石田博英 に関する国会発言

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2013-10-30 中山泰秀 国家安全保障に関する特別委員会 衆議院

○中山(泰)委員 ありがとうございます。外務省として、しっかりとした答弁、そしてまた同時に結果を、これからも出してもらいたいと思うんです。  なぜ私が心配をして、あえてここでスノーデンの問題を指摘しているかというと、過去に、一九七〇年代から八〇年代に、恐らく委員長なんかは御記憶が深くおありだと思いますけれども、レフチェンコ事件というのがありました。レフチェンコというのは、モスクワ大学の東洋学研究所を卒業して、漁業研究所を経てKGBに入

2007-05-30 甘利明 経済産業委員会 衆議院

○甘利国務大臣 私が国会議員になりまして何年かたったころ、まだ三十代のときでしたけれども、ある先輩議員から、石田博英労働大臣の功績を聞かされたことがありました。石田博英先生は、石田労政と言われているぐらい労働大臣を長く務められて、労働政策に石田ありと言われた方でした。その方が私に、それもさることながら、石田労相の最大の功績は、産業界から安い賃金の外国人単純労働の導入を競争に勝つために解禁せよと求められたことを突っぱねた、拒否したことであ

2006-11-28 辻兵吉 総務委員会 衆議院

○辻兵吉君 私も既に三十年以上も産業人としてかかわり合っていて、最近の財政事情の悪さというものによって大変大きなショックを受けているものであります。  私は、地方自治体の中で、逆にいくと、優先順位みたいなもの、我々が昔若いころに非常にサポートした例えば石田博英さんなんかにいろいろなことを陳情に参りますと、君たち、今、日本国は追いつけ追い越せの時代なんだ、おれたちは国会議員だから、とにかく日本国を豊かにするために、先にどうしても優先順位

2003-03-13 石原伸晃 予算委員会 参議院

○国務大臣(石原伸晃君) 御承知のように、ILOというのは国際連盟のときに誕生した機関の中で一つだけ残っている機関であります。日本国は、その当時から加盟をしていた組織であります。そういう意味からも、ILOと日本の関係は大変深いものがございますし、私が子供のころ、これはたしか組合員の、たしか職員以外が労組に入れるか入れないかというようなことの問題をめぐってILOの方がいらっしゃって、その部分を、当時の労働大臣は石田博英さんだったですかね、

2003-02-26 石原伸晃 内閣委員会 衆議院

○石原国務大臣 この前にも御答弁をさせていただいたんですけれども、いわゆる労働基本権の問題、スト権も含めて公務の部門にも付与すべきであるというILOの御見解は御見解として、我が国には我が国の五十年間の歴史もありますし、先ほども答弁したように、これから一カ月、二カ月で結論の出る問題ではないと思っております。  しかしながら、公務員制度改革大綱に基づいて、国家公務員法の改正等の検討作業、これは先ほども議論になりました能力等級ですか、こうい

2002-07-03 西川太一郎 経済産業委員会 衆議院

○西川(太)委員 第一次石油ショックのことを思い起こしますと、あのころは大変だったんですよ。民主党の羽田特別代表が今半そでのお洋服を着ておられますけれども、実はあれは羽田さんより先に、通産大臣をやった江崎真澄先生とか、私のお師匠様の石田博英さんとか、みんな英國屋へ行ってつくったんですよね、そこがちょっとあれですけれども、半そで。大平正芳先生もそうですよね。  それはなぜかというと、私、当時秘書でして、暑がりですからよく覚えているんです

1999-03-09 甘利明 労働・社会政策委員会 参議院

○国務大臣(甘利明君) 高齢化も国際化もこれは世の中の必然的な流れでございまして、これを押しとどめるということはできないわけであります。そして、環境変化の中でも日本が引き続き高い質の福祉施策を保っていくためには、いずれにしても競争に勝っていかなければ成果の配分はないわけでありまして、そのために規制緩和が必要である。特に規制緩和というのは、経済面での規制緩和というのは避けて通れないというふうに考えております。  私は、歴代労働大臣の中で

1998-05-13 西川太一郎 商工委員会 衆議院

○西川(太)委員 実は、先ほど質問に立たれた島津議員も、私も、かつて自由民主党の、労働大臣をお務めになった石田博英先生の秘書でございまして、ちょうど私どもが秘書をしておりましたころは石油ショックのころで、ローマ・クラブの悲観的な論調が大変支配をして、そういう中で、私どもの先生は省エネルックというのをだれよりも先にやりまして、風呂に入るよりシャワーを使った方が省エネになるというので、我々秘書もシャワーを使うことを励行させられたり、したがっ

1997-03-21 西川太一郎 商工委員会 衆議院

○西川(太)委員 私のお師匠様は、有名な政治家で石田博英という人でしたけれども、西川君、役人は何かをやらないという理由を考えさしたら天才的なことを思いつくぞと、こういうふうに常々私に教えてくれましたけれども、今の答弁を承っていると、尊敬する稲川局長が——私は、開発銀行が金を貸して地元にやる気を起こさして、まさに自分の地域の生き死にの問題だということで、プランを立て、難しいいろいろな事業を乗り越えてやるから、いわゆる集積地の技術についての

1995-06-17 山口敏夫 予算委員会 衆議院

○山口証人 十分以内ということでございますので、お答えをさせていただきます。  本日、二信用組合の全容解明のため、私、証人として国会に出席を求められたわけでございますが、この間、国民の皆様、同僚議員の皆様、また私を多年支えていただいておりました選挙区の皆様方にいろいろ御心配をかけ、御迷惑をおかけしておりますことを深くおわびを申し上げたいと思う次第でございます。  私と姉、弟の関係の会社における疑義を持たれたということは、私の不徳のい

1994-06-07 西川太一郎 予算委員会第六分科会 衆議院

○西川分科員 私は、学校を終えてから、今は亡き、名労働大臣としてその名をはせました石田博英先生の秘書を九年間、東京都議会議員を十六年間、国の政治と地方の政治を身をもって今日まで歩んでまいった者でございます。私の選挙区は、東京の下町、具体的に申しますと東京第六区、荒川区、墨田区、江東区という、下請企業、小規模企業の圧倒的に多い、通産省の分類によれば雑貨その他の範疇に属する業種の多い地域の選出議員であります。  今私が一番つらいのは、お世

1993-10-26 緒方信一郎 議院運営委員会 衆議院

○緒方事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員石田博英先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、弔詞を朗読されます。  次に、議員請暇の件についてお諮りをいたします。  次に、日程第一及び第二につき、左藤内閣委員長の報告がございます。両案を一括して採決いたしまして、全会一致であります。  次に、日程第三につき、奥田環境委員長の報告がございまして、共産党が反対でございます。  次に、日程第四ないし第

1993-10-26 奥田敬和 議院運営委員会 衆議院

○奥田委員長 これより会議を開きます。  まず、元議員石田博英君逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る十月十四日、永年在職議員として表彰された元議員石田博英君が逝去されました。  ここに謹んで哀悼の意を表します。  弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。     ―――――――――――――  衆議院は 多年

1993-10-26 土井たか子 本会議 衆議院

○議長(土井たか子君) 御報告することがあります。  永年在職議員として表彰された元議員石田博英さんは、去る十四日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  石田博英さんに対する弔詞は、議長において去る十九日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され さきに議院運営委員長の要職につき またしばしば国務大臣の重任にあたら

1991-03-07 対馬孝且 社会労働委員会 参議院

○対馬孝且君 時間外労働制の問題、有給休暇の問題あるいは業種別、例えばタクシー業界であるとかあるいは深夜にわたる業種の扱いの問題であ・るとか、時間外労働の削減の問題だとかたくさんあります。時間もないからこれは申し上げませんけれども、そういうものが具体的に取り組まれて初めて週四十時間につながっていくと、こういうことになるわけでありまして、そういう具体的な取り組みを積極的にひとつ行政指導をすべきであるということを特段申し上げておきます。

1990-06-22 赤松広隆 運輸委員会 衆議院

○赤松委員 ありがとうございました。  そうしますと、次の運賃改定時にはこの朝鮮人学校の学割定期問題については解決をするというふうに確認ができましたので、この問題は終わりたいと思います。  次に、同じ学割の問題ですが、今度は、日本人の学校でも実は適用になっていないところがございまして、そこの学校の問題をとらえましてひとつ簡単にお尋ねをしたいと思います。  愛知県の海部郡飛島村というところに愛知自動車整備学院という学校がございます。

1988-05-13 小川国彦 決算委員会 衆議院

○小川(国)委員 成田空港駅分が百二十三億円ですね。それから、成田空港から八キロまでのところで約六十億の用地買収をしているわけです。しかもこの鉄道は――では少なくもこの工事にかかるのには、例えば今千葉の北総鉄道というのがございますが、用地買収のされないところはともかくとして、されたところの駅なら駅をつないでその間の住民の利便に供せられる、一時間の距離があれば三十分のところは鉄道を動かせるからそこは工事をやるということはわかるわけなのです

1988-03-01 井上泉 商工委員会 衆議院

○井上(泉)委員 石橋湛山先生は、確かにそういう大臣の言われるような政治姿勢で貫かれておったということは、湛山先生の著にも、そしてまた石田博英先生の著にも明記をされておるし、私はこういう立派な先輩政治家の流れを、今日の自民党政治の中で、竹下内閣の中で、経済的にも非常に摩擦の多い今日、この自由貿易体制というものを堅持しなければならぬと、これは石橋湛山先生も指摘をされておったことですから、そういうことから考えても、これはそういう軍事大国的な

1988-03-01 井上泉 商工委員会 衆議院

○井上(泉)委員 その石橋湛山内閣に対しても、これの成立を目指して運動された、そういう政治思想、政治哲学というものをお持ちになっておられるということは、私も我が意を得たりとは言わなくとも、本当に敬服をするわけであります。ところが、その石橋湛山先生のそのときから訴えておった政治哲学というものが、今日ほど大事に生かされなければならないときはないのではないかと思います。  石田博英先生が一九八二年の中央公論で「小日本主義に還れ」、大体、大日

1988-03-01 田村元 商工委員会 衆議院

○田村国務大臣 石橋内閣ができましたのは、私の記憶が間違っていなければ昭和三十一年であったと思います。そのとき私は一年生代議士でありました。私は初当選が三十年の二月でございまして、社会党でいえば石橋政嗣君と同期生でございます。年も同い年であります。  それで、私は当時石橋湛山先生に非常なあこがれを抱いておりまして、総裁選挙において、本来私の立場からいえば石井光次郎先生の応援をしなければならぬ立場であったかもしれませんけれども、私は石田