予算委員会
⚠️ 発言のコピー・転載時は出典元URL(kokkai.ndl.go.jpおよびkokkai-data.com)を必ず残してください。改変・出典削除は禁止です。 詳細は利用規約をご確認ください。
会
会議録情報#0
昭和六十二年七月十三日(月曜日)
午後二時開議
出席委員
委員長 砂田 重民君
理事 今井 勇君 理事 野田 毅君
理事 浜田 幸一君 理事 林 義郎君
理事 吹田 愰君 理事 上田 哲君
理事 川俣健二郎君 理事 池田 克也君
理事 吉田 之久君
相沢 英之君 愛野興一郎君
甘利 明君 伊藤宗一郎君
石渡 照久君 上村千一郎君
小此木彦三郎君 小渕 恵三君
越智 通雄君 奥野 誠亮君
海部 俊樹君 小坂徳三郎君
左藤 恵君 桜井 新君
志賀 節君 杉山 憲夫君
田中 龍夫君 西岡 武夫君
福島 譲二君 細田 吉藏君
松野 幸泰君 村田敬次郎君
村山 達雄君 山下 元利君
井上 一成君 井上 普方君
上原 康助君 加藤 万吉君
川崎 寛治君 菅 直人君
細谷 治嘉君 坂口 力君
冬柴 鉄三君 水谷 弘君
宮地 正介君 木下敬之助君
楢崎弥之助君 岡崎万寿秀君
佐藤 祐弘君 正森 成二君
出席国務大臣
内閣総理大臣 中曽根康弘君
国 務 大 臣 金丸 信君
法 務 大 臣 遠藤 要君
外 務 大 臣 倉成 正君
大 蔵 大 臣 宮澤 喜一君
文 部 大 臣 塩川正十郎君
厚 生 大 臣 斎藤 十朗君
農林水産大臣 加藤 六月君
通商産業大臣 田村 元君
運 輸 大 臣 橋本龍太郎君
郵 政 大 臣 唐沢俊二郎君
労 働 大 臣 平井 卓志君
建 設 大 臣 天野 光晴君
自 治 大 臣
国家公安委員会
委員長 葉梨 信行君
国 務 大 臣
(内閣官房長官)後藤田正晴君
国 務 大 臣
(総務庁長官) 山下 徳夫君
国 務 大 臣
(北海道開発庁
長官)
(沖縄開発庁長
官)
(国土庁長官) 綿貫 民輔君
国 務 大 臣
(防衛庁長官) 栗原 祐幸君
国 務 大 臣
(経済企画庁長
官) 近藤 鉄雄君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 三ッ林弥太郎君
国 務 大 臣
(環境庁長官) 稲村 利幸君
出席政府委員
内閣官房副長官 渡辺 秀央君
内閣法制局長官 味村 治君
内閣法制局第一
部長 関 守君
人事院総裁 内海 倫君
人事院事務総局
給与局長 中島 忠能君
人事院事務総局
職員局長 川崎 正道君
警察庁警備局長 新田 勇君
総務庁人事局長 手塚 康夫君
防衛庁参事官 瀬木 博基君
防衛庁参事官 古川 武温君
防衛庁参事官 児玉 良雄君
防衛庁参事官 筒井 良三君
防衛庁長官官房
長 依田 智治君
防衛庁防衛局長 西廣 整輝君
防衛庁教育訓練
局長 長谷川 宏君
防衛庁人事局長 松本 宗和君
防衛庁経理局長 日吉 章君
防衛庁装備局長 山本 雅司君
防衛施設庁長官 友藤 一隆君
防衛施設庁総務
部長 弘法堂 忠君
防衛施設庁施設
部長 鈴木 杲君
防衛施設庁建設
部長 田部井博文君
防衛施設庁労務
部長 山崎 博司君
経済企画庁調整
局長 横溝 雅夫君
経済企画庁総合
計画局長 星野 進君
環境庁自然保護
局長 古賀 章介君
沖縄開発庁総務
局長 勝又 博明君
国土庁長官官房
長 清水 達雄君
国土庁計画・調
整局長 長沢 哲夫君
国土庁土地局長 片桐 久雄君
国土庁地方振興
局長 澤田 秀男君
外務省アジア局
長 藤田 公郎君
外務省北米局長 藤井 宏昭君
外務省欧亜局長 長谷川和年君
外務省経済局長 渡辺 幸治君
外務省条約局長 斉藤 邦彦君
外務省国際連合
局長 中平 立君
外務省情報調査
局長 新井 弘一君
大蔵省主計局長 西垣 昭君
大蔵省主税局長 水野 勝君
大蔵省国際金融
局長 内海 孚君
文部省初等中等
教育局長 西崎 清久君
文部省教育助成
局長 加戸 守行君
文部省高等教育
局長 阿部 充夫君
厚生省健康政策
局長 竹中 浩治君
厚生省保険局長 下村 健君
厚生省年金局長 水田 努君
農林水産大臣官
房長 甕 滋君
農林水産省経済
局長 眞木 秀郎君
通商産業省貿易
局長 畠山 襄君
通商産業省産業
政策局長 杉山 弘君
通商産業省立地
公害局長 安楽 隆二君
通商産業省機械
情報産業局長 児玉 幸治君
運輸大臣官房長 棚橋 泰君
労働省労働基準
局長 平賀 俊行君
労働省職業安定
局長 白井晋太郎君
建設大臣官房長 高橋 進君
自治大臣官房長 持永 堯民君
自治省財政局長 矢野浩一郎君
自治省税務局長 津田 正君
委員外の出席者
厚生大臣官房総
務審議官 長尾 立子君
参考人
(日本銀行副総
裁) 三重野 康君
予算委員会調査
室長 右田健次郎君
―――――――――――――
委員の異動
七月十三日
辞任 補欠選任
宇野 宗佑君 石渡 照久君
小此木彦三郎君 甘利 明君
原田 憲君 杉山 憲夫君
嶋崎 譲君 上原 康助君
大久保直彦君 冬柴 鉄三君
経塚 幸夫君 岡崎万寿秀君
野間 友一君 佐藤 祐弘君
同日
辞任 補欠選任
甘利 明君 小此木彦三郎君
石渡 照久君 宇野 宗佑君
杉山 憲夫君 原田 憲君
上原 康助君 嶋崎 譲君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
参考人出頭要求に関する件
昭和六十二年度一般会計補正予算(第1号)
昭和六十二年度特別会計補正予算(特第1号)
昭和六十二年度政府関係機関補正予算(機第1号
)
――――◇―――――
この発言だけを見る →午後二時開議
出席委員
委員長 砂田 重民君
理事 今井 勇君 理事 野田 毅君
理事 浜田 幸一君 理事 林 義郎君
理事 吹田 愰君 理事 上田 哲君
理事 川俣健二郎君 理事 池田 克也君
理事 吉田 之久君
相沢 英之君 愛野興一郎君
甘利 明君 伊藤宗一郎君
石渡 照久君 上村千一郎君
小此木彦三郎君 小渕 恵三君
越智 通雄君 奥野 誠亮君
海部 俊樹君 小坂徳三郎君
左藤 恵君 桜井 新君
志賀 節君 杉山 憲夫君
田中 龍夫君 西岡 武夫君
福島 譲二君 細田 吉藏君
松野 幸泰君 村田敬次郎君
村山 達雄君 山下 元利君
井上 一成君 井上 普方君
上原 康助君 加藤 万吉君
川崎 寛治君 菅 直人君
細谷 治嘉君 坂口 力君
冬柴 鉄三君 水谷 弘君
宮地 正介君 木下敬之助君
楢崎弥之助君 岡崎万寿秀君
佐藤 祐弘君 正森 成二君
出席国務大臣
内閣総理大臣 中曽根康弘君
国 務 大 臣 金丸 信君
法 務 大 臣 遠藤 要君
外 務 大 臣 倉成 正君
大 蔵 大 臣 宮澤 喜一君
文 部 大 臣 塩川正十郎君
厚 生 大 臣 斎藤 十朗君
農林水産大臣 加藤 六月君
通商産業大臣 田村 元君
運 輸 大 臣 橋本龍太郎君
郵 政 大 臣 唐沢俊二郎君
労 働 大 臣 平井 卓志君
建 設 大 臣 天野 光晴君
自 治 大 臣
国家公安委員会
委員長 葉梨 信行君
国 務 大 臣
(内閣官房長官)後藤田正晴君
国 務 大 臣
(総務庁長官) 山下 徳夫君
国 務 大 臣
(北海道開発庁
長官)
(沖縄開発庁長
官)
(国土庁長官) 綿貫 民輔君
国 務 大 臣
(防衛庁長官) 栗原 祐幸君
国 務 大 臣
(経済企画庁長
官) 近藤 鉄雄君
国 務 大 臣
(科学技術庁長
官) 三ッ林弥太郎君
国 務 大 臣
(環境庁長官) 稲村 利幸君
出席政府委員
内閣官房副長官 渡辺 秀央君
内閣法制局長官 味村 治君
内閣法制局第一
部長 関 守君
人事院総裁 内海 倫君
人事院事務総局
給与局長 中島 忠能君
人事院事務総局
職員局長 川崎 正道君
警察庁警備局長 新田 勇君
総務庁人事局長 手塚 康夫君
防衛庁参事官 瀬木 博基君
防衛庁参事官 古川 武温君
防衛庁参事官 児玉 良雄君
防衛庁参事官 筒井 良三君
防衛庁長官官房
長 依田 智治君
防衛庁防衛局長 西廣 整輝君
防衛庁教育訓練
局長 長谷川 宏君
防衛庁人事局長 松本 宗和君
防衛庁経理局長 日吉 章君
防衛庁装備局長 山本 雅司君
防衛施設庁長官 友藤 一隆君
防衛施設庁総務
部長 弘法堂 忠君
防衛施設庁施設
部長 鈴木 杲君
防衛施設庁建設
部長 田部井博文君
防衛施設庁労務
部長 山崎 博司君
経済企画庁調整
局長 横溝 雅夫君
経済企画庁総合
計画局長 星野 進君
環境庁自然保護
局長 古賀 章介君
沖縄開発庁総務
局長 勝又 博明君
国土庁長官官房
長 清水 達雄君
国土庁計画・調
整局長 長沢 哲夫君
国土庁土地局長 片桐 久雄君
国土庁地方振興
局長 澤田 秀男君
外務省アジア局
長 藤田 公郎君
外務省北米局長 藤井 宏昭君
外務省欧亜局長 長谷川和年君
外務省経済局長 渡辺 幸治君
外務省条約局長 斉藤 邦彦君
外務省国際連合
局長 中平 立君
外務省情報調査
局長 新井 弘一君
大蔵省主計局長 西垣 昭君
大蔵省主税局長 水野 勝君
大蔵省国際金融
局長 内海 孚君
文部省初等中等
教育局長 西崎 清久君
文部省教育助成
局長 加戸 守行君
文部省高等教育
局長 阿部 充夫君
厚生省健康政策
局長 竹中 浩治君
厚生省保険局長 下村 健君
厚生省年金局長 水田 努君
農林水産大臣官
房長 甕 滋君
農林水産省経済
局長 眞木 秀郎君
通商産業省貿易
局長 畠山 襄君
通商産業省産業
政策局長 杉山 弘君
通商産業省立地
公害局長 安楽 隆二君
通商産業省機械
情報産業局長 児玉 幸治君
運輸大臣官房長 棚橋 泰君
労働省労働基準
局長 平賀 俊行君
労働省職業安定
局長 白井晋太郎君
建設大臣官房長 高橋 進君
自治大臣官房長 持永 堯民君
自治省財政局長 矢野浩一郎君
自治省税務局長 津田 正君
委員外の出席者
厚生大臣官房総
務審議官 長尾 立子君
参考人
(日本銀行副総
裁) 三重野 康君
予算委員会調査
室長 右田健次郎君
―――――――――――――
委員の異動
七月十三日
辞任 補欠選任
宇野 宗佑君 石渡 照久君
小此木彦三郎君 甘利 明君
原田 憲君 杉山 憲夫君
嶋崎 譲君 上原 康助君
大久保直彦君 冬柴 鉄三君
経塚 幸夫君 岡崎万寿秀君
野間 友一君 佐藤 祐弘君
同日
辞任 補欠選任
甘利 明君 小此木彦三郎君
石渡 照久君 宇野 宗佑君
杉山 憲夫君 原田 憲君
上原 康助君 嶋崎 譲君
―――――――――――――
本日の会議に付した案件
参考人出頭要求に関する件
昭和六十二年度一般会計補正予算(第1号)
昭和六十二年度特別会計補正予算(特第1号)
昭和六十二年度政府関係機関補正予算(機第1号
)
――――◇―――――
砂
砂田重民#1
○砂田委員長 これより会議を開きます。
昭和六十二年度一般会計補正予算(第1号)、昭和六十二年度特別会計補正予算(特第1号)、昭和六十二年度政府関係機関補正予算(機第1号)、以上三案を一括して議題といたします。
この際、お諮りいたします。
各案審査のため、本日、参考人として日本銀行副総裁三重野康君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
この発言だけを見る →昭和六十二年度一般会計補正予算(第1号)、昭和六十二年度特別会計補正予算(特第1号)、昭和六十二年度政府関係機関補正予算(機第1号)、以上三案を一括して議題といたします。
この際、お諮りいたします。
各案審査のため、本日、参考人として日本銀行副総裁三重野康君の出席を求め、意見を聴取いたしたいと存じますが、御異議ありませんか。
〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
砂
砂
川
川崎寛治#4
○川崎(寛)委員 私は、日本社会党・護憲共同を代表いたしまして、総理初め関係大臣に質問いたしたいと思います。
今回の国会は総理にとって締めくくりの国会である、こういうことで、衆参の本会議におきましてもそれぞれそうした議論が行われてまいりました。総理もそれぞれこれまでの四年半に及びます政治を背景にして述べておられるわけでありますが、今大変大きな転換期でございます。まさに転換期であります。それは日本だけではなくて、全世界が大きく揺れ動いておりますし、ベネチア・サミットは、私は総理の所信表明とは大分違う見解を持っておりますが、ともあれベネチア・サミットはアメリカのパクス・アメリカーナ、つまり覇権国家としてのアメリカが完全にその権威を失墜をした、そういう一つの歴史的な会議でもあったと思います。そういう意味では、世界並びに日本をめぐっておる大変大きな課題がございますので、私は中曽根政治を総括をいたしたい、内政、外交の主な点についてお尋ねをしてまいりたい、こういうふうに思います。
一九七二年、佐藤総理が、国民の世論また沖縄現地の大変な祖国復帰の願いに支えられまして沖縄返還ということになりました。ただ、基地の問題は、これは後ほど上原代議士からまた御質問をいたしますが、一つの節目がありました。同じ七二年に田中元総理が日中国交回復、周総理が井戸水を飲むときには井戸を掘った人の苦労を知れ、こう言っておられますが、大変多くの願いがここに結実をしたと思うのであります。そこで、そうなりますと沖縄返還、日中国交回復、そのときはベトナムの和平協定が翌年に成ります。大きく動いておるわけです。ヨーロッパの方はそれよりも早く、ブラント首相が東方外交を、アメリカの相当圧力がありましたけれども、ブラント首相は東方外交を進めていくわけですね。
そういう中でアジアはどうあるべきかというアジアの外交というのが、実は日中国交回復、沖縄返還というものからまいりますならば当然に朝鮮問題であり、日ソの問題である、北方領土の問題である、こういう方向でございましたが、残念ながらそれは今日まで進んでおりません。でありますから、私は、総理の戦後政治の総決算という安易な考え方には大変問題を感ずるわけであります。
それで朝鮮問題というのが、日中国交回復以後非常にそのころは動きました。南北両朝鮮自体が統一三原則というものを打ち出して動いておった時代でございます。私は当時、社会党の国際問題の責任者をいたしておりまして、当時の田中、中曽根通産大臣と御相談をして、そして北朝鮮との間の貿易、朝鮮民主主義人民共和国との周の貿易を進めよう、つまり、中国の方式をもう一遍朝鮮でも進めよう、こういうことで貿易代表部と話し合いをいたしてまいりました。特に朝鮮半島と日本とは非常に不幸な歴史があるわけでございますから、その歴史を考えますならば、南北朝鮮を差別しないで、南北朝鮮が当時統一という方向を出してきたのでありますから、どうこたえていくかというのは日本としての大きな使命であったと私は思います。
そこで、あなたと御相談をして、前の年は田中通産大臣と相談をいたしました。そして、それは、民間貿易はある程度進んでおりましたが、これではいかぬ、だから私は、日本の通産省から役人を出しなさい、向こうから役人を入れましょう、どうですか。あなたは、よかろう。金日成主席が受け入れるならば出すよというお話でございました。思い起こしていただきたいのです。そこで私は参りまして、金日成主席と話をしました。日本政府が出すならば受け入れましょう。そこで、帰ってきて私はあなたに報告をしました。わかった、検討しよう。しかし、これがだめになりました。七三年の八月の金太中さんの拉致がこれを全部ひっくり返したわけであります。歴史の歯車がひっくり返ったのです。それが今度韓国において民主化が進んで、金太中さんの復権ができたわけですね。
でありますから、私は総理にお尋ねをいたしたいのは、つまり韓国でそういう民主化が進んできた。日本の対応の仕方というのは大変大事だと思います。そしてそのことは朝鮮半島全体にこれからどう進んでいくか。アメリカももう相当動いておる、関係を深めておるという時期でございますから、残念ながら、あなたが政権をとられて最初に行かれたのが韓国でございましたけれども、それは分断を固定化したわけです。それだけに、今の歴史を振り返りますときに、私は、あなたには大変大きな責任がある、こう思います。
そこで、日本が、日中国交回復、沖縄返還、その後動けなかった。しかしブラント、ヨーロッパは動いていった。今日その開きは大変あると思います。全欧安保にも進みましたし、INFの全廃へと行く道筋も、やはりそこに東方外交というのが出発点でもあったわけですね。
そういたしますと、私が今申し上げました、そういうあなたと私もかかわった、そして社会党の多くの諸君がかかわってきましたそういう問題について、今韓国における民主化が進もうとしておるその時点においてどうお考えになるか、総理の御見解を伺いたいのであります。
この発言だけを見る →今回の国会は総理にとって締めくくりの国会である、こういうことで、衆参の本会議におきましてもそれぞれそうした議論が行われてまいりました。総理もそれぞれこれまでの四年半に及びます政治を背景にして述べておられるわけでありますが、今大変大きな転換期でございます。まさに転換期であります。それは日本だけではなくて、全世界が大きく揺れ動いておりますし、ベネチア・サミットは、私は総理の所信表明とは大分違う見解を持っておりますが、ともあれベネチア・サミットはアメリカのパクス・アメリカーナ、つまり覇権国家としてのアメリカが完全にその権威を失墜をした、そういう一つの歴史的な会議でもあったと思います。そういう意味では、世界並びに日本をめぐっておる大変大きな課題がございますので、私は中曽根政治を総括をいたしたい、内政、外交の主な点についてお尋ねをしてまいりたい、こういうふうに思います。
一九七二年、佐藤総理が、国民の世論また沖縄現地の大変な祖国復帰の願いに支えられまして沖縄返還ということになりました。ただ、基地の問題は、これは後ほど上原代議士からまた御質問をいたしますが、一つの節目がありました。同じ七二年に田中元総理が日中国交回復、周総理が井戸水を飲むときには井戸を掘った人の苦労を知れ、こう言っておられますが、大変多くの願いがここに結実をしたと思うのであります。そこで、そうなりますと沖縄返還、日中国交回復、そのときはベトナムの和平協定が翌年に成ります。大きく動いておるわけです。ヨーロッパの方はそれよりも早く、ブラント首相が東方外交を、アメリカの相当圧力がありましたけれども、ブラント首相は東方外交を進めていくわけですね。
そういう中でアジアはどうあるべきかというアジアの外交というのが、実は日中国交回復、沖縄返還というものからまいりますならば当然に朝鮮問題であり、日ソの問題である、北方領土の問題である、こういう方向でございましたが、残念ながらそれは今日まで進んでおりません。でありますから、私は、総理の戦後政治の総決算という安易な考え方には大変問題を感ずるわけであります。
それで朝鮮問題というのが、日中国交回復以後非常にそのころは動きました。南北両朝鮮自体が統一三原則というものを打ち出して動いておった時代でございます。私は当時、社会党の国際問題の責任者をいたしておりまして、当時の田中、中曽根通産大臣と御相談をして、そして北朝鮮との間の貿易、朝鮮民主主義人民共和国との周の貿易を進めよう、つまり、中国の方式をもう一遍朝鮮でも進めよう、こういうことで貿易代表部と話し合いをいたしてまいりました。特に朝鮮半島と日本とは非常に不幸な歴史があるわけでございますから、その歴史を考えますならば、南北朝鮮を差別しないで、南北朝鮮が当時統一という方向を出してきたのでありますから、どうこたえていくかというのは日本としての大きな使命であったと私は思います。
そこで、あなたと御相談をして、前の年は田中通産大臣と相談をいたしました。そして、それは、民間貿易はある程度進んでおりましたが、これではいかぬ、だから私は、日本の通産省から役人を出しなさい、向こうから役人を入れましょう、どうですか。あなたは、よかろう。金日成主席が受け入れるならば出すよというお話でございました。思い起こしていただきたいのです。そこで私は参りまして、金日成主席と話をしました。日本政府が出すならば受け入れましょう。そこで、帰ってきて私はあなたに報告をしました。わかった、検討しよう。しかし、これがだめになりました。七三年の八月の金太中さんの拉致がこれを全部ひっくり返したわけであります。歴史の歯車がひっくり返ったのです。それが今度韓国において民主化が進んで、金太中さんの復権ができたわけですね。
でありますから、私は総理にお尋ねをいたしたいのは、つまり韓国でそういう民主化が進んできた。日本の対応の仕方というのは大変大事だと思います。そしてそのことは朝鮮半島全体にこれからどう進んでいくか。アメリカももう相当動いておる、関係を深めておるという時期でございますから、残念ながら、あなたが政権をとられて最初に行かれたのが韓国でございましたけれども、それは分断を固定化したわけです。それだけに、今の歴史を振り返りますときに、私は、あなたには大変大きな責任がある、こう思います。
そこで、日本が、日中国交回復、沖縄返還、その後動けなかった。しかしブラント、ヨーロッパは動いていった。今日その開きは大変あると思います。全欧安保にも進みましたし、INFの全廃へと行く道筋も、やはりそこに東方外交というのが出発点でもあったわけですね。
そういたしますと、私が今申し上げました、そういうあなたと私もかかわった、そして社会党の多くの諸君がかかわってきましたそういう問題について、今韓国における民主化が進もうとしておるその時点においてどうお考えになるか、総理の御見解を伺いたいのであります。
中
中曽根康弘#5
○中曽根内閣総理大臣 朝鮮半島の平和と安定の問題は、我々も隣のことでございますから非常に大きな重大な関心を持っております。
朝鮮半島の平和的統一というものを我々も念願しておるものでございますが、これはあくまで北と南の当事者の話し合いが第一義でございます。しかし、歴史はジグザグの道を通ってきまして、必ずしもたんたんたる一本の道ではない、これはどこの国の歴史にも通ずることでございます。まあ不幸なことにラングーン事件のようなああいう爆弾事件等もありまして、国際環境というものは著しくあれから変わりました。そういうような不幸な事件を経過した後も、その傷をみんなでいやし合う時間が必要であります。そういう形で、今度オリンピックを機に南北オリンピックをやろうじゃないかということで、それが来年に差し迫ってまいりまして、韓国の皆さんもオリンピックを最大限に成功させるように今全力を振るっております。
先般の韓国の政局に関する一大決断が行われたというのも、一つにはオリンピックを成功させようという民族的悲願に燃えてあれだけの大英断を韓国の野党、与党の皆さんがおやりになったんだろうと私は敬意を表しておる次第でございますが、こういうようないろいろな経過をたどりながらも、オリンピックというものを機に、ラングーン事件以来いろいろな問題が起こったその傷をいやして、そしてこの大きな追い風のもとに、北と南が平和的話し合い、さらに平和的統一への軌道を設定されんことを私は願ってやみません。
朝鮮半島に隣接する関係国といたしましても、みんなその点については同じような関心を持っていると思います。朝鮮半島の問題については、不幸な朝鮮戦争がありまして、米軍、国連軍の存在というものを無視できません。また、北の方を応援した中国というものもまた無視できません。また、朝鮮半島の問題については、ソ連も日本も大きな関心を持っておるわけでございます。そういう周辺の関係国の平和的統一へ向けての話し合いが徐々に徐々に進行していくように、我々としても環境づくりをやることが望ましい。そういう意味で、韓国の御要望等も私はこの四年半ずっと聞いてきてまいったのであります。
韓国は中国との間で貿易を広げあるいは友好関係を増大することに非常に熱心でございまして、そういう面につきまして日本側の協力も求められましたから、私は中国へ参りまして韓国側のその意思を伝達したこともございます。韓中貿易は非常に大きく増大しつつあります。そういうことで、中国と韓国との接近というものの比例に応じて日本と北朝鮮との関係というものの打開も考えでいいのではないか。そういう点については韓国の皆さん方の御意見もよく承って行動する必要がある、そういう考えに立ちまして秋は御意見を承ったこともございます。
そういう面から見まして、この一番近い関係にある北と南と、それから中国と日本、それからアメリカとソ連という関係になりましょう。中国と日本との関係で、もし打開できる分野があれば我々としては相応の貢献をしたい、韓国の皆さんの御意見も承りつつ前進するのがよろしい、そう思って、そういうような努力をしておるところでございます。このオリンピックというものを機に、さらに南北の話し合いが進められて緊張が緩和される、そしてそういう場が開けてくることを願ってやまない次第でございます。
この発言だけを見る →朝鮮半島の平和的統一というものを我々も念願しておるものでございますが、これはあくまで北と南の当事者の話し合いが第一義でございます。しかし、歴史はジグザグの道を通ってきまして、必ずしもたんたんたる一本の道ではない、これはどこの国の歴史にも通ずることでございます。まあ不幸なことにラングーン事件のようなああいう爆弾事件等もありまして、国際環境というものは著しくあれから変わりました。そういうような不幸な事件を経過した後も、その傷をみんなでいやし合う時間が必要であります。そういう形で、今度オリンピックを機に南北オリンピックをやろうじゃないかということで、それが来年に差し迫ってまいりまして、韓国の皆さんもオリンピックを最大限に成功させるように今全力を振るっております。
先般の韓国の政局に関する一大決断が行われたというのも、一つにはオリンピックを成功させようという民族的悲願に燃えてあれだけの大英断を韓国の野党、与党の皆さんがおやりになったんだろうと私は敬意を表しておる次第でございますが、こういうようないろいろな経過をたどりながらも、オリンピックというものを機に、ラングーン事件以来いろいろな問題が起こったその傷をいやして、そしてこの大きな追い風のもとに、北と南が平和的話し合い、さらに平和的統一への軌道を設定されんことを私は願ってやみません。
朝鮮半島に隣接する関係国といたしましても、みんなその点については同じような関心を持っていると思います。朝鮮半島の問題については、不幸な朝鮮戦争がありまして、米軍、国連軍の存在というものを無視できません。また、北の方を応援した中国というものもまた無視できません。また、朝鮮半島の問題については、ソ連も日本も大きな関心を持っておるわけでございます。そういう周辺の関係国の平和的統一へ向けての話し合いが徐々に徐々に進行していくように、我々としても環境づくりをやることが望ましい。そういう意味で、韓国の御要望等も私はこの四年半ずっと聞いてきてまいったのであります。
韓国は中国との間で貿易を広げあるいは友好関係を増大することに非常に熱心でございまして、そういう面につきまして日本側の協力も求められましたから、私は中国へ参りまして韓国側のその意思を伝達したこともございます。韓中貿易は非常に大きく増大しつつあります。そういうことで、中国と韓国との接近というものの比例に応じて日本と北朝鮮との関係というものの打開も考えでいいのではないか。そういう点については韓国の皆さん方の御意見もよく承って行動する必要がある、そういう考えに立ちまして秋は御意見を承ったこともございます。
そういう面から見まして、この一番近い関係にある北と南と、それから中国と日本、それからアメリカとソ連という関係になりましょう。中国と日本との関係で、もし打開できる分野があれば我々としては相応の貢献をしたい、韓国の皆さんの御意見も承りつつ前進するのがよろしい、そう思って、そういうような努力をしておるところでございます。このオリンピックというものを機に、さらに南北の話し合いが進められて緊張が緩和される、そしてそういう場が開けてくることを願ってやまない次第でございます。
川
川崎寛治#6
○川崎(寛)委員 金太中さんが今度復権というのは、ちょうど一九七三年でございますから実に十四年かかっておるわけでありますが、その当時かかわっておりましたのはもう中曽根総理だけになっております。ただ、その後今度は宮澤さんが三木内閣のときに外務大臣として政治決着をいたします。でありますから、金太中さんの復権ということは、つまり原状回復というのは日本ができなかった、結局民衆が進めた今度の大きな運動の中で復権、こういうことになってきたわけです。私たち社会党も、土井委員長自身が表明いたしておりますように、アジアにおける第二回目のオリンピックでございますから、その成功のためには私たちも努力をしたい、こういうふうに思っております。
ところが、そういう不幸な歴史というものを振り返りますとき、私は宮澤さんに、二十一世紀を目指す、こういうことでございますから、外務大臣としては残念ながら政治決着ということで目をつぶった、でありますから、今日の復権という事態を考えますときに、同じ政治家としてこの事態をどうお感じになられるか、私は宮澤大蔵大臣の御見解を伺いたいのであります。
この発言だけを見る →ところが、そういう不幸な歴史というものを振り返りますとき、私は宮澤さんに、二十一世紀を目指す、こういうことでございますから、外務大臣としては残念ながら政治決着ということで目をつぶった、でありますから、今日の復権という事態を考えますときに、同じ政治家としてこの事態をどうお感じになられるか、私は宮澤大蔵大臣の御見解を伺いたいのであります。
宮
宮澤喜一#7
○宮澤国務大臣 私はただいま外交の責任を持っておりませんので、そうでない立場で、おっしゃいましたことにお答えを申し上げるわけでございますけれども、あのときに私が訪韓をいたしましていわゆる政治的決着を図りましたことにつきましては、そこに至りますまでの間に、韓国側からこの問題についてのいわばいろんな意味での遺憾の意思表示があったということは御承知のとおりでございます。そういうことになりますと、やはり隣国であり、親しい国でありますが、しかし独立国であることは疑いを入れる余地のないところでございますから、そのような韓国側の最高責任者の意思表示があったことに対して、外交的にはそれはそれとしてやはり了承をするということが今後の両国の国交のために適当なのではないかというのが当時の判断でございます。
なお、このことは川崎委員が御承知のように、その後、昭和五十五年に至りまして――最終的には金太中氏が裁判の結果にもかかわらず、いわば極刑に処せられることなく今日の日を終局的には迎えられることになったわけでございますが、そういうこと等も実は微妙に関連をいたしておりまして、我が国といたしましてはあの際外交的決着を図ったことはやむを得なかったことであったと、私としては思っております。
この発言だけを見る →なお、このことは川崎委員が御承知のように、その後、昭和五十五年に至りまして――最終的には金太中氏が裁判の結果にもかかわらず、いわば極刑に処せられることなく今日の日を終局的には迎えられることになったわけでございますが、そういうこと等も実は微妙に関連をいたしておりまして、我が国といたしましてはあの際外交的決着を図ったことはやむを得なかったことであったと、私としては思っております。
川
川崎寛治#8
○川崎(寛)委員 私は政治家としてお尋ねしたわけですから、もう少し率直な見解を伺いたかったのでありますが、大変物足りないお答えでございますが、これは時間をとりますので、一応これで朝鮮問題は終わります。ただ、これからいずれにしましても、立場はそれぞれ異なっておりましても、日本としては朝鮮半島には今後の発展を願うそれぞれの努力をしなければならない、こういうふうに思っておりますので、この問題は一応ここで置いておきたい、こういうふうに思います。
戦後の解決をしていない北方領土並びに、特に今、日ソの間は大変悪い状況といいますかにございます。昨年の本委員会におきましては、中曽根首相は胸を張って、ゴルバチョフさんおいでなさい、こう大変高い姿勢で言っておられました。しかし残念ながら日ソの問題というのは、あなたにとっては、田中さんや佐藤さんの後を受けた総理としては当然一つの大きなテーマとしてお考えになり取り組みもされたと思いますが、結局来日はなかった、なお一層悪い状況に落ち込んでおります。
西ドイツのワイツゼッカー大統領がソビエト訪問をし、それぞれ独ソの間の問題についても進めておりますが、日ソの問題というのは、こうして振り返ってみますと、やはり米ソという大きな戦略といいますか枠組みといいますか、そこから一歩も出られないでおる、私はどうもそう思えてならない。だから、独自外交はできない、そう思います。ソビエトのゴルバチョフ書記長が来れなかったことについて、あなたは締めくくりの今日の段階においてどういうふうにお考えになっておるか、伺いたいと思います。
この発言だけを見る →戦後の解決をしていない北方領土並びに、特に今、日ソの間は大変悪い状況といいますかにございます。昨年の本委員会におきましては、中曽根首相は胸を張って、ゴルバチョフさんおいでなさい、こう大変高い姿勢で言っておられました。しかし残念ながら日ソの問題というのは、あなたにとっては、田中さんや佐藤さんの後を受けた総理としては当然一つの大きなテーマとしてお考えになり取り組みもされたと思いますが、結局来日はなかった、なお一層悪い状況に落ち込んでおります。
西ドイツのワイツゼッカー大統領がソビエト訪問をし、それぞれ独ソの間の問題についても進めておりますが、日ソの問題というのは、こうして振り返ってみますと、やはり米ソという大きな戦略といいますか枠組みといいますか、そこから一歩も出られないでおる、私はどうもそう思えてならない。だから、独自外交はできない、そう思います。ソビエトのゴルバチョフ書記長が来れなかったことについて、あなたは締めくくりの今日の段階においてどういうふうにお考えになっておるか、伺いたいと思います。
中
中曽根康弘#9
○中曽根内閣総理大臣 安倍外務大臣とシェワルナゼ外務大臣との会談がありまして、共同声明も出されて、そしてまた先方のゴルバチョフ書記長から私に対する親書等もありまして、ゴルバチョフ書記長は日本に来たいと非常に強い希望を表明されておりました。こちらの方は、しからばぜひおいでいただきたい、歓迎いたします、そういうことで、向こうが来る、そういう順番で話し合いが進んでおったのでございますけれども、先方のいろいろな都合で、どういう事情か私わかりませんが、ゴルバチョフ書記長はイタリーへ行くという計画も実行できませんでした、日本に来たいという計画も実行できませんでした。恐らく米ソのINF交渉、軍縮問題とか、あるいは内政のペレストロイカというような改革問題とか、あるいはアフガニスタン問題とか、ともかくいろいろ内政、外交の重要問題が山積してきて、外国へ出るいとまがなくなったのではないかという気もいたします。
当方は一貫した平常心を持ちまして、どうぞおいでください、歓迎いたします、こう申し上げておるので、その気持ちは今でも変わっておらぬのでありますが、先方様の御都合で来られなくなったということは残念でございますが、外交には焦りというのは一番禁物でありますし、また、交渉事に期限を設けるということも甚だ拙劣な外交になりかねないので、私は、平常心を持ちまして前と同じような気持ちで、どうぞおいでください、歓迎いたします、そういうことであることは変わっておらないのであります。
この発言だけを見る →当方は一貫した平常心を持ちまして、どうぞおいでください、歓迎いたします、こう申し上げておるので、その気持ちは今でも変わっておらぬのでありますが、先方様の御都合で来られなくなったということは残念でございますが、外交には焦りというのは一番禁物でありますし、また、交渉事に期限を設けるということも甚だ拙劣な外交になりかねないので、私は、平常心を持ちまして前と同じような気持ちで、どうぞおいでください、歓迎いたします、そういうことであることは変わっておらないのであります。
川
川崎寛治#10
○川崎(寛)委員 この問題はポスト中曽根というものの課題とならざるを得ない、こういうふうに思います。ゴルバチョフ書記長が国内が忙しくてということでございましたが、外国にはあっちこっち出かけているわけでありまして、そういたしますと、日本はその中では余りプライオリティーが高くなかったというふうに言わざるを得ない、こういうふうに思います。
次には中国問題でありますが、本会議でも大変問題にされてまいりました光華寮の問題についてお尋ねをいたしたい、こういうふうに思います。
総理は所信表明で、外交関係の立場といたしましては、国際国家という立場に立つで前進をしなければならないということと、「日本の国家意思は、「一つの中国」であり、「二つの中国」等の立場をとるものではない」こういうことを言われました。しかし、国交回復をいたしまして十五年、改めて一つの中国だ、二つの中国ではないのだということを本会議で述べなければならないということは、やはり非常に緊張した関係にあるというふうに言わざるを得ない、こういうふうに思います。これは歴代内閣ではなかったことだ、こう思うのです。中曽根内閣が出現をいたしましてから、教科書問題、靖国問題、防衛費のGNP一%問題、光華寮問題、こういうぐあいに問題が山積をいたしてまいりました。大変ぎくしゃくをいたしておると思うのです。
そこで、光華寮の問題に絞って少しお尋ねをしてみたい、こう思うのでありますが、具体的なお尋ねをいたします前に、私は国際法上の問題をお尋ねをしたいと思います。
つまり、中華人民共和国、中華民国それから日本、こういう三者の関係というのは、新たに承認を受けた政府、承認を取り消された政府、承認を与え取り消した国、こういう三者の関係になるわけであります。そこで、その関係の中で考えますときに、承認を取り消された政府の大使館あるいは領事館などの建物や土地は、新たに承認された政府に所有権、支配権というのが無条件で移るものかどうか。
具体的にお尋ねをいたしますけれども、七二年の九月、中華人民共和国政府は新たに承認された政府ということになりました。そして中華民国はその時点で承認を取り消された政府、こういうことになるわけでありますが、そこで、中華民国政府の所有しておりました大使館、領事館などの建物、土地は中華人民共和国政府に移ったと思います。その具体的な事実を伺いたいと思います。
この発言だけを見る →次には中国問題でありますが、本会議でも大変問題にされてまいりました光華寮の問題についてお尋ねをいたしたい、こういうふうに思います。
総理は所信表明で、外交関係の立場といたしましては、国際国家という立場に立つで前進をしなければならないということと、「日本の国家意思は、「一つの中国」であり、「二つの中国」等の立場をとるものではない」こういうことを言われました。しかし、国交回復をいたしまして十五年、改めて一つの中国だ、二つの中国ではないのだということを本会議で述べなければならないということは、やはり非常に緊張した関係にあるというふうに言わざるを得ない、こういうふうに思います。これは歴代内閣ではなかったことだ、こう思うのです。中曽根内閣が出現をいたしましてから、教科書問題、靖国問題、防衛費のGNP一%問題、光華寮問題、こういうぐあいに問題が山積をいたしてまいりました。大変ぎくしゃくをいたしておると思うのです。
そこで、光華寮の問題に絞って少しお尋ねをしてみたい、こう思うのでありますが、具体的なお尋ねをいたします前に、私は国際法上の問題をお尋ねをしたいと思います。
つまり、中華人民共和国、中華民国それから日本、こういう三者の関係というのは、新たに承認を受けた政府、承認を取り消された政府、承認を与え取り消した国、こういう三者の関係になるわけであります。そこで、その関係の中で考えますときに、承認を取り消された政府の大使館あるいは領事館などの建物や土地は、新たに承認された政府に所有権、支配権というのが無条件で移るものかどうか。
具体的にお尋ねをいたしますけれども、七二年の九月、中華人民共和国政府は新たに承認された政府ということになりました。そして中華民国はその時点で承認を取り消された政府、こういうことになるわけでありますが、そこで、中華民国政府の所有しておりました大使館、領事館などの建物、土地は中華人民共和国政府に移ったと思います。その具体的な事実を伺いたいと思います。
斉
斉藤邦彦#11
○斉藤(邦)政府委員 ただいま御質問になられました点は係争中の裁判の内容にかかわることでございますので、若干お答えしにくいわけでございますけれども、一般論としてお答えさせていただきたいと思います。
一国の政府の承認関係が移りました場合、そのもと承認されていた国の政府が所有しておりました国有財産につきましてどのような扱いを受けるかという点に関しましては、いわゆる外交領事財産と呼ばれるようなもの、すなわち大使館とか領事館、これにつきましては新しく承認された政府の所有に移るということにつきまして、国際法上これは確立された考え方だというふうに言えると存じます。
他方、そのような外交領事財産以外の国有財産、これにつきましては国際法上必ずしも確立した原則ないし考え方というのがございません。したがいまして、日本政府といたしましては、そのようなケースにつきましては、個々の具体的なケース、そのそれぞれの特殊な事情に着目してケースごとに解決を図っていく以外にないのではないかというふうに考えております。
この発言だけを見る →一国の政府の承認関係が移りました場合、そのもと承認されていた国の政府が所有しておりました国有財産につきましてどのような扱いを受けるかという点に関しましては、いわゆる外交領事財産と呼ばれるようなもの、すなわち大使館とか領事館、これにつきましては新しく承認された政府の所有に移るということにつきまして、国際法上これは確立された考え方だというふうに言えると存じます。
他方、そのような外交領事財産以外の国有財産、これにつきましては国際法上必ずしも確立した原則ないし考え方というのがございません。したがいまして、日本政府といたしましては、そのようなケースにつきましては、個々の具体的なケース、そのそれぞれの特殊な事情に着目してケースごとに解決を図っていく以外にないのではないかというふうに考えております。
川
川崎寛治#12
○川崎(寛)委員 今、大使館、領事館などの土地、建物は、中華人民共和国政府に所有権、支配権が移ったというふうに認められたわけですね。
そうしますと、今日大変問題になっております光華寮は、移ったのか移らなかったのか、事実関係を伺いたいと思います。
この発言だけを見る →そうしますと、今日大変問題になっております光華寮は、移ったのか移らなかったのか、事実関係を伺いたいと思います。
斉
斉藤邦彦#13
○斉藤(邦)政府委員 ただいま御説明申し上げましたような考え方に従いまして、旧台湾当局が所有しておりました外交領事財産につきましては、中華人民共和国政府の所有になるように所有権の移転が行われております。
他方、それ以外の国有財産、この中に光華寮も入っておりますけれども、これにつきましてはそのような所有権移転の措置というものは行われておりません。
この発言だけを見る →他方、それ以外の国有財産、この中に光華寮も入っておりますけれども、これにつきましてはそのような所有権移転の措置というものは行われておりません。
川
川崎寛治#14
○川崎(寛)委員 その光華寮が中華人民共和国に移らなかった理由、そうするとそれは、他の国有財産とともにといいますから、この光華寮のほかにそういうものがまだたくさんあるのですか。
この発言だけを見る →斉
斉藤邦彦#15
○斉藤(邦)政府委員 若干繰り返しになりますが、光華寮は、国際法上新政府に所有が移るということについて確立した考え方がございます外交領事財産ではございませんので、日本政府といたしましては、このような性質の財産の所有権の帰属につきましては、個々のケースに即しまして最終的には裁判所の判断で決めていただかざるを得ないという判断を下したわけでございます。
二番目のお尋ねかと存じますが、光華寮のような類似の財産がほかにあるかという点でございますけれども、私の承知しておりますところでは、ほかにもごく少数でございますけれども、そのような性質の国有財産、すなわちいまだに中華人民共和国政府に所有権が移転していない財産というものも若干あるというふうに聞いております。
この発言だけを見る →二番目のお尋ねかと存じますが、光華寮のような類似の財産がほかにあるかという点でございますけれども、私の承知しておりますところでは、ほかにもごく少数でございますけれども、そのような性質の国有財産、すなわちいまだに中華人民共和国政府に所有権が移転していない財産というものも若干あるというふうに聞いております。
川
斉
斉藤邦彦#17
○斉藤(邦)政府委員 私有財産というわけではございません。これはあくまでいわゆる台湾当局が所有しておりました国有財産でございます。ただし、国有財産ではございますが、外交領事財産ではなかったために、当然のこととして自動的に中華人民共和国政府に所有権が移るという事態になっていないということでございます。
この発言だけを見る →川
斉
斉藤邦彦#19
○斉藤(邦)政府委員 ただいまお尋ねの点、私の方から御答弁するのが適当かどうかちょっと自信がございませんが、私の了解するところでは、台湾の当局の所有権のままに残っているというふうに了解しております。
この発言だけを見る →川
斉
川
川崎寛治#22
○川崎(寛)委員 それなら総理、今お聞きのように中華民国政府の所有だ、こう言うのですね。そうなりますと、日中共同声明で中国が唯一の合法政府、こういうことでお互いが確認をし、宣言をし合い、それを大原則でやってきているわけです。そうしますと今この問題は、裁判にかかわりなく、政府の承認取り消しというものが行われた時点で私は移るべきだ、そう思うのですよ、今は中華民国政府のものだ、こう言うのですから。いかがですか。
この発言だけを見る →中
中曽根康弘#23
○中曽根内閣総理大臣 そのこと自体が今係争中の問題でありまして、日本政府としては裁判の判決がどういうふうに出てくるか、それを注目しておる、そういうことなのでございます。
この発言だけを見る →川
川崎寛治#24
○川崎(寛)委員 外務省、条約に関するウィーン条約というのがありますね。条約法条約でございますが、この条約法条約の二十七条には、「当事国は、条約の不履行を正当化する根拠として自国の国内法を援用することができない。」こうあります。「自国の国内法」というのは、いわゆる三権分立というのが今の国内法の問題であります。そうしますと、光華寮は中国政府財産に移らせないということを正当化することはできない、こういうふうに思うのですが、外務省の見解を伺いたいと思います。
この発言だけを見る →斉
斉藤邦彦#25
○斉藤(邦)政府委員 条約法条約の中にただいま御指摘のような規定があることはそのとおりでございます。したがいまして、我が国といたしまして、国内法を理由に国際法上の義務を果たさないとか、あるいは三権分立のような国内体制、政治体制を理由として国際法上の義務を果たさないということを正当化できないのはそのとおりでございます。
したがいまして、司法府といえども、我が国が国として負っております国際法上の義務に拘束されることは当然でございます。現に京都地裁、大阪高裁の判決におきましても、我が国が国として負っております国際法上の義務、これを十分考慮した上で判決を出したというふうに我々は考えている次第でございます。
この発言だけを見る →したがいまして、司法府といえども、我が国が国として負っております国際法上の義務に拘束されることは当然でございます。現に京都地裁、大阪高裁の判決におきましても、我が国が国として負っております国際法上の義務、これを十分考慮した上で判決を出したというふうに我々は考えている次第でございます。
川
川崎寛治#26
○川崎(寛)委員 そうしますと、次に一般論ですが、国際法上の問題としまして、新たに承認された政府は、承認を与えた国家の法廷で訴訟を提起する権利があるのか。換言すれば、新たに承認された政府は、外国法廷における当事者能力を有することができるのか。いかがですか。
この発言だけを見る →斉
川
川崎寛治#28
○川崎(寛)委員 そうしますと、次に、承認を取り消された政府は、承認の取り消しを与えた国家の法廷において訴訟の当事者能力を有しないという説と当事者能力を有するという説と二つあるわけですが、外務省はどういう見解をとりますか。
この発言だけを見る →斉