石井光次郎 に関する国会発言
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○藤野委員 いや、そういう方向性だと言ってほしいというわけじゃないんですよ。あらゆる方向性が否定されませんねという、当たり前のことというか、いろいろ知見も発展しますし、そういうので実際、引き上げた国もあるわけで、可能性としては、私は当然あり得るというふうに思います。 大臣は今日の委員会でもおっしゃいましたし、四月二日の当委員会で、私に対して、今後の運用について、第一条の理念に照らして、基本的人権をしっかりと守りつつ、矯正保護につきま
○国務大臣(川端達夫君) お答えいたします。 公益法人における会長の選任は、一般論で申し上げますと、法人の人事というのはその当該法人の責任において自律的に実施されるべきものであり、そうされているというふうに思います。お尋ねの日本体育協会の会長、森元総理も大変幅広く御活躍をいただいて、大きな功績をしていただいていることは事実だというふうに思います。 過去、戦後で見ますと国会議員経験者が五名。ざっと見ますと、津島元大蔵大臣、それから
○天江説明員 先生にお答えします。 水曜会と海外広報協会との関係でございますが、石井光次郎自民党代議士が水曜会をつくられました後で、亡くなられた後に、海外広報協会の現在の理事長でございます方がこの水曜会の代表になってございます。それで、当時は海外広報協会の理事でございましたが、この方が石井光次郎さんのお孫さんに当たるという関係でございます。
○久保亘君 次に、佐川急便にかかわる問題でありますが、佐川急便は一九五七年に創設され、そして今日まで異常な発展を遂げているのでありますが、この佐川急便のもろもろの会合には自民党のそうそうたるトップメンバーが必ずと言っていいほど御出席に相なっております。創業二十周年記念パーティーには、当時もう既に佐川急便の最高顧問に就任されておりました石井光次郎元衆議院議長。それから東京佐川急便記念パーティーには田中角榮氏、一九八〇年。それから八五年、東
○国務大臣(竹下登君) ただいまの問題でございますが、昭和三十九年十一月九日でございましたが、私は内閣官房副長官を拝命いたしました。北朝鮮の日本人妻の里帰り問題は、そのころからもとより問題になっておりました。私自身、その後失脚されましたけれども朝総連の最高幹部の方とお会いをいたしまして、初めていわゆる北朝鮮に対する墓参、したがって受け入れの再入国の問題は、当時の外務大臣は椎名悦三郎先生、法務大臣は石井光次郎先生でございましたが、私が調整
○田村国務大臣 石橋内閣ができましたのは、私の記憶が間違っていなければ昭和三十一年であったと思います。そのとき私は一年生代議士でありました。私は初当選が三十年の二月でございまして、社会党でいえば石橋政嗣君と同期生でございます。年も同い年であります。 それで、私は当時石橋湛山先生に非常なあこがれを抱いておりまして、総裁選挙において、本来私の立場からいえば石井光次郎先生の応援をしなければならぬ立場であったかもしれませんけれども、私は石田
○児玉委員 私は、この審議を始めるに当たりまして、労働基準法の改正案、非常に重要な内容を持っておりますし、日本の労働者に及ぼす影響も極めて大きい。それだけに今回の審議は、十分な時間をかけて審議を尽くすことを冒頭に強く望みたいと思います。日本の労働者の労働時間短縮を速やかに実現したい。誤りなくそれをやるために、間違っても審議時間の短縮をやってはならない。このことを私は強く言いたいのです。 そこでまず、多岐にわたるこの問題の中で、私は第
○久保亘君 この予算委員会には、出席者、これを調べさせていただきますと、倉石委員長のもとに、現在も議席をお持ちの方やまだ活躍中の方がたくさん出ておられます。 この予算委員会に出ておられる委員の方々の主な方は、灘尾弘吉さん、福田赳夫さん、稻葉修さん、河本敏夫さん、櫻内義雄さん、古井喜實さん、春日一幸さんなどが出ておられ、そしてこの委員会で中曽根さんに、百万円収賄の疑惑ありということで名指しで追及を受けられた石井光次郎さん、大野伴睦さん
○林(百)委員 あなたがもらってないと言うなら、あなたの方の弁解を一応聞いておきますけれども、これも、昭和四十七年にもう政界を退かれました石井光次郎さんの後援会への献金として、五十年から五十五年の間に七千四百五十万円の献金が教科書協会からされている。 いま教科書の検定だとかあるいは偏向教育とかなんとか言われているときに、こういう教科書協会から金をもらっているというようなことを、事もあろうに今度は法務大臣になったあなたが、これはどの新
○荒尾事務総長 まず最初に、故議員前尾繁三郎さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。次いで下平正一さんの追悼演説がございます。 次に、故元副議長中村高一さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、故元議長石井光次郎さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長が弔詞を朗読されます。 次に、故日本学士院会員理学博士湯川秀樹さんに対する弔詞贈呈の報告がございまして、議長
○山下委員長 次に、元議員逝去につき弔詞贈呈報告の件についてでありますが、去る七月二十七日、元副議長中村高一君が逝去されました。また、去る九月二十日、元議長石井光次郎君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 中村君につきましては、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を、葬儀当日、議長から贈呈していただきましたので、御了承願います。 また、石井君につきましては、先般、委員会の了承を得まして、お手元の印刷物のとおりの特
○議長(福田一君) 元本院議長石井光次郎君は、去る九月二十日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。 同君に対する弔詞は、議長において去る十月十二日贈呈いたしました。これを朗読いたします。 〔総員起立〕 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに本院議長の要職につきまたしばしば国務大臣の重任にあたられ終始政党政治の発展につとめられた従二位勲一等石井光次郎君の長逝を哀悼しつつしんで弔詞をささげます ——
○山下委員長 次に、元議長石井光次郎君逝去につき弔詞贈呈の件についてでありますが、去る九月二十日、元議長石井光次郎君が逝去されました。 ここに謹んで哀悼の意を表します。 弔詞につきましては、前例に従い、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を贈呈いたしたいと思います。 この際、事務総長の朗読を求めます。 〔事務総長朗読〕 衆議院は多年憲政のために尽力しさきに本院議長の要職につきまたしばしば国務大臣の重任にあたられ終始
○榊委員 それだけじゃありません。この教科書会社につきましては、すでに一九七五年以来一億二百四十五万、この政治献金を与野党にわたって行ってきた事実を認めておるわけであります。この八月には、教科書協会日下事務局長の自殺未遂事件も起こっております。これは新聞でも大きく取り上げられました。この一億円のうち、七割を占めます七千四百五十五万円については、石井光次郎氏の政治団体蓬庵会、その会計責任者が空領収書を出していたのだという責任を認めておる、
○小川(国)委員 重光外務大臣以降、自民党の外務大臣というのは大変な数に上っておりまして、高碕外相、石橋湛山、岸信介、石井光次郎、藤山愛一郎、小坂善太郎、池田勇人、川島正次郎、これは代理ですね、大平正芳、宮津壷三、椎名悦三郎、佐藤榮作、田中角榮、これは代理ですね。三木武夫、田中伊三次、愛知揆一、大平正芳、宮澤喜一、福田赳夫――福田総理もやっていますね。それから三木武夫、田中角榮、中曾根康弘、二階堂進、木村俊夫、宮澤喜一、三木武夫、小坂善
○竹田四郎君 これはある報道に載っていたわけでありますが、あなは二月の五日の夜に、船田さん、前尾さん、椎名さん、石井光次郎さん、灘尾さん、こういう人と会いまして、今後、政府・自民党として特使を派遣したり親書を送ったりする方法はとらない、こういう申し合わせをしたと、こういうことが出ておりましたけれども、これは本当ですかどうですか、その辺を伺いたい。
○国務大臣(田中龍夫君) この団体は非常におもしろい団体でございまして、会長は岸先生でありまして、私が事務総長をしております。それから委員に相なっておりますのは、国策研究会の矢次君でありますとか、あるいは石井光次郎先生でありますとか、その程度の、もう一名は木内信胤さん等々と評論家も入っておりますが、四、五名が常任委員をいたしております。それで、あと、韓国に参りますときには希望をとりまして、そうしてその訪韓を希望するあるいは財界の方あるい
○小林(進)委員 時間が来ましたから、最後に、外務大臣、これは後で書類でお願いしたいと思うのでありますが、どういう功績があったのか、大韓民国から一等樹交勲章をおもらいになっている国会議員が大分多いようであります。ちょっと申し上げますけれども、一等樹交勲章、元総理大臣の佐藤榮作、衆議院議員椎名悦三郎、外務事務次官牛場信彦、衆議院議員岸信介、衆議院議員船田中、衆議院議員石井光次郎、矢次一夫、衆議院議員田中龍夫、参議院議員、外務委員長長谷川仁
○渡部(一)委員 これは将来大問題になりますから、私は御注目いただくように委員長にお願いしておきます。 次に、私はあなたに書類を一つ渡しておきます。政治献金です。あなたの会社は、そのころ大量のそういう機密費をつくり、政治献金を運用しておられました。このリストを私の方は自治省の古い倉庫の中から調べ上げて一応つくったわけであります。これをチェックされた上、本当かどうかをお答え願いたい。それが本当かどうか、ただいまお答えができないのならば
○市瀬参考人 私は横浜在住の市瀬朝一と申します。 私がなぜこの運動を始めたかということについてちょっと申し上げたいと思いますが、私は、たった一人の二十六歳のせがれを、十九歳の、しかも少年院を出たり入ったりしておった人間に、うちのすぐそばの橋の上で刺し殺されたのでございます。そうして、そのときはまだ息があったのですが、病院へ収容されまして二十時間後に息を引き取りました。その息を引き取る寸前に、私の手をしっかり握りまして、「おやじ、くや