石橋政嗣 に関する国会発言
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○田中(健)委員 国民民主党の田中健です。 本日最後の質問となりますので、どうぞよろしくお願いをいたします。 まず、駐留軍の関係離職者等臨時措置法についてお伺いしたいと思います。各委員から様々な質問が出ておりました。かぶるところがあるかもしれませんが、どうぞよろしくお願いをしたいと思います。 まず、歴史を振り返ってみますと、一九五一年、昭和二十六年の九月、米英など各国との戦争状態を終結させるためにサンフランシスコ平和条約が調
○藤田幸久君 先ほど、岸元総理、私は今日、岸元総理の礼賛のために来たわけじゃありませんが、例えば日米安保条約に関しましても、当時の例えば石橋政嗣議員とかの意見を取り上げて、いわゆる片務的な条約の改定になりそうな日米関係についても、かなり双務的な内容に変えていったと。それから、いわゆる事前協議制とかいろいろなことについて実は修正をしながら会っていって、日米関係、アイゼンハワー、それからダレス国務長官とも三回、四回会っているわけですが、そう
○横畠政府参考人 お尋ねにつきましては、平成十六年六月十八日の島聡衆議院議員に対する政府答弁書におきましてお答えしているところでございます。内容を引用させていただきます。 御指摘の「憲法の解釈・運用の変更」に当たり得るものを挙げれば、憲法第六十六条第二項に規定する「文民」と自衛官との関係に関する見解がある。すなわち、同項は、「内閣総理大臣その他の国務大臣は、文民でなければならない。」と定めているが、ここにいう「文民」については、その
○参考人(元島和男君) 現在、旧軍人仮定俸給年額、平成十七年四月一日、この表を見ますと、一年間に兵隊で百四十五万七千六百円、下士官百五十九万九千四百円、大将に至っては八百三十三万四千円、こういう、年々ベースアップされまして、多額の金をおもらいになっておられます。これはもちろん計算上ではこの数字のようにはならないとは思いますけれども、わずか十日、一日足らないだけでも全くもらえない人たち、そして、わずか総理大臣の書状、銀杯、記念品、これだけ
○辻委員 民主党の辻惠でございます。 この百六十二通常国会で、二度にわたって政治と金の問題について、小泉首相を初めとして質疑をさせていただきました。非常に失望をいたしました。議論にならない。 東京第二検察審査会の議決についてどう受けとめるのか、政治家として自分の意見を言ってくれというふうに言っても、はぐらかして、言わない。普通、政治家であれば、重く受けとめますというのが当然の結論であります。しかし、重く受けとめるというふうに言う
○柳沢伯夫君 ただいま議長から御報告がありましたとおり、本院議員前島秀行先生は、去る二月十日逝去されました。 今国会は、召集のあった直後から、公職選挙法改正案の審議をめぐって与野党の間は厳しい対決の様相となりましたが、前島先生は、この中で与野党調整の最前線に立って活躍しておられました。 そのさなかの二月三日夜十時ごろ、九段宿舎において突然気分の不快を訴えられ、東京女子医大病院に入院されました。そして、入院後幾ばくもなく、御家族の
○前田公述人 前田哲男でございます。 自衛隊と日本の安全保障に関心を持つ者として、審議中の日米新ガイドラインに基づく関連国内法に対し、反対する立場から、幾つかの疑問点、問題点を指摘してみたいと思います。 今お述べになった隅野参考人の御意見と基本認識を共有しながら、しかし、この場では私は、本末転倒、法の下克上という、この関連法案にあらわれた民主主義に反する法の運営に危惧の念を抱きながら、その点から指摘してみたいというふうに考えます
○山崎(泉)委員 日本社会党の山崎泉であります。 まず、伊藤運輸大臣の御就任を心からお祝いを申し上げます。今後の御活躍を御期待申し上げます。そしてまた、過日大臣には御不幸がありました。心からお悔やみを申し上げます。 私は、長崎二区から初当選をいたしました。石橋政嗣元社会党委員長、その後継者として速見魁さん、この運輸委員会に所属をしておりましたが、わずか七カ月でお亡くなりになりました心その後継者として立候補し、そしてここに立たせて
○楢崎委員 私が冒頭、安保条約は必要だという認識のもとに、だからこそ、だからこそです、あの六条、五条、事前協議、極東の範囲、どれだけ我々の先輩が議論しましたか。北海道の横路君のお父さんあるいは飛鳥田さん、岡田春夫さん、石橋政嗣さん、やったでしょう。あれだけ厳しくやったんでしょう。政府が発表しておるでしょうが。あのうち駆逐艦ヒューイット、そこから出ておるでしょうが。これは外務省の資料ですよ。今あなたが言ったようなことが書いてあるよ、言わぬ
○佐藤(観)委員 お言葉でございますけれども、国会決議というものを、第一党であることは間違いない、与党でありますけれども、自民党さんなりあるいは政府が独自に解釈をするというのは、これはあってはならないことだと思うのです。国会決議というのは、あのときは共産党さんが反対をされましたけれども、その他の政党が全会一致で国会決議ができたことは御承知のとおりであります。それを今梶山議員の方から御説明がありましたように、昨年の政府案だけで、政府案の中
○光武顕君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員速見魁君は、去る三月八日、入院先の東京国立がんセンターにおいて逝去されました。 私は、昨年十月、君が体調を崩し、入院されたと聞き、一日も早い御回復を祈っておりましたが、昨年十二月の今国会冒頭には元気なお姿を見せられて、安心していたのでありますしかるに、本年二月再び入院、御家族の手厚い看護のかいもなく、ついに御本復を見るに至らず、思いがけない急逝の悲報に接しましたことは、ま
○山崎委員 そこで明確にしておきたいことは、自衛隊の海外派兵と海外派遣が非常に混同されているということです。これは国民の皆様からすると非常にわかりにくいことでございまして、海外派兵と海外派遣、どう違うんだ、これがわからないのでございます。 海外派兵は、今日までの憲法解釈によると憲法違反であります。つまり、武力行使を伴う自衛隊の、海外に自衛隊が出ていくということは、これは憲法違反であるとされております。しかし、武力行使を伴わない形、例
○田村国務大臣 石橋内閣ができましたのは、私の記憶が間違っていなければ昭和三十一年であったと思います。そのとき私は一年生代議士でありました。私は初当選が三十年の二月でございまして、社会党でいえば石橋政嗣君と同期生でございます。年も同い年であります。 それで、私は当時石橋湛山先生に非常なあこがれを抱いておりまして、総裁選挙において、本来私の立場からいえば石井光次郎先生の応援をしなければならぬ立場であったかもしれませんけれども、私は石田
○川崎(寛)委員 大変大事な伊藤質問の時間にあえて関連をさせてもらいましたが、一九一〇年、明治四十三年の日韓併合条約に関する藤尾発言というものにつきましては、総理あるいは外務大臣がそれぞれこれまで御答弁になっておりますけれども、あいまいなままになっておりますために、第二の藤尾発言あるいは亀井発言、こういうことで相次いでおります。 そこで、私はきょうは端的にお尋ねをいたしますので、イエスかノーか、こういうことで総理はお答えいただきたい
○議長(原健三郎君) 右の結果、中曽根康弘君を、衆議院規則第十八条第二項により、本院において内閣総理大臣に指名することに決しました。 〔拍手〕 ───────────── 中曽根康弘君に投票した者の氏名 安倍晋太郎君 阿部 文男君 相沢 英之君 逢沢 一郎君 愛知 和男君 愛野興一郎君 青木 正久君 赤城 宗徳君 麻生
○国務大臣(竹下登君) 本委員会におきましても、竹田先生も鈴木先生も何か次の選挙には立候補されないというふうに聞いております。同じゼネレーションでございますから、私も感慨無量なるものがございます。 鈴木さんはたしか昭和三十七年でございました。あのころのチューチュー会というのは、ねずみ年の会でございますが、数も少のうございました。我が党は私と安倍晋太郎君、石橋政嗣先生と先生、四人の、他の役所関係もまだ皆課長さんでございましたけれども、
○綿貫委員長 これより会議を開きます。 まず、議員請暇の件についてでありますが、石橋政嗣君及び渋沢利久君より、四月十五日から二十四日まで十日間、木間章君より、四月十六日から二十六日まで十一日間、それぞれ海外旅行のため、請暇の申し出があります。 本件は、本日の本会議において議題とするに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○議長(坂田道太君) 議員請暇の件につきお諮りいたします。 石橋政嗣君及び渋沢利久君から、四月十五日より二十四日まで十日間、木間章君から、四月十六日より二十六日まで十一日間、右いずれも海外旅行のため、請暇の申し出があります。これを許可するに御異議ありませんか。 〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
○綿貫委員長 次に、国務大臣の演説に対する質疑についてでありますが、本日の本会議においては、まず日本社会党・護憲共同の石橋政嗣君、次に自由民主党・新自由国民連合の藤尾正行君、次いで日本社会党・護憲共同の清水勇君の順序で行います。 なお、質疑者の要求大臣は、お手元の印刷物のとおりであります。 ————————————— 国務大臣の演説に対する質疑 質疑者 時 間要求大臣 石橋 政嗣君(社) 三十
○石橋政嗣君 私は、日本社会党・護憲共同を代表し、中曽根首相に対して、中曽根内閣の足跡を検証しながら、施政方針演説に関連する若干の質問を行いたいと思います。(拍手) 改めて言うまでもないことでありますが、昨年は、第二次世界大戦が終結してからちょうど四十年という節目の年でございました。それも、ただ単に区切りがよいというだけでなく、十一月のレーガン、ゴルバチョフ両首脳の会談を契機として、世界の流れは、長期にわたった米ソの対決を軸とする新