永井道雄 に関する国会発言
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○遠藤(宣)委員 ぜひとも、提供の公平性とスムーズにいくシステムをお考えいただきたいと思います。そして、臓器提供が本当に困っている人に、そして自分のものを提供したい、こういったいい形でのリンケージができますことを私自身は心から願っております。 最後に、一九九二年、脳死臨調の場で、会長の元文部大臣の永井道雄氏がみずから筆をとった最終答申の末尾でどういうことを言われていたか。脳死を人の死とすることについてはおおむね受容され合意されている
○葉梨委員 おはようございます。自由民主党の葉梨康弘でございます。 冒頭の冒頭でございますけれども、茨城県選出の代議士として、またお隣の選挙区から選出されている者として、八月一日に急逝された永岡洋治議員に対して、心から弔意を表させていただきたいと思います。 ただ、永岡先生については、平成八年にもともとは私の現在の選挙区から新進党から立候補され、そして、平成十二年には自民党の公認を得られないまま現在の茨城七区から立候補され、そして
○山内(惠)委員 ありがとうございました。 本当に大学の自由度が増すということを私は願いたいところですけれども、今回の法案を見る限り、そこは大変難しいのではないかというふうに思っています。 時間も短いので、次に山岸参考人にお聞きしたいと思います。 先ほど御提言いただきました中に、実験が許されない制度は問題だという趣旨の御発言がありましたが、今回の文部科学省が法人化を打ち出した理由、背景を山岸参考人はどのようなことだと押さえて
○山岸参考人 山岸駿介と申します。 時間の関係もございますので、いきなりでございますが、本論に入らせていただきます。 国立大学法人法案についての問題点、これは多々あると思います。これまでも私は、傍聴はしておりませんでしたけれども、本委員会での質疑は国会図書館のホームページで見ましたし、さらに、前回の参考人意見もレジュメ等を拝読いたしまして、大体そこで問題にされていることは、やはりそれぞれの理由があることだと思います。ただ、ここで
○藤村委員 今おっしゃったのは、教育の分野でもあるいは研究の分野でも、大学の中でも特にぬきんでて、それは国費をそれだけ投入しているからだと。それは現象としてそうなんですが、やはり国として、国立大学はどうあるべきと言うと大学の自治などと若干のそごが生じますが、しかし、税金を払う国民の側からいえば、その税金が有効に使われるということは重要であります。つまり、国の意思というのがないといけないと思うんです。 つまり、私立大学はそれぞれ私学の
○公述人(徐龍達君) 大変ありがとうございます。 先ほど言いっ放しの部分について、ちょっと私の誤解というふうにとらえられましたけれども、実は私は、ドイツのいわゆる憲法が五十何回か改正されたということを踏まえまして、それは善しあしは別にして、非常に正直だということを朝日のインタビューに書いているわけですね。その点、日本の先生方にお考えをしていただきたい。つまり、同じ憲法の条文であるんだけれども、それが内容がもう空洞化してしまっていると
○都築委員 今お話を聞いておりまして、確かに、大使とか美術館長、文化庁長官を経験されたということで、日本文化の国際的な紹介とか、あるいはまた美術といった芸術関係の文化を発展させる、こういう観点もよくわかると思うわけであります。 ただ、御自分で何をやりたいのか、こういった質問に対して、今の御答弁、まず第一に教育改革、ここでとどまっていたらよかったのですが、第二、第三と出てくると、実は私自身、この大臣の所信をこの間聞かせていただき、読み
○田英夫君 最初に横田先生に伺いたいんですけれども、国連憲章の改正の問題なんですが、日本では、専ら政界でもマスコミも国連というと常任理事国になるべきだという議論が優先をしているようですけれども、もちろんそれも安保理の名前が出ているわけですから改正を必要とするわけで、というよりも、むしろ二十一世紀を迎えるに当たって、第二次世界大戦の結果をそのまままだ「われら連合国の人民は」と書き出しているところからしても、敵国条項もそうですが、そういうと
○参考人(武者小路公秀君) まず初めに、参考人としていろいろ意見を述べさせていただきますことを大変光栄に存じます。 わからないこともたくさんありますので、まず初めに正直に私の考えを申しますし、後からどのような御質問にも対応はいたしますが、わからないことはわからないと申しますので、あらかじめ御了承いただきたいと思います。 まず初めに、私に与えられました役割につきまして私なりの理解がこうだということを申し上げ、それから結論としては三
○参考人(明石要一君) お答えしたいと思います。 戦後五十年間、でもしか教師という言葉がありました。これは昭和三十三年に、前の永井道雄文部大臣が京都大学にいたときに、どうも戦後すぐの教師と違うんだと。教師にでもなろうか、教師しかなれないという、でもしか教師。言うならば、京都大学とか東京大学の教育学部というのはいろんな公務員もあるし新聞記者もある。それで、教師にでもなろうかと、それで、でも。旧師範系、今の教育学部というのは、教師しかな
○山本(孝)委員 余りにも頼りないから、私はあなたに約束破られたから、こういう御質問を差し上げているわけだけれども。 しかし、この宮崎さんが新しく理事長になられてからいろいろな事態が起きている。この交通遺児育英会は昭和四十四年の設立ですけれども、その四十四年の設立以来理事であった静岡県交通事故遺児を励ます会の小長井清一会長、そして財界大御所の中山素平さん、厚生省の兄事務次官であった翁久次郎さん、元文部大臣の永井道雄さん、監事では日本
○山原委員 初めに、文部大臣に伺います。 私の経験では、非政党員の文部大臣は、昔は天野点祐さんなどおりましたけれども、永井道雄さんと赤松さん、お二人だと思います。非常に自由な立場で物を言えると思いますので、よろしくお願いします。 昨年の十一月十九日の本委員会で、大臣は次のように答弁されております。「私の、昭和一けたでございまして、戦争の記憶というのが非常に、それこそぞっとするような記憶があるわけでこというのが最初の言葉ですが、そ
○及川一夫君 次に進めさせていただきます。 貯金事業の充実強化ということでそれぞれ御意見を持っておられると思うんですが、六十年の五月に、元文部大臣をやられた永井道雄先生をキャップとする郵便局の将来ビジョン懇談会というのが左藤恵郵政大臣のもとで行われております。その中に実は、「郵貯が構想する新金融商品とサービス」というものがありまして、大変な数、二十数項目に上る新しい商品開発の問題が実は書かれているわけですね。 そこで質問なんです
○政府委員(野呂昭彦君) 臨時脳死及び臓器移植調査会委員の任命についてお願いいたします。 井形昭弘、宇野收、梅原猛、金平輝子、木村榮作、齋藤明、永井道雄、萩原太郎、早石修、原秀男、平野龍一、三浦知壽子、森亘、山岸章及び山下眞臣君の十五名を臨時脳死及び臓器移植調査会委員に任命いたしたいので、臨時脳死及び臓器移植調査会設置法第五条第一項の規定により、両議院の同意を求めるため本件を提出いたしました。 何とぞ、御審議の上、速やかに同意さ
○議長(土屋義彦君) 日程第一 国家公務員等の任命に関する件 内閣から、 人事官に石坂誠一君及び弥富啓之助君を、 臨時脳死及び臓器移植調査会委員に井形昭弘君、宇野收君、梅原猛君、金平輝子君、木村榮作君、齋藤明君、永井道雄君、萩原太郎君、早石修君、原秀男君、平野龍一君、三浦知壽子君、森亘君、山岸章君及び山下眞臣君を、 また、日本銀行政策委員会委員に両角良彦君を任命することについて、それぞれ本院の同意を求めてまいりました。
○議長(櫻内義雄君) お諮りいたします。 内閣から、 人事官に石坂誠一君及び弥富啓之助君を、 臨時脳死及び臓器移植調査会委員に井形昭弘君、宇野收君、梅原猛君、金平輝子君、木村榮作君、齋藤明君、永井道雄君、萩原太郎君、早石修君、原秀男君、平野龍一君、三浦知壽子君、森亘君、山岸章君及び山下員眞臣君を、 日本銀行政策委員会委員に両角良彦君を 任命したいので、それぞれ本院の同意を得たいとの申し出があります。 まず、人事官及
○馬場委員 今お話ございましたように、現代社会が必修になったということも典型的な教育の、社会科の原点に戻ったと評価しておるわけでございます。石橋大臣、この七七年改訂というのは三木内閣のときに行われている。文部大臣は永井道雄さん、そしてそれを取り巻くバックグラウンドは、国会は与野党が伯仲の時代でございました。私は七七年の改訂を評価するわけですが、やはり永井文部大臣だったからできたのじゃないかなという感じも、実は私は今強く持っておるわけでご
○矢田部理君 そこで、総理が今指摘をされた、五十一年に大臣になられて五十二年の七月五日、第二十九回リクルートシンポジウムというのが名古屋国際ホテルで開かれた、これに出席をされて今後の教育行政について文部大臣として講演をされている記録があるのですが、これは月刊リクルートという雑誌に載っているわけでありますが、これが海部さんの講演のときの写真じゃないかと思うのですが、思い出しませんか。(資料を示す) ここでは、わざわざ記憶を喚起するため
○久保亘君 それでは一つ具体的なことを伺いますが、本来研修というのは自主的、自発的に生涯教師が続けるべきものだと私は理解をいたしております。その中でやっぱり自主的研修の一つと考えられる教職員団体による教育研修も戦後一貫して重要な役割を果たしてきたと思うのでありますが、この研修には、まず最初に日光で開かれました日教組の教研集会に対しては、文部省は当時のたしか私の記憶に誤りがなければ文部政務次官を代表として派遣をいたしまして、この教育研究集
○田英夫君 既に午前中から、光華寮問題なり奥野発言なりのことが出ておりますから、もうかなり話は出尽くしていると思いますが、実は大臣が行かれる直前に私は日中民間人会議に出席をいたしました。ちょうど入れ違いで三十日に帰国したということですから、中島大使なりから既にその日中民間人会議の内容や空気はお聞き及びと思います。 朝からのお話を伺っていて、実は政府間、特に外務大臣同士とか李鵬総理とかいう政府間のレベルで最高幹部で話される場合は、それ