清瀬一郎 に関する国会発言
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○石原(慎)委員 大変結構な御答弁で、そのとおりだと私は思いますけれども、ただ、このA級戦犯というクラシファイに、私は、非常に歴史的な、時間的な虚構があるということを、もう一回皆さんに思い出していただきたいと思うんですね。これは東京裁判というものの性格を非常に象徴する案件だと思います。 私は、この年ですから、恐らく国会議員の中で珍しいことに、私が中学生のときでしたけれども、二回、東京裁判というのを傍聴しに行ったことがあります。これは
○鳩山(邦)委員 やはり、多少私とは違うんですね。私は、不易のものが抜けていたことが、今日の漂流する日本、そういうふうに見えて仕方がない。 そのことをもう早々見抜いている人がいるんですね。それは鳩山一郎という人でございまして、昭和三十一年の二月に、現行の教育制度は占領下という特異な情勢のもとに行われ、我が国の実情に即しない点もありますので、教育制度の改正が慎重を期すべきことは当然ですが、次代の国民の育成に重要な影響を与えるものであり
○戸井田委員 自由民主党の戸井田とおるであります。今回、三十分ほどいただいて、御質問をさせていただきたいと思います。 今回質問させていただきますのは、化学兵器禁止条約に基づく遺棄化学兵器に関する問題であります。 もう既に御存じかと思いますけれども、月刊「正論」に掲載されている「スクープ!“遺棄化学兵器”は中国に引き渡されていた」という記事がありました。私も、一瞬その表題を見てびっくりしたわけですけれども、その著者の水間政憲氏に連
○赤松(正)委員 公明党の赤松正雄です。 この問題についての私の基本的な考え方、とりわけ教育基本法をめぐる問題についての考え方を申し上げさせていただきたいと思います。 憲法の第二十六条における教育というものに関する、「教育を受ける権利」、さらに「普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。」こういった憲法の二十六条の規定、あるいはまた八十九条の財政に関する規定がこれでいいかどうかということについては、さらに広範
○岡村参考人 ちょうどこの時代というのは、五五年体制ができて、そして、王政復古とは言いませんけれども、やはりもとへ戻りたくなった人というのは随分いたと思うんですね。 鳩山さんのこの段階の文部大臣は、その上の清瀬一郎という人でした。清瀬先生は、文部大臣は党の小使である、そういう発言をされて非常に有名になったことがあるんですけれども、僕はやはり、鳩山さんの中にも、憲法と教育基本法は一体であったという考え方があったと思うんですね。だけれど
○斉藤滋宣君 そこで、もう一つ、公述人が大変熱心に取り組んでおられます地方参政権の問題でありますけれども、戦後、一九四五年十月に閣議決定された内務省立案の選挙制度改正案のときには、外地人の選挙権、被選挙権は認められた案になっていたわけですね。それが十二月になり停止されるようになり、公職選挙法ができたときに、附則二項でもって、戸籍法の適用を受けざる者は選挙権、被選挙権も受けないという形で、いわゆる外国人に参政権は与えないということになりま
○政府委員(小野元之君) お答えを申し上げます。 三十三年の答申でございますけれども、これにつきましては、昭和三十一年の十月六日に当時の清瀬一郎文部大臣から諮問をしているわけでございます。 この諮問に至ります経緯といたしましては、当時も宗教法人のさまざまな活動に対して新聞等でさまざまな批判もあったようでございます。そういったことに関連いたしまして国会でも御論議がなされたというふうに伺っているわけでございますけれども、そういう宗教
○小野(元)政府委員 この時点では、昭和三十一年の十月六日に清瀬一郎文部大臣から諮問をいたしました。これに対して答申が出ましたのが昭和三十三年四月二十二日でございます。この間、特別委員会を十七回開催し、審議会の総会を五回開催したというふうに記憶をしております。
○板垣正君 やむを得ないやむを得ないで既成事実化して大して疑問も持たないで、もちろん戦禍は深刻でございましたし、食べるに食なし住むに家なし、こういう戦後の状況の中でありますから東京裁判は国際法的に見てどうだなんて。 一番言論が自由であったのは東京裁判の弁護団だったそうですね。さすがにあそこでは何を言おうと、だから清瀬一郎さんは堂々とこの日本の立場を主張されましたね。しかし、一歩外に出てうっかり東京裁判を批判するようなことを一口でも言
○鈴木(宗)委員 私がなぜ三十年前の話をしたかといいますと、私は当時は小学校の六年生でありまして、昭和二十三年生まれでありますから、子供心にあの安保騒動だとかデモというものが記憶に焼きついておるわけでありますけれども、ここに、総理、昭和三十五年の議事録があります。これは社会党を代表して黒田壽男さんという方が演説をぶっているんです。当時の議長は清瀬一郎先生でした。そこでこう言っているのですね。 簡単に言いますと、「新安保条約によりまし
○国務大臣(後藤田正晴君) 今御質問の中にありました国の関与、これは基準をつくってやっていくのが当たり前でないかと、こういう御意見でございますが、私そのとおり先ほどもお答えしたんです。基準をつくって、その基準の範囲の中では自主的にひとつやってもらいたい。一々許可、認可を中央に仰がなきゃいけないということは必要ないものがたくさんあるんではないか。そういう意味で私どものこの関与の改正の考え方に立っているわけですから、その点はひとつ御理解をし
○伊藤(昌)分科員 御苦労さまでございます。質問が少し変わって申しわけありませんけれども、日本人の教育に関する常識問題ですから、大臣、ひとつ腹で答えていただきたいのでありますが、まず教育基本法についてです。 中を見ますと、国家の文字が一つしか入っておりません。文化国家建設、この国家の文字だけでは子供たちに国を思う真心を教えようと思っても無理であります。伝統の文字は一つも入っていません。日本の国民をつくるには日本の国の伝統というものを
○滝沢委員 くしくもおっしゃっていただきました極東軍事裁判なるものが、清瀬一郎先生もおっしゃっておりますとおり、非情なる戦勝国が敗戦国を裁くという意味において、事実を無視ないしはなきものをあるがごとく論じ立てて、これを一方的に裁いたという、もちろん二審もなければ三審もないという裁判であったことはあなたが御存じのとおりであります。 私の申し上げたことを、仮説に対してはとおっしゃいましたけれども、一つの学説に対してはそれは定説と言い、一
○滝沢委員 くしくもおっしゃっていただきました。今、私は文教委員会においてもそのことをただしてまいったのであります。 今おっしゃいましたとおり、昭和五十七年六月二十六日以来、中国並びに韓国から歴史教科書の記載をめぐっていろいろの抗議が参りまして、前鈴木内閣の宮澤官房長官等が、最初のうちは、いや日本の教科書は間違っていないんだということをせっかくおっしゃっていたのでありますけれども、たびたびの強力なる抗議に、我々は屈したという言葉を使
○山原委員 これは、森文部大臣のお答えになるべき範疇のものではないと私は思います。だから、森大臣にお聞きすること自体心苦しいわけですけれども、これは総理大臣に出てもらわなければならぬ、罷免権ですから。しかも本法によりますと、人格識見のすぐれた人を任命をする。そして一方で、非行があれば罷免権が出てくる。これは今まで調べてみましたよ。戦後できましたあの教育刷新審議会、これも内閣直属でしたけれども、こんな条項はありません。また昭和三十一年の、
○元信委員 清瀬一郎さんまで出てまいりますと、相当のアンシャンレジームということになるわけでございます。確かに意見としてはいろいろな意見があるだろう、そのことは否定をできないと思うのです。ただ問題は、今度の教育改革でいろいろな意見のある中で、文部大臣、総理大臣とちょっと意見が違うところがあるのじゃないかと思うのですけれども、総理大臣がおっしゃっているようなものが前に出て、その問題を教育改革の中で何とかしようということになりますと、議論そ
○山原委員 このときにいろいろなことが論議されています。 例えば、何で「臨時」なのか、教育は百年の計という場合に何で「臨時」という言葉がつくのかという、大変初歩的なようでありますけれども、重大なことが随分綿密に論議をされているわけです。例えばある委員はこう言っております。「臨時雇いが会社の経営にタッチするのと同じではないか」という意見も出ておりますし、また「地道な調査や研究を軽視して、少数の体験や事例から大きな文教政策を割り出すこと
○山原委員 これは今後審議の状況の中で出てくる。問題だと思いますから、これでおきます。 一九五六年すなわち昭和三十一年ですね、あれから四分の一世紀経過していますが、その時点でやはり同じように臨時教育制度審議会が内閣直属機関として上程されまして、清瀬一郎文部大臣の当時でございますが、そのときに内閣文教両合同委員会がつくられて審議をされておることは御承知でしょうか。
○議長(灘尾弘吉君) 本日表彰を受けられました他の議員諸君のあいさつにつきましては、これを会議録に掲載することといたします。 渡海元三郎君のあいさつ このたび永年勤続議員として、院議をもって御丁重な表彰の決議を賜りました。身に余る光栄であり、感激にたえません。 四半世紀の長きにわたり、引き続き本院に在職し、今日、この栄誉に浴することができましたのも、ひとえに諸先輩同僚議員各位のご指導ご鞭撻のたまものであり、かつまた、郷土
○川俣委員 これから本論の農業なんだけれども、これだけの、かつての国会の議事録、審議要録が出てきたんだが、これは二冊とも農業基本法の策定をめぐるものを一冊にまとめたわけであります。昭和三十五年の三十八回通常国会において、明くる三十六年二月二十三日に、総理以下十二名の関係大臣が出て、このあれを提案された。それから、片や社会党の方から、その対案を出されております。 そこで委員会が実に十回、中央公聴会が二回、それから地方公聴会が、札幌、仙