久留島秀三郎 に関する国会発言

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1970-04-27 川俣健二郎 社会労働委員会 衆議院

○川俣委員 この通勤の問題でもう一つ。というのは、会社の指定した車で行った場合は業務上災害。この通勤途上というのはこういう例があるのですよ。必ずしも一致した例じゃないのですが、私が所属しておった同和鉱業という会社、社長は久留島秀三郎という人で国鉄の理事です。世はまさに、昭和三十年ですから、ラッシュのピークでたいへんなんです。それでひとつ時差出勤をやろうじゃないかという提唱を労使双方でした。その場合に、いままでは八時半からだったものを九時

1968-04-18 中曽根康弘 運輸委員会 参議院

○国務大臣(中曽根康弘君) いまのお話の二点の中で、まずマラッカ海峡の問題は、先般宮中の夜会でスハルト大統領と話し合う機会がありまして、立ち話でございましたけれども、直接私、本人にお願いいたしました。それで、実はこれは政府間海事機構で調査研究しようということについて各国は非常に関心を持っておる、特に日本はこの問題では非常に重大関心を持っているのであすこを調査して、海流とか水深とか、そうして灯台をつくるとか、あるいは浮標をつくるとか、ある

1966-03-31 小川栄一 決算委員会 衆議院

○小川参考人 お呼び出しを受けました小川栄一でございます。ちょっと経過を申し上げます。  国際観光会館の設立は、昭和二十六年三月でございます。資本金は一億円。当時の観光立国という日本の要請に応じまして、かつて次官でありし平山孝氏が中心となりまして、国鉄の委員を兼ねていた佐藤喜一郎さんなどの協力を得て、開銀融資を受け得るということで、立案されたものであります。開銀融資はわずか一億五千万円でございます。ところが、当時の八重洲口方面に対する

1965-02-20 神近市子 予算委員会 衆議院

○神近委員 いま古い団体の名前が私頭によく入りませんでしたけれども、既設のたとえば日本交通安全協会、あるいは東京交通安全協会というようなところに非常にいろいろな弊害が起こっているのです。これは、あとで運輸大臣に御要請しなければならぬことが起こっていますけれども、この間昭島というところで市会議員が事故を起こした。この人は、何年かの間免許状なしでやっていた。どういうことかというと、おれは安全協会の理事だから、なくったって何ともないのだ、警察

1956-04-26 久留島秀三郎 商工委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) その点につきましては、全然これはだれもお答えができないのではないかと思います。現在日本のウラン資源というものについてはまだ調査もできておりませんし、まあほとんど調査の着手という程度にも及ばない、もちろんこれは地質調賢所でやっておられますが、地質調査所でごく少数の人が幾らか見ているという程度でありまして、これで将来日本の原子力発電というものの原料資源が日本で得られるのか、得られないのかということは、これはおそら

1956-04-26 久留島秀三郎 商工委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) 申し上げます。私はとにかく原料関係のことでお呼び出し願ったものかと存じますので、その意味において申し上げます。  実は私、この種の鉱物を取り扱います鉱業法を、むしろ独立した特別法を作った方がいいのじゃないかというような考えを持っておったのでありますが、すでに鉱業法の中にウラニウム、トリウムというものを法定鉱物として入れられましたので、そのあとの処置をどうするのかと実は私大へん心配しておったのでありますが、今

1956-04-24 三輪貞治 商工委員会 参議院

○委員長(三輪貞治君) 議事に入ります前に、原子力関係三法案の審議に当りまして、参考人の意見を聴取することに前回の委員会で御決定をいただきました。その日時と参考人の人選を委員長に一任されたわけですが、委員長は日時につきましては四月二十六日午前十時より、参考人の人選については七人の候補者をあげまして御本人の都合を伺った上次の三名をひとまず決定いたしております。関西電力常務一本松珠機君、原子力研究所副理事長駒形作次君、同和鉱業社長久留島秀三

1956-04-19 海野三朗 商工委員会 参議院

○海野三朗君 ビルマの賠償ですが、締結せられてから年末までにぐずぐずしておったのでありますが、その理由はどういうところにあったんですか。昨年久留島秀三郎君を参考人として呼んで話を聞いた際には、ビルマは双手をあげて、とにかく何でもいいからすぐ始めてもらいたいと言って、向うは双手をあげて待っておるという報告であった。しかるに、うまくまだ軌道に乗らないで半年以上もじんぜんとしておったわけは、どういうところにあったのでありましょうか。それを一つ

1955-06-14 田中利勝 社会労働委員会 衆議院

○田中(利)委員 最後に北里参考人にお尋ねしますが、委員会は、参考人として、鉱業協会の会長、同時に同和鉱業の社長である久留島秀三郎氏の出席を要請したはずでありますが、今日出られなかった理由はどういう点でありますか。

1955-06-02 海野三朗 商工委員会 参議院

○海野三朗君 昨年十二月に日本から賠償使節団として稲垣平太郎君がビルマに行きました。その後久留島秀三郎氏がこの委員会に出まして報告されたのを聞いたのであります。そのときの結論は、ビルマではいろいろな要求があったが、ことごとく日本にまかせるから、一刻も早くやってもらいたいという要求であった、こういう報告に接したのでありますが、それからもう半年も経過しているのでありますが、どういうふうな手を打たれているのであるか、それを一つお伺いしたいと思

1955-05-31 海野三朗 商工委員会 参議院

○海野三朗君 ビルマに対する賠償の問題でありまするが、去年の十二月にビルマに行きましたときに稲垣平太郎君が行っておりました。その後この商工委員会に久留島秀三郎君に来てもらいまして、その当時の状況を聞いたのであります。そのときに、ビルマの方では、すべての事柄を全部日本にまかせる、工場を建てるのも、経営の仕方も全部まかせるから早くやってもらいたいということであったという報告でありましたが、それからもう半年経過しておる、それに対して外務省及び

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) それは協会の技術部で各方面の方が代表で出ていただいておりますので、そういう方々とお話しすることにして、それから官庁側と御協議する、そういう能勢でいこうということにしております。それで繊維関係なら繊維関係で、誰に話すとか、そういうようなことで、大体協会と話して進めていきたい、そう思つております。

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) アジア協会のビルマ委員会というものは、まあビルマの賠償使節団が来たときに、何とか一つこちらもそういう態勢をしておかなければいかんというので急にできたわけで、そして稲垣さんなんかも直接折衝しろということで話がきまりまして話をしておりましたので、それ以上に今アジア協会としましては具体的にやつていることは何もないのですが、まあアジア協会でお手伝いできるということは、たとえば技術者を派遣するというような場合に、アジア

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) そのうちにある面ですでに向うへ調査しに行かれて……。それから日本側でも造船のごときは業者が出られて、造船界としてもその辺でやつてくれるならよかろうということで、ほかの造船業者は一応その二者にまかしてやるというような状態でございまして、そういうようなふうにその業界全体として意見がまとまつていつておられるなら大へんけつこうだと思うのですね。造船は確かにそうなつておるのです。それからそのほかはあまりそこまで進んだも

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) 今ですか、今は私は実はこの間御用済みにつき免ずという辞令をちようだいいたしまして、ただいまは関係ないのでございます。それでなるべく早く日本側におきましてもそういうことを直接向う側と具体的な問題について折衝する機関を早く作つていただかないといけないだろうと思つておりますし、それからまた外務省に向つてもできるだけ早くそれをお作り願いたいと申してはあるのです。

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) そうですね、どうですかな。今までのところではそういう面はございませんが、向うの党の相当な有力者が政府をバツクにして、これは政府より何かの話のあつたものでも、それは結局政府でやるのだということを言つておりますし、それからまた政府と非常に親しい関係の人が話しているような問題のうちのあるものは、それは政府の代行としてやられるといる場合もあるかもしれません。例の大洋漁業とのあのマルタバンの漁業会社なんかは、あれは政府

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) 必ずしもそうとは思いませんよ。必ずしもそうとは思いません。

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) 今のところでは別にそこまでやつておられる人はないでしよう。それでなるべくならば、向うの人が日本に来て日本の実際を見られるのが一番いいと思うのですな。

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) 入りましような。

1955-01-24 久留島秀三郎 通商産業委員会 参議院

○参考人(久留島秀三郎君) ないんです。