文教委員会
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会
会議録情報#0
昭和三十六年十月十三日(金曜日)
午前十時十九分開議
出席委員
委員長 櫻内 義雄君テスト
理事 臼井 莊一君 理事 坂田 道太君
理事 竹下 登君 理事 八木 徹雄君
理事 米田 吉盛君 理事 小林 信一君
理事 高津 正道君
伊藤 郷一君 上村千一郎君
小川 半次君 田川 誠一君
中村庸一郎君 濱野 清吾君
原田 憲君 松永 東君
松山千惠子君 井伊 誠一君
野原 覺君 前田榮之助君
三木 喜夫君 村山 喜一君
湯山 勇君 鈴木 義男君
出席国務大臣
文 部 大 臣 荒木萬壽夫君
出席政府委員
公安調査庁次長 關 之君
文部事務官
(大臣官房長) 天城 勲君
文部事務官
(初等中等教育
局長) 内藤譽三郎君
委員外の出席者
専 門 員 石井 勗君
—————————————
十月十三日
委員井伊誠一君及び松原喜之次君辞任につき、
その補欠として三宅正一君及び湯山勇君が議長
の指名で委員に選任された。
同日
委員三宅正一君及び湯山勇君辞任につき、その
補欠として井伊誠一君及び松原喜之次君が議長
の指名で委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提
出第一一号)
学校教育に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午前十時十九分開議
出席委員
委員長 櫻内 義雄君テスト
理事 臼井 莊一君 理事 坂田 道太君
理事 竹下 登君 理事 八木 徹雄君
理事 米田 吉盛君 理事 小林 信一君
理事 高津 正道君
伊藤 郷一君 上村千一郎君
小川 半次君 田川 誠一君
中村庸一郎君 濱野 清吾君
原田 憲君 松永 東君
松山千惠子君 井伊 誠一君
野原 覺君 前田榮之助君
三木 喜夫君 村山 喜一君
湯山 勇君 鈴木 義男君
出席国務大臣
文 部 大 臣 荒木萬壽夫君
出席政府委員
公安調査庁次長 關 之君
文部事務官
(大臣官房長) 天城 勲君
文部事務官
(初等中等教育
局長) 内藤譽三郎君
委員外の出席者
専 門 員 石井 勗君
—————————————
十月十三日
委員井伊誠一君及び松原喜之次君辞任につき、
その補欠として三宅正一君及び湯山勇君が議長
の指名で委員に選任された。
同日
委員三宅正一君及び湯山勇君辞任につき、その
補欠として井伊誠一君及び松原喜之次君が議長
の指名で委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
学校教育法等の一部を改正する法律案(内閣提
出第一一号)
学校教育に関する件
————◇—————
櫻
櫻内義雄#1
○櫻内委員長 これより会議を開きます。
学校教育に関する件等について調査を進めます。本件に関連し、文教行政について質疑の通告がありますので、この際これを許します。湯山勇君。
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湯
湯山勇#2
○湯山委員 先般予算委員会で、文部大臣が七月の二十一日に四国の市町村教育長の研修会でごあいさつをなさったその内容が問題になっておりましたが、そのことに関してお尋ねをいたしたいと思います。当日大臣が一時間余にわたって四国の各町村の教育長あるいは付近の校長その他を集めてお話しになった内容がいろいろ問題になったことは大臣もよくおわかりのことだと思います。これについて大臣はその後八月の一日に日朝協会の代表とお会いになって心境その他の御釈明がありましたし、また九日の野原委員のこの件に関する質問について、いろいろ御答弁がございました。その御答弁がまた新しい問題を起こしておりまして、そのことについてお尋ねをいたしたいと思うわけでございます。と申しますのは、大臣の従来申し述べておられたこと、おとりになった態度、そういうものと先般の予算委員会での御答弁とはかなり違っておるし、それからまた大臣のお考えそのものも若干違っておるというような印象を受けております。
そこでお尋ねいたしたい点は、大臣はあの講演の中で、大部分は日教組の攻撃的な談話をなされておる。ただ、特に教育的なものというのは、その最初にお述べになった点であったと思います。その最初の部分で、教育の目的というものは国土を愛する、民族文化を愛する国民を育てて、人格、識見を身につけさすことが教育の目的であるという御信念を披瀝されて、そしてそれに続いて、日本民族はすぐれた民族だということをお述べになる段階では、これだけの文化を持つ民族はほかにはない、これはわれわれの先祖の努力のたまものだ、どういうふうにおっしゃっておられます。それに引き続いて、劣等民族というのは先祖の努力が足りなかったからで——そしてそのあとに、われわれはよくぞ朝鮮人やアフリカの土人に生まれなくてよかったということをお述べになっております。そこでそういう前提に立って、これからの教育はどうなくてはならないかということにお触れになって、そういう民族の誇り、そういうものをよく理解するためには、これからの教育では日本の地理、歴史をもっとよく教えなくてはならない——という意味は、最初にお述べになった国土を愛し民族文化を愛する、こういうことにつながってくると思います。ここまでは大臣の御論旨は終始一貫しておりました。そして戦後の教育はマッカーサー司令部によって歴史や道徳教育に大きな穴があいた。その穴があいたまま最近までやってきたのであって、その結果全学連のような親不孝者が出てくるし、あるいはカミナリ族や青少年犯罪の数が増加してきた。こういう穴をますます大きくしようと努力しているのが日教組のばか者どもであると、以下は全くそういう論旨で、ただ、今私が述べた範囲が、先般の大臣の演説の中でほんとうに教育に触れた部分であった、私はそう聞いています。
私がこういうことを申し上げるのは、私は何に基いて申し上げておるかということを先に申し上げた方がいいかと思いますから、私の手元の資料をまず申し上げますと、当時の愛媛新聞——大臣の談話の要旨として発表になった愛媛新聞、それから当時会場の中で文部大臣のそのお話をメモしておった者が相当ございます。その中のメモの一部、それから文部大臣が愛媛新聞に対してお出しになった取り消しの写し、それから大臣のそういう演説に対して、大臣に対していろいろ意見を述べて、抗議的な文書を出した人があります。その人に対して大臣の中島一郎秘書官が出した手紙の写し、それから愛媛新聞社から大臣の取り消し要求に対して参った返事の写し。それから大臣はあるいは覚えていらっしゃらないかもしれませんけれども、大臣と私はちょうど宇野の駅でお目にかかってお喜びを申し上げたことを私は覚えておりますが、大臣は御記憶ないかもしれません。たまたま私はうちに帰っておりまして、実は私が今読み上げました部分等については、ラジオの放送を私は聞きました。そういう資料によってお尋ね申し上げておるわけですから、前もって私の持っておる資料を申し上げておいた方が、大臣からお答えいただきやすいと思いますので、そういう資料に基づいてお尋ねしておるということを明らかにしておきます。
大臣は、その後新聞社に対して取り消しの要求をなされておりますし、また日朝協会等の代表に対しても遺憾の意を御表明になっておられます。それは、朝鮮人やアフリカの土人に生まれなくてよかったというそのことが、どうも具体的にそういう名前まであげるのは悪かった、まずかったということで、野原委員の質問に対しては、「ただし民族の名前を具体的に出すことは一体どうだというお話も出ました。その点は、要すれば言わない方がようございましたねということで、取り消したらどうだという話だから、ここで、愛媛新聞には、私の言ったこととニュアンスはだいぶ変えて出しておりましたけれども、民族の名前を出したことだけは、そのまま書いておりましたから、私も愛媛新聞に対しましては、取り消しの要求をいたしました。」この答弁は、民族の名前を取り消すというようにお答えになっておる、こう受け取れますが、これは大臣のほんとうに愛媛新聞に対して取り消しの要求を出されたものとは違っておるわけです。いずれが真実でございましょうか。
この発言だけを見る →そこでお尋ねいたしたい点は、大臣はあの講演の中で、大部分は日教組の攻撃的な談話をなされておる。ただ、特に教育的なものというのは、その最初にお述べになった点であったと思います。その最初の部分で、教育の目的というものは国土を愛する、民族文化を愛する国民を育てて、人格、識見を身につけさすことが教育の目的であるという御信念を披瀝されて、そしてそれに続いて、日本民族はすぐれた民族だということをお述べになる段階では、これだけの文化を持つ民族はほかにはない、これはわれわれの先祖の努力のたまものだ、どういうふうにおっしゃっておられます。それに引き続いて、劣等民族というのは先祖の努力が足りなかったからで——そしてそのあとに、われわれはよくぞ朝鮮人やアフリカの土人に生まれなくてよかったということをお述べになっております。そこでそういう前提に立って、これからの教育はどうなくてはならないかということにお触れになって、そういう民族の誇り、そういうものをよく理解するためには、これからの教育では日本の地理、歴史をもっとよく教えなくてはならない——という意味は、最初にお述べになった国土を愛し民族文化を愛する、こういうことにつながってくると思います。ここまでは大臣の御論旨は終始一貫しておりました。そして戦後の教育はマッカーサー司令部によって歴史や道徳教育に大きな穴があいた。その穴があいたまま最近までやってきたのであって、その結果全学連のような親不孝者が出てくるし、あるいはカミナリ族や青少年犯罪の数が増加してきた。こういう穴をますます大きくしようと努力しているのが日教組のばか者どもであると、以下は全くそういう論旨で、ただ、今私が述べた範囲が、先般の大臣の演説の中でほんとうに教育に触れた部分であった、私はそう聞いています。
私がこういうことを申し上げるのは、私は何に基いて申し上げておるかということを先に申し上げた方がいいかと思いますから、私の手元の資料をまず申し上げますと、当時の愛媛新聞——大臣の談話の要旨として発表になった愛媛新聞、それから当時会場の中で文部大臣のそのお話をメモしておった者が相当ございます。その中のメモの一部、それから文部大臣が愛媛新聞に対してお出しになった取り消しの写し、それから大臣のそういう演説に対して、大臣に対していろいろ意見を述べて、抗議的な文書を出した人があります。その人に対して大臣の中島一郎秘書官が出した手紙の写し、それから愛媛新聞社から大臣の取り消し要求に対して参った返事の写し。それから大臣はあるいは覚えていらっしゃらないかもしれませんけれども、大臣と私はちょうど宇野の駅でお目にかかってお喜びを申し上げたことを私は覚えておりますが、大臣は御記憶ないかもしれません。たまたま私はうちに帰っておりまして、実は私が今読み上げました部分等については、ラジオの放送を私は聞きました。そういう資料によってお尋ね申し上げておるわけですから、前もって私の持っておる資料を申し上げておいた方が、大臣からお答えいただきやすいと思いますので、そういう資料に基づいてお尋ねしておるということを明らかにしておきます。
大臣は、その後新聞社に対して取り消しの要求をなされておりますし、また日朝協会等の代表に対しても遺憾の意を御表明になっておられます。それは、朝鮮人やアフリカの土人に生まれなくてよかったというそのことが、どうも具体的にそういう名前まであげるのは悪かった、まずかったということで、野原委員の質問に対しては、「ただし民族の名前を具体的に出すことは一体どうだというお話も出ました。その点は、要すれば言わない方がようございましたねということで、取り消したらどうだという話だから、ここで、愛媛新聞には、私の言ったこととニュアンスはだいぶ変えて出しておりましたけれども、民族の名前を出したことだけは、そのまま書いておりましたから、私も愛媛新聞に対しましては、取り消しの要求をいたしました。」この答弁は、民族の名前を取り消すというようにお答えになっておる、こう受け取れますが、これは大臣のほんとうに愛媛新聞に対して取り消しの要求を出されたものとは違っておるわけです。いずれが真実でございましょうか。
荒
荒木萬壽夫#3
○荒木国務大臣 大体今おっしゃった通りのように記憶いたしております。ただ野原さんにもお答えしましたように、私は他の民族を劣等民族と考えて——他の民族を表現します場合に、劣等民族などという言葉を使った覚えはございませんので、むろん愛媛県の演説会におきましても、そういう言葉は使わなかったつもりでございます。ですから、その点は少なくとも事実と相違しておる。それからなお日朝友好協会の方々には劣等民族という言葉は使わなかった、そういう考えが本来念頭にないんだから。日本人が他の民族よりすぐれた点がたくさんある。そういうことは、その部分に関します限りは日本人に劣っておる民族があるということを意味することなんで、その意味では、劣っておるすぐれておるという概念は当然含んでおりますけれども、だからといって、他の民族を劣等民族呼ぱわりしたことは、私の意識にはいまだかつて浮かんでこない。そういう自信はございましたから、その点が愛媛新聞の記事とは違う。だからそれは一つ取り消してもらいたい。朝鮮人とかあるいはアフリカ土人とかいう言葉を使ったことは事実で、私は覚えておりますから、これはどうも、言ったことを取り消せと要求する資格は私にはない、こう思っております。そこで取り消しの要求書にどういう文章を書いておりましたか、ちらっと見せてはもらいましたけれども、全部覚えておりませんけれども、私の意識に残っておる一番明確な点は、他の民族を劣等民族と表現した覚えはないという点に主眼があったと記憶いたします。
それから日朝友好協会の方々——社会党の方も入っておられましたが、その方々にお目にかかったときにも、野原さんにお答えした通りの気持で、私の論旨と表現のニュアンスを、相当時間をかけてお話をしまして、そこで私の気持は、皆さん十分おわかりいただいて、了解して帰っていただきました。そのときも申し上げましたが、劣等民族なんということは言った覚えはない、そういう意識は本来私の頭の中に一つもない、ただ、具体的な民族の名前をあげつらねて言ったことは、これは無用のことであった、誤解を招くことも当然と思われるので、その点ははなはだ遺憾でありましたというお話を申し上げて、お別れをしたわけであります。
この発言だけを見る →それから日朝友好協会の方々——社会党の方も入っておられましたが、その方々にお目にかかったときにも、野原さんにお答えした通りの気持で、私の論旨と表現のニュアンスを、相当時間をかけてお話をしまして、そこで私の気持は、皆さん十分おわかりいただいて、了解して帰っていただきました。そのときも申し上げましたが、劣等民族なんということは言った覚えはない、そういう意識は本来私の頭の中に一つもない、ただ、具体的な民族の名前をあげつらねて言ったことは、これは無用のことであった、誤解を招くことも当然と思われるので、その点ははなはだ遺憾でありましたというお話を申し上げて、お別れをしたわけであります。
湯
湯山勇#4
○湯山委員 それでは大臣のお考えの中には、朝鮮人とかアフリカの土人というものの現在置かれている地位から考えて、それらの民族は先祖の努力が足りなかったのだということはおっしゃっていない、そういうことはお考えになっておられなかったということでございますね。
この発言だけを見る →荒
荒木萬壽夫#5
○荒木国務大臣 しゃべりましたときにそういうことは言っておりません。われわれの民族そのものの、外国人から見て長所とあげつらっておってくれること、さらには、日本の有史以来の改善的な努力によって、狭い国土ではございますけれども、百パーセントに近い有効活用をはかっておるという成果、さらには、本来固有の文化プラスアジア大陸ないし欧米との文化交流による日本文化の向上という、現にわれわれが周囲に認め得る実情は、まさしく祖先の努力の積み重ねであることは、私は認めざるを得ない。われわれもまた日本人の一人である限りは、祖先の努力に劣らない努力をして一生を終わりたいものだ。そういう一種の使命感を自覚することが日本人としての自覚であり、その自覚に立った責任と権利を果たす根底ともなるものだという考え方に立つわけでございまして、その長所が祖先の努力に基づくものなりということは、論理的に言えば、他の民族が日本人の長所に及ばないものありせば、その部分については努力が足りないということを言った、そういう気持だったろうと言われれば、潜在的にはむろんそういうものはございますけれども、そういうことを具体的にあらわに出して、劣等民族対日本民族、劣等民族だからお前たちの祖先は努力が足りなかったのだ、だから、日本人の方がいいんだという対立概念としては、私は全然そういうふうに思考した覚えがございません。ですから、愛媛であろうとどこでありましょうとも、しゃべりますときには、そういうことに触れてしゃべった記憶がございません。繰り返し申し上げれば、劣等民族という言葉を使った覚えはない。ただ、朝鮮人とかアフリカ人とかいうような名前を引き合いに出したことが誤解を生むもとであったことは、言われてみればなるほどと思いますから、その点は言い過ぎでありますから、恐縮いたします、遺憾の意を表しますと申し上げるその心境において報道したわけでございます。
この発言だけを見る →湯
湯山勇#6
○湯山委員 今の大臣のおっしゃったことはそれで了解できます。ただ、今大臣のお言葉にもありましたように、日本民族が非常にすぐれた民族だということをこの御指摘の内容としていろいろおっしゃいましたが、そういうことは先祖の努力のたまものであるということは、確かにお言葉としてあったことは大臣もお認めの通りです。それと、じゃ、朝鮮人やアフリカの土人に生まれなくてよかったということは一向結びついて参りません、今の大臣のお話では。その間に、やはり劣等民族というものは先祖の努力が足りなかったのだというお言葉が入らなければ、文章にも説明にもならないわけで、ことについては、大臣の言われることは、そういう覚えがない、自分の意識の上にそういう言葉もなかった、こういうことですから、これは主観的なものだと思います。その主観的なものは、これはわれわれがどうにも言いようがございません。ただ、先般の予算委員会の御答弁では、今のようなそういう覚えはなかったのだということじゃなくて、大臣の御答弁は、もう少し自信に満ちた強い表現をしておられます。劣等民族云々という言葉を御指摘になりましたが、そういう言葉は生まれてこの方いまだかつて使ったことはございません、これは主観的なものと客観的なものとの混合が大臣の御答弁にはあるんでございませんでしょうか。私は、今大臣の御答弁になったことならば、大臣が愛媛新聞社長に取り消しの要求をされたその文章と符号することは認めます。しかし予算委員会で御答弁になったように、生まれてこの方使ったことはないのだということだと、これは今の大臣の御答弁と違うと思うのですが、これはどうなんでしょうか。
この発言だけを見る →荒
荒木萬壽夫#7
○荒木国務大臣 それはさっき申し上げましたように、私は、他の民族を劣等民族と表現する必要を認めない。そういう意識が全然ございません。従って、愛媛における演説におきましても、劣等民族という言葉を使って他の民族を表現した覚えはございません。もしそういう記事があるとすれば、その点は私が言ったことと反すると私は思いますから、取り消し要求にはたしか、そのことを中心に取り消してもらいたいと言ったと記憶いたしております。そのことは別に、野原さんにお答えしたことと今申し上げることとの違いは、私としてはないつもりでお答えしております。
この発言だけを見る →湯
湯山勇#8
○湯山委員 大臣の取り消しの御書面は「拝啓貴社益々御隆盛の段大慶に存じます。さて七月二十一日付け貴紙夕刊の小生講演に関する記事のうち「劣等民族に先祖の努力が足りなかったからで」云々は申した覚えなく事実と相違するにつき取り消されたくこの段ご依願申し上げます。」こういう文章でございます。従ってこの段階では、大臣は、主観的には、そういうことを意識して言ったのじゃないし、言った覚えはないのだ、こういうことですから、それはいいと思うわけです。しかしそういうことは絶対言っていない、こういうことになりますと、それは今のような大臣の主観的なものと、言ったという客観的なものとがごっちゃになるわけで、これはやはりはっきりしておく必要があると思います。大臣は、あくまでも、その覚えがないという観点に立たれるのか、絶対言わないという事実をお述べになろうとしておるのか、どちらでございましょうか。
この発言だけを見る →荒
荒木萬壽夫#9
○荒木国務大臣 私の意識にございませんから、そういう日朝協会の方が見えましても、その当時の論旨等を頭にべて考えても、他の民族を劣等民族と呼ばわり、しかもそれはその民族の先祖の努力が足りなかったからだということを私の口を通じて言わねばならないという意識はよみがえらない、だから言ったはずがない。それは今でもそう思います。
この発言だけを見る →湯
湯山勇#10
○湯山委員 と言われることは、大臣の主観的な立場でおっしゃることで、あるいはひょっとするとそういうことを言ったかもしれない、あるいは意識しなくてもあるいはもののはずみで、そういう言葉が出たかもしれないということは、今の朝鮮人とかアフリカの土人とかそういうことも、おそらく初めからこういうことを言おうと御計画になったわけではないと思います。そういう点から考えて、この問題についてはあとへ残るものがあるわけです。というのは、ちょうど時あたかも十月の初めから新聞週間で、大臣は、野原委員のその取り消しについてどうだったかということについての答弁で、事実そういうことを言ったのだから、取り消しを大臣からされても、今さら活字はどうなるものでもないという意味で取り消しできない、こういう返事をいただいたという御答弁になっております。ここが今度新たな問題を起こしておるわけです。というのは、いかにも今さら活字になったものはどうにもならぬじゃないかという言い方は、大臣の御答弁から考えますと、大臣が被害者のように見えます。そういうものじゃなくて、大臣から取り消しの要求がなされたときに、愛媛新聞社長の代理として編集局長の田中氏から条理を尽くした返事が参っておるはずでございます。その中には大臣がおっしゃったように、活字になったものを今さらどうにもしようがないじゃないかというような、そういうでたらめな、あるいは新聞の良識に反するような、そういう言葉は一言半句もなかったと思います。むしろかりに事実であったとしても、新聞社としては書いていいことと悪いこととがある、御指摘のようなことを考えてみれば、大臣が非常に重要なことをおっしゃっておるんだから、たとい大臣がそうおっしゃったにしても、新聞へ書こうと思うんだがどうだろうかという、事前の大臣の了承を得るべきであったかもしれない、新聞としては事実であれば何でも書くという態度をとって決してひとりよしとしておるものではありませんということも、その返事に書いてあるはずでございます。さらにまた大臣に対するお答えの中で、申した覚えがなくということと、事実と相違するから取り消せという御要求とは、それは理由として受け取れない、それについては事実こういうものも証拠としてある、これは単に聞き違いあるいは考え違いじゃなくて、具体的に当日の放送、こういう事実もあるということも、返事の中には指摘してあったはずでございます。活字になったものは仕方がないじゃないかという、新聞に書かれれば泣き寝入りだというような意味の返事は全くなくて、その返事は条理を尽くしたものであったはずでございますが、大臣はどこからその活字になったものは今さら取り消しできないというようなことをお読み取りになったのでしょうか、伺いたいと思います。
この発言だけを見る →荒
荒木萬壽夫#11
○荒木国務大臣 今返事を読んでいただいて、なるほどそういう内容の返事をいただいたということが思い浮かべられますが、返事そのものは新聞社としてもっともなことを言っておられると思いました。私が取り消し要求をしましたのは、今読まれたことではっきりいたしますが、朝鮮人やアフリカ土人という言葉を具体的に申したことは今でも恐縮に思っております。要らざることを言ったものだと思います。だからと言って、劣等民族といった概念は私にはないことはさっき申し上げましたが、長所、短所はそれぞれの民族にあると思います。日本人の長所に劣る点を持っておる民族が、その部分については劣っておるということは、注釈を加えないでも当然そういう意味合いであることは言わずもがなでございますが、だからといってその部分で劣っておる民族といえども、日本人よりまさった長所をそれぞれ持っておるわけでございますから、包括的に、部分的な日本人の長所があるからそれに劣った民族はすべて劣等民族と誓うこと、それ自身が不合理なこともありますし、そういうことを表現する必要がない、だから私はいまだかつて言った覚えがないと自分では自負いたしております。のみならず、それに追っかけて、そのこともまたその民族の先祖の努力が足りないからそんなふうになったんだ、ざま見ろというばか念を押すことは私の論旨から絶対に必要としない。日本人の長所を伸ばし、短所をためていこうじゃないか、日本の国土のよさを伸ばし、また国土の欠陥を補う努力を先祖に負けないようにしていこうじゃないか、日本が他の民族からよき文化を持っておると客観的に認めてもらっておることは先祖の努力であり、われわれも負けないように、もっとそれを乗り越えていいものに育て上げようじゃないか、しかしまた他の民族に文化的に劣っておる点もある、それはまたその民族の長所を取り入れながら、これまた先祖に劣らぬ努力で欠陥を補っていこうじゃないかということを申したのでございます。従って取り消し要求は、朝鮮人とかアフリカ土人という言葉を言いましたことは確かだと私も思っており、一緒に行きました秘書官も聞いておりまして、朝鮮人や何とかいうものを引き合いに出して大臣はしゃべったようだが、あれは要らぬことだったなとその直後にも感想を述べております。その後日朝協会等の方が話しに来られましたので、当時一緒に行きました秘書官の記憶等もたどりながら、はたして新聞に書いてあった通りを言ったかどうかを確かめてもみたのですけれども、民族の名前を具体的に言ったことは確かで、しまったと思ったくらいだった、しかし劣等民族と言い、あるいはその民族の祖先の努力が足りないからだということは言わなかったということは、秘書官からも聞いておりましたから、従ってその点をそういう私の記憶と秘書官の記憶とをつづり合わせまして、取り消し要求の部分はその部分に限ったわけでございます。それでは取り消し要求をしたらどうだと日朝協会の方も言われまして、それはむろんいたしましょう、しかしその民族の名前は私は言いましたから、この点ははなはだ遺憾だった、その他の、総括的に劣等民族視するという概念を与える部分、これは私は言いませんでしたから、その点を取り消し要求いたしましょうという話をいたしまして、取り消し要求したわけでございます。新聞社の方は速記をとるか録音をとるかして書かれたかどうか私は知りませんけれども、少なくとも私と一緒に行きました秘書官が関心を持って聞いておったはずでございますが、その記憶に従えばそういうことはない、同時に先ほど来るる申し上げますように、私自身の意識の中には、そういう点が特に取り上げられましてもよみがえらない、そんなことを言ったはずがないという気持だけは私なりには一貫しておりますから、その記憶をたどって、その事実なしと結論して取り消し要求をした、心理描写を申し上げればそういう経過でございます。
この発言だけを見る →湯
湯山勇#12
○湯山委員 大臣がそういうお考えで、主観的にもせよそういうふうにお思いになっておるのを、証拠をあけて、言ったじゃないかというようなことまで私は今申し上げてはおりません。それについてはもうすでに大臣は劣等民族というような考えは自分は持ってないのだ、それから朝鮮人とかアフリカの土人とか言ったことは軽率だったし、きわめて遺憾だったということを言っておられるのですから、そのことをもう今どうこう言うつもりはありません。ただしばしば私ども非常に遺憾に思うことは、今回の大臣の談話もそうであったと思いますけれども、かなりつっ込んだことを大臣は旅先やほかでおっしゃいます。これは荒木文部大臣に限らず、他の大臣もそうです。そして言っておいて、あとそれを新聞の責任にする。そういうことは言った覚えがない、いやそれは記事の書き方が間違っておるのだ、いや言葉が足りないとかいうことで、えらい人はとかく言っておきながらそれを新聞の責任にする、こういう例が間々ございます。結局新聞社の諸君はそれで泣き寝入りをする、どうにもしようがない、こういう場合がよくあるわけです。今度の場合もややそれに近いと思います。まして、活字になったものはもう取り消すことができない、どうにも仕方がないじゃないかという返事であったということになると、いかにも被害者は文部大臣で、もう書かれたらこれは仕方がないのだ、そういうことは一般国民の新聞に対する認識ということにも大へん大きな影響があると思います。
そこで、私が今尋ねておりますことは、大臣の御心境はもうよくわかりました。言った、言わないという客観的な事実は別としても、そういう意思はなかったのだということはよくわかりましたが、今度は具体的な事実で、愛媛新聞社へ今おっしゃったような意味の覚えがないから取り消してもらいたいという御要求をなさった、ここまでもおっしゃる通りです。その返事を大臣は予算委員会で公表しておられる。それはどうかというと、今申しましたように「今さら活字はどうなるものでもないという意味で、取り消しはできないという御返事をいただきました。」こういう御答弁をしておられるわけです。そういうことはその返事の中には一斉もありません。むしろそういう点に関する返信の中の部分を読みますと、「『事実に相違する』として取り消しを要求されていますが、もとより本社としては報道内容が事実に相違する場合は率直に取り消し訂正の措置を講じますし、また報道機関としてその義務があるわけです」こういうこともその返事の中に書いてあったはずでございます。しかもかりに事実おっしゃったとしても、それでもなお、記事にする前には重要なことだから大臣に一ぺん見てもらった方がよかったと思う、という新聞社みずからの反省まで書いて返事が来ておるのに、その返事を、今はそういうのがあるかどうか存じませんけれども、昔のいわゆるごろ新聞のように「今さら活字はどうなるものでもない」というような受け取り方をしておられる大臣のこの御答弁は、これまた別な意味で大きな問題になる。現に問題になっている。そこで、これは一体ほんとうにそういうことが書いてあったのか。私が今資料として持っておるその返信の写しと、それから大臣のところへ来たものとは違うものかどうか、これをお尋ねしておるわけです。
この発言だけを見る →そこで、私が今尋ねておりますことは、大臣の御心境はもうよくわかりました。言った、言わないという客観的な事実は別としても、そういう意思はなかったのだということはよくわかりましたが、今度は具体的な事実で、愛媛新聞社へ今おっしゃったような意味の覚えがないから取り消してもらいたいという御要求をなさった、ここまでもおっしゃる通りです。その返事を大臣は予算委員会で公表しておられる。それはどうかというと、今申しましたように「今さら活字はどうなるものでもないという意味で、取り消しはできないという御返事をいただきました。」こういう御答弁をしておられるわけです。そういうことはその返事の中には一斉もありません。むしろそういう点に関する返信の中の部分を読みますと、「『事実に相違する』として取り消しを要求されていますが、もとより本社としては報道内容が事実に相違する場合は率直に取り消し訂正の措置を講じますし、また報道機関としてその義務があるわけです」こういうこともその返事の中に書いてあったはずでございます。しかもかりに事実おっしゃったとしても、それでもなお、記事にする前には重要なことだから大臣に一ぺん見てもらった方がよかったと思う、という新聞社みずからの反省まで書いて返事が来ておるのに、その返事を、今はそういうのがあるかどうか存じませんけれども、昔のいわゆるごろ新聞のように「今さら活字はどうなるものでもない」というような受け取り方をしておられる大臣のこの御答弁は、これまた別な意味で大きな問題になる。現に問題になっている。そこで、これは一体ほんとうにそういうことが書いてあったのか。私が今資料として持っておるその返信の写しと、それから大臣のところへ来たものとは違うものかどうか、これをお尋ねしておるわけです。
荒
荒木萬壽夫#13
○荒木国務大臣 今湯山さんの読み上げられました返信の写しは、本物と違っていないと思います。私が野原さんにお答えしましたときに、その返信の文章までもはっきり念頭に浮かばないままに、私の気持を、気持だけでもってお答えしたものですから、言葉が足りないことと、不正確な部分の両方がごっちゃになっていると思います。その点は私も遺憾に存じます。私が申し上げました意味を注釈を加えさしていただけば、今申し上げましたように、具体的な民族の名前をあげつらったことは、衷心より恐縮に思っておるので、無用なことだといまだに思います。ですけれども、ことさら包括的に劣等民族視するということは、論理的にもそういうことがあるはずがございませんし、長短おのずからあるわけですから、長所だけを、とかくこのごろの若い者は忘れがちだから、長所もあるぞということを強調したい、同時に短所もある。長短それぞれ長所を伸ばし短所をためる努力をする責任がわれわれ日本人としてはあるんじゃないか、それも先祖に負けない気概を持ってやるべきだということを説かんとして申し上げたわけであります。従ってその具体的な民族の名前の部分は、新聞に書かれても私は一言もない。まさに事実であることを明確に私も記憶しておりますから。ただ、それをさらに追っかけて包括的に、劣等民族であり、さらにそれがお前たちの祖先の不変の努力が足りないせいであるということを言った覚えはないという点で、取り消し要求をしましたが、新聞社の方では今お読み上げになったような趣旨のお返事をちょうだいしました。それに対してさらに、反証をあげるだけの根拠が私には客観的なものがない。私の記憶と私の秘書官の記憶とを根拠にして、まさにそれが事実そのものであると思ったから取り消し要求の文言にいたしたわけでございまして、それでもなおかつ今読み上げられましたがごとき新聞社側の意向が出てきますれば、それに抗しようもない。具体的にはそれにさらに抗弁する根拠は私にはございませんから、いわば泣き寝入りといえば泣き寝入り、いわば加害者の部分と被害者の部分と両方あるという気持であるものですから、そのことをとっさに野原さんにお答えしました言葉が十分でなかったことを今にして思います。その点は遺憾に思いますが、これまた心理的な内容を申し上げますれば、私はそう思っておるわけであります。
この発言だけを見る →湯
湯山勇#14
○湯山委員 そういう意味で大臣に被害者の部分と加害者の部分とがあるということならば、それは確かにそうだったろうと思います。ただ、特にこの際大臣にそれに関連してお尋ねをしたいのは、よく世間では、弱い者は新聞に書かれれば泣き寝入りする、強い人はかなり具体的の事実を述べられてもそれは新聞の間違いだということで、逆に新聞の方が泣き寝入りする、そういう事例が間々あるということを大臣は御存じですか。
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荒木萬壽夫#15
○荒木国務大臣 あるかもしれぬと思います。しかし、私だけにとりましては、新聞その他の報道と私の言動と違いましたときに、私が静かに思いめぐらして、事実であった部分についてそれを報道機関のせいにしたことは一ぺんもないと思っております。またそんなことがあってはいけない。具体的には私はそんな記憶はございません。一般的にはあるかもしれませんが……。
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湯山勇#16
○湯山委員 そういう前提のもとに大臣は被害者でもあるし加害者でもある、こういうことだと思います。そこで、非常に突き詰めたことをお尋ねして恐縮ですが、活字になったものは仕方がない、そういう意識を大臣は心理的にはお持ちですか。
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荒木萬壽夫#17
○荒木国務大臣 それは今私が申したように、自分だけでは処しておるつもりですから、自分にはございません。ございませんが、野原さんにお答えしたことについて申し上げますならば、被害者的な印象が私には半ば残っておったものですから、それを中心に、それだけをつい申し上げ過ぎたということが、今お読み上げになった誤解等になっておる、こう今思い起こします。
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湯山勇#18
○湯山委員 それは愛媛新聞から大臣に対しての回答でございますね。これは十万人以上の読者を持っておる、地方としては大きな新聞です。先ほど返信の一部分は申し上げましたが、その返信には決して今大臣が言われたような意味のことはなくて、むしろその返信はきわめて紳士的な良心的なものであったということはお認めになるわけでございますか。
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湯
湯山勇#20
○湯山委員 泣き寝入りという言葉は大臣だけがそうなのかどう冷そんなに泣き寝入りをするような弱い文部大臣じゃないと私は思うのです。そういうことじゃなくて、条理を尽くした返事があったので、納得したという意味を強調して言われた言葉でしょうか、泣き寝入りというのは。
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高
高津正道#22
○高津委員 関連して。これは大臣の学力テストでなくてイデオロギー・テストのように、こう横から聞いておると見えるのでありますが、事は非常に重大だと思います。一国の文教を担当する国務大臣が、日本人の長所をさんざんほめたあとで、朝鮮人、アフリカ土人というように、それに対比するものとして打ち出してある以上は、それは劣等民族なり、こういうことを言ったと同じことになっておるのであります。私はこの間在外公館で、ある大使の情勢報告を聞いておりましたところ、ベルリン問題に触れて、ソ連の言い分は一つも言わないで、全くアメリカの代弁だけをわれわれに報告されるので、ソ連のこういう言い分ぐらいは入れて何とか言ったらどうですかと言ったところが、一から十までソ連の言い分というものを全部否認するので、私は仕方がないから、こんなのを相手にしてもしょうがない、多数党の保守党が作っておる政府の指令に基づいてあなた方は行動をされるので、野党の一国会議員が今ここで批評したところであなたの態度というものは変えられるものではあるまい、それはわかった、しかしあなた方は多くの機会に新興勢力というか、低開発国の外交官とお会いになる場合もあろうから、その際は理解ある態度で接して、日本に同情を求めるような、理解を求めるような態度で臨んでほしい、このぐらいなことは望んでも政府の方針に反するものでもあるまい、こういうことを私が大使に言ったら、その大使は低開発国の外交官に接するのは頭を下げればいい、下手に出ればいい、そんなものじゃありません、こういう戦闘的な答えであったのです。私には、それは外交は専門家にまかせておけというニュアンスに受け取れましたよ。ところが外国で一等書記官か参事官を勤めていた人間が今国会に来て随員になっているのです。その人がホテルへ帰る途中体験談を話しました。私は外地にいるときに低開発国の一外交官が帰国する場合に飛行場に見送りに行ったところが、ついてきた諸君も非常に喜んで、日本語で話しかけてきた。平素は日本語で日本の外交官に話すということはないのだが、日本の大学卒業生が非常に多いので、話せば日本語が話せる連中なんです。その後彼らだけの集まりに私もときどき招待するので行ったところ、日本語で肝胆相照らしていろいろ話し合ったのですが、そのときに言いにくそうに、日本の外交官は非常にいばっておられるように見えてどうも近寄りにくい、こういうことをしゃべったという体験談を私は聞いたのであります。列国議会同盟の会議に臨んで、ソ連の代表の団長が会議がちょっと休憩になったときに、ナイジェリアだとかラオスだとか黒い色の諸君の代表たちのところへ近寄っていって、いとも軽い身振りで飲みに行こうというのでサロンヘぞろぞろと引っぱっていくのを見たのであります。そのサロンはベルギー政府の好意で、代表はいつでもそこへ来て軽い飲みものを何でも無料で飲めるのでありますが、そういうように各国の国会議員といえども、外交官といえども、熱心にいわゆる新興勢力というもの——国連において多数をだんだんに占めていっておるところの勢力に対して、そのぐらい留意を払っておるのに、日本の荒木萬壽夫という一人の国務大臣が、日本の長所をぶちまくって、そしてその対比物として朝鮮人とかアフリカ土人ということを持ってくるのは、その大使の考え方と全く同一であって、世界は動いておるのに、まるで一時代前の感覚で日本の行政を担当しておるので、民族の将来にとっても、日本の国際的な立場を考えましても、非常に嘆かわしいことであると私は思うのであります。池田総理が渡米してお帰りになりまして、日本大国論を振り回される、それらが在外公館におる外交官の諸君に——全部じゃありませんが、古い頭の諸君に一そう拍車をかけるような結果になるのではあるまいか、そういうことまで私は連想したのであります。今同僚湯山議員の追及はのらりくらり逃げればいいというものじゃなくて、ほんとうにあなたのイデオロギーはどうしたら直るのか知らぬが、私はやはり政治をやる者として国を憂え、あえてどこもかしこも本質がのぞくその考え方の根本を何とかしてお改め下さることを切に要望いたします。
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荒木萬壽夫#23
○荒木国務大臣 ただいま御注告と考えられることをおっしゃっていただいて、一部参考になるかとも思いますが、私のものの考え方は間違っていないと自分では思っております。ただ日本民族と他の民族との関連において感情的に誤解を招くような表現があったことを遺憾の気持で先ほど来申し上げておるわけでございます。
私は余談を申しておそれ入りますが、満州国の役人を三年いたしまして、漢民族とも朝鮮民族とも一緒に仕事をして三年おったことを思い起こしますが、他の民族に対してことさら蔑視するような態度をとることが日本人がよく思われることではない、こんなばかなことはあり得ないという考えを三年間いたして参りましたが、朝鮮人とも漢民族ともほんとうに胸襟を開いて暮らし得たと自分では思っております。その私の主観は今日文教の責任者になりまして、先ほど来御指摘になりましたような話に及ぶといたしましても、表現のまずさは重々恐縮な点はございますけれども、私の信念なりものの考え方なりということから、今御指摘になるようなことが当然出てくるのだ、いばっておる、外交官みたようなやつだと断定されるのは少し当たらない御批評かと自分では思ったわけでありまして、そのことは答弁を必要としないことですけれども、私の心の中のことにお触れになりましたから、自分で思っておることを蛇足ながら申し上げさせていただいた次第でございます。
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湯
湯山勇#24
○湯山委員 それで事実関係のことは大体わかりましたが、大臣はその当時の講演の中でこれだけのりっぱな文化を持つ民族はほかにはないということをおっしゃったと思いますが、これはどうでしょう。
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荒木萬壽夫#25
○荒木国務大臣 具体的に一々例をあげて指摘しましたその限りにおいては、日本人がそううぬぼれるのじゃなしに、外国人がそう言っていることを引例して申しましたので、そういう点については外国人の批評が一応当たっておると考えますから、そういう部分については大いに自信を持ってよかろうという感じを申した記憶でございます。
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湯山勇#26
○湯山委員 表現はこれだけの文化を持つ民族はほかにないという表現になって表われておるわけです。そうすればほかの民族よりも日本民族は優位にあるというようなことをお考えになっておられるのでしょうか。
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荒木萬壽夫#27
○荒木国務大臣 日本人は少なくとも外国人から正直者だ、勤勉だ、手先が器用だ、しかも近代的な普通教育が普遍的に成果を上げておるという角度からほめちぎられていることは事実であります。また、ほめられながら現実を見通してみましても、これまた明治以来のわれわれの先輩の努力によって、まさにそういうことであることを確認いたします。そういう点については、全世界の民族に、諸君どうだと言いたいぐらいの気持を私は持っております。だから、その点はもっとお互いに努力して伸ばしていくべきじゃないか。ただし、やれ気短かだ、なんだかんだという短所も指摘される。そういう点はわれわれが思いをひそめて短所をため直していくという権利と責任を持って今日本人として生を受けておるのだ、しっかりやろうじゃないかということを申したのでありまして、その間話を聞いていただいても、他の民族を劣等視して、さげすんで、ひとりよしとするということじゃないことはだれしも感じてもらえる内容を話したと思っております。
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湯山勇#28
○湯山委員 今、大臣の御答弁の中で、前半は確かにおっしゃいましたけれども、後半にはお触れになっておりません。私どもも、日本民族がすぐれておる点があるということはもちろん認めておるし、むしろその他の面で文化的な、あるいは民主的な平和的な国家として世界の国々から敬われる国にならなくちゃならないという努力はわれわれ続けなければならない。文教の最高責任者としては、今おっしゃったような、半分だけおっしゃって、それでこれから努力しなければならないことを抜いてお話しになる、そういうことは、どこか大臣の意識の中に民族を劣等民族と優秀民族、こういう区別をする、そういう意識がおありにならないでしょうか。もしおありにならないんだとすれば、そういう言い方が、今言ったような誤解——大臣の言葉をもってすれば誤解を生んだということにはならないのでしょうか。
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荒木萬壽夫#29
○荒木国務大臣 私は常に両面を申しております。ただ、言葉の数が前半と後半と、多い少ないはそのときの時間の都合等によってございますけれども、必ずお話の論旨として当然両面を言わなければ思い上がったばかものだと言われることは必至であります。私は常にこのことに触れますときには、大東亜戦争で日本民族は優秀だということが言われた、それは思い上がった立場から言った傾向が顕著である、私が今言っておるのは、日本人が思い上がって言っているんじゃない、外国人がおりに触れて日本民族を批評するときに、少なくとも欠点もあげつらうだろうけれども、長所としては今申したようなことを言ってくれている、それはわれわれが国内を見通しても事実だ、だから、これはわれわれがそういう長所を持った民族の一人として生きていることは喜ばしいことだ、祖先のおかげでそういう文化と、民族それ自体として、あるいは狭いながらもこのよき国土に生まれたことを感謝せざるべけんやと思う、感謝は、当然われわれが日本人として生きておる立場においての責任だ、一生かかって先祖の意思に添う努力を棺のふたをふさぐまでにやるべきだと思う、そういうふうにやろうじゃないかという論旨を常に申し上げているので、湯山さんが、前半だけ言って後半言ってないとか、いろいろ御批評ですけれども、それは言葉の数の多寡等はございましょう。しかし、話の内容というものは、私の念頭にある人様に申し上げんとする本意は以上のところにございまして、愛媛県で話をしましたときも、言葉は少し少なかった点はあったかもしれませんが、その点に私は欠陥はなかったと思っております。
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