打ち切られようとしています。避難者の方々は経済的にも困窮しており、かわりの住まいを見つけることができていません。福島の子供たちへのいじめも続いています。転校はいじめを助長するんです。こうした何の落ち度もない苦悩する避難者の方々を置き去りにして、原発推進はありません、正義はありません。
生活保護の切捨て、自衛隊の日報問題、沖縄の基地問題、カジノの問題、セクハラ問題、全く同じでございます。安倍政権に正義はありません。
そして、安倍政権の不正義の象徴とも言える加計問題です。昨日、愛媛県から出された文書は、まさに衝撃的でした。これまで繰り返されてきた安倍総理の自信満々に見えるあの答弁も、柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人質疑のあの答弁も、もはや何の信用も置けない、虚偽に満ちたものであった疑いが極めて濃厚となりました。
そういう獣医学部の考え方はいいねと総理のコメントを、恐らく、真面目な愛媛県職員は、そして熱心な加計学園関係者は、この言葉を聞いて、いろいろと思って、しっかりと記録に残したのだと思われます。その後に、幾ら記憶にないと言い張っても、記録はきちんと残っているのです。
大
山
山崎誠#12
○山崎誠君(続) 与党の皆様に改めて申し上げます。
政治の正義、国会の正義が問われています。今こそ、責任ある政治家として、官僚として、国民に向き合ってください。
私の討論を終わります。拍手
この発言だけを見る →政治の正義、国会の正義が問われています。今こそ、責任ある政治家として、官僚として、国民に向き合ってください。
私の討論を終わります。拍手
大
稲
稲富修二#14
○稲富修二君 国民民主党の稲富修二でございます。
私は、国民民主党・無所属クラブを代表して、ただいま提案のございました茂木大臣の不信任決議案に対し、賛成の討論を行います。拍手
最初に、安倍政権、与党の国会軽視、権力を私物化する政権、国会運営に厳重に抗議いたします。
森友、加計問題などについて、国会の議論を改ざんや隠蔽で妨害する政府の態度は、国民主権をないがしろにするものであります。この政府は誰を向いて仕事をしているのか、国民の税金は誰のために使われているのかという深刻な政治不信を生んでおります。
TPP整備法改正案を審議している内閣委員会でも、与党が強引な運営を続けています。国民生活にとってメリットも少なく、問題だらけのTPPやカジノ法案を優先しようとする与党の姿勢は言語道断であり、我が党としても強く抗議するものであります。
不信任決議案に賛成する最大の理由は、茂木大臣が、多くの問題を含んだTPP11協定を推進し、署名を行った当事者であるということであります。
国民民主党は、包摂的な成長の観点から、自由貿易を堅持し、国益も守りながら、国際間の経済連携をますます推進し、保護主義の台頭を食いとめる必要があると考えます。私たちは、そのような観点から、高いレベルでの経済連携を積極的に推進し、地域の新しいルールをリードする立場に日本が立つべきだと考えております。
しかし、今回のTPP協定は、そうした基本から外れ、日本を含めた加盟国の国民にとって大きな利益をもたらすものとはなっておりません。
TPPは米国抜きでは意味がない、再交渉が不可能であるのと同様、根本的な利益のバランスが崩れてしまう、二〇一六年十一月に安倍総理御本人がおっしゃっているとおり、米国抜きでは意味がないのではないでしょうか。また、この期に及んでも米国復帰を望むのは、甘い期待と言わざるを得ません。
協定の第一の問題点は、一昨年の国会で、安倍内閣により強引に承認されたTPP協定の内容をほとんど引き継いでいることであります。
工業製品分野など、我が国として攻めるべき分野で十分なメリットが得られず、また、農産物主要五品目など、守られなければならない分野において相当な譲歩を迫られました。
今回の協定では、二十二項目の凍結項目が設けられたものの、その他の大部分については協定の内容が踏襲されており、市場アクセス、関税に係る部分については全く変更がなされておりません。
協定の第二の問題点は、我が国の国内農業への深刻な打撃が必至であるということであります。
カナダやニュージーランドなどを始めとする農産物の輸出国にとっては有利ですが、我が国のような農産物の輸入国にとっては著しく不利であります。農水省が国内の農業従事者には影響はないとの無責任な試算を示していることも、到底納得することはできません。
協定の第三の問題点は、交渉経過に係る情報公開が全くなされていない点であります。
今回のTPP11協定における凍結項目の決定過程などについても、政府はその内容を全く明らかにしておりません。国民の知る権利を徹底的にないがしろにする政府の姿勢は、決して容認できるものではありません。
そもそも与党自民党は、二〇一二年十二月の衆議院選挙において、聖域なき関税撤廃を前提にする限り、TPP交渉参加に反対すると公約を掲げ、全国には、「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。」と記されたポスターを張り出しました。
現在進めているTPP協定は、この選挙公約に違反しているとしか思えません。公約違反は明らかではないでしょうか。
自民党の選挙公約違反についても、TPPについての多くの問題点についても、茂木大臣から納得のできる説明は行われていないままであり、非難せざるを得ません。
不信任案に賛成する第二の理由は、経済再生担当である茂木大臣が、アベノミクスの司令塔として、日本社会の格差拡大を進めたことであります。
茂木大臣は、今年度の日本経済について、雇用・所得環境の改善が続く中で、民需を中心とした景気回復が見込まれる、年初の経済演説で述べました。
しかし、内閣府が発表した二〇一八年一—三月期国民所得統計一次速報によると、実質国内総生産、GDPは前期比マイナス〇・二%、年率換算マイナス〇・六%となり、一五年十—十二月期以来の九四半期ぶりのマイナス成長となりました。
二〇一七年度の実質GDPの成長率は一・五%、名目GDP成長率は一・六%となりました。見た目の成長率を膨らませるのが安倍政権の常套手段でございましたが、それさえも失敗し、実質、名目ともの低成長となったことについて、茂木大臣は責任をとるべきだと考えます。
何よりも働く人たちの賃金が下がっていることを直視しなければなりません。二〇一六年における民間の平均給与は四百二十二万円となっていますが、二十年前には四百六十一万円、十年前に四百三十五万円だったものから大きく下がっております。
審議入りした働き方改革法案が通ると、国民の賃金は上がるのか、実質賃金は改善されるのかをただしても、安倍総理は、全体の需要が伸び悩む状況下では賃金上昇につながりにくい面があると釈明しております。茂木大臣が、今年度の日本経済について、雇用・所得環境の改善が続くと説明していることとも矛盾いたします。
茂木大臣は、生産性革命、人づくり革命というスローガンを掲げますが、大企業がもうかれば、おこぼれが中小企業や庶民に行き渡るという発想自体が間違っております。中小企業や庶民の懐をまず暖める再分配政策が重要であると訴えてまいりましたが、大臣は基本認識を変えることはありませんでした。
茂木大臣に潔く辞していただくこと以外に、日本経済の再生はないと確信をいたします。
不信任決議に賛成する第三の理由は、茂木大臣が、財政再建という国家の重大な政策課題を担当する大臣でありながら、放漫財政を放置していることにあります。
安倍総理は、衆議院解散に先立ち、二〇一七年九月の記者会見において、二〇二〇年度のプライマリーバランス黒字化目標の達成を公然と放棄をいたしました。茂木大臣も、安倍総理のばらまき財政路線に追随するだけで、財政規律の確立に必要な政策に取り組む姿勢を見せておりません。
政府は、二〇二五年度までの財政健全化計画を策定する中で、二一年度に中間目標を設ける方針と伺っております。過去における中間目標も未達成であるのに、また同じ轍を踏もうとしているのでしょうか。まさに問題先送りと批判せざるを得ません。
バブル好況に沸いた一九九〇年度から九三年度を除いて、毎年度ごとに特例法を制定し、やむなく赤字国債を発行するという形をとってまいりました。毎年度に国会が採決をし法律をつくっていたので、政府、国会が緊張感を持っておりました。
しかし、二〇一六年度から二〇二〇年度までの五年間、まとめて特例公債の発行を認める法律に改悪されてしまいました。五年に一回しか国会の議決がないとすると、財政再建に対する意識もますます希薄になってしまいます。
茂木大臣は、旧民進党が参議院に提出した、二〇一八年度に限って赤字国債の発行を認める法案を握り潰し、本来プライマリーバランスの黒字を達成すべき年度までの特例公債を出すことを何ら疑問視しておらず、遺憾にたえません。
以上の諸点を踏まえまして、これ以上茂木敏充君が大臣を続けることは我が国のためにならないことを確信いたします。
アベノミクスは六年目に入り、財政も金融も当初の目的を達せられないことが明らかになってまいりました。アベノミクスという言葉自体が空虚に聞こえるようになってまいりました。
また、首相答弁と真っ向から反する愛媛県の新文書が明らかになりましたが、森友、加計問題などによって国会の議論は大いにゆがめられております。うそや隠蔽や改ざんを繰り返し、国会からTPPや財政、金融などの大切な政策論争を奪ってきたのは、責任は、ひとえに政府・与党にあることを強く申し上げたい。
アベノミクスの司令塔たる茂木大臣がみずから辞任をされることが最善でありますが、衆議院として不信任決議案を議決することを呼びかけて私の賛成討論として、終わります。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、国民民主党・無所属クラブを代表して、ただいま提案のございました茂木大臣の不信任決議案に対し、賛成の討論を行います。拍手
最初に、安倍政権、与党の国会軽視、権力を私物化する政権、国会運営に厳重に抗議いたします。
森友、加計問題などについて、国会の議論を改ざんや隠蔽で妨害する政府の態度は、国民主権をないがしろにするものであります。この政府は誰を向いて仕事をしているのか、国民の税金は誰のために使われているのかという深刻な政治不信を生んでおります。
TPP整備法改正案を審議している内閣委員会でも、与党が強引な運営を続けています。国民生活にとってメリットも少なく、問題だらけのTPPやカジノ法案を優先しようとする与党の姿勢は言語道断であり、我が党としても強く抗議するものであります。
不信任決議案に賛成する最大の理由は、茂木大臣が、多くの問題を含んだTPP11協定を推進し、署名を行った当事者であるということであります。
国民民主党は、包摂的な成長の観点から、自由貿易を堅持し、国益も守りながら、国際間の経済連携をますます推進し、保護主義の台頭を食いとめる必要があると考えます。私たちは、そのような観点から、高いレベルでの経済連携を積極的に推進し、地域の新しいルールをリードする立場に日本が立つべきだと考えております。
しかし、今回のTPP協定は、そうした基本から外れ、日本を含めた加盟国の国民にとって大きな利益をもたらすものとはなっておりません。
TPPは米国抜きでは意味がない、再交渉が不可能であるのと同様、根本的な利益のバランスが崩れてしまう、二〇一六年十一月に安倍総理御本人がおっしゃっているとおり、米国抜きでは意味がないのではないでしょうか。また、この期に及んでも米国復帰を望むのは、甘い期待と言わざるを得ません。
協定の第一の問題点は、一昨年の国会で、安倍内閣により強引に承認されたTPP協定の内容をほとんど引き継いでいることであります。
工業製品分野など、我が国として攻めるべき分野で十分なメリットが得られず、また、農産物主要五品目など、守られなければならない分野において相当な譲歩を迫られました。
今回の協定では、二十二項目の凍結項目が設けられたものの、その他の大部分については協定の内容が踏襲されており、市場アクセス、関税に係る部分については全く変更がなされておりません。
協定の第二の問題点は、我が国の国内農業への深刻な打撃が必至であるということであります。
カナダやニュージーランドなどを始めとする農産物の輸出国にとっては有利ですが、我が国のような農産物の輸入国にとっては著しく不利であります。農水省が国内の農業従事者には影響はないとの無責任な試算を示していることも、到底納得することはできません。
協定の第三の問題点は、交渉経過に係る情報公開が全くなされていない点であります。
今回のTPP11協定における凍結項目の決定過程などについても、政府はその内容を全く明らかにしておりません。国民の知る権利を徹底的にないがしろにする政府の姿勢は、決して容認できるものではありません。
そもそも与党自民党は、二〇一二年十二月の衆議院選挙において、聖域なき関税撤廃を前提にする限り、TPP交渉参加に反対すると公約を掲げ、全国には、「ウソつかない。TPP断固反対。ブレない。」と記されたポスターを張り出しました。
現在進めているTPP協定は、この選挙公約に違反しているとしか思えません。公約違反は明らかではないでしょうか。
自民党の選挙公約違反についても、TPPについての多くの問題点についても、茂木大臣から納得のできる説明は行われていないままであり、非難せざるを得ません。
不信任案に賛成する第二の理由は、経済再生担当である茂木大臣が、アベノミクスの司令塔として、日本社会の格差拡大を進めたことであります。
茂木大臣は、今年度の日本経済について、雇用・所得環境の改善が続く中で、民需を中心とした景気回復が見込まれる、年初の経済演説で述べました。
しかし、内閣府が発表した二〇一八年一—三月期国民所得統計一次速報によると、実質国内総生産、GDPは前期比マイナス〇・二%、年率換算マイナス〇・六%となり、一五年十—十二月期以来の九四半期ぶりのマイナス成長となりました。
二〇一七年度の実質GDPの成長率は一・五%、名目GDP成長率は一・六%となりました。見た目の成長率を膨らませるのが安倍政権の常套手段でございましたが、それさえも失敗し、実質、名目ともの低成長となったことについて、茂木大臣は責任をとるべきだと考えます。
何よりも働く人たちの賃金が下がっていることを直視しなければなりません。二〇一六年における民間の平均給与は四百二十二万円となっていますが、二十年前には四百六十一万円、十年前に四百三十五万円だったものから大きく下がっております。
審議入りした働き方改革法案が通ると、国民の賃金は上がるのか、実質賃金は改善されるのかをただしても、安倍総理は、全体の需要が伸び悩む状況下では賃金上昇につながりにくい面があると釈明しております。茂木大臣が、今年度の日本経済について、雇用・所得環境の改善が続くと説明していることとも矛盾いたします。
茂木大臣は、生産性革命、人づくり革命というスローガンを掲げますが、大企業がもうかれば、おこぼれが中小企業や庶民に行き渡るという発想自体が間違っております。中小企業や庶民の懐をまず暖める再分配政策が重要であると訴えてまいりましたが、大臣は基本認識を変えることはありませんでした。
茂木大臣に潔く辞していただくこと以外に、日本経済の再生はないと確信をいたします。
不信任決議に賛成する第三の理由は、茂木大臣が、財政再建という国家の重大な政策課題を担当する大臣でありながら、放漫財政を放置していることにあります。
安倍総理は、衆議院解散に先立ち、二〇一七年九月の記者会見において、二〇二〇年度のプライマリーバランス黒字化目標の達成を公然と放棄をいたしました。茂木大臣も、安倍総理のばらまき財政路線に追随するだけで、財政規律の確立に必要な政策に取り組む姿勢を見せておりません。
政府は、二〇二五年度までの財政健全化計画を策定する中で、二一年度に中間目標を設ける方針と伺っております。過去における中間目標も未達成であるのに、また同じ轍を踏もうとしているのでしょうか。まさに問題先送りと批判せざるを得ません。
バブル好況に沸いた一九九〇年度から九三年度を除いて、毎年度ごとに特例法を制定し、やむなく赤字国債を発行するという形をとってまいりました。毎年度に国会が採決をし法律をつくっていたので、政府、国会が緊張感を持っておりました。
しかし、二〇一六年度から二〇二〇年度までの五年間、まとめて特例公債の発行を認める法律に改悪されてしまいました。五年に一回しか国会の議決がないとすると、財政再建に対する意識もますます希薄になってしまいます。
茂木大臣は、旧民進党が参議院に提出した、二〇一八年度に限って赤字国債の発行を認める法案を握り潰し、本来プライマリーバランスの黒字を達成すべき年度までの特例公債を出すことを何ら疑問視しておらず、遺憾にたえません。
以上の諸点を踏まえまして、これ以上茂木敏充君が大臣を続けることは我が国のためにならないことを確信いたします。
アベノミクスは六年目に入り、財政も金融も当初の目的を達せられないことが明らかになってまいりました。アベノミクスという言葉自体が空虚に聞こえるようになってまいりました。
また、首相答弁と真っ向から反する愛媛県の新文書が明らかになりましたが、森友、加計問題などによって国会の議論は大いにゆがめられております。うそや隠蔽や改ざんを繰り返し、国会からTPPや財政、金融などの大切な政策論争を奪ってきたのは、責任は、ひとえに政府・与党にあることを強く申し上げたい。
アベノミクスの司令塔たる茂木大臣がみずから辞任をされることが最善でありますが、衆議院として不信任決議案を議決することを呼びかけて私の賛成討論として、終わります。
ありがとうございました。拍手
大
宮
宮本徹#16
○宮本徹君 日本共産党の宮本徹です。
私は、日本共産党を代表し、ただいま議題となりました茂木敏充TPP担当大臣に対する不信任決議案に賛成の討論を行います。拍手
まず冒頭、加計学園疑惑について指摘しなければなりません。
総理は、先週、私の質問に対して、私は加計理事長と獣医学部の新設について話をしたことはないと答弁されました。しかし、きのう国会に提出された愛媛県新文書では、二〇一五年二月二十五日に加計理事長と首相とが面談し、今治市での獣医学部新設について話したことが繰り返し記されております。総理は国会をだまし続けているのではありませんか。
時の権力者がみずからの友人のために権力を行使し、便宜を図る、行政の私物化そのものであります。そして、そのことを隠すために国会を欺き続ける。関係者をも巻き込み、虚偽の説明をさせる。まことに罪深いと言わなければなりません。
今、国会がやるべきは、TPPの強行ではありません。働き方の改悪でもありません。カジノの強行でもありません。国会が今やるべきは、国民の負託に応え、国会の国政調査権を行使し、いよいよ総理主導の疑いが決定的となった、加計学園疑惑の真相究明の責任を果たすことであります。
加計孝太郎理事長、柳瀬元総理秘書官、藤原元内閣府審議官など関係者の証人喚問と、中村愛媛県知事の参考人招致を早急に行うことを強く求めるものであります。
続いて、茂木大臣不信任決議案に賛成する理由を述べます。
最大の理由は、茂木大臣が、国会決議に違反し、農林水産業を始め国民生活に甚大な打撃を与えるTPP11を強行しようとしているからであります。
内閣委員会の審議の中で、総理は、TPPでの日本の農業における譲歩というものはもうマックスだと明確にトランプ大統領に伝えていると答弁しました。しかし、たび重なる国会決議は、農業分野のマックスの譲歩など認めていないのであります。
国会決議は、米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖の重要五品目を関税撤廃の交渉から除外することを明確に求めてきました。ところが、TPPでは、重要五品目のうち、三割の品目で関税を撤廃、牛肉・豚肉では七割の品目で関税が撤廃されます。
国会決議に明白に反し、TPPを進める茂木大臣を信任できないのは当然であります。TPPは即時撤回するべきであります。
さらに、四月の日米首脳会談で、日米の新たな経済協議の枠組みをつくることで合意しましたが、その担当が茂木大臣であります。新協議は日米双方がお互いの関心事項を持ち寄るといいますが、USTRが外国貿易障壁報告書をもとに、牛肉や米、乳製品を含む農産物を始め、規制緩和など、TPP以上の要求を突きつけてくることは明白であります。
既にアメリカ側は、適切な時期にFTAを結ぶことに関心があると日本政府に通告しております。TPP交渉で譲歩をした線をスタートとして、際限のない譲歩を迫られ、行き着く先は日米FTAという、国民の利益を大きく損なうことになるのではありませんか。このような茂木大臣は到底認めることはできません。
このような重大な問題にもかかわらず、TPP11条約は、外務委員会での審議は六時間にも満たないものであり、内閣委員会での法案質疑もまだ十数時間。会期末まで一カ月を切る中、国会多数が懸念しているカジノ実施法案を強引に成立させるために、TPPについてまともに審議を尽くさず、短時間で打ち切り強行しようとしている与党の姿勢は断じて許されません。
公文書改ざん、隠蔽、捏造、虚偽答弁の連発という前代未聞の異常事態を引き起こし、国民の代表たる国会を冒涜し、我が国の民主主義を根底から突き崩し恥じない、安倍政権と与党の姿勢を厳しく批判し、茂木大臣不信任決議案に対する私の賛成討論といたします。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、日本共産党を代表し、ただいま議題となりました茂木敏充TPP担当大臣に対する不信任決議案に賛成の討論を行います。拍手
まず冒頭、加計学園疑惑について指摘しなければなりません。
総理は、先週、私の質問に対して、私は加計理事長と獣医学部の新設について話をしたことはないと答弁されました。しかし、きのう国会に提出された愛媛県新文書では、二〇一五年二月二十五日に加計理事長と首相とが面談し、今治市での獣医学部新設について話したことが繰り返し記されております。総理は国会をだまし続けているのではありませんか。
時の権力者がみずからの友人のために権力を行使し、便宜を図る、行政の私物化そのものであります。そして、そのことを隠すために国会を欺き続ける。関係者をも巻き込み、虚偽の説明をさせる。まことに罪深いと言わなければなりません。
今、国会がやるべきは、TPPの強行ではありません。働き方の改悪でもありません。カジノの強行でもありません。国会が今やるべきは、国民の負託に応え、国会の国政調査権を行使し、いよいよ総理主導の疑いが決定的となった、加計学園疑惑の真相究明の責任を果たすことであります。
加計孝太郎理事長、柳瀬元総理秘書官、藤原元内閣府審議官など関係者の証人喚問と、中村愛媛県知事の参考人招致を早急に行うことを強く求めるものであります。
続いて、茂木大臣不信任決議案に賛成する理由を述べます。
最大の理由は、茂木大臣が、国会決議に違反し、農林水産業を始め国民生活に甚大な打撃を与えるTPP11を強行しようとしているからであります。
内閣委員会の審議の中で、総理は、TPPでの日本の農業における譲歩というものはもうマックスだと明確にトランプ大統領に伝えていると答弁しました。しかし、たび重なる国会決議は、農業分野のマックスの譲歩など認めていないのであります。
国会決議は、米、麦、牛肉・豚肉、乳製品、砂糖の重要五品目を関税撤廃の交渉から除外することを明確に求めてきました。ところが、TPPでは、重要五品目のうち、三割の品目で関税を撤廃、牛肉・豚肉では七割の品目で関税が撤廃されます。
国会決議に明白に反し、TPPを進める茂木大臣を信任できないのは当然であります。TPPは即時撤回するべきであります。
さらに、四月の日米首脳会談で、日米の新たな経済協議の枠組みをつくることで合意しましたが、その担当が茂木大臣であります。新協議は日米双方がお互いの関心事項を持ち寄るといいますが、USTRが外国貿易障壁報告書をもとに、牛肉や米、乳製品を含む農産物を始め、規制緩和など、TPP以上の要求を突きつけてくることは明白であります。
既にアメリカ側は、適切な時期にFTAを結ぶことに関心があると日本政府に通告しております。TPP交渉で譲歩をした線をスタートとして、際限のない譲歩を迫られ、行き着く先は日米FTAという、国民の利益を大きく損なうことになるのではありませんか。このような茂木大臣は到底認めることはできません。
このような重大な問題にもかかわらず、TPP11条約は、外務委員会での審議は六時間にも満たないものであり、内閣委員会での法案質疑もまだ十数時間。会期末まで一カ月を切る中、国会多数が懸念しているカジノ実施法案を強引に成立させるために、TPPについてまともに審議を尽くさず、短時間で打ち切り強行しようとしている与党の姿勢は断じて許されません。
公文書改ざん、隠蔽、捏造、虚偽答弁の連発という前代未聞の異常事態を引き起こし、国民の代表たる国会を冒涜し、我が国の民主主義を根底から突き崩し恥じない、安倍政権と与党の姿勢を厳しく批判し、茂木大臣不信任決議案に対する私の賛成討論といたします。
ありがとうございました。拍手
大
大
大島理森#18
○議長(大島理森君) 採決いたします。
この採決は記名投票をもって行います。
本決議案に賛成の諸君は白票、反対の諸君は青票を持参されることを望みます。——議場閉鎖。
氏名点呼を命じます。
〔参事氏名を点呼〕
〔各員投票〕
この発言だけを見る →この採決は記名投票をもって行います。
本決議案に賛成の諸君は白票、反対の諸君は青票を持参されることを望みます。——議場閉鎖。
氏名点呼を命じます。
〔参事氏名を点呼〕
〔各員投票〕
大
大
大
大島理森#21
○議長(大島理森君) 右の結果、国務大臣茂木敏充君不信任決議案は否決されました。拍手
—————————————
辻元清美君外五名提出国務大臣茂木敏充君不信任決議案を可とする議員の氏名
阿久津 幸彦君 阿部 知子君 青柳 陽一郎君 荒井 聰君
池田 真紀君 石川 香織君 生方 幸夫君 枝野 幸男君
尾辻 かな子君 大河原 雅子君 逢坂 誠二君 岡島 一正君
岡本 あき子君 落合 貴之君 海江田 万里君 神谷 裕君
亀井 亜紀子君 川内 博史君 菅 直人君 近藤 昭一君
佐々木 隆博君 櫻井 周君 篠原 豪君 末松 義規君
高井 崇志君 高木 錬太郎君 武内 則男君 辻元 清美君
手塚 仁雄君 中谷 一馬君 長尾 秀樹君 長妻 昭君
西村 智奈美君 長谷川 嘉一君 初鹿 明博君 日吉 雄太君
福田 昭夫君 堀越 啓仁君 本多 平直君 松田 功君
松平 浩一君 道下 大樹君 宮川 伸君 村上 史好君
森山 浩行君 矢上 雅義君 山内 康一君 山尾 志桜里君
山川 百合子君 山崎 誠君 山花 郁夫君 山本 和嘉子君
横光 克彦君 吉田 統彦君 早稲田 夕季君 青山 大人君
浅野 哲君 伊藤 俊輔君 泉 健太君 稲富 修二君
今井 雅人君 小熊 慎司君 大島 敦君 大西 健介君
岡本 充功君 奥野 総一郎君 吉良 州司君 城井 崇君
岸本 周平君 源馬 謙太郎君 小宮山 泰子君 後藤 祐一君
近藤 和也君 斉木 武志君 階 猛君 篠原 孝君
下条 みつ君 白石 洋一君 関 健一郎君 玉木 雄一郎君
津村 啓介君 西岡 秀子君 原口 一博君 平野 博文君
古本 伸一郎君 前原 誠司君 牧 義夫君 緑川 貴士君
森田 俊和君 山岡 達丸君 山井 和則君 柚木 道義君
渡辺 周君 安住 淳君 江田 憲司君 大串 博志君
岡田 克也君 金子 恵美君 黒岩 宇洋君 玄葉 光一郎君
田嶋 要君 中川 正春君 中村 喜四郎君 野田 佳彦君
広田 一君 もとむら賢太郎君 赤嶺 政賢君 笠井 亮君
穀田 恵二君 志位 和夫君 塩川 鉄也君 田村 貴昭君
高橋 千鶴子君 畑野 君枝君 藤野 保史君 宮本 岳志君
宮本 徹君 本村 伸子君 小沢 一郎君 玉城 デニー君
照屋 寛徳君 吉川 元君 青山 雅幸君 赤松 広隆君
井出 庸生君 小川 淳也君 柿沢 未途君 菊田 真紀子君
佐藤 公治君 重徳 和彦君 樽床 伸二君 寺田 学君
中島 克仁君 松原 仁君 鷲尾 英一郎君
否とする議員の氏名
あかま 二郎君 あきもと 司君 あべ 俊子君 安倍 晋三君
逢沢 一郎君 赤澤 亮正君 秋葉 賢也君 秋本 真利君
麻生 太郎君 穴見 陽一君 甘利 明君 安藤 高夫君
安藤 裕君 井野 俊郎君 井上 信治君 井上 貴博君
井林 辰憲君 伊東 良孝君 伊藤 信太郎君 伊藤 忠彦君
伊藤 達也君 伊吹 文明君 池田 道孝君 池田 佳隆君
石川 昭政君 石崎 徹君 石田 真敏君 石破 茂君
石原 伸晃君 石原 宏高君 泉田 裕彦君 稲田 朋美君
今枝 宗一郎君 今村 雅弘君 岩田 和親君 岩屋 毅君
うえの賢一郎君 上杉 謙太郎君 上野 宏史君 江崎 鐵磨君
江渡 聡徳君 江藤 拓君 衛藤 征士郎君 遠藤 利明君
小倉 將信君 小此木 八郎君 小里 泰弘君 小田原 潔君
小野寺 五典君 小渕 優子君 尾身 朝子君 越智 隆雄君
大岡 敏孝君 大隈 和英君 大塚 高司君 大塚 拓君
大西 英男君 大西 宏幸君 大野 敬太郎君 大見 正君
岡下 昌平君 奥野 信亮君 鬼木 誠君 加藤 鮎子君
加藤 寛治君 梶山 弘志君 勝俣 孝明君 門 博文君
門山 宏哲君 金子 俊平君 金子 万寿夫君 金子 恭之君
金田 勝年君 上川 陽子君 神谷 昇君 神山 佐市君
亀岡 偉民君 鴨下 一郎君 川崎 二郎君 河井 克行君
河村 建夫君 神田 憲次君 神田 裕君 菅家 一郎君
木原 誠二君 木原 稔君 木村 次郎君 木村 哲也君
木村 弥生君 城内 実君 黄川田 仁志君 岸 信夫君
岸田 文雄君 北川 知克君 北村 誠吾君 工藤 彰三君
国光 あやの君 熊田 裕通君 小泉 進次郎君 小泉 龍司君
小島 敏文君 小寺 裕雄君 小林 茂樹君 小林 鷹之君
小林 史明君 古賀 篤君 後藤 茂之君 後藤田 正純君
高村 正大君 左藤 章君 佐々木 紀君 佐藤 明男君
佐藤 勉君 佐藤 ゆかり君 齋藤 健君 斎藤 洋明君
坂井 学君 坂本 哲志君 櫻田 義孝君 笹川 博義君
塩崎 恭久君 塩谷 立君 繁本 護君 柴山 昌彦君
下村 博文君 白須賀 貴樹君 新谷 正義君 新藤 義孝君
菅 義偉君 菅原 一秀君 杉田 水脈君 鈴木 馨祐君
鈴木 俊一君 鈴木 淳司君 鈴木 貴子君 鈴木 憲和君
鈴木 隼人君 関 芳弘君 園田 博之君 田所 嘉徳君
田中 和徳君 田中 英之君 田中 良生君 田野瀬 太道君
田畑 毅君 田畑 裕明君 田村 憲久君 平 将明君
高市 早苗君 高木 啓君 高木 毅君 高鳥 修一君
高橋 ひなこ君 竹下 亘君 竹本 直一君 武井 俊輔君
武田 良太君 武部 新君 武村 展英君 橘 慶一郎君
棚橋 泰文君 谷 公一君 谷川 とむ君 谷川 弥一君
津島 淳君 辻 清人君 土屋 品子君 寺田 稔君
とかしきなおみ君 冨樫 博之君 渡海 紀三朗君 土井 亨君
冨岡 勉君 中曽根 康隆君 中谷 元君 中谷 真一君
中根 一幸君 中村 裕之君 中山 展宏君 中山 泰秀君
永岡 桂子君 長尾 敬君 長坂 康正君 二階 俊博君
丹羽 秀樹君 西田 昭二君 西村 明宏君 西村 康稔君
西銘 恒三郎君 額賀 福志郎君 根本 匠君 根本 幸典君
野田 聖子君 野田 毅君 野中 厚君 葉梨 康弘君
萩生田 光一君 橋本 岳君 馳 浩君 鳩山 二郎君
浜田 靖一君 林 幹雄君 原田 憲治君 原田 義昭君
百武 公親君 平井 卓也君 平口 洋君 平沢 勝栄君
福井 照君 福田 達夫君 福山 守君 藤井 比早之君
藤丸 敏君 藤原 崇君 船田 元君 船橋 利実君
古川 康君 古川 禎久君 古田 圭一君 古屋 圭司君
穂坂 泰君 星野 剛士君 細田 健一君 細田 博之君
堀井 学君 堀内 詔子君 本田 太郎君 牧島 かれん君
牧原 秀樹君 松島 みどり君 松野 博一君 松本 純君
松本 剛明君 松本 文明君 松本 洋平君 三浦 靖君
三谷 英弘君 三ッ林 裕巳君 三ッ矢 憲生君 三原 朝彦君
御法川 信英君 宮内 秀樹君 宮川 典子君 宮腰 光寛君
宮澤 博行君 宮路 拓馬君 宮下 一郎君 武藤 容治君
務台 俊介君 宗清 皇一君 村井 英樹君 村上 誠一郎君
望月 義夫君 茂木 敏充君 盛山 正仁君 森 英介君
森山 裕君 八木 哲也君 簗 和生君 山際 大志郎君
山口 俊一君 山口 泰明君 山口 壯君 山下 貴司君
山田 賢司君 山田 美樹君 山本 公一君 山本 幸三君
山本 拓君 山本ともひろ君 山本 有二君 吉野 正芳君
義家 弘介君 和田 義明君 若宮 健嗣君 渡辺 孝一君
渡辺 博道君 赤羽 一嘉君 井上 義久君 伊佐 進一君
伊藤 渉君 石井 啓一君 石田 祝稔君 稲津 久君
浮島 智子君 江田 康幸君 大口 善徳君 太田 昭宏君
太田 昌孝君 岡本 三成君 北側 一雄君 國重 徹君
佐藤 茂樹君 佐藤 英道君 斉藤 鉄夫君 高木 陽介君
竹内 譲君 遠山 清彦君 富田 茂之君 中野 洋昌君
浜地 雅一君 濱村 進君 古屋 範子君 桝屋 敬悟君
鰐淵 洋子君 足立 康史君 井上 英孝君 浦野 靖人君
遠藤 敬君 串田 誠一君 下地 幹郎君 杉本 和巳君
馬場 伸幸君 丸山 穂高君 森 夏枝君 井上 一徳君
中山 成彬君 長島 昭久君 細野 豪志君 笠 浩史君
————◇—————
永年在職議員の表彰の件
この発言だけを見る →—————————————
辻元清美君外五名提出国務大臣茂木敏充君不信任決議案を可とする議員の氏名
阿久津 幸彦君 阿部 知子君 青柳 陽一郎君 荒井 聰君
池田 真紀君 石川 香織君 生方 幸夫君 枝野 幸男君
尾辻 かな子君 大河原 雅子君 逢坂 誠二君 岡島 一正君
岡本 あき子君 落合 貴之君 海江田 万里君 神谷 裕君
亀井 亜紀子君 川内 博史君 菅 直人君 近藤 昭一君
佐々木 隆博君 櫻井 周君 篠原 豪君 末松 義規君
高井 崇志君 高木 錬太郎君 武内 則男君 辻元 清美君
手塚 仁雄君 中谷 一馬君 長尾 秀樹君 長妻 昭君
西村 智奈美君 長谷川 嘉一君 初鹿 明博君 日吉 雄太君
福田 昭夫君 堀越 啓仁君 本多 平直君 松田 功君
松平 浩一君 道下 大樹君 宮川 伸君 村上 史好君
森山 浩行君 矢上 雅義君 山内 康一君 山尾 志桜里君
山川 百合子君 山崎 誠君 山花 郁夫君 山本 和嘉子君
横光 克彦君 吉田 統彦君 早稲田 夕季君 青山 大人君
浅野 哲君 伊藤 俊輔君 泉 健太君 稲富 修二君
今井 雅人君 小熊 慎司君 大島 敦君 大西 健介君
岡本 充功君 奥野 総一郎君 吉良 州司君 城井 崇君
岸本 周平君 源馬 謙太郎君 小宮山 泰子君 後藤 祐一君
近藤 和也君 斉木 武志君 階 猛君 篠原 孝君
下条 みつ君 白石 洋一君 関 健一郎君 玉木 雄一郎君
津村 啓介君 西岡 秀子君 原口 一博君 平野 博文君
古本 伸一郎君 前原 誠司君 牧 義夫君 緑川 貴士君
森田 俊和君 山岡 達丸君 山井 和則君 柚木 道義君
渡辺 周君 安住 淳君 江田 憲司君 大串 博志君
岡田 克也君 金子 恵美君 黒岩 宇洋君 玄葉 光一郎君
田嶋 要君 中川 正春君 中村 喜四郎君 野田 佳彦君
広田 一君 もとむら賢太郎君 赤嶺 政賢君 笠井 亮君
穀田 恵二君 志位 和夫君 塩川 鉄也君 田村 貴昭君
高橋 千鶴子君 畑野 君枝君 藤野 保史君 宮本 岳志君
宮本 徹君 本村 伸子君 小沢 一郎君 玉城 デニー君
照屋 寛徳君 吉川 元君 青山 雅幸君 赤松 広隆君
井出 庸生君 小川 淳也君 柿沢 未途君 菊田 真紀子君
佐藤 公治君 重徳 和彦君 樽床 伸二君 寺田 学君
中島 克仁君 松原 仁君 鷲尾 英一郎君
否とする議員の氏名
あかま 二郎君 あきもと 司君 あべ 俊子君 安倍 晋三君
逢沢 一郎君 赤澤 亮正君 秋葉 賢也君 秋本 真利君
麻生 太郎君 穴見 陽一君 甘利 明君 安藤 高夫君
安藤 裕君 井野 俊郎君 井上 信治君 井上 貴博君
井林 辰憲君 伊東 良孝君 伊藤 信太郎君 伊藤 忠彦君
伊藤 達也君 伊吹 文明君 池田 道孝君 池田 佳隆君
石川 昭政君 石崎 徹君 石田 真敏君 石破 茂君
石原 伸晃君 石原 宏高君 泉田 裕彦君 稲田 朋美君
今枝 宗一郎君 今村 雅弘君 岩田 和親君 岩屋 毅君
うえの賢一郎君 上杉 謙太郎君 上野 宏史君 江崎 鐵磨君
江渡 聡徳君 江藤 拓君 衛藤 征士郎君 遠藤 利明君
小倉 將信君 小此木 八郎君 小里 泰弘君 小田原 潔君
小野寺 五典君 小渕 優子君 尾身 朝子君 越智 隆雄君
大岡 敏孝君 大隈 和英君 大塚 高司君 大塚 拓君
大西 英男君 大西 宏幸君 大野 敬太郎君 大見 正君
岡下 昌平君 奥野 信亮君 鬼木 誠君 加藤 鮎子君
加藤 寛治君 梶山 弘志君 勝俣 孝明君 門 博文君
門山 宏哲君 金子 俊平君 金子 万寿夫君 金子 恭之君
金田 勝年君 上川 陽子君 神谷 昇君 神山 佐市君
亀岡 偉民君 鴨下 一郎君 川崎 二郎君 河井 克行君
河村 建夫君 神田 憲次君 神田 裕君 菅家 一郎君
木原 誠二君 木原 稔君 木村 次郎君 木村 哲也君
木村 弥生君 城内 実君 黄川田 仁志君 岸 信夫君
岸田 文雄君 北川 知克君 北村 誠吾君 工藤 彰三君
国光 あやの君 熊田 裕通君 小泉 進次郎君 小泉 龍司君
小島 敏文君 小寺 裕雄君 小林 茂樹君 小林 鷹之君
小林 史明君 古賀 篤君 後藤 茂之君 後藤田 正純君
高村 正大君 左藤 章君 佐々木 紀君 佐藤 明男君
佐藤 勉君 佐藤 ゆかり君 齋藤 健君 斎藤 洋明君
坂井 学君 坂本 哲志君 櫻田 義孝君 笹川 博義君
塩崎 恭久君 塩谷 立君 繁本 護君 柴山 昌彦君
下村 博文君 白須賀 貴樹君 新谷 正義君 新藤 義孝君
菅 義偉君 菅原 一秀君 杉田 水脈君 鈴木 馨祐君
鈴木 俊一君 鈴木 淳司君 鈴木 貴子君 鈴木 憲和君
鈴木 隼人君 関 芳弘君 園田 博之君 田所 嘉徳君
田中 和徳君 田中 英之君 田中 良生君 田野瀬 太道君
田畑 毅君 田畑 裕明君 田村 憲久君 平 将明君
高市 早苗君 高木 啓君 高木 毅君 高鳥 修一君
高橋 ひなこ君 竹下 亘君 竹本 直一君 武井 俊輔君
武田 良太君 武部 新君 武村 展英君 橘 慶一郎君
棚橋 泰文君 谷 公一君 谷川 とむ君 谷川 弥一君
津島 淳君 辻 清人君 土屋 品子君 寺田 稔君
とかしきなおみ君 冨樫 博之君 渡海 紀三朗君 土井 亨君
冨岡 勉君 中曽根 康隆君 中谷 元君 中谷 真一君
中根 一幸君 中村 裕之君 中山 展宏君 中山 泰秀君
永岡 桂子君 長尾 敬君 長坂 康正君 二階 俊博君
丹羽 秀樹君 西田 昭二君 西村 明宏君 西村 康稔君
西銘 恒三郎君 額賀 福志郎君 根本 匠君 根本 幸典君
野田 聖子君 野田 毅君 野中 厚君 葉梨 康弘君
萩生田 光一君 橋本 岳君 馳 浩君 鳩山 二郎君
浜田 靖一君 林 幹雄君 原田 憲治君 原田 義昭君
百武 公親君 平井 卓也君 平口 洋君 平沢 勝栄君
福井 照君 福田 達夫君 福山 守君 藤井 比早之君
藤丸 敏君 藤原 崇君 船田 元君 船橋 利実君
古川 康君 古川 禎久君 古田 圭一君 古屋 圭司君
穂坂 泰君 星野 剛士君 細田 健一君 細田 博之君
堀井 学君 堀内 詔子君 本田 太郎君 牧島 かれん君
牧原 秀樹君 松島 みどり君 松野 博一君 松本 純君
松本 剛明君 松本 文明君 松本 洋平君 三浦 靖君
三谷 英弘君 三ッ林 裕巳君 三ッ矢 憲生君 三原 朝彦君
御法川 信英君 宮内 秀樹君 宮川 典子君 宮腰 光寛君
宮澤 博行君 宮路 拓馬君 宮下 一郎君 武藤 容治君
務台 俊介君 宗清 皇一君 村井 英樹君 村上 誠一郎君
望月 義夫君 茂木 敏充君 盛山 正仁君 森 英介君
森山 裕君 八木 哲也君 簗 和生君 山際 大志郎君
山口 俊一君 山口 泰明君 山口 壯君 山下 貴司君
山田 賢司君 山田 美樹君 山本 公一君 山本 幸三君
山本 拓君 山本ともひろ君 山本 有二君 吉野 正芳君
義家 弘介君 和田 義明君 若宮 健嗣君 渡辺 孝一君
渡辺 博道君 赤羽 一嘉君 井上 義久君 伊佐 進一君
伊藤 渉君 石井 啓一君 石田 祝稔君 稲津 久君
浮島 智子君 江田 康幸君 大口 善徳君 太田 昭宏君
太田 昌孝君 岡本 三成君 北側 一雄君 國重 徹君
佐藤 茂樹君 佐藤 英道君 斉藤 鉄夫君 高木 陽介君
竹内 譲君 遠山 清彦君 富田 茂之君 中野 洋昌君
浜地 雅一君 濱村 進君 古屋 範子君 桝屋 敬悟君
鰐淵 洋子君 足立 康史君 井上 英孝君 浦野 靖人君
遠藤 敬君 串田 誠一君 下地 幹郎君 杉本 和巳君
馬場 伸幸君 丸山 穂高君 森 夏枝君 井上 一徳君
中山 成彬君 長島 昭久君 細野 豪志君 笠 浩史君
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永年在職議員の表彰の件
大
大島理森#22
○議長(大島理森君) お諮りいたします。
本院議員として、また、国会議員として在職二十五年に達せられました林幹雄君、穀田恵二君、山本公一君、鴨下一郎君、塩崎恭久君、志位和夫君、安倍晋三君、浜田靖一君、岸田文雄君、野田聖子君、前原誠司君、玄葉光一郎君及び茂木敏充君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。
表彰文は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →本院議員として、また、国会議員として在職二十五年に達せられました林幹雄君、穀田恵二君、山本公一君、鴨下一郎君、塩崎恭久君、志位和夫君、安倍晋三君、浜田靖一君、岸田文雄君、野田聖子君、前原誠司君、玄葉光一郎君及び茂木敏充君に対し、先例により、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。
表彰文は議長に一任されたいと存じます。これに御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
大
大島理森#23
○議長(大島理森君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決まりました。
これより表彰文を順次朗読いたします。
議員林幹雄君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員穀田恵二君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員山本公一君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員鴨下一郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員塩崎恭久君は国会議員として在職すること二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員志位和夫君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員安倍晋三君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員浜田靖一君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員岸田文雄君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員野田聖子君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員前原誠司君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員玄葉光一郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員茂木敏充君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
この贈呈方は議長において取り計らいます。
—————————————
この発言だけを見る →これより表彰文を順次朗読いたします。
議員林幹雄君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員穀田恵二君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員山本公一君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員鴨下一郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員塩崎恭久君は国会議員として在職すること二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員志位和夫君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員安倍晋三君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員浜田靖一君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員岸田文雄君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員野田聖子君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員前原誠司君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員玄葉光一郎君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
…………………………………
議員茂木敏充君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた
よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもってこれを表彰する
〔拍手〕
この贈呈方は議長において取り計らいます。
—————————————
大
大
林
林幹雄#26
○林幹雄君 林幹雄です。
ただいま、院議をもちまして我々十三名に永年在職表彰の御決議を賜りました。大変身に余る光栄であります。
最年長ということで、代表して挨拶をさせていただきます。
私たちは、平成五年の初当選以来、お互いに切磋琢磨し、時には党派を超え、励まし合ってきた同志であります。まずもって、今日まで一方ならぬ御支援、御厚情を賜りましたふるさとの皆様に、心から感謝と御礼を申し上げます。拍手
また、全国各地で叱咤激励くださった皆様、御指導いただきました先輩、同僚議員の皆様、事務所の秘書、役所や国会職員、党本部の皆さん、そして、本日傍聴席にも来ておりますが、苦楽をともにしてくれた愛する家族に、ひたすら感謝いたしております。拍手
私は、父である林大幹の秘書を十年、千葉県議会議員を三期務めた後、平成五年七月の第四十回総選挙で初当選させていただきました。政治改革、新党ブームの風が吹く、大変厳しい選挙でありましたが、ふるさと銚子の皆様を始め、選挙区の皆様方のお力添えに、改めて深く御礼を申し上げる次第であります。ありがとうございました。拍手
この選挙で自民党は結党以来初めての野党となり、野党議員としてスタートしたわけですが、政権交代はいつでも起こり得るという事実は、私の政治活動に緊張感を与えてくれるものでした。
以来、二十五年間、一意専心、地元千葉県の発展と、安心、安全な国づくりに全力投球してまいりました。
福田内閣と麻生内閣において、国家公安委員長として、治安水準のさらなる向上を図り、沖縄及び北方担当大臣として、沖縄の振興や北方地域の諸課題に取り組み、防災担当大臣として、ゲリラ豪雨を始め、頻発する自然災害に対峙してまいりました。
安倍内閣においては、経済産業大臣として、福島第一原発の廃炉・汚染水対策と福島の復興を着実に進める一方、我が国の将来を見据えた責任あるエネルギー政策を推進し、経済再生と中小企業支援、通商政策等に全力で取り組みました。
国会では、第百八十九常会の議院運営委員長として、国会運営に心血を注ぎました。戦後最長の九十五日間の延長をしたことは、記憶にも記録にも残るものでありました。
党にあっては、国対や幹事長室を担当することが多く、現在は、二階幹事長の御指導のもと、幹事長代理として、党務全般の重責を担わせていただいております。
政党政治、議院内閣制の我が国にあって、党の安定がすなわち政治の安定を意味することは言うまでもありません。多くの方々の御協力を得て、党運営に全身全霊で取り組む日々であります。
政策面では、平成二十三年六月に、野党でありながら、議員立法として津波対策の推進に関する法律を成立させることができました。当時の二階総務会長のリーダーシップのもと、津波防災の重要性を世界に訴え、国連総会の全会一致で、十一月五日が世界津波の日に制定されたことは、万感胸に迫るものがありました。拍手
我が国を強くしなやかな国土にする国土強靱化は、かつては書くことも読むことも大変難しい言葉でしたが、今や、我が国の有力な政策となり、日本全国各地でその重要性が叫ばれ、ついには海を渡り、諸外国でもその精神が根づき始めています。
二十五年の節目に来し方を振り返るとき、本当に多くの方々のお支えがあってやってこられたと実感しております。
もとより浅学非才でありますが、今後も愚直に誠実に職務に取り組み、子や孫の世代に、世界に誇れる日本国、魅力あふれる我が地元千葉県を引き継いでまいることをお誓いし、謝辞といたします。
ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →ただいま、院議をもちまして我々十三名に永年在職表彰の御決議を賜りました。大変身に余る光栄であります。
最年長ということで、代表して挨拶をさせていただきます。
私たちは、平成五年の初当選以来、お互いに切磋琢磨し、時には党派を超え、励まし合ってきた同志であります。まずもって、今日まで一方ならぬ御支援、御厚情を賜りましたふるさとの皆様に、心から感謝と御礼を申し上げます。拍手
また、全国各地で叱咤激励くださった皆様、御指導いただきました先輩、同僚議員の皆様、事務所の秘書、役所や国会職員、党本部の皆さん、そして、本日傍聴席にも来ておりますが、苦楽をともにしてくれた愛する家族に、ひたすら感謝いたしております。拍手
私は、父である林大幹の秘書を十年、千葉県議会議員を三期務めた後、平成五年七月の第四十回総選挙で初当選させていただきました。政治改革、新党ブームの風が吹く、大変厳しい選挙でありましたが、ふるさと銚子の皆様を始め、選挙区の皆様方のお力添えに、改めて深く御礼を申し上げる次第であります。ありがとうございました。拍手
この選挙で自民党は結党以来初めての野党となり、野党議員としてスタートしたわけですが、政権交代はいつでも起こり得るという事実は、私の政治活動に緊張感を与えてくれるものでした。
以来、二十五年間、一意専心、地元千葉県の発展と、安心、安全な国づくりに全力投球してまいりました。
福田内閣と麻生内閣において、国家公安委員長として、治安水準のさらなる向上を図り、沖縄及び北方担当大臣として、沖縄の振興や北方地域の諸課題に取り組み、防災担当大臣として、ゲリラ豪雨を始め、頻発する自然災害に対峙してまいりました。
安倍内閣においては、経済産業大臣として、福島第一原発の廃炉・汚染水対策と福島の復興を着実に進める一方、我が国の将来を見据えた責任あるエネルギー政策を推進し、経済再生と中小企業支援、通商政策等に全力で取り組みました。
国会では、第百八十九常会の議院運営委員長として、国会運営に心血を注ぎました。戦後最長の九十五日間の延長をしたことは、記憶にも記録にも残るものでありました。
党にあっては、国対や幹事長室を担当することが多く、現在は、二階幹事長の御指導のもと、幹事長代理として、党務全般の重責を担わせていただいております。
政党政治、議院内閣制の我が国にあって、党の安定がすなわち政治の安定を意味することは言うまでもありません。多くの方々の御協力を得て、党運営に全身全霊で取り組む日々であります。
政策面では、平成二十三年六月に、野党でありながら、議員立法として津波対策の推進に関する法律を成立させることができました。当時の二階総務会長のリーダーシップのもと、津波防災の重要性を世界に訴え、国連総会の全会一致で、十一月五日が世界津波の日に制定されたことは、万感胸に迫るものがありました。拍手
我が国を強くしなやかな国土にする国土強靱化は、かつては書くことも読むことも大変難しい言葉でしたが、今や、我が国の有力な政策となり、日本全国各地でその重要性が叫ばれ、ついには海を渡り、諸外国でもその精神が根づき始めています。
二十五年の節目に来し方を振り返るとき、本当に多くの方々のお支えがあってやってこられたと実感しております。
もとより浅学非才でありますが、今後も愚直に誠実に職務に取り組み、子や孫の世代に、世界に誇れる日本国、魅力あふれる我が地元千葉県を引き継いでまいることをお誓いし、謝辞といたします。
ありがとうございました。拍手
大
大島理森#27
○議長(大島理森君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君の挨拶につきましては、これを会議録に掲載することといたします。
おめでとうございました。
—————————————
穀田 恵二君の挨拶
このたび院議をもって、永年在職議員の表彰を受けました。望外の喜びであり感謝の念に堪えません。一九九三年、京都一区での初当選以来、四半世紀にわたり、私を国会に押し上げていただいた京都と近畿ブロックの支持者の皆さんに心からお礼を申し上げます。
私の政治活動の出発点は、反戦平和の思いです。母校の立命館大学には、侵略戦争に学徒が動員された過ちを反省し、二度と若者が銃をとらないとの決意を表した、反戦平和の象徴・わだつみ像が建立されています。
私はこの決意を自らのものとして、戦前の暗黒時代に、侵略戦争に反対し平和と民主主義の実現を主張してきた日本共産党に入党しました。
日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうに決意し」、国民主権、恒久平和、基本的人権の原則をうちたてました。
私は、この原則を政治に生かすべく、「わだつみの悲劇を繰り返すまい」「憲法を政治に生かそう」を政治信条として貫いてきました。
九五年、阪神淡路大震災が発生しました。発災直後から被災地を訪れ、被災者支援と復興は「人間の復興」を理念とすべきこと、政治の要諦は「国民の安全」と痛感しました。被災者の生活再建に対する公的支援の実現を求め続け、被災者・市民の皆さんと共同を広げ「被災者生活再建支援制度」の創設に努力してきました。
私は、二十一年間日本共産党の国会対策委員長を務めてきました。議会とは、議会制民主主義とは何でしょうか。国会の最大の任務は、政府の暴走をストップし、行政府に対するチェック機能を果たすことです。その点では、憲法の平和主義を根本から破壊する安保法制、さらには、公文書の改ざん・ねつ造・隠ぺいという、国会を愚弄し議会制民主主義を根底から覆す事態に対して議会の存在が問われているといわねばなりません。
国政は国民の厳粛な信託にもとづくものでありながら、国民の声を無視する強権政治が横行しています。その背景には選挙制度があります。小選挙区制を廃止し、多様な民意を正確に反映する選挙制度への改革を訴えるものです。
いま「戦争する国づくり」が進められ、憲法九条を変えようとする動きが強まっています。
国民は、この策動を断じて許さないでありましょう。暴走政治と対峙し、立憲主義回復・安保法制反対の国民的運動の中で培われた「野党は共闘」の声が、「市民と野党の共闘」として発展しつつあります。
私は、国会議員としての今後の活動の中で、憲法を生かす新しい政治の流れを実現するために全力を尽くす決意を改めて表明して謝辞といたします。
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山本 公一君の挨拶
この度、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたこと、誠に身に余る光栄で心より感謝申し上げます。
私を国政へと送り出し、その後も支え続けて頂いたふるさと愛媛の皆様、厳しくも適切なご指導・ご助言いただきました先輩議員や同僚議員の皆様、故今井勇先生やその後援会の皆様、そして私の後援会・友人・事務所スタッフ、親族関係者に厚く感謝申し上げます。
私の初出馬は平成五年の第四十回総選挙でしたが、当初私は県議会議員として候補者を選定する立場におりました。候補者が決まらない中、私に出馬の要請があり、悩んだ末、父友一に相談したところ、国会議員・市長等の経験ある父は「悪いことは言わん、国会議員だけはやめておけ」と。それは家族を犠牲に、あるいは路頭に迷わせるかもしれないそんな厳しい世界だという思いであったのだろうと思います。しかし最後には「お前でないとだめだと、皆がどうしてもと推挙してくれるなら議員冥利に尽きるではないか」と背中を押してくれ、地方と都会の格差を是正し地方の成長・発展のために微力ながらもふるさとに貢献をしたいと出馬を決断したのです。
選挙後、八党派による細川連立政権が樹立され、五五年体制が終焉、私の国会議員活動は野党からのスタートとなりました。その後政治改革の議論が再び起こり、翌平成六年には政治改革四法案が成立し、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと選挙制度が変更となったのです。党内での選挙区調整が困難を極める中、同じ選挙区地盤を抱える西田司先生から、「私が比例にまわるから、若い山本君、君が小選挙区で出てくれ、若い者がやらんといけん」と有難い言葉を頂いたのです。その後小選挙区で八回の国民の審判を受けますが、「ふるさとが私の原点」という気持ちを忘れることなく今日まで有権者の声に耳を傾け、国政へ反映すべく取り組んでまいりました。
平成九年の第二次橋本改造内閣で環境政務次官として初の内閣の一員となった際には、我が政治の師であった加藤紘一先生から「環境は票にはならん。だけんど環境は田舎者(大企業のない地方出身)の君にしか大事を成すことはできんのだ、しっかりやれ」と激励を受けます。そして同年の気候変動枠組条約第三回締約国会議(COP3)に出席し、先進国の温室効果ガス排出削減の数値目標を規定する「京都議定書採択」に携わることになりますが、今思えばここが環境をライフワークとする大きな分岐点であったのだろうと思います。
その後、内閣委員長、総務副大臣、沖縄北方特別委員長、国家基本政策委員長、倫理・選挙特別委員長などを務めさせて頂き、平成二十八年八月第三次安倍第二次改造内閣において環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)を拝命致しました。気候変動対策と経済成長の両立やパリ協定の着実な実施、東日本大震災からの復興・創生、国立公園満喫プロジェクト、資源やごみ問題、環境教育、大気環境、原子力防災対策など対立も辞さず信念をもって臨んできたつもりです。
現在、日本は最大の社会的課題で懸念される人口減少社会を迎えるとともに社会保障や資源・エネルギー問題、多発化する自然災害、憲法改正・安全保障などをはじめ様々な課題を抱えております。国民の代表として議席を与えてくださった皆様の思いに応えるためにも、真摯にそして力の限り国内外の諸課題に取り組むとともに、引き続き日本に活力と潤いを与える政治を心がけていく所存です。
終わりに、政治家の妻として五人の子供の母として陰に陽に私を支えてくれた妻照子と家族に心からの感謝の念を表し、御礼のご挨拶とさせていただきます。
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鴨下 一郎君の挨拶
本日、茲に院議をもちまして永年在職議員の表彰の栄誉を賜り、感無量であり身に余る光栄であります。
平成五年七月の総選挙にて初当選以来、連続九期当選を果たし、在職二十五年を迎えることとなりました。
四半世紀に渡り国政の舞台に立つことが出来ましたのは、私をお育て支えていただいた地元足立区の皆様方、ご支援ご協力を賜りました友人各位のおかげと心より厚く御礼申し上げます。
初当選以来、ご指導いただきました多くの諸先輩、同僚議員には感謝の念に堪えません。
加えまして、私を温かく見守る母、妻、並びに家族にも感謝の思いを伝えたいと思います。
私は、東京都足立区で父多吉・母光江の長男として生を受けました。幼少時から、父の結核と闘病する姿を見て来て、医師になる決断をしました。その後、心療内科を専門とし治療にあたる中で、現代の心の病を治すには、まず社会病理を直す必要性があると考え、政治を志しました。
政治家として厚生労働副大臣を経て安倍改造内閣で環境大臣を拝命、続く福田内閣では、G8北海道洞爺湖サミットのメインテーマであった地球温暖化対策の国際交渉を環境大臣として務めました。
自由民主党が下野した三年三カ月間に於いては、東日本大震災での自然の驚異に、国家として政治の役割の重責さを実感いたしました。復興に際しては自民党「福島再興に関する委員長」として政府に対し、一刻も早く除染を進めるようその法案作成に寄与いたしました。
また、「社会保障と税の一体改革」では野党側の実務者として民主、自民、公明の三党合意をまとめることが出来たのは、社会保障は与野党の争点にしてはいけないと万感の思いの下であり、急激な少子高齢化社会に対応し、持続可能な制度とするため一体改革を合意をし、政治の大切さ・力強さを感じた一時でありました。
与党復帰後、国会対策委員長・消費者問題に関する特別委員長などを歴任し、微力を尽くしております。
政治に、心療内科の専門性を活かし、働き方や一人一人のいきがいという観点から、年金・医療などの社会保障関係、都市の住環境や水・大気、生物多様性などの環境分野についても、院内外等含め意見を述べる機会をいただいております。しかしライフワークとしては、いまだ道半ばでございます。
結びに、本日の永年表彰の意味を改めて道標とし、初心を忘れず政治舞台で努力し、次世代の国民に日本に生れ育つことを誇れるよう、職責を果たして参ることをお誓いいたし、更なる諸先輩、同僚各位のご教導をお願い申し上げ、御礼のご挨拶といたします。
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塩崎 恭久君の挨拶
本日、院議を持って永年在職表彰の栄に浴しますことは光栄至極であり、地元愛媛、松山の皆様、多くの先輩、同僚、友人、後輩など、ここまで私をお育て頂いた全ての皆様に感謝申し上げます。また、大学教育の責任を負いながら、今日まで私の最大の支えになって来てくれた妻千枝子をはじめとした家族、親族、事務所スタッフにも感謝の意を表したいと思います。
初当選の翌年、小選挙区制度が導入され、四小選挙区に対し現職が七人だった愛媛県では、公認を巡り議論が難航、結果、私が平成七年に参議院に転出致しました。平成十二年、再び衆議院に復帰、今日を迎えました。衆議院、参議院、そして再び衆議院と、途切れることなく院を移動したのは、憲政史上私が唯一の例と聞いています。
この間大蔵政務次官、衆議院法務委員長、外務副大臣、内閣官房長官、自民党政調会長代理、厚生労働大臣などの職を経ながら全力投球して参りました。
折しもバブル崩壊後の「失われた十年」は二十年以上に及び、「閉塞感」はアベノミクスの奏功まで蔓延し続けました。私たち立法府に属する者に課せられた使命の本質は、グローバル時代の日本にとって最早旧来型の行政主導の国家運営では、発想の転換を伴う問題の根本解決は難しく、政治主導の国家運営を如何に実現するかでした。私にとってこの二十五年間は、いわば新しい時代に相応しい三権分立の再構築への海図なき航海であったと思います。
新しい時代に相応しい行政を目指した橋本行革において、たじろぐ当局を説得して金融ビッグバンを決断。また不良債権問題による金融危機時には、与野党を超えた政治主導により危機管理法制を議員立法で導入、政策新人類との呼称も頂きました。またバブルの責任論から始まった大蔵省改革の際には、日銀法改正、金融監督機能の分離独立という歴史に残る大きな改革に寄与しました。
増えゆく児童虐待に対しては、厚労大臣任期中、事務方の消極姿勢を排しながら児童福祉法を約七十年ぶりに二年連続、全会一致にて抜本改正し、児童の権利、家庭養育優先原則などを明定しました。
東日本大震災後には、野党でありながら、わが国で初めて立法府に独立した国会事故調査委員会を設置し、原発事故の原因究明を行う議員立法や、独立し、専門性も高い原子力規制委員会を創設する議員立法を成立させたことも新しい立法府の役割を示すこととなりました。
世界は、日本が如何にして超高齢化など深刻な人口問題を克服し、一人ひとりが納得する人生を歩めるようにするかに注目しています。経済や暮らしが発展する中、健康寿命を延伸し、かつ国民負担も納得いく範囲に止める、という命題に答えを出すには、ITやAIなど科学技術の粋をフル活用するとともに、社会システム全体も改革する、という大きな課題に取り組まねばなりません。
引き続き多くの皆様のご指導を頂き、国民の幸せ実現に向け、全力で精進をして参る事をお誓い申し上げ、感謝の言葉と致します。
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志位 和夫君の挨拶
このたび、永年在職の表彰を受けたことに対して、心からの謝意を表します。私を、四半世紀にわたって国会に送り出していただいた、旧千葉一区、比例代表南関東ブロックの有権者・支持者のみなさんに、あつくお礼を申し上げます。
私の初当選は、一九九三年七月の総選挙でした。この選挙では、「自民か、非自民か」にもっぱら焦点があてられ、「共産党は選択肢の外」とされて、たいへんに苦しいたたかいを強いられました。国際的には、旧ソ連・東欧の崩壊という事態を受け、「共産党は時代遅れ」といった議論が広くとなえられ、わが党にとって逆風となりました。初挑戦で、私は、二重の逆風に遭遇しましたが、地元・千葉県のみなさんの懸命のご支援により初議席を得ることができたことは大きな喜びであり、この勝利があったからこそその後の国会活動が可能になったと、深い感謝の気持ちをもって当時を思い起こしています。
それから四半世紀をへた今日、私たちをとりまく情勢には、大きな前向きの変動がおこっていることを実感しています。
国際的には、昨年七月七日、国連で、人類史で初めての核兵器禁止条約が採択されたことが象徴するように、一握りの大国中心の世界秩序は過去のものとなり、逆行や複雑さをはらみながらも、すべての国ぐにが対等・平等の権利をもって国際政治の主人公となる新しい世界が姿をあらわしつつあります。私自身、国連会議に参加し、核兵器禁止条約採択にむけた活動を行いましたが、広島・長崎の被爆者を先頭とする世界の反核平和の運動、それと連帯した日本共産党の立場が、二十一世紀の世界の本流となっていることに、大きな確信と希望をみいだすことができました。
国内の情勢では、とくに、二〇一四年から一五年の安保法制・戦争法反対の論戦と運動のなかで、市民と野党の共闘によって日本の政治を変えるという、新しい画期的な流れがつくられています。共闘の発展とともに、長い間、日本の政界を覆ってきた「共産党をのぞく」という壁がとりのぞかれ、日本共産党も参加しての共闘が、さまざまな形で当たり前のようにとりくまれてきています。
市民と野党の共闘にこそ、未来がある。これが私たちの確信です。いったん踏み出した「共闘によって政治を変える」という道を、多くの方々と手を携えて、とことん追求していく決意を申し述べて、永年在職の表彰をうけての謝辞といたします。
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安倍 晋三君の挨拶
この度、院議をもって在職二十五周年の表彰を賜りましたこと、心より厚く御礼申し上げます。
幼い頃から政治は私の身近なところにありました。自分には政治家としての能力があるのか。疑問を持ちながらも、政治への思いを募らせる中、「今度はお前が頑張れ。何とかなるはずだよ」。病床にあった父のこの言葉を聞いたとき、私の志が固まった瞬間でありました。
国政に初めて出馬した日、傘もささず、全身ずぶ濡れの私に、地元の皆様から温かい言葉をかけていただいたことを思い出します。あの恵みの雨から、私は国政に送り出されました。
その選挙では、政治改革の方向性を巡る混乱から、三十八年間、政権を担ってきた自民党が初めて下野しました。政権復帰までの一年間を通じ、政権の地位にあること自体を目的としてはならない。確たる信念に裏打ちされた政策を実行する決意を新たにいたしました。
次の時代を担う子どもたちが、「この国に生まれて良かった」と思えるような国を作ることが、私たち、政治家としての責務です。誰もが夢に向かって頑張ることができる、何度でもチャンスにあふれる社会。
そして額に汗して頑張った人が報われる、まっとうな社会、今日よりも明日はきっと良くなると信じることができる社会をつくる。その上で、世界に開かれ、世界の真ん中で輝く国をつくる。この二十五年間、粉骨砕身、取り組んでまいりました。
私が二度目の内閣総理大臣を拝命した時、日本経済はデフレ不況に沈んでいました。「人口が減少していくからもう成長なんてできない」こうした諦めが蔓延していました。最大の問題は、この諦めでした。しかし、今や、力強い経済成長が実現し、日本経済は、デフレ脱却への道筋を確実に進んでいます。日本は、やればできる。
吉田松陰先生が好み、祖父の座右の銘であった「自ら反みて縮んば、千万人といえども吾ゆかん」。まさに、批判を伴う政策も、確たる信念を持ち、たじろがず、進めてまいりました。平和安全法制がなければ、現下の緊迫する北朝鮮情勢にしっかりと対応することはできなかったと思います。
今、改めて振り返ってみると、これまで、多くの方々に支えられてきました。困難な時でも、傍にあってくれた郷里の皆様、後援会の皆様、先輩・同僚、友人、そして、妻、母、家族がいました。本当に、ありがとうございます。深く、感謝を申し上げます。
「初心忘るべからず」。私の好きな言葉です。全ては国家・国民のため。政治家を志した時の初心を忘れることなく、年齢を重ねて、その時の自分が進歩しているのかということを常に省みながら、全身全霊、今後とも一層、力を尽くしてまいります。
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浜田 靖一君の挨拶
本日、衆議院本会議において在職二十五周年の表彰を賜りましたことは、身に余る光栄であります。これも平成五年の初当選以来、変わらぬご支援を私に対してお与えくださった地元の皆様のおかげであります。その友情と愛情に対して、あらためて心底から感謝申し上げます。
私は「政界の暴れん坊」と世間で評された故浜田幸一の長男として生まれ育つ中で、自然に政治に対して興味を持ち、政治に志を抱きました。政治家になる前も政治家になった後も数えきれないほど多くの先輩、同僚、友人からご教導いただいたわけですが、その中でも大学卒業後、秘書として仕えさせていただいた故渡辺美智雄先生の教えほど大きなものはありませんでした。先生の座右の銘であった「同心成就」という言葉は、立場や利害が違っていても、事に当たり、同じ志の人間が集えば、必ず事を成就できるという教えであり、この言葉こそ、私が政治活動を続ける中で、指針となった教えでした。そのような教えのもと、私の目指したのは「一隅を照らす」ことのできる政治家であり、それゆえに私の取り組んだのは、例えば私が当選した当時は未だ建設的な議論が難しかった安全保障の分野であり、また取り組む議員がほとんどいなかった捕鯨問題でした。後者は我が国と他国の利害、主張が鋭く対立する問題であり、国際会議に何度も出席する中で国際政治の実際を学ぶことができました。
安全保障分野においては、平成二十年、麻生内閣において防衛大臣を拝命致しました。二十一年には北朝鮮が人工衛星実験と称するミサイル実験を行ったことに対して初の破壊措置命令を防衛大臣として発する事態となりましたように、私の議員生活はほとんど冷戦終結後の東アジアにおける軍事バランスの急変及び国際情勢の構造変化の時代と重なっております。今後も我が国を取り巻く環境の変化の中で、国家と国民を防衛できる安全保障政策の構築を、国民の理解を得ながら推進していく一翼を担えるよう精励していく覚悟です。
思えば、自民党が野党時代の国会対策委員長、平和安全法制で大荒れになった安全保障委員会委員長、予算委員長等、人一倍汗をかく仕事に起用いただいたことは政治家としてまことに欣快とするところです。
最後に、国家の繁栄と国民の幸福を追求するために一人の議会人としてたゆまぬ努力を続けていくことをお誓いして、謝辞と致します。
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岸田 文雄君の挨拶
本日は、院議をもって、永年在職表彰の栄誉を賜りました事に対し、厚く御礼申し上げます。既にお亡くなりになられた先輩方も含め、今日までご支援をいただきました全ての皆様に心から感謝申し上げます。併せて、今日があるのは、事務所スタッフ、家族など身近で私を支えてくれた人々の存在のおかげでもあることを忘れてはなりません。ありがとうございました。
私が初当選したのは、政界において、政治改革、新党ブームの嵐が吹き荒れた平成五年の第四十回衆議院選挙でありました。選挙の結果、宮沢政権が退陣し、細川政権がスタートすることにより、政治は単独政権時代から連立政権時代へと移り変わりました。その後も私は一貫して自由民主党の議員として活動してきましたが、その間、二度の野党を経験し、また、いわゆる「加藤の乱」といった大きな政局もいくつか経験しました。それによって、政権交代の意味、野党の役割といったものを学ばせて頂きました。
また、与党時代には、内閣府特命担当大臣、外務大臣、防衛大臣等を経験しました。こうした経験によって、政治の安定が、外交や経済の安定にいかに重要であるか等を学ばせて頂きました。
この二十五年間、微力ではありますが、私を国会に送っていただいた方々の負託に応えるべく、全力で取り組んで参りましたが、併せて、激動の生きた政治を経験し、多くのものを学ばせて頂きました。その貴重な経験は、人間として、政治家として成長する上で、一つとして無駄なものはなかったと振り返っています。この貴重な成長の機会を与えていただいた事に対しても多くの方々に御礼を申し上げる次第です。
そして、多くの方々に感謝を申し上げれば申し上げる程、自分は多くの方々の期待に応えるべく十分努力し尽くしたのだろうかという自問自答に行き当たります。
二十五年表彰という栄誉を頂くに当たり、心からの感謝の気持ちと共に、今一度、多くの方々のおかげで成長させて頂いた成果をしっかりと発揮し、一層、国政のために、粉骨砕身、努力を重ねなければ、という強い思いを感じる次第です。少子高齢化、人口減少、不透明な国際情勢等、多くの課題を抱える我が国の社会を、誇り高く、豊かに、持続可能な形で次世代に引き継ぐため、引き続き努力して参ります。ありがとうございました。
…………………………………
野田 聖子君の挨拶
本日、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜り、万感胸に迫る想いです。これも、日頃より惜しみないご支援をもって国政へ送り続けてくれた地元岐阜の皆さま。折に触れて応援して下さった全国各地の皆さま。私の政治活動を支えてくれた事務所スタッフ。そして、政治家として活動することを心配しながらも、常に隣で叱咤激励し、何事も私以上に喜び悲しんでくれる母の弘子や家族のおかげです。心より感謝申し上げます。
思い返せば、国会議員であった祖父野田卯一の支援者とのご縁から始まった政治家としての道のりは、波乱万丈でした。昭和六十二年、岐阜県議会議員選挙に二十六歳で初当選。その後、平成二年の衆議院議員総選挙での落選を経て、平成五年の総選挙で初当選を果たしました。以来九期連続で当選させていただき、その間、郵政大臣、消費者行政推進担当大臣、自由民主党総務会長、総務大臣など、数多くの役職を拝命させていただきました。また、衆議院議員としては「発達障害者支援法」を始め、複数の議員立法も手掛けてまいりました。その中でも二〇一八年に成立した「政治分野における男女共同参画推進法」には特別な想いがあります。一九四六年、日本に初めて女性国会議員が誕生して以降、国政における女性議員の割合は全く増えませんでした。そのような状況にあって、候補者の男女均等を目指すこの法律は、日本の政治を大きく変えるきっかけになると信じています。そして、起案から携わり提出した本法案を、所管大臣として受け止めることができた瞬間は、とても感慨深いものがありました。
その一方、初めての国政選挙での落選や、自民党から離党勧告を受け、無所属での選挙戦となった郵政選挙。自民党が下野した政権交代選挙での比例復活当選など、様々な困難もございました。しかし、そういった時期があったからこそ、本当に大切な人たちの繋がりができ、そこで培った経験が私を大きく成長させてくれたのだと思います。
私は自分の信念を曲げることができず、人から見れば不器用な生き方しかできません。そのため、支援者の方々には多大なご負担を掛けることもあったと思います。しかし、そんな私を見捨てることなく、精一杯支えてくださった皆さんには本当に感謝してもしきれません。今日という日を一つの区切りとし、座右の銘である「義を見てせざるは勇無きなり」を胸に、今後も自らが信じる道を邁進していく所存です。皆さまには今後もご指導ご鞭撻賜りますようお願い申し上げ、謝辞とさせていただきます。
…………………………………
前原 誠司君の挨拶
本日、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。
平成五年七月の初当選以来、連続九期、二十五年間、衆議院議員を務めることができたのは、旧京都一区、現京都二区の有権者の方々はもとより、多大なご支援、ご協力をいただいた全ての方々のご芳情の賜物と存じます。特にご生前、我が事のように懸命に私の活動をお支えくださった方々、同様に現在、お世話になっております方々、同僚議員・同志、事務所スタッフ、母、妻には感謝の言葉も見つかりません。いかなる時も私を信じ、献身的に、無償の愛情で支えていただきました。「日本一の後援会」を作り上げてくださった全ての皆様に、改めて心から感謝と御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
一貫して政権交代可能な二大政党制を目標に掲げ、「政権交代を実現するためには、野党も外交・安全保障政策で現実的な対応をしなければならない」との強い思いから、民主党の責任者として有事法制・国民保護法制の修正合意・成立に尽力しました。
政権交代後は、国土交通大臣、外務大臣、与党政調会長、国家戦略担当大臣を拝命し、羽田空港の国際化、日本航空の再生、インバウンドを増やすためのビザの緩和やオープンスカイ協定締結そして日の丸LCC(格安航空会社)設立(ピーチアヴィエーション)などを実行。さらに関西空港と伊丹空港の公設民営一体運用化(コンセッション)の実現、港湾の集中と選択そして拠点港指定、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)制度の確立、防衛装備の共同開発・共同生産を行うために武器輸出三原則の見直し、復興予算や「社会保障と税の一体改革」の三党合意取りまとめ、政府と日本銀行の共同文書策定など、様々な仕事をさせていただきました。
ただ、政権交代可能な二大政党制はいまだ視界不良であり、また「経済成長を前提とし、小さな政府で自己責任に軸足を置いた社会モデル」は限界に達しているにもかかわらず、新たな選択肢を明確に示し切れていない現状は、大いに反省しなければなりません。
「All for All」社会を実現する。すなわち、みんなの税でみんなの不安、悩みを解決し、すべての国民が将来に対して希望と生きがいを持てる「中福祉中負担」の社会を実現する。その目標達成に向け、今後も「全ては国家国民のために」使命感を持って政に取り組むことをお誓い申し上げ、御礼と決意の表明とさせていただきます。
…………………………………
玄葉光一郎君の挨拶
本日院議により永年在職表彰を賜りました。
二十五年間国会議員を務めることができたのは、ひとえに地元福島県の皆様、後援会の皆様のご支援のおかげであり、深く感謝を申し上げます。
また妻をはじめ家族、親戚、事務所スタッフには何かと心労をかけてまいりました。この機会に感謝の意を表します。
初当選は平成五年(一九九三年)七月で、最後の中選挙区制度下でありました。選挙制度を含む政治改革が争点でした。
当時は自民党の県議会議員でしたが、無所属での出馬を選択しました。半年後には小選挙区比例代表並立制度が導入されることとなりました。
以来、制度の狙いでもあった政権交代のある政治の実現は、福島県の発展、地方分権改革、日本の外交力強化と並んで私の国会活動のテーマになりました。
平成二十一年(二〇〇九年)、本格的政権交代が実現しました。この民主党政権時において、私は二年半にわたり閣僚を務めさせて頂きました。
二十五年間で最も衝撃的な出来事は、平成二十三年(二〇一一年)三月十一日におきた東日本大震災です。福島県の被災は地震・津波に原発事故が重なり、未曾有かつ壮絶でありました。私は地元選出の唯一の閣僚として、最後の砦たらんと決死の覚悟で、この不条理ともいうべき事態と向き合いました。
七年を経た現在、根強い風評被害や医師不足などを抱えながらも、福島県の大半の地域には震災前の日常がほぼ戻ってきました。しかし、双葉地方や飯舘村、南相馬市小高地区など福島第一原発周辺の復興は緒についたばかりです。事故原発の廃炉も順調とはいえません。
日本全体に目を転じると、人口減少問題や地方の衰退などに非常に強い危機感を感じます。
これからの日本は量より質の時代です。ひとりあたりの稼ぎ(GDP)はもちろん、心や制度も含めたクオリティー、生活の質や豊かさの総合力で世界をリードし、法の支配・民主主義・人間の尊厳・平和の実現などで国際社会の大枝となっていくべきです。
二十五年はひとつの区切りではありますが、通過点でもあります。この難局に当たり、今後さらなる勇気を振り絞り、福島県の復興・発展そして次世代へ質の高い豊かさを引き継げるよう全力を尽くしてまいります。
…………………………………
茂木 敏充君の挨拶
本日、院議を持って永年在職表彰の栄誉を賜りましたことに対し、厚く御礼申し上げます。
これまでご指導頂きました諸先輩方、そして今日までお支え頂いた地元栃木の皆様、全国の支援者、家族や事務所スタッフをはじめとする全ての皆様に心より感謝申し上げます。
平成五年七月に初当選以来、地域の発展、日本の将来を真剣に考え全力で走り続けて参りました。そして地元の皆様のお支えで九期連続当選をさせて頂き、この在職二十五周年を迎えることとなりました。
初めて政府の役職に就任した通産政務次官では「二〇〇〇年問題」に直面。二〇〇三年、外務副大臣時代にはイラク戦争直前、総理特使として現地に赴き、また、イラク戦争後も政情不安が続くバクダットを世界の要人として最初に訪問しました。
これまで、四度の入閣(沖縄・北方、科学技術、IT担当、金融・行政改革、経済産業大臣、経済再生・人づくり革命)を経験させて頂きました。四十七歳で初入閣した、沖縄・北方、科学技術、IT担当大臣。まさに「IT革命」が始まった時でもありました。リーマンショックに直面した金融大臣。自民党が政権復帰直後に就任し、日本経済の再生やエネルギー問題等に関わった経済産業大臣。それぞれ全力で取り組み、深く記憶に刻まれています。良い仲間、スタッフにも恵まれました。
自民党では広報本部長、幹事長代理、政務調査会長、選挙対策委員長など、党務全般に携わって参りました。
野党時代と与党復帰後に二度務めた政務調査会長では、党の政策責任者として大胆かつ実行可能な政策を立案してきました。選挙対策委員長としては、衆院選・参院選・統一地方選の三大選の陣頭指揮にあたり、多くの仲間の当選に奔走しました。選挙を通じて四十七都道府県の同志と絆を深めた時でもありました。
また、年金問題のさなか務めた衆議院厚生労働委員長。現在も務める自民党栃木県連の会長。全て私の政治人生においてかけがえのないものとなっています。
私は現在、経済再生、人づくり革命担当大臣として、日々職務にあたっております。
最優先課題である「日本経済の再生」をより確かなものとする。また、日本が直面する少子高齢化という大きな壁を克服し、誰もが活躍出来る「人生百年時代」を築いていく。
本日頂いた栄誉を胸に、これからさらに国家国民の為、使命感を持ち、邁進することをお誓いさせていただきます。
————◇—————
日程第一 文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)
この発言だけを見る →おめでとうございました。
—————————————
穀田 恵二君の挨拶
このたび院議をもって、永年在職議員の表彰を受けました。望外の喜びであり感謝の念に堪えません。一九九三年、京都一区での初当選以来、四半世紀にわたり、私を国会に押し上げていただいた京都と近畿ブロックの支持者の皆さんに心からお礼を申し上げます。
私の政治活動の出発点は、反戦平和の思いです。母校の立命館大学には、侵略戦争に学徒が動員された過ちを反省し、二度と若者が銃をとらないとの決意を表した、反戦平和の象徴・わだつみ像が建立されています。
私はこの決意を自らのものとして、戦前の暗黒時代に、侵略戦争に反対し平和と民主主義の実現を主張してきた日本共産党に入党しました。
日本国憲法は、「政府の行為によって再び戦争の惨禍が起こることがないやうに決意し」、国民主権、恒久平和、基本的人権の原則をうちたてました。
私は、この原則を政治に生かすべく、「わだつみの悲劇を繰り返すまい」「憲法を政治に生かそう」を政治信条として貫いてきました。
九五年、阪神淡路大震災が発生しました。発災直後から被災地を訪れ、被災者支援と復興は「人間の復興」を理念とすべきこと、政治の要諦は「国民の安全」と痛感しました。被災者の生活再建に対する公的支援の実現を求め続け、被災者・市民の皆さんと共同を広げ「被災者生活再建支援制度」の創設に努力してきました。
私は、二十一年間日本共産党の国会対策委員長を務めてきました。議会とは、議会制民主主義とは何でしょうか。国会の最大の任務は、政府の暴走をストップし、行政府に対するチェック機能を果たすことです。その点では、憲法の平和主義を根本から破壊する安保法制、さらには、公文書の改ざん・ねつ造・隠ぺいという、国会を愚弄し議会制民主主義を根底から覆す事態に対して議会の存在が問われているといわねばなりません。
国政は国民の厳粛な信託にもとづくものでありながら、国民の声を無視する強権政治が横行しています。その背景には選挙制度があります。小選挙区制を廃止し、多様な民意を正確に反映する選挙制度への改革を訴えるものです。
いま「戦争する国づくり」が進められ、憲法九条を変えようとする動きが強まっています。
国民は、この策動を断じて許さないでありましょう。暴走政治と対峙し、立憲主義回復・安保法制反対の国民的運動の中で培われた「野党は共闘」の声が、「市民と野党の共闘」として発展しつつあります。
私は、国会議員としての今後の活動の中で、憲法を生かす新しい政治の流れを実現するために全力を尽くす決意を改めて表明して謝辞といたします。
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山本 公一君の挨拶
この度、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたこと、誠に身に余る光栄で心より感謝申し上げます。
私を国政へと送り出し、その後も支え続けて頂いたふるさと愛媛の皆様、厳しくも適切なご指導・ご助言いただきました先輩議員や同僚議員の皆様、故今井勇先生やその後援会の皆様、そして私の後援会・友人・事務所スタッフ、親族関係者に厚く感謝申し上げます。
私の初出馬は平成五年の第四十回総選挙でしたが、当初私は県議会議員として候補者を選定する立場におりました。候補者が決まらない中、私に出馬の要請があり、悩んだ末、父友一に相談したところ、国会議員・市長等の経験ある父は「悪いことは言わん、国会議員だけはやめておけ」と。それは家族を犠牲に、あるいは路頭に迷わせるかもしれないそんな厳しい世界だという思いであったのだろうと思います。しかし最後には「お前でないとだめだと、皆がどうしてもと推挙してくれるなら議員冥利に尽きるではないか」と背中を押してくれ、地方と都会の格差を是正し地方の成長・発展のために微力ながらもふるさとに貢献をしたいと出馬を決断したのです。
選挙後、八党派による細川連立政権が樹立され、五五年体制が終焉、私の国会議員活動は野党からのスタートとなりました。その後政治改革の議論が再び起こり、翌平成六年には政治改革四法案が成立し、中選挙区制から小選挙区比例代表並立制へと選挙制度が変更となったのです。党内での選挙区調整が困難を極める中、同じ選挙区地盤を抱える西田司先生から、「私が比例にまわるから、若い山本君、君が小選挙区で出てくれ、若い者がやらんといけん」と有難い言葉を頂いたのです。その後小選挙区で八回の国民の審判を受けますが、「ふるさとが私の原点」という気持ちを忘れることなく今日まで有権者の声に耳を傾け、国政へ反映すべく取り組んでまいりました。
平成九年の第二次橋本改造内閣で環境政務次官として初の内閣の一員となった際には、我が政治の師であった加藤紘一先生から「環境は票にはならん。だけんど環境は田舎者(大企業のない地方出身)の君にしか大事を成すことはできんのだ、しっかりやれ」と激励を受けます。そして同年の気候変動枠組条約第三回締約国会議(COP3)に出席し、先進国の温室効果ガス排出削減の数値目標を規定する「京都議定書採択」に携わることになりますが、今思えばここが環境をライフワークとする大きな分岐点であったのだろうと思います。
その後、内閣委員長、総務副大臣、沖縄北方特別委員長、国家基本政策委員長、倫理・選挙特別委員長などを務めさせて頂き、平成二十八年八月第三次安倍第二次改造内閣において環境大臣兼内閣府特命担当大臣(原子力防災)を拝命致しました。気候変動対策と経済成長の両立やパリ協定の着実な実施、東日本大震災からの復興・創生、国立公園満喫プロジェクト、資源やごみ問題、環境教育、大気環境、原子力防災対策など対立も辞さず信念をもって臨んできたつもりです。
現在、日本は最大の社会的課題で懸念される人口減少社会を迎えるとともに社会保障や資源・エネルギー問題、多発化する自然災害、憲法改正・安全保障などをはじめ様々な課題を抱えております。国民の代表として議席を与えてくださった皆様の思いに応えるためにも、真摯にそして力の限り国内外の諸課題に取り組むとともに、引き続き日本に活力と潤いを与える政治を心がけていく所存です。
終わりに、政治家の妻として五人の子供の母として陰に陽に私を支えてくれた妻照子と家族に心からの感謝の念を表し、御礼のご挨拶とさせていただきます。
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鴨下 一郎君の挨拶
本日、茲に院議をもちまして永年在職議員の表彰の栄誉を賜り、感無量であり身に余る光栄であります。
平成五年七月の総選挙にて初当選以来、連続九期当選を果たし、在職二十五年を迎えることとなりました。
四半世紀に渡り国政の舞台に立つことが出来ましたのは、私をお育て支えていただいた地元足立区の皆様方、ご支援ご協力を賜りました友人各位のおかげと心より厚く御礼申し上げます。
初当選以来、ご指導いただきました多くの諸先輩、同僚議員には感謝の念に堪えません。
加えまして、私を温かく見守る母、妻、並びに家族にも感謝の思いを伝えたいと思います。
私は、東京都足立区で父多吉・母光江の長男として生を受けました。幼少時から、父の結核と闘病する姿を見て来て、医師になる決断をしました。その後、心療内科を専門とし治療にあたる中で、現代の心の病を治すには、まず社会病理を直す必要性があると考え、政治を志しました。
政治家として厚生労働副大臣を経て安倍改造内閣で環境大臣を拝命、続く福田内閣では、G8北海道洞爺湖サミットのメインテーマであった地球温暖化対策の国際交渉を環境大臣として務めました。
自由民主党が下野した三年三カ月間に於いては、東日本大震災での自然の驚異に、国家として政治の役割の重責さを実感いたしました。復興に際しては自民党「福島再興に関する委員長」として政府に対し、一刻も早く除染を進めるようその法案作成に寄与いたしました。
また、「社会保障と税の一体改革」では野党側の実務者として民主、自民、公明の三党合意をまとめることが出来たのは、社会保障は与野党の争点にしてはいけないと万感の思いの下であり、急激な少子高齢化社会に対応し、持続可能な制度とするため一体改革を合意をし、政治の大切さ・力強さを感じた一時でありました。
与党復帰後、国会対策委員長・消費者問題に関する特別委員長などを歴任し、微力を尽くしております。
政治に、心療内科の専門性を活かし、働き方や一人一人のいきがいという観点から、年金・医療などの社会保障関係、都市の住環境や水・大気、生物多様性などの環境分野についても、院内外等含め意見を述べる機会をいただいております。しかしライフワークとしては、いまだ道半ばでございます。
結びに、本日の永年表彰の意味を改めて道標とし、初心を忘れず政治舞台で努力し、次世代の国民に日本に生れ育つことを誇れるよう、職責を果たして参ることをお誓いいたし、更なる諸先輩、同僚各位のご教導をお願い申し上げ、御礼のご挨拶といたします。
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塩崎 恭久君の挨拶
本日、院議を持って永年在職表彰の栄に浴しますことは光栄至極であり、地元愛媛、松山の皆様、多くの先輩、同僚、友人、後輩など、ここまで私をお育て頂いた全ての皆様に感謝申し上げます。また、大学教育の責任を負いながら、今日まで私の最大の支えになって来てくれた妻千枝子をはじめとした家族、親族、事務所スタッフにも感謝の意を表したいと思います。
初当選の翌年、小選挙区制度が導入され、四小選挙区に対し現職が七人だった愛媛県では、公認を巡り議論が難航、結果、私が平成七年に参議院に転出致しました。平成十二年、再び衆議院に復帰、今日を迎えました。衆議院、参議院、そして再び衆議院と、途切れることなく院を移動したのは、憲政史上私が唯一の例と聞いています。
この間大蔵政務次官、衆議院法務委員長、外務副大臣、内閣官房長官、自民党政調会長代理、厚生労働大臣などの職を経ながら全力投球して参りました。
折しもバブル崩壊後の「失われた十年」は二十年以上に及び、「閉塞感」はアベノミクスの奏功まで蔓延し続けました。私たち立法府に属する者に課せられた使命の本質は、グローバル時代の日本にとって最早旧来型の行政主導の国家運営では、発想の転換を伴う問題の根本解決は難しく、政治主導の国家運営を如何に実現するかでした。私にとってこの二十五年間は、いわば新しい時代に相応しい三権分立の再構築への海図なき航海であったと思います。
新しい時代に相応しい行政を目指した橋本行革において、たじろぐ当局を説得して金融ビッグバンを決断。また不良債権問題による金融危機時には、与野党を超えた政治主導により危機管理法制を議員立法で導入、政策新人類との呼称も頂きました。またバブルの責任論から始まった大蔵省改革の際には、日銀法改正、金融監督機能の分離独立という歴史に残る大きな改革に寄与しました。
増えゆく児童虐待に対しては、厚労大臣任期中、事務方の消極姿勢を排しながら児童福祉法を約七十年ぶりに二年連続、全会一致にて抜本改正し、児童の権利、家庭養育優先原則などを明定しました。
東日本大震災後には、野党でありながら、わが国で初めて立法府に独立した国会事故調査委員会を設置し、原発事故の原因究明を行う議員立法や、独立し、専門性も高い原子力規制委員会を創設する議員立法を成立させたことも新しい立法府の役割を示すこととなりました。
世界は、日本が如何にして超高齢化など深刻な人口問題を克服し、一人ひとりが納得する人生を歩めるようにするかに注目しています。経済や暮らしが発展する中、健康寿命を延伸し、かつ国民負担も納得いく範囲に止める、という命題に答えを出すには、ITやAIなど科学技術の粋をフル活用するとともに、社会システム全体も改革する、という大きな課題に取り組まねばなりません。
引き続き多くの皆様のご指導を頂き、国民の幸せ実現に向け、全力で精進をして参る事をお誓い申し上げ、感謝の言葉と致します。
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志位 和夫君の挨拶
このたび、永年在職の表彰を受けたことに対して、心からの謝意を表します。私を、四半世紀にわたって国会に送り出していただいた、旧千葉一区、比例代表南関東ブロックの有権者・支持者のみなさんに、あつくお礼を申し上げます。
私の初当選は、一九九三年七月の総選挙でした。この選挙では、「自民か、非自民か」にもっぱら焦点があてられ、「共産党は選択肢の外」とされて、たいへんに苦しいたたかいを強いられました。国際的には、旧ソ連・東欧の崩壊という事態を受け、「共産党は時代遅れ」といった議論が広くとなえられ、わが党にとって逆風となりました。初挑戦で、私は、二重の逆風に遭遇しましたが、地元・千葉県のみなさんの懸命のご支援により初議席を得ることができたことは大きな喜びであり、この勝利があったからこそその後の国会活動が可能になったと、深い感謝の気持ちをもって当時を思い起こしています。
それから四半世紀をへた今日、私たちをとりまく情勢には、大きな前向きの変動がおこっていることを実感しています。
国際的には、昨年七月七日、国連で、人類史で初めての核兵器禁止条約が採択されたことが象徴するように、一握りの大国中心の世界秩序は過去のものとなり、逆行や複雑さをはらみながらも、すべての国ぐにが対等・平等の権利をもって国際政治の主人公となる新しい世界が姿をあらわしつつあります。私自身、国連会議に参加し、核兵器禁止条約採択にむけた活動を行いましたが、広島・長崎の被爆者を先頭とする世界の反核平和の運動、それと連帯した日本共産党の立場が、二十一世紀の世界の本流となっていることに、大きな確信と希望をみいだすことができました。
国内の情勢では、とくに、二〇一四年から一五年の安保法制・戦争法反対の論戦と運動のなかで、市民と野党の共闘によって日本の政治を変えるという、新しい画期的な流れがつくられています。共闘の発展とともに、長い間、日本の政界を覆ってきた「共産党をのぞく」という壁がとりのぞかれ、日本共産党も参加しての共闘が、さまざまな形で当たり前のようにとりくまれてきています。
市民と野党の共闘にこそ、未来がある。これが私たちの確信です。いったん踏み出した「共闘によって政治を変える」という道を、多くの方々と手を携えて、とことん追求していく決意を申し述べて、永年在職の表彰をうけての謝辞といたします。
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安倍 晋三君の挨拶
この度、院議をもって在職二十五周年の表彰を賜りましたこと、心より厚く御礼申し上げます。
幼い頃から政治は私の身近なところにありました。自分には政治家としての能力があるのか。疑問を持ちながらも、政治への思いを募らせる中、「今度はお前が頑張れ。何とかなるはずだよ」。病床にあった父のこの言葉を聞いたとき、私の志が固まった瞬間でありました。
国政に初めて出馬した日、傘もささず、全身ずぶ濡れの私に、地元の皆様から温かい言葉をかけていただいたことを思い出します。あの恵みの雨から、私は国政に送り出されました。
その選挙では、政治改革の方向性を巡る混乱から、三十八年間、政権を担ってきた自民党が初めて下野しました。政権復帰までの一年間を通じ、政権の地位にあること自体を目的としてはならない。確たる信念に裏打ちされた政策を実行する決意を新たにいたしました。
次の時代を担う子どもたちが、「この国に生まれて良かった」と思えるような国を作ることが、私たち、政治家としての責務です。誰もが夢に向かって頑張ることができる、何度でもチャンスにあふれる社会。
そして額に汗して頑張った人が報われる、まっとうな社会、今日よりも明日はきっと良くなると信じることができる社会をつくる。その上で、世界に開かれ、世界の真ん中で輝く国をつくる。この二十五年間、粉骨砕身、取り組んでまいりました。
私が二度目の内閣総理大臣を拝命した時、日本経済はデフレ不況に沈んでいました。「人口が減少していくからもう成長なんてできない」こうした諦めが蔓延していました。最大の問題は、この諦めでした。しかし、今や、力強い経済成長が実現し、日本経済は、デフレ脱却への道筋を確実に進んでいます。日本は、やればできる。
吉田松陰先生が好み、祖父の座右の銘であった「自ら反みて縮んば、千万人といえども吾ゆかん」。まさに、批判を伴う政策も、確たる信念を持ち、たじろがず、進めてまいりました。平和安全法制がなければ、現下の緊迫する北朝鮮情勢にしっかりと対応することはできなかったと思います。
今、改めて振り返ってみると、これまで、多くの方々に支えられてきました。困難な時でも、傍にあってくれた郷里の皆様、後援会の皆様、先輩・同僚、友人、そして、妻、母、家族がいました。本当に、ありがとうございます。深く、感謝を申し上げます。
「初心忘るべからず」。私の好きな言葉です。全ては国家・国民のため。政治家を志した時の初心を忘れることなく、年齢を重ねて、その時の自分が進歩しているのかということを常に省みながら、全身全霊、今後とも一層、力を尽くしてまいります。
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浜田 靖一君の挨拶
本日、衆議院本会議において在職二十五周年の表彰を賜りましたことは、身に余る光栄であります。これも平成五年の初当選以来、変わらぬご支援を私に対してお与えくださった地元の皆様のおかげであります。その友情と愛情に対して、あらためて心底から感謝申し上げます。
私は「政界の暴れん坊」と世間で評された故浜田幸一の長男として生まれ育つ中で、自然に政治に対して興味を持ち、政治に志を抱きました。政治家になる前も政治家になった後も数えきれないほど多くの先輩、同僚、友人からご教導いただいたわけですが、その中でも大学卒業後、秘書として仕えさせていただいた故渡辺美智雄先生の教えほど大きなものはありませんでした。先生の座右の銘であった「同心成就」という言葉は、立場や利害が違っていても、事に当たり、同じ志の人間が集えば、必ず事を成就できるという教えであり、この言葉こそ、私が政治活動を続ける中で、指針となった教えでした。そのような教えのもと、私の目指したのは「一隅を照らす」ことのできる政治家であり、それゆえに私の取り組んだのは、例えば私が当選した当時は未だ建設的な議論が難しかった安全保障の分野であり、また取り組む議員がほとんどいなかった捕鯨問題でした。後者は我が国と他国の利害、主張が鋭く対立する問題であり、国際会議に何度も出席する中で国際政治の実際を学ぶことができました。
安全保障分野においては、平成二十年、麻生内閣において防衛大臣を拝命致しました。二十一年には北朝鮮が人工衛星実験と称するミサイル実験を行ったことに対して初の破壊措置命令を防衛大臣として発する事態となりましたように、私の議員生活はほとんど冷戦終結後の東アジアにおける軍事バランスの急変及び国際情勢の構造変化の時代と重なっております。今後も我が国を取り巻く環境の変化の中で、国家と国民を防衛できる安全保障政策の構築を、国民の理解を得ながら推進していく一翼を担えるよう精励していく覚悟です。
思えば、自民党が野党時代の国会対策委員長、平和安全法制で大荒れになった安全保障委員会委員長、予算委員長等、人一倍汗をかく仕事に起用いただいたことは政治家としてまことに欣快とするところです。
最後に、国家の繁栄と国民の幸福を追求するために一人の議会人としてたゆまぬ努力を続けていくことをお誓いして、謝辞と致します。
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岸田 文雄君の挨拶
本日は、院議をもって、永年在職表彰の栄誉を賜りました事に対し、厚く御礼申し上げます。既にお亡くなりになられた先輩方も含め、今日までご支援をいただきました全ての皆様に心から感謝申し上げます。併せて、今日があるのは、事務所スタッフ、家族など身近で私を支えてくれた人々の存在のおかげでもあることを忘れてはなりません。ありがとうございました。
私が初当選したのは、政界において、政治改革、新党ブームの嵐が吹き荒れた平成五年の第四十回衆議院選挙でありました。選挙の結果、宮沢政権が退陣し、細川政権がスタートすることにより、政治は単独政権時代から連立政権時代へと移り変わりました。その後も私は一貫して自由民主党の議員として活動してきましたが、その間、二度の野党を経験し、また、いわゆる「加藤の乱」といった大きな政局もいくつか経験しました。それによって、政権交代の意味、野党の役割といったものを学ばせて頂きました。
また、与党時代には、内閣府特命担当大臣、外務大臣、防衛大臣等を経験しました。こうした経験によって、政治の安定が、外交や経済の安定にいかに重要であるか等を学ばせて頂きました。
この二十五年間、微力ではありますが、私を国会に送っていただいた方々の負託に応えるべく、全力で取り組んで参りましたが、併せて、激動の生きた政治を経験し、多くのものを学ばせて頂きました。その貴重な経験は、人間として、政治家として成長する上で、一つとして無駄なものはなかったと振り返っています。この貴重な成長の機会を与えていただいた事に対しても多くの方々に御礼を申し上げる次第です。
そして、多くの方々に感謝を申し上げれば申し上げる程、自分は多くの方々の期待に応えるべく十分努力し尽くしたのだろうかという自問自答に行き当たります。
二十五年表彰という栄誉を頂くに当たり、心からの感謝の気持ちと共に、今一度、多くの方々のおかげで成長させて頂いた成果をしっかりと発揮し、一層、国政のために、粉骨砕身、努力を重ねなければ、という強い思いを感じる次第です。少子高齢化、人口減少、不透明な国際情勢等、多くの課題を抱える我が国の社会を、誇り高く、豊かに、持続可能な形で次世代に引き継ぐため、引き続き努力して参ります。ありがとうございました。
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野田 聖子君の挨拶
本日、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜り、万感胸に迫る想いです。これも、日頃より惜しみないご支援をもって国政へ送り続けてくれた地元岐阜の皆さま。折に触れて応援して下さった全国各地の皆さま。私の政治活動を支えてくれた事務所スタッフ。そして、政治家として活動することを心配しながらも、常に隣で叱咤激励し、何事も私以上に喜び悲しんでくれる母の弘子や家族のおかげです。心より感謝申し上げます。
思い返せば、国会議員であった祖父野田卯一の支援者とのご縁から始まった政治家としての道のりは、波乱万丈でした。昭和六十二年、岐阜県議会議員選挙に二十六歳で初当選。その後、平成二年の衆議院議員総選挙での落選を経て、平成五年の総選挙で初当選を果たしました。以来九期連続で当選させていただき、その間、郵政大臣、消費者行政推進担当大臣、自由民主党総務会長、総務大臣など、数多くの役職を拝命させていただきました。また、衆議院議員としては「発達障害者支援法」を始め、複数の議員立法も手掛けてまいりました。その中でも二〇一八年に成立した「政治分野における男女共同参画推進法」には特別な想いがあります。一九四六年、日本に初めて女性国会議員が誕生して以降、国政における女性議員の割合は全く増えませんでした。そのような状況にあって、候補者の男女均等を目指すこの法律は、日本の政治を大きく変えるきっかけになると信じています。そして、起案から携わり提出した本法案を、所管大臣として受け止めることができた瞬間は、とても感慨深いものがありました。
その一方、初めての国政選挙での落選や、自民党から離党勧告を受け、無所属での選挙戦となった郵政選挙。自民党が下野した政権交代選挙での比例復活当選など、様々な困難もございました。しかし、そういった時期があったからこそ、本当に大切な人たちの繋がりができ、そこで培った経験が私を大きく成長させてくれたのだと思います。
私は自分の信念を曲げることができず、人から見れば不器用な生き方しかできません。そのため、支援者の方々には多大なご負担を掛けることもあったと思います。しかし、そんな私を見捨てることなく、精一杯支えてくださった皆さんには本当に感謝してもしきれません。今日という日を一つの区切りとし、座右の銘である「義を見てせざるは勇無きなり」を胸に、今後も自らが信じる道を邁進していく所存です。皆さまには今後もご指導ご鞭撻賜りますようお願い申し上げ、謝辞とさせていただきます。
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前原 誠司君の挨拶
本日、院議をもって永年在職議員表彰の栄誉を賜りましたこと、心より感謝申し上げます。
平成五年七月の初当選以来、連続九期、二十五年間、衆議院議員を務めることができたのは、旧京都一区、現京都二区の有権者の方々はもとより、多大なご支援、ご協力をいただいた全ての方々のご芳情の賜物と存じます。特にご生前、我が事のように懸命に私の活動をお支えくださった方々、同様に現在、お世話になっております方々、同僚議員・同志、事務所スタッフ、母、妻には感謝の言葉も見つかりません。いかなる時も私を信じ、献身的に、無償の愛情で支えていただきました。「日本一の後援会」を作り上げてくださった全ての皆様に、改めて心から感謝と御礼を申し上げます。誠にありがとうございました。
一貫して政権交代可能な二大政党制を目標に掲げ、「政権交代を実現するためには、野党も外交・安全保障政策で現実的な対応をしなければならない」との強い思いから、民主党の責任者として有事法制・国民保護法制の修正合意・成立に尽力しました。
政権交代後は、国土交通大臣、外務大臣、与党政調会長、国家戦略担当大臣を拝命し、羽田空港の国際化、日本航空の再生、インバウンドを増やすためのビザの緩和やオープンスカイ協定締結そして日の丸LCC(格安航空会社)設立(ピーチアヴィエーション)などを実行。さらに関西空港と伊丹空港の公設民営一体運用化(コンセッション)の実現、港湾の集中と選択そして拠点港指定、サービス付き高齢者向け住宅(サ高住)制度の確立、防衛装備の共同開発・共同生産を行うために武器輸出三原則の見直し、復興予算や「社会保障と税の一体改革」の三党合意取りまとめ、政府と日本銀行の共同文書策定など、様々な仕事をさせていただきました。
ただ、政権交代可能な二大政党制はいまだ視界不良であり、また「経済成長を前提とし、小さな政府で自己責任に軸足を置いた社会モデル」は限界に達しているにもかかわらず、新たな選択肢を明確に示し切れていない現状は、大いに反省しなければなりません。
「All for All」社会を実現する。すなわち、みんなの税でみんなの不安、悩みを解決し、すべての国民が将来に対して希望と生きがいを持てる「中福祉中負担」の社会を実現する。その目標達成に向け、今後も「全ては国家国民のために」使命感を持って政に取り組むことをお誓い申し上げ、御礼と決意の表明とさせていただきます。
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玄葉光一郎君の挨拶
本日院議により永年在職表彰を賜りました。
二十五年間国会議員を務めることができたのは、ひとえに地元福島県の皆様、後援会の皆様のご支援のおかげであり、深く感謝を申し上げます。
また妻をはじめ家族、親戚、事務所スタッフには何かと心労をかけてまいりました。この機会に感謝の意を表します。
初当選は平成五年(一九九三年)七月で、最後の中選挙区制度下でありました。選挙制度を含む政治改革が争点でした。
当時は自民党の県議会議員でしたが、無所属での出馬を選択しました。半年後には小選挙区比例代表並立制度が導入されることとなりました。
以来、制度の狙いでもあった政権交代のある政治の実現は、福島県の発展、地方分権改革、日本の外交力強化と並んで私の国会活動のテーマになりました。
平成二十一年(二〇〇九年)、本格的政権交代が実現しました。この民主党政権時において、私は二年半にわたり閣僚を務めさせて頂きました。
二十五年間で最も衝撃的な出来事は、平成二十三年(二〇一一年)三月十一日におきた東日本大震災です。福島県の被災は地震・津波に原発事故が重なり、未曾有かつ壮絶でありました。私は地元選出の唯一の閣僚として、最後の砦たらんと決死の覚悟で、この不条理ともいうべき事態と向き合いました。
七年を経た現在、根強い風評被害や医師不足などを抱えながらも、福島県の大半の地域には震災前の日常がほぼ戻ってきました。しかし、双葉地方や飯舘村、南相馬市小高地区など福島第一原発周辺の復興は緒についたばかりです。事故原発の廃炉も順調とはいえません。
日本全体に目を転じると、人口減少問題や地方の衰退などに非常に強い危機感を感じます。
これからの日本は量より質の時代です。ひとりあたりの稼ぎ(GDP)はもちろん、心や制度も含めたクオリティー、生活の質や豊かさの総合力で世界をリードし、法の支配・民主主義・人間の尊厳・平和の実現などで国際社会の大枝となっていくべきです。
二十五年はひとつの区切りではありますが、通過点でもあります。この難局に当たり、今後さらなる勇気を振り絞り、福島県の復興・発展そして次世代へ質の高い豊かさを引き継げるよう全力を尽くしてまいります。
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茂木 敏充君の挨拶
本日、院議を持って永年在職表彰の栄誉を賜りましたことに対し、厚く御礼申し上げます。
これまでご指導頂きました諸先輩方、そして今日までお支え頂いた地元栃木の皆様、全国の支援者、家族や事務所スタッフをはじめとする全ての皆様に心より感謝申し上げます。
平成五年七月に初当選以来、地域の発展、日本の将来を真剣に考え全力で走り続けて参りました。そして地元の皆様のお支えで九期連続当選をさせて頂き、この在職二十五周年を迎えることとなりました。
初めて政府の役職に就任した通産政務次官では「二〇〇〇年問題」に直面。二〇〇三年、外務副大臣時代にはイラク戦争直前、総理特使として現地に赴き、また、イラク戦争後も政情不安が続くバクダットを世界の要人として最初に訪問しました。
これまで、四度の入閣(沖縄・北方、科学技術、IT担当、金融・行政改革、経済産業大臣、経済再生・人づくり革命)を経験させて頂きました。四十七歳で初入閣した、沖縄・北方、科学技術、IT担当大臣。まさに「IT革命」が始まった時でもありました。リーマンショックに直面した金融大臣。自民党が政権復帰直後に就任し、日本経済の再生やエネルギー問題等に関わった経済産業大臣。それぞれ全力で取り組み、深く記憶に刻まれています。良い仲間、スタッフにも恵まれました。
自民党では広報本部長、幹事長代理、政務調査会長、選挙対策委員長など、党務全般に携わって参りました。
野党時代と与党復帰後に二度務めた政務調査会長では、党の政策責任者として大胆かつ実行可能な政策を立案してきました。選挙対策委員長としては、衆院選・参院選・統一地方選の三大選の陣頭指揮にあたり、多くの仲間の当選に奔走しました。選挙を通じて四十七都道府県の同志と絆を深めた時でもありました。
また、年金問題のさなか務めた衆議院厚生労働委員長。現在も務める自民党栃木県連の会長。全て私の政治人生においてかけがえのないものとなっています。
私は現在、経済再生、人づくり革命担当大臣として、日々職務にあたっております。
最優先課題である「日本経済の再生」をより確かなものとする。また、日本が直面する少子高齢化という大きな壁を克服し、誰もが活躍出来る「人生百年時代」を築いていく。
本日頂いた栄誉を胸に、これからさらに国家国民の為、使命感を持ち、邁進することをお誓いさせていただきます。
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日程第一 文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案(内閣提出)
大
大島理森#28
○議長(大島理森君) 日程第一、文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
委員長の報告を求めます。文部科学委員長冨岡勉君。
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文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び同報告書
〔本号末尾に掲載〕
—————————————
〔冨岡勉君登壇〕
この発言だけを見る →委員長の報告を求めます。文部科学委員長冨岡勉君。
—————————————
文化財保護法及び地方教育行政の組織及び運営に関する法律の一部を改正する法律案及び同報告書
〔本号末尾に掲載〕
—————————————
〔冨岡勉君登壇〕
冨
冨岡勉#29
○冨岡勉君 ただいま議題となりました法律案につきまして、文部科学委員会における審査の経過及び結果を御報告申し上げます。
本案は、過疎化、少子高齢化等を背景に、文化財の滅失や散逸等の防止が緊急の課題であり、地域社会総がかりで、文化財の継承に取り組んでいくこと等が必要であることを踏まえ、地域における文化財の計画的な保存、活用の促進や、地方における文化財保護行政の推進力の強化を図ろうとするものであり、その主な内容は、
第一に、都道府県においては、文化財の保存と活用に関する総合的な施策の大綱を策定できることとするとともに、市町村においては、都道府県の大綱を勘案し、文化財の保存と活用に関する総合的な計画を作成し、文化庁長官の認定を受けることにより、文化財の登録の提案を行うこと等ができるようにすること、
第二に、個々の文化財の確実な継承に向けて、重要文化財等の所有者等が、保存活用計画を作成し、文化庁長官の認定を受けた場合、現状変更等に係る手続を弾力化すること、
第三に、地方公共団体における文化財保護の事務の所管について、条例の定めるところにより、教育委員会から地方公共団体の長に移すことができるようにすること
などであります。
本案は、去る五月十日本委員会に付託され、翌十一日林文部科学大臣から提案理由の説明を聴取いたしました。十六日に質疑に入り、同日質疑を終局した後、十八日に討論、採決を行った結果、本案は賛成多数をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。
なお、本案に対し附帯決議が付されたことを申し添えます。
以上、御報告申し上げます。拍手
—————————————
この発言だけを見る →本案は、過疎化、少子高齢化等を背景に、文化財の滅失や散逸等の防止が緊急の課題であり、地域社会総がかりで、文化財の継承に取り組んでいくこと等が必要であることを踏まえ、地域における文化財の計画的な保存、活用の促進や、地方における文化財保護行政の推進力の強化を図ろうとするものであり、その主な内容は、
第一に、都道府県においては、文化財の保存と活用に関する総合的な施策の大綱を策定できることとするとともに、市町村においては、都道府県の大綱を勘案し、文化財の保存と活用に関する総合的な計画を作成し、文化庁長官の認定を受けることにより、文化財の登録の提案を行うこと等ができるようにすること、
第二に、個々の文化財の確実な継承に向けて、重要文化財等の所有者等が、保存活用計画を作成し、文化庁長官の認定を受けた場合、現状変更等に係る手続を弾力化すること、
第三に、地方公共団体における文化財保護の事務の所管について、条例の定めるところにより、教育委員会から地方公共団体の長に移すことができるようにすること
などであります。
本案は、去る五月十日本委員会に付託され、翌十一日林文部科学大臣から提案理由の説明を聴取いたしました。十六日に質疑に入り、同日質疑を終局した後、十八日に討論、採決を行った結果、本案は賛成多数をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。
なお、本案に対し附帯決議が付されたことを申し添えます。
以上、御報告申し上げます。拍手
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