野田卯一 に関する国会発言
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○議長(大島理森君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君の挨拶につきましては、これを会議録に掲載することといたします。 おめでとうございました。 ————————————— 穀田 恵二君の挨拶 このたび院議をもって、永年在職議員の表彰を受けました。望外の喜びであり感謝の念に堪えません。一九九三年、京都一区での初当選以来、四半世紀にわたり、私を国会に押し上げていただいた京都と近畿ブロックの支持者の皆さんに心
○谷事務総長 まず最初に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員永田売一先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、弔詞を朗読されます。 次に、議長から、永年在職議員として表彰されました故元議員野田卯一先生に対する弔詞贈呈の報告がございまして、弔詞を朗読されます。 次に、日程第一は委員長提出の議案でありますので、議長から委員会の審査を省略することをお諮りいたします。次いで額賀大蔵委員長の趣旨弁明がございまして、全会一致
○平沼委員長 これより会議を開きます。 まず、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る一月十三日、永年在職議員として表彰された元議員永田亮一君が逝去されました。また、去る一月二十九日、永年在職議員として表彰された元議員野田卯一君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、理事各位の御了承を得まして、葬儀当日、議長からそれぞれ贈呈していただきま
○議長(伊藤宗一郎君) 永年在職議員として表彰された元議員野田卯一君は、去る一月二十九日逝去されました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 野田卯一君に対する弔詞は、議長において昨五日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。 〔総員起立〕 衆議院は、多年憲政のために尽力し特に院議をもってその功労を表彰され しばしば国務大臣の重任にあたられた正三位勲一等野田卯一君の長逝を哀悼し つつしんで弔詞をささげます
○中曽根内閣総理大臣 それは総裁選を意識した話ではないのです。「一条」では、木部代議士が経済企画庁政務次官になったので、そのお祝いがあって、そのときに東郷君も来ておって、そして、その場でいろいろな話が出て、同窓生や同級生の会では、東郷君はわれわれの同級生に、中曽根をもっと応援しろ、君は野田卯一君ばかり応援していて同級生をやらぬじゃないか、そういうことを大分言われておって、私もぜひ応援してくれと頼んで、特に一朝有事の際はぜひ頼む、そういう
○国務大臣(中曽根康弘君) この件は私が国会で証言したとおりで、その事実は、いまのようなことはございません。 前にも申し上げましたように、東郷君と私は旧制静岡高等学校の同級生でありまして、非常に仲のいい間でありました。同級生の会があるたびにみんなから中曽根を応援しろと東郷君が言われておって、当時東郷君は私を余り応援しておりませんでした。野田卯一代議士を応援しておった。そこで、あるときに、木部代議士が政務次官になったお祝いの会が「一条
○中曽根内閣総理大臣 これはいまの殖産の問題に関係しておる人でありますが、富士工務店とかなんとかいう会社の社長であったと思います。 その関係を申し上げますと、これは五十二年四月十三日の国会の証言で私が申し上げましたが、東郷民安社長は私の旧制静岡高等学校の同級生でございまして親しい間柄でございました。それで、同窓会やその他でよく会っておるわけですが、われわれの仲間からも中曽根を応援しろ、当時東郷社長はわりあいに野田卯一さんと仲がよかっ
○瀬崎委員 他の業界の政治献金などと比べて、きわめてこれは急増しているところに一つの特徴があるわけであります。 さらに、これらの大手不動産業者あるいは民間デベロッパーの団体からの政治献金は、自民党の政党へだけではなくて、政治家個人にもずいぶん出ているのであります。これは資料2の方に載せておきました。 たとえば、登坂衆議院議員の朋登会に二百万円、安井謙参議院議員の正峰会に百二十万円、渡海衆議院議員の政策研究会に二百万円、浜田幸一前
○地崎委員長 これより会議を開きます。 この際、請願取り下げの件についてお諮りいたします。 本委員会に付託されております請願中、行政書士法の一部改正に関する請願第七号、同五八二号、同五八三号、同六七九号、同八八六号、同一〇九九号及び同一五二四号につきまして紹介議員であります塩崎潤君、大原一三君、川合武君、渡辺栄一君、山本悌二郎君、野田卯一君及び中村直君からそれぞれ取り下げ願が提出されております。これを許可するに御異議ありませんか
○東郷証人 昭和二十七年建設大臣をおやめになりました後、当時建設省の企画課長でありました、なおかつ大臣の秘書官をやられました鬼丸勝之氏の御紹介で野田卯一先生にお会いすることができ、建設大臣をおやめになった以降、住宅問題について御教示を賜りたいということにおいて、相談役ということでずっと御教示を仰いでおりました。
○正森委員 そうしますと、野田卯一代議士というのは、どうしてあなたの会社の内部の問題について、他の取締役に頼まれて退任勧告書を渡すということになったのですか。あなたの会社とどういう関係ですか。簡単で結構です。
○東郷証人 昭和四十八年の三月三十一日に、午後八時過ぎだったと思いますが、野田卯一代議士が私の家においでになりまして、東郷社長退任勧告書というものを私に手渡されまして、昨夜、衣笠、高知尾と話して、これは私が届けるようにということで持ってきたということで、お渡しされたのは事実でございます。
○東郷証人 同日の夜、築地の「河庄」においてございました件につきましては、その日は私、知りませんでした。翌日、野田卯一代議士が東郷社長退任勧告書というものを私の家に持ってまいりました。昨夜、当時の衣笠専務取締役、高知尾取締役と話し合ってこれを野田に預けて、これを渡せと言われたので持ってきたということで、前日その三人の会合が「河庄」であったということを知ったわけでございます。
○大出委員 私、ここに持っておりますこの資料というのは、この資料二なんですが、ここを見ますと、日韓協力委員会のいろいろなことがたくさん書いてあります。この中で事務総長が、いま御答弁いただきました通産大臣をおやりになっておられます田中龍夫さんでございます。経済部会委員長という肩書きがございまして、ここに野田卯一さんの名前がございます。この協力委員会の一番てっぺんの方に会長というのがございまして、これは岸信介前総理の名前が書いてございます。
○田中国務大臣 野田卯一君は、委員として協力委員会が訪韓いたしまする際によくおいでになりました。別に理事とか幹事ではありません。
○大出委員 ここにある本によりますと、李厚洛さんのところにも野田先生とおいでになったようになっておりまして、いまお言葉が出たから申し上げるのですが、野田さんが長い話をなさった後で社長が招き入れられたと、こうなっておるわけであります。そして仁川の車両工場についてのお話が出て、戦前あれが日本車輌の工場であったというようなことで大変に親近感を増したという、三年越しの提携話も責任もって何とかするという御回答をいただいたという中身になっておる。
○天野参考人 朴大統領のところへは、ちょうど叙勲の機会がございましたので、野田卯一先生と御一緒に参りました。
○国務大臣(田中龍夫君) 先ほどもちょっと申し上げたように、日韓協力委員会なり、APUの中の日韓議員連盟と申しますものと、それから日韓議員懇談会というもの、それが今日はまた連盟に名前が変わっておりますが、それとはいささかちょっと違うのであります。というのはつまりわれわれの方はどっちかといいますと、OB——オールドの方でありまして、日韓議員懇談会の諸君はいわゆるヤングパワーの方のグループでございます。そんな関係から、私と野田卯一君とが顧問
○小林(進)委員 まことにこういう重大問題について首相の答弁は本当に山吹色で中身は何にもない。抽象論だけ言われているから聞く方もはなはだ迷惑。いま少し国民に具体的な例を示してお話し願いたいと思います。 私は申し上げます。ロッキードの真相追及の今日までのこの問題の成果は、国会先行型なんですよ。議会が先行いたしました。それを世論が支持いたしました。それはそうですよ。二月五日に直ちにこの予算委員会で引き上げて、ロッキード問題をすべてに最優
○荒舩委員長 次に、第五分科会主査野田卯一君。