川崎秀二 に関する国会発言

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2010-02-16 若泉征三 予算委員会 衆議院

○若泉委員 時間がありませんので。  先ほど話しましたように、若泉敬氏またダライ・ラマ氏が、民間の外交というものは人と人のつながりが非常に大切だと言っておりました。  私が今こういうことを言うと岡田外務大臣はちょっと嫌がることなんですが、あなたのお父上が、自分の会社のお金を一部、世界の青少年のために寄附されているんです。こういう民間的な外交というのも必要だと思いますが、政府として、昔、財団法人世界青少年交流協会というのがありまして、

2007-11-06 河野洋平 本会議 衆議院

○議長(河野洋平君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。     —————————————     藤井 裕久君のあいさつ   この度、国会議員在職二十五年に当り、院議をもって表彰していただき、感慨一入のものがあり、身に余る光栄に存じます。   思えば、昭和五十二年参議院全国区で当選させていただいて以来、その来し方を振り返れば、いま私があるのは、多くの先輩、同

2004-02-18 小杉隆 予算委員会 衆議院

○小杉委員 おはようございます。連日、御苦労さまです。  まず、サマータイムの導入についてお話しします。  私たちは、今、経済、雇用、地球環境、少子高齢化、児童虐待など子供をめぐる諸問題など、多くの課題を抱えています。これまでの仕組みを抜本的に改革し、新しい時代にふさわしいシステム、それも、自然と人がともに輝き、ともに幸せになれる暮らしや産業、社会のルールを創造することが求められています。  大事なことは、私たち一人一人が新しい自

1987-03-04 中曽根康弘 予算委員会 衆議院

○中曽根内閣総理大臣 講和条約のような日本の運命を決する大事な問題については、当時我々は本当に真剣に毎晩けんけんがくがくの議論をやったものであります。初めのうちは、我々は野党ですから、講和条約の内容も安保条約の内容もわからない状態であった。したがって、こういうような状態では我々は賛成できない、そういうような演説を私らはやりました。それは事実であります。  しかし、だんだん内容がわかってまいりまして、そして少なくとも平和条約については、

1987-03-04 中曽根康弘 予算委員会 衆議院

○中曽根内閣総理大臣 今の園田君との関係は事実と違います。  それは、講和条約の問題が出まして、そして講和条約の内容がだんだんわかってきました。初めのうちはともかく我々は見当もつかない。また安保条約につきましての内容が全然見当がつかない。そういう状態であるから野党としては、私は当時野党でしたから、もっとこれを出しなさいと、ちょうど今山口さんが与党を攻めているようにやったわけであります。  しかし、だんだん内容がわかってくるにつれて、

1984-02-23 中曽根康弘 予算委員会 参議院

○国務大臣(中曽根康弘君) けさ新聞を見まして私も驚いたのでございますが、あれは極めて不正確な記事であります。私は川崎秀二君の七周忌に出まして一応ごあいさつをして、それから参加者のところを回って歓談をしたわけで、いろんな人に会ったわけです。私は、皆さんがおっしゃるのをああそうですかそうですかと聞き役に回っておったので、立場上それは当然のことであります。いわんや他党に干渉がましいことや失礼のようなことは一切申しておりません。しかし、あの中

1984-02-09 中山太郎 本会議 参議院

○中山太郎君 私は、自由民主党・自由国民会議を代表し、総理の施政方針演説に対し、日本が選択すべき内外の重要政策について総理並びに関係閣僚にお尋ねをいたします。  まず第一に、外交についてお尋ねいたします。  我が国の外交の基軸は、自由民主党政府が続く限り日米友好関係の維持発展にあることは言うまでもありません。しかし、アジアの動向が我が国の平和と安全に深いかかわり合いを持つこともまた事実であります。  そこで、まず中ソ和解への動きに

1978-03-28 細田吉藏 議院運営委員会 衆議院

○細田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  なお、川崎君に対する弔詞につきましては、お手元に配付いたしてあります特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。     —————————————  衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもつてその功労を表彰されさきに国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等川崎秀二君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞を

1978-03-28 細田吉藏 議院運営委員会 衆議院

○細田委員長 次に、議員川崎秀二君逝去の件についてでありますが、去る二月二十二日、三重県第一区選出議員川崎秀二君が逝去されました。  ここに謹んで哀悼の意を表します。  川崎君に対する追悼演説は、本日の本会議において行うこととし、演説者は、日本社会党の角屋堅次郎君にお願いいたしたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1978-03-28 角屋堅次郎 本会議 衆議院

○角屋堅次郎君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、多年、日中の友好親善のため、戦後の多難な時代から先覚的な役割りを果たされ、中国の指導者からもきわめて信頼の厚かったわが郷土の大先輩、本院議員川崎秀二先生は、待望久しい日中平和友好条約の締結を前にして、去る二月二十二日、肝不全のため逝去されました。  生来、責任感の人一倍強い先生は、昨年の大病の後にもかかわらず、亡くなられる直前まで予算委員会の重鎮として熱心に総予算の審議に当たら

1978-03-28 保利茂 本会議 衆議院

○議長(保利茂君) 御報告いたすことがあります。  議員川崎秀二君は、去る二月二十二日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  同君に対する弔詞は、議長において去る十六日贈呈いたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は多年憲政のために尽力し特に院議をもつてその功労を表彰されさきに国務大臣の重任にあたられた議員正三位勲一等川崎秀二君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます     ———

1978-03-02 大久保孟 議院運営委員会 衆議院

○大久保事務総長 最初に、永年在職議員の森山欽司さんに対する表彰決議を行います。引き続きまして、議長から表彰文の朗読がありました後、森山さんから謝辞が述べられます。次いで、故議員川崎秀二さんに対する表彰決議を行います。引き続きまして、議長から表彰文の朗読があります。  終わりましてから日程に入ります。  日程第一につきまして、増岡運輸委員長のご報告がございます。委員長の報告は修正でございます。社会党、共産党が反対でございます。  

1978-03-02 細田吉藏 議院運営委員会 衆議院

○細田委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。     —————————————  議員森山欽司君は衆議院議員に当選すること九回在職二十五年に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた  よって衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する      ————◇—————  故議員川崎秀二君は衆議院議員に当選すること十一回在職二十四年十一月に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努め

1978-03-02 細田吉藏 議院運営委員会 衆議院

○細田委員長 御 異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  また、去る二月二十二日、三重県第一区選出議員川崎秀二君が逝去されました。  ここに謹んで哀悼の意を表します。  川崎君は、すでに在職二十四年十一カ月に及び、今月には永年在職議員として表彰を受けられるはずでありました。つきましては、川崎君の永年の功労を多とし、本日の本会議において特に院議をもって表彰することといたしたいと存じますが、これに御異議ありませんか。

1978-03-02 保利茂 本会議 衆議院

○議長(保利茂君) 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。(拍手)  表彰文を朗読いたします。  故議員川崎秀二君は衆議院議員に当選すること十一回在職二十四年十一月に及び常に憲政のために尽くし民意の伸張に努められた  よつて衆議院は君が永年の功労を多とし特に院議をもつてこれを表彰する     〔拍手〕  この贈呈方は議長において取り計らいます。      ————◇—————  日程第一 特定空港周辺航空機

1978-03-02 保利茂 本会議 衆議院

○議長(保利茂君) お諮りいたします。  議員川崎秀二君は、去る二月二十二日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  川崎秀二君は、本院議員としてすでに在職二十四年十一カ月に達しておられました。  この際、議院運営委員会の決定に基づき、同君に対し、院議をもってその功労を表彰いたしたいと存じます。表彰文は議長に一任せられたいと存じます。これに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1978-03-02 森山欽司 本会議 衆議院

○森山欽司君 このたび、永年在職議員として院議をもって表彰の御決議をいただきましたことは、身に余る光栄であります。  思えば、私たちの年代の者は太平洋戦争の犠牲となること最も大きく、あの戦争でたくさんの友人を失いました。命長らえた私は、若くして散った友人たちの分まで働かねばならない責務があると痛感いたしました。  そして、あの惨たんたる敗戦の大混乱から祖国を再建しなければという一途な気持ち、いまから思いますと、青年の客気とも言うべき

1978-02-22 永田亮一 外務委員会 衆議院

○永田委員長 これより会議を開きます。  この際、御報告を申し上げます。  本委員会の委員として国際問題に深い関心を寄せられ、御活躍をいただいておりました川崎秀二君が、けさ順天堂病院において逝去せられました。まことに哀悼痛惜の念にたえません。  ここに、委員各位とともに、故川崎秀二君の御冥福を祈り、黙祷をささげたいと存じます。  御起立を求めます。——黙祷。     〔総員起立、黙祷〕

1978-02-22 中野四郎 予算委員会 衆議院

○中野委員長 これより会議を開きます。  この際、御報告をいたします。  長らく本委員会委員であられた川崎秀二君が、本日、逝去されました。  ここに、謹んで哀悼の意を表し、御報告をいたします。      ――――◇―――――

1977-09-16 竹内黎一 外務委員会 衆議院

○竹内委員長 次に、川崎秀二君。