憲法調査会政治の基本機構のあり方に関する調査小委員会
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会
会議録情報#0
平成十四年三月十四日(木曜日)
午前九時二分開議
出席小委員
小委員長 高市 早苗君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
奥野 誠亮君 谷垣 禎一君
中山 正暉君 額賀福志郎君
島 聡君 伴野 豊君
松沢 成文君 斉藤 鉄夫君
藤島 正之君 山口 富男君
北川れん子君 井上 喜一君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 中野 寛成君
参考人
(北海道大学大学院法学研
究科教授) 山口 二郎君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
三月十四日
小委員土井たか子君及び井上喜一君二月二十八日委員辞任につき、その補欠として北川れん子君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員中曽根康弘君同日小委員辞任につき、その補欠として伊藤公介君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員北川れん子君同日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員伊藤公介君同日小委員辞任につき、その補欠として中曽根康弘君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
政治の基本機構のあり方に関する件
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この発言だけを見る →午前九時二分開議
出席小委員
小委員長 高市 早苗君
伊藤 公介君 伊藤 達也君
奥野 誠亮君 谷垣 禎一君
中山 正暉君 額賀福志郎君
島 聡君 伴野 豊君
松沢 成文君 斉藤 鉄夫君
藤島 正之君 山口 富男君
北川れん子君 井上 喜一君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 中野 寛成君
参考人
(北海道大学大学院法学研
究科教授) 山口 二郎君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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三月十四日
小委員土井たか子君及び井上喜一君二月二十八日委員辞任につき、その補欠として北川れん子君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員中曽根康弘君同日小委員辞任につき、その補欠として伊藤公介君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員北川れん子君同日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員伊藤公介君同日小委員辞任につき、その補欠として中曽根康弘君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
政治の基本機構のあり方に関する件
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高
高市早苗#1
○高市小委員長 これより会議を開きます。
政治の基本機構のあり方に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として北海道大学大学院法学研究科教授山口二郎先生に御出席をいただいております。
この際、山口参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、大変お忙しくていらっしゃいましたのに、遠路お出ましいただきまして、本当にありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、調査の参考にいたしたいと思います。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言をする際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、山口参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →政治の基本機構のあり方に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として北海道大学大学院法学研究科教授山口二郎先生に御出席をいただいております。
この際、山口参考人に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、大変お忙しくていらっしゃいましたのに、遠路お出ましいただきまして、本当にありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、調査の参考にいたしたいと思います。
次に、議事の順序について申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言をする際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、山口参考人、お願いいたします。
山
山口二郎#2
○山口参考人 北海道大学の山口でございます。
本日は、このような発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。まずお礼を申し上げます。
鈴木宗男氏の問題以来、政治の矛盾が噴き出しております北海道からやってきたわけでありますが、これは決して冗談ではございませんで、きょう申し上げる話も実はそういう問題にかかわってくるわけであります。それから、たまたまきょうの朝日新聞の一面トップで、自民党の国家戦略本部が提出されましたレポートについて記事が出ておりまして、きょうの私の話とかなり重なってくる感じもいたします。その辺、御了解いただきたいと思います。
まず、本題に入ります前に、憲法論議の大前提について一言私の懸念を申し上げておきたいと思います。
私自身も、一九九三年に出版いたしました「政治改革」という新書の中で、国会、内閣、地方自治等、統治機構に関して憲法のあり方を大いに見直し、活発に議論すべきだということを書いて以来、決して憲法論議そのものについてタブー視するつもりはございません。しかし、もろもろさまざまな改革が進んだ一九九〇年代の総括をきちんとすることなしに、憲法論議のみを行うということは、私はいささかの危惧を感じます。
政治改革以来、一九九〇年代にはさまざまな改革を行ってまいりました。しかし、その結果がどうなっているかということを振り返ってみますと、着実に改革を積み上げていったというよりは、むしろ、その時々の大きな問題に対応して、制度の改革こそが基本的な解決のかぎだという問題設定の中で、それなりに大きなエネルギーを投入して、選挙制度あるいは省庁再編といった制度の改革を行ったわけですけれども、本来取り組むべき政治や行政の病理については、実は有効な解決になっていないというふうに私は思います。改めてこの十年間、私も改革についてそれなりにまじめに議論はしてきたつもりですけれども、一体何をしていたんだろうというむなしさを禁じ得ないわけであります。
一九九〇年代の改革の一番の問題点は、日本の社会や経済や政治や行政におけるさまざまな病理現象の原因がどこにあるのか。選挙制度なり行政制度なりの中のどういう欠点、問題点が現実の社会や経済や政治や行政の病理に結びついているのか。その因果関係に関する、まじめなといいましょうか的確な分析、議論なしに、制度改革があたかもそれ自身目的のようになってしまった。そこに私は問題があるだろうというふうに思うわけであります。
九〇年代の改革というのは、ある種せり上げ現象があったわけでありまして、最初は選挙制度こそが改革のかぎであるというふうに言われてきました。しかし、選挙制度を変えたところで、実は政治の無力というものはかえって露呈されたわけで、九〇年代の半ばには、今度は行政改革こそが国を変えるんだということで、大きなエネルギーで省庁再編をした。しかし、行政を変えても、やはり依然として、外務省を初めとするさまざまな行政の問題点というものは解決されていないわけであります。
一つの改革が終わった後、その結果をまじめに検証することなく、次々と大きなといいましょうか、抽象的なといいましょうか、あるいはよく言えば大所高所に立った高邁な制度改革論争にどんどん議論がエスカレートしていく、これを私は改革のせり上げというふうに呼んでおります。
私は、憲法のあり方について議論することは大いに賛成でありますが、しかし、今の日本のさまざまな問題が、憲法の具体的にどういう問題点とつながっているのかということについて、きちんと踏まえた上で憲法論議をしていかなければ、九〇年代の空振りの改革の繰り返しになってしまうということを危惧しております。
さて、本題に入りまして、きょうは、統治機構、とりわけ議院内閣制の問題を中心に、若干私見を申し上げておきたいと思います。
日本では、議院内閣制に対する不満が大変強いわけであります。なぜかと申しますと、一つは、政党が暴走するというか独走をする、そして、国民不在の中で、政治家同士の都合によって時々首相の首をすげかえる、頻繁にリーダーが交代するということがまず第一の問題点。
二つ目は、いわゆる行政の縦割り、あるいは官僚のセクショナリズムというものが強くて、内閣というものが、国を統合していく基本的な政策、重要な政策に対して、政治の責任において迅速に意思決定を行っていく能力を欠いているというのが第二の問題点。
それから第三の問題点は、まさに今問題になっております内閣と与党との間の不透明な関係。つまり、大臣等の公のポストにある人たちが本来のリーダーシップを振るって政策を決定することは、これは当然ですけれども、与党の国会議員の方々が、行政に対しては何ら制度的、法的な指揮命令権力がないにもかかわらず、実際の政策形成において大きな影響力を発揮し、それがしばしば腐敗に発展をする、この点に内閣制度の問題点がある。こういう三つの要因で、日本では議院内閣制に対する不満が大変強いと私は理解をしております。
しかし、議院内閣制というものは、それ自体欠陥があるわけではないと私は考えております。私も、この五、六年、内閣制度について関心を持ちまして勉強してまいりまして、とりわけ一九九七年、イギリスに半年留学をいたしまして、ちょうど九七年五月のイギリス総選挙とブレア労働党政権の発足、政権交代の実像を観察するという機会がございまして、内閣制度についての私なりの知見を得たわけでございます。
その中で、イギリスと日本の議院内閣制を対比するということによって、制度の欠陥ではなくて、日本的な運用の仕方に問題があるんだということを強く感じました。
イギリスの議院内閣制について、その要点を整理してみますと、第一は、政党、指導者、政権構想ないし政策の三位一体が存在する。そして総選挙においてその三位一体が国民の前に提示され、国民はそれを選択する。したがって、総選挙で勝利して政権を構成した与党に対しては、国民の委任、英語で申しますとマンデートという言葉がありますが、国民の委任が明確に与えられるということであります。したがって、国民の意思とか国民の委任というものを背景にしているがゆえに、与党の最高指導者は大変強い権威と指導力を持つということであります。
イギリスでは、御存じのように、総選挙の際にマニフェストと呼ばれる政策集を各政党が作成し、それをもとに選挙戦を戦います。そして、政権が発足した後も、マニフェストに掲げた政策をどの程度実行したかということを時々自己点検をして、国民に公表するということを通して政党間の競争が行われているという実態があるわけであります。
二つ目は、内閣と与党の一体化ということであります。
イギリスでは、いわゆる政治任用のポストの数が大変多いわけでありまして、現在のブレア政権の正確な数を私はつまびらかにしておりませんが、大体行政府全体で百三十から百四十ぐらいの政治任用のポストが存在いたします。イギリスの与党の国会議員というのは大体三百五十人から四百人ぐらいでありますから、与党の議員の三分の一は大臣、閣外大臣、副大臣、政務秘書官等々といった役職について、いわば内閣の公式のポスト、権力を通して政策決定を上から主導していくという体制ができております。この点がやはり日本と違うわけですね。この点は、イギリスの政党におけるフロントベンチャー、つまり指導層、幹部と、バックベンチャー、その他大勢との非常にはっきりした格差といいましょうか、分離というものを前提にしているわけであります。
それから、三つ目は、官僚機構に対する上からのリーダーシップでありまして、官僚の役割、政治家の役割ということについて、やはり明文上の規定とか具体的な制度はありませんが、長年の慣習としてはっきりした役割分担が存在しているということであります。つまり、価値観にかかわる政策論議は官僚はしない。ですから、例えば、大きな政府、小さな政府とか、税制のあり方とか、そういうまさに政策の価値観にかかわる問題は政治の側が提示をし、それを官僚は肉づけする、具体化するという役割分担がはっきりとしているわけであります。
総体として、私は、イギリスの内閣制度は下降型、上から下に政治的エネルギーがおりてくるというモデルとして把握をしております。内閣というのは与党のオールスターの政治家が集まった強力な指導機関であり、内閣の構成員である大臣は、自分の担当する省の利益代表ではなくて、与党の最高幹部として政策を論議する。したがって、内閣の政治的エネルギーによって、例えば省庁の再編ですとか地方分権といった官僚の既得権を減らすような方向での政策決定が、トップダウンで迅速に行われるというところにイギリスの特徴があるわけであります。
これに対して日本はどうかということなんですけれども、まず、選挙においても、国民の側の問題もありますが、全体として、総選挙を通して国の最高指導者を選ぶあるいは国の大方針を選択するという認識が希薄であります。そして、政権構想というものが不明確であって、国民の側からも、この人に、あるいはこの政策に対して自分たちは支持、委任を与えたんだという認識がなかなかないという問題があります。
ですから、選挙で具体的なことをある程度言って、それに国民が支持したんだということになれば総理大臣のリーダーシップは大変強くなるわけですけれども、政権の途中で何か、例えば税制改革をしようとか省庁再編をしようということを思いついても、その総理の意思に対しては官僚機構からも与党からもさまざまに抵抗が働いてなかなか大きな改革が進まないというのは、これは、橋本政権時代の改革その他、いろいろと実例があったわけであります。
二つ目の特徴は、内閣と与党の分離であります。
つまり、日本の場合は、政治任用のポストは極めて少ない。橋本政権時代の改革を通してかなりふえはしましたが、依然としてイギリスに比べれば半分程度であります。したがって、与党の側に政策形成に対して実質的な影響力を持つ議員が残るという形になります。ですから、スムーズに国会で法案を審議し成立させようと思えば、今問題になっておりますいわゆる事前審査というものは不可避、必然のものでありまして、そこに政と官の不透明な関係というものが発生するということになるわけであります。
それから、同時に、内閣と与党との分離という点について、日本では、総理大臣は、もちろん与党の最高指導者ではあるわけですけれども、党の問題については余り口出しをしない。今の自民党でいえば幹事長が実質的には党務を全部仕切るということで、総理が行政のトップとしてもちろんリーダーシップを発揮するわけですけれども、与党のトップとして、与党の政治家のさまざまな問題に対して党の最高指導者として見識を示す、指導力を発揮するということがなかなかないというのも日本的な慣習だと私は思います。
三つ目は、実質的な指導力を欠く内閣が、官僚機構によって支えられるという現象であります。
これは、長い間、内閣改造というものがほぼ一年周期で行われ、かつ、衆議院の当選回数などを基準として、いわば閣僚として、大臣としての適性とか能力というものとは必ずしも関係なく、もちろんそういう能力や適性があって大臣になる方もたくさんいらっしゃいますけれども、しかし、必ずしもそうじゃない場合もあって、実質的な政策的指導力を持たない政治家が大臣になり、一年ぐらいそのポストに座るということで、実質的に内閣が政治的指導力を発揮し得ないという構図になっているということであります。
そして、国務大臣という側面よりは、農水大臣とか国土交通大臣とか、それぞれが担当する官僚組織のいわば最大の擁護者ないし代弁者として閣僚が行動するということで、官僚機構が嫌う、官僚の既得権を減らすような方向での政策に対して内閣が指導力を発揮できない。例えば予算の削減だとか規制緩和だとか地方分権というようなことを方針として決めても、各大臣は、官僚組織の代弁者として、我が省の問題はそう簡単ではないという形で各論反対を言う、そうすると改革はなかなか前へ進まないという問題があるわけであります。
そういう意味で、私は、日本の内閣の仕組みは上昇型、つまり、あくまで政策形成の主体は各省官僚制であり、そこからいわば形式的指導機関である内閣に対して、下から上に吹き上げる形で政策形成が行われているというモデルとして把握しております。
このような内閣制度について考えていくときに、私は、憲法の規範、条文を改正するということももちろん必要だと思いますが、しかし、こういう統治機構の問題というのは、憲法の条文だけでは動かし切れないものがあると思います。
私のような者が、イギリスの有名な保守主義思想家エドマンド・バークだとかウォルター・バジョットなどの著作、思想を引用するのはちょっと奇異かもしれませんが、やはり私は、バークのような考え方、つまり長年の伝統とか慣習というものが一国の統治機構を動かす上では極めて大事であるということに深い感銘を受けるわけであります。ですから、我が国の内閣の運用あるいは国会の運用の中で、これからどのように慣習というものをつくっていくのか、憲法の習律というものをつくっていくのかということを考えなければいけないだろうと思います。
それからもう一つ、内閣制度の問題を考えていく上では、現在の日本国憲法の一番の原則であります国民主権という観点から、行政をいかに民意によって動かしていくのかという観点において改革のあり方を論じていく必要があるだろうと思います。
次に、首相のリーダーシップという問題について少し簡単に触れておきたいと思います。
首相のリーダーシップというのは、私は三つあると思います。一つは、行政府の長としてのリーダーシップ、もう一つは、さっき申しました与党の長としてのリーダーシップ、そして三つ目は、政治の最高指導者としての国民に対するリーダーシップというものがあるだろうと思います。その首相の指導力というものを考えていくときに、もちろん行政府における制度の設計を通して首相の力を強くするということが必要ではありますけれども、同時に、与党の中での首相のリーダーシップをいかに発揮していくかということが重要な観点だろうと思います。
戦後の日本政治の中で首相とか内閣というのはどういうものであったのか、少し振り返ってみたいと思うわけなんですけれども、高度成長期、一九六〇年代から七〇年代中ごろ、田中角栄政権あたりまでは与党が非常に安定をし、確かに派閥の対立等はありましたけれども、やはり権力闘争を闘って勝った指導者にはそれなりの威厳だとか権威というものがあった。
そして、何よりも政策の課題として、省益を足し算すれば国益になるという大変幸福な時代がずっと続いたわけでありまして、その時代には、殊さら政治主導で官僚を押さえつけるとか官僚が嫌う改革をするという必要性もなかった。要するに、問題が起これば、例えば国土庁をつくるとか環境庁をつくるとかという形で役所をふやす、あるいは予算をふやすという形で対応していればよかったわけでありますから、政と官の間にはそんなに矛盾はなかった、政官和合の時代であったと私は思います。
ところが、一九七〇年代半ば以降、自民党の中が一方で変質をし始めて、要するに最大派閥を軸としてその他の派閥が連携をして党内多数派を確保して総理大臣を選んでいくという、いわばかつての田中派、その後の竹下派がハブの派閥になって、それとほかの派閥がくっつく派閥連立政権という形になっていきますと、やはり総理大臣の持っている権威とか指導力というものについて国民も必ずしも十分な敬意を払わない、あるいは与党の中でも十分な尊敬が払われないという問題が出てくるわけであります。
と同時に、この時代から日本は、いわゆるキャッチアップを終えて、さまざまな意味でのグローバルな課題に対応しなきゃいけないという時代に入るわけでありまして、そうすると、規制緩和ですとか地方分権ですとか、あるいは経済成長が終わった後の財政的な危機の克服だとか、そういう問題に直面をするわけでありまして、政と官の間にいわば利害の対立が発生することになったわけであります。
そういう中で、例えば行政改革ですとかいろいろな改革も行われたわけですけれども、政治の側が自立して根本的に行政のあり方をつくり直すというところまでは問題が深刻化していなかった。既存の官僚機構の部分的な手直しによる対応というものが行われたわけであります。
一九九〇年代に入りまして、連立の政治の時代に入ってまいりますと、ますます総理大臣を選ぶプロセスが国民から遠くなっていくわけであります。
そして同時に、政策的な課題としては、ますます政策的な取捨選択というものが必要になってくるわけで、官僚機構の持っている既存の組織や政策に対して政治の側が大幅に切り込む、あるいは削減する、見直すという方向性の議論が必要になってくる。こうなりますと、政官矛盾の時代に入ったと言うことができます。
同時に、国民の政治意識も変わってくるわけでありまして、直接性、つまり自分たちで何か直接物を言いたい、政策決定に対して何か参加したいという直接性の要求というものが出てまいります。このような文脈で首相公選論というものも議論されているわけです。
私は、小泉総理の私的懇談会のメンバーでもあるわけでありまして、この点について議論をしてまいりました。しかし、私は、基本的には首相公選制に反対であります。その理由を簡単に述べておきたいと思います。
先ほどから申しておりますように、議院内閣制それ自体に欠陥があるということではないわけでして、議院内閣制を十分に運用できなかった日本の政治の今までのあり方を根本的に反省することなしに首相公選制を導入しても、恐らくよい結果は得られないだろうと思います。
首相公選制を行えば、一つの可能性としては、首相と議会多数派が食い違うという、いわゆる分割政府の危険性。もう一つの可能性としては、現に多くの地方公共団体でありますように、直接選ばれた行政の長に対して、議会がいわばオール与党化していく。行政の長に対して、議会は、チェックをするというよりは、さまざまに要求をするということで行政にもたれかかっていく、そういう危険性があります。
いずれにしても、私は、政党政治というものがこれからの日本において大事だ、むしろ、きちんとした政党政治を確立するということが重要な課題だと思っております。しかるに、首相公選制を導入すれば、国家の最高指導者を選び出すという緊張感を議員が失ってしまう。そうすると、政党はますます求心力を失っていくということで、私は、首相公選制というものが政党政治を破壊するというふうに危惧しております。
そういうことで、直接性の希求とかリーダーシップが必要だという時代の認識は、私もそのとおりだと思いますが、いきなり首相公選制を導入するということは解決策にはならないというふうに思います。
そこで、私なりの議院内閣制の改革についての私見を簡単に申し上げますと、一つは、内閣の問題、国政の最高指導チームをいかにつくるかということでありまして、与党における人材を登用し、有力な政治家を内閣の中に入れるということです。そして、先ほどのイギリスのモデルにありましたように、内閣が成立するに際しては明確な政策を共有するということがまず第一の基本であります。
二つ目は、与党の問題であります。
与党の中で、みんなが納得できるような形でリーダーを選ぶ。リーダーは明確な政策を示し、一たんリーダーを選べば与党はそのリーダーの指導のもとに結束して行動する、政策を共有するということを行う。それから、政策を実現するについては、あくまで政権参加を通してこれを実行するということであって、国会の立場から行政過程に関与するということは、これからは避けるべきだろうというふうに思います。
その場合、では、大臣とか副大臣になれなかった人はどうするのかという問題があるわけですけれども、私は、最近言われておりますいわゆる与党の事前審査制の廃止について、それをやるなら、大幅に政治任用のポストをふやして、自民党政務調査会の部会長はもちろん、副部会長クラスの方がこぞって各省の中に入ってもらう。そして、省の中で党の議論を同時、いわば重ね合わせた形で行うということが一番の解決策になるんだろうと思います。その他、いわゆるバックベンチャーはどうするかといえば、これは国会の中で、委員会の場で国会議員として立法活動に参加すればよいというふうに思うわけであります。
三つ目、政官関係の問題であります。
要するに、先ほどから言っておりますように、官僚機構と与党との間にある地下茎を断ち切るということであります。官僚というのは、英語でシビルサーバントと申しますが、これはあくまで政治的指導者に対して服従するということです。総理大臣あるいは各省大臣に対して服従をするのがシビルサーバントであります。
政治主導というのは、あくまで総理大臣を初めとして、内閣の公式のポストについた指導者がその権力を発揮することが政治主導であると私は理解すべきだと思います。官邸主導ということについて、しばしば与党の側から独裁的だというような批判も出るわけでありますけれども、明確な政策を示し、それが国民によって選ばれたということであれば、内閣が指導力を発揮することはむしろ当然でありまして、それを独裁的と言うことは当たらないわけであります。
幾つかの提言を最後に申し上げます。
一つは、具体的な制度、憲法、内閣法、国会法に関する問題であります。最大の問題は、内閣における分担管理原則をいかに克服するかということです。あるいは、各省大臣が国務大臣として国政全体を広い立場から議論して、そういう議論を踏まえて内閣が指導力を発揮する体制をつくるということであります。
私は、憲法六十五条の規定について、総理大臣を行政権の主体とするというふうに変えた方がよいのではないかというふうに思います。なぜかといえば、裁判所や国会というのはたくさんの人間が合議をして物を決める機関でありますが、行政機構というのはピラミッド型の組織でありまして、その頂点に来るのは、言うまでもない、総理大臣であります。したがって、ほかの二権とは違う性質を持っているわけでありまして、行政権の所在を総理大臣とする、それによって総理大臣の指導力というものを明確にしていく必要があるのではないかというふうに思います。
それから、連帯責任という言葉についても、これは要するに、与党のオールスターが結束して総理大臣を支えていくという政治的な言葉だと理解すべきだと私は思います。イギリスにおいては、明らかにそうであります。ややもすれば、日本の場合は、分担管理原則のもとで各省が割拠して、各省の代表である大臣が全員一致じゃないと閣議で物が決まらないという仕組みがあるわけでして、これは結局、各省官僚制が既得権を守りたいといいましょうか、自己主張を貫きたいといいましょうか、そういう下からの、各省官僚制の立場に立った、自分たちを擁護する仕組みとして機能してきたという問題があります。
それからもう一つ、行政改革等を柔軟に進めていくためには、各省の行政組織について設置法でもって決めていくという従来の体制を見直してもいいんじゃないか。全部政令で行政組織を編成するという体制をつくることによって行政の機動性を高めていくということ、これは別に非民主的じゃないわけでして、ヨーロッパの大陸系の国々、それからイギリスにおいても、行政組織について法律で決めるというところはないわけであります。
それから二つ目、内閣における政治主導をいかに具体化するかということであります。
従来、三権分立ということで、立法府対行政府という軸で議論をしてきたわけですけれども、イギリスの制度を見ればわかりますように、議院内閣制というのは、権力の融合、フュージョン・オブ・パワーという性質をその本質にしているわけであります。したがって、国会の多数派が行政権力を掌握し、その責任において行政府を指揮監督し、政策をつくっていくというのが議院内閣制の本質であります。
したがいまして、政治任用を今より拡大していく、与党の実質的な責任者は内閣の一員として政策決定を行って、それにより、政策決定手続を一元化していく。これによって、迅速な意思決定、政策決定を可能にしていくということです。とりわけ、これからまさに政官矛盾の時代でありまして、ほっておいたら官僚は反対する、手抜きをするという事柄について、どうしても新しい政策をつくらなきゃいけない、法律を改正しなきゃいけない。そういうときに、一元化することによって、迅速な、かつ指導力の発揮できるような政策決定システムを構築するということが重要であろうというふうに思うわけであります。
従来型の与党と内閣の分離というのは、ある意味では各省官僚制にとっては非常に好都合だったわけであります。つまり、カウンターパートである与党の部会の先生方を説得し、それを味方につける、官僚組織の利益擁護のいわば親衛隊として政治家をいっぱい手懐けていくということでいろいろな省は力を発揮してきたわけでありまして、そういう仕組みを変えていくということが重要であります。
最後に、三つ目は国会の問題であります。
私は、この間ずっと、いかに強い内閣をつくるかということを議論してまいりましたが、それは同時に、強い内閣をチェックする仕組みというものを必要とするわけでありまして、国会の権能を強化していく。その場合、国会多数派というのは内閣と同じ立場でありますから、多数派が自分の党の内閣をチェックするということは余り期待できない。これは当然であります。
したがいまして、国会の権能を強化するというときには、少数派をいかに優遇するかという観点で制度をつくる必要があるわけであります。したがって、法案提出権とか国政調査権というものについて、少数の議員集団に与える。つまり、例えば二十人とか五十人とか、一定数以上の議員の発議があれば調査権を発動できるとか、そういう仕組みをつくっていくことが必要だろうと思います。
次は、慣習にかかわる問題であります。
これは、まさにこれからの議会や内閣や選挙の運用を変えていくということでありまして、一つは選挙の意味を変える。
先ほど言った政党、指導者、政策の三位一体をつくり、国民は総選挙を通して首相と国の基本政策を選ぶということをはっきりさせる。それから、代議士は地元の利害代表ではなくて、首相を選ぶ選挙人として国民から選ばれるということを明確にしていくことが必要です。それから、二院制の問題も実はあるわけでありまして、やはり衆議院が内閣を支える、参議院はそれに対していわば高い見地からチェックをするという形で、両院の役割分担をはっきりしていくということが必要だろうと思います。
それから、二つ目は、内閣の運営の問題であります。
内閣が続いている間は与党の中で総裁選びは停止するということによって、国民が選んだ総理が衆議院の任期いっぱい続いていくという慣習をつくることが私は必要だろうと思います。そして、先ほどから申しておりますように、与党の意思決定機関を内閣と重ね合わせるということが必要であります。
それから、与党の運営について、これもさっき申しましたように、フロントベンチャーは内閣の中に入ってしまう、バックベンチャーは、不本意かもしれないけれども、あくまで議会において活動をするという形の新しい政党の気風をつくっていくことが必要になってくるだろうと思います。
与党における党首選出過程というものをきちんと透明化していく、あるいは国民に開いていくということをやれば、わざわざ首相公選などしなくてもよいということになるわけです。
以上、この4の(2)で書いたことは、実は、先日、首相公選の懇談会で私が小泉首相に申し上げたことであります。そのときに、小泉首相は、あなたの言うことはわかるけれども、自民党という政党はこんな説教をしても変わる政党じゃないんだ、だから首相公選制が必要なんだということをおっしゃいました。私は、大変僣越ですけれども、首相に、いや、一つだけ自民党を変える方法があります、それは小泉総理が小泉ビジョン、小泉政権の政権構想というものをはっきりとつくって、解散・総選挙を断行し、自由民主党の公認証を総理自身が手渡して、この小泉ビジョンに賛成するかどうかということをチェックする、それをやれば一日で日本の内閣あるいは政党政治のあり方は変わるんですということを申し上げました。
ということで、そういう慣習の問題は非常に大きいということであります。
実は、日本の国の統治機構との関係で一国多制度という話もしたかったのですけれども、もう時間になりましたので、これはまた後で、御質問の中でもし関連するものがあれば御説明を申し上げるということにして、とりあえず私の陳述はこれで終わりにいたしたいと思います。拍手
この発言だけを見る →本日は、このような発言の機会を与えていただきまして、ありがとうございました。まずお礼を申し上げます。
鈴木宗男氏の問題以来、政治の矛盾が噴き出しております北海道からやってきたわけでありますが、これは決して冗談ではございませんで、きょう申し上げる話も実はそういう問題にかかわってくるわけであります。それから、たまたまきょうの朝日新聞の一面トップで、自民党の国家戦略本部が提出されましたレポートについて記事が出ておりまして、きょうの私の話とかなり重なってくる感じもいたします。その辺、御了解いただきたいと思います。
まず、本題に入ります前に、憲法論議の大前提について一言私の懸念を申し上げておきたいと思います。
私自身も、一九九三年に出版いたしました「政治改革」という新書の中で、国会、内閣、地方自治等、統治機構に関して憲法のあり方を大いに見直し、活発に議論すべきだということを書いて以来、決して憲法論議そのものについてタブー視するつもりはございません。しかし、もろもろさまざまな改革が進んだ一九九〇年代の総括をきちんとすることなしに、憲法論議のみを行うということは、私はいささかの危惧を感じます。
政治改革以来、一九九〇年代にはさまざまな改革を行ってまいりました。しかし、その結果がどうなっているかということを振り返ってみますと、着実に改革を積み上げていったというよりは、むしろ、その時々の大きな問題に対応して、制度の改革こそが基本的な解決のかぎだという問題設定の中で、それなりに大きなエネルギーを投入して、選挙制度あるいは省庁再編といった制度の改革を行ったわけですけれども、本来取り組むべき政治や行政の病理については、実は有効な解決になっていないというふうに私は思います。改めてこの十年間、私も改革についてそれなりにまじめに議論はしてきたつもりですけれども、一体何をしていたんだろうというむなしさを禁じ得ないわけであります。
一九九〇年代の改革の一番の問題点は、日本の社会や経済や政治や行政におけるさまざまな病理現象の原因がどこにあるのか。選挙制度なり行政制度なりの中のどういう欠点、問題点が現実の社会や経済や政治や行政の病理に結びついているのか。その因果関係に関する、まじめなといいましょうか的確な分析、議論なしに、制度改革があたかもそれ自身目的のようになってしまった。そこに私は問題があるだろうというふうに思うわけであります。
九〇年代の改革というのは、ある種せり上げ現象があったわけでありまして、最初は選挙制度こそが改革のかぎであるというふうに言われてきました。しかし、選挙制度を変えたところで、実は政治の無力というものはかえって露呈されたわけで、九〇年代の半ばには、今度は行政改革こそが国を変えるんだということで、大きなエネルギーで省庁再編をした。しかし、行政を変えても、やはり依然として、外務省を初めとするさまざまな行政の問題点というものは解決されていないわけであります。
一つの改革が終わった後、その結果をまじめに検証することなく、次々と大きなといいましょうか、抽象的なといいましょうか、あるいはよく言えば大所高所に立った高邁な制度改革論争にどんどん議論がエスカレートしていく、これを私は改革のせり上げというふうに呼んでおります。
私は、憲法のあり方について議論することは大いに賛成でありますが、しかし、今の日本のさまざまな問題が、憲法の具体的にどういう問題点とつながっているのかということについて、きちんと踏まえた上で憲法論議をしていかなければ、九〇年代の空振りの改革の繰り返しになってしまうということを危惧しております。
さて、本題に入りまして、きょうは、統治機構、とりわけ議院内閣制の問題を中心に、若干私見を申し上げておきたいと思います。
日本では、議院内閣制に対する不満が大変強いわけであります。なぜかと申しますと、一つは、政党が暴走するというか独走をする、そして、国民不在の中で、政治家同士の都合によって時々首相の首をすげかえる、頻繁にリーダーが交代するということがまず第一の問題点。
二つ目は、いわゆる行政の縦割り、あるいは官僚のセクショナリズムというものが強くて、内閣というものが、国を統合していく基本的な政策、重要な政策に対して、政治の責任において迅速に意思決定を行っていく能力を欠いているというのが第二の問題点。
それから第三の問題点は、まさに今問題になっております内閣と与党との間の不透明な関係。つまり、大臣等の公のポストにある人たちが本来のリーダーシップを振るって政策を決定することは、これは当然ですけれども、与党の国会議員の方々が、行政に対しては何ら制度的、法的な指揮命令権力がないにもかかわらず、実際の政策形成において大きな影響力を発揮し、それがしばしば腐敗に発展をする、この点に内閣制度の問題点がある。こういう三つの要因で、日本では議院内閣制に対する不満が大変強いと私は理解をしております。
しかし、議院内閣制というものは、それ自体欠陥があるわけではないと私は考えております。私も、この五、六年、内閣制度について関心を持ちまして勉強してまいりまして、とりわけ一九九七年、イギリスに半年留学をいたしまして、ちょうど九七年五月のイギリス総選挙とブレア労働党政権の発足、政権交代の実像を観察するという機会がございまして、内閣制度についての私なりの知見を得たわけでございます。
その中で、イギリスと日本の議院内閣制を対比するということによって、制度の欠陥ではなくて、日本的な運用の仕方に問題があるんだということを強く感じました。
イギリスの議院内閣制について、その要点を整理してみますと、第一は、政党、指導者、政権構想ないし政策の三位一体が存在する。そして総選挙においてその三位一体が国民の前に提示され、国民はそれを選択する。したがって、総選挙で勝利して政権を構成した与党に対しては、国民の委任、英語で申しますとマンデートという言葉がありますが、国民の委任が明確に与えられるということであります。したがって、国民の意思とか国民の委任というものを背景にしているがゆえに、与党の最高指導者は大変強い権威と指導力を持つということであります。
イギリスでは、御存じのように、総選挙の際にマニフェストと呼ばれる政策集を各政党が作成し、それをもとに選挙戦を戦います。そして、政権が発足した後も、マニフェストに掲げた政策をどの程度実行したかということを時々自己点検をして、国民に公表するということを通して政党間の競争が行われているという実態があるわけであります。
二つ目は、内閣と与党の一体化ということであります。
イギリスでは、いわゆる政治任用のポストの数が大変多いわけでありまして、現在のブレア政権の正確な数を私はつまびらかにしておりませんが、大体行政府全体で百三十から百四十ぐらいの政治任用のポストが存在いたします。イギリスの与党の国会議員というのは大体三百五十人から四百人ぐらいでありますから、与党の議員の三分の一は大臣、閣外大臣、副大臣、政務秘書官等々といった役職について、いわば内閣の公式のポスト、権力を通して政策決定を上から主導していくという体制ができております。この点がやはり日本と違うわけですね。この点は、イギリスの政党におけるフロントベンチャー、つまり指導層、幹部と、バックベンチャー、その他大勢との非常にはっきりした格差といいましょうか、分離というものを前提にしているわけであります。
それから、三つ目は、官僚機構に対する上からのリーダーシップでありまして、官僚の役割、政治家の役割ということについて、やはり明文上の規定とか具体的な制度はありませんが、長年の慣習としてはっきりした役割分担が存在しているということであります。つまり、価値観にかかわる政策論議は官僚はしない。ですから、例えば、大きな政府、小さな政府とか、税制のあり方とか、そういうまさに政策の価値観にかかわる問題は政治の側が提示をし、それを官僚は肉づけする、具体化するという役割分担がはっきりとしているわけであります。
総体として、私は、イギリスの内閣制度は下降型、上から下に政治的エネルギーがおりてくるというモデルとして把握をしております。内閣というのは与党のオールスターの政治家が集まった強力な指導機関であり、内閣の構成員である大臣は、自分の担当する省の利益代表ではなくて、与党の最高幹部として政策を論議する。したがって、内閣の政治的エネルギーによって、例えば省庁の再編ですとか地方分権といった官僚の既得権を減らすような方向での政策決定が、トップダウンで迅速に行われるというところにイギリスの特徴があるわけであります。
これに対して日本はどうかということなんですけれども、まず、選挙においても、国民の側の問題もありますが、全体として、総選挙を通して国の最高指導者を選ぶあるいは国の大方針を選択するという認識が希薄であります。そして、政権構想というものが不明確であって、国民の側からも、この人に、あるいはこの政策に対して自分たちは支持、委任を与えたんだという認識がなかなかないという問題があります。
ですから、選挙で具体的なことをある程度言って、それに国民が支持したんだということになれば総理大臣のリーダーシップは大変強くなるわけですけれども、政権の途中で何か、例えば税制改革をしようとか省庁再編をしようということを思いついても、その総理の意思に対しては官僚機構からも与党からもさまざまに抵抗が働いてなかなか大きな改革が進まないというのは、これは、橋本政権時代の改革その他、いろいろと実例があったわけであります。
二つ目の特徴は、内閣と与党の分離であります。
つまり、日本の場合は、政治任用のポストは極めて少ない。橋本政権時代の改革を通してかなりふえはしましたが、依然としてイギリスに比べれば半分程度であります。したがって、与党の側に政策形成に対して実質的な影響力を持つ議員が残るという形になります。ですから、スムーズに国会で法案を審議し成立させようと思えば、今問題になっておりますいわゆる事前審査というものは不可避、必然のものでありまして、そこに政と官の不透明な関係というものが発生するということになるわけであります。
それから、同時に、内閣と与党との分離という点について、日本では、総理大臣は、もちろん与党の最高指導者ではあるわけですけれども、党の問題については余り口出しをしない。今の自民党でいえば幹事長が実質的には党務を全部仕切るということで、総理が行政のトップとしてもちろんリーダーシップを発揮するわけですけれども、与党のトップとして、与党の政治家のさまざまな問題に対して党の最高指導者として見識を示す、指導力を発揮するということがなかなかないというのも日本的な慣習だと私は思います。
三つ目は、実質的な指導力を欠く内閣が、官僚機構によって支えられるという現象であります。
これは、長い間、内閣改造というものがほぼ一年周期で行われ、かつ、衆議院の当選回数などを基準として、いわば閣僚として、大臣としての適性とか能力というものとは必ずしも関係なく、もちろんそういう能力や適性があって大臣になる方もたくさんいらっしゃいますけれども、しかし、必ずしもそうじゃない場合もあって、実質的な政策的指導力を持たない政治家が大臣になり、一年ぐらいそのポストに座るということで、実質的に内閣が政治的指導力を発揮し得ないという構図になっているということであります。
そして、国務大臣という側面よりは、農水大臣とか国土交通大臣とか、それぞれが担当する官僚組織のいわば最大の擁護者ないし代弁者として閣僚が行動するということで、官僚機構が嫌う、官僚の既得権を減らすような方向での政策に対して内閣が指導力を発揮できない。例えば予算の削減だとか規制緩和だとか地方分権というようなことを方針として決めても、各大臣は、官僚組織の代弁者として、我が省の問題はそう簡単ではないという形で各論反対を言う、そうすると改革はなかなか前へ進まないという問題があるわけであります。
そういう意味で、私は、日本の内閣の仕組みは上昇型、つまり、あくまで政策形成の主体は各省官僚制であり、そこからいわば形式的指導機関である内閣に対して、下から上に吹き上げる形で政策形成が行われているというモデルとして把握しております。
このような内閣制度について考えていくときに、私は、憲法の規範、条文を改正するということももちろん必要だと思いますが、しかし、こういう統治機構の問題というのは、憲法の条文だけでは動かし切れないものがあると思います。
私のような者が、イギリスの有名な保守主義思想家エドマンド・バークだとかウォルター・バジョットなどの著作、思想を引用するのはちょっと奇異かもしれませんが、やはり私は、バークのような考え方、つまり長年の伝統とか慣習というものが一国の統治機構を動かす上では極めて大事であるということに深い感銘を受けるわけであります。ですから、我が国の内閣の運用あるいは国会の運用の中で、これからどのように慣習というものをつくっていくのか、憲法の習律というものをつくっていくのかということを考えなければいけないだろうと思います。
それからもう一つ、内閣制度の問題を考えていく上では、現在の日本国憲法の一番の原則であります国民主権という観点から、行政をいかに民意によって動かしていくのかという観点において改革のあり方を論じていく必要があるだろうと思います。
次に、首相のリーダーシップという問題について少し簡単に触れておきたいと思います。
首相のリーダーシップというのは、私は三つあると思います。一つは、行政府の長としてのリーダーシップ、もう一つは、さっき申しました与党の長としてのリーダーシップ、そして三つ目は、政治の最高指導者としての国民に対するリーダーシップというものがあるだろうと思います。その首相の指導力というものを考えていくときに、もちろん行政府における制度の設計を通して首相の力を強くするということが必要ではありますけれども、同時に、与党の中での首相のリーダーシップをいかに発揮していくかということが重要な観点だろうと思います。
戦後の日本政治の中で首相とか内閣というのはどういうものであったのか、少し振り返ってみたいと思うわけなんですけれども、高度成長期、一九六〇年代から七〇年代中ごろ、田中角栄政権あたりまでは与党が非常に安定をし、確かに派閥の対立等はありましたけれども、やはり権力闘争を闘って勝った指導者にはそれなりの威厳だとか権威というものがあった。
そして、何よりも政策の課題として、省益を足し算すれば国益になるという大変幸福な時代がずっと続いたわけでありまして、その時代には、殊さら政治主導で官僚を押さえつけるとか官僚が嫌う改革をするという必要性もなかった。要するに、問題が起これば、例えば国土庁をつくるとか環境庁をつくるとかという形で役所をふやす、あるいは予算をふやすという形で対応していればよかったわけでありますから、政と官の間にはそんなに矛盾はなかった、政官和合の時代であったと私は思います。
ところが、一九七〇年代半ば以降、自民党の中が一方で変質をし始めて、要するに最大派閥を軸としてその他の派閥が連携をして党内多数派を確保して総理大臣を選んでいくという、いわばかつての田中派、その後の竹下派がハブの派閥になって、それとほかの派閥がくっつく派閥連立政権という形になっていきますと、やはり総理大臣の持っている権威とか指導力というものについて国民も必ずしも十分な敬意を払わない、あるいは与党の中でも十分な尊敬が払われないという問題が出てくるわけであります。
と同時に、この時代から日本は、いわゆるキャッチアップを終えて、さまざまな意味でのグローバルな課題に対応しなきゃいけないという時代に入るわけでありまして、そうすると、規制緩和ですとか地方分権ですとか、あるいは経済成長が終わった後の財政的な危機の克服だとか、そういう問題に直面をするわけでありまして、政と官の間にいわば利害の対立が発生することになったわけであります。
そういう中で、例えば行政改革ですとかいろいろな改革も行われたわけですけれども、政治の側が自立して根本的に行政のあり方をつくり直すというところまでは問題が深刻化していなかった。既存の官僚機構の部分的な手直しによる対応というものが行われたわけであります。
一九九〇年代に入りまして、連立の政治の時代に入ってまいりますと、ますます総理大臣を選ぶプロセスが国民から遠くなっていくわけであります。
そして同時に、政策的な課題としては、ますます政策的な取捨選択というものが必要になってくるわけで、官僚機構の持っている既存の組織や政策に対して政治の側が大幅に切り込む、あるいは削減する、見直すという方向性の議論が必要になってくる。こうなりますと、政官矛盾の時代に入ったと言うことができます。
同時に、国民の政治意識も変わってくるわけでありまして、直接性、つまり自分たちで何か直接物を言いたい、政策決定に対して何か参加したいという直接性の要求というものが出てまいります。このような文脈で首相公選論というものも議論されているわけです。
私は、小泉総理の私的懇談会のメンバーでもあるわけでありまして、この点について議論をしてまいりました。しかし、私は、基本的には首相公選制に反対であります。その理由を簡単に述べておきたいと思います。
先ほどから申しておりますように、議院内閣制それ自体に欠陥があるということではないわけでして、議院内閣制を十分に運用できなかった日本の政治の今までのあり方を根本的に反省することなしに首相公選制を導入しても、恐らくよい結果は得られないだろうと思います。
首相公選制を行えば、一つの可能性としては、首相と議会多数派が食い違うという、いわゆる分割政府の危険性。もう一つの可能性としては、現に多くの地方公共団体でありますように、直接選ばれた行政の長に対して、議会がいわばオール与党化していく。行政の長に対して、議会は、チェックをするというよりは、さまざまに要求をするということで行政にもたれかかっていく、そういう危険性があります。
いずれにしても、私は、政党政治というものがこれからの日本において大事だ、むしろ、きちんとした政党政治を確立するということが重要な課題だと思っております。しかるに、首相公選制を導入すれば、国家の最高指導者を選び出すという緊張感を議員が失ってしまう。そうすると、政党はますます求心力を失っていくということで、私は、首相公選制というものが政党政治を破壊するというふうに危惧しております。
そういうことで、直接性の希求とかリーダーシップが必要だという時代の認識は、私もそのとおりだと思いますが、いきなり首相公選制を導入するということは解決策にはならないというふうに思います。
そこで、私なりの議院内閣制の改革についての私見を簡単に申し上げますと、一つは、内閣の問題、国政の最高指導チームをいかにつくるかということでありまして、与党における人材を登用し、有力な政治家を内閣の中に入れるということです。そして、先ほどのイギリスのモデルにありましたように、内閣が成立するに際しては明確な政策を共有するということがまず第一の基本であります。
二つ目は、与党の問題であります。
与党の中で、みんなが納得できるような形でリーダーを選ぶ。リーダーは明確な政策を示し、一たんリーダーを選べば与党はそのリーダーの指導のもとに結束して行動する、政策を共有するということを行う。それから、政策を実現するについては、あくまで政権参加を通してこれを実行するということであって、国会の立場から行政過程に関与するということは、これからは避けるべきだろうというふうに思います。
その場合、では、大臣とか副大臣になれなかった人はどうするのかという問題があるわけですけれども、私は、最近言われておりますいわゆる与党の事前審査制の廃止について、それをやるなら、大幅に政治任用のポストをふやして、自民党政務調査会の部会長はもちろん、副部会長クラスの方がこぞって各省の中に入ってもらう。そして、省の中で党の議論を同時、いわば重ね合わせた形で行うということが一番の解決策になるんだろうと思います。その他、いわゆるバックベンチャーはどうするかといえば、これは国会の中で、委員会の場で国会議員として立法活動に参加すればよいというふうに思うわけであります。
三つ目、政官関係の問題であります。
要するに、先ほどから言っておりますように、官僚機構と与党との間にある地下茎を断ち切るということであります。官僚というのは、英語でシビルサーバントと申しますが、これはあくまで政治的指導者に対して服従するということです。総理大臣あるいは各省大臣に対して服従をするのがシビルサーバントであります。
政治主導というのは、あくまで総理大臣を初めとして、内閣の公式のポストについた指導者がその権力を発揮することが政治主導であると私は理解すべきだと思います。官邸主導ということについて、しばしば与党の側から独裁的だというような批判も出るわけでありますけれども、明確な政策を示し、それが国民によって選ばれたということであれば、内閣が指導力を発揮することはむしろ当然でありまして、それを独裁的と言うことは当たらないわけであります。
幾つかの提言を最後に申し上げます。
一つは、具体的な制度、憲法、内閣法、国会法に関する問題であります。最大の問題は、内閣における分担管理原則をいかに克服するかということです。あるいは、各省大臣が国務大臣として国政全体を広い立場から議論して、そういう議論を踏まえて内閣が指導力を発揮する体制をつくるということであります。
私は、憲法六十五条の規定について、総理大臣を行政権の主体とするというふうに変えた方がよいのではないかというふうに思います。なぜかといえば、裁判所や国会というのはたくさんの人間が合議をして物を決める機関でありますが、行政機構というのはピラミッド型の組織でありまして、その頂点に来るのは、言うまでもない、総理大臣であります。したがって、ほかの二権とは違う性質を持っているわけでありまして、行政権の所在を総理大臣とする、それによって総理大臣の指導力というものを明確にしていく必要があるのではないかというふうに思います。
それから、連帯責任という言葉についても、これは要するに、与党のオールスターが結束して総理大臣を支えていくという政治的な言葉だと理解すべきだと私は思います。イギリスにおいては、明らかにそうであります。ややもすれば、日本の場合は、分担管理原則のもとで各省が割拠して、各省の代表である大臣が全員一致じゃないと閣議で物が決まらないという仕組みがあるわけでして、これは結局、各省官僚制が既得権を守りたいといいましょうか、自己主張を貫きたいといいましょうか、そういう下からの、各省官僚制の立場に立った、自分たちを擁護する仕組みとして機能してきたという問題があります。
それからもう一つ、行政改革等を柔軟に進めていくためには、各省の行政組織について設置法でもって決めていくという従来の体制を見直してもいいんじゃないか。全部政令で行政組織を編成するという体制をつくることによって行政の機動性を高めていくということ、これは別に非民主的じゃないわけでして、ヨーロッパの大陸系の国々、それからイギリスにおいても、行政組織について法律で決めるというところはないわけであります。
それから二つ目、内閣における政治主導をいかに具体化するかということであります。
従来、三権分立ということで、立法府対行政府という軸で議論をしてきたわけですけれども、イギリスの制度を見ればわかりますように、議院内閣制というのは、権力の融合、フュージョン・オブ・パワーという性質をその本質にしているわけであります。したがって、国会の多数派が行政権力を掌握し、その責任において行政府を指揮監督し、政策をつくっていくというのが議院内閣制の本質であります。
したがいまして、政治任用を今より拡大していく、与党の実質的な責任者は内閣の一員として政策決定を行って、それにより、政策決定手続を一元化していく。これによって、迅速な意思決定、政策決定を可能にしていくということです。とりわけ、これからまさに政官矛盾の時代でありまして、ほっておいたら官僚は反対する、手抜きをするという事柄について、どうしても新しい政策をつくらなきゃいけない、法律を改正しなきゃいけない。そういうときに、一元化することによって、迅速な、かつ指導力の発揮できるような政策決定システムを構築するということが重要であろうというふうに思うわけであります。
従来型の与党と内閣の分離というのは、ある意味では各省官僚制にとっては非常に好都合だったわけであります。つまり、カウンターパートである与党の部会の先生方を説得し、それを味方につける、官僚組織の利益擁護のいわば親衛隊として政治家をいっぱい手懐けていくということでいろいろな省は力を発揮してきたわけでありまして、そういう仕組みを変えていくということが重要であります。
最後に、三つ目は国会の問題であります。
私は、この間ずっと、いかに強い内閣をつくるかということを議論してまいりましたが、それは同時に、強い内閣をチェックする仕組みというものを必要とするわけでありまして、国会の権能を強化していく。その場合、国会多数派というのは内閣と同じ立場でありますから、多数派が自分の党の内閣をチェックするということは余り期待できない。これは当然であります。
したがいまして、国会の権能を強化するというときには、少数派をいかに優遇するかという観点で制度をつくる必要があるわけであります。したがって、法案提出権とか国政調査権というものについて、少数の議員集団に与える。つまり、例えば二十人とか五十人とか、一定数以上の議員の発議があれば調査権を発動できるとか、そういう仕組みをつくっていくことが必要だろうと思います。
次は、慣習にかかわる問題であります。
これは、まさにこれからの議会や内閣や選挙の運用を変えていくということでありまして、一つは選挙の意味を変える。
先ほど言った政党、指導者、政策の三位一体をつくり、国民は総選挙を通して首相と国の基本政策を選ぶということをはっきりさせる。それから、代議士は地元の利害代表ではなくて、首相を選ぶ選挙人として国民から選ばれるということを明確にしていくことが必要です。それから、二院制の問題も実はあるわけでありまして、やはり衆議院が内閣を支える、参議院はそれに対していわば高い見地からチェックをするという形で、両院の役割分担をはっきりしていくということが必要だろうと思います。
それから、二つ目は、内閣の運営の問題であります。
内閣が続いている間は与党の中で総裁選びは停止するということによって、国民が選んだ総理が衆議院の任期いっぱい続いていくという慣習をつくることが私は必要だろうと思います。そして、先ほどから申しておりますように、与党の意思決定機関を内閣と重ね合わせるということが必要であります。
それから、与党の運営について、これもさっき申しましたように、フロントベンチャーは内閣の中に入ってしまう、バックベンチャーは、不本意かもしれないけれども、あくまで議会において活動をするという形の新しい政党の気風をつくっていくことが必要になってくるだろうと思います。
与党における党首選出過程というものをきちんと透明化していく、あるいは国民に開いていくということをやれば、わざわざ首相公選などしなくてもよいということになるわけです。
以上、この4の(2)で書いたことは、実は、先日、首相公選の懇談会で私が小泉首相に申し上げたことであります。そのときに、小泉首相は、あなたの言うことはわかるけれども、自民党という政党はこんな説教をしても変わる政党じゃないんだ、だから首相公選制が必要なんだということをおっしゃいました。私は、大変僣越ですけれども、首相に、いや、一つだけ自民党を変える方法があります、それは小泉総理が小泉ビジョン、小泉政権の政権構想というものをはっきりとつくって、解散・総選挙を断行し、自由民主党の公認証を総理自身が手渡して、この小泉ビジョンに賛成するかどうかということをチェックする、それをやれば一日で日本の内閣あるいは政党政治のあり方は変わるんですということを申し上げました。
ということで、そういう慣習の問題は非常に大きいということであります。
実は、日本の国の統治機構との関係で一国多制度という話もしたかったのですけれども、もう時間になりましたので、これはまた後で、御質問の中でもし関連するものがあれば御説明を申し上げるということにして、とりあえず私の陳述はこれで終わりにいたしたいと思います。拍手
高
高
額
額賀福志郎#5
○額賀小委員 山口先生、ありがとうございます。
自民党の額賀福志郎であります。大変御示唆に富んだ御意見をいただきまして、参考になっていると同時に、みずからも反省しながら聞いておりました。
さてそこで、幾つか御質問させていただきたいと思いますけれども、一つは、端的に現状の政治状況に照らし合わせまして、内閣と与党との間の不透明な関係ということにも言及されました。これは、要するに、行政に対して政治家及び政党が不当に影響力を行使し過ぎる嫌いがあるのではないかということでございます。
これはさまざまな観点から分析ができると思っておりますけれども、いろいろな問題が起きたから、政治家と役所及び官僚との間は意見交換はしてはいけないとか、さては与党と内閣の事前協議制はいかがなものかというような御意見も出たわけであります。具体的に、今までの自民党が五十数年間歩んできた政治慣習とかの流れからいえば、即座にその次元まで持っていけるかどうかというのは若干疑問があるわけでございます。
したがって、逆に、今度は、政治家と役所、官僚が何らの意見交換もできないというような状況になれば、では、官僚は善で、政治家あるいは政党は悪という論理がまかり通るのか。官僚は無謬なのかということになると、官僚主導の政治から政治主導の政治に転換させようと努力をしているときに、再びまた官僚主導あるいは官僚独裁に導く可能性もあるのではないか。その転換の過程の期間でありますから、思い切って改革をする必要はあるけれども、そういう潜在的な意識も持っていなければならないのではないかと私は思っておりますので、そこのところをどういうふうに先生は認識なさっているのか、あるいはまた、これから改革をしていく場合にどういう意見があるか、参考的に教えていただければありがたいということが一つ。
それからもう一つは、先生のお話を聞いておりますと、いずれにいたしても、内閣と政党の政策形成の過程が十分ではないということでありますね。先生は、内閣にオール与党のスタッフを全部入れて、言ってみれば与党と内閣の一体性を図れということでありますけれども、英国の場合は、先生も御存じのとおり、選挙に向かうまでの過程で、政策形成に十分な党内での意見のすり合わせとか議論、それから国民の意見とか選挙区の住民の意見を反映させていると思っております、非常に細かい分野に至るまで。
自由民主党とか日本の政党は、どちらかというと、選挙は大まかなスローガンで戦って、そして、単年度の予算編成主義でありますから、概算要求とか予算編成のシーズンになって初めて具体的な政策形成の議論がなされていくというのが今までの慣例でありました。したがって、先生がおっしゃるような構想に至るまでには、相当な体制の改革をしていかなければならないわけであります。
だから、私は、先生の理想は非常に参考になると思っておりますけれども、国民の意識改革あるいは政党人としての意識改革、制度改革あるいは意思決定の機構も改革していくということが考えられなければならないというふうに思っております。その点も二つ目の質問としてお聞かせいただければありがたいと思っております。
それから、私は、先生と同じで、どちらかというと首相公選制は今の日本において適切なシステムなのかということに疑問を持っております。したがって、今の議会制民主主義を健全な形につくり上げていくことが、将来の二十一世紀の日本の政治制度としても適切ではないかと思っております。しかし、たくさんの矛盾を抱えておることも事実でありますので、日本の議会制度を十分な形にしていくためにさまざまな提言をなされてくれたわけでございますけれども、端的に、今の時点においては、小選挙区制にいたしましたけれども、比例制を加味した選挙制度であります。したがって、言ってみればリーダーと政策を国民が選択できるというような形に十分にはなっておりません。だから、どうしても選挙がリーダーと政策を決定する形にはならないでおるのが今の形で、多党制になっているわけであります。
そうすると、今後の議会制民主主義をきちっとしていくためには、二党制的な形がいいのか多党制的な政党形成がいいのか、この辺について、日本の歴史とか慣例だとか、そういう観点から見てどういうふうにお考えなのか、お聞かせいただければありがたい。
この発言だけを見る →自民党の額賀福志郎であります。大変御示唆に富んだ御意見をいただきまして、参考になっていると同時に、みずからも反省しながら聞いておりました。
さてそこで、幾つか御質問させていただきたいと思いますけれども、一つは、端的に現状の政治状況に照らし合わせまして、内閣と与党との間の不透明な関係ということにも言及されました。これは、要するに、行政に対して政治家及び政党が不当に影響力を行使し過ぎる嫌いがあるのではないかということでございます。
これはさまざまな観点から分析ができると思っておりますけれども、いろいろな問題が起きたから、政治家と役所及び官僚との間は意見交換はしてはいけないとか、さては与党と内閣の事前協議制はいかがなものかというような御意見も出たわけであります。具体的に、今までの自民党が五十数年間歩んできた政治慣習とかの流れからいえば、即座にその次元まで持っていけるかどうかというのは若干疑問があるわけでございます。
したがって、逆に、今度は、政治家と役所、官僚が何らの意見交換もできないというような状況になれば、では、官僚は善で、政治家あるいは政党は悪という論理がまかり通るのか。官僚は無謬なのかということになると、官僚主導の政治から政治主導の政治に転換させようと努力をしているときに、再びまた官僚主導あるいは官僚独裁に導く可能性もあるのではないか。その転換の過程の期間でありますから、思い切って改革をする必要はあるけれども、そういう潜在的な意識も持っていなければならないのではないかと私は思っておりますので、そこのところをどういうふうに先生は認識なさっているのか、あるいはまた、これから改革をしていく場合にどういう意見があるか、参考的に教えていただければありがたいということが一つ。
それからもう一つは、先生のお話を聞いておりますと、いずれにいたしても、内閣と政党の政策形成の過程が十分ではないということでありますね。先生は、内閣にオール与党のスタッフを全部入れて、言ってみれば与党と内閣の一体性を図れということでありますけれども、英国の場合は、先生も御存じのとおり、選挙に向かうまでの過程で、政策形成に十分な党内での意見のすり合わせとか議論、それから国民の意見とか選挙区の住民の意見を反映させていると思っております、非常に細かい分野に至るまで。
自由民主党とか日本の政党は、どちらかというと、選挙は大まかなスローガンで戦って、そして、単年度の予算編成主義でありますから、概算要求とか予算編成のシーズンになって初めて具体的な政策形成の議論がなされていくというのが今までの慣例でありました。したがって、先生がおっしゃるような構想に至るまでには、相当な体制の改革をしていかなければならないわけであります。
だから、私は、先生の理想は非常に参考になると思っておりますけれども、国民の意識改革あるいは政党人としての意識改革、制度改革あるいは意思決定の機構も改革していくということが考えられなければならないというふうに思っております。その点も二つ目の質問としてお聞かせいただければありがたいと思っております。
それから、私は、先生と同じで、どちらかというと首相公選制は今の日本において適切なシステムなのかということに疑問を持っております。したがって、今の議会制民主主義を健全な形につくり上げていくことが、将来の二十一世紀の日本の政治制度としても適切ではないかと思っております。しかし、たくさんの矛盾を抱えておることも事実でありますので、日本の議会制度を十分な形にしていくためにさまざまな提言をなされてくれたわけでございますけれども、端的に、今の時点においては、小選挙区制にいたしましたけれども、比例制を加味した選挙制度であります。したがって、言ってみればリーダーと政策を国民が選択できるというような形に十分にはなっておりません。だから、どうしても選挙がリーダーと政策を決定する形にはならないでおるのが今の形で、多党制になっているわけであります。
そうすると、今後の議会制民主主義をきちっとしていくためには、二党制的な形がいいのか多党制的な政党形成がいいのか、この辺について、日本の歴史とか慣例だとか、そういう観点から見てどういうふうにお考えなのか、お聞かせいただければありがたい。
山
山口二郎#6
○山口参考人 まず、政治と行政、あるいは政治家と官僚の関係のあるべき姿という論点でありますが、私も先生の御指摘のとおり、官僚が善であって政治的圧力が悪だというような図式には全く反対であります。
ただ、行政の固有の領域というものは何なのかということをここで改めて考える必要があるわけでありまして、例えば、課長クラス以下の人事ですとか、あるいは、まさに役所が発注する仕事についての入札ですとか、そういう事柄は行政固有の領域であって、政治家はこれに関与すべきではない。それはまさに競争ですとか、あるいは客観的な評価ですとかというものに基づいて行うべき意思決定です。それに対して政治の論理が入ってくれば、どうしてもポストやお金というものを党派的に運用するという形になるわけでありまして、そういう面で、まず行政固有の意思決定の領域というものをはっきりと定義して、そこには政治は関与しないという新しいルールといいましょうか、のりをつくるということが私は必要だと思います。
政治主導ということについては、先ほども申し上げたとおりでありまして、私は、与党がもっと責任を持って政策決定のまさに枠組みをつくっていくことが必要だと思います。つまり、入札とか箇所づけとかという問題に首を突っ込むことは決して政治主導のあるべき形ではないわけでありまして、もっと根本的な、まさに経済や社会保障の大きな枠組みについて与党がはっきりした方針を示して、行政はそれを肉づけ、具体化するようなテクニカルな仕事をするという形の役割分担をきちっとつくっていかなければいけないというふうに思うわけであります。
それから二つ目は、日本の政党政治は選挙をどういうふうに改めていくのかということなんですけれども、これは大変道が遠いと申しましょうか、具体的にどこを変えればいいのかということになりますと、私も実は余り歯切れよくはないわけなんですが、一つ考えなきゃいけないのは、国政と地方政治の役割分担という問題だろうと思うわけですね。
先生がおっしゃった単年度予算の中で具体的に地域に対してどういう政策を行うか、どういう事業を行うかという問題は、これは別段国の予算として考える必然性はないわけでありまして、もう少し地域の問題については、地方分権を進めて、地方自治体でもって物事が完結するような仕組みをつくる。国会は、まさに国際社会、グローバルないろいろな問題に日本がどういうふうに対応していくかという、国政固有の問題について議論をし、枠組みをつくっていく。そういう形で役割分担をしていくことが何よりも政治を活性化するといいましょうか、政治の対応能力を高めていく一番の要点ではないかというふうに私は考えているわけであります。
そういう形で、要するに国政選挙というのは巨視的な、日本のまさに国としての進路を問う選挙なんだという舞台づくりが進んでくれば、各政党とも、逆に今よりももっと踏み込んだ形でビジョンを示して、政策で競争していく、地域固有の問題について競争するんじゃなくて、国全体の問題について選挙の場で議論をしていくという形に変わっていくだろうというふうに思います。
それから、望ましい政党システムという論点ですけれども、私は、やはり政権を担うある程度中心的な政党が必要だと思います。保守、革新とか、右、左というような軸はもう今すっかりあいまいになってきましたけれども、基本的な理念として、自由を重視するというのか、マーケットメカニズムを重視するという方向と、もう一つは、平等あるいは政府のある程度の介入を行うという二つ大きな固まりがあって、その他幾つか小さい政党があってもいいですけれども、やはり政権を担う軸というものははっきりした方がいいと思います。
この発言だけを見る →ただ、行政の固有の領域というものは何なのかということをここで改めて考える必要があるわけでありまして、例えば、課長クラス以下の人事ですとか、あるいは、まさに役所が発注する仕事についての入札ですとか、そういう事柄は行政固有の領域であって、政治家はこれに関与すべきではない。それはまさに競争ですとか、あるいは客観的な評価ですとかというものに基づいて行うべき意思決定です。それに対して政治の論理が入ってくれば、どうしてもポストやお金というものを党派的に運用するという形になるわけでありまして、そういう面で、まず行政固有の意思決定の領域というものをはっきりと定義して、そこには政治は関与しないという新しいルールといいましょうか、のりをつくるということが私は必要だと思います。
政治主導ということについては、先ほども申し上げたとおりでありまして、私は、与党がもっと責任を持って政策決定のまさに枠組みをつくっていくことが必要だと思います。つまり、入札とか箇所づけとかという問題に首を突っ込むことは決して政治主導のあるべき形ではないわけでありまして、もっと根本的な、まさに経済や社会保障の大きな枠組みについて与党がはっきりした方針を示して、行政はそれを肉づけ、具体化するようなテクニカルな仕事をするという形の役割分担をきちっとつくっていかなければいけないというふうに思うわけであります。
それから二つ目は、日本の政党政治は選挙をどういうふうに改めていくのかということなんですけれども、これは大変道が遠いと申しましょうか、具体的にどこを変えればいいのかということになりますと、私も実は余り歯切れよくはないわけなんですが、一つ考えなきゃいけないのは、国政と地方政治の役割分担という問題だろうと思うわけですね。
先生がおっしゃった単年度予算の中で具体的に地域に対してどういう政策を行うか、どういう事業を行うかという問題は、これは別段国の予算として考える必然性はないわけでありまして、もう少し地域の問題については、地方分権を進めて、地方自治体でもって物事が完結するような仕組みをつくる。国会は、まさに国際社会、グローバルないろいろな問題に日本がどういうふうに対応していくかという、国政固有の問題について議論をし、枠組みをつくっていく。そういう形で役割分担をしていくことが何よりも政治を活性化するといいましょうか、政治の対応能力を高めていく一番の要点ではないかというふうに私は考えているわけであります。
そういう形で、要するに国政選挙というのは巨視的な、日本のまさに国としての進路を問う選挙なんだという舞台づくりが進んでくれば、各政党とも、逆に今よりももっと踏み込んだ形でビジョンを示して、政策で競争していく、地域固有の問題について競争するんじゃなくて、国全体の問題について選挙の場で議論をしていくという形に変わっていくだろうというふうに思います。
それから、望ましい政党システムという論点ですけれども、私は、やはり政権を担うある程度中心的な政党が必要だと思います。保守、革新とか、右、左というような軸はもう今すっかりあいまいになってきましたけれども、基本的な理念として、自由を重視するというのか、マーケットメカニズムを重視するという方向と、もう一つは、平等あるいは政府のある程度の介入を行うという二つ大きな固まりがあって、その他幾つか小さい政党があってもいいですけれども、やはり政権を担う軸というものははっきりした方がいいと思います。
高
山
高
島
島聡#10
○島小委員 民主党の島聡でございます。
山口先生の御著書は私は何度も読みましたし、民主党のいろいろな立場で、政策調査会とか代表室の立場で随分参考にさせていただいてやっております。
その私が、なぜ日本型首相公選制を主張するかというのは、やはり首相公選制にしないと無理かなと思う点があるからです。二点申し上げます。
一点は、国会に入ってきて思ったのは、憲法は議院内閣制を想定しています。ところが、委員会は常任委員会中心型で行われています。そうすると、議員の意識はどうしても首相に向かわないんです。政党じゃなくて、議員個々人に向くという点が一点あります。
例えば、小泉首相になられた、ある意味で、マスコミの報道の言葉をかりると、予備的な国民投票制度、党員投票になったという話でありますが、ある程度リーダーシップを持つかと思ったら、具体的に例えば郵政民営化、本当に彼がやろうと思うならば、中央省庁改革基本法三十三条一項、それを削除するとやればいいんです。どうやってやるか。閣議だって越せるんです。今回、内閣法の四条で、内閣総理大臣は発議権を持つことができた。総務会、こんなものは単なる自民党の申し入れ書ですから、それを無視すると言えばいいんです。それを全部やれますかといって迫ったことがあるんですが、できないと言っています。
ということは、これはきちんとした迅速なリーダーシップをとろうと思うならば、議院内閣制の限界といいますか、そういうものがあるので、首相公選制はやはり必要であるというふうに私は思うんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →山口先生の御著書は私は何度も読みましたし、民主党のいろいろな立場で、政策調査会とか代表室の立場で随分参考にさせていただいてやっております。
その私が、なぜ日本型首相公選制を主張するかというのは、やはり首相公選制にしないと無理かなと思う点があるからです。二点申し上げます。
一点は、国会に入ってきて思ったのは、憲法は議院内閣制を想定しています。ところが、委員会は常任委員会中心型で行われています。そうすると、議員の意識はどうしても首相に向かわないんです。政党じゃなくて、議員個々人に向くという点が一点あります。
例えば、小泉首相になられた、ある意味で、マスコミの報道の言葉をかりると、予備的な国民投票制度、党員投票になったという話でありますが、ある程度リーダーシップを持つかと思ったら、具体的に例えば郵政民営化、本当に彼がやろうと思うならば、中央省庁改革基本法三十三条一項、それを削除するとやればいいんです。どうやってやるか。閣議だって越せるんです。今回、内閣法の四条で、内閣総理大臣は発議権を持つことができた。総務会、こんなものは単なる自民党の申し入れ書ですから、それを無視すると言えばいいんです。それを全部やれますかといって迫ったことがあるんですが、できないと言っています。
ということは、これはきちんとした迅速なリーダーシップをとろうと思うならば、議院内閣制の限界といいますか、そういうものがあるので、首相公選制はやはり必要であるというふうに私は思うんですが、いかがでしょうか。
山
山口二郎#11
○山口参考人 私は、議院内閣制だからリーダーシップがとれないということではないというふうに常々考えているわけでありまして、総理が示した基本的な一番優先順位の高い政策について与党が異論を出すということは、これはやはり政党政治の基本に反するわけでありまして、それは政党のあり方を変えていただかないと、国民としては選挙のときに何を選んだかわからないということになるわけですね。
そういう意味で、私は、イギリスやドイツやヨーロッパのいろいろな国々の政治を見ておりまして、ともかく、そのときの政権がやりたい一番の重要課題については与党は結束して支えることによって、例えばイギリスのサッチャー政権やブレア政権のように、大きな改革、政策の転換が進むわけですね。逆に、アメリカの政治を見ておりますと、クリントン政権時代は上下両院とも共和党が多数派になってしまいまして、クリントンがやりたいと思った例えば医療保険の導入なんというのもうまくいかなかったわけですね。
つまり、行政府の長は確かに直接選ばれた大変強い権威を持つわけですけれども、議会の多数派が自分とは違うグループになってしまいますと、デッドロックに陥ってしまう危険性が非常に大きいわけでありまして、その点では、改革を進めるためには行政府と立法府というものがやはり同じ方向を向いていくということが私は必要だというふうに思うわけです。
この発言だけを見る →そういう意味で、私は、イギリスやドイツやヨーロッパのいろいろな国々の政治を見ておりまして、ともかく、そのときの政権がやりたい一番の重要課題については与党は結束して支えることによって、例えばイギリスのサッチャー政権やブレア政権のように、大きな改革、政策の転換が進むわけですね。逆に、アメリカの政治を見ておりますと、クリントン政権時代は上下両院とも共和党が多数派になってしまいまして、クリントンがやりたいと思った例えば医療保険の導入なんというのもうまくいかなかったわけですね。
つまり、行政府の長は確かに直接選ばれた大変強い権威を持つわけですけれども、議会の多数派が自分とは違うグループになってしまいますと、デッドロックに陥ってしまう危険性が非常に大きいわけでありまして、その点では、改革を進めるためには行政府と立法府というものがやはり同じ方向を向いていくということが私は必要だというふうに思うわけです。
島
島聡#12
○島小委員 全く賛成でございますが、今なかなか政治の現実に入ると難しいということでそういう主張をしているということを申し上げました。
今政党のあり方論が出ましたけれども、ここは憲法調査会でありますので、私は、政党の役割を憲法で明確にすべきではないかと思っています。例えば、自民党の政策を私たち分析したことがあります。今額賀先生おっしゃったように、大まかです。普通なら、我々野党が、自民党の政策、ここがおかしいとか、こういう達成度がない、マニフェストがここまで実行されていないということを言いたかったんだけれども、言えないんですよ、大まかだから。分析できないんですよ。
例えば、ドイツ連邦共和国基本法二十一条、政党は国民の政治的意思形成に協力する、その設立は自由であると位置づけています。政党内部秩序は民主主義の諸原則に適合しなければならないと、政党運営の方法まで定義しまして、資金の出所及び使途について、並びに財産について公的に報告しなければならない、そこまで定義しているんです。そこまできちんと位置づけたら、そこで初めて政党の役割とか、政党が国民と契約を結ぶんだということが位置づけられるんだと思うんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →今政党のあり方論が出ましたけれども、ここは憲法調査会でありますので、私は、政党の役割を憲法で明確にすべきではないかと思っています。例えば、自民党の政策を私たち分析したことがあります。今額賀先生おっしゃったように、大まかです。普通なら、我々野党が、自民党の政策、ここがおかしいとか、こういう達成度がない、マニフェストがここまで実行されていないということを言いたかったんだけれども、言えないんですよ、大まかだから。分析できないんですよ。
例えば、ドイツ連邦共和国基本法二十一条、政党は国民の政治的意思形成に協力する、その設立は自由であると位置づけています。政党内部秩序は民主主義の諸原則に適合しなければならないと、政党運営の方法まで定義しまして、資金の出所及び使途について、並びに財産について公的に報告しなければならない、そこまで定義しているんです。そこまできちんと位置づけたら、そこで初めて政党の役割とか、政党が国民と契約を結ぶんだということが位置づけられるんだと思うんですが、いかがでしょうか。
山
山口二郎#13
○山口参考人 私も、政党に対する公費助成が始まっている以上、政党に対する法的な位置づけというものははっきりさせる必要があるだろうと思います。
私的自治というのか、結社の自由との関係で、どこまで政党のあり方について規定できるかというのは非常に難しい問題はありますけれども、現実の問題としては、私は、政党助成とのいわば交換条件で、助成金をもらう政党に対するある種の義務規定みたいなもの、例えば党首の選出についての大まかなガイドラインですとか、選挙に際して首相候補者や具体的な政権構想を示せとか、努力規定ですけれども、そういうものを置くということで政党のあり方を考えていく必要があるだろうと思います。
憲法の中に政党の規定を入れるかどうかというのは、私は、ドイツみたいな形ではっきりと政党を位置づけるということも一つは理念として有意義ではないかというふうに思います。
この発言だけを見る →私的自治というのか、結社の自由との関係で、どこまで政党のあり方について規定できるかというのは非常に難しい問題はありますけれども、現実の問題としては、私は、政党助成とのいわば交換条件で、助成金をもらう政党に対するある種の義務規定みたいなもの、例えば党首の選出についての大まかなガイドラインですとか、選挙に際して首相候補者や具体的な政権構想を示せとか、努力規定ですけれども、そういうものを置くということで政党のあり方を考えていく必要があるだろうと思います。
憲法の中に政党の規定を入れるかどうかというのは、私は、ドイツみたいな形ではっきりと政党を位置づけるということも一つは理念として有意義ではないかというふうに思います。
島
島聡#14
○島小委員 今おっしゃったように、結社の自由がありますから、イタリア共和国憲法ぐらいに、四十九条にあります、政党結成の権利、すべて市民は、民主的な方法で国の政策の決定に協力するために、自由に政党を結成する権利を有するぐらいにしておいて、あとは法律でやってもいいと私は思うんです。
今おっしゃった少数会派の国政調査権の話でありますが、国政調査権というのは院の権能です、御存じのように。野党が行政監視をやるのに一番重要な話なんですが、憲法六十二条に、「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」とあります。だけれども、五十六条二項で、院の議決は、「出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。」とあるんです。
議院内閣制下において、野党が普通、行政監視機能を果たします。したがって、例えば今回の鈴木宗男さんの問題のように、こういう記録文書を提出しなさい、あるいは証人喚問に来なさいというのも、結局は与党の理事が過半数を占める、特に証人喚問は全会一致制の慣習がありますから、そういうことがあるとできないわけです。
こういう意味でいくと、少数会派が国政調査権を発動できるように、我々も、それを乗り越えた少数会派の議員立法を実はきょう提出する予定でございますけれども、少数会派の国政調査権は、やはり政権交代可能な政治にするため、あるいは行政監視をするため最も必要だと思うんですが、いかがでしょうか。
この発言だけを見る →今おっしゃった少数会派の国政調査権の話でありますが、国政調査権というのは院の権能です、御存じのように。野党が行政監視をやるのに一番重要な話なんですが、憲法六十二条に、「両議院は、各々国政に関する調査を行ひ、これに関して、証人の出頭及び証言並びに記録の提出を要求することができる。」とあります。だけれども、五十六条二項で、院の議決は、「出席議員の過半数でこれを決し、可否同数のときは、議長の決するところによる。」とあるんです。
議院内閣制下において、野党が普通、行政監視機能を果たします。したがって、例えば今回の鈴木宗男さんの問題のように、こういう記録文書を提出しなさい、あるいは証人喚問に来なさいというのも、結局は与党の理事が過半数を占める、特に証人喚問は全会一致制の慣習がありますから、そういうことがあるとできないわけです。
こういう意味でいくと、少数会派が国政調査権を発動できるように、我々も、それを乗り越えた少数会派の議員立法を実はきょう提出する予定でございますけれども、少数会派の国政調査権は、やはり政権交代可能な政治にするため、あるいは行政監視をするため最も必要だと思うんですが、いかがでしょうか。
山
山口二郎#15
○山口参考人 私もその点は全く同感でございまして、調査の権能というものを、衆議院、参議院の議院ではなくて、まさに国会議員に与えるべきだというふうに思います。ですから、一人一人に与えるというのはちょっと非現実的かもしれませんが、一定数以上の要求があれば、資料の提出、証人の喚問等ができるというふうに、ここのところははっきり改めた方がよいだろうというふうに思います。
この発言だけを見る →島
島聡#16
○島小委員 最後に、基本的なことを改めてお聞きします。
三権分立論の話が、国会に入ってきますと、随分いろいろな意見があるんですよ。例えば、これは私ども野党の方も議論が分かれていまして、国会の理事会に副大臣、政務官が理事として入ったらどうかという提言をされた二十一世紀臨調があります。それに対しては、多分いろいろな意味で議論が出てくるんです。
といいますのは、議事運営にかかわるところに、要するに、議院内閣制の考え方は今のところ三権分立論、モンテスキューの発想に基づいていますから、そうしますとなかなかそこに入れられないという発想になっております。憲法の方も、基本的には第四章、第五、第六と、国会、内閣、司法に分かれていますから、三つに分かれている形になっています。
議院内閣制の考え方というのは十分議論しなくちゃいけない。山口先生のお話ですと、要するに、内閣と国会はバックグラウンドで結びつけていくという発想だと思うんですが、どうもそういう発想が多数派を占めていないと思いますので、そこをもう少し詳しくお話しいただけませんか。
この発言だけを見る →三権分立論の話が、国会に入ってきますと、随分いろいろな意見があるんですよ。例えば、これは私ども野党の方も議論が分かれていまして、国会の理事会に副大臣、政務官が理事として入ったらどうかという提言をされた二十一世紀臨調があります。それに対しては、多分いろいろな意味で議論が出てくるんです。
といいますのは、議事運営にかかわるところに、要するに、議院内閣制の考え方は今のところ三権分立論、モンテスキューの発想に基づいていますから、そうしますとなかなかそこに入れられないという発想になっております。憲法の方も、基本的には第四章、第五、第六と、国会、内閣、司法に分かれていますから、三つに分かれている形になっています。
議院内閣制の考え方というのは十分議論しなくちゃいけない。山口先生のお話ですと、要するに、内閣と国会はバックグラウンドで結びつけていくという発想だと思うんですが、どうもそういう発想が多数派を占めていないと思いますので、そこをもう少し詳しくお話しいただけませんか。
山
山口二郎#17
○山口参考人 戦後の日本の憲法学では、特に権力分立論が重視されておりまして、議院内閣制における権力の融合、要するに国会の多数派が行政権を持つという、この融合の側面については非常に軽視されてきた。それから、特に伝統的な日本の憲法学というのは大きな権力が嫌いでありまして、ともかく行政と国会を分けちゃって、国会というのは、行政に対してある種チェックしたり牽制したりということを重視するわけですよ。
しかし、今の日本の課題は、ちゃんとした権力をつくって問題を解決していくという側面の方が今明らかに不足しているわけでありまして、そういう意味では、議院内閣制というのは、アメリカ的な権力分立が必ずしもなじまないんだということを明確に議論していく必要があるだろうと思います。最近、少し憲法学界でもそういう議論は始まっているわけなんですけれども。
この発言だけを見る →しかし、今の日本の課題は、ちゃんとした権力をつくって問題を解決していくという側面の方が今明らかに不足しているわけでありまして、そういう意味では、議院内閣制というのは、アメリカ的な権力分立が必ずしもなじまないんだということを明確に議論していく必要があるだろうと思います。最近、少し憲法学界でもそういう議論は始まっているわけなんですけれども。
島
高
斉
斉藤鉄夫#20
○斉藤(鉄)小委員 公明党の斉藤鉄夫です。
私、先生にまず最初に聞こうと思っていたこと、今、島委員の最後の質問と重なってしまったんですけれども、もう一度、三権分立と、憲法四十一条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」という、この条文との関係についてお伺いしたいと思います。
私、今の教育でどういうふうにこの三権分立が教えられているかちょっと勉強していないんですが、少なくとも、国権の最高機関である国会が法律をつくり、つまり政治の大方針を決め、行政はそれを執行する機関にすぎないんだというふうに私自身教わりました。国会が決めたことを忠実に実行するために国会議員が大臣になるんだ、こういうふうに私は教わりました。
きょうの先生のお話は、そうではなくて、フュージョン・オブ・パワーという言葉を使われて、ある意味では国権の最高機関は内閣であるというふうにも聞こえたんですけれども、この三権分立の考え方について、もう一度先生にお伺いいたします。
この発言だけを見る →私、先生にまず最初に聞こうと思っていたこと、今、島委員の最後の質問と重なってしまったんですけれども、もう一度、三権分立と、憲法四十一条の「国会は、国権の最高機関であつて、国の唯一の立法機関である。」という、この条文との関係についてお伺いしたいと思います。
私、今の教育でどういうふうにこの三権分立が教えられているかちょっと勉強していないんですが、少なくとも、国権の最高機関である国会が法律をつくり、つまり政治の大方針を決め、行政はそれを執行する機関にすぎないんだというふうに私自身教わりました。国会が決めたことを忠実に実行するために国会議員が大臣になるんだ、こういうふうに私は教わりました。
きょうの先生のお話は、そうではなくて、フュージョン・オブ・パワーという言葉を使われて、ある意味では国権の最高機関は内閣であるというふうにも聞こえたんですけれども、この三権分立の考え方について、もう一度先生にお伺いいたします。
山
山口二郎#21
○山口参考人 ちょっと時間がなくて十分御説明ができなかったようでありまして、私は、あくまで国会が国権の最高機関という前提で議院内閣制の運用を考えるべきだというふうに考えております。
イギリスでも議会主権という概念があるわけでありまして、まず、権力の源泉は国会である。主権者である国民が直接選べるのは国会議員でありまして、その国会議員が集まる議会こそが三つの権力の中ではやはり一番強い正当性を持っているというのが国権の最高機関という文言の意味だと私は理解をしております。
ただし、実際には、国会は多数決で動くわけですから、国会の多数勢力が行政権を掌握するということになるわけで、内閣が強い権力を持つということは、あくまで国会の多数派だから権力が持てるわけですよ。ですから、決して、内閣の力を強めていくということは、国権の最高機関という理念とは矛盾しないというふうに私は理解をしております。
それから、権力分立の概念というお話ですけれども、司法の独立というのはもちろん大変重要な理念で、その部分については分立という言葉のイメージが明確になるわけでありますが、立法と行政というのは、これはむしろ緊密に連携をする、協力をするということが必要になるわけでありまして、ですから、モンテスキューがモデル化した図式を議院内閣制に当てはめるということについては、私は無理がある。
むしろ実際には、政治任用をふやすという議論をするときに、官僚の方がそれを嫌がって、権力分立を持ち出すわけですね。つまり、国会議員が余りたくさん行政の中に入ってくると、それは権力の分立に反するんだということを言って反対をしてきたわけですけれども、そもそも、国会議員が総理大臣、閣僚等になって行政府の指導的ポストにつくということですから、そういう意味での、国会議員が行政の中に入ってくるということを権力分立という枠組みで眺めますと、これはやはりどうしても矛盾ということに見えてしまうわけです。
ですから、私は、憲法学における権力分立の概念というものは、議院内閣制の現実に合わせて考え直す必要があるというふうに思います。
この発言だけを見る →イギリスでも議会主権という概念があるわけでありまして、まず、権力の源泉は国会である。主権者である国民が直接選べるのは国会議員でありまして、その国会議員が集まる議会こそが三つの権力の中ではやはり一番強い正当性を持っているというのが国権の最高機関という文言の意味だと私は理解をしております。
ただし、実際には、国会は多数決で動くわけですから、国会の多数勢力が行政権を掌握するということになるわけで、内閣が強い権力を持つということは、あくまで国会の多数派だから権力が持てるわけですよ。ですから、決して、内閣の力を強めていくということは、国権の最高機関という理念とは矛盾しないというふうに私は理解をしております。
それから、権力分立の概念というお話ですけれども、司法の独立というのはもちろん大変重要な理念で、その部分については分立という言葉のイメージが明確になるわけでありますが、立法と行政というのは、これはむしろ緊密に連携をする、協力をするということが必要になるわけでありまして、ですから、モンテスキューがモデル化した図式を議院内閣制に当てはめるということについては、私は無理がある。
むしろ実際には、政治任用をふやすという議論をするときに、官僚の方がそれを嫌がって、権力分立を持ち出すわけですね。つまり、国会議員が余りたくさん行政の中に入ってくると、それは権力の分立に反するんだということを言って反対をしてきたわけですけれども、そもそも、国会議員が総理大臣、閣僚等になって行政府の指導的ポストにつくということですから、そういう意味での、国会議員が行政の中に入ってくるということを権力分立という枠組みで眺めますと、これはやはりどうしても矛盾ということに見えてしまうわけです。
ですから、私は、憲法学における権力分立の概念というものは、議院内閣制の現実に合わせて考え直す必要があるというふうに思います。
斉
斉藤鉄夫#22
○斉藤(鉄)小委員 国会と内閣の関係性についてもう一問聞かせていただきますが、両院制、二院の役割分担をという先生のお話でしたけれども、これをもう少しお話しいただきたいと思います。
衆議院と内閣については、不信任決議権と解散権、そういうそれぞれ相対している緊張関係があるわけですけれども、内閣と参議院につきましては、参議院に実質的な決議権、法定上のものはないわけですけれども、しかし実質的にはある。しかし内閣は、参議院に対して解散権もなければ、ないどころか、議員の身分は六年間という長期安定保障。これでは、ある意味で内閣と国会の緊張関係、ちょっとバランスを欠くんではないかと私自身は思っていますけれども、その点も含めてお話をいただきたいと思います。
この発言だけを見る →衆議院と内閣については、不信任決議権と解散権、そういうそれぞれ相対している緊張関係があるわけですけれども、内閣と参議院につきましては、参議院に実質的な決議権、法定上のものはないわけですけれども、しかし実質的にはある。しかし内閣は、参議院に対して解散権もなければ、ないどころか、議員の身分は六年間という長期安定保障。これでは、ある意味で内閣と国会の緊張関係、ちょっとバランスを欠くんではないかと私自身は思っていますけれども、その点も含めてお話をいただきたいと思います。
山
山口二郎#23
○山口参考人 参議院が政党化をしたとか、良識の府としての機能を失ったというような批判がマスメディアにはよくあるわけですけれども、今の憲法のもとで、おっしゃるように、参議院が衆議院と実質的には対等の立法権を持っているとすれば、これはやはり政権の運営とか国政の遂行上、参議院が政党化するというか、与党が参議院の多数をきちっと押さえて法案を通せるようにするというのは必然ですね。これは、非難する方がおかしいと私は思います。
御指摘のように、現状では、参議院選挙の結果で政権がかわったりとか、参議院で問責決議みたいなものが出てきたりということで、内閣に対する参議院のある種の抵抗といいましょうか牽制機能というのは大変強いわけですね。私は、二つの院の役割分担というものを今後の憲法の議論の中で明らかにしていく。衆議院は、あくまで政権を支え、法律をつくる、予算をつくる院だと。参議院は、むしろ、政権を支える与党の論理じゃなくて、大所高所から国政上の問題を研究したり、あるいは行政を監視したりという、いわば批判的な、あるいは政策に関するシンクタンク的な機能を強化していく。その分、立法ですとかあるいは人事、総理大臣の指名その他については、権限はやはり減らすべきだというふうに思いますね。
あわせて、例えば最高裁判所の裁判官の指名について、国民審査なんというのはもう形骸化しているので、あんなものはやめて、例えば参議院がそれについてヒアリングをして、同意するかどうかという権限を持つとか、あるいは条約の承認は参議院が先にやるとか、そういう面で参議院の役割を新たに見出していくということが必要ではないかと思います。
この発言だけを見る →御指摘のように、現状では、参議院選挙の結果で政権がかわったりとか、参議院で問責決議みたいなものが出てきたりということで、内閣に対する参議院のある種の抵抗といいましょうか牽制機能というのは大変強いわけですね。私は、二つの院の役割分担というものを今後の憲法の議論の中で明らかにしていく。衆議院は、あくまで政権を支え、法律をつくる、予算をつくる院だと。参議院は、むしろ、政権を支える与党の論理じゃなくて、大所高所から国政上の問題を研究したり、あるいは行政を監視したりという、いわば批判的な、あるいは政策に関するシンクタンク的な機能を強化していく。その分、立法ですとかあるいは人事、総理大臣の指名その他については、権限はやはり減らすべきだというふうに思いますね。
あわせて、例えば最高裁判所の裁判官の指名について、国民審査なんというのはもう形骸化しているので、あんなものはやめて、例えば参議院がそれについてヒアリングをして、同意するかどうかという権限を持つとか、あるいは条約の承認は参議院が先にやるとか、そういう面で参議院の役割を新たに見出していくということが必要ではないかと思います。
斉
斉藤鉄夫#24
○斉藤(鉄)小委員 最後に、首相公選制についてお伺いします。
昨年の夏、憲法調査会でイスラエルに行ってまいりました。首相公選制を実行し、今は廃止いたしましたけれども、いろいろな方から意見を聞いてまいりました。たくさんの方が、先生おっしゃっているように、政党政治の死を意味するというふうにおっしゃっておりました。しかし、私自身は、ちょっと詳しいことを言う時間がないので省略しますが、制度設計に不備があったがための一つの結果なのではないかとも思っています。そこは検証していかなくてはいけないと思っておりますけれども。
私がお聞きしたいのは、現在のイスラエルのあの非常に悲しむべき現状。首相公選制は廃止されましたけれども、シャロンさんは首相公選制で選ばれた方です。選ばれた方であるがゆえに、選挙のときに掲げた方針、この方針を変えられない、非常に強硬な姿勢をとらざるを得ないという、ある意味でリーダーシップを持ったがゆえの負の側面が出ているのかなとも思うんですけれども、この点に関して何か御感想があれば、先生の御意見をお聞きしたいと思います。
この発言だけを見る →昨年の夏、憲法調査会でイスラエルに行ってまいりました。首相公選制を実行し、今は廃止いたしましたけれども、いろいろな方から意見を聞いてまいりました。たくさんの方が、先生おっしゃっているように、政党政治の死を意味するというふうにおっしゃっておりました。しかし、私自身は、ちょっと詳しいことを言う時間がないので省略しますが、制度設計に不備があったがための一つの結果なのではないかとも思っています。そこは検証していかなくてはいけないと思っておりますけれども。
私がお聞きしたいのは、現在のイスラエルのあの非常に悲しむべき現状。首相公選制は廃止されましたけれども、シャロンさんは首相公選制で選ばれた方です。選ばれた方であるがゆえに、選挙のときに掲げた方針、この方針を変えられない、非常に強硬な姿勢をとらざるを得ないという、ある意味でリーダーシップを持ったがゆえの負の側面が出ているのかなとも思うんですけれども、この点に関して何か御感想があれば、先生の御意見をお聞きしたいと思います。
高
山
山口二郎#26
○山口参考人 確かに首相公選制で、一回決めたことが転換できないということはありますが、それはリーダーシップの問題だと思います。
もう一つ、首相公選制にしますと小党分立がやはり進むという傾向があるわけです。つまり、総理を選ぶんだったら、議会の方は適当に自分の好きなところに入れようと。そういう意味で、首相公選制をやりますと、私は、議会が非常に小党分立になっていく危険性が大きいと思います。
この発言だけを見る →もう一つ、首相公選制にしますと小党分立がやはり進むという傾向があるわけです。つまり、総理を選ぶんだったら、議会の方は適当に自分の好きなところに入れようと。そういう意味で、首相公選制をやりますと、私は、議会が非常に小党分立になっていく危険性が大きいと思います。
高
藤
藤島正之#28
○藤島小委員 自由党の藤島正之でございます。
先生の御説明にもありますように、確かに政官和合の時代は今の制度で非常にうまくいっていたような気はするんですけれども、近年、政官矛盾の時代に入ってきて、ここでいろいろな問題が出てきているというふうな認識で、私は全くそういう感じがするんです。慣習的にやってきていた部分がほとんどなので、自由民主党を中心とする内閣ということで、外から見ておった限りで、今まではまず一体的に見られておったわけですけれども、だんだんそこのところに問題が出てきた。今回、小泉政権になってますますその点が出てきたということなんです。
イギリスの制度、これは非常に参考になるというふうに考えるわけですけれども、その中の一つとして政治任用の拡大の問題ですけれども、この点については、先生、どのようにお考えになりますか。
この発言だけを見る →先生の御説明にもありますように、確かに政官和合の時代は今の制度で非常にうまくいっていたような気はするんですけれども、近年、政官矛盾の時代に入ってきて、ここでいろいろな問題が出てきているというふうな認識で、私は全くそういう感じがするんです。慣習的にやってきていた部分がほとんどなので、自由民主党を中心とする内閣ということで、外から見ておった限りで、今まではまず一体的に見られておったわけですけれども、だんだんそこのところに問題が出てきた。今回、小泉政権になってますますその点が出てきたということなんです。
イギリスの制度、これは非常に参考になるというふうに考えるわけですけれども、その中の一つとして政治任用の拡大の問題ですけれども、この点については、先生、どのようにお考えになりますか。
山
山口二郎#29
○山口参考人 要するに、価値観に基づく政策の提示については、基本的にはやはり政治が担うべきだと私は考えるわけでありまして、そうしますと、例えば今の日本の中央省庁の中で、少なくとも局長クラス以上は政治任用にすべきだというふうに私は思います。
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