文教委員会
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会
会議録情報#0
昭和六十年三月二十九日(金曜日)
午後一時四分開議
出席委員
委員長 阿部 文男君
理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君
理事 白川 勝彦君 理事 船田 元君
理事 佐藤 誼君 理事 馬場 昇君
理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君
青木 正久君 赤城 宗徳君
稻葉 修君 榎本 和平君
北川 正恭君 田川 誠一君
中村 靖君 西山敬次郎君
町村 信孝君 渡辺 栄一君
木島喜兵衞君 佐藤 徳雄君
田中 克彦君 中西 績介君
有島 重武君 伏屋 修治君
滝沢 幸助君 藤木 洋子君
山原健二郎君 江田 五月君
出席国務大臣
文 部 大 臣 松永 光君
出席政府委員
臨時教育審議会
事務局次長 齋藤 諦淳君
文部政務次官 鳩山 邦夫君
文部大臣官房長 西崎 清久君
文部大臣官房審
議官 菱村 幸彦君
文部省教育助成
局長 高石 邦男君
文部省教育助成
局長 阿部 充夫君
文部省高等教育
局長 宮地 貫一君
文部省高等教育
局私学部長 國分 正明君
文部省学術国際
局長 大崎 仁君
文化庁次長 加戸 守行君
委員外の出席者
法務省矯正局教
育課長 佐藤 一男君
文教委員会調査
室長 高木 高明君
—————————————
委員の異動
三月二十九日
辞任 補欠選任
臼井日出男君 西山敬次郎君
同日
辞任 補欠選任
西山敬次郎君 臼井日出男君
—————————————
三月二十九日
私学助成削減反対等に関する請願(木島喜兵衞
君紹介)(第二四三〇号)
私学助成の増額等に関する請願(木島喜兵衞君
紹介)(第二四三一号)
同(貝沼次郎君紹介)(第二四九七号)
同外七件(江藤隆美君紹介)(第二五四三号)
私学助成の大幅増額等に関する請願(小川国彦
君紹介)(第二四三二号)
同(小川国彦君紹介)(第二五四四号)
私学の授業料助成の実現等に関する請願(小川
国彦君紹介)(第二四八二号)
私学助成増額等に関する請願(川崎寛治君紹介
)(第二四八三号)
中学校の租税教育推進に関する請願(奥田敬和
君紹介)(第二五三五号)
同(松野頼三君紹介)(第二五三六号)
同(松野頼三君紹介)(第二五四二号)
は本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
小委員会設置に関する件
国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣
提出第一七号)
文教行政の基本施策に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午後一時四分開議
出席委員
委員長 阿部 文男君
理事 石橋 一弥君 理事 大塚 雄司君
理事 白川 勝彦君 理事 船田 元君
理事 佐藤 誼君 理事 馬場 昇君
理事 池田 克也君 理事 中野 寛成君
青木 正久君 赤城 宗徳君
稻葉 修君 榎本 和平君
北川 正恭君 田川 誠一君
中村 靖君 西山敬次郎君
町村 信孝君 渡辺 栄一君
木島喜兵衞君 佐藤 徳雄君
田中 克彦君 中西 績介君
有島 重武君 伏屋 修治君
滝沢 幸助君 藤木 洋子君
山原健二郎君 江田 五月君
出席国務大臣
文 部 大 臣 松永 光君
出席政府委員
臨時教育審議会
事務局次長 齋藤 諦淳君
文部政務次官 鳩山 邦夫君
文部大臣官房長 西崎 清久君
文部大臣官房審
議官 菱村 幸彦君
文部省教育助成
局長 高石 邦男君
文部省教育助成
局長 阿部 充夫君
文部省高等教育
局長 宮地 貫一君
文部省高等教育
局私学部長 國分 正明君
文部省学術国際
局長 大崎 仁君
文化庁次長 加戸 守行君
委員外の出席者
法務省矯正局教
育課長 佐藤 一男君
文教委員会調査
室長 高木 高明君
—————————————
委員の異動
三月二十九日
辞任 補欠選任
臼井日出男君 西山敬次郎君
同日
辞任 補欠選任
西山敬次郎君 臼井日出男君
—————————————
三月二十九日
私学助成削減反対等に関する請願(木島喜兵衞
君紹介)(第二四三〇号)
私学助成の増額等に関する請願(木島喜兵衞君
紹介)(第二四三一号)
同(貝沼次郎君紹介)(第二四九七号)
同外七件(江藤隆美君紹介)(第二五四三号)
私学助成の大幅増額等に関する請願(小川国彦
君紹介)(第二四三二号)
同(小川国彦君紹介)(第二五四四号)
私学の授業料助成の実現等に関する請願(小川
国彦君紹介)(第二四八二号)
私学助成増額等に関する請願(川崎寛治君紹介
)(第二四八三号)
中学校の租税教育推進に関する請願(奥田敬和
君紹介)(第二五三五号)
同(松野頼三君紹介)(第二五三六号)
同(松野頼三君紹介)(第二五四二号)
は本委員会に付託された。
—————————————
本日の会議に付した案件
小委員会設置に関する件
国立学校設置法の一部を改正する法律案(内閣
提出第一七号)
文教行政の基本施策に関する件
————◇—————
阿
馬
馬場昇#2
○馬場委員 文部大臣の所信に対する質問の前に、文教委員長に要請を申し上げたいことがございます。
我が党は既に委員長に、この文教委員会に臨教審の岡本会長初め各部会長を参考人として招致していただきたいということを申し込んでおるわけでございますが、第一陣の木島委員の質問のときにもおいでになりませんでした。そしてまたきょうもおいでになっていないわけでございますが、木島委員の教育改革の原点ともいうべき意見に対して、臨教審の事務局次長が来ておられましたけれども、委員長も御存じのとおりに全然話がかみ合わないわけでございまして、国権の最高の機関国会、しかも文教委員会で議論をして本質が明らかにならない、国民に十分わからない、これはやはり文教委員会の運営といたしましても、教育改革をするに当たりましても、非常に遺憾なことであろう、私はこういうぐあいに思うわけでございます。
聞くところによりますと、臨教審の作業日程というのは、三月末、今月末まで各部会の報告をまとめて、四月二十四日に審議経過の概要を発表する、六月末には改革提言を含めたところの第一次答申をするという予定で作業が進んでおるようでございます。答申しなければ出ないのだとかなんとかというようなうわさがありますけれども、六月末の答申を考えますと、実は国会は終わっているわけでございます。さらに、四月二十四日の審議経過の概要発表、その後にしたにしても、国会はもう四月二十九日までですから、審議日程がないわけでございまして、国権の最高機関である国会、文教委員会は各種審議会の委員を参考人として呼ぶということは当然の権利があるわけでございますし、さらに、教育改革というのは国政の今日最も重要な課題であるわけでございまして、この教育改革についてこの委員会が問題点を明らかにして議論をする、国民に知っていただくということは我々文教委員の任務でもあろう、実はこういうぐあいに考えるわけでございます、しかし、会長以下来ないということになりますと、今至るところに出ているわけですよね、部会長が出たり委員が出たり、いろいろなことをやっている。そしてまた、各種団体とかを呼んでヒアリングをして、委員が呼んだ団体の長とかなんとかの人に質問もやっている。公聴会もやっている。何でこの審議会をつくった文教委員会、国会に出てこれないのか、全然納得できない問題でございます。
私は、一日も早く招致をして、国民の前で教育改革の議論をしなければならぬ、こういうぐあいに思うわけでして、みずからつくった国会が、自分たちがつくった審議会の人を呼んで意見も聞けない、こういう国会の権威にかかわる問題でもございます。そういうことにつきまして、文教委員長の権限でございますので、実はぜひ岡本会長を初めしかるべき人たちをここの委員会に招致をしていただくということが第一点。
そして、招致をしていただく時期につきましては、これはもう早いにこしたことはないわけですから、今文部大臣の所信に対する質問を行っておりますが、大体各党が一巡いたしましたころ、私は三日には一巡は終わるのではないかと思いますが、そのころにぜひ臨教審の岡本会長を初めしかるべき人たちを呼んでいただきますように、委員長からしかるべく取り計らいをしていただきたいということを御要請を申し上げておきます。
この発言だけを見る →我が党は既に委員長に、この文教委員会に臨教審の岡本会長初め各部会長を参考人として招致していただきたいということを申し込んでおるわけでございますが、第一陣の木島委員の質問のときにもおいでになりませんでした。そしてまたきょうもおいでになっていないわけでございますが、木島委員の教育改革の原点ともいうべき意見に対して、臨教審の事務局次長が来ておられましたけれども、委員長も御存じのとおりに全然話がかみ合わないわけでございまして、国権の最高の機関国会、しかも文教委員会で議論をして本質が明らかにならない、国民に十分わからない、これはやはり文教委員会の運営といたしましても、教育改革をするに当たりましても、非常に遺憾なことであろう、私はこういうぐあいに思うわけでございます。
聞くところによりますと、臨教審の作業日程というのは、三月末、今月末まで各部会の報告をまとめて、四月二十四日に審議経過の概要を発表する、六月末には改革提言を含めたところの第一次答申をするという予定で作業が進んでおるようでございます。答申しなければ出ないのだとかなんとかというようなうわさがありますけれども、六月末の答申を考えますと、実は国会は終わっているわけでございます。さらに、四月二十四日の審議経過の概要発表、その後にしたにしても、国会はもう四月二十九日までですから、審議日程がないわけでございまして、国権の最高機関である国会、文教委員会は各種審議会の委員を参考人として呼ぶということは当然の権利があるわけでございますし、さらに、教育改革というのは国政の今日最も重要な課題であるわけでございまして、この教育改革についてこの委員会が問題点を明らかにして議論をする、国民に知っていただくということは我々文教委員の任務でもあろう、実はこういうぐあいに考えるわけでございます、しかし、会長以下来ないということになりますと、今至るところに出ているわけですよね、部会長が出たり委員が出たり、いろいろなことをやっている。そしてまた、各種団体とかを呼んでヒアリングをして、委員が呼んだ団体の長とかなんとかの人に質問もやっている。公聴会もやっている。何でこの審議会をつくった文教委員会、国会に出てこれないのか、全然納得できない問題でございます。
私は、一日も早く招致をして、国民の前で教育改革の議論をしなければならぬ、こういうぐあいに思うわけでして、みずからつくった国会が、自分たちがつくった審議会の人を呼んで意見も聞けない、こういう国会の権威にかかわる問題でもございます。そういうことにつきまして、文教委員長の権限でございますので、実はぜひ岡本会長を初めしかるべき人たちをここの委員会に招致をしていただくということが第一点。
そして、招致をしていただく時期につきましては、これはもう早いにこしたことはないわけですから、今文部大臣の所信に対する質問を行っておりますが、大体各党が一巡いたしましたころ、私は三日には一巡は終わるのではないかと思いますが、そのころにぜひ臨教審の岡本会長を初めしかるべき人たちを呼んでいただきますように、委員長からしかるべく取り計らいをしていただきたいということを御要請を申し上げておきます。
阿
阿部文男#3
○阿部委員長 ただいまの馬場君の御要望につきましては、先般来理事会において極めて熱心な協議が行われたわけでございます。臨教審会長を参考人として本委員会に御出席を願う方向については、各党間の意見の一致を見ているものと判断いたしております。
参考人の出席要求の時期、方法につきましては、委員長といたしましては、さらに理事諸君と協議を重ねて早急に実現できるようにいたしたいと存じます。
この発言だけを見る →参考人の出席要求の時期、方法につきましては、委員長といたしましては、さらに理事諸君と協議を重ねて早急に実現できるようにいたしたいと存じます。
馬
馬場昇#4
○馬場委員 ただいま、臨教審の会長を呼ぶ、時期については早急に呼ぶようにするという御回答をいただいたわけでございますが、重ねてお願いしておきたいのは、一巡いたします三日ごろにはそれが実現するように、委員長の格段の御努力を要請申し上げておきたいと思います。
次に、これは委員長にもかかわる問題ですが、文部大臣にもかかわる問題で、臨教審の担当大臣であるわけでございますので、特に臨教審の運営について私は注文を申し上げ、しかるべき措置をとっていただきたいということを申し上げておきたいと思います。
臨教審の委員の方々が、例えば「臨教審だより」というのがここに出ておりますけれども、ここの表紙のところに「画一主義から個性主義へ」と、こうして国民に宣伝をなさっているわけですね。画一主義とは何かということも、私が知る限りにおいては、臨教審でこういう意思統一もなされていない。臨教審は総会中心主義ということをやっておられると聞くのですけれども、個性主義というものを総会で決定されたということも聞いていない。そういう決定もしていないことをこういう宣伝の文書に書いて国民に発表しておる。このことは私は実におかしいと思う、
さらに、今たくさんのことが毎日のように実は出ているわけでございまして、入学試験の改善をどうするとか、共通一次はどうするんだとか、あるいは中高は一貫教育をするんだとか、あるいは教育の自由化論だとか、あるいは九月に入学をやらせるんだとか、とにかくこういうことがあたかも決まったかのように、あるいは宣伝を含めながら至るところで委員の人たちがしゃべっている、こういうことは、個人の意見も含めて打ち上げ花火のように上がっている、宣伝合戦みたいじゃないか。少なくとも国の百年の計を図る教育改革のその委員たるものは、こういうことは軽率だと私は思うのです。こういうことにつきまして、本当は私は、さらにうがって言うならば、何かそういうことを宣伝して一つの世論づくりをする、既成事実をつくる、そういう世論操作的な意図まで含んで発表しておる人がいるんじゃないか、こういうような気さえ実はするわけであります。
そういう点につきまして、ぜひこの運営につきまして慎重に行うように担当大臣として臨教審に申し入れをしていただきたい。これについて文部大臣、いかがでございますか。
この発言だけを見る →次に、これは委員長にもかかわる問題ですが、文部大臣にもかかわる問題で、臨教審の担当大臣であるわけでございますので、特に臨教審の運営について私は注文を申し上げ、しかるべき措置をとっていただきたいということを申し上げておきたいと思います。
臨教審の委員の方々が、例えば「臨教審だより」というのがここに出ておりますけれども、ここの表紙のところに「画一主義から個性主義へ」と、こうして国民に宣伝をなさっているわけですね。画一主義とは何かということも、私が知る限りにおいては、臨教審でこういう意思統一もなされていない。臨教審は総会中心主義ということをやっておられると聞くのですけれども、個性主義というものを総会で決定されたということも聞いていない。そういう決定もしていないことをこういう宣伝の文書に書いて国民に発表しておる。このことは私は実におかしいと思う、
さらに、今たくさんのことが毎日のように実は出ているわけでございまして、入学試験の改善をどうするとか、共通一次はどうするんだとか、あるいは中高は一貫教育をするんだとか、あるいは教育の自由化論だとか、あるいは九月に入学をやらせるんだとか、とにかくこういうことがあたかも決まったかのように、あるいは宣伝を含めながら至るところで委員の人たちがしゃべっている、こういうことは、個人の意見も含めて打ち上げ花火のように上がっている、宣伝合戦みたいじゃないか。少なくとも国の百年の計を図る教育改革のその委員たるものは、こういうことは軽率だと私は思うのです。こういうことにつきまして、本当は私は、さらにうがって言うならば、何かそういうことを宣伝して一つの世論づくりをする、既成事実をつくる、そういう世論操作的な意図まで含んで発表しておる人がいるんじゃないか、こういうような気さえ実はするわけであります。
そういう点につきまして、ぜひこの運営につきまして慎重に行うように担当大臣として臨教審に申し入れをしていただきたい。これについて文部大臣、いかがでございますか。
松
松永光#5
○松永国務大臣 御指摘の「臨教審だより」というのは、臨教審の委員の皆さん方の自主的な御判断のもとに、意見のまとまりのもとに臨時教育審議会でどういう点が議論をされておるのか、どういうことを広く国民にお知らせすることが教育改革という問題の重要性にかんがみ適当であるという御判断のもとに出されたものと私は理解いたしております。臨教審が自主的になさることでありますから、担当大臣ではありますけれども、臨教審が自主的になさることについて私の方で拘束する立場には実はないわけであります、いずれにせよ、臨教審の審議の概要等につきまして国民にお知らせするということはいいことであると思います。ただいたずらな誤解等を与えるようなことがあるとするならば、その点は臨教審で自主的にお考えいただければありがたい、こつ思うわけでありますが、私は、まだ国民にそう誤解を与えるようなことにはなっていないというふうに思っておりますのですが、今御指摘の問題につきましてはよく考えてみたい、こういうふうに思います。
この発言だけを見る →馬
馬場昇#6
○馬場委員 国民がひとしくこの運営について憂えておるというときに、担当の文部大臣が、そこまで私は考えていないとか、これはもう職務怠慢も甚だしい。少なくとも、臨教審は自由にやっていいということでなしに、法律に従って審議しなければならぬわけでしょう。したがって、国会で法律を審議いたしますときに、もろもろの約束を大臣はしたじゃないですか、臨教審はこういうぐあいに運営していくのですとか、こういうぐあいにやるのですとか、約束をして法律を成立させた、そうしてその成立した法律に基づいてやらなければならない。ところが、今はそれを逸脱しておるというのは識者がひとしく認めるところですよ。文部大臣だけがそれを認めないというのだったら、教育改革は行き先は真っ暗ですよ。そういう国民の意見があるということを、最後の段階で、しかるべきことを検討してみたいというようなことを今おっしゃいましたけれども、ぜひそういう点について考えていただきたいということを申し上げておきたいと思うのです。
例えば、そういうことを片一方でやりながら、中曽根総理大臣は委員会で、審議の経過については国会に御報告申し上げます、公開を原則にせいというときに、審議の過程についても国会に報告させます、こういうようなことまで実は約束している。そういうことを片一方で打ち上げ花火みたいにやることは、本当に私は自民党の皆さん方とお話をするときも、それはけしからぬと言われる方が多いのですよ。そういうことも申し上げておきたいと思います。
次に、これはぜひ国会として委員長も考えておいていただきたいのですが、最近、中曽根総理大臣の政治手法というのは、個人とかあるいは内閣に諮問機関をたくさんつくって、何か立法府がチェックできないような諮問機関みたいなのをつくって、たくさん政策を立てておられる。そして、そういう諮問委員会をあの人は多用する政治手法をやっている、こういうことが参議院でも予算委員会で問題になりましたね。実際また審議会を、時にはかつての枢密院みたいなところまで祭り上げようとするような意図さえ感じないこともないわけでございますけれども、参議院の予算委員会では、このことにつきまして、立法府の懸念を表明して、内閣に慎重な対応を要請されました。私はこのことについて、この衆議院の立法府といたしましても、ぜひ本当に慎重な関心、強い関心を持って立法府の運営をすべきだということを考えておりますので、委員長にそのことを意見として申し上げておきたいと思います、
次に、文部大臣にお尋ねをいたしますけれども、これは既に委員会でも何回も議論されたことですので、重なるのですけれども、非常に臨教審について心配がやはりあるわけです。これはもう御存じのとおりに、臨時教育審議会の設置法の目的のところに、もうこれ完全に大臣も御存じですが、「教育基本法の精神にのっとり、その実現を期して各般にわたる施策につき必要な改革を図ることにより、同法に規定する教育の目的の達成」——教育基本法に「規定する教育の目的の達成に資する」、これが今度臨教審をつくった目的でございます。もちろん、臨教審はこの目的に沿って運営されていかなければならないと私は思うのですが、そういう立場から最近いろいろ批判がございます。
そこで、私は結論として申し上げますと、大臣、臨教審は、まず臨教審全体の総会で、この臨時教育審議会は教育基本法を遵守してやるのだ、遵守の決議というようなものを上げて、この目的達成のために忠実にやるのだ、目的に従って忠実にやるのだということを明らかにすれば、国民の心配なんかも少しなくなるのじゃないかと思う。そういうことをするとともに、各委員というのもこの法律に基づいて任命された委員ですから、教育基本法を遵守いたしますという誓約を委員はして審議に参加すべきだ、こう思いますし、そして、そういう立場から言いますと、委員が臨教審内外で、教育基本法の改正をするのだ、こういう軽はずみな発言はすべきではないと私は思うのですが、大臣はいかがですか。
この発言だけを見る →例えば、そういうことを片一方でやりながら、中曽根総理大臣は委員会で、審議の経過については国会に御報告申し上げます、公開を原則にせいというときに、審議の過程についても国会に報告させます、こういうようなことまで実は約束している。そういうことを片一方で打ち上げ花火みたいにやることは、本当に私は自民党の皆さん方とお話をするときも、それはけしからぬと言われる方が多いのですよ。そういうことも申し上げておきたいと思います。
次に、これはぜひ国会として委員長も考えておいていただきたいのですが、最近、中曽根総理大臣の政治手法というのは、個人とかあるいは内閣に諮問機関をたくさんつくって、何か立法府がチェックできないような諮問機関みたいなのをつくって、たくさん政策を立てておられる。そして、そういう諮問委員会をあの人は多用する政治手法をやっている、こういうことが参議院でも予算委員会で問題になりましたね。実際また審議会を、時にはかつての枢密院みたいなところまで祭り上げようとするような意図さえ感じないこともないわけでございますけれども、参議院の予算委員会では、このことにつきまして、立法府の懸念を表明して、内閣に慎重な対応を要請されました。私はこのことについて、この衆議院の立法府といたしましても、ぜひ本当に慎重な関心、強い関心を持って立法府の運営をすべきだということを考えておりますので、委員長にそのことを意見として申し上げておきたいと思います、
次に、文部大臣にお尋ねをいたしますけれども、これは既に委員会でも何回も議論されたことですので、重なるのですけれども、非常に臨教審について心配がやはりあるわけです。これはもう御存じのとおりに、臨時教育審議会の設置法の目的のところに、もうこれ完全に大臣も御存じですが、「教育基本法の精神にのっとり、その実現を期して各般にわたる施策につき必要な改革を図ることにより、同法に規定する教育の目的の達成」——教育基本法に「規定する教育の目的の達成に資する」、これが今度臨教審をつくった目的でございます。もちろん、臨教審はこの目的に沿って運営されていかなければならないと私は思うのですが、そういう立場から最近いろいろ批判がございます。
そこで、私は結論として申し上げますと、大臣、臨教審は、まず臨教審全体の総会で、この臨時教育審議会は教育基本法を遵守してやるのだ、遵守の決議というようなものを上げて、この目的達成のために忠実にやるのだ、目的に従って忠実にやるのだということを明らかにすれば、国民の心配なんかも少しなくなるのじゃないかと思う。そういうことをするとともに、各委員というのもこの法律に基づいて任命された委員ですから、教育基本法を遵守いたしますという誓約を委員はして審議に参加すべきだ、こう思いますし、そして、そういう立場から言いますと、委員が臨教審内外で、教育基本法の改正をするのだ、こういう軽はずみな発言はすべきではないと私は思うのですが、大臣はいかがですか。
松
松永光#7
○松永国務大臣 先生のおっしゃるとおり、今次の教育改革は教育基本法の精神にのっとりその実現を期してなされるわけでありますから、そのための臨時教育審議会でありますので、臨教審の審議、そして審議が深まり審議会としての意見がまとまった上で出される答申というものは、教育基本法の精神にのっとった答申が出されるものと私どもは確信いたしております。
なお、委員の先生方の発言の問題をお取り上げになりましたが、私の立場からすれば、委員の先生方の言論の自由に枠をはめるなどという立場ではございません。言論というものは自由濶達になされて結構なんでありますが、しかし、臨教審の設置の目的は先ほど来申し上げておりますようにはっきりしておるわけなんでありまして、審議そのものはその精神にのっとってなされるべきものと私も考えております。
そういうことから、実は臨時教育審議会の委員の選任、そしてその同意が国会でなされた時点で、臨教審の会長さんから、教育基本法の精神にのっとって今後の審議を進めたいという旨の発言がなされておるわけでありまして、誓約書をとれとか決議とかということを先生がおっしゃいましたけれども、そうするまでもなく、委員の先生方どなたもこの設置の目的は御存じでありますし、また良識のある方々でありますから、あえてそういうことをしなくとも、審議そのものは臨教審設置法の規定に従ってなされておるわけでありまして、今後ともそういう審議がなされるものと私は信じております。
この発言だけを見る →なお、委員の先生方の発言の問題をお取り上げになりましたが、私の立場からすれば、委員の先生方の言論の自由に枠をはめるなどという立場ではございません。言論というものは自由濶達になされて結構なんでありますが、しかし、臨教審の設置の目的は先ほど来申し上げておりますようにはっきりしておるわけなんでありまして、審議そのものはその精神にのっとってなされるべきものと私も考えております。
そういうことから、実は臨時教育審議会の委員の選任、そしてその同意が国会でなされた時点で、臨教審の会長さんから、教育基本法の精神にのっとって今後の審議を進めたいという旨の発言がなされておるわけでありまして、誓約書をとれとか決議とかということを先生がおっしゃいましたけれども、そうするまでもなく、委員の先生方どなたもこの設置の目的は御存じでありますし、また良識のある方々でありますから、あえてそういうことをしなくとも、審議そのものは臨教審設置法の規定に従ってなされておるわけでありまして、今後ともそういう審議がなされるものと私は信じております。
馬
馬場昇#8
○馬場委員 今大臣も、委員の自由な言論というようなことをおっしゃいました。かつて中曽根総理大臣も、言論は自由だ、こういうことをおっしゃったわけでございますが、少なくとも、臨教審の委員の人たちが自由な議論をしていいんだったら、議論というものをやった後には必ずそこから結論というものが生まれてくるわけですよね。教育基本法を変えようというような議論をして、結論を得ないような議論をする必要はない、惑わすだけの話ですから。やはり議論をする以上は結論を得たい。そんな改革なんかできないんだから、改正なんかできないんだから。おわかりになっておると私は思うのですよね。そういう意味で、特にまた総理大臣も文部大臣も、これを審議いたしましたときに、教育基本法に基づいて進める、基本法を変える考えはないと言っているのですから、法律にそう書いてあるわけですから、これは良識がある人がいたずらに言う言葉ではない、良識のある審議会委員としての自由な言論を逸脱しておる、こういうぐあいに考えます。
このことは、なぜ私がそれを言うかと言いますと、実は世論がそういうことを見て心配しているのですよ。新聞の名前を言ってこれは恐縮ですけれども、例えば毎日新聞の社説にはこういうぐあいに書いてある。臨教審委員が教育基本法改正をほのめかすことは教育改革について有益とは思えない、このような言動はいたずらにイデオロギー的対立を持ち込むことになるんだ。さらに、朝日の社説を読みますと、教育基本法は準憲法的な性格を持っておる、その見直し論議は護憲か改憲かという鋭い政治的対立に直結している。これを臨教審で論議するということは、憲法をめぐる争いを臨教審に持ち込むことになる。あるいは臨教審と国民の間にそういう争いを持ち込むことになるわけです。だから本当に、時の政治権力が教育の場に政治的な意図を持ち込んだ、そして政治的な対立の中で教育が論じられてきた、これが日本の教育の不幸な点の一つであったと私は思うのです。だから、教育基本法、準憲法的なものの改革を言うことは、教育改革の場にいたずらにイデオロギーを持ち込むことで、国民合意の教育改革というものを進める上にとっては百害あって一利ない。そういう問題を、言論の自由でございますとか、自由に議論しなさいとか。ちゃんとこの法律には、答申が出たら尊重の義務さえ書いてあるのです。そういうことでございますので、教育基本法の論議、臨教審の運営については目的のとおりにやってもらいたい。いたずらに誤解を与えるようなことをやってもらいたくない。そういうことは念には念を入れて臨教審の委員の方々に担当大臣としてはお願いをする、要請をするということを、私はぜひ、今後この改革がうまくいくかいかぬかの基本にかかわるわけですから、この点については、大臣、どうですか。
この発言だけを見る →このことは、なぜ私がそれを言うかと言いますと、実は世論がそういうことを見て心配しているのですよ。新聞の名前を言ってこれは恐縮ですけれども、例えば毎日新聞の社説にはこういうぐあいに書いてある。臨教審委員が教育基本法改正をほのめかすことは教育改革について有益とは思えない、このような言動はいたずらにイデオロギー的対立を持ち込むことになるんだ。さらに、朝日の社説を読みますと、教育基本法は準憲法的な性格を持っておる、その見直し論議は護憲か改憲かという鋭い政治的対立に直結している。これを臨教審で論議するということは、憲法をめぐる争いを臨教審に持ち込むことになる。あるいは臨教審と国民の間にそういう争いを持ち込むことになるわけです。だから本当に、時の政治権力が教育の場に政治的な意図を持ち込んだ、そして政治的な対立の中で教育が論じられてきた、これが日本の教育の不幸な点の一つであったと私は思うのです。だから、教育基本法、準憲法的なものの改革を言うことは、教育改革の場にいたずらにイデオロギーを持ち込むことで、国民合意の教育改革というものを進める上にとっては百害あって一利ない。そういう問題を、言論の自由でございますとか、自由に議論しなさいとか。ちゃんとこの法律には、答申が出たら尊重の義務さえ書いてあるのです。そういうことでございますので、教育基本法の論議、臨教審の運営については目的のとおりにやってもらいたい。いたずらに誤解を与えるようなことをやってもらいたくない。そういうことは念には念を入れて臨教審の委員の方々に担当大臣としてはお願いをする、要請をするということを、私はぜひ、今後この改革がうまくいくかいかぬかの基本にかかわるわけですから、この点については、大臣、どうですか。
松
松永光#9
○松永国務大臣 私も教育基本法に触れる発言をなさった方を承知しております、しかし、その発言の中身をよく見てみますと、教育基本法に定めてある教育の目的、「人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者」を育成していく、あるいは教育の理念として「個人の尊厳を重んじ、真理と平和を希求する人間の育成を期する」、こういった教育基本法の精神がいかぬという議論を私は聞いたことはありません。ただ、委員の人たちのおっしゃることの中には、もう少し詳細に書き加えた方がいいのじゃなかろうか、そのことが教育基本法の精神をさらに明確にすることになるからなどという意見があるのは聞いたことがあります。これはあくまでも教育基本法の精神をもっと広めていきたい、国民にわかりやすくしたい、そういう考え方からだろうと私は推察をするわけであります。これも決して教育基本法の精神に反する議論とは私はとっていないわけであります。
ただ、いずれにせよ教育基本法の精神にのっとって改革はなされるわけでありますから、臨教審の審議、そして審議が深められた結果として出てくる答申というものは、教育基本法の精神にのっとってなされるものと私は期待をし、確信いたしておるわけであります。
この発言だけを見る →ただ、いずれにせよ教育基本法の精神にのっとって改革はなされるわけでありますから、臨教審の審議、そして審議が深められた結果として出てくる答申というものは、教育基本法の精神にのっとってなされるものと私は期待をし、確信いたしておるわけであります。
馬
馬場昇#10
○馬場委員 実は、私がそういう人の発言を聞いてみますと、今大臣言われたようには受け取れない部分が大分あるのです。例えば、名前を言って恐縮ですけれども、有田委員はこういうことを言っておられる。教育基本法に教育の目的として、宗教心、国を愛する心、伝統文化の尊重の三項目をつけ加えるべきである。これは改正ですよ。目的の改正です。そういうことを言っておられる。金杉委員は、これは今大臣が言われたのと少し近いのでしょうけれども、教育の目的に人格の完成だけでは抽象的過ぎるので、教育基本法の見直しが必要だ、見直しというのはまた問題ですけれども、必要だと言っておられる。そして、そのことを臨教審の議論に持ち込むつもりだということを、五十九年十月七日の全日本教職員連盟のシンポジウムで公の場所でおっしゃっているわけです。五十九年十一月七日に総会終了後、教育のあり方、教育理念を取り扱う第一部会長の天谷さんは、教育基本法が二十一世紀を考えた場合にそれにマッチしているかどうか、時代の要請に合っておるかどうか、皆さんの意見をよく聞きたい、臨教審の中で議論したい、そういうことをおっしゃっておる。このことは臨教審設置の目的に反しておると思うのです。これはやはり委員としては越権の発言ではなかろうか。臨教審の委員の身分というのは特別職の国家公務員でしょう。そういうぐあいに給与の方でもなっていますね。そういう身分の人がこういう発言をするというのは行き過ぎだ、やはり注意されなければならないものだ、私はこう思います。
そこで、大臣、一人一人名前を挙げて今質問したからなかなか言いにくいでしょうけれども、教育基本法について、この臨教審設置法の目的に書いてあって、先ほど言われたとおりですが、臨教審はこの目的に沿って運営をしていただくということについては、ひとつ担当大臣としてくれぐれもそれが実現できるように、誤解を受けないように今後とも努力していただくということを要請いたしますが、いかがですか。
この発言だけを見る →そこで、大臣、一人一人名前を挙げて今質問したからなかなか言いにくいでしょうけれども、教育基本法について、この臨教審設置法の目的に書いてあって、先ほど言われたとおりですが、臨教審はこの目的に沿って運営をしていただくということについては、ひとつ担当大臣としてくれぐれもそれが実現できるように、誤解を受けないように今後とも努力していただくということを要請いたしますが、いかがですか。
松
松永光#11
○松永国務大臣 有田先生の宗教的な情操云々ということですね。これは教育基本法が制定されるときにも議論になったことだそうでありますが、結局教育基本法の規定としては、第九条に「宗教に関する寛容の態度及び宗教の社会生活における地位は、教育上これを尊重しなければならない。」こういう規定が書かれております。これは人間が幸せな社会生活を送っていく上で、表現はどうするかは別といたしまして、やはり宗教に対する寛容といいますか、こういったことは必要なのだということで、教育基本法の第九条に掲げられておるわけでありまして、有田先生の御発言も、この九条の延長線上での御発言だろうと私は思うのでありまして、教育基本法の精神に反する発言とは私は受け取っていないわけであります。
それから、国を愛する心という問題をおっしゃったそうでありますけれども、人格の完成を目指す、あるいは平和的な国家及び社会の形成者となるよう教育しなければならぬなどという第一条の「教育の目的」の中の、今申した事柄は、その事柄から自分の国を愛するといったことも中には含まれておるというふうに解されるわけでありまして、それをもう少しわかりやすくしたらどうかねという有田先生の御意見だろうと思うのでありまして、必ずしもこの教育基本法の精神に反する御発言とは私は受けとめておりません。
それからまた、見直しということもありましたけれども、これは発言者が後で、私の言った見直しという意味は、おやじを見直すというのと同じような意味なんだ、もう一回おやじのよさを見直した、教育基本法のよさを改めて確認するといった趣旨だという発言もあったようであります。その意味で、今までのいろいろな御発言を見ましても、言論は自由でありますけれども、その内容を私自身はそのように理解しておるわけでありまして、そう御心配になるような御発言ではないと受け取ったわけであります。
この発言だけを見る →それから、国を愛する心という問題をおっしゃったそうでありますけれども、人格の完成を目指す、あるいは平和的な国家及び社会の形成者となるよう教育しなければならぬなどという第一条の「教育の目的」の中の、今申した事柄は、その事柄から自分の国を愛するといったことも中には含まれておるというふうに解されるわけでありまして、それをもう少しわかりやすくしたらどうかねという有田先生の御意見だろうと思うのでありまして、必ずしもこの教育基本法の精神に反する御発言とは私は受けとめておりません。
それからまた、見直しということもありましたけれども、これは発言者が後で、私の言った見直しという意味は、おやじを見直すというのと同じような意味なんだ、もう一回おやじのよさを見直した、教育基本法のよさを改めて確認するといった趣旨だという発言もあったようであります。その意味で、今までのいろいろな御発言を見ましても、言論は自由でありますけれども、その内容を私自身はそのように理解しておるわけでありまして、そう御心配になるような御発言ではないと受け取ったわけであります。
馬
馬場昇#12
○馬場委員 文部大臣、少なくとも教育改革の議論を今しているわけですよ。特に子供というのは大人の後ろ姿を見て育つとか社会を映す鏡だとか、大人の言動というのは物すごく子供に影響を与える。ましていわんや、日本の文教行政を預かる文部大臣が発言されたことは伝わっておるのですよ。国民は皆知っておる。子供も知っている人が多い。そういうときに有田さんが言われたのを、いわゆる宗教心がどうだとかあるいは愛国心がどうだとか、そういう議論を私はここで今提起しているのじゃないのですよ。あの人が言ったのは、宗教心とか、国を愛する心とか、伝統文化の尊重とか、こういう三項目を目的に加えなさい、明文化しなさいということを言っている。その必要性を言っているのじゃないのですよ。目的を変えてそれを加えなさいということを言っている。これが正しい理解ですよ、あの人の言っている言葉のだれでもそう理解しているのですよ。すると、文部大臣はなんですか、全然そう理解していない。こんな理解の仕方で本当の意味の教育改革ができますか。国民が信用しますか。そう言うたな、例えば目的を変えると言ったのは間違いですと、是は是、非は非ということを文部大臣が言い切らないようでは、教育改革なんか信用できませんよ。そのことをあえて申し上げておきたいと思います。
そこで、大臣、これはちょっと外れますけれども、中曽根総理大臣が戦後政治の総決算あるいは戦後教育の総決算というようなことを言っておられますが、あの人が至るところで発表した本とか演説の内容を読んでみますと、行政改革をまずやるのだ、その次には教育改革をやるのだ、さらに砕けた発言を引用するならば、行政改革でお座敷をきれいにするのだ、そして教育改革でさらにお座敷をきれいにするのだ、その上に新しい憲法を安置するのだ、そういうことなんかをどんどん言われておるわけでございますが、その議論はここで大臣にしようとは思いませんけれども、戦後政治の総決算とか戦後教育の総決算ということには、教育基本法の改正ということなんかは。もう何回も言っておられますけれども、考えておられないのだろうと思いますけれども、念のためそのことを次の質問のために質問しておきます。
この発言だけを見る →そこで、大臣、これはちょっと外れますけれども、中曽根総理大臣が戦後政治の総決算あるいは戦後教育の総決算というようなことを言っておられますが、あの人が至るところで発表した本とか演説の内容を読んでみますと、行政改革をまずやるのだ、その次には教育改革をやるのだ、さらに砕けた発言を引用するならば、行政改革でお座敷をきれいにするのだ、そして教育改革でさらにお座敷をきれいにするのだ、その上に新しい憲法を安置するのだ、そういうことなんかをどんどん言われておるわけでございますが、その議論はここで大臣にしようとは思いませんけれども、戦後政治の総決算とか戦後教育の総決算ということには、教育基本法の改正ということなんかは。もう何回も言っておられますけれども、考えておられないのだろうと思いますけれども、念のためそのことを次の質問のために質問しておきます。
松
馬
馬場昇#14
○馬場委員 国家百年の大計である教育改革ですから、間違いを犯そうというときには厳しく厳しく追及する営みというのが片一方に大きく国民の側からあらなければならない。
そういう意味からさらに質問するのですが、こういう意見が国民の中にあります。これは素直に聞いてください。今度の臨教審は失敗するだろう、こういう意見が出ております。その理由の第一に、委員の人選に大きな誤りを犯したということをまず挙げる人が多いです。大臣はあるいは総理大臣も、国民の各界各層を代表する人の中から選んだとおっしゃる。そう考えて選ばれたにしても、国民の側から見ますと偏っておる。実際に中曽根さんのプレーンが多過ぎるじゃないか、こういう批判が国民の中にございます。さらに言う人は、中曽根さんも宣伝好きだが、今度の臨教審の委員も宣伝好きが多いなと言う人もおります。例を挙げて言いますと、さっき言いましたように、中曽根さんが非常に好んで使われる手法、私的諮問機関で政策づくりなどをやられるのですけれども、そういう私的諮問機関の文化と教育に関する懇談会だとか平和問題研究会だとか、こういう中曽根さんの私的諮問機関の中から十名の委員が選ばれております。財界、経済界から五名、そして官僚OBなどから五名。そして、肝心な教育学者だとか哲学だとか思想関係の専門家は一人もいないのです。さらにひどいことは、大学以外の学校関係。小学校、中学校関係が一人ずつおられます。二名だけです。大臣、私は高枝の教員をしておったから言うわけではありませんけれども、六・三・三の三と三とのつながりぐあい、ここに今の日本の教育の大変な問題があるわけですね。例えば高校入試の問題あるいは大学入試の問題、三・三のつながりにかかわって一番問題を含んでおるその高等学校の代表が一人も入っていない。さらに、三つ子の魂百までと木島委員も言われましたが、それ以下の一つから三歳までの子供も大切です、その上の幼児教育の現場を知る人も一人もいないのです。そしてお母さん、女性の代表が少ない。こういうことを考えてみますと、今度の臨時教育審議会は失敗しやしないかと国民が思うのは私は当然ではなかろうか、こう思います。
大臣、この一つ一つについてお答えになる必要はありません。私が聞きたいのは、教育改革の論議というのは、本当の教育の現実に対する正しい認識、これが不可欠じゃないかと私は思うのです。そういうことから考えますと、現場関係者、教育の現実に対して正しい認識を持っている人の数が少ないというのが国民の批判ですが、どう考えられますか。その部分についてお答えください。
この発言だけを見る →そういう意味からさらに質問するのですが、こういう意見が国民の中にあります。これは素直に聞いてください。今度の臨教審は失敗するだろう、こういう意見が出ております。その理由の第一に、委員の人選に大きな誤りを犯したということをまず挙げる人が多いです。大臣はあるいは総理大臣も、国民の各界各層を代表する人の中から選んだとおっしゃる。そう考えて選ばれたにしても、国民の側から見ますと偏っておる。実際に中曽根さんのプレーンが多過ぎるじゃないか、こういう批判が国民の中にございます。さらに言う人は、中曽根さんも宣伝好きだが、今度の臨教審の委員も宣伝好きが多いなと言う人もおります。例を挙げて言いますと、さっき言いましたように、中曽根さんが非常に好んで使われる手法、私的諮問機関で政策づくりなどをやられるのですけれども、そういう私的諮問機関の文化と教育に関する懇談会だとか平和問題研究会だとか、こういう中曽根さんの私的諮問機関の中から十名の委員が選ばれております。財界、経済界から五名、そして官僚OBなどから五名。そして、肝心な教育学者だとか哲学だとか思想関係の専門家は一人もいないのです。さらにひどいことは、大学以外の学校関係。小学校、中学校関係が一人ずつおられます。二名だけです。大臣、私は高枝の教員をしておったから言うわけではありませんけれども、六・三・三の三と三とのつながりぐあい、ここに今の日本の教育の大変な問題があるわけですね。例えば高校入試の問題あるいは大学入試の問題、三・三のつながりにかかわって一番問題を含んでおるその高等学校の代表が一人も入っていない。さらに、三つ子の魂百までと木島委員も言われましたが、それ以下の一つから三歳までの子供も大切です、その上の幼児教育の現場を知る人も一人もいないのです。そしてお母さん、女性の代表が少ない。こういうことを考えてみますと、今度の臨時教育審議会は失敗しやしないかと国民が思うのは私は当然ではなかろうか、こう思います。
大臣、この一つ一つについてお答えになる必要はありません。私が聞きたいのは、教育改革の論議というのは、本当の教育の現実に対する正しい認識、これが不可欠じゃないかと私は思うのです。そういうことから考えますと、現場関係者、教育の現実に対して正しい認識を持っている人の数が少ないというのが国民の批判ですが、どう考えられますか。その部分についてお答えください。
松
松永光#15
○松永国務大臣 臨教審の委員につきましては、設置法の規定に基づきまして、人格、識見ともにすぐれた者のうちから任命されたものと私は理解しております。また、専門委員につきましては、審議会の委員構成に関し補充が必要と考えられる分野等を考えまして、高等学校等教育関係者、教育学者、教育行政に学識経験のある者、あるいは人文社会科学関係者、その他教育と社会との関係等に関する学識経験のある者等々を考慮した上で任命されたものと私は理解いたしております。
今、先生のおっしゃいました現場経験者が少ないという御批判でございますが、現場のこと等につきまして審議を深めるために必要な場合には、随時、参考人その他の形で臨教審の方においで願って事情をお聞きするという形で審議がなされておると承知いたしておりますので、実りのある審議がなされ、その答申がいただけるものと私は期待をしておるわけでございます、
この発言だけを見る →今、先生のおっしゃいました現場経験者が少ないという御批判でございますが、現場のこと等につきまして審議を深めるために必要な場合には、随時、参考人その他の形で臨教審の方においで願って事情をお聞きするという形で審議がなされておると承知いたしておりますので、実りのある審議がなされ、その答申がいただけるものと私は期待をしておるわけでございます、
馬
馬場昇#16
○馬場委員 日本国民全体の教育を考える臨教審だし、文部大臣ですわ。全国民の批判とか心配を代弁して私が質問しているのですけれども、自分たちがやっていることは一つも間違いありません、批判に対してかす耳も持たないというような今の御答弁ですね。そしてまた、血も涙もない、まさに官僚的作文の答弁しか聞けない。私は残念でたまりません。
そこで、今専門委員のことをおっしゃいました。これは、こういう反省を文部省も言っておられるのですよ。臨時教育審議会委員を選んだときに、国民から現場の実情を知っている人が少ないという批判が出た。それに対してあなた方は、本当にそういう批判はあります、専門委員を任命するときにその批判を受けて補強いたします、そういうことを言われたじゃないですか。委員を任命するときにそういう反省もなさっている。ところが、今の答弁から見ると全然反省もない。その専門委員を任命するときに、あなた方文部省の官僚も腹を立てたのじゃないですか。これは文部大臣の意見を聞いて総理大臣が任命することになっていますね。文部大臣が言わなければいかぬ。文部省では二十九人の候補者を官邸に出されたのじゃないですか。その二十九名出された中で、官邸が採用したのは十二名でしょう。そして、あと八名は官邸の方から持ち込んできた、こう伝えられております。そして、その内訳はどうでしょう。大学の先生が七名ですよ。官界OBなんかが四名、マスコミ関係が四名、財界、経済界が二名、そしてここに出てきました、高等学校長が一名、各種学校の理事長さんが一名、婦人の代表が一名、こういうぐあいになってきているのです。全然補強されていないじゃありませんか。
こういうことを見ますと、文部大臣は担当大臣でありながら余り深刻な反省もないようですけれども、国民は何と言っておりますか。もう一遍言いますよ。大体、中曽根さんが自分の考え方に近いような人をふやして、自分の望むような答申を引き出そうとしておるのじゃないか。さらに、公的諮問機関と私的諮問機関を総理大臣は間違えておるのじゃないか、混同しておるのじゃないか、こう言う人さえおるわけでございます。そういうことについては反省がなければ、先ほどのような答弁ならば答弁は要りません。しかし、こういう国民の声というものについて本当に謙虚な受けとめ方をしてこの臨教審の運営に当たらなければ、この臨教審は失敗する、こういうぐあいに思います。これは答弁要りません。
次に移りますが、教育荒廃の原因についてお尋ねいたしたいと思います。
一言で結論的なことを言いますが、今日の教育の荒廃、これはだれも認めているところでありますが、その原因は教育基本法に不備があったから生まれたものであるかどうか、この部分についてどう認識されておりますか。
この発言だけを見る →そこで、今専門委員のことをおっしゃいました。これは、こういう反省を文部省も言っておられるのですよ。臨時教育審議会委員を選んだときに、国民から現場の実情を知っている人が少ないという批判が出た。それに対してあなた方は、本当にそういう批判はあります、専門委員を任命するときにその批判を受けて補強いたします、そういうことを言われたじゃないですか。委員を任命するときにそういう反省もなさっている。ところが、今の答弁から見ると全然反省もない。その専門委員を任命するときに、あなた方文部省の官僚も腹を立てたのじゃないですか。これは文部大臣の意見を聞いて総理大臣が任命することになっていますね。文部大臣が言わなければいかぬ。文部省では二十九人の候補者を官邸に出されたのじゃないですか。その二十九名出された中で、官邸が採用したのは十二名でしょう。そして、あと八名は官邸の方から持ち込んできた、こう伝えられております。そして、その内訳はどうでしょう。大学の先生が七名ですよ。官界OBなんかが四名、マスコミ関係が四名、財界、経済界が二名、そしてここに出てきました、高等学校長が一名、各種学校の理事長さんが一名、婦人の代表が一名、こういうぐあいになってきているのです。全然補強されていないじゃありませんか。
こういうことを見ますと、文部大臣は担当大臣でありながら余り深刻な反省もないようですけれども、国民は何と言っておりますか。もう一遍言いますよ。大体、中曽根さんが自分の考え方に近いような人をふやして、自分の望むような答申を引き出そうとしておるのじゃないか。さらに、公的諮問機関と私的諮問機関を総理大臣は間違えておるのじゃないか、混同しておるのじゃないか、こう言う人さえおるわけでございます。そういうことについては反省がなければ、先ほどのような答弁ならば答弁は要りません。しかし、こういう国民の声というものについて本当に謙虚な受けとめ方をしてこの臨教審の運営に当たらなければ、この臨教審は失敗する、こういうぐあいに思います。これは答弁要りません。
次に移りますが、教育荒廃の原因についてお尋ねいたしたいと思います。
一言で結論的なことを言いますが、今日の教育の荒廃、これはだれも認めているところでありますが、その原因は教育基本法に不備があったから生まれたものであるかどうか、この部分についてどう認識されておりますか。
松
馬
馬場昇#18
○馬場委員 私もそのとおりに考えます。今日の教育の荒廃の原因はいろいろあるわけですね。学校にもある、社会にもある、その他経済の発展とか時代の趨勢とか、いろいろあると思いますけれども、その中で最も反省しなければならぬことは、この教育基本法を無視して、教育基本法の精神というのは私は人間尊重の精神だと思うのですよ。この人間尊重の精神から離れたところで教育が行われておる、そういうところに教育荒廃の原因があると思う。だから、本当に教育基本法を忠実に行えば、教育の荒廃は今日のようにはならなかったと私は思います。
大臣も御記憶と思いますけれども、ことしの二月十六日に横浜市の団地の十三階から小学校の五年のオー君が飛びおり自殺をした。このオー君が四年生のときに書いた作文というのがマスコミに出ております。何と書いてあるかといいますと、
紙がくばられた
みんな、シーンとなった
テスト戦争の始まりだ、
ミサイルのかわりにえん筆を持ち
機関じゅうのかわりにケシゴムを持つ
云々と書いて、
テスト戦争は 人生をかえる、
苦しい戦争
こういう作文をこのオー君は自殺する前年の四年のときに書いておったということがマスコミに報じられております。私はこれを見て、平和であるべき教育の中に、学校の中に受験戦争だとか受験地獄だとかという言葉が使われること自体が悲しいのですが、この競争社会に対してこのオー君は非常に抗議をしておると私は思います。
また、登校拒否をした中学二年生の作文を私はマスコミで読ませてもらいました。先生もお父さんも無理に学校に行かせようとする、来させようとする。自分はどうしていいかわからない。そして、自分を捨てて幽霊みたいになって学校に行く。そうしたら先生や父母は喜んで、毎日学校に来ている、人間やれば何でもできるわねと言う。そして、気持ちが悪いぐらいほめられた。死んだように生きるのをほめられて、学校って何だろう、先生って何だろう、競って何だろうと思った。そういう趣旨の登校拒否をしておる中学二年の作文を読みました。
また、小学生の作文でもう一つこういうのを読みました。授業のときに球根をたくさん持ってきて、一つずつとりなさいと先生が言ったから、みんなわっと我勝ちに球根をとりにきた。ところが、ある子は最後にのっそりのっそり来て、一番最後だからくたびれた小さい球根を持っていった。ところが、このことについて先生と親は、あの子は本当に競争に加わらなくて困る、こう言った。しかし、子供はそのとき何と言ったかというと、あの小さいくたばったやつはみんながとるのはいやだろうから僕が最後に行ってとったんだ、しなびた球根だって一生懸命水をやれば、お日様に当てたら花が咲くと思った、僕は育てることを一生懸命やろうと思ってとったんだ。ところが、これについて、あの子は競争力がないとか言って大人はみんな心配する。本当にこういう人間尊重の精神というものがなかったところに教育の荒廃が出てきておる、こういうぐあいに思います。
画一化とか硬直化とか批判が言われておりますけれども、私もずっと戦後教育にタッチしてきまして、やはり政府とか財界とかが教育に介入した。国家主義的な教育とか能力主義、差別主義的な教育、あるいは非常に子供とか先生を管理する教育、これは教育基本法の精神と違うのです。そういうのが行われてきた、こういうぐあいに考えます。
そこで、大臣に質問ですけれども、中教審が四六答申、四九答申を出していますね。これはみんなこの教育改革を、四六答申も、四十九年の答申なんかというのは第三の教育改革だと今も言っています。このときも非常に立派な教育改革と言われた。ところが、何にも実現をしておりませんね。この四六答申や四九の中教審答申の教育改革が何で実現できなかったのかと考えておられますか。
この発言だけを見る →大臣も御記憶と思いますけれども、ことしの二月十六日に横浜市の団地の十三階から小学校の五年のオー君が飛びおり自殺をした。このオー君が四年生のときに書いた作文というのがマスコミに出ております。何と書いてあるかといいますと、
紙がくばられた
みんな、シーンとなった
テスト戦争の始まりだ、
ミサイルのかわりにえん筆を持ち
機関じゅうのかわりにケシゴムを持つ
云々と書いて、
テスト戦争は 人生をかえる、
苦しい戦争
こういう作文をこのオー君は自殺する前年の四年のときに書いておったということがマスコミに報じられております。私はこれを見て、平和であるべき教育の中に、学校の中に受験戦争だとか受験地獄だとかという言葉が使われること自体が悲しいのですが、この競争社会に対してこのオー君は非常に抗議をしておると私は思います。
また、登校拒否をした中学二年生の作文を私はマスコミで読ませてもらいました。先生もお父さんも無理に学校に行かせようとする、来させようとする。自分はどうしていいかわからない。そして、自分を捨てて幽霊みたいになって学校に行く。そうしたら先生や父母は喜んで、毎日学校に来ている、人間やれば何でもできるわねと言う。そして、気持ちが悪いぐらいほめられた。死んだように生きるのをほめられて、学校って何だろう、先生って何だろう、競って何だろうと思った。そういう趣旨の登校拒否をしておる中学二年の作文を読みました。
また、小学生の作文でもう一つこういうのを読みました。授業のときに球根をたくさん持ってきて、一つずつとりなさいと先生が言ったから、みんなわっと我勝ちに球根をとりにきた。ところが、ある子は最後にのっそりのっそり来て、一番最後だからくたびれた小さい球根を持っていった。ところが、このことについて先生と親は、あの子は本当に競争に加わらなくて困る、こう言った。しかし、子供はそのとき何と言ったかというと、あの小さいくたばったやつはみんながとるのはいやだろうから僕が最後に行ってとったんだ、しなびた球根だって一生懸命水をやれば、お日様に当てたら花が咲くと思った、僕は育てることを一生懸命やろうと思ってとったんだ。ところが、これについて、あの子は競争力がないとか言って大人はみんな心配する。本当にこういう人間尊重の精神というものがなかったところに教育の荒廃が出てきておる、こういうぐあいに思います。
画一化とか硬直化とか批判が言われておりますけれども、私もずっと戦後教育にタッチしてきまして、やはり政府とか財界とかが教育に介入した。国家主義的な教育とか能力主義、差別主義的な教育、あるいは非常に子供とか先生を管理する教育、これは教育基本法の精神と違うのです。そういうのが行われてきた、こういうぐあいに考えます。
そこで、大臣に質問ですけれども、中教審が四六答申、四九答申を出していますね。これはみんなこの教育改革を、四六答申も、四十九年の答申なんかというのは第三の教育改革だと今も言っています。このときも非常に立派な教育改革と言われた。ところが、何にも実現をしておりませんね。この四六答申や四九の中教審答申の教育改革が何で実現できなかったのかと考えておられますか。
松
松永光#19
○松永国務大臣 四六答申の関係でお答えをする前に、先ほど球根の話がございましたが、私自身一番最後にのっそりとりにくる子供が非常にいい子じゃないかなと、三十人も四十人もの子供に一遍にとりにこさせるというのはいかがなものかな、奪い合ってとるよりは、どうせたくさん来るなら私は後でいいよ、一つ残っているだろうから、そういう気持ちを持った子供というのは、私は大変おおらかな気持ちを持っていていいんじゃないかなというふうに感じます。私のせがれも恐らくそういうせがれじゃないかなと、私は自分の子供をいい子供だと思っているんですが、そういうふうに私は感じました。そういったところに早くとりにいくのが競争に対する対応力があっていいんだというふうには私は思いません。ゆっくりとりにいく子供が案外いい子に育つんじゃないかなと思う点もあるわけでありまして、問題はそういう場合に教師がどういう対応の仕方をするかな、そこが問題だろうというふうに私は思ったわけであります。
なお、本題の四六答申のことでございますが、これは大変すばらしい答申であったというふうに私は評価しておるわけでありますけれども、その中で随分いろいろなことを教育行政の施策に反映をしてきたつもりでありますが、幾つかの点は未実施のままであることも先生御承知のとおりでございます。実施できなかった幾つかの項目につきましては、それぞれそれなりの理由があって実施ができなかったわけでありますが、そういうわけで実施可能なもの、あるいはその当時の政治情勢その他社会の情勢等からいって実施できたものと実施できないものもあったわけでありますが、相当程度四六答申は実施できた、実施できなかったものについてはそれなりの理由があったんだというふうに私は理解をしておるわけであります。
この発言だけを見る →なお、本題の四六答申のことでございますが、これは大変すばらしい答申であったというふうに私は評価しておるわけでありますけれども、その中で随分いろいろなことを教育行政の施策に反映をしてきたつもりでありますが、幾つかの点は未実施のままであることも先生御承知のとおりでございます。実施できなかった幾つかの項目につきましては、それぞれそれなりの理由があって実施ができなかったわけでありますが、そういうわけで実施可能なもの、あるいはその当時の政治情勢その他社会の情勢等からいって実施できたものと実施できないものもあったわけでありますが、相当程度四六答申は実施できた、実施できなかったものについてはそれなりの理由があったんだというふうに私は理解をしておるわけであります。
馬
馬場昇#20
○馬場委員 第三の教育改革なんと四九答申なんかのときに言われたのですよね。ところが、今大臣は大抵できたとおっしゃるけれども、ほとんどできていないのですよね。そういうことですが、そのことの議論はいたしませんが、私がここで議論して大臣に考えてもらいたかったのは、この四六答申、四九答申というのは、答申が出たときに国民から物すごく批判が巻き起こったのですよ。ああこれはいい、やろうという気持ちじゃなしに、これはおかしいという批判が巻き起こった。その原因はいろいろあると思いますけれども、私がさっきから言っておるのは、教育の主体というのは今言ったのっそり行く子供ですよね。そして、今言った登校拒否をする子供とか自殺する子供はいろいろ本音を出している。そういう一人一人の子供の心に触れるというのが教育です。だから、そういう意味で教育改革というのは、そこの子供あるいは学校で教えている教師、そしてまた父母、こういうのが教育の主体だけれども、この声がこの答申に余り反映されていなかったというところに教育改革が失敗をした原因があると私は思います。
それから、これは後で少し詳しく議論いたしますが、これはやはり財政が伴わなかったのですよね。例えば、四六答申では六十九兆だとか、四九答申では百兆とか二百兆とかを超える費用が要るような計算もできておったので、財政が負担ができなかった。さらに言うならば、やはり今、入学制度とかあるいは受験教育の頂点にある入学試験とか、受験制度の頂点になるところのいわゆる学歴という信仰、そこが変わらなければなかなか変わらない。そういういろいろなことがあって、あの四六答申、四九答申というのはうまくいかなかった、こういうぐあいに考えます。
そこで、余り時間もないのですが、大臣の気持ちをまたここで聞いておきたいのですが、教育改革というのは、何回でも繰り返して言いますが、私は繰り返して言っても絶対に言い過ぎにならぬと思うから言うのですけれども、教育の改革というのは、今の子供たちがどうなっておるのかということを正しく理解する、子供が何を考えておるのかということを正しく理解する。そして、学校がどうなっているのかということを正しく理解する。その次に、家庭がどうなっているのか、家庭教育はどうなっているのか、あるいは社会教育はどうなっているのか、地域はどうなっているのか、こういう現状をきちっととらえる。そして子供、人間という立場に立った教育改革の議論というのをしなければいけないのだと思う。
そういう意味で、私は、今臨教審が行っておる議論をずっと見ますと、何かこう臨教審は別な次元のところで議論をしておる、教育改革で議論しなければならぬところとそれておるというような感じがしてしようがない。このことは、教育を改革しなければならないというのは事実あるのですから、その中で苦しんでいる子供とかいろいろな者がおるわけですから、そういう者にとっては、今の臨教審の議論というのは非常に不幸な方向に動いているのではないか、こういうぐあいに思えてならないわけでございます。
だから、そういう意味で大臣に聞きたいのは、本当に子供が何を考えているか、どう置かれているか、学校がどうか、そして地域がどうか、こういうことを正しく理解し、そこから教育改革の方向を見出さなければならぬと思うのですが、いかがでしょう。
この発言だけを見る →それから、これは後で少し詳しく議論いたしますが、これはやはり財政が伴わなかったのですよね。例えば、四六答申では六十九兆だとか、四九答申では百兆とか二百兆とかを超える費用が要るような計算もできておったので、財政が負担ができなかった。さらに言うならば、やはり今、入学制度とかあるいは受験教育の頂点にある入学試験とか、受験制度の頂点になるところのいわゆる学歴という信仰、そこが変わらなければなかなか変わらない。そういういろいろなことがあって、あの四六答申、四九答申というのはうまくいかなかった、こういうぐあいに考えます。
そこで、余り時間もないのですが、大臣の気持ちをまたここで聞いておきたいのですが、教育改革というのは、何回でも繰り返して言いますが、私は繰り返して言っても絶対に言い過ぎにならぬと思うから言うのですけれども、教育の改革というのは、今の子供たちがどうなっておるのかということを正しく理解する、子供が何を考えておるのかということを正しく理解する。そして、学校がどうなっているのかということを正しく理解する。その次に、家庭がどうなっているのか、家庭教育はどうなっているのか、あるいは社会教育はどうなっているのか、地域はどうなっているのか、こういう現状をきちっととらえる。そして子供、人間という立場に立った教育改革の議論というのをしなければいけないのだと思う。
そういう意味で、私は、今臨教審が行っておる議論をずっと見ますと、何かこう臨教審は別な次元のところで議論をしておる、教育改革で議論しなければならぬところとそれておるというような感じがしてしようがない。このことは、教育を改革しなければならないというのは事実あるのですから、その中で苦しんでいる子供とかいろいろな者がおるわけですから、そういう者にとっては、今の臨教審の議論というのは非常に不幸な方向に動いているのではないか、こういうぐあいに思えてならないわけでございます。
だから、そういう意味で大臣に聞きたいのは、本当に子供が何を考えているか、どう置かれているか、学校がどうか、そして地域がどうか、こういうことを正しく理解し、そこから教育改革の方向を見出さなければならぬと思うのですが、いかがでしょう。
松
松永光#21
○松永国務大臣 我が国の子供は、いろいろな考え方を持ったり、いろいろな条件のもとに育ってきておる子供、種々雑多であると思います。また、子供の育つ、学校に来る前の家庭の環境、それから子供を養育してきた親の養育態度、これもまた種々雑多であると思います。学校にもいろいろな学校があろうかと思うわけでありますが、そういったことを前提にしながら、初等中等教育などいわゆる国が責務として行うべき学校教育については適切な対応ができるような、そういう施策を進めていくのが政府、文部省の務めであろう、こういうふうに私は思っております。
この発言だけを見る →馬
馬場昇#22
○馬場委員 次に、教育改革と教育財政の問題について御質問申し上げたいと思いますが、中曽根臨調行革路線という言葉がございますが、これはもう行政改革、財政再建ということ、そして今、予算の上ではだんだん削減なさっておるわけでございますが、この教育臨調路線というのは、教育費を削減するという路線で今ずっと教育財政というのは流れてきておるわけです。だから、間違って臨調行革路線、臨調の教育改革路線、これは行政改革というのは財政を再建するために削減するのだ、教育。改革も財政と教育財政を削減するのだ、こういう方向にまさかいくと思いませんけれども、警戒は我々はしておかなければならぬ問題だと思うのですが、そのことをなぜ言うかというと、こういう心配が実は出ているわけですね。
我が国の一般会計に占める教育予算、文部省所管の占める比率を見てみますと、昭和四十年、これは全一般会計に占める教育予算は一三・三%でしたね、文部省所管の予算は。ところが、昭和五十一年、一九七六年一一・四%になりました。それが、昭和五十一年からことしまでずっと下がって、この比率は下がりっ放し。ついに昭和五十六年度、一九八一年には一〇%を割りまして九・六%になっている。そうして、ことしはついに一般会計に占める教育予算、文部省所管の予算の比率は八・五%になっている。昭和五十一年からいいましても、二・九%もマイナスになっております。これを金額にしてみますと、一兆五千億円のマイナスですよ。そしてまた自治体も連動して削減しておりますものですから、国と自治体、結局五十一年からことしまで、五十一年の一一・四%を維持しておれば、に比べて三兆五百億円ぐらい削減されていることになります。だから、私は、教育改革の大前提になるのには、この教育予算というのを少なくとも昭和五十一年度規模一一・四%にする、そういうことにしますことが、教育改革の大前提にならなければいけないのじゃないか、こういうことを考えます。
さらに、日本の公教育のGNPに占める比率、これは一九八四年、去年です。総務庁の統計局の国際統計要覧から抜いたのですが、スウェーデンは九・五%、ノルウェー九・〇%、カナダ七・七%、ソ連七・〇%、アメリカが六・九%、日本は五・八%です。各国の例をずっと見てみますと、各国の例から、公教育費はGNPの七%ぐらいに日本でするのは絶対無理ではない。各国に比べてもそういうのは無理ではない。国の経済的負担でGNPの七%にするためには、経済的負担能力が日本の国はないとは言えないと私は思う。問題は、公教育に対する認識の問題、教育を大切にするかしないかという問題、そこが問題であると思います。
この七%にしたと仮定いたしますと、何と、一九八三年ですが、学校が徴収する父母の教育費負担が四兆四千億ぐらいあります。そうして国と自治体と父母の合計した教育費が一九八三年には十九・四兆円あります。これはちょうどGNPの六・九%なんですよ。だから、GNPの七%に教育予算を組むとしますと、実は自治体と父母の負担というのをゼロにしたっていいという数字になるわけでございます。そうすると、まあ自治体負担ゼロとはしませんけれども、自治体をもう少し下げても、とにかく計算上は、自治体もゼロ、父母も負担をゼロにして教育ができるのだ、こういう格好になるわけでございます。
そういう意味で、大臣にお尋ねしたいのは、やはり教育予算、教育財政というものを、ずっとGNPから、あるいは一般会計に占める予算が一一%あったから、これは一般会計に占める予算、GNPの七%ぐらい、こうしたら、物すごく日本の教育改革の基盤というものができるのじゃないかと思うのですが、この教育財政問題についての御意見を伺いたい。
この発言だけを見る →我が国の一般会計に占める教育予算、文部省所管の占める比率を見てみますと、昭和四十年、これは全一般会計に占める教育予算は一三・三%でしたね、文部省所管の予算は。ところが、昭和五十一年、一九七六年一一・四%になりました。それが、昭和五十一年からことしまでずっと下がって、この比率は下がりっ放し。ついに昭和五十六年度、一九八一年には一〇%を割りまして九・六%になっている。そうして、ことしはついに一般会計に占める教育予算、文部省所管の予算の比率は八・五%になっている。昭和五十一年からいいましても、二・九%もマイナスになっております。これを金額にしてみますと、一兆五千億円のマイナスですよ。そしてまた自治体も連動して削減しておりますものですから、国と自治体、結局五十一年からことしまで、五十一年の一一・四%を維持しておれば、に比べて三兆五百億円ぐらい削減されていることになります。だから、私は、教育改革の大前提になるのには、この教育予算というのを少なくとも昭和五十一年度規模一一・四%にする、そういうことにしますことが、教育改革の大前提にならなければいけないのじゃないか、こういうことを考えます。
さらに、日本の公教育のGNPに占める比率、これは一九八四年、去年です。総務庁の統計局の国際統計要覧から抜いたのですが、スウェーデンは九・五%、ノルウェー九・〇%、カナダ七・七%、ソ連七・〇%、アメリカが六・九%、日本は五・八%です。各国の例をずっと見てみますと、各国の例から、公教育費はGNPの七%ぐらいに日本でするのは絶対無理ではない。各国に比べてもそういうのは無理ではない。国の経済的負担でGNPの七%にするためには、経済的負担能力が日本の国はないとは言えないと私は思う。問題は、公教育に対する認識の問題、教育を大切にするかしないかという問題、そこが問題であると思います。
この七%にしたと仮定いたしますと、何と、一九八三年ですが、学校が徴収する父母の教育費負担が四兆四千億ぐらいあります。そうして国と自治体と父母の合計した教育費が一九八三年には十九・四兆円あります。これはちょうどGNPの六・九%なんですよ。だから、GNPの七%に教育予算を組むとしますと、実は自治体と父母の負担というのをゼロにしたっていいという数字になるわけでございます。そうすると、まあ自治体負担ゼロとはしませんけれども、自治体をもう少し下げても、とにかく計算上は、自治体もゼロ、父母も負担をゼロにして教育ができるのだ、こういう格好になるわけでございます。
そういう意味で、大臣にお尋ねしたいのは、やはり教育予算、教育財政というものを、ずっとGNPから、あるいは一般会計に占める予算が一一%あったから、これは一般会計に占める予算、GNPの七%ぐらい、こうしたら、物すごく日本の教育改革の基盤というものができるのじゃないかと思うのですが、この教育財政問題についての御意見を伺いたい。
西
西崎清久#23
○西崎政府委員 教育財政、国の予算における文教予算の問題、先生御指摘多々あったわけでございますが、数字の問題でちょっと申し上げますと、一般会計に占める文教予算の割合につきましては。先生御指摘の数字がそのとおりだと思うわけでございますが、一般会計の中には、先生御案内のとおり、今国債費というものが相当ふえてきております。それから地方交付税の交付金というのがかなりふえてきておりまして、私ども今文教予算のシェアを見る場合には、国の一般歳出の中に占める文教予算の割合というもので見ることが至当ではないかというふうな考え方に立っておりまして、その観点で申しますと、昭和五十五年度でございますが、一般歳出全体の中で文教予算の占める割合は一二・八%でございました。この約一四%という数字は、五十六、五十七、五十八、五十九というふうにほぼ変わっておりませんで、六十年度と五十九年度で申しますと、五十九年度が一四・〇三%でありますところ、六十年度は一四・〇四%になっておるというような姿でございまして、一般歳出に占める文教予算の割合ということからいいますと、文教予算はなかなか頑張っておるというふうに御評価いただけるのではないか。
加えまして申し上げますれば、確かに補助金は減らしているものもございます。しかし、四十人学級その他私学助成等々、六十年度は頑張っておりますので、御評価いただきたいと思うわけでございます。
この発言だけを見る →加えまして申し上げますれば、確かに補助金は減らしているものもございます。しかし、四十人学級その他私学助成等々、六十年度は頑張っておりますので、御評価いただきたいと思うわけでございます。
馬
馬場昇#24
○馬場委員 数字をまた言うと時間が余りないものですから、大臣、四六答申、四九答申ができなかった一つの原因というのは、やはり教育財政の面から応じ切れないという点があったから実現できなかった点が非常に多いのです。そういう中から、臨教審で今議論しております点について、臨教審は教育財政を議論しておるのですかということが一つ。
もう一つは、九月入学制度にしますと、半年間当初ずれますね。それで、私立大学の財政欠損が二千五百億円だということが言われております。こういう議論はしたのかどうかということ。
それから、教員の試補制度を設ける、そういたしますと、全面実施すれば千二百億円ぐらい要るんだ。
さらに、個性主義というようなことが今言われておりますけれども、これは個性主義というのを本当にやろうと思えば、いろいろありますけれども、少人数教育というものが一番いいわけですね。各国なんかは大体三十五人、二十五人の一学級規模を目指しておりますね。有田第三部会長も、NHKのテレビで聞いておりましたら、三十五人学級を考えなければならぬだろう、こういうことを言っております。そういたしますと、三十五人にしますとどれだけの金が要るのか、こういうことだってあるわけでございます。
最後の質問ですけれども、後で時間があれば言いますが、問題は、私が心配しているのは、教育の自由化とか民営化とか、さらには商品化と言う人もおるわけですけれども、このことは私は、公費の教育費、こういうのを削減するための一つの方策ではないかとも受け取っておるわけでございます。そういうことの心配もあるものですから、やはり教育改革ということの中で教育財政の占める比率というのは非常に高い、そういう中で、この教育改革を進めるに当たっては教育財政を非常にふやすということ、これが大切ではないかと思うのですが、いかがですか。
この発言だけを見る →もう一つは、九月入学制度にしますと、半年間当初ずれますね。それで、私立大学の財政欠損が二千五百億円だということが言われております。こういう議論はしたのかどうかということ。
それから、教員の試補制度を設ける、そういたしますと、全面実施すれば千二百億円ぐらい要るんだ。
さらに、個性主義というようなことが今言われておりますけれども、これは個性主義というのを本当にやろうと思えば、いろいろありますけれども、少人数教育というものが一番いいわけですね。各国なんかは大体三十五人、二十五人の一学級規模を目指しておりますね。有田第三部会長も、NHKのテレビで聞いておりましたら、三十五人学級を考えなければならぬだろう、こういうことを言っております。そういたしますと、三十五人にしますとどれだけの金が要るのか、こういうことだってあるわけでございます。
最後の質問ですけれども、後で時間があれば言いますが、問題は、私が心配しているのは、教育の自由化とか民営化とか、さらには商品化と言う人もおるわけですけれども、このことは私は、公費の教育費、こういうのを削減するための一つの方策ではないかとも受け取っておるわけでございます。そういうことの心配もあるものですから、やはり教育改革ということの中で教育財政の占める比率というのは非常に高い、そういう中で、この教育改革を進めるに当たっては教育財政を非常にふやすということ、これが大切ではないかと思うのですが、いかがですか。
松
松永光#25
○松永国務大臣 四六答申の中で実現を見なかった点が、財政上の理由から実現ができなかったのではないかという御指摘でございましたが、その財政問題の前に、大変大きな改革をすべき事項等につきましては、関係者の理解が得られなかったという点があったのではないか。例えば、先導的試行としての幼年学校構想などというものは、やはり幼稚園関係者等大変反対意見が多くて理解が得られなかった。あるいは公立と私立の学校に関する教育行政の一元化の問題も、やはりまだまだ調整ができなかった。それから、幼稚園の設置義務の問題につきましても、これまた保育所との関係でなかなか意見がまとまりにくいという面があった。こういったこともありまして実現しなかったのではないかというふうに思うわけでございます。
なお、現在の臨教審におきまして財政問題についての議論がなされておるのかというお尋ねでございますが、現在までのところ、この財政問題についての議論がなされておるとは承知いたしておりませんが、しかし、改革を進めていく場合には、財政というものもかかわりを持ってくるわけでありますから、いずれそうした議論も臨教審の中でなされることもあり得るというふうに理解をいたしております。
なお、個性主義との関係で、一学級当たりの児童生徒数のことにつきましての御指摘がございましたが、まだ臨教審の方でこの個別的な具体的な改革案についての論議はなされていないわけでありまして、個性主義というのは、今次の改革の一つの基本的な方向としての議論として出てきておる議論だというふうに私は思っております。この個性主義という考え方に基づく教育をどういうやり方でやるのかということは、これからの議論だろうというふうに思っております。
それから、いわゆる自由化とかそういう問題でございますが、これは議論をなさる先生それぞれ、何をどういうふうに自由にしていくのかという点につきましては、論者によって種々さまざまのようでありまして、総じて言えば、硬直し過ぎた現在の教育あるいは画一的に過ぎるという問題等につきまして、それを打破するインパクトとするために唱えられたものだというふうに私は聞いておるわけであります。
その他細かい事柄につきましては、政府委員をして答弁をさせたいと思います。
この発言だけを見る →なお、現在の臨教審におきまして財政問題についての議論がなされておるのかというお尋ねでございますが、現在までのところ、この財政問題についての議論がなされておるとは承知いたしておりませんが、しかし、改革を進めていく場合には、財政というものもかかわりを持ってくるわけでありますから、いずれそうした議論も臨教審の中でなされることもあり得るというふうに理解をいたしております。
なお、個性主義との関係で、一学級当たりの児童生徒数のことにつきましての御指摘がございましたが、まだ臨教審の方でこの個別的な具体的な改革案についての論議はなされていないわけでありまして、個性主義というのは、今次の改革の一つの基本的な方向としての議論として出てきておる議論だというふうに私は思っております。この個性主義という考え方に基づく教育をどういうやり方でやるのかということは、これからの議論だろうというふうに思っております。
それから、いわゆる自由化とかそういう問題でございますが、これは議論をなさる先生それぞれ、何をどういうふうに自由にしていくのかという点につきましては、論者によって種々さまざまのようでありまして、総じて言えば、硬直し過ぎた現在の教育あるいは画一的に過ぎるという問題等につきまして、それを打破するインパクトとするために唱えられたものだというふうに私は聞いておるわけであります。
その他細かい事柄につきましては、政府委員をして答弁をさせたいと思います。
馬
馬場昇#26
○馬場委員 私は、諸外国並みのGNPの七%ぐらいを教育費に使うんだというところが例えば臨教審で出る、それでもってそれを尊重して政府が実施すると、お金だけではいけませんけれども、物すごい教育改革になるというぐあいに思いますから、その辺については頑張っていただきたいと思います。
次に、とにかく最近、教育費貧乏、教育費地獄、増加の一途をたどっておりますのが父母負担の教育費の増加であることはもう御存じのとおりでございまして、家計に占める教育費の割合というのは、一九七三年以来ずっと増加の一途をたどっておるわけでございます。
文部大臣、あなたのところでお調べになった五十八年度の保護者が出した教育費調査によりますと、公立の小学校が十六万五千二百円、中学枝が十九万九千七百円、前年比で五千円アップしております。高校で、公立が二十五万九千七百円、私立が五十四万二千五百円、これは前年比、公立が七千円、私立が八千六百円アップです。幼稚園が、公立が十六万九百円、七千円アップ、私立が三十万千六百円、一万八百円アップと、こういうぐあいに保護者が出した教育費の調査がなっておるわけでございまして、今もう大学とか高校とかに二人出している五十歳から五十四歳の人の家計に占める教育費の比率は五〇%ぐらいになっているという調査さえも実はあるわけでございます。
そういう中で今度は、受験地獄で、学校に出すんじゃなしに、壁とかなんとか学校外に対する教育費、これが五年間で小学校が四・七%、中学校が八・五%、高校が七%、こういうぐあいに伸びておるわけでございまして、経済企画庁の調査でも、八割の人が本当に教育費の支出が非常にひどくなったということを今訴えておるという調査も出ておるわけでございます。もちろんこれは可処分所得の増加あるいは物価の上昇、これをはるかに超えて教育費が上昇しておることは問題でございます。
義務教育費無償の原則にもかかわらず、学校で徴収しておりますのは、年間、小学校で八万円、中学校で十二万四千円、こういう統計も出ておるわけでございまして、物すごい父母負担の増加になっております。大学へ行きますともう話にならぬわけでございまして、まず大学は、四年間で一千万時代だとよく新聞に出ておりますね。大学四年間で一千万円、私立大学は二千万円要るんだ、こう言われる時代になりました。入学時に調べてみますと、国立大学で自宅から通う人が七十二万、下宿する者は百四十一万、私立大学は自宅から行く者が百四万、下宿する者は百七十七万、これは入学時に払う金です。生活費は、自宅の者が月に大体五万三千円、寮が九万二千円、下宿している者は十一万五千円。実は入学時に要る金で、医学歯学系は一千万円をずっと超しております。そうしますと、医学とか歯学とかという学校は、普通の家庭ではもう縁のない学校になってしまっておる、こういうことが出ておるわけでございまして、私はここに大変な問題が起きておると思います。
調べてみますと、親というものは日本でも八三・一%ぐらい大学教育まで受けさせたいという希望をみんな持っている。ところが、一九七六年に短大を含めまして大学は三八・六%の進学率でしたが、それからずっと頭打ちになりまして、八四年、去年は三五・五%になってきたわけでございます。
こういう意味で、経済的にもう大学に行けないというような状態が現在出てきておるわけでございまして、これは統計でもすぐわかります。年収によって大学進学率が全然違ってくるんです。例えば一千万円以上の年収の家庭は八七%大学へ行っておりますけれども、四、五百万の年収のところは五〇%にも達していない。進学率はこういうことになっているわけでございまして、全く最近の大学の進学の機会というのは、家庭の経済力、それから大都市の方が自宅から行けるので多いわけですから、地方と大都市で地域格差がある、こういうことが実は大学進学率に反映しておる、こういうことになっておるわけでございます。
本当に現在問題なのは、本人の意欲とか本人の資質によって大学とか進学が決まるのじゃなしに、親の経済力で若い世代の学習の機会が失われてしまっておる、こういうことが問題ですので、教育改革ということを言うのであれば、この過重な教育費負担を軽減してやる、そして教育の機会均等をつくってやる、これが政府の取り組む教育改革の大きい課題ではないかと私は思うのです。憲法十四条の法のもとに平等、教育を受ける権利がある、教育基本法三条は、経済的に困難な者には国とか地方自治体は奨学の方法を講じなければならぬとなっている。そういうものからいっても、教育費の負担を軽減して教育の機会を与える、これが教育改革の最大の課題の一つではないかと思うのですが、いかがですか。
この発言だけを見る →次に、とにかく最近、教育費貧乏、教育費地獄、増加の一途をたどっておりますのが父母負担の教育費の増加であることはもう御存じのとおりでございまして、家計に占める教育費の割合というのは、一九七三年以来ずっと増加の一途をたどっておるわけでございます。
文部大臣、あなたのところでお調べになった五十八年度の保護者が出した教育費調査によりますと、公立の小学校が十六万五千二百円、中学枝が十九万九千七百円、前年比で五千円アップしております。高校で、公立が二十五万九千七百円、私立が五十四万二千五百円、これは前年比、公立が七千円、私立が八千六百円アップです。幼稚園が、公立が十六万九百円、七千円アップ、私立が三十万千六百円、一万八百円アップと、こういうぐあいに保護者が出した教育費の調査がなっておるわけでございまして、今もう大学とか高校とかに二人出している五十歳から五十四歳の人の家計に占める教育費の比率は五〇%ぐらいになっているという調査さえも実はあるわけでございます。
そういう中で今度は、受験地獄で、学校に出すんじゃなしに、壁とかなんとか学校外に対する教育費、これが五年間で小学校が四・七%、中学校が八・五%、高校が七%、こういうぐあいに伸びておるわけでございまして、経済企画庁の調査でも、八割の人が本当に教育費の支出が非常にひどくなったということを今訴えておるという調査も出ておるわけでございます。もちろんこれは可処分所得の増加あるいは物価の上昇、これをはるかに超えて教育費が上昇しておることは問題でございます。
義務教育費無償の原則にもかかわらず、学校で徴収しておりますのは、年間、小学校で八万円、中学校で十二万四千円、こういう統計も出ておるわけでございまして、物すごい父母負担の増加になっております。大学へ行きますともう話にならぬわけでございまして、まず大学は、四年間で一千万時代だとよく新聞に出ておりますね。大学四年間で一千万円、私立大学は二千万円要るんだ、こう言われる時代になりました。入学時に調べてみますと、国立大学で自宅から通う人が七十二万、下宿する者は百四十一万、私立大学は自宅から行く者が百四万、下宿する者は百七十七万、これは入学時に払う金です。生活費は、自宅の者が月に大体五万三千円、寮が九万二千円、下宿している者は十一万五千円。実は入学時に要る金で、医学歯学系は一千万円をずっと超しております。そうしますと、医学とか歯学とかという学校は、普通の家庭ではもう縁のない学校になってしまっておる、こういうことが出ておるわけでございまして、私はここに大変な問題が起きておると思います。
調べてみますと、親というものは日本でも八三・一%ぐらい大学教育まで受けさせたいという希望をみんな持っている。ところが、一九七六年に短大を含めまして大学は三八・六%の進学率でしたが、それからずっと頭打ちになりまして、八四年、去年は三五・五%になってきたわけでございます。
こういう意味で、経済的にもう大学に行けないというような状態が現在出てきておるわけでございまして、これは統計でもすぐわかります。年収によって大学進学率が全然違ってくるんです。例えば一千万円以上の年収の家庭は八七%大学へ行っておりますけれども、四、五百万の年収のところは五〇%にも達していない。進学率はこういうことになっているわけでございまして、全く最近の大学の進学の機会というのは、家庭の経済力、それから大都市の方が自宅から行けるので多いわけですから、地方と大都市で地域格差がある、こういうことが実は大学進学率に反映しておる、こういうことになっておるわけでございます。
本当に現在問題なのは、本人の意欲とか本人の資質によって大学とか進学が決まるのじゃなしに、親の経済力で若い世代の学習の機会が失われてしまっておる、こういうことが問題ですので、教育改革ということを言うのであれば、この過重な教育費負担を軽減してやる、そして教育の機会均等をつくってやる、これが政府の取り組む教育改革の大きい課題ではないかと私は思うのです。憲法十四条の法のもとに平等、教育を受ける権利がある、教育基本法三条は、経済的に困難な者には国とか地方自治体は奨学の方法を講じなければならぬとなっている。そういうものからいっても、教育費の負担を軽減して教育の機会を与える、これが教育改革の最大の課題の一つではないかと思うのですが、いかがですか。
松
松永光#27
○松永国務大臣 父兄の教育費負担の増加が大変大きな問題であるということは私もよく承知しているところであります。中でも大学の場合に、自宅通学ならまだしも、下宿して大学に通う場合の負担の大きさは大変重要な問題であると思っております。いろいろ数字を見てみますと、これはもとが高いのですから増加率だけで議論しては話にならぬわけでありますが、増加率を見ますと、消費者物価の伸び率よりもやや高い増加率、民間の春闘のベースアップ率よりもやや低い率ということで推移しておるようであります。
文部省としては、各私立学校等に、より一層負担増加にならぬような学校経営のやり方でしっかりやってもらいたいということを指導しておるわけでありますが、しかし、もとが高いわけでありますので、そこで、かねがね文部省は、育英奨学事業の拡充、私学助成の充実等に力を入れてきたわけでありまして、六十年度の予算では、育英奨学事業については総事業量が五十九年度よりは八%増加するという予算になっておりますし、また私学助成の予算は、財政の厳しい状況でありまして、ほかの分野は大体へずられたのでありますけれども、五十九年度と同額の予算が確保できたということであります。これからも、先生御指摘のように、教育費の父兄負担が過大になってまいりますと、その面から教育の機会均等という理念が失われてくることになってまいりますので、父兄負担が過大にならぬように、今申した育英奨学事業あるいは私学助成の充実その他もろもろの施策を進めてまいりまして、そして、教育基本法に言う教育の機会均等の精神が生かされていくように今後とも一生懸命努力をしてまいりたい、こう考えておるところでございます。
この発言だけを見る →文部省としては、各私立学校等に、より一層負担増加にならぬような学校経営のやり方でしっかりやってもらいたいということを指導しておるわけでありますが、しかし、もとが高いわけでありますので、そこで、かねがね文部省は、育英奨学事業の拡充、私学助成の充実等に力を入れてきたわけでありまして、六十年度の予算では、育英奨学事業については総事業量が五十九年度よりは八%増加するという予算になっておりますし、また私学助成の予算は、財政の厳しい状況でありまして、ほかの分野は大体へずられたのでありますけれども、五十九年度と同額の予算が確保できたということであります。これからも、先生御指摘のように、教育費の父兄負担が過大になってまいりますと、その面から教育の機会均等という理念が失われてくることになってまいりますので、父兄負担が過大にならぬように、今申した育英奨学事業あるいは私学助成の充実その他もろもろの施策を進めてまいりまして、そして、教育基本法に言う教育の機会均等の精神が生かされていくように今後とも一生懸命努力をしてまいりたい、こう考えておるところでございます。
馬
馬場昇#28
○馬場委員 あと、教育の自由化については、さっき言った民間活力論とか民営化論とかこういうところで触れたいのですが、時間がありませんので、最後に、この教育改革というのは二十一世紀に向けてということで、先般のこの委員会でも木島委員の議論の中でも出てきたわけでございますが、私は、二十一世紀に向けた教育改革の理念というものはやはりきちっとしておかなければならないのではないかと思います。これも大臣も御経験のとおりでございまして、十五年戦争、本当に日本の若者を、子供を、国民を死に追い込んだ軍国主義教育の反省の上に憲法、教育基本法ができたのだということは論をまつまでもないわけでございます。恒久の平和、基本的人権、主権在民、憲法のこの三大原理、そして平和と真理を追求する人間の育成、そして平和的な国家、社会の形成者をつくる、これが憲法、教育基本法の理念でございますが、もちろん今次教育改革も、二十一世紀に向けても、この教育理念というのは尊重されなければならない問題だと思います。
二十一世紀論が大分議論になったのですが、二十一世紀はどういう世紀になるのだという木島委員の質問に対しまして、大臣は、高度情報化社会になるのだ、高度技術社会になるのだ、あるいは国際化社会になると思う、高齢化社会は間違いない、こういうふうな答弁をなさっておられたわけでございます。やはりそういう方向に行くであろうと、私も当面はそう思います。しかし、問題は、この高度情報化社会、高度技術社会、国際化社会、高齢化社会というのは、平和がなくしては二十一世紀はないわけです。核戦争でも起こればもう二十一世紀はないのですから、人類もないのですから、だから、すべてこういう社会を想定するにしても、平和であるということがその基盤になっておると思います。さらに、高度情報社会とか高度技術社会とか、こういう社会を考えた場合に、民主主義というものがなければ、例えばだれかが高度情報をひとり占めにしてしまう、そうしたら情報のない者は奴隷になってしまうというようなことだって出てくる、あるいは高度技術のロボットが人間を使う、これでは人間の豊かさ、幸せというのはないわけでございまして、本当に民主主義があって、その基盤の上に立って高度情報社会、高度技術社会にならなければ、あるいは高齢化、国際化社会にならなければ、何の意味もないということは明らかでございます。だから、二十一世紀を語るときには、本当に二十一世紀というのは核兵器の存在しない平和で民主主義の世代にしなければならない、それが基盤であるということは当然過ぎるほど当然でございます。
だから、そのためには、初めて原爆の被曝を受けた日本の国民、そして日本国の教育というものに、憲法、教育基本法にもあるこの平和の理念、民主主義の理念というものが内容的にも制度的にもきちんと現実化していかなければならない、こういうぐあいに思います。今暴力とか非行とか問題にされておりますけれども、戦争というのは最大の暴力でしょう、最大の非行でしょう。それから平和と人権、国際連帯、こういうものが最高の道徳でしょう。そして、国を愛するというのは皆共通の基盤ですよ。だから、最大の非行、暴力である戦争をなくする平和と人権、そういうものが最高の道徳教育、そういうことをやることが国を愛する基盤になるんだ。こういうことを教育の原点にしておかなければいけないのではないか、私はこういうぐあいに思います。
そういうところで、私が申し上げたいのは、教育改革の中で平和教育、民主主義教育、このものを本当に大切にする、そのことが教育改革の原点であり、基盤にしなければならない、こういうことについて、大臣どう思いますか。
この発言だけを見る →二十一世紀論が大分議論になったのですが、二十一世紀はどういう世紀になるのだという木島委員の質問に対しまして、大臣は、高度情報化社会になるのだ、高度技術社会になるのだ、あるいは国際化社会になると思う、高齢化社会は間違いない、こういうふうな答弁をなさっておられたわけでございます。やはりそういう方向に行くであろうと、私も当面はそう思います。しかし、問題は、この高度情報化社会、高度技術社会、国際化社会、高齢化社会というのは、平和がなくしては二十一世紀はないわけです。核戦争でも起こればもう二十一世紀はないのですから、人類もないのですから、だから、すべてこういう社会を想定するにしても、平和であるということがその基盤になっておると思います。さらに、高度情報社会とか高度技術社会とか、こういう社会を考えた場合に、民主主義というものがなければ、例えばだれかが高度情報をひとり占めにしてしまう、そうしたら情報のない者は奴隷になってしまうというようなことだって出てくる、あるいは高度技術のロボットが人間を使う、これでは人間の豊かさ、幸せというのはないわけでございまして、本当に民主主義があって、その基盤の上に立って高度情報社会、高度技術社会にならなければ、あるいは高齢化、国際化社会にならなければ、何の意味もないということは明らかでございます。だから、二十一世紀を語るときには、本当に二十一世紀というのは核兵器の存在しない平和で民主主義の世代にしなければならない、それが基盤であるということは当然過ぎるほど当然でございます。
だから、そのためには、初めて原爆の被曝を受けた日本の国民、そして日本国の教育というものに、憲法、教育基本法にもあるこの平和の理念、民主主義の理念というものが内容的にも制度的にもきちんと現実化していかなければならない、こういうぐあいに思います。今暴力とか非行とか問題にされておりますけれども、戦争というのは最大の暴力でしょう、最大の非行でしょう。それから平和と人権、国際連帯、こういうものが最高の道徳でしょう。そして、国を愛するというのは皆共通の基盤ですよ。だから、最大の非行、暴力である戦争をなくする平和と人権、そういうものが最高の道徳教育、そういうことをやることが国を愛する基盤になるんだ。こういうことを教育の原点にしておかなければいけないのではないか、私はこういうぐあいに思います。
そういうところで、私が申し上げたいのは、教育改革の中で平和教育、民主主義教育、このものを本当に大切にする、そのことが教育改革の原点であり、基盤にしなければならない、こういうことについて、大臣どう思いますか。
松
松永光#29
○松永国務大臣 教育基本法の第一条に「教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者」を育成するというふうに我が国教育の理念と目的が明記されておりまして、これが今次教育改革につきましても、この教育基本法に明記されておる精神、これにのっとって改革を進めるということになっておるわけでありますから、教育基本法の理念と精神を踏まえての改革であることは間違いない、またそうしなければならぬ、こういうふうに思っているところでございます。
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