通商産業委員会
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会
会議録情報#0
昭和三十年一月二十四日(月曜日)
午後二時六分開会
―――――――――――――
委員の異動
一月二十三日委員藤田進君辞任につ
き、その補欠として海野三朗君を議長
において指名した。
―――――――――――――
出席者は左の通り。
委員長 石原幹市郎君
理事
西川彌平治君
加藤 正人君
委員
酒井 利雄君
高橋 衛君
中川 以良君
森田 義衞君
山川 良一君
海野 三朗君
三輪 貞治君
團 伊能君
武藤 常介君
石川 清一君
事務局側
常任委員会専門
員 林 誠一君
常任委員会専門
員 山本友太郎君
常任委員会専門
員 小田橋貞寿君
説明員
外務省アジア局
第四課長 服部比左治君
外務事務官
(経済局第四課
勤務) 橋田親太郎君
参考人
ビルマ経済調査
団団長代理 久留島秀三郎君
―――――――――――――
本日の会議に付した事件
○通商及び産業一般に関する調査の件
(ビルマ賠償問題に関する件)
(インドとの通商関係等に関する
件)
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この発言だけを見る →午後二時六分開会
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委員の異動
一月二十三日委員藤田進君辞任につ
き、その補欠として海野三朗君を議長
において指名した。
―――――――――――――
出席者は左の通り。
委員長 石原幹市郎君
理事
西川彌平治君
加藤 正人君
委員
酒井 利雄君
高橋 衛君
中川 以良君
森田 義衞君
山川 良一君
海野 三朗君
三輪 貞治君
團 伊能君
武藤 常介君
石川 清一君
事務局側
常任委員会専門
員 林 誠一君
常任委員会専門
員 山本友太郎君
常任委員会専門
員 小田橋貞寿君
説明員
外務省アジア局
第四課長 服部比左治君
外務事務官
(経済局第四課
勤務) 橋田親太郎君
参考人
ビルマ経済調査
団団長代理 久留島秀三郎君
―――――――――――――
本日の会議に付した事件
○通商及び産業一般に関する調査の件
(ビルマ賠償問題に関する件)
(インドとの通商関係等に関する
件)
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石
石原幹市郎#1
○委員長(石原幹市郎君) これより通産委員会を開きます。
本日は公報で御通知申し上げておりました通り、ビルマ賠償問題に関する調査を行いたいと思います。本件に関しましては前々から調査団のお話を伺いたいと思つておつたのでありまするが、種々の都合によりましてようやく本日この委員会を持つことになつたのであります。あいにく団長でありました稲垣さんが御旅行で不在で残念でありまするが、幸いに副団長としてビルマ視察をなさいました久留島さんの御世席を得ましたので、これよりさつそく久留島さんのお話を伺うことにいたします。
なお久留島さんは今晩大阪へおもむかれる由でありまして、そのためこの席におられるのも大体三時半ごろまでということでありまして、お忙しい御予定であります。そのお忙しい中をさいて特に本委員会に御出席下さいましことを委員一同にかわり厚く御礼申し上げます。それではどうそお願いいたします。
この発言だけを見る →本日は公報で御通知申し上げておりました通り、ビルマ賠償問題に関する調査を行いたいと思います。本件に関しましては前々から調査団のお話を伺いたいと思つておつたのでありまするが、種々の都合によりましてようやく本日この委員会を持つことになつたのであります。あいにく団長でありました稲垣さんが御旅行で不在で残念でありまするが、幸いに副団長としてビルマ視察をなさいました久留島さんの御世席を得ましたので、これよりさつそく久留島さんのお話を伺うことにいたします。
なお久留島さんは今晩大阪へおもむかれる由でありまして、そのためこの席におられるのも大体三時半ごろまでということでありまして、お忙しい御予定であります。そのお忙しい中をさいて特に本委員会に御出席下さいましことを委員一同にかわり厚く御礼申し上げます。それではどうそお願いいたします。
久
久留島秀三郎#2
○参考人(久留島秀三郎君) それでは、団長にかわりまして一応御説明いたします。なるべくならば御質問を頂戴しましてお話さしていただく方が私も話しいいのでありますが、一応御質問を引き出すために申し上げます。昨年御承知のように大体話ができまして、日本の国会の方は協定について御承認を得たのでありますが、まだ向うの方は国会が休会中でありまして、二月の半ばごろに開会されるそうであります。そうすれば一番に国会は通過する。もちろん向うは与党が九〇%以上でございますから、これも通過は間違いないと思います。そうして、これがすみましたら批准交換ということになるのであります。つきまして、われわれ参りましたのはその賠償協定をどういうふうに、何から始めるか、どのくらい金が要るかというような荒検討をつけるというために参つたのでありまして、われわれとしましては、向うの方で――むしろビルマ政府からこういう要求があるだろう、何かの要求があるだろうというようなつもりで実は出かけたのであります。出かけてみますというと、別段に要求がましいようなものは実は出てないで、むしろそれよりも懇談的に各省の希望を一応聞いてくれ、そういうような向うの準備でありました。それでありますので、十二月六日の午前二時に立ちまして、向うへ着きましたのが六日の午後四時過ぎであります。その日はもちろん休みまして、翌日の七日から一週間、毎日各省へこちらから出向きまして、各省の要求――要求というよりも希望という方がいいのですが、希望を聞いて歩いたのであります。或る省によりましては非常に熱心でありますし、また或る省は余り熱心でない。殊に陸海空軍省とでも申しますか、国防省と申しますか、それのごときは非常に熱心でありまして、ずいぶんいろいろな要求なり希望も出たのであります。それで一週間たちましたあとで、これではちよつと軍需省だけだつて二千万ドルくらい第一年度くつても足りないくらいのものがありますので、これではとても困るから、一つこいつをあなたの方で整理してくれんか、そういう申し入れをしたのであります。それで向うもそれはごもつともだということで、向うで整理をしてもらいます間われわれは三班に分れまして、現地の視察に行きました。その現地の視察というのも、われわれの方からどこを見たいというのでなしに、むしろビルマ政府の方でどことどことを見てもらいたいということであります。それでその案内されるままに見て歩いたのであります。第二週はそういうことで歩いたのでありますが、見ましたところは今日本の技術者によつて計画され、まさに着手されんとしております大きい水力電気の発電所の現場、それから最近発見されたという鉄山、それからまさにもう開高坑第一日という方がいいくらい大きい炭田の現場、それからアキャプ港と申しますビルマとインドの境界線に近い、インド洋に面しました海の港でありますが、そのアキャブ港の視察、それだけを班に分れまして見たのであります。それからマンダレーにあります、これは日本の技術者も行つておるのでありますが、絹織物の試験工場と申しますか、或いは徒弟養成所と申しますか、そういうものがありますので、それを見まして、それからメイミョウというずつと登りました高原地帯にミルク・ファクトリーを作つております。それも日本の技術者が行つてやつておる。それからそれと桑の苗を植えて、つまり桑園の建設と、それに伴いまして生糸工場とそれだけを見て歩きました。そうして帰りまして又協議を続けたのであります。大体向うの案もまとまつたのでありますが、なおそれでもどうもとてもそのうちにはちよつと合理的でないものもありますししますので、まあわれわれが現場を見て帰つた知識で、さらにそれをわれわれの方で整理しまして、そうしてこれでどうですかという案を出したのであります。そうしますと結局それでよかつた、それでけつこうですという回答を得たというようなわけで、交渉はむしろ、交渉というよりも話し合いは非常になごやかに、要求がましいものを突きつけられてそれを削るというような行き方じやなしに、話し合つて、それから向うから出た希望を、それをもう一ぺんこちらで、ちよつとおかしい話ですが、こちらが多くの各省の要求を大蔵省が査定したというような形になりましたが、それで向うさんがそれはけつこうだというような話になりまして、非常になごやかに終りました。大体それが終りましたのが十二月の二十九日、三十日までかかつた。それからなお残りました点については個々に工場を見るとか、あるいは試験場を見るというようことをしまして、全部終つたのが二日であります。それからまたこちらから人を出すというような場合に、それの待遇について、勿論出す場合にはやはり賠償になりますから、こちらから出します人間の大体の給料標準という向うの待遇問題につきまして更に三日の午後までその話をし合いまして大体の骨子だけは了解点に達し、一応交渉は終つたのであります。それで四日は向うの独立記念日に当りますので、その式典に公式の招待を受けましたのでそれに出まして、五日の早朝に当つて帰つて来たという次第であります。それで初めの、昨年こちらに来ました時分にはずいぶんいろいろな、やれ化学工業もやりたい、化学肥料を作りたい、硫安を年に十万トンぐらいの工場を作りたい、あるいは肥料の工場を作りたい、少くともレーヨンの工場を、年三万トンくらいのレーヨン工場を作りたいとか、ずいぶんいろんな要求があつたのであります、昨年の八月に来ましたときには……。そのときには私も民間の代表者として接触するようにということで大体滞在中ほとんど旅行も一緒にしましたし、その後もいろいろやつておりましたので、そのときに根本的な問題としましてこういうことを申しておつたのであります。合弁事業については少くとももうからない仕事はだめですよ。もうからない仕事に日本の民間資本を出すということはこれは絶対に不可能だ、少くとも合弁事業ということはもうかることが第一だ。たとえあなたの国が社会主義国家であろうが、もしそういう事業で損をすれば、それは結局その損をカバーするのは人民全体がその負担をせなければならん。それだから事業というものは少くとももうかると、損をしないということじやなければそれは成り立ちませんぞということはこれはもう繰り返し繰り返し申しまして、そうしてしまいにはもうわかつているというくらいに念を押して、民間事業で民間の資本をもつて合弁に参加するということに対しては、それが根本だということはもう繰り返し繰り返し申して十分了解したと思つております。それでもしどうしても国としてしなければならんものであつて、そうしてなおそれがそろばんに合わんというものならばこれは当然国家でなさるべきだ、それは賠償によつてなさるべきでしようということを申しておつたのであります。
それからまた日本の政府としては根本的に賠償というものは円払いに限る。外貨払いについては一切しないといる原則をもつて先方とも話されて了解点に達しておるのだそうでありますが、その意味におきまして現物賠償というものは日本で製造するものということになります。
それからまた、そうでありますから、たとえ向うで仕事をしましても向うで工賃を払うということになると、機械はこつちから持つて行く、機械は持つて行くが向うで据付けるとか、あるいはその間の少くとも機械を据付けるのならコンクリートのファウンデイションをしなければならないから、ファウンデイションをするのに土を掘る、ちつぽけな例で申しましてもその土を掘るということは、それは向うの、ビルマの金でビルマの人に払うのでありますからそれは賠償の対象にはなりません。しかしセメントが要るならセメントを日本から持つて行くとすれば、これは賠償になる。家を建てるにはれんがが要る。それを積むには向うさんがれんがを焼いてそれを積むのは向うの金で払うから、これは賠償にならないが、その家を建てるために必要な鉄筋であるとか、あるいはガラスであるとか、ウィンド・サッシュであるとか、ドアの取手というようなものが要るならばこれは賠償になるというような意味で、賠償というものはすべてもう円払いでなければならんという原則に立つておるのであります。
それで結局、じやどういうことを賠償でやるか、どういうことを合弁事業でやるかということにつきましては、賠償の対象になりますものとしては、こまかく一番初めから何をやつてそれが幾らかかるというようなことは見当がつきませんので、とりあえずこういうことをしたらどうですかということになつたのであります。それも第一年度に何をやるということでなしに、初め二、三年の間、これもはつきり三ヵ年とも言わず二カ年とも言わず、まず二、三年の間にはこのくらいのことができましようと言つて出しましたのが、お回しいたしました対ビルマ賠償の対象(仮案)というそれであります。
まず運輸系統、これは鉄道がずいぶんいたんだというので、ことに大きい川の鉄橋が落ちたということ、それで鉄道を戦前の状態に復旧するという、それを拡張するまではいかずに、まず戦前状態に復旧するというプリンシプルで鉄道の復旧ということにしたのであります。そのうちには一番大きいものはシッタン河の、これは六百メートルか、七百メートルあるかなり大きい川であります。これの鉄橋を作るということ、おそらくこれは前の鉄橋じやなしに新しい橋脚かちやらなきやならぬだろうと思われます。それから鉄道車両のずいぶん爆撃や何かでやられてひん曲つたのがそのままに捨ててありましたが、それらを新しく作つていこう。貨車、客車、もし必要があれば機関車まで入りましよう。
それから次に国内の電気通信施設の整備、これが実はあまり話はうまくいかないと思うのでありますが、電気通信関係は英国のアドヴァイザーがおりまして、これが非常な力を持つておる。それで電気通信関係についてはほとんど向うから要求も出なかつた。でありますが、とにかく電気通信がはなはだ悪いので、国内の電気通信関係を整備することについての機械、あるいは設備、材料、そういうようなものが要るならば出します。ここで、これは話にならなかつたんでありますが、ついででありますからちよつと申しますと、日本とビルマとの間の電気通信が非常に悪いのであります。非常に無いばかりでなしに高い。数字で申しますと、ロンドンとラングーンの間の電信料を一〇〇としますと、ラングーンと東京との電信料が、一五〇なんです。それから距離から言えばうんと近いのであります。それが一五〇。ことに激しいのはバンコックとラングーンの間がたしか一四〇というような数字であります。これは一に海底電線で参りますので、海底電線でラングーンからコロンボへ行つて、コロンボから日本へ逆送してくる。そういうよるなことで費用も高いし、時間もかかるし、また間違いも起りやすいというので、これに対しては一つ日本とビルマと直通の無線通信をやることにしてそれを賠償へ持つてこようじやないか、それは双方の利益だという説明をしたんであります。説明をしたんでありますが、これに乗らない。乗らなくて、それに対するロ実としては、今インドとビルマの間の無線通信を進めておるから、その後にしたいというようなことで、これは乗りませんでした。向うで乗らないものをこちらでしいるわけにいきませんので、それじやそれができたときに話しましようということで一応延ばしたのであります。
それから水路の方では現在の水路を復旧する、内陸水路の復旧、それから小型造船所の建設ということであります。これも、小型造船所というのは要するに川船を作る程度の造船所、大した金もかかるものじやありませんが、そんなことをやりたいということで、これはよかろうということで話をいたしました。それから内陸水路のことは次の鉱山関係のところで一緒に申しましよう。
それから沿岸水路の復旧、それと次のラングーンその他の沈船の引き揚げ、これはまあ一緒に考えられるようなものでありますが、これも大したものじやありませんので、ランチがほしい、はしけがほしい、引き舟がほしいというような大した問題じやございません。これはあとで申します。合弁関係の造船所とからみ合いますので、こんなものを今から日本でこしらえて持つていつたつて、造船所ができたならば、こんなものは二カ月か三カ月でできるよるなものを、なにも賠償で持つていかなくてもいいじやないか、造船所ができさえすれば、こんなものを作らなければ造船所の仕事もないのだから、無理にこんなものを賠償にしなくたつていいじやないか、しかし、とりあえず要るものくらいはこれは賠償で持つていつてもいい。
それからその次にラングーンその他の引揚船でありますが、今でもラングーン等で、今特別にそれがじやまになつているわけではありませんが、退き潮になり、渇水期になると、沈没した船のマストが出たりして、はなはだ醜くもあるし、またそれが決してじやまにはならないにしても、ない方がいいにさまつているのでありますから、それを引き揚げたいという話も出たのでありますが、引き揚げという以上は、たつた一そうや二そうを引き揚げるのでは、とてもそろばんに合わないので、日本側としましてもわざわざ持つていつては費用がかかつてしようがない。ついでのときに、そのほかの港にある船も沈んだのがあるから、それを全部引き揚げることにしようじやないかということで、それはけつこうですということで、これはそういうことで話がきまりました。
次に鉱山関係であります。鉱山関係の一番初めにカレワ炭田の開発というのがありますが、向うには、ろくな地図を売つていない、地図と言えば、カルカッタで作つている地図を買うほかに、町の本屋で地図を買おうと思つてもないくらいで、ちつぽけな地図で、はなはだ恐縮なんですけれども、ラングーンがここであります。これを貫通します大きい川がイラワジ河でこれは中央の幹線水路になります川であります。それの支流のチンドウィンという支流があります。その支流のさらに支流、このインドとビルマとの国境の山脈、この国境の山脈のすぐ東側の谷であります。谷と言つたつて相当広い耕地もありますが、それにこの東西にわたつてこの山脈に並行してかなり大きい炭田が数十キロにわたつてあることは大体わかつているのであります。そのうちの一番まあ都合のよいところに炭鉱を開こうということで、今着手第一日という程度であります。場所で申しますと、例のインパール作戦で有名なインパールの南約百マイルくらいのところであります。そのカレワ炭田の開発をやりたいというので、それをこちらから言わないで、向うからそれを見てくれというので、見に参つたのであります。現地では、炭は大体常磐よりもまずいい、常磐よりは確かにいい、ボイラー炭としては十分使える、むしろ常磐炭よりも灰が少いので、硫黄分が少いから常磐炭よりはよろしい。よろしいが、しかし日本の九州の、北海道の一等炭と比べればずつと落ちるという程度の炭であります。しかし炭層は幾つかありますが、そのうちの大きいのは十尺層と、それから十二尺層、これはほとんどその間にハサミのない適当な炭だと思います。それが今までその附近で見えておりますだけでも相当正確に露頭がわかりますのと、それからボーリングもしてありまして、相当深くまで石炭がはつきりあることだけはわかつておりますので、十分そこで経済的にその炭鉱が成り立つということはわかるのです。傾斜が四十五度、その点では非常に傾斜が急でありますが、しかしまた同時にボーリングした穴からガスが出ておるといる程度で、将来は相当なガス害になるのでその点では相当困るのじやないかと思いますが、しかし十分炭鉱としては経済的に成り立つべき炭鉱であります。でありますが運搬設備がない、鉄道もない。鉄道をつけるならばかなりの山脈をずつと抜けて、それを横切つて入らなければ鉄道がつかない、これはなかなか大変であります。しかし川があるので坑口からすぐ川になる。それから坑口からちよつと運搬設備さえすれば、川船に積める。その点では非常に便利なところでありますが、しかしその川が現在では吃水……、雨の降るときと降らないときとでうんと違いがありますのですが、ただいまから四月末までは雨の降らないシーズンであります。その間には非常に川も水が減ります。そのときにまあ一番浅くなつたときに通れる船が吃水二尺というのです。吃水二尺の船なら通れる。吃水二尺では大きな船はできないので、それじやとてもいかん。それからこの炭鉱が生きるか死ぬかということは運搬ができるかできんか、幾ら掘つてみたところで運搬のできない石炭じやしようがないので、運搬ができなければこんなものは掘つてもしようがないということを私強調しまして、この炭鉱の石炭そのものよりも、この炭鉱の運命は運搬にかかつておる、その運搬も川があるのだから川の運搬にかかつておる。それで二尺の吃水じやこれは乾季には運搬できんじやないか。ところで聞きますと、戦争前は五尺の船が通れておるのであります。これは何人かの人に聞いてそう申しますから間違いないと思うのでありますが、五尺の船が通れたのなら、五尺の船ならば一ぱい何百トン、三百トンやそこらぐらいの川船が引つぱれるから、そうすればこれは十分経済的に成り立ちます。これが経済的に成り立つということは、少くとも現在ビルマという国は石炭かないので、全部石炭というものはインドから入れておる。全部輸入炭なんです。だからこれがラングーンまで出てインド炭よりもあまり高くなければ、そうすればインド炭を置きかえてそれだけの外貨支払いがなくなるというだけの少くとも利益がある。しかし炭鉱という以上は、少くとも一日千トソぐらい掘らなければ炭鉱になりませんよ。将来年三十万トンぐらいの石炭が使う道がなければこんな炭鉱をやつても無意味だということをよく申しまして、それでそのぐらいには使える、ラングーンまではもちろん使えることになりますから、ラングーンのボイラーに、また川船の、川蒸気のボイラーにたくとか、汽車のボイラーにたくという工合に、今まで汽車のある山の方では薪をたいておるようですが、そんなものを全部石炭に変えるということでもすれば、年三十万トンぐらいのものは使えるだろう。それじやまあ少くとも三十万トンぐらいは掘るということにして、それを運搬するためにはどうしても川を整備しなきやいかん、その川も昔の川は五尺で今二尺というならば、これは鉄道線路が破壊されたのと同じだ。つまり数十年間浚渫しないのだから、これは鉄道線路が破壊されたのと同じだ。この川の浚渫を炭鉱に持たせたんではこれは炭鉱がもちませんよ。だからどうしてもこの炭鉱というものを生かすためには、鉄道が破壊されたと同じ意味において国がこの川を戦前の状態になさるのがいいんじやないですか。それは全部浅くなつたのじやないんで、ところどころ曲りかどに浅瀬ができておる、それを掘るだけでありますから、だから国としておやりになればよかろう。そのために必要な浚渫用の機具、それから石炭運搬用の船は、汽車の貨車を整備するのと同じことで、また鉄道線路の復旧と同じ意味において、この川の復旧と運搬をつけるという意味において、それは当然賠償でやるべきものでしようということで説明しまして、向うもそれは大変けつこうだということになつたのであります。
それからその次の亜鉛製練所の建設、これは、非常に大きい船、亜鉛鉱山がずつと北の方にあります。例の戦争中の援蒋ルートのスタートいたしますところ、ラシオという町でありますが、このラシオから入つて雲南に山を越えて入つたんです。その援蒋ルートのスタートしますところ、鉄道の終点よりちよつと手前であります。そこに大きい船、亜鉛山があります。これは東洋第一、むしろ世界的な大鉱山であります。これは、これまで全部英国資本でやつておつた、やつておつたが、これがまあ戦争中に破壊されまして、そうして三井鉱山がこれの復旧を軍から委託されてやりかけたところで終戦ということでそのままになつておる。それをその後ちよつと比率がはつきりいたしませんが、純英国資本のやつを合弁、ビルマの国との合弁ということで、ビルマ国がその株を取りまして、今のところじや合弁形式にはなつておりますが、全然仕事については英国側の経営に委任してあるという状態であります。ここを私自分で見ることができなかつたのでありますが、いろいろの報告によりますと、現在は鉛も亜鉛も掘つておるのだけれども、戦前の約六分の一くらいしかできない。戦争前には亜鉛の鉱石としまして五〇%余りの亜鉛を含んでおります鉱石を年に六万六千トン出しておつた、鉛も従つて相当出ておつた。それがただいまでは一万トン余りしか出ていない、六分の一しか出ていない。しかし諸報告によりますと、近く精鉱所を整備して、年に二万二千トンの精鉱ができるようになるというレポートが出ております。また現在鉱石が売れないものだから、それを山のように積んであるという話であります。それで、私は向うの政府にも申したのでありますが、この国で化学工業を興したいということをおつしやるが、化学工業にはどんな化学工業でも硫酸を使わなければならんのだから、何か硫酸原料としての鉱石を見つけなければならん。むしろ硫酸原料として要するに硫黄を含んだ鉱石であります、現在ではそれがないのですけれども、ただここにあるボードウィンの鉛、亜鉛山で現在まで鉱石として売つております亜鉛鉱石、この亜鉛鉱石が三〇%の硫黄分が入つております。この硫黄分の入つたものをただで売つている。硫黄をただで売つておるのでありますから、これはもつたいない話なんですから、どうしてもこの国のためにこの鉱石をお使いにならなければなりませんよ、これは現在輸出しているのだから、輸出価格よりも高くない価格でビルマ国が買い上げるということをなさい、そるすれば別段これまでの英国資本に対する権利を侵害するわけでもないのだから、少くとも輸出価格よりも高くない値で国が買いなさい、そうして国自身で国営の亜鉛製練所をお建てなさい、そうすればこれまでただで持つて行かれておつた硫黄分が生きる、日本では硫黄の含有一%のものについて七十円の値段で売れておるのです、それで日本の鉱山は立つておるし、日本の硫酸工場はそれでそろばんが合うのだから、日本では七十円で運賃をかけると七十五円以上になりましよう、あなたの方の一チャットで一%のを買つているのだ。三〇%の鉱石をただでお使いにならんということは……、もうからんはずはないのだから、これでぜひおやりなさい。大体この製練所ができるのに二年かかるとすれば、その間にボードウィンの方も整備されるから、年に三万トンの鉱石を掘つて、約一万五千トンの亜鉛を作る工場と、同時にそれの副産物として二万五千トンの硫酸を作る設備を国営でなすつたらどうですか、それに対する技術並びに資材、そういうものは全部日本から賠償で供給しましよう、約二年かかりましよう、ということで話し合つた次第であります。
それからなおこれは閣僚ではないのでありますが、向うの党の有力者であります、その人と会つてくれというので、会つたのでありますが、その人の言うのには、現在三〇%のアンチモニー鉱石がある、それがただですよ、五〇%あれば売れる、併し三〇%のアンチモニーは使つても仕方がないから、という話を聞きましたし、また別の人でありますが、これは二〇%の鉛がただですよ、それはそうなので三〇%のアンチモニーと言えば、七〇%はこれはすたりものだ、七〇%の廃石を山の中からヨーロッパまで運賃かけて持つていつておつたのでは、三〇%のアンチモニーがただになるのはこれはあり得ることなので、そんなばかな話はない、こんな国としてあほうなことはないのだから、アンチモニーの製練所を一つお作りなさい、製練所と言えば選鉱場もくつつきますが、それをお建てなさい、そうして合理的な値段でこの鉱石を買つてやるならば、鉱山がエンカレージされて鉱山が働き出す。そうすればおそらく方々から出て来るだろう、そういうことで国営の製練所をお建てなさい、そうしてそれに対する技術、資材は全部賠償でやりましよう、これは大して金のかかるものではございませんが、そういうことを話したのです。これは非常にけつこうだということで、そういうことで進めたいと思います。
それからその他の、油も含めますが、その他のものにつきましてはよくわからない。非常に大きい鉄鉱の山があるから硫酸を作らずに硫安を作りたいという話がある、あればけつこうだが、人によつてはべらぼうに大きいと言うし、別の人によるとあんなものは小さいものだと言うし、わからない。
それから鉄山をわれわれは見せられたのでありますが、その鉄鉱があることはわかつておるが、どれぐらいあるかわからない。二千万トンあるというようなことを言うけれども、二千万トンあるということは今ではあり得ないので、あるいはあるかもしれないが、ないかもしれない。
そういうようなことでいろいろな天然資源があることはわかつておりますが、どういう程度にどんなところにあるかわからないのでその調査をしてくれと言うのであります。それはやりましよう、だから一応ずつとほんの目録を読むように歩いて、そのうちの面白そうなところを探鉱するということで進めればどうですかということで、それはけつこうですということで、まあそういうようなことで進めたいと思つております。
それから特に石油でありますが、石油は御承知のようにこれは英国資本で戦前ずつと来たのであります。それも戦後ビルマ政府との合弁事業になつておりますが、しかし運搬は全部英国資本、英国人がやつておる。これは私驚いたことに、戦争前はインドからあの辺は全部ビルマの油でまかなつておつた。ところがこんどわれわれが行つて見ると、ビルマが石油輸入国となつておるのです。ということは、戦争で破壊されましたが、その後何ら増産態勢をとつていないのです。それからさらに驚いたことは、輸入国であつても……日本も輸入国なんでありますが、輸入国であるのに、日本よりははるかに原油の生産地に近いところであるのに、……モールメンという港であります。これはラングーンに次ぐ第二の港でありますが、モールメンで聞いたのです。これは今日本のエキスパートが来て向うで陶器工場を作つております。その陶器工場でこの陶器を焼くかまには何を燃料にしますかと聞きましたら、石油です。むろんそうでしよう。ところがその石油が高いのですよ。日本の金にして一トン二万円、日本の所で二万円もする……。
それから同時にこれは公式に聞いたのでありますが、現在のバーマ・オイル・コーポレーション、ビルマと英国の合弁の鉱業会社の持つておる鉱区以外で石油を開発する意思があるのかということを、私は公式の席で聞いたのでありますが、大いにそれはある。そのためには一つ日本の技術を借りたいと言うので、その場合には合弁事業もどうですか、それもけつこうだというのでありました。ただいまは帝石から三人技術者が来まして、これはただいま滞在中は向うの費用で相当調査中であります。そういう意味で私はこの石油に関する合弁事業というものを一つ進めることができるなら進めたいと思つております。
農林関係ではあまり何はないのでありますが、イラワジ河というのが一番大きい川でありますが、このイラワジ河の一部に砂漠地帯のような……砂漠というほどではありませんが、雨量が比較的少い場所があるのです。そこは護岸がはなはだ悪い。それからざあーつといつときに雨が降ると山の砂が流れてどうにもならんという、砂防工事と護岸工事というようなものをぜひやりたいというのであります。それはごもつとものことでありまして、それに対しては賠償をもつてそれの工事なり調査をしましようということに話をしたのであります。
それからその他の農林関係の改良のための指導という点であります。これについては、現にすでにやつておりますのは、これは国連の技術指導からスタートしたのでありますけれども、国連の人間としまして日本の技師が行つておりまして、ある人は国連の期限が切れてビルマ政府の人として仕事をしております。これは先ほど申しました桑園と、それから生糸の生産工場、これは試験工場であり、同時に徒弟の養成所という意味でやつておるのであります。これは非常にいいので、三年ぐらいかかる桑の苗が一年ででき上る。それから一年中葉があるので、日本ならば四回お蚕をとるのが、向うだと一年に七回か八回お蚕がとれるよるな状態であります。これを日本で、すでに日本の人が行つて技術指導をしておりますが、さらにそれも拡張したいという御希望であるし、それからマンダレーにはそれの織物工場、これも試験工場で徒弟養成工場になつております。これにも日本の人が二人行つております。非常に評判がいいのです。それから酪農工場、これも今小さいコンデンスミルクなんかをやつておるのでありますが、それに伴つてチーズを作るというような設備を今建設中であります。またそのほか園芸関係、また水田関係などありましようし、そういうものに対して相当たくさんの、三十人くらいの日本の技術者を派遣してほしいという希望がございました。それはもちろんけつこうなことと思いまするので、出しましようということにしておきました。
それからその次には、日本で言えば厚生省でしよう、保健関係、これは現在進行中の、ラングーンに大きい病院を作るというので、これは国際入札に出まして最近日本の建築業者も参加するようになつております。そのほかに、七つの、各地方に大きい地方病院を作りたい。その一つの病院がベッドの数二百ぐらいの病院を作りたいというのであります。それから、そこに拡張するのが一つあると、それに対する資材、それから技術、それらを賠償にする。先ほど申しましたように、家を建てるのはこれは向うの費用で建てるのでありますから、それにいろいろ鉄筋とか、窓ガラスぐらいのものしかやれない。家そのものに対しては大した賠償にはなりません。なりませんが、病院である以上、医療設備というのは相当のものでありますから、これは全部日本のものが要るということになります。
それからその次は防衛隊関係であります。これが非常に大きかつたのでありますけれども、そう何もかも一ぺんにやれぬからというので中央修理工場の建設、これは主としてトラックであるとか、戦車等の修理工場、陸軍の修理工場です。それから哨戒艇、これは海軍関係であります。それから船を作ります。海軍は海軍で船台を持ちたいというのでこれもある程度ごもつともだろうということで、スリップウェイでございますね、その船台を一つか二つか作るという。それから航空基地の整備、航空基地の整備というのは、これはもうピンからキリまでありますので、これだけでもえらい金がかかりますが、これをどのくらいにするか、何かしようということになりまして、どのくらいにするかということはもう一ぺんよく技術的に話しましよう、何ならあなたの方から人を日本へよこしなさい、そうしてどういうものがいいのかということも一つ日本を見て、それから話合おうじやないかということにしまして、どの程度にするということはまだきめてないのであります。これで陸軍、海軍、空軍というものが、一応さきに顔だけ出しておいたという程度であります。
それから工業関係、これはこのうちで一番大きいものは、ただいまやりかけておりますバルーチャンの水力電気、これは東部国境、これはタイとの国境でありますが、その国境にサルウィンという大きい川があります。この川は舟運の便がございません。ございませんが、このちようど西部の辺に湖があります。その湖をこつちの川へ落すのであります。そうしますと、その湖はインレーという湖でありますが、その湖がちようどダムに相当するので、別にダムを作らんで、その水を川に落すだけの設備をしてやりさえすれば、千何百尺という落差ができるのです。それでこれは、初めアメリカ人が全体を計画しまして、国全体のすべてのものについての工業計画のレポートが出ているのであります。それをアメリカ人の計画では二万キロということであつたのです。ところが、その後に、別にそのために出かけたのじやないのでありますが、久保田豊君と申しまして、これは鴨緑江の水力発電所を作つた人です。この久保田君がたまたま参りましてそのことを聞いて、これは自分で現地を調査してみると、二万ぐらいじやない、これは八万四千キロ出るというラフな計画をもつて政府と話したところが、政府がそれに乗りまして、それでは一つ君に頼むということで、これは日本工営という日本法人の会社であります。久保田君はこの日本工営の社長ですが、そういう案を出したので、ビルマ政府は大へん喜びまして、それじや久保田君に一切の計画を一任するということで、ずつと調査をしておりまして、ようやく設計もできて、そうして八万四千キロの発電所を作ることになつているのであります。それでこれはもうすでに計画ができて、発電機の見積調書も終りまして、各国からとつたのでありますが、日本のものが値段で言うと三番目ぐらいになる。でありますが、納期が早いので、それで他国のやつをへずつて、日本のものに多分すると思います。すればこれが賠償として一番大きいものであるし、手つとり早く効果が出るので、大へんけつこうだと思つているのでありますが、大体年内に四十億円の外注があるのであります。そのうち全部日本がとれますかどうかわかりませんが、そのうちの大多数は日本でとれると思います。そういうものを、初めは向う側は、自分の方の金で払うというくらいに言つておつたのでありますけれども、ビルマの手持外貨は減つているしするから、日本の賠償にして、そうして外貨を支払わないようにすればその方がいいというようなことから、これはむろん日本に落ちると思います。落ちるし、これができ上りますのが来年の秋には……、幾ら延びても、来年中にはできるということで、それからこの工事も、日本の田島組が請負うことになりまして、すでにだいぶ向うへ進出して参つている。まあそういうわけで、これは一つ喜んでいただくことだと思います。さらに、これは拡張すればまだ二十万キロくらいにもなる大きいものもあるよるであります。そうしてこれができますと、まだほかにもやるつもりでおつた発電所は、おそらくそんなことをしなくても、これで十分余るから、アメリカあたりでそのほかに熱心に運動しておりますけれども、おそらくそれはやらないだろうと思います。
それからその次に中小工業のいろいろのものがありますが、中小工業の工場建設と、それから技術指導。砂糖、それから乳製品、先ほどちよつと申し上げましたミルクだとか、酪農工業ですね、それから綿織物、ウルシ、漆器の工場、それから屋根かわら、それから動力プラウ、噴霧機だとか、そういうちつぽけなものがたくさん出ております。それから染色仕上げ、それから蚕糸試験所、それからブリキカンの工場、これはまあブリキカンは非常に要るので、カン詰工場を作るにしても、カン詰を作るにしてもコンデンスミルクを入れるにしたつて、あんなかさ高なものを持つて来たのではかなわないので、まあブリキを入れて、そうしてそのカンを作る工場なんです。そんなものはやるがよかろう。それから乾電池、蓄電池、そんなものは今すぐやれるかどうかわかりませんが、希望はある。それから製糸。こんなちつぽけな中小企業に属しまずプラント輸出並びにそれの技術指導、それからこれは工業開発公社、インダストリアル・デヴェロップメント・コーポレーションと申しておりますが、それの修繕工場にずいぶん日本の工作機械が入つているのですが、それが十分整備されていない。それを整備したいということであります。それに対してすぐ技術者を派遣してくれ、同時に、職長なり、職工をよこしてほしいという問題。それから同じくそれの附属工場の設備、セメント工場、それから綿布、それからラミー、そんなものの工場。セメント工場は、これは今入札できよるので、日本のセメント会社でもそれの入札に応じ得るような態勢であります。ありますが、大体これは英国人がやつている工場を大きくしようというのです。
それから教育関係では、毎年少くとも百人くらいの留学生を日本によこしたい。そうして日本の学校に入れるだろうし、日本の工場で実習もさせたいという希望であります。それは大へんけつこうなことでありますから、実際向うの人は日本のことを知つている人もあるが、知らない人もあるのですよ。知らない人は何にも知らないのですよ。日本に電車があるかというようなことを聞く人もあるくらいで、できるだけ向うの人が日本へ出て来て日本を見るがよかろうということで、できるだけこちらは受け入れよう。受け入れるについては、少くとも半年くらいは日本語を覚えなければならない。それから学校へ入る。それからその間にそれを収容する場所が要るから一つ賠償でそういう人の寄宿舎を建てたらどうですか、そうすればこれは日本側が建てるのですが、結局それはビルマ政府のものになりますから、それを賠償でお建てになつたらどうですか、三百人、四百人くらい入れる寄宿舎ですな。それを一つ建てようじやないですか、それもけつこうだということになりました。
その次の住宅関係、これは土木建築の技師を派遣してくれということであります。これはもちろんけつこうなので、これも全部でやはり五、六十人の人間になりましようが、それくらいの人を派遣するということで、これもすぐ実現に移していきたいということであります。
それだけが賠償でやることで、合弁事業でやりたいというのはたくさんありますが、そのうちで造船所だけはすぐにもできそうな形であります。これについては日本側でも、日立造船所と、石川島造船所とで共同で調査をして、それで共同でやるか、あるいは石川島さんのところでやるか、日立さんのところでやりますかわかりませんが、もちろん相手は政府であります。その合弁事業方法は日本の株が四〇%、向う側の株が六〇%、標準としてはそれでいこうということであります。そのほか綿織機の工場。ゴム製品。ゴム製品は、初めは自動車タイヤということを言つておつたのですが、そんなむずかしいことはできませんから……それから向うの人はぞうりをはきますから、ちようど日本のせつたぞうりみたいなものをはきますから、あるいはズック程度というようなものでいいじやないか。それからガラス製品ですが、これは板ガラス、こんなむずかしいことをせんだつて、輸入するのに都合が悪いびんでも作つたらいいじやないかということで、それを大いに勧めてきたのであります。原料だけを入れてガラス製品の製造をする。それから化学肥料、これは先ほど申しましたように、硫酸がなくては化学肥料はできないから、まず硫酸工場としては鉱石の製練所と硫酸工場をひつつけて硫酸を作つて、その硫酸を何に一番使うのが有利かということはもう少し考えよう。一部を肥料にするか、全部肥料にするか、その辺のことは考えようということにしました。ソーダ工業、これは向うも御承知の通りドライ・シーズンというのが半年くらいありますから、その間は塩ができる。そうして現在塩を外塩まで輸入しておるようです。そんなばかばかしい話はないから、これは塩をお作りになればいい。塩を作ればソーダも作れるというようなことでよかろうということにしてきました。それから合成樹脂、これも初めは繊維までやりたいというようなことを言つておつたのですが、そんなことはあと回しにしていい。一応日本から原料を持つていつてそれを形にするということでいいじやないかということで、それでいいということになりました。それから電気機具、ソケットだのスイッチとか、そんなものでありますが、そういうものの工場を作りたい。電線、電纜、これもどく簡単なものだけ原料を入れておやりになればよかろう。紡織機、これも非常に熱心ですけれども、これもやるならば、簡単なものを……。アルミニュウム製品。これは初めアルミニュウムの精練までやりたい、電気が余つてしようがないから電気の使い道はないかということで、それじやアルミニュウムということになつたが、アルミニュウムの原鉱についても、あるかもわからないし、ないかもわからない。そんなものは原料関係がはつきりしてからでもいい。それよりも弁当箱とか、そういうようなアルミニュウム製品をたくさん店に売つておりますが、そんなものぐらいは自分で作りたいというので、それならばアルミニュウムの板を入れて、その板から先の製品化だけをおやりなさいということで話してきました。それから陶磁器、これはそんな高級なものでなくてもいいが、こんなものも輸入しておるから、陶磁器もやりたい。モールメンに日本の技師が二人行つておりまして、試験工場兼徒弟養成所というようなものを建てることにして……。ここでちよつと申しておきたいのは、私はこの工場を見まして実に憤慨したのでありますけれども、そこにある機械は全部日本品でありまして、そうしてそれにはつきりとメーカーのネーム・プレートが張つてあるし、それを輸出した輸出業者のネーム・プレートが張つてある機械がずらつと並んでおるのでありますが、これが使いものにならぬ。これを買つたのはビルマ政府が買つたのじやないので、何か日本に来ておつたEACという機関があつてそれが買つてそれをビルマ政府に経済援助という形でやつたのだそうであります。ところが、これが実に話にならぬひどいものが行つておる。とても動かない。動かないのはわかつておる、たとえば土を練る装置のことでありますが、土と粘土に水を入れて練るのでありますが、このくらいの大きくタンクです。そのタンクで練るのにモーターが半馬力であります。半馬力のモーターは家庭のちよつと大きい電気冷蔵庫なんか半馬力のモーターをつけている。そんなもので動くわけがない。これはモーターが焼けるか、動かんか。それのベアリングを見てももし理無にやつたらベアリングが飛んでしまう。仮にもし飛ばなければ焼けてしまうというようにお話にならぬものが行つておる。これはおそらくそのときは安かろうでどんどん適当に入札をして持つていつたのだと思いますが、それと同じようなたぐいのものがラングーンの対岸の造船所にあります。日本から送つたのでこれも使いものにならん。向うには英国人の技師がおつて、英国人の技師から言えば日本の物にけちをつけていれば愉快なんです。動かしてやるろという親切気はない。これは日本の人が行つておるのだからなんとかして動かしてやろうと一生懸命やつておる。こんどの賠償にしても合弁事業にしましても、やたらむしように日本のメーカーがめちやくちやに安いものを売りつけて競争をして、そうしてそれを日本から持つていくということになれば、結局日本からたくさんものをもつていかなければならんということになる。そうかといつてめちやくちやにインターナショナルプライスよりもちろん高いものを売りつけるわけにいかんが、日本の業者がいろいろむだな競争をして悪い物を持つていくということになればこれはもう千歳のつらよごしでありますから、この点について大体自由競争という立場で向うは見積りをとることになつておりますので、その見積りをとつたものをきめるときには少くとも日本の政府なり、あるいはある機関と相談をして決定をさせるということでもつていかないと、日本の恥さらしであるし、同時に安く売れればそれだけ賠償で持つていくものが多くなるということになりますから、この点だけは一つどうしても適当な機関を初め作つて、そうしてこういう実際問題を取扱うということにしなければならぬということを痛感してきたのであります。それでまた同時にこんどの賠償にしても、外国人が牛耳つているところへはあまり日本の物を賠償で持つていかない方がいいのじやないか。少くとも日本の人が行つてそれを運転する、ところへ持つていきたい。そうしないと、日本人ならば十分使えるものを、彼らはもう使えないというのでうつちやつちまうというようなことになつては困るから、賠償で持つていく以上は少くとも日本人がそれに関与できて、そうして日本の物がうまく動かせるというところにだけ賠償をやるように、むしろこつちで制限する方がいいのじやないか。これは将来の問題でもありますが、そんなふうな感じを持つて帰つたのであります。
それからホテル、ホテルは実はこちらから言い出したので、ラングーンにはたつた一つのホテルしかなくて、そのほかにはあまりろくなホテルがない。ラングーン以外のところでは、マンダレーみたいなところもホテルがない。旅行者がふとんからかやから持つていかけなればならない。これはインドの田舎はそうなんです。インドの田舎を旅行するときには、向うに政府がこしらえた家がありまして、そこに寝台があります。だから寝具から何から皆持つていつて寝るのであります。それがビルマじや田舎じやない、マンダレーと言えばラングーンに次ぐ第二の都会でありますが、第二の都会へわれわれ行つてそこで泊れる部屋かない。そこには政府で作つた家がありますから、そこへ行けば寝台があるので、家も大きい、部屋にも寝台くらいあるのでそこへ寝具を持つていつて、かやまで持つていつて泊るような状態でありますから、これはホテルを一つ合弁事業でやつたらどうですかということを言いますと、まあけつこうだと、もしやるとなればラングーンに一つホテルを建てて、下の方は日本のデパートメントストアみたいなものを、日本商品を紹介するようなものにして、それから今あります大使館というのは、まるでひどいところにおりますので、あまりひどいから一つこれに大使館を入れて、それから四階か、五階か、六階あたりに一つホテルでも作るというような構想でどうだというようなつもりでおるのでありますが、まあこれは誰がやりますか、国際観光ビルみたいの、ああいうような形のものでも作れれば大へんいいのではないかと思います。
それから絹糸の織屋、こんなことを合弁でやるならやりましようと申して来たのであります。しかしこれに対して日本の民間業者がこの合弁に参加する人が果してあるかどうか、これは問題でありますが、もしあればそれでおやりになればいい。それでこれは稲垣さんから直接、稲垣さんとウー・チョー・ニェンとの二人だけの会談で、これは日本に来たときにも私は何べんも言つたのでありますが、この合弁事業については最高の取締役会、これは勿論ビルマ側と日本側から出る。それはけつこうです。しかし実際運営するのは、マネージメントは日本側にまかせなさい。そうしなければとてもろくなことはできませんよ、ということを言つたのであります。これは向うさんも承知なんであります。この前来たときにも私が申しました。新興国家というのは非常にアンビシャスで、原料がある、原料があるが、原料で輸出するよりは製品にして輸出する方が利益だ。また製品で輸出するならば工場がないから工場を建てなければならない。それも事実でしよう。どうせ小さい工場を建てるよりも大きい工場を建てた方が利益だということで大きい工場を建てる。それも理屈はよろしい。私はその実際をユーゴスラビアで見て来ました。それでユーゴスラビアの政府に私は警告をしました。けつこうだが、アメリカのベストは日本のベストではありません。同様にアメリカのベストはユーゴのベストではありませんよ。だから工場を建てるときには小回りのきく工場を建てる。それからそれを大きくするがよい。人を作ることをせずにいきなり大きい工場を建ててもだめですよ。ビルマに対しても私は同じことを申します、と言つたらウー・チョー・ニェンは大体君の言うことに僕は一致するが、たつた一つ違つたことがある。それはユーゴは人間を作らずに大きい工場を建てている。自分も見た。しかし私の方は全部日本人に動かしてもらうつもりだから大きい工場を建ててもいいじやないかと言うから、それならけつこうです。だからそのときには十万トンの硫安工場の話だつたのですが、十万トンの硫安工場を建てるのに日本人五百人持つて来ればいいだろうと言うから、いや、五百人は要らないでしよう、まあ、七、八十人から百人ぐらい日本人が行けばいい、それはお安い御用だ。工場を建てるなら当分の間日本人にまかす、マネージメントも自分らにはできない。マネージメントから技師から、職工まで全部来てくれと言つておりました。それを稲垣さんがもう一ぺんコンファームされまして、合弁は両方から出がす、マネージメントは日本人にまかせなさいということをコンファームされまして、けつこうです。しかしいつまでも日本人がいなければ動かぬでも困るから、十年ぐらいの後には自分らで動かすように教育してもらわなければいかぬ、それはごもつともですということで、大体そういう方針で了解を得ております。
それからなお、もうかつた、もうかつたら出ていけというのでは困る。だから少くとも十年間ぐらいは強制株式の買い上げはせぬということで一つ了解したいという話をされまして、それは原則的には自分は賛成だが、しかしこれはどうも自分一人でイエスとも言えないから……。大体そういうことになるであろう、しかし自分はそれに賛成だという言質を得ているのであります。
それから日本人もたくさんこれから参りますが、その給与関係でありまして、細部についてはまだわかりませんが、大体の方針としましては日本におります給料の三倍はもらわなければいかぬということで話をしました。大体それも了解する、それについては異議ありません。それで現実に申しますと、現在こういう人があるのです。東京の高等蚕糸を卒業して約二十年の経験のある人が向うへ行きまして、地方で月二千チャットと申しますと、七十五円何十銭が公定で一チャットでありますから、ざつと五百ドルぐらいですか、五百ドルぐらいとつておるのです。それからまたそのほか外国人を雇つておるその実例も全部見せてもらつたのでありますが、それでも最高は二千チャットというところでありまするから、二千チャット。税は向う特ちです。これはしかし大学出になればもう少し高くなるということで、これは話がきまつた、まあ二千五百チャット、最高二千五百チャットくらい、しかし特別な場合は別だ、それはその人、個人々々について話しましよう。それから一番下は八百、九百チャットくらい、これは五年くらいの職工さんですね、五年くらいの経験のある、昔の地方の工業学校、中等程度の工業学校を卒業したくらいで五年くらいしたところで九百チャットくらいという、上と下とだけは話をきめまして、その間はまあもつとこまかくしなければなりませんが、それはまあ上下さえさまれぱあとこまかくすることは事務的に話ができると思つて帰つて参りました。大体お話申し上げることはそのくらいと思います。なお御質問がございましたらそのときに……。
この発言だけを見る →それからまた日本の政府としては根本的に賠償というものは円払いに限る。外貨払いについては一切しないといる原則をもつて先方とも話されて了解点に達しておるのだそうでありますが、その意味におきまして現物賠償というものは日本で製造するものということになります。
それからまた、そうでありますから、たとえ向うで仕事をしましても向うで工賃を払うということになると、機械はこつちから持つて行く、機械は持つて行くが向うで据付けるとか、あるいはその間の少くとも機械を据付けるのならコンクリートのファウンデイションをしなければならないから、ファウンデイションをするのに土を掘る、ちつぽけな例で申しましてもその土を掘るということは、それは向うの、ビルマの金でビルマの人に払うのでありますからそれは賠償の対象にはなりません。しかしセメントが要るならセメントを日本から持つて行くとすれば、これは賠償になる。家を建てるにはれんがが要る。それを積むには向うさんがれんがを焼いてそれを積むのは向うの金で払うから、これは賠償にならないが、その家を建てるために必要な鉄筋であるとか、あるいはガラスであるとか、ウィンド・サッシュであるとか、ドアの取手というようなものが要るならばこれは賠償になるというような意味で、賠償というものはすべてもう円払いでなければならんという原則に立つておるのであります。
それで結局、じやどういうことを賠償でやるか、どういうことを合弁事業でやるかということにつきましては、賠償の対象になりますものとしては、こまかく一番初めから何をやつてそれが幾らかかるというようなことは見当がつきませんので、とりあえずこういうことをしたらどうですかということになつたのであります。それも第一年度に何をやるということでなしに、初め二、三年の間、これもはつきり三ヵ年とも言わず二カ年とも言わず、まず二、三年の間にはこのくらいのことができましようと言つて出しましたのが、お回しいたしました対ビルマ賠償の対象(仮案)というそれであります。
まず運輸系統、これは鉄道がずいぶんいたんだというので、ことに大きい川の鉄橋が落ちたということ、それで鉄道を戦前の状態に復旧するという、それを拡張するまではいかずに、まず戦前状態に復旧するというプリンシプルで鉄道の復旧ということにしたのであります。そのうちには一番大きいものはシッタン河の、これは六百メートルか、七百メートルあるかなり大きい川であります。これの鉄橋を作るということ、おそらくこれは前の鉄橋じやなしに新しい橋脚かちやらなきやならぬだろうと思われます。それから鉄道車両のずいぶん爆撃や何かでやられてひん曲つたのがそのままに捨ててありましたが、それらを新しく作つていこう。貨車、客車、もし必要があれば機関車まで入りましよう。
それから次に国内の電気通信施設の整備、これが実はあまり話はうまくいかないと思うのでありますが、電気通信関係は英国のアドヴァイザーがおりまして、これが非常な力を持つておる。それで電気通信関係についてはほとんど向うから要求も出なかつた。でありますが、とにかく電気通信がはなはだ悪いので、国内の電気通信関係を整備することについての機械、あるいは設備、材料、そういうようなものが要るならば出します。ここで、これは話にならなかつたんでありますが、ついででありますからちよつと申しますと、日本とビルマとの間の電気通信が非常に悪いのであります。非常に無いばかりでなしに高い。数字で申しますと、ロンドンとラングーンの間の電信料を一〇〇としますと、ラングーンと東京との電信料が、一五〇なんです。それから距離から言えばうんと近いのであります。それが一五〇。ことに激しいのはバンコックとラングーンの間がたしか一四〇というような数字であります。これは一に海底電線で参りますので、海底電線でラングーンからコロンボへ行つて、コロンボから日本へ逆送してくる。そういうよるなことで費用も高いし、時間もかかるし、また間違いも起りやすいというので、これに対しては一つ日本とビルマと直通の無線通信をやることにしてそれを賠償へ持つてこようじやないか、それは双方の利益だという説明をしたんであります。説明をしたんでありますが、これに乗らない。乗らなくて、それに対するロ実としては、今インドとビルマの間の無線通信を進めておるから、その後にしたいというようなことで、これは乗りませんでした。向うで乗らないものをこちらでしいるわけにいきませんので、それじやそれができたときに話しましようということで一応延ばしたのであります。
それから水路の方では現在の水路を復旧する、内陸水路の復旧、それから小型造船所の建設ということであります。これも、小型造船所というのは要するに川船を作る程度の造船所、大した金もかかるものじやありませんが、そんなことをやりたいということで、これはよかろうということで話をいたしました。それから内陸水路のことは次の鉱山関係のところで一緒に申しましよう。
それから沿岸水路の復旧、それと次のラングーンその他の沈船の引き揚げ、これはまあ一緒に考えられるようなものでありますが、これも大したものじやありませんので、ランチがほしい、はしけがほしい、引き舟がほしいというような大した問題じやございません。これはあとで申します。合弁関係の造船所とからみ合いますので、こんなものを今から日本でこしらえて持つていつたつて、造船所ができたならば、こんなものは二カ月か三カ月でできるよるなものを、なにも賠償で持つていかなくてもいいじやないか、造船所ができさえすれば、こんなものを作らなければ造船所の仕事もないのだから、無理にこんなものを賠償にしなくたつていいじやないか、しかし、とりあえず要るものくらいはこれは賠償で持つていつてもいい。
それからその次にラングーンその他の引揚船でありますが、今でもラングーン等で、今特別にそれがじやまになつているわけではありませんが、退き潮になり、渇水期になると、沈没した船のマストが出たりして、はなはだ醜くもあるし、またそれが決してじやまにはならないにしても、ない方がいいにさまつているのでありますから、それを引き揚げたいという話も出たのでありますが、引き揚げという以上は、たつた一そうや二そうを引き揚げるのでは、とてもそろばんに合わないので、日本側としましてもわざわざ持つていつては費用がかかつてしようがない。ついでのときに、そのほかの港にある船も沈んだのがあるから、それを全部引き揚げることにしようじやないかということで、それはけつこうですということで、これはそういうことで話がきまりました。
次に鉱山関係であります。鉱山関係の一番初めにカレワ炭田の開発というのがありますが、向うには、ろくな地図を売つていない、地図と言えば、カルカッタで作つている地図を買うほかに、町の本屋で地図を買おうと思つてもないくらいで、ちつぽけな地図で、はなはだ恐縮なんですけれども、ラングーンがここであります。これを貫通します大きい川がイラワジ河でこれは中央の幹線水路になります川であります。それの支流のチンドウィンという支流があります。その支流のさらに支流、このインドとビルマとの国境の山脈、この国境の山脈のすぐ東側の谷であります。谷と言つたつて相当広い耕地もありますが、それにこの東西にわたつてこの山脈に並行してかなり大きい炭田が数十キロにわたつてあることは大体わかつているのであります。そのうちの一番まあ都合のよいところに炭鉱を開こうということで、今着手第一日という程度であります。場所で申しますと、例のインパール作戦で有名なインパールの南約百マイルくらいのところであります。そのカレワ炭田の開発をやりたいというので、それをこちらから言わないで、向うからそれを見てくれというので、見に参つたのであります。現地では、炭は大体常磐よりもまずいい、常磐よりは確かにいい、ボイラー炭としては十分使える、むしろ常磐炭よりも灰が少いので、硫黄分が少いから常磐炭よりはよろしい。よろしいが、しかし日本の九州の、北海道の一等炭と比べればずつと落ちるという程度の炭であります。しかし炭層は幾つかありますが、そのうちの大きいのは十尺層と、それから十二尺層、これはほとんどその間にハサミのない適当な炭だと思います。それが今までその附近で見えておりますだけでも相当正確に露頭がわかりますのと、それからボーリングもしてありまして、相当深くまで石炭がはつきりあることだけはわかつておりますので、十分そこで経済的にその炭鉱が成り立つということはわかるのです。傾斜が四十五度、その点では非常に傾斜が急でありますが、しかしまた同時にボーリングした穴からガスが出ておるといる程度で、将来は相当なガス害になるのでその点では相当困るのじやないかと思いますが、しかし十分炭鉱としては経済的に成り立つべき炭鉱であります。でありますが運搬設備がない、鉄道もない。鉄道をつけるならばかなりの山脈をずつと抜けて、それを横切つて入らなければ鉄道がつかない、これはなかなか大変であります。しかし川があるので坑口からすぐ川になる。それから坑口からちよつと運搬設備さえすれば、川船に積める。その点では非常に便利なところでありますが、しかしその川が現在では吃水……、雨の降るときと降らないときとでうんと違いがありますのですが、ただいまから四月末までは雨の降らないシーズンであります。その間には非常に川も水が減ります。そのときにまあ一番浅くなつたときに通れる船が吃水二尺というのです。吃水二尺の船なら通れる。吃水二尺では大きな船はできないので、それじやとてもいかん。それからこの炭鉱が生きるか死ぬかということは運搬ができるかできんか、幾ら掘つてみたところで運搬のできない石炭じやしようがないので、運搬ができなければこんなものは掘つてもしようがないということを私強調しまして、この炭鉱の石炭そのものよりも、この炭鉱の運命は運搬にかかつておる、その運搬も川があるのだから川の運搬にかかつておる。それで二尺の吃水じやこれは乾季には運搬できんじやないか。ところで聞きますと、戦争前は五尺の船が通れておるのであります。これは何人かの人に聞いてそう申しますから間違いないと思うのでありますが、五尺の船が通れたのなら、五尺の船ならば一ぱい何百トン、三百トンやそこらぐらいの川船が引つぱれるから、そうすればこれは十分経済的に成り立ちます。これが経済的に成り立つということは、少くとも現在ビルマという国は石炭かないので、全部石炭というものはインドから入れておる。全部輸入炭なんです。だからこれがラングーンまで出てインド炭よりもあまり高くなければ、そうすればインド炭を置きかえてそれだけの外貨支払いがなくなるというだけの少くとも利益がある。しかし炭鉱という以上は、少くとも一日千トソぐらい掘らなければ炭鉱になりませんよ。将来年三十万トンぐらいの石炭が使う道がなければこんな炭鉱をやつても無意味だということをよく申しまして、それでそのぐらいには使える、ラングーンまではもちろん使えることになりますから、ラングーンのボイラーに、また川船の、川蒸気のボイラーにたくとか、汽車のボイラーにたくという工合に、今まで汽車のある山の方では薪をたいておるようですが、そんなものを全部石炭に変えるということでもすれば、年三十万トンぐらいのものは使えるだろう。それじやまあ少くとも三十万トンぐらいは掘るということにして、それを運搬するためにはどうしても川を整備しなきやいかん、その川も昔の川は五尺で今二尺というならば、これは鉄道線路が破壊されたのと同じだ。つまり数十年間浚渫しないのだから、これは鉄道線路が破壊されたのと同じだ。この川の浚渫を炭鉱に持たせたんではこれは炭鉱がもちませんよ。だからどうしてもこの炭鉱というものを生かすためには、鉄道が破壊されたと同じ意味において国がこの川を戦前の状態になさるのがいいんじやないですか。それは全部浅くなつたのじやないんで、ところどころ曲りかどに浅瀬ができておる、それを掘るだけでありますから、だから国としておやりになればよかろう。そのために必要な浚渫用の機具、それから石炭運搬用の船は、汽車の貨車を整備するのと同じことで、また鉄道線路の復旧と同じ意味において、この川の復旧と運搬をつけるという意味において、それは当然賠償でやるべきものでしようということで説明しまして、向うもそれは大変けつこうだということになつたのであります。
それからその次の亜鉛製練所の建設、これは、非常に大きい船、亜鉛鉱山がずつと北の方にあります。例の戦争中の援蒋ルートのスタートいたしますところ、ラシオという町でありますが、このラシオから入つて雲南に山を越えて入つたんです。その援蒋ルートのスタートしますところ、鉄道の終点よりちよつと手前であります。そこに大きい船、亜鉛山があります。これは東洋第一、むしろ世界的な大鉱山であります。これは、これまで全部英国資本でやつておつた、やつておつたが、これがまあ戦争中に破壊されまして、そうして三井鉱山がこれの復旧を軍から委託されてやりかけたところで終戦ということでそのままになつておる。それをその後ちよつと比率がはつきりいたしませんが、純英国資本のやつを合弁、ビルマの国との合弁ということで、ビルマ国がその株を取りまして、今のところじや合弁形式にはなつておりますが、全然仕事については英国側の経営に委任してあるという状態であります。ここを私自分で見ることができなかつたのでありますが、いろいろの報告によりますと、現在は鉛も亜鉛も掘つておるのだけれども、戦前の約六分の一くらいしかできない。戦争前には亜鉛の鉱石としまして五〇%余りの亜鉛を含んでおります鉱石を年に六万六千トン出しておつた、鉛も従つて相当出ておつた。それがただいまでは一万トン余りしか出ていない、六分の一しか出ていない。しかし諸報告によりますと、近く精鉱所を整備して、年に二万二千トンの精鉱ができるようになるというレポートが出ております。また現在鉱石が売れないものだから、それを山のように積んであるという話であります。それで、私は向うの政府にも申したのでありますが、この国で化学工業を興したいということをおつしやるが、化学工業にはどんな化学工業でも硫酸を使わなければならんのだから、何か硫酸原料としての鉱石を見つけなければならん。むしろ硫酸原料として要するに硫黄を含んだ鉱石であります、現在ではそれがないのですけれども、ただここにあるボードウィンの鉛、亜鉛山で現在まで鉱石として売つております亜鉛鉱石、この亜鉛鉱石が三〇%の硫黄分が入つております。この硫黄分の入つたものをただで売つている。硫黄をただで売つておるのでありますから、これはもつたいない話なんですから、どうしてもこの国のためにこの鉱石をお使いにならなければなりませんよ、これは現在輸出しているのだから、輸出価格よりも高くない価格でビルマ国が買い上げるということをなさい、そるすれば別段これまでの英国資本に対する権利を侵害するわけでもないのだから、少くとも輸出価格よりも高くない値で国が買いなさい、そうして国自身で国営の亜鉛製練所をお建てなさい、そうすればこれまでただで持つて行かれておつた硫黄分が生きる、日本では硫黄の含有一%のものについて七十円の値段で売れておるのです、それで日本の鉱山は立つておるし、日本の硫酸工場はそれでそろばんが合うのだから、日本では七十円で運賃をかけると七十五円以上になりましよう、あなたの方の一チャットで一%のを買つているのだ。三〇%の鉱石をただでお使いにならんということは……、もうからんはずはないのだから、これでぜひおやりなさい。大体この製練所ができるのに二年かかるとすれば、その間にボードウィンの方も整備されるから、年に三万トンの鉱石を掘つて、約一万五千トンの亜鉛を作る工場と、同時にそれの副産物として二万五千トンの硫酸を作る設備を国営でなすつたらどうですか、それに対する技術並びに資材、そういうものは全部日本から賠償で供給しましよう、約二年かかりましよう、ということで話し合つた次第であります。
それからなおこれは閣僚ではないのでありますが、向うの党の有力者であります、その人と会つてくれというので、会つたのでありますが、その人の言うのには、現在三〇%のアンチモニー鉱石がある、それがただですよ、五〇%あれば売れる、併し三〇%のアンチモニーは使つても仕方がないから、という話を聞きましたし、また別の人でありますが、これは二〇%の鉛がただですよ、それはそうなので三〇%のアンチモニーと言えば、七〇%はこれはすたりものだ、七〇%の廃石を山の中からヨーロッパまで運賃かけて持つていつておつたのでは、三〇%のアンチモニーがただになるのはこれはあり得ることなので、そんなばかな話はない、こんな国としてあほうなことはないのだから、アンチモニーの製練所を一つお作りなさい、製練所と言えば選鉱場もくつつきますが、それをお建てなさい、そうして合理的な値段でこの鉱石を買つてやるならば、鉱山がエンカレージされて鉱山が働き出す。そうすればおそらく方々から出て来るだろう、そういうことで国営の製練所をお建てなさい、そうしてそれに対する技術、資材は全部賠償でやりましよう、これは大して金のかかるものではございませんが、そういうことを話したのです。これは非常にけつこうだということで、そういうことで進めたいと思います。
それからその他の、油も含めますが、その他のものにつきましてはよくわからない。非常に大きい鉄鉱の山があるから硫酸を作らずに硫安を作りたいという話がある、あればけつこうだが、人によつてはべらぼうに大きいと言うし、別の人によるとあんなものは小さいものだと言うし、わからない。
それから鉄山をわれわれは見せられたのでありますが、その鉄鉱があることはわかつておるが、どれぐらいあるかわからない。二千万トンあるというようなことを言うけれども、二千万トンあるということは今ではあり得ないので、あるいはあるかもしれないが、ないかもしれない。
そういうようなことでいろいろな天然資源があることはわかつておりますが、どういう程度にどんなところにあるかわからないのでその調査をしてくれと言うのであります。それはやりましよう、だから一応ずつとほんの目録を読むように歩いて、そのうちの面白そうなところを探鉱するということで進めればどうですかということで、それはけつこうですということで、まあそういうようなことで進めたいと思つております。
それから特に石油でありますが、石油は御承知のようにこれは英国資本で戦前ずつと来たのであります。それも戦後ビルマ政府との合弁事業になつておりますが、しかし運搬は全部英国資本、英国人がやつておる。これは私驚いたことに、戦争前はインドからあの辺は全部ビルマの油でまかなつておつた。ところがこんどわれわれが行つて見ると、ビルマが石油輸入国となつておるのです。ということは、戦争で破壊されましたが、その後何ら増産態勢をとつていないのです。それからさらに驚いたことは、輸入国であつても……日本も輸入国なんでありますが、輸入国であるのに、日本よりははるかに原油の生産地に近いところであるのに、……モールメンという港であります。これはラングーンに次ぐ第二の港でありますが、モールメンで聞いたのです。これは今日本のエキスパートが来て向うで陶器工場を作つております。その陶器工場でこの陶器を焼くかまには何を燃料にしますかと聞きましたら、石油です。むろんそうでしよう。ところがその石油が高いのですよ。日本の金にして一トン二万円、日本の所で二万円もする……。
それから同時にこれは公式に聞いたのでありますが、現在のバーマ・オイル・コーポレーション、ビルマと英国の合弁の鉱業会社の持つておる鉱区以外で石油を開発する意思があるのかということを、私は公式の席で聞いたのでありますが、大いにそれはある。そのためには一つ日本の技術を借りたいと言うので、その場合には合弁事業もどうですか、それもけつこうだというのでありました。ただいまは帝石から三人技術者が来まして、これはただいま滞在中は向うの費用で相当調査中であります。そういう意味で私はこの石油に関する合弁事業というものを一つ進めることができるなら進めたいと思つております。
農林関係ではあまり何はないのでありますが、イラワジ河というのが一番大きい川でありますが、このイラワジ河の一部に砂漠地帯のような……砂漠というほどではありませんが、雨量が比較的少い場所があるのです。そこは護岸がはなはだ悪い。それからざあーつといつときに雨が降ると山の砂が流れてどうにもならんという、砂防工事と護岸工事というようなものをぜひやりたいというのであります。それはごもつとものことでありまして、それに対しては賠償をもつてそれの工事なり調査をしましようということに話をしたのであります。
それからその他の農林関係の改良のための指導という点であります。これについては、現にすでにやつておりますのは、これは国連の技術指導からスタートしたのでありますけれども、国連の人間としまして日本の技師が行つておりまして、ある人は国連の期限が切れてビルマ政府の人として仕事をしております。これは先ほど申しました桑園と、それから生糸の生産工場、これは試験工場であり、同時に徒弟の養成所という意味でやつておるのであります。これは非常にいいので、三年ぐらいかかる桑の苗が一年ででき上る。それから一年中葉があるので、日本ならば四回お蚕をとるのが、向うだと一年に七回か八回お蚕がとれるよるな状態であります。これを日本で、すでに日本の人が行つて技術指導をしておりますが、さらにそれも拡張したいという御希望であるし、それからマンダレーにはそれの織物工場、これも試験工場で徒弟養成工場になつております。これにも日本の人が二人行つております。非常に評判がいいのです。それから酪農工場、これも今小さいコンデンスミルクなんかをやつておるのでありますが、それに伴つてチーズを作るというような設備を今建設中であります。またそのほか園芸関係、また水田関係などありましようし、そういうものに対して相当たくさんの、三十人くらいの日本の技術者を派遣してほしいという希望がございました。それはもちろんけつこうなことと思いまするので、出しましようということにしておきました。
それからその次には、日本で言えば厚生省でしよう、保健関係、これは現在進行中の、ラングーンに大きい病院を作るというので、これは国際入札に出まして最近日本の建築業者も参加するようになつております。そのほかに、七つの、各地方に大きい地方病院を作りたい。その一つの病院がベッドの数二百ぐらいの病院を作りたいというのであります。それから、そこに拡張するのが一つあると、それに対する資材、それから技術、それらを賠償にする。先ほど申しましたように、家を建てるのはこれは向うの費用で建てるのでありますから、それにいろいろ鉄筋とか、窓ガラスぐらいのものしかやれない。家そのものに対しては大した賠償にはなりません。なりませんが、病院である以上、医療設備というのは相当のものでありますから、これは全部日本のものが要るということになります。
それからその次は防衛隊関係であります。これが非常に大きかつたのでありますけれども、そう何もかも一ぺんにやれぬからというので中央修理工場の建設、これは主としてトラックであるとか、戦車等の修理工場、陸軍の修理工場です。それから哨戒艇、これは海軍関係であります。それから船を作ります。海軍は海軍で船台を持ちたいというのでこれもある程度ごもつともだろうということで、スリップウェイでございますね、その船台を一つか二つか作るという。それから航空基地の整備、航空基地の整備というのは、これはもうピンからキリまでありますので、これだけでもえらい金がかかりますが、これをどのくらいにするか、何かしようということになりまして、どのくらいにするかということはもう一ぺんよく技術的に話しましよう、何ならあなたの方から人を日本へよこしなさい、そうしてどういうものがいいのかということも一つ日本を見て、それから話合おうじやないかということにしまして、どの程度にするということはまだきめてないのであります。これで陸軍、海軍、空軍というものが、一応さきに顔だけ出しておいたという程度であります。
それから工業関係、これはこのうちで一番大きいものは、ただいまやりかけておりますバルーチャンの水力電気、これは東部国境、これはタイとの国境でありますが、その国境にサルウィンという大きい川があります。この川は舟運の便がございません。ございませんが、このちようど西部の辺に湖があります。その湖をこつちの川へ落すのであります。そうしますと、その湖はインレーという湖でありますが、その湖がちようどダムに相当するので、別にダムを作らんで、その水を川に落すだけの設備をしてやりさえすれば、千何百尺という落差ができるのです。それでこれは、初めアメリカ人が全体を計画しまして、国全体のすべてのものについての工業計画のレポートが出ているのであります。それをアメリカ人の計画では二万キロということであつたのです。ところが、その後に、別にそのために出かけたのじやないのでありますが、久保田豊君と申しまして、これは鴨緑江の水力発電所を作つた人です。この久保田君がたまたま参りましてそのことを聞いて、これは自分で現地を調査してみると、二万ぐらいじやない、これは八万四千キロ出るというラフな計画をもつて政府と話したところが、政府がそれに乗りまして、それでは一つ君に頼むということで、これは日本工営という日本法人の会社であります。久保田君はこの日本工営の社長ですが、そういう案を出したので、ビルマ政府は大へん喜びまして、それじや久保田君に一切の計画を一任するということで、ずつと調査をしておりまして、ようやく設計もできて、そうして八万四千キロの発電所を作ることになつているのであります。それでこれはもうすでに計画ができて、発電機の見積調書も終りまして、各国からとつたのでありますが、日本のものが値段で言うと三番目ぐらいになる。でありますが、納期が早いので、それで他国のやつをへずつて、日本のものに多分すると思います。すればこれが賠償として一番大きいものであるし、手つとり早く効果が出るので、大へんけつこうだと思つているのでありますが、大体年内に四十億円の外注があるのであります。そのうち全部日本がとれますかどうかわかりませんが、そのうちの大多数は日本でとれると思います。そういうものを、初めは向う側は、自分の方の金で払うというくらいに言つておつたのでありますけれども、ビルマの手持外貨は減つているしするから、日本の賠償にして、そうして外貨を支払わないようにすればその方がいいというようなことから、これはむろん日本に落ちると思います。落ちるし、これができ上りますのが来年の秋には……、幾ら延びても、来年中にはできるということで、それからこの工事も、日本の田島組が請負うことになりまして、すでにだいぶ向うへ進出して参つている。まあそういうわけで、これは一つ喜んでいただくことだと思います。さらに、これは拡張すればまだ二十万キロくらいにもなる大きいものもあるよるであります。そうしてこれができますと、まだほかにもやるつもりでおつた発電所は、おそらくそんなことをしなくても、これで十分余るから、アメリカあたりでそのほかに熱心に運動しておりますけれども、おそらくそれはやらないだろうと思います。
それからその次に中小工業のいろいろのものがありますが、中小工業の工場建設と、それから技術指導。砂糖、それから乳製品、先ほどちよつと申し上げましたミルクだとか、酪農工業ですね、それから綿織物、ウルシ、漆器の工場、それから屋根かわら、それから動力プラウ、噴霧機だとか、そういうちつぽけなものがたくさん出ております。それから染色仕上げ、それから蚕糸試験所、それからブリキカンの工場、これはまあブリキカンは非常に要るので、カン詰工場を作るにしても、カン詰を作るにしてもコンデンスミルクを入れるにしたつて、あんなかさ高なものを持つて来たのではかなわないので、まあブリキを入れて、そうしてそのカンを作る工場なんです。そんなものはやるがよかろう。それから乾電池、蓄電池、そんなものは今すぐやれるかどうかわかりませんが、希望はある。それから製糸。こんなちつぽけな中小企業に属しまずプラント輸出並びにそれの技術指導、それからこれは工業開発公社、インダストリアル・デヴェロップメント・コーポレーションと申しておりますが、それの修繕工場にずいぶん日本の工作機械が入つているのですが、それが十分整備されていない。それを整備したいということであります。それに対してすぐ技術者を派遣してくれ、同時に、職長なり、職工をよこしてほしいという問題。それから同じくそれの附属工場の設備、セメント工場、それから綿布、それからラミー、そんなものの工場。セメント工場は、これは今入札できよるので、日本のセメント会社でもそれの入札に応じ得るような態勢であります。ありますが、大体これは英国人がやつている工場を大きくしようというのです。
それから教育関係では、毎年少くとも百人くらいの留学生を日本によこしたい。そうして日本の学校に入れるだろうし、日本の工場で実習もさせたいという希望であります。それは大へんけつこうなことでありますから、実際向うの人は日本のことを知つている人もあるが、知らない人もあるのですよ。知らない人は何にも知らないのですよ。日本に電車があるかというようなことを聞く人もあるくらいで、できるだけ向うの人が日本へ出て来て日本を見るがよかろうということで、できるだけこちらは受け入れよう。受け入れるについては、少くとも半年くらいは日本語を覚えなければならない。それから学校へ入る。それからその間にそれを収容する場所が要るから一つ賠償でそういう人の寄宿舎を建てたらどうですか、そうすればこれは日本側が建てるのですが、結局それはビルマ政府のものになりますから、それを賠償でお建てになつたらどうですか、三百人、四百人くらい入れる寄宿舎ですな。それを一つ建てようじやないですか、それもけつこうだということになりました。
その次の住宅関係、これは土木建築の技師を派遣してくれということであります。これはもちろんけつこうなので、これも全部でやはり五、六十人の人間になりましようが、それくらいの人を派遣するということで、これもすぐ実現に移していきたいということであります。
それだけが賠償でやることで、合弁事業でやりたいというのはたくさんありますが、そのうちで造船所だけはすぐにもできそうな形であります。これについては日本側でも、日立造船所と、石川島造船所とで共同で調査をして、それで共同でやるか、あるいは石川島さんのところでやるか、日立さんのところでやりますかわかりませんが、もちろん相手は政府であります。その合弁事業方法は日本の株が四〇%、向う側の株が六〇%、標準としてはそれでいこうということであります。そのほか綿織機の工場。ゴム製品。ゴム製品は、初めは自動車タイヤということを言つておつたのですが、そんなむずかしいことはできませんから……それから向うの人はぞうりをはきますから、ちようど日本のせつたぞうりみたいなものをはきますから、あるいはズック程度というようなものでいいじやないか。それからガラス製品ですが、これは板ガラス、こんなむずかしいことをせんだつて、輸入するのに都合が悪いびんでも作つたらいいじやないかということで、それを大いに勧めてきたのであります。原料だけを入れてガラス製品の製造をする。それから化学肥料、これは先ほど申しましたように、硫酸がなくては化学肥料はできないから、まず硫酸工場としては鉱石の製練所と硫酸工場をひつつけて硫酸を作つて、その硫酸を何に一番使うのが有利かということはもう少し考えよう。一部を肥料にするか、全部肥料にするか、その辺のことは考えようということにしました。ソーダ工業、これは向うも御承知の通りドライ・シーズンというのが半年くらいありますから、その間は塩ができる。そうして現在塩を外塩まで輸入しておるようです。そんなばかばかしい話はないから、これは塩をお作りになればいい。塩を作ればソーダも作れるというようなことでよかろうということにしてきました。それから合成樹脂、これも初めは繊維までやりたいというようなことを言つておつたのですが、そんなことはあと回しにしていい。一応日本から原料を持つていつてそれを形にするということでいいじやないかということで、それでいいということになりました。それから電気機具、ソケットだのスイッチとか、そんなものでありますが、そういうものの工場を作りたい。電線、電纜、これもどく簡単なものだけ原料を入れておやりになればよかろう。紡織機、これも非常に熱心ですけれども、これもやるならば、簡単なものを……。アルミニュウム製品。これは初めアルミニュウムの精練までやりたい、電気が余つてしようがないから電気の使い道はないかということで、それじやアルミニュウムということになつたが、アルミニュウムの原鉱についても、あるかもわからないし、ないかもわからない。そんなものは原料関係がはつきりしてからでもいい。それよりも弁当箱とか、そういうようなアルミニュウム製品をたくさん店に売つておりますが、そんなものぐらいは自分で作りたいというので、それならばアルミニュウムの板を入れて、その板から先の製品化だけをおやりなさいということで話してきました。それから陶磁器、これはそんな高級なものでなくてもいいが、こんなものも輸入しておるから、陶磁器もやりたい。モールメンに日本の技師が二人行つておりまして、試験工場兼徒弟養成所というようなものを建てることにして……。ここでちよつと申しておきたいのは、私はこの工場を見まして実に憤慨したのでありますけれども、そこにある機械は全部日本品でありまして、そうしてそれにはつきりとメーカーのネーム・プレートが張つてあるし、それを輸出した輸出業者のネーム・プレートが張つてある機械がずらつと並んでおるのでありますが、これが使いものにならぬ。これを買つたのはビルマ政府が買つたのじやないので、何か日本に来ておつたEACという機関があつてそれが買つてそれをビルマ政府に経済援助という形でやつたのだそうであります。ところが、これが実に話にならぬひどいものが行つておる。とても動かない。動かないのはわかつておる、たとえば土を練る装置のことでありますが、土と粘土に水を入れて練るのでありますが、このくらいの大きくタンクです。そのタンクで練るのにモーターが半馬力であります。半馬力のモーターは家庭のちよつと大きい電気冷蔵庫なんか半馬力のモーターをつけている。そんなもので動くわけがない。これはモーターが焼けるか、動かんか。それのベアリングを見てももし理無にやつたらベアリングが飛んでしまう。仮にもし飛ばなければ焼けてしまうというようにお話にならぬものが行つておる。これはおそらくそのときは安かろうでどんどん適当に入札をして持つていつたのだと思いますが、それと同じようなたぐいのものがラングーンの対岸の造船所にあります。日本から送つたのでこれも使いものにならん。向うには英国人の技師がおつて、英国人の技師から言えば日本の物にけちをつけていれば愉快なんです。動かしてやるろという親切気はない。これは日本の人が行つておるのだからなんとかして動かしてやろうと一生懸命やつておる。こんどの賠償にしても合弁事業にしましても、やたらむしように日本のメーカーがめちやくちやに安いものを売りつけて競争をして、そうしてそれを日本から持つていくということになれば、結局日本からたくさんものをもつていかなければならんということになる。そうかといつてめちやくちやにインターナショナルプライスよりもちろん高いものを売りつけるわけにいかんが、日本の業者がいろいろむだな競争をして悪い物を持つていくということになればこれはもう千歳のつらよごしでありますから、この点について大体自由競争という立場で向うは見積りをとることになつておりますので、その見積りをとつたものをきめるときには少くとも日本の政府なり、あるいはある機関と相談をして決定をさせるということでもつていかないと、日本の恥さらしであるし、同時に安く売れればそれだけ賠償で持つていくものが多くなるということになりますから、この点だけは一つどうしても適当な機関を初め作つて、そうしてこういう実際問題を取扱うということにしなければならぬということを痛感してきたのであります。それでまた同時にこんどの賠償にしても、外国人が牛耳つているところへはあまり日本の物を賠償で持つていかない方がいいのじやないか。少くとも日本の人が行つてそれを運転する、ところへ持つていきたい。そうしないと、日本人ならば十分使えるものを、彼らはもう使えないというのでうつちやつちまうというようなことになつては困るから、賠償で持つていく以上は少くとも日本人がそれに関与できて、そうして日本の物がうまく動かせるというところにだけ賠償をやるように、むしろこつちで制限する方がいいのじやないか。これは将来の問題でもありますが、そんなふうな感じを持つて帰つたのであります。
それからホテル、ホテルは実はこちらから言い出したので、ラングーンにはたつた一つのホテルしかなくて、そのほかにはあまりろくなホテルがない。ラングーン以外のところでは、マンダレーみたいなところもホテルがない。旅行者がふとんからかやから持つていかけなればならない。これはインドの田舎はそうなんです。インドの田舎を旅行するときには、向うに政府がこしらえた家がありまして、そこに寝台があります。だから寝具から何から皆持つていつて寝るのであります。それがビルマじや田舎じやない、マンダレーと言えばラングーンに次ぐ第二の都会でありますが、第二の都会へわれわれ行つてそこで泊れる部屋かない。そこには政府で作つた家がありますから、そこへ行けば寝台があるので、家も大きい、部屋にも寝台くらいあるのでそこへ寝具を持つていつて、かやまで持つていつて泊るような状態でありますから、これはホテルを一つ合弁事業でやつたらどうですかということを言いますと、まあけつこうだと、もしやるとなればラングーンに一つホテルを建てて、下の方は日本のデパートメントストアみたいなものを、日本商品を紹介するようなものにして、それから今あります大使館というのは、まるでひどいところにおりますので、あまりひどいから一つこれに大使館を入れて、それから四階か、五階か、六階あたりに一つホテルでも作るというような構想でどうだというようなつもりでおるのでありますが、まあこれは誰がやりますか、国際観光ビルみたいの、ああいうような形のものでも作れれば大へんいいのではないかと思います。
それから絹糸の織屋、こんなことを合弁でやるならやりましようと申して来たのであります。しかしこれに対して日本の民間業者がこの合弁に参加する人が果してあるかどうか、これは問題でありますが、もしあればそれでおやりになればいい。それでこれは稲垣さんから直接、稲垣さんとウー・チョー・ニェンとの二人だけの会談で、これは日本に来たときにも私は何べんも言つたのでありますが、この合弁事業については最高の取締役会、これは勿論ビルマ側と日本側から出る。それはけつこうです。しかし実際運営するのは、マネージメントは日本側にまかせなさい。そうしなければとてもろくなことはできませんよ、ということを言つたのであります。これは向うさんも承知なんであります。この前来たときにも私が申しました。新興国家というのは非常にアンビシャスで、原料がある、原料があるが、原料で輸出するよりは製品にして輸出する方が利益だ。また製品で輸出するならば工場がないから工場を建てなければならない。それも事実でしよう。どうせ小さい工場を建てるよりも大きい工場を建てた方が利益だということで大きい工場を建てる。それも理屈はよろしい。私はその実際をユーゴスラビアで見て来ました。それでユーゴスラビアの政府に私は警告をしました。けつこうだが、アメリカのベストは日本のベストではありません。同様にアメリカのベストはユーゴのベストではありませんよ。だから工場を建てるときには小回りのきく工場を建てる。それからそれを大きくするがよい。人を作ることをせずにいきなり大きい工場を建ててもだめですよ。ビルマに対しても私は同じことを申します、と言つたらウー・チョー・ニェンは大体君の言うことに僕は一致するが、たつた一つ違つたことがある。それはユーゴは人間を作らずに大きい工場を建てている。自分も見た。しかし私の方は全部日本人に動かしてもらうつもりだから大きい工場を建ててもいいじやないかと言うから、それならけつこうです。だからそのときには十万トンの硫安工場の話だつたのですが、十万トンの硫安工場を建てるのに日本人五百人持つて来ればいいだろうと言うから、いや、五百人は要らないでしよう、まあ、七、八十人から百人ぐらい日本人が行けばいい、それはお安い御用だ。工場を建てるなら当分の間日本人にまかす、マネージメントも自分らにはできない。マネージメントから技師から、職工まで全部来てくれと言つておりました。それを稲垣さんがもう一ぺんコンファームされまして、合弁は両方から出がす、マネージメントは日本人にまかせなさいということをコンファームされまして、けつこうです。しかしいつまでも日本人がいなければ動かぬでも困るから、十年ぐらいの後には自分らで動かすように教育してもらわなければいかぬ、それはごもつともですということで、大体そういう方針で了解を得ております。
それからなお、もうかつた、もうかつたら出ていけというのでは困る。だから少くとも十年間ぐらいは強制株式の買い上げはせぬということで一つ了解したいという話をされまして、それは原則的には自分は賛成だが、しかしこれはどうも自分一人でイエスとも言えないから……。大体そういうことになるであろう、しかし自分はそれに賛成だという言質を得ているのであります。
それから日本人もたくさんこれから参りますが、その給与関係でありまして、細部についてはまだわかりませんが、大体の方針としましては日本におります給料の三倍はもらわなければいかぬということで話をしました。大体それも了解する、それについては異議ありません。それで現実に申しますと、現在こういう人があるのです。東京の高等蚕糸を卒業して約二十年の経験のある人が向うへ行きまして、地方で月二千チャットと申しますと、七十五円何十銭が公定で一チャットでありますから、ざつと五百ドルぐらいですか、五百ドルぐらいとつておるのです。それからまたそのほか外国人を雇つておるその実例も全部見せてもらつたのでありますが、それでも最高は二千チャットというところでありまするから、二千チャット。税は向う特ちです。これはしかし大学出になればもう少し高くなるということで、これは話がきまつた、まあ二千五百チャット、最高二千五百チャットくらい、しかし特別な場合は別だ、それはその人、個人々々について話しましよう。それから一番下は八百、九百チャットくらい、これは五年くらいの職工さんですね、五年くらいの経験のある、昔の地方の工業学校、中等程度の工業学校を卒業したくらいで五年くらいしたところで九百チャットくらいという、上と下とだけは話をきめまして、その間はまあもつとこまかくしなければなりませんが、それはまあ上下さえさまれぱあとこまかくすることは事務的に話ができると思つて帰つて参りました。大体お話申し上げることはそのくらいと思います。なお御質問がございましたらそのときに……。
石
加
久
加
久
加
久
久留島秀三郎#9
○参考人(久留島秀三郎君) それは考えられます。それで今年はこれだけのことをやることにしましたが、どの規模でやるか、それからまあ、物によつてはどこへ置くかというようなことままだ何もきめていないのです。それで一応それだけのものをやるということだけきめたので、それを実施するために各業種々々で調査員を出しましようということにしておきました。
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久
加
久
久留島秀三郎#13
○参考人(久留島秀三郎君) またやりたいと言うておるのですが、けれどもまだはつきりいたしませんよ。こつちのほうで、日本側でもそれにたつて応ずる業者の方もあまりはつきりしませんようですから、まだはつきりはしていないのです、これは何も具体的には。それでこの造船なんかでもおそらく向うで造船所を作ると言えば、現在日本にあつてはそうたくさん使えもせんが、十分使えるというようなものを持つていくということになるだろうと思いますね。
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加藤正人#14
○加藤正人君 今のプラント輸出のものも、実は私の方の会社の子会社の持つておるものを整理すると、これは染色加工工場ですが、一工場くらいできるのです。できて、それはまあ整理するために金にしたいのですね。ところがこれはまあ賠償では困る、合弁では困る、共同経営では困る、そういうのでどういうのを引き合いにするかと言つたら、どうも新しいものでなければいかんということで……。
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久留島秀三郎#15
○参考人(久留島秀三郎君) いや、必ずしもそう新しいものでなければいかんとは言わないのですけれども、古物を押しつけられたのだというような印象をなるべく与えたくないということでございます。
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久
久留島秀三郎#17
○参考人(久留島秀三郎君) そうですね。そういう問題は各業種ごとに調査団を出そうということにしておりますので、それで第一年度は賠償二千万ドルとはいうものの、そのほとんど調査費が主でありますので、二千万ドルはとても使えない。注文しても注文するときの前渡金はあつても、でき上らなければ金を払わないので、今年は調査して注文をしたところで、設計して注文したところで、それができ上るのは来年以後のことになるので、恐らく二千万ドルは使えないだろうと思いますが、たまたまわれわれ向うにおる間に日本の新聞に第一年度は千二百万ドルということを日本政府が発表した、これが非常にセンシブルに向うに響きまして、それはけしからんというような話になつて、大分困つたのです。事実払えなければ、そのとき千万ドルしか払えないものは払えないので、あとは来年になると三千万ドルになるかもしれない、そんなむだなことを新聞に発表しなくてもいいとわれわれは思つた。大体そうですから今年はその調査団を各業種別に出しますことが取り急ぐことであります。
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三輪貞治#18
○三輪貞治君 フィリピン、インドネシア、ビルマなど今までずつと懸案でありました賠償協定がビルマとの協定を皮切りにいたしまして非常に具体的に進んできたということは日本の東南アジアの経済協力に対する一つの新しい道を開いたものとして喜んでおるわけです。今ずつと話を聞いておりますと、大体この賠償に対する考え方が少くともビルマにおいては違つてきたんじやないか、平和条約に書かれておる戦争によつて受けた被害を賠償するのだというときには百億ドルというような金額が出だ。しかし自分の方に持つている計画経済と申しますか、ビダウダ計画ですか、これを実行するためには民族資本は幾ら、借り入れば幾ら、賠償は幾ら、こういうふうに賠償に対する考え方が変つてきたんじやないかというふうに思えるのですが、これはフィリピンなどにも非常にいい影響を与えて例の今まで八十億ドルの要求をしておつたのが四億ドルくらいの要求に変つてきつつある。こういうふうに考えられるわけですが、そういうふうにビルマの賠償協定の考え方の基準になつてきた、いわゆるピダウダ計画というのは一体どのくらい、一九五二年八月できて以来もう三年近くなるが、どのくらい進展しておりますか。
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久留島秀三郎#19
○参考人(久留島秀三郎君) 何もできておりません。その後KTA計画というものが出ました、二百万ドルか三百万ドルではつきりしませんが、ビルマ政府の金を出しましてアメリカの技術団を招聘してそして全国のなにを立ててそしてできたものが、KTAレポートというものが出ております。それもわれわれから見るとあまりばかなことをやらなくてもいいじやないかと思われるところがあるが、大体KTA計画はけつこうだということにしてそれを修正するというような話もしてきたわけです。そうですから何も向うは進んでおりません。
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三輪貞治#20
○三輪貞治君 その内容を見ると、いわゆる福祉国家計画の内容で、大きく考えられるのは農業と農村振興の計画、それから後進地域の開発、住宅、運輸、通信、教育、保健、医療、こうなつておるわけですが、その内容を見ると、一年あるいは三年、五年でもうすでに期間は過ギてしまつたものもある……。
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三
久
久留島秀三郎#23
○参考人(久留島秀三郎君) それも先ほど申し上げましたように、省によつて違いますので、省によつては非常に熱心だし、ある省は知らん顔をしておるようなわけで、まとまつてどれを一番初めにとりたいということをこつちかち要求しまして、こう並べられただけでは困るので、そのうちで第一順位、第二順位をつけてくれということをこつちから言つて、こういうのが出た、それをまた整理して出したのがこれです。
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久
久留島秀三郎#25
○参考人(久留島秀三郎君) こんどはわれわれの方からそういうことを言いまして、何とか、まとめてくれなくちや困ると言つてそれでそのためにできたのかどうかしらんが、とにかくわれわれが向うにおります間にウー・チョウ・ニェンを長として、それから各省次官を委員にして、それから日本へ来ました当時のアジア局長、それがそれの幹事になつて、そういう機関で賠償の何を取り上げる、窓口にするといることにようやくきまつたわけです。それがきまりまして、それから各省の要求みたいなものをいろいろ持つてきてもらつたものを、われわれの方でそうもいかんからこのくらいでどうですかと言うて出したのが、第一順位のものばかり抜き上げまして、そうして各省ごとにこんなものでどうだというので出したのがこれです。それでみなけつこうだという話になつたわけです。
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久
久留島秀三郎#27
○参考人(久留島秀三郎君) その貸付にするやつはまだどの辺になるかということは実はまだきまらないのです。それで五百万ドルのうちの二百万ドルでしたかは貸付にするわけなんですが、それは今のところではどれを貸付にするという具体的なことは向うも何も構想がないのです。向う側も構想もなし、こちらもどれを貸付にしたらいいというようなことを言う段階ではないので、それには何も触れずに、まあとにかくこれだけのことをやることにして調査をしようじやないかということで向うとの話合いを終つたわけです。
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三輪貞治#28
○三輪貞治君 それから先ほどもお話がありましたように、この賠償の協定の前にすでに合弁の事業計画は進められておられたわけですね。その中でロイコ、の発電所ですか、そういうものは非常に進んできたというお話でけつこうなんですが、その中の漁業の合弁会社ですね、それからマルタバン合弁、それから真珠貝の採取とか、それから竹パルプの合弁会社とか、それはどのくらい進んでおりますか。
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久留島秀三郎#29
○参考人(久留島秀三郎君) 大洋漁業の関係のやつはトロール船を一ぱい持つていてこれでやつているわけです。もうすでに漁獲物は上つております。それから竹パルプの方はこれはちよつと今まだ足踏み状態で、向うはやりたいが、アメリカからそれに対して見積りが出たりして、どれを取るかという段階ですね、今のところでは……。
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