横路節雄 に関する国会発言

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1988-03-01 川崎寛治 予算委員会 衆議院

○川崎(寛)委員 それじゃその点は姿勢を改めなさい、こういうことで要求をしておきます。  事前協議の問題についてお尋ねをいたしますけれども、この間、上田質問に対して総理から見解がございました。  そこで私お尋ねしますが、当時の大平外務大臣と当時の中川条約局長が三十九年の二月十八日、これは横路質問でございますが、今の北海道の横路知事のお父さんの横路節雄さんが質問をしたことに対しまして、大平外務大臣と中川条約局長が答えているのですぬ。横

1987-08-27 広瀬秀吉 内閣委員会 衆議院

○広瀬委員 日米安保条約の範囲というのか、有効に機能する範囲というのは、随分これはこの協定ができるころ、あるいはまた六〇年安保のころも議論されたはずであります。極東の範囲世どうなんだということで、十八回同じ質問を吉田総理に向かって我が党の横路節雄さんがやったこともあるわけですね。そういうものが、いわゆる日米防衛協力指針ですか、ガイドライン、あれを設定して以来どんどん広がってくる。  そして特に、鈴木総理がレーガン大統領と会った際にいわ

1986-02-08 大出俊 予算委員会 衆議院

○大出委員 あなた方の逃げ場というのはそこにしかなかろうというのは初めからわかっておるわけでありまして、だがしかし、私がこれだけ資料を出して申し上げましたのは、私の立場からするとさっき御説明申し上げたとおりであります。  そこで、これが能力だけで配備されないものだとすると、これは国会図書館の訳でございますけれども、一番最初に出しました核トマホークの配備計画、一九八四年の三月一日に出しました。ウィリアム・アーキンさんの働きかけによりまし

1985-02-08 岡田春夫 予算委員会 衆議院

○岡田(春)委員 それでは、岸総理の答えた答弁は間違っているのですか。安倍外務大臣、条約局長じゃだめです。外務大臣、少しお答えください。私、そこを読んでみてもいいのです。どうも困ったね、こんなことでは。  愛知揆一氏の質問、六〇年の二月二十六日、これに対する岸総理の答弁、共産圏で実力をもって平和と安全を維持している地域は、我々の共通の関心を持っている地域には入らないので、これは極東の中に入らないと言っている。そこで、これに対して愛知揆

1981-05-21 岩垂寿喜男 内閣委員会 衆議院

○岩垂委員 実はこれはわが党の石橋さんも指摘されておられますが、私も六〇年安保のときには運動隊の中でかかわってきたのです。それなりに古い記憶をいろいろたどって調べてみました。率直に申し上げて、私はこう思うのです。  つまり、安保のときにはいまのイントロダクションとトランジットの間のやりとりというものはなかった。これは藤山さんが、さっきおっしゃったように、船に積んであるいは飛行機に積んでなどということを想定してなかった、したがってやりと

1978-03-23 加藤清二 商工委員会 衆議院

○加藤(清)委員 詳細については後でお尋ねするとして、もう一つ、これは恐らく関係大臣のところへも送達されたと思っておりますが、署名は原吉平さん、かつてのニチボーの社長です。ジェトロの会長を長くやっていらっしゃった方であります。あえてこう言っている。「過去六十年間、繊維産業一筋に生涯を捧げた一老人の叫びである。」これは全部読むと長くなりますから、要点をしぼって申し上げますと、   通産政策は自由貿易のイデオロギーに捉われ、自国産業への配

1977-03-11 加藤清二 商工委員会 衆議院

○加藤(清)委員 これはひとつ両大臣ともに朝日新聞を調べると同時に、この民間団体へ直ちに打電して、越権行為すること相ならぬと監督官庁の長官は指示を与えるべきだと思います。これは当然のことなんです。  なぜ私がこんなところで力を入れるかといえば、いま問題になっております繊維産業で、日本の力が低下の一途をたどって、いまに日本の繊維産業は崩壊するやも知れないと稲葉秀三描くところの提言が政府の皆さんに提案されておるはずである。その原因を皆さん

1975-03-18 大出俊 内閣委員会 衆議院

○大出委員 その二つの検討を命じたわけですから、命じた結果をできれば聞かしていただきたいと思います。その上でひとつ議論をさせていただきたいと思います。その間に沖繩の現地の諸君の話も聞きたいと思っておりますから。  次に、非常に大きな問題は、米軍のヘリをお使いになった。これは新聞によりますと、沖繩の県警本部長が独断でこの依頼をした、こういうわけですね。ここに書いてあります。御本人が述べている。  そこで承りたいのですが、安保条約があり

1974-10-14 堂森芳夫 外務委員会 衆議院

○堂森委員 戦後、憲法上日本に核兵器は置ける、置いてもいいんだ、こういう発言をかつて岸総理がいたしました。その後、これは政策上はしないが理論的にはできる、こういうふうに変えられました。それからまた、私いまでも覚えておるんですが、自衛隊が発足した当時鳩山総理が、アメリカの核兵器を日本に置くことはやむを得ぬだろう、こういう発言をされて大問題になりました。これは国会での発言じゃないんです。外国記者団との会見の席上で鳩山さんが言われたんです。そ

1974-09-30 秦豊 内閣委員会 参議院

○秦豊君 これはいままで六〇年安保時代から、たとえばわが党のなくなった横路節雄議員であるとか、当時の赤城防衛庁長官、決してこれは新しい事実関係ではなくて、これはもう十数年風化した問題になっている。だから、あなたがそういう答え方をせざるを得ないということは、一閣僚として、しかも重要な時期を控えたこの時期に当然であるとは思うけれども、やはり私は、第七艦隊のたとえば司令官という立場にある人々が、あなたの責任の裏づけを持った発言ですねという私の

1974-02-06 岡田春夫 予算委員会 衆議院

○岡田(春)委員 それじゃその次、昭和四十二年三月二十二日の予算委員会で、平和利用の核爆発と原子力基本法との関係について横路節雄君が質問をして、三木外務大臣が答弁している。こういうように言っている。横路節雄君「外務大臣、一体いま日本に原子力の平和利用のための核爆発の権利がありますか。」三木外務大臣は「これはいまのように平和利用と軍事利用が区別のつかないときに、平和利用という名のものに核爆発の装置を開発する権利があると考えることは危険な考

1973-03-30 楢崎弥之助 予算委員会 衆議院

○楢崎委員 まず、このLSTの乗り組み員と地位協定との関係について明らかにしておきたいと思うのです。  本問題は、昭和三十九年十一月三日午前零時半にベトナムのダナン港において、LST百十七号の乗り組み員でありました斎藤賢三という人が、私服警戒中のベトナムの官憲によって射殺されるという事件が起こりました。それ以来、本院の予算委員会なり外務委員会でたくさんの質問が行なわれております。同年の十二月七日の予算委員会では辻原委員、それから翌四十

1969-02-03 江田三郎 予算委員会 衆議院

○江田委員 総理は、昭和四十年一月訪米されて、ジョンソン大統領との間に共同声明を出されましたが、中国問題に関しては、その際、総理と大統領はそれぞれ意見を並べて書かれたわけであります。このことについては、同年二月一日の本委員会において横路節雄委員が、異見を並記されたことは総理がアメリカ側の見解に同意したのではないという意味と解してよいのかという質問に対しまして、総理は、同意したことではない、意見は一致しなかったのです、と議事録に書いてあり

1967-07-10 久保田義麿 議院運営委員会 衆議院

○久保田事務総長 最初に、横路節雄先生の逝去の件を議長から報告をいたしまして、弔詞を朗読いたします。それから、地崎宇三郎さんが追悼演説を行なわれます。次に、日程第一及び第二を一括いたしまして、矢野科学技術特別委員長が御報告になります。日程第二の委員長報告は修正でございます。両案とも日本共産党が反対でございます。次に、日程第三は、松澤逓信委員長が御報告になります。日本社会党、日本共産党が反対でございます。次に、日程第四は、山下交通安全対策

1967-07-10 坪川信三 議院運営委員会 衆議院

○坪川委員長 次に、弔慰金支出の件についてでありますが、お手元の国会予備金使用承認要求書にありますとおり、横路節雄君の御遺族に対し、歳費一カ年分の金額を弔慰金として本院予備経費から支出いたしましたので、これを事後承認するに御異議ありませんか。   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1967-07-10 坪川信三 議院運営委員会 衆議院

○坪川委員長 これより会議を開きます。  まず、議員横路節雄君逝去の件についてでありますが、去る六月十四日、北海道第一区選出議員横路節雄君が逝去されました。  ここにつつしんで哀悼の意を表します。  弔詞につきましては、お手元に配付いたしてあります特別弔詞を、去る六月十五日の理事会の了承を得、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。  なお、弔詞は、前例に従い、本日の本会議において議長から報告され、弔詞を朗

1967-07-10 地崎宇三郎 本会議 衆議院

○地崎宇三郎君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員横路節雄先生は、去る六月十四日、青山の議員宿舎において急逝されました。  先生は、なくなられるその日の午後、会館に私をたずねてこられましたが、用談が済んでからも、さきに行なわれた地方選挙のことや、かつて北海道知事選挙に立候補した当時のことなど、時のたつのも忘れたかのように、次から次へと懐旧談をされた後、翌日の再会を約して別れたのであります。しかるに、その印象もさめやらぬ

1967-07-10 石井光次郎 本会議 衆議院

○議長(石井光次郎君) 御報告いたすことがあります。  議員横路節雄君は、去る六月十四日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る六月十六日贈呈いたしました。これを朗読いたします。   〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のために尽力された議員横路節雄君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます      ————◇—————  故議員横路節雄君に対する追悼演説

1967-06-15 坪川信三 議院運営委員会 衆議院

○坪川委員長 次に、次回の本会議の件についてでありますが、次回の本会議は、明十六日金曜日午後二時から開会することといたします。  また、次回の委員会は、同日——同日は、実は御承知のとおりに横路節雄君が御逝去になりましたので、告別式等もございますから、委員会並びに理事会が少し変わりましたことをお含み願いたいと思いますとともに、皆さんとともに横路君に対し、心から御弔意を表し上げておきたいと思います。——午後一時理事会、午後一時三十分から委

1967-04-19 広沢賢一 予算委員会第一分科会 衆議院

○広沢(賢)分科員 その客観的な基準というのがどういうことかということであれですが、もうちょっとそれでは具体的に言います。  たとえば、昭和三十七年二月二十二日の予算分科会で横路節雄分科員が質問しています。それはどういう質問かというと、衆議院の職員が大会を開いて上部団体に加益しようとしておるけれども、これは規定どおりですね。どこのところへ加益しようが自由だし、これは政党が介入する問題でもない。あたりまえのことですね。そういう場合に、た