憲法調査会地方自治に関する調査小委員会
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会
会議録情報#0
本小委員会は平成十四年二月七日(木曜日)憲法調査会において、設置することに決した。
二月七日
本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
土屋 品子君 西田 司君
葉梨 信行君 平井 卓也君
森岡 正宏君 保岡 興治君
渡辺 博道君 筒井 信隆君
中川 正春君 中村 哲治君
永井 英慈君 江田 康幸君
武山百合子君 春名 直章君
土井たか子君 井上 喜一君
二月七日
保岡興治君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月二十八日(木曜日)
午後二時開議
出席小委員
小委員長 保岡 興治君
伊藤 公介君 西田 司君
葉梨 信行君 平井 卓也君
森岡 正宏君 渡辺 博道君
筒井 信隆君 中川 正春君
中村 哲治君 永井 英慈君
江田 康幸君 武山百合子君
春名 直章君 日森 文尋君
小池百合子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 中野 寛成君
参考人
(筑波大学教授) 岩崎美紀子君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
二月二十五日
小委員土屋品子君同日小委員辞任につき、その補欠として伊藤公介君が会長の指名で小委員に選任された。
同月二十八日
小委員中村哲治君、土井たか子君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として中村哲治君、日森文尋君及び小池百合子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員日森文尋君及び小池百合子君同日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
—————————————
本日の会議に付した案件
地方自治に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →二月七日
本小委員は会長の指名で、次のとおり選任された。
土屋 品子君 西田 司君
葉梨 信行君 平井 卓也君
森岡 正宏君 保岡 興治君
渡辺 博道君 筒井 信隆君
中川 正春君 中村 哲治君
永井 英慈君 江田 康幸君
武山百合子君 春名 直章君
土井たか子君 井上 喜一君
二月七日
保岡興治君が会長の指名で、小委員長に選任された。
平成十四年二月二十八日(木曜日)
午後二時開議
出席小委員
小委員長 保岡 興治君
伊藤 公介君 西田 司君
葉梨 信行君 平井 卓也君
森岡 正宏君 渡辺 博道君
筒井 信隆君 中川 正春君
中村 哲治君 永井 英慈君
江田 康幸君 武山百合子君
春名 直章君 日森 文尋君
小池百合子君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
憲法調査会会長代理 中野 寛成君
参考人
(筑波大学教授) 岩崎美紀子君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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二月二十五日
小委員土屋品子君同日小委員辞任につき、その補欠として伊藤公介君が会長の指名で小委員に選任された。
同月二十八日
小委員中村哲治君、土井たか子君及び井上喜一君同日委員辞任につき、その補欠として中村哲治君、日森文尋君及び小池百合子君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員日森文尋君及び小池百合子君同日委員辞任につき、その補欠として土井たか子君及び井上喜一君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
地方自治に関する件
————◇—————
保
保岡興治#1
○保岡小委員長 これより会議を開きます。
この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました保岡興治でございます。
小委員の皆様方の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
地方自治に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として筑波大学教授岩崎美紀子君に御出席をいただいております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
次に、議事の順序につきまして申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、岩崎参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →この際、一言ごあいさつを申し上げます。
先般、小委員長に選任されました保岡興治でございます。
小委員の皆様方の御協力をいただきまして、公正円満な運営に努めてまいりたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
地方自治に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として筑波大学教授岩崎美紀子君に御出席をいただいております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
次に、議事の順序につきまして申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対して質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、岩崎参考人、お願いいたします。
岩
岩崎美紀子#2
○岩崎参考人 筑波大学の岩崎でございます。座ったままで失礼いたします。
本日は、お呼びいただき、どうもありがとうございます。地方自治に関する調査小委員会ということで、地方自治についてということなのですが、とりわけ分権と連邦制についての話をということだと理解しておりますので、そのような内容で話を進めさせていただきたいと思います。
お手元に、レジュメといいましょうか、三枚で、最初のところにきょうの話させていただく概要を列挙したものがございますので、そちらに沿って話をしていきたいと思います。
まず、「地方分権改革」ということでございますけれども、地方分権というのは、今や世界的な潮流となっております。日本だけのことではございません。地方分権を推進する力というのは、これは世界的に幾つかいろいろな動きがあるのですが、それを同じような力のところにグループ分けをしますと、ここに書いてございます五つに分けることができます。
まず、民主化の動きです。民主化を求める動きが地方分権を求めるということでございます。これは、よく発展途上国等で、権力がすごく遠いところで、権威主義体制など、一部に集中しているのを自分のところに取り戻すというところで、古くは地方自治は民主主義の学校と言われたこともありますが、民主主義、民主化と地方分権は密接に結びついているということになります。
二番目は、文化的アイデンティティーです。これは、私はカナダを専門にしているのですが、特にケベックですとか、それからイギリスですとスコットランド、それからスペインのカタロニアですとかバスクとか、そういうところで文化的なアイデンティティー、自分たちの民族、言語、宗教等、そういう自分たちの民族集団、文化集団が自分たちで自治を求めたいというときに分権になるんですが、ここで重要なのは、自治を求めるときに、ただ自治をというのではなくて、ベースとなる領域を持っているということが極めて重要になります。
つまり、分権というのは、機能的な分権もあるのですけれども、地方分権という限りは、その地方地方、一定の領域を持った上で、それを自分たちの土地として、そして領域として、そこでの自治を求めるというふうになりますので、そういうふうな文化的アイデンティティーが地方分権を求めていく。
これは、余り行き過ぎますと国家にとっては統合の危機ということになりますので、バルカンなどをごらんになっていただくとわかるのですけれども、余りこれが行き過ぎるとかえって分断をしてしまうということになっていきまして、必ずしもポジティブなイメージではないということもございます。どちらの立場に立つかですけれども、そういうことでございます。
それから、近代化の終えんというのがございます。これは、キャッチアップで、挙国一致で、中央政府に権力を集中して効率的に資源を配分していこうという近代化が進むわけですけれども、それがある程度達成されますと、そこの段階で新たに自分たちの近くに権力を置いて、そこで決めていきたいというふうな動きが出てくるということになります。恐らく、日本はこの近代化の終えんに近いところがあるのかなという気がしますが、そういうことです。
それから、行財政改革というのがございます。これは特にイギリス等々で見られるんですけれども、中央政府が、自分が肥大しているのをスリムになりたいというところで、いろいろな仕事をなるべく民間と地方にゆだねるということになりますので、これも日本の現在の動きには関係があるというふうな気がいたします。
それから、五つ目はグローバリゼーションです。これは若干矛盾して聞こえるかもしれないのですけれども、国家を超えてのいろいろな国際的な協力ですとか、グローバルスタンダードも含めて、進んでいくにつれて、より身近なところに対しての人々の意識が高まるというのがございまして、グローバリゼーションが進めば、逆に、近いところに対しての意識がちょうど相殺するように高まっていくというので、グローバリゼーションも意外に地方分権の推進力ということになります。
それで、このように大きく五つに分けて地方分権を推進する力が世界あちこちであるわけです。その推進力はこのようにさまざまなのですが、分権化の潮流といいましょうか、方向としては、ある一定の方向がうかがえます。
一つは、官治分権から自治分権にということと同じなんですけれども、権限委譲から権限移譲に。ここのイジョウのイの字が、委ねる場合と移す場合でかなり異なるわけであります。どちらを使うかで、まだ官治分権的な要素が残っているか、つまり、委ねる場合、委ねるけれども何かあったらまた引き戻すということなので、まだ根っこは委ねる側にあるというふうになります。移す方は、移してしまいますので、移された方が極めて自由度が高いということになりますので、同じ権限イジョウにも違いがあるわけであります。
日本の地方分権改革を見ておりまして、やはり官治分権から自治分権へ、これは明治から始まって、今回の改革も含めてなんですけれども、ディコンセントレーションという官治分権から自治分権の方に着実に動いているということが言えると思います。
前回の改革、前回のと申しますのは地方分権推進委員会がやられた改革と理解しておりますが、この前回の改革には三つの柱というものが立つのではないかと思っております。
一つは、機関委任事務制度の廃止であります。この機関委任事務制度というのが、まさに官治分権といいましょうか、権限委譲の方でありまして、委任という言葉が出ますように、選挙で選ばれる首長の方に国の行政官庁が事務を委任してしまう、それで下級機関のように扱うというふうなことは、もう官治分権の最も顕著な型でありましたが、これが廃止されたということであります。
それから、二番目の柱としては、国の関与が縮減をされた。法定受託事務と自治事務に分かれましたので、それぞれに関与の仕方がルール化をされ、そしてそれが法定主義になったということで、いわゆる行政ラインでぎしぎしと締め上げてきたのが、もう少し透明性が高まったということになります。
三番目の柱として、これらを実効性のあるものにするためには、国地方係争処理委員会というのがなければ、何か起こったときに判断ができないということで、この国地方係争処理委員会をつくったというのが三つ目の柱だと思います。
では、これですべて終わったのかと申しますと、そうではなくて、やはり残された課題があるわけで、私は、ここにもやはり三つの課題というふうに大きく分けることができるのではないかという気がいたします。
まず一つ目の課題ですけれども、地方自治というよりは、地方分権というふうに語るときに、国と地方という二つのレベルの政府の関係をどうするかというふうに考えていくと、先ほどの機関委任事務というのは国の下請として地方があったということになりますが、この機関委任事務制度が廃止されたことによって、行政面での下請関係がなくなった。そういう意味で対等、対等というのは、イコールではなくてコーディネートというふうに英語では言うのだと思いますが、そういうふうに対等になったということだと思います。
しかしながら、同じように国と地方の関係の中で残されたものとしては、行政面ではなくて、税財政面という裏づけのところ、まさに行政を行う一番基本のところがまだ残っておるわけでありまして、したがって、国と地方の関係を見ていくとき、行政面では前回ある程度の達成を見ましたけれども、税財政面は手つかずで残っているというところが残された課題の一番目だと思います。
二番目はどこかといいますと、今度は、国と地方ではなくて、地方を見ていくわけでありますけれども、地方を見たときに、では、今のままの地方制度でやっていけるのかということになります。
明治以来、市町村は合併を繰り返して少し数は減りましたけれども、それでも三千幾つあるというふうにおっしゃられますが、府県は明治以来ほとんど同じ領域でやってきておりますので、このように人の動きが非常に大きな範囲で動くようになってくるときに、そのままの制度でいいのかということになります。これは、市町村なり都道府県の領域、狭過ぎるかということなんですが、その領域の問題と、それからもう一つは、市町村と都道府県という二つのレベル、二層制をこのまま維持するのかということであります。
例えば、都市はもう自立をして一層制にしていくということも一つの手でありますし、そうではなくて常に二層制でいくのかということも、これはもう大きなデザインをしなければいけないということで、地方制度の大きなデザインというのが残された課題として二つ目に挙げられると思います。
三つ目は、これは自治体サイドの問題でありますけれども、自治を担うだけの実力があるのかどうかということで、能力をつけるということであります。
これは何も規模を拡大するだけではなくて、説明責任ですとか、最後に申し上げようと思っていることにもつながるのですが、官官分権と言われる国と地方の権限の分権だけではなくて、市民社会への分権ということで、そこに市民のいろいろなリソースを一緒に活用できるような、いわゆる官が公を独占する状態ではなくて、民も公に参加をできる、そういうようなことが、実はローカルレベルというか、国よりも地方レベルで一番実現しやすいのではないかということも含めて、自治体が、今までのように国の方ばかりを見ていくのではなくて、みずからよって立つ領域の社会といいましょうか、地域社会を見ることができるかというのも含めて、もちろん法務能力ですとか条例とかございますので、そのような組織としての能力及び市民社会との双方向のチャネルという意味での能力も含めて、そういう自治体のあり方というのが三つ目の課題としてあるのではないかという気がいたします。
自治体の話になりましたので、二番目の「自治体の規模と能力」というところで、これはきょうの分権と連邦制というのから少し離れるのですが、どうしても触れておかなければと思いまして、この項目を立てました。
まず、規模をめぐる価値基準ということなのですが、自治体は、基礎自治体と広域自治体に分けることができまして、基礎自治体というのは市町村で、広域自治体は都道府県というふうに御理解をいただくといいと思うのです、国によって呼び方は違うんですけれども。基礎自治体のあり方をまず一番近いところから考えてみたいということでありまして、自治体の存在根拠というのは、私は二つあると思うわけであります。
一つは、近いところに参加できる、自分たちが自分たちの地域社会を経営する。そういう、経営なりいろいろなあり方なりに参加ができるということで、政治参加ということに大きな意味があると思います。地方組織があったとしても、それが単に国の機関の出先であるとすると、そこには選挙というのはございませんので、双方向のチャネルではございません。一方的に国の地方機関から作用が及ぶわけで、人々が参加というふうな双方向のチャネルがないわけであります。これが自治体と出先機関の大きな違いになります。
そのような参加ができるかどうかというのが、自治体かそれ以外の機関かというふうに分かれるところでございますけれども、政治参加ができるというのが、まさに自治体が存在する意味の一つなんであります。
そうなりますと、参加の有効性を高めるには、やはりサイズとしてはスモール・イズ・ビューティフルということになってきます。小さい方がより参加の実効性が上がるわけでありますので、小さい方がいいというふうになっていくわけであります。
しかしながら、自治体に託された役割というのはもう一つありまして、それは、公共サービスの供給であります。公共サービスと申し上げてもいろいろあるわけでございますけれども、特に基礎自治体は対人サービス、一番人に近い政府でございますので、人にサービスを提供する、供給をする、そういうのが存在の根拠になります。そうすると、ここでは規模の経済というのが働くわけで、スケールメリットがやはり出てくるわけであります。
そうすると、スモール・イズ・ビューティフルというふうに、小さい方がいろいろ参加の効果が上がるというのと、あと規模の経済、大きいことの方が経営としては成り立ちやすいというふうな、この二つの相反する価値基準といいましょうか、役割がこれまでずっと葛藤してきたということになります。しかしながら、このどちらかをとらなくてはいけないのではなくて、まさに地方制度の組みようによっては、両方とることができるということが言えると思います。
そこで、私は、海外のいろいろな基礎自治体のあり方を調べてみましたら、基礎自治体の規模が極めて小さい、小さいからたくさんあるということなんですが、そういうのと、比較的大きいというのがあります。それから、地方制度それ自体が、いろいろな制度を認め、多様性があるかということと、それから二層制、かっちり決めてしまって比較的画一的かという二つの軸になるんですけれども、それぞれに四つの象限ができるわけで、それを見ますと、多様でいろいろな制度があって、かつ自治体が非常に小さくてたくさんあるというのがアメリカなんですね。アメリカも三万以上の自治体がありますから。州によっていろいろ自治体のあり方は違うのですけれども、数からいったらすごく多いわけですね。自治体がカバーしていない地域もございますので、本当に地方制度は多様で数は多い。
アメリカの考え方としては、公共サービスは提供されればいいのであって、自治体が提供しようがどこが提供しようが別に構わない。だから、ディストリクトですとか民間の公益の機関ですか、そういうのが提供するわけで、何も選挙でもっている自治体がすべて提供するわけではございません。こういうのをアラカルト型と私は呼んでおりますけれども、そのアラカルトであります。
自治体の数はすごく多いけれども、制度としては比較的画一的であるというのがフランスでありまして、これは三万六千のコミューンがございまして、革命時代からずっとこのまま三万六千なんです。しかしながら、制度としてはかっちりとコミューン、デパルトマン、レジオンというふうに非常にはっきりと全国的に同じ制度をひいているということになります。
これも、日本はちょっと厳しいかなという気がするのは、フランスの基礎自治体はほとんど公共サービスの供給というふうな仕事を期待されておりません。実際に仕事をするのはデパルトマンという、昔は国の出先だったのですけれども、今は県ということなのですが、ナポレオンがプレフェを任命して、全国津々浦々同じようなサービスをということになってきます。そういうふうなフランス型と、日本のたくさん仕事をする市町村とはなかなかうまく結びつかないかなという気がします。
それから、自治体の規模は大きいのですけれども、制度としては多様であるというのがイギリスでありまして、これもアラカルト型で、いろいろな供給主体が公共サービスを提供するということになります。
ちなみに、イギリスは成文憲法はございませんので、地方自治の本旨などを決めたものが憲法としてはございません。したがって、議会主権なので、議会で制定法を決めていった。それが自治体のあり方を全部決めていくことになりますので、例えば、保守党では絶対に認められなかったであろうスコットランド等々の地域議会が労働党のブレアでは認められるというふうになっていきますので、政権交代で地方制度が極めて揺らぐ、変わるというところであります。その意味で、極めて中央集権的な地方制度と言えます。
北欧型というのは、これは、福祉国家のための公共サービスを提供するために、規模が大きくなくてはそれだけの仕事ができないということで、規模が比較的大きな自治体として再編しました。制度としては、二層制ということで、ある意味で画一的といいましょうか、そういう制度であります。
私は、日本は多分、この北欧型が一番土壌に合うのかなというふうな気がしておりますけれども、そのためには、基礎自治体の再編は避けて通れないということになっていきます。
それで、その基礎自治体が再編されますと、どういう形で再編されるかはわからないのですが、再編された後にどうしても出てくるのが、では、広域自治体はこのままでいいのかということになります。基礎自治体の規模が大きくなるということは、広域自治体は都道府県ですけれども、そのままのサイズでいいのかということになって、必ずここで道州制あるいは連邦制等々が出てくると思います。
私は今、基礎自治体から道州制なり連邦制を考えるアプローチをとりました。一番近い政府からというふうにとりましたけれども、国家制度から見て、基礎自治体ではなくて、まず、国に一番近い地方レベルをどうするかというふうな考え方から広域自治体を考えるというアプローチもないわけではございません。
その道州制と連邦制なんですけれども、これは、私も並べて書いてしまいましたけれども、道州制、連邦制というふうによく並べるのですが、制度は本質的に違います。例えば君主制と共和制が違うように、議院内閣制と大統領制が違うように、連邦制と単一制では違います。一番大きな違いは何かといいますと、連邦制度をとる限り、憲法に、二つのレベルの政府、中央と地方になるのですが、二つのレベルの政府の間の立法権の分割が明記されなくては連邦制度とは言えません。
世界に、つぶれたりいろいろ動いておりますので十五、六、七ぐらいでしょうか、連邦国家がございますけれども、連邦制というふうに言えるのは、これはまさに世界基準ですが、すべて憲法に立法権の分割が明記されているところであります。いかに分権的な国家であろうが、単一制度でも分権的な国家があるわけで、連邦制をとっていても集権的な国家があるわけでありますけれども、政治制度としての連邦制を見る限り、その立法権の分割を書いた憲法が必要であります。
分割の仕方なのですが、その立法権、権限自体を分割できるのではなくて、立法する分野を分割しているわけでありまして、例えば防衛ですとか通貨ですとか外交ですとか、国家の存立にかかわるものは連邦議会が立法をするという書き方です。
いろいろな書き方があるのですけれども、アメリカが世界で最初に連邦制度を国家制度とした国なのですが、その書き方は、いろいろな州、ステートが集まって国家政府をつくり上げていくわけで、なるべく国家の権限を限定したいということで、連邦の権限を列挙しておりまして、それ以外は州に属するというふうな書き方をします。それ以外は州に属するというようなことでも、立法権が分割されたことになります。
私はカナダを専門にしておりますけれども、カナダは、連邦議会が立法できる分野と州議会が立法できる分野を双方列挙しておりまして、それ以外の列挙しない残余権限は連邦に属するというふうにしておりまして、いろいろなバリエーションがあるわけでありますけれども、それは、それぞれの国がどのような権限を連邦を構成する地域政府に任せるかどうかというところでありまして、この権限分割のデザインによって、たとえ連邦制をとっていても、極めて集権的な国も出てくるわけであります。
例えばラテンアメリカ、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、メキシコというのは連邦制度です。しかし、分権的かと言われると、多分そうではないというふうに思われると思いますが、憲法を見ても、連邦議会の列挙権限のリストが非常に長くあって、それ以外は州にというふうに書いてございますので、れっきとした連邦憲法なんですけれども、それ以外は一体何があるのかというぐらい長いリストなわけですね。でも、それでも連邦制なんです。
日本国憲法も、地方自治の本旨と書いてございますし、地方自治の章も第八章がございますけれども、立法権の分割ということについては書いてございませんので、もしも連邦制というふうなことを考えるのであれば、まさに憲法改正という、立法権をどのように分割するかというふうな、その立法分野のリストをつくらなければならないというふうな、大きなハードルがあるというふうに思います。
道州制というのは、これは多分日本独特の言葉でありまして、単一制度の中での、恐らく広域の、都道府県に相当するリージョナルなガバメントの領域を広くする、四十七ではなくて、多分七つとか八つとか九つとか、そういう道州にして、そこに大きな権限を与えるということなのかなという気がしますが、でもそれは、立法権がどうかというところで、連邦制に行くかそうじゃないかというところが分かれるということになっていきます。
それで、道州制への課題ということなんですが、では、例えば日本で道州制等々をお考えになる場合に、一番重要なのは領域をどうするかということであります。昔は、地方総監府とか地方行政連絡会とか、協議会でしたか、戦時中にございまして、九つに切ったりしておりますけれども、それを、地方分権と言いながら、国が上から線を引いて、こことここをまとめるというふうに言っていいものかどうか、そういう具体的なことも含めて、領域をどうするかという問題があると思います。
それから、例えば、州になったときにそこのトップをどのような方法で選ぶかということで、官治であるか自治であるかというふうになってくると思います。
第四次地方制度調査会が出した地方庁構想というのは、総理大臣が任命する方がその地方の長になるということで、これはかなり大きな反対を受けたというのは、官治分権を再度実現するということになってしまったので、官治というのはやはり今の状況だと考えにくい、自治分権だと思います。
そうすると、例えば七つか八つに分けますと、そこの、知事と呼ぶんだったら知事かもしれませんが、かなり大きな権限を持つということになっていきますので、選び方等々も含めてそういう問題があると思います。端的に言えば、デザインをどうするかという問題が道州制にはあるということになります。
それから、二層制、三層制と書いてございますけれども、現在の都道府県を例えば昔の郡のような感じで残してさらに大きな州をつくってしまうか、その中間に現在のを残しながらさらに上をつくるということが考えることはできると思います。
例えば、先ほど申し上げましたフランスというのは、コミューンという三万六千があって、百近いデパルトマン、県があって、その上に二十のレジオンというのをつくりまして、三層構造をとっておりますので、既存の制度にはさわらないで上にレジオンをつくったということであります。最初は官治で、そのうちに自治になったということになりますので、参考にできないことはないと思います。
連邦制への課題というのは、先ほど申し上げましたように、憲法改正が絶対に必要である、立法権を分割しなくてはいけない。かつ、世界でも、二院制をとっている国は一院制をとっている国に比べてうんと少ないのですけれども、連邦制の国家は必ず二院制をとります。連邦の上院がその連邦構成政府から選ばれる地域代表制を具現するわけでありますけれども、そのような上院を、選出方法も含めてどういうふうにデザインするかということがあります。
それから、連邦制を考えるときに、ちょっと忘れられがちなんですけれども、連邦制の中での市町村というのは極めて弱い存在であります。州が強い分だけ市町村は極めて弱いです。
例えば、アメリカは五十州なので五十通りの地方自治法があると思ってくださって結構だと思うんですが、市町村のあり方は各州が決めていくので、チャーターですとか憲章で自治できますけれども、州の締めつけはかなり厳しいということです。カナダもそうです。十州ありますけれども、十通りの地方自治法があって、市町村のあり方はそれぞれ違っているということになります。日本の市町村はかなりたくさんの仕事をしておりますけれども、連邦制の国家では、市町村よりも州がたくさん仕事をして、市町村はほんの身近なところのサービスしかやっていないということになります。
時間が押してまいりましたので、少しまた早口になってしまいますが、連邦国家の現実を少しお話ししておきたいと思うのです。
連邦制を選択する理由はさまざまでありまして、先ほどの文化的アイデンティティーという、例えば言語なり文化なり、違う人たちがそこにいるので、そこに自治を与えるかわりに国家としては統合するというふうなことも含めて、いろいろな理由がございます。自治と申すのは、権限の分割の仕方によってはさまざまでありまして、制度としては連邦制度と単一制度というのははっきり分かれるのですけれども、実態としての分権の度合い、自治度の度合いは、例えば連邦国家で極めて集権的なメキシコとかオーストラリアを見ますと、日本の方が、単一国家でありながら分権的であるというふうに言えるわけですので、制度を見るのか、実態を見るのかというところで、これはまさにここでどちらの方を目指されるのかということをお決めいただかないと、その後のシナリオは組めないということになっていくと思います。
それから、「分権と政党」と書いてございますのは、たとえ連邦制をとっていても、中央と地方のレベルで、連邦と州のレベルで権限が分割されているにもかかわらず、それにまたがる政党組織があるとすると、それは立法権の分割というふうな構造ではなくて、立法者が政党のネットワークでつながっていきますので、その場合は分権には実態はなりません。メキシコのPRI、制度的革命党などがこれに入ると思います。制度は、メキシコは連邦制なんですけれども、実態は覇権型政党と言われるように、非常に大きなピラミッドのところで人が動きますので、構造としては分権にはならないということであります。分権を担保しようと思えば、極めて強い地域文化性か、あるいは構造としての政党が地域政党をベースにして組み上がっていくというふうに考えないと少し難しいかと思われます。
それでは、日本はどのような地方分権を目指すかということなんですけれども、恐縮ですが、お手元の資料の一枚目の表をごらんになっていただきたいのです。
分権には大きく四つのモデルがあるというふうに考えることができると思います。細々と書いておりますけれども、どこを見ていきたいかといいますと、この地方組織、この絵ではBに相当するんですが、Bに相当するこの組織が市民からのアクセスがあるかどうかというところです。つまり、そこの長が任命か選挙かということなんですが、長が選出をされるということは市民からのアクセスがあるわけで、そして選挙は定期制と競争制というのがベースになるとすると、市民が今度は違う人を選びたいとか、同じ人を選ぶとか、そういうふうな市民側からのアクセスがあるわけであります。市民側からのアクセスがなければ官治、任命だとアクセスがないわけですから官治分権、先ほどのディコンセントレーション、ここで言うと出先型ということになります。アクセスがあると自治分権になっていまして、ここだと連合型、連邦型、単一型というこの三つが自治分権になると思います。
それから、もう一つ大きな基準なんですけれども、ここで言うBの組織なんですが、地方組織、地方団体の権限と存在の根拠がどこにあるかであります。存在と権限の根拠が憲法にある場合が連邦型でありまして、中央議会の法律による場合が単一型になってきます。
ですから、日本は、憲法は存在と権限までも決めていませんので、法律にゆだねていまして、地方自治法が決めますので、そうすると、皆様方が地方自治法を変えると言えば、地方団体の意向にかかわらず変えられるわけです。どんなふうな影響が及ぼされるか及ぼされないか、一番影響が及ぶところは決定に参加できないで、中央議会で変えることができるということでありまして、そういう意味で、連邦型だと憲法を変えなくてはいけないので、おのずから地方団体、国民等とも参加をするということになっていくので、ここのところが違うと思います。日本はこの単一型に入っております。
次のページなんですけれども、今のだと非常に大まか過ぎるので、もう少し分けたいと思ってつくったのがサブモデルということであります。
そうすると、国が決めるとしても、実際に執行する地方側が、執行に当たってある程度の裁量を行使できるかどうか、現場に合わせてちょっと柔軟に変えることができるかどうか。それとも、きっちりと国が決めたことをやらなきゃいけないのかというところで、裁量がプラス、マイナスになってくる。ここで言うプラス、マイナスというのはそういうことなんですが、国が決めたことを地方が執行する場合に、裁量が持てるかどうか、柔軟性が持てるかどうか。持てない場合はマイナス、持てる場合はプラスというふうに書いてあります。
それからもう一つは、国が決めるわけでありますが、みずからに関係あることを決められるときに、そこに影響力を行使できるかどうか。実際の立法者は国会でありますけれども、しかしながら、こういうふうな方向で立法をお願いしたいというふうな、一定のお願いというか影響力といいましょうか、そういうのが行使できるかどうかという、行使という言い方はちょっときついですけれども、それがプラス、できなければマイナスというふうに考えていきますと、四つの形に分けることができると思うんです。
それで、日本が目指すのはどこかといいますと、憲法を変えないで十分だと思いますので、単一型の分権のメーンモデルでいいと思うんですが、しかし、現実に今日本は出先型に非常に近い単一型なんですね。国が言ったことをそのままやらなきゃいけないというふうになっていますので。そうすると、サブモデルとしては4型なわけであります。両方とも非常に弱いということになります。
ですから、そこではなくて、サブモデルの1型、国が決めたことを現場で執行する場合に、現場のニーズに合わせて一定のフレキシビリティーが持てるというふうなところで裁量がプラスになる。それから、地方が行うことに関して、地方の現実を反映できるような立法になるようにする、影響力を行使できるという意味で、1型ということで、単一型の中の4型から1型に移るというのが最もなじむのではないかなという気がしています。
ちなみに、EUですけれども、EUは、連合型の1型から、ECからEUになって、連邦型の方に移ってきていますので、逆方向に、言い方を変えれば集権化の動きの方に移ってきているわけでありまして、どちらの方に移るかというのは、権力が多元化しているか、一元化しているかというところでありまして、日本は多元化の方向に移っていかなければ分権とは言えないと思いますが、いろいろな型の統合の仕方があるということになります。
それから、影響力の問題を考えていきますと、どうしても国の機関といいましょうか、第二院に地方の代表性をいかに高めるかを考えておく意味があるのかなという気がします。
先ほど、連邦制は必ず二院制をとっておりまして、上院には地域代表制を、州の代表が送られているということを申し上げましたけれども、例えば日本も単一型の分権の中で、メーンモデルは単一型ですが、サブモデル1型に移るのであれば、第二院の代表性というのは必ず考えなくてはいけないというふうに思います。
それから、最後は、官官分権ではなくて市民社会への分権ということを申し上げたいと思います。
それで、まとめといいましょうか、私がもともと海外の政治を勉強していまして、日本に戻ってきて日本を見たときに、この国の地方分権というのは、どうして地方分権を地方ではなくて国が言うのかなというのはすごい気になっていたのですけれども、中央政治を地方政治から独立させるというと変ですけれども、中央と地方が余りにも絡み合ってしまって、相互依存というよりは相互浸透といいましょうか、もう織り込まれてしまっているんですね。そうすると、ドミノのような感じで、一つ倒れれば全部倒れるということになっていきます。これは、国としての基礎体力は余りにも弱いという気がします。
そう考えていきますと、それぞれが自立をして、それぞれの立場から国民に向かって、相互協力ができるような意味で、相互浸透ではなくて相互依存の方に切りかえるというのが、この国がそうではないともたないかなという気がしております。すべてが絡み合ってしまうと、責任の所在等々、それから、今のリソースが少なくなっていく時代で、ちょっと厳しいのかなという気がします。こんな生意気なことを言いましてお許しいただきたいと思いますけれども、ずっとカナダにおりましたらそういうふうに思いました。
ちょっと長くなりました。以上でございます。拍手
この発言だけを見る →本日は、お呼びいただき、どうもありがとうございます。地方自治に関する調査小委員会ということで、地方自治についてということなのですが、とりわけ分権と連邦制についての話をということだと理解しておりますので、そのような内容で話を進めさせていただきたいと思います。
お手元に、レジュメといいましょうか、三枚で、最初のところにきょうの話させていただく概要を列挙したものがございますので、そちらに沿って話をしていきたいと思います。
まず、「地方分権改革」ということでございますけれども、地方分権というのは、今や世界的な潮流となっております。日本だけのことではございません。地方分権を推進する力というのは、これは世界的に幾つかいろいろな動きがあるのですが、それを同じような力のところにグループ分けをしますと、ここに書いてございます五つに分けることができます。
まず、民主化の動きです。民主化を求める動きが地方分権を求めるということでございます。これは、よく発展途上国等で、権力がすごく遠いところで、権威主義体制など、一部に集中しているのを自分のところに取り戻すというところで、古くは地方自治は民主主義の学校と言われたこともありますが、民主主義、民主化と地方分権は密接に結びついているということになります。
二番目は、文化的アイデンティティーです。これは、私はカナダを専門にしているのですが、特にケベックですとか、それからイギリスですとスコットランド、それからスペインのカタロニアですとかバスクとか、そういうところで文化的なアイデンティティー、自分たちの民族、言語、宗教等、そういう自分たちの民族集団、文化集団が自分たちで自治を求めたいというときに分権になるんですが、ここで重要なのは、自治を求めるときに、ただ自治をというのではなくて、ベースとなる領域を持っているということが極めて重要になります。
つまり、分権というのは、機能的な分権もあるのですけれども、地方分権という限りは、その地方地方、一定の領域を持った上で、それを自分たちの土地として、そして領域として、そこでの自治を求めるというふうになりますので、そういうふうな文化的アイデンティティーが地方分権を求めていく。
これは、余り行き過ぎますと国家にとっては統合の危機ということになりますので、バルカンなどをごらんになっていただくとわかるのですけれども、余りこれが行き過ぎるとかえって分断をしてしまうということになっていきまして、必ずしもポジティブなイメージではないということもございます。どちらの立場に立つかですけれども、そういうことでございます。
それから、近代化の終えんというのがございます。これは、キャッチアップで、挙国一致で、中央政府に権力を集中して効率的に資源を配分していこうという近代化が進むわけですけれども、それがある程度達成されますと、そこの段階で新たに自分たちの近くに権力を置いて、そこで決めていきたいというふうな動きが出てくるということになります。恐らく、日本はこの近代化の終えんに近いところがあるのかなという気がしますが、そういうことです。
それから、行財政改革というのがございます。これは特にイギリス等々で見られるんですけれども、中央政府が、自分が肥大しているのをスリムになりたいというところで、いろいろな仕事をなるべく民間と地方にゆだねるということになりますので、これも日本の現在の動きには関係があるというふうな気がいたします。
それから、五つ目はグローバリゼーションです。これは若干矛盾して聞こえるかもしれないのですけれども、国家を超えてのいろいろな国際的な協力ですとか、グローバルスタンダードも含めて、進んでいくにつれて、より身近なところに対しての人々の意識が高まるというのがございまして、グローバリゼーションが進めば、逆に、近いところに対しての意識がちょうど相殺するように高まっていくというので、グローバリゼーションも意外に地方分権の推進力ということになります。
それで、このように大きく五つに分けて地方分権を推進する力が世界あちこちであるわけです。その推進力はこのようにさまざまなのですが、分権化の潮流といいましょうか、方向としては、ある一定の方向がうかがえます。
一つは、官治分権から自治分権にということと同じなんですけれども、権限委譲から権限移譲に。ここのイジョウのイの字が、委ねる場合と移す場合でかなり異なるわけであります。どちらを使うかで、まだ官治分権的な要素が残っているか、つまり、委ねる場合、委ねるけれども何かあったらまた引き戻すということなので、まだ根っこは委ねる側にあるというふうになります。移す方は、移してしまいますので、移された方が極めて自由度が高いということになりますので、同じ権限イジョウにも違いがあるわけであります。
日本の地方分権改革を見ておりまして、やはり官治分権から自治分権へ、これは明治から始まって、今回の改革も含めてなんですけれども、ディコンセントレーションという官治分権から自治分権の方に着実に動いているということが言えると思います。
前回の改革、前回のと申しますのは地方分権推進委員会がやられた改革と理解しておりますが、この前回の改革には三つの柱というものが立つのではないかと思っております。
一つは、機関委任事務制度の廃止であります。この機関委任事務制度というのが、まさに官治分権といいましょうか、権限委譲の方でありまして、委任という言葉が出ますように、選挙で選ばれる首長の方に国の行政官庁が事務を委任してしまう、それで下級機関のように扱うというふうなことは、もう官治分権の最も顕著な型でありましたが、これが廃止されたということであります。
それから、二番目の柱としては、国の関与が縮減をされた。法定受託事務と自治事務に分かれましたので、それぞれに関与の仕方がルール化をされ、そしてそれが法定主義になったということで、いわゆる行政ラインでぎしぎしと締め上げてきたのが、もう少し透明性が高まったということになります。
三番目の柱として、これらを実効性のあるものにするためには、国地方係争処理委員会というのがなければ、何か起こったときに判断ができないということで、この国地方係争処理委員会をつくったというのが三つ目の柱だと思います。
では、これですべて終わったのかと申しますと、そうではなくて、やはり残された課題があるわけで、私は、ここにもやはり三つの課題というふうに大きく分けることができるのではないかという気がいたします。
まず一つ目の課題ですけれども、地方自治というよりは、地方分権というふうに語るときに、国と地方という二つのレベルの政府の関係をどうするかというふうに考えていくと、先ほどの機関委任事務というのは国の下請として地方があったということになりますが、この機関委任事務制度が廃止されたことによって、行政面での下請関係がなくなった。そういう意味で対等、対等というのは、イコールではなくてコーディネートというふうに英語では言うのだと思いますが、そういうふうに対等になったということだと思います。
しかしながら、同じように国と地方の関係の中で残されたものとしては、行政面ではなくて、税財政面という裏づけのところ、まさに行政を行う一番基本のところがまだ残っておるわけでありまして、したがって、国と地方の関係を見ていくとき、行政面では前回ある程度の達成を見ましたけれども、税財政面は手つかずで残っているというところが残された課題の一番目だと思います。
二番目はどこかといいますと、今度は、国と地方ではなくて、地方を見ていくわけでありますけれども、地方を見たときに、では、今のままの地方制度でやっていけるのかということになります。
明治以来、市町村は合併を繰り返して少し数は減りましたけれども、それでも三千幾つあるというふうにおっしゃられますが、府県は明治以来ほとんど同じ領域でやってきておりますので、このように人の動きが非常に大きな範囲で動くようになってくるときに、そのままの制度でいいのかということになります。これは、市町村なり都道府県の領域、狭過ぎるかということなんですが、その領域の問題と、それからもう一つは、市町村と都道府県という二つのレベル、二層制をこのまま維持するのかということであります。
例えば、都市はもう自立をして一層制にしていくということも一つの手でありますし、そうではなくて常に二層制でいくのかということも、これはもう大きなデザインをしなければいけないということで、地方制度の大きなデザインというのが残された課題として二つ目に挙げられると思います。
三つ目は、これは自治体サイドの問題でありますけれども、自治を担うだけの実力があるのかどうかということで、能力をつけるということであります。
これは何も規模を拡大するだけではなくて、説明責任ですとか、最後に申し上げようと思っていることにもつながるのですが、官官分権と言われる国と地方の権限の分権だけではなくて、市民社会への分権ということで、そこに市民のいろいろなリソースを一緒に活用できるような、いわゆる官が公を独占する状態ではなくて、民も公に参加をできる、そういうようなことが、実はローカルレベルというか、国よりも地方レベルで一番実現しやすいのではないかということも含めて、自治体が、今までのように国の方ばかりを見ていくのではなくて、みずからよって立つ領域の社会といいましょうか、地域社会を見ることができるかというのも含めて、もちろん法務能力ですとか条例とかございますので、そのような組織としての能力及び市民社会との双方向のチャネルという意味での能力も含めて、そういう自治体のあり方というのが三つ目の課題としてあるのではないかという気がいたします。
自治体の話になりましたので、二番目の「自治体の規模と能力」というところで、これはきょうの分権と連邦制というのから少し離れるのですが、どうしても触れておかなければと思いまして、この項目を立てました。
まず、規模をめぐる価値基準ということなのですが、自治体は、基礎自治体と広域自治体に分けることができまして、基礎自治体というのは市町村で、広域自治体は都道府県というふうに御理解をいただくといいと思うのです、国によって呼び方は違うんですけれども。基礎自治体のあり方をまず一番近いところから考えてみたいということでありまして、自治体の存在根拠というのは、私は二つあると思うわけであります。
一つは、近いところに参加できる、自分たちが自分たちの地域社会を経営する。そういう、経営なりいろいろなあり方なりに参加ができるということで、政治参加ということに大きな意味があると思います。地方組織があったとしても、それが単に国の機関の出先であるとすると、そこには選挙というのはございませんので、双方向のチャネルではございません。一方的に国の地方機関から作用が及ぶわけで、人々が参加というふうな双方向のチャネルがないわけであります。これが自治体と出先機関の大きな違いになります。
そのような参加ができるかどうかというのが、自治体かそれ以外の機関かというふうに分かれるところでございますけれども、政治参加ができるというのが、まさに自治体が存在する意味の一つなんであります。
そうなりますと、参加の有効性を高めるには、やはりサイズとしてはスモール・イズ・ビューティフルということになってきます。小さい方がより参加の実効性が上がるわけでありますので、小さい方がいいというふうになっていくわけであります。
しかしながら、自治体に託された役割というのはもう一つありまして、それは、公共サービスの供給であります。公共サービスと申し上げてもいろいろあるわけでございますけれども、特に基礎自治体は対人サービス、一番人に近い政府でございますので、人にサービスを提供する、供給をする、そういうのが存在の根拠になります。そうすると、ここでは規模の経済というのが働くわけで、スケールメリットがやはり出てくるわけであります。
そうすると、スモール・イズ・ビューティフルというふうに、小さい方がいろいろ参加の効果が上がるというのと、あと規模の経済、大きいことの方が経営としては成り立ちやすいというふうな、この二つの相反する価値基準といいましょうか、役割がこれまでずっと葛藤してきたということになります。しかしながら、このどちらかをとらなくてはいけないのではなくて、まさに地方制度の組みようによっては、両方とることができるということが言えると思います。
そこで、私は、海外のいろいろな基礎自治体のあり方を調べてみましたら、基礎自治体の規模が極めて小さい、小さいからたくさんあるということなんですが、そういうのと、比較的大きいというのがあります。それから、地方制度それ自体が、いろいろな制度を認め、多様性があるかということと、それから二層制、かっちり決めてしまって比較的画一的かという二つの軸になるんですけれども、それぞれに四つの象限ができるわけで、それを見ますと、多様でいろいろな制度があって、かつ自治体が非常に小さくてたくさんあるというのがアメリカなんですね。アメリカも三万以上の自治体がありますから。州によっていろいろ自治体のあり方は違うのですけれども、数からいったらすごく多いわけですね。自治体がカバーしていない地域もございますので、本当に地方制度は多様で数は多い。
アメリカの考え方としては、公共サービスは提供されればいいのであって、自治体が提供しようがどこが提供しようが別に構わない。だから、ディストリクトですとか民間の公益の機関ですか、そういうのが提供するわけで、何も選挙でもっている自治体がすべて提供するわけではございません。こういうのをアラカルト型と私は呼んでおりますけれども、そのアラカルトであります。
自治体の数はすごく多いけれども、制度としては比較的画一的であるというのがフランスでありまして、これは三万六千のコミューンがございまして、革命時代からずっとこのまま三万六千なんです。しかしながら、制度としてはかっちりとコミューン、デパルトマン、レジオンというふうに非常にはっきりと全国的に同じ制度をひいているということになります。
これも、日本はちょっと厳しいかなという気がするのは、フランスの基礎自治体はほとんど公共サービスの供給というふうな仕事を期待されておりません。実際に仕事をするのはデパルトマンという、昔は国の出先だったのですけれども、今は県ということなのですが、ナポレオンがプレフェを任命して、全国津々浦々同じようなサービスをということになってきます。そういうふうなフランス型と、日本のたくさん仕事をする市町村とはなかなかうまく結びつかないかなという気がします。
それから、自治体の規模は大きいのですけれども、制度としては多様であるというのがイギリスでありまして、これもアラカルト型で、いろいろな供給主体が公共サービスを提供するということになります。
ちなみに、イギリスは成文憲法はございませんので、地方自治の本旨などを決めたものが憲法としてはございません。したがって、議会主権なので、議会で制定法を決めていった。それが自治体のあり方を全部決めていくことになりますので、例えば、保守党では絶対に認められなかったであろうスコットランド等々の地域議会が労働党のブレアでは認められるというふうになっていきますので、政権交代で地方制度が極めて揺らぐ、変わるというところであります。その意味で、極めて中央集権的な地方制度と言えます。
北欧型というのは、これは、福祉国家のための公共サービスを提供するために、規模が大きくなくてはそれだけの仕事ができないということで、規模が比較的大きな自治体として再編しました。制度としては、二層制ということで、ある意味で画一的といいましょうか、そういう制度であります。
私は、日本は多分、この北欧型が一番土壌に合うのかなというふうな気がしておりますけれども、そのためには、基礎自治体の再編は避けて通れないということになっていきます。
それで、その基礎自治体が再編されますと、どういう形で再編されるかはわからないのですが、再編された後にどうしても出てくるのが、では、広域自治体はこのままでいいのかということになります。基礎自治体の規模が大きくなるということは、広域自治体は都道府県ですけれども、そのままのサイズでいいのかということになって、必ずここで道州制あるいは連邦制等々が出てくると思います。
私は今、基礎自治体から道州制なり連邦制を考えるアプローチをとりました。一番近い政府からというふうにとりましたけれども、国家制度から見て、基礎自治体ではなくて、まず、国に一番近い地方レベルをどうするかというふうな考え方から広域自治体を考えるというアプローチもないわけではございません。
その道州制と連邦制なんですけれども、これは、私も並べて書いてしまいましたけれども、道州制、連邦制というふうによく並べるのですが、制度は本質的に違います。例えば君主制と共和制が違うように、議院内閣制と大統領制が違うように、連邦制と単一制では違います。一番大きな違いは何かといいますと、連邦制度をとる限り、憲法に、二つのレベルの政府、中央と地方になるのですが、二つのレベルの政府の間の立法権の分割が明記されなくては連邦制度とは言えません。
世界に、つぶれたりいろいろ動いておりますので十五、六、七ぐらいでしょうか、連邦国家がございますけれども、連邦制というふうに言えるのは、これはまさに世界基準ですが、すべて憲法に立法権の分割が明記されているところであります。いかに分権的な国家であろうが、単一制度でも分権的な国家があるわけで、連邦制をとっていても集権的な国家があるわけでありますけれども、政治制度としての連邦制を見る限り、その立法権の分割を書いた憲法が必要であります。
分割の仕方なのですが、その立法権、権限自体を分割できるのではなくて、立法する分野を分割しているわけでありまして、例えば防衛ですとか通貨ですとか外交ですとか、国家の存立にかかわるものは連邦議会が立法をするという書き方です。
いろいろな書き方があるのですけれども、アメリカが世界で最初に連邦制度を国家制度とした国なのですが、その書き方は、いろいろな州、ステートが集まって国家政府をつくり上げていくわけで、なるべく国家の権限を限定したいということで、連邦の権限を列挙しておりまして、それ以外は州に属するというふうな書き方をします。それ以外は州に属するというようなことでも、立法権が分割されたことになります。
私はカナダを専門にしておりますけれども、カナダは、連邦議会が立法できる分野と州議会が立法できる分野を双方列挙しておりまして、それ以外の列挙しない残余権限は連邦に属するというふうにしておりまして、いろいろなバリエーションがあるわけでありますけれども、それは、それぞれの国がどのような権限を連邦を構成する地域政府に任せるかどうかというところでありまして、この権限分割のデザインによって、たとえ連邦制をとっていても、極めて集権的な国も出てくるわけであります。
例えばラテンアメリカ、アルゼンチン、ブラジル、ベネズエラ、メキシコというのは連邦制度です。しかし、分権的かと言われると、多分そうではないというふうに思われると思いますが、憲法を見ても、連邦議会の列挙権限のリストが非常に長くあって、それ以外は州にというふうに書いてございますので、れっきとした連邦憲法なんですけれども、それ以外は一体何があるのかというぐらい長いリストなわけですね。でも、それでも連邦制なんです。
日本国憲法も、地方自治の本旨と書いてございますし、地方自治の章も第八章がございますけれども、立法権の分割ということについては書いてございませんので、もしも連邦制というふうなことを考えるのであれば、まさに憲法改正という、立法権をどのように分割するかというふうな、その立法分野のリストをつくらなければならないというふうな、大きなハードルがあるというふうに思います。
道州制というのは、これは多分日本独特の言葉でありまして、単一制度の中での、恐らく広域の、都道府県に相当するリージョナルなガバメントの領域を広くする、四十七ではなくて、多分七つとか八つとか九つとか、そういう道州にして、そこに大きな権限を与えるということなのかなという気がしますが、でもそれは、立法権がどうかというところで、連邦制に行くかそうじゃないかというところが分かれるということになっていきます。
それで、道州制への課題ということなんですが、では、例えば日本で道州制等々をお考えになる場合に、一番重要なのは領域をどうするかということであります。昔は、地方総監府とか地方行政連絡会とか、協議会でしたか、戦時中にございまして、九つに切ったりしておりますけれども、それを、地方分権と言いながら、国が上から線を引いて、こことここをまとめるというふうに言っていいものかどうか、そういう具体的なことも含めて、領域をどうするかという問題があると思います。
それから、例えば、州になったときにそこのトップをどのような方法で選ぶかということで、官治であるか自治であるかというふうになってくると思います。
第四次地方制度調査会が出した地方庁構想というのは、総理大臣が任命する方がその地方の長になるということで、これはかなり大きな反対を受けたというのは、官治分権を再度実現するということになってしまったので、官治というのはやはり今の状況だと考えにくい、自治分権だと思います。
そうすると、例えば七つか八つに分けますと、そこの、知事と呼ぶんだったら知事かもしれませんが、かなり大きな権限を持つということになっていきますので、選び方等々も含めてそういう問題があると思います。端的に言えば、デザインをどうするかという問題が道州制にはあるということになります。
それから、二層制、三層制と書いてございますけれども、現在の都道府県を例えば昔の郡のような感じで残してさらに大きな州をつくってしまうか、その中間に現在のを残しながらさらに上をつくるということが考えることはできると思います。
例えば、先ほど申し上げましたフランスというのは、コミューンという三万六千があって、百近いデパルトマン、県があって、その上に二十のレジオンというのをつくりまして、三層構造をとっておりますので、既存の制度にはさわらないで上にレジオンをつくったということであります。最初は官治で、そのうちに自治になったということになりますので、参考にできないことはないと思います。
連邦制への課題というのは、先ほど申し上げましたように、憲法改正が絶対に必要である、立法権を分割しなくてはいけない。かつ、世界でも、二院制をとっている国は一院制をとっている国に比べてうんと少ないのですけれども、連邦制の国家は必ず二院制をとります。連邦の上院がその連邦構成政府から選ばれる地域代表制を具現するわけでありますけれども、そのような上院を、選出方法も含めてどういうふうにデザインするかということがあります。
それから、連邦制を考えるときに、ちょっと忘れられがちなんですけれども、連邦制の中での市町村というのは極めて弱い存在であります。州が強い分だけ市町村は極めて弱いです。
例えば、アメリカは五十州なので五十通りの地方自治法があると思ってくださって結構だと思うんですが、市町村のあり方は各州が決めていくので、チャーターですとか憲章で自治できますけれども、州の締めつけはかなり厳しいということです。カナダもそうです。十州ありますけれども、十通りの地方自治法があって、市町村のあり方はそれぞれ違っているということになります。日本の市町村はかなりたくさんの仕事をしておりますけれども、連邦制の国家では、市町村よりも州がたくさん仕事をして、市町村はほんの身近なところのサービスしかやっていないということになります。
時間が押してまいりましたので、少しまた早口になってしまいますが、連邦国家の現実を少しお話ししておきたいと思うのです。
連邦制を選択する理由はさまざまでありまして、先ほどの文化的アイデンティティーという、例えば言語なり文化なり、違う人たちがそこにいるので、そこに自治を与えるかわりに国家としては統合するというふうなことも含めて、いろいろな理由がございます。自治と申すのは、権限の分割の仕方によってはさまざまでありまして、制度としては連邦制度と単一制度というのははっきり分かれるのですけれども、実態としての分権の度合い、自治度の度合いは、例えば連邦国家で極めて集権的なメキシコとかオーストラリアを見ますと、日本の方が、単一国家でありながら分権的であるというふうに言えるわけですので、制度を見るのか、実態を見るのかというところで、これはまさにここでどちらの方を目指されるのかということをお決めいただかないと、その後のシナリオは組めないということになっていくと思います。
それから、「分権と政党」と書いてございますのは、たとえ連邦制をとっていても、中央と地方のレベルで、連邦と州のレベルで権限が分割されているにもかかわらず、それにまたがる政党組織があるとすると、それは立法権の分割というふうな構造ではなくて、立法者が政党のネットワークでつながっていきますので、その場合は分権には実態はなりません。メキシコのPRI、制度的革命党などがこれに入ると思います。制度は、メキシコは連邦制なんですけれども、実態は覇権型政党と言われるように、非常に大きなピラミッドのところで人が動きますので、構造としては分権にはならないということであります。分権を担保しようと思えば、極めて強い地域文化性か、あるいは構造としての政党が地域政党をベースにして組み上がっていくというふうに考えないと少し難しいかと思われます。
それでは、日本はどのような地方分権を目指すかということなんですけれども、恐縮ですが、お手元の資料の一枚目の表をごらんになっていただきたいのです。
分権には大きく四つのモデルがあるというふうに考えることができると思います。細々と書いておりますけれども、どこを見ていきたいかといいますと、この地方組織、この絵ではBに相当するんですが、Bに相当するこの組織が市民からのアクセスがあるかどうかというところです。つまり、そこの長が任命か選挙かということなんですが、長が選出をされるということは市民からのアクセスがあるわけで、そして選挙は定期制と競争制というのがベースになるとすると、市民が今度は違う人を選びたいとか、同じ人を選ぶとか、そういうふうな市民側からのアクセスがあるわけであります。市民側からのアクセスがなければ官治、任命だとアクセスがないわけですから官治分権、先ほどのディコンセントレーション、ここで言うと出先型ということになります。アクセスがあると自治分権になっていまして、ここだと連合型、連邦型、単一型というこの三つが自治分権になると思います。
それから、もう一つ大きな基準なんですけれども、ここで言うBの組織なんですが、地方組織、地方団体の権限と存在の根拠がどこにあるかであります。存在と権限の根拠が憲法にある場合が連邦型でありまして、中央議会の法律による場合が単一型になってきます。
ですから、日本は、憲法は存在と権限までも決めていませんので、法律にゆだねていまして、地方自治法が決めますので、そうすると、皆様方が地方自治法を変えると言えば、地方団体の意向にかかわらず変えられるわけです。どんなふうな影響が及ぼされるか及ぼされないか、一番影響が及ぶところは決定に参加できないで、中央議会で変えることができるということでありまして、そういう意味で、連邦型だと憲法を変えなくてはいけないので、おのずから地方団体、国民等とも参加をするということになっていくので、ここのところが違うと思います。日本はこの単一型に入っております。
次のページなんですけれども、今のだと非常に大まか過ぎるので、もう少し分けたいと思ってつくったのがサブモデルということであります。
そうすると、国が決めるとしても、実際に執行する地方側が、執行に当たってある程度の裁量を行使できるかどうか、現場に合わせてちょっと柔軟に変えることができるかどうか。それとも、きっちりと国が決めたことをやらなきゃいけないのかというところで、裁量がプラス、マイナスになってくる。ここで言うプラス、マイナスというのはそういうことなんですが、国が決めたことを地方が執行する場合に、裁量が持てるかどうか、柔軟性が持てるかどうか。持てない場合はマイナス、持てる場合はプラスというふうに書いてあります。
それからもう一つは、国が決めるわけでありますが、みずからに関係あることを決められるときに、そこに影響力を行使できるかどうか。実際の立法者は国会でありますけれども、しかしながら、こういうふうな方向で立法をお願いしたいというふうな、一定のお願いというか影響力といいましょうか、そういうのが行使できるかどうかという、行使という言い方はちょっときついですけれども、それがプラス、できなければマイナスというふうに考えていきますと、四つの形に分けることができると思うんです。
それで、日本が目指すのはどこかといいますと、憲法を変えないで十分だと思いますので、単一型の分権のメーンモデルでいいと思うんですが、しかし、現実に今日本は出先型に非常に近い単一型なんですね。国が言ったことをそのままやらなきゃいけないというふうになっていますので。そうすると、サブモデルとしては4型なわけであります。両方とも非常に弱いということになります。
ですから、そこではなくて、サブモデルの1型、国が決めたことを現場で執行する場合に、現場のニーズに合わせて一定のフレキシビリティーが持てるというふうなところで裁量がプラスになる。それから、地方が行うことに関して、地方の現実を反映できるような立法になるようにする、影響力を行使できるという意味で、1型ということで、単一型の中の4型から1型に移るというのが最もなじむのではないかなという気がしています。
ちなみに、EUですけれども、EUは、連合型の1型から、ECからEUになって、連邦型の方に移ってきていますので、逆方向に、言い方を変えれば集権化の動きの方に移ってきているわけでありまして、どちらの方に移るかというのは、権力が多元化しているか、一元化しているかというところでありまして、日本は多元化の方向に移っていかなければ分権とは言えないと思いますが、いろいろな型の統合の仕方があるということになります。
それから、影響力の問題を考えていきますと、どうしても国の機関といいましょうか、第二院に地方の代表性をいかに高めるかを考えておく意味があるのかなという気がします。
先ほど、連邦制は必ず二院制をとっておりまして、上院には地域代表制を、州の代表が送られているということを申し上げましたけれども、例えば日本も単一型の分権の中で、メーンモデルは単一型ですが、サブモデル1型に移るのであれば、第二院の代表性というのは必ず考えなくてはいけないというふうに思います。
それから、最後は、官官分権ではなくて市民社会への分権ということを申し上げたいと思います。
それで、まとめといいましょうか、私がもともと海外の政治を勉強していまして、日本に戻ってきて日本を見たときに、この国の地方分権というのは、どうして地方分権を地方ではなくて国が言うのかなというのはすごい気になっていたのですけれども、中央政治を地方政治から独立させるというと変ですけれども、中央と地方が余りにも絡み合ってしまって、相互依存というよりは相互浸透といいましょうか、もう織り込まれてしまっているんですね。そうすると、ドミノのような感じで、一つ倒れれば全部倒れるということになっていきます。これは、国としての基礎体力は余りにも弱いという気がします。
そう考えていきますと、それぞれが自立をして、それぞれの立場から国民に向かって、相互協力ができるような意味で、相互浸透ではなくて相互依存の方に切りかえるというのが、この国がそうではないともたないかなという気がしております。すべてが絡み合ってしまうと、責任の所在等々、それから、今のリソースが少なくなっていく時代で、ちょっと厳しいのかなという気がします。こんな生意気なことを言いましてお許しいただきたいと思いますけれども、ずっとカナダにおりましたらそういうふうに思いました。
ちょっと長くなりました。以上でございます。拍手
保
保
葉
葉梨信行#5
○葉梨小委員 自民党の葉梨信行です。
先生、ありがとうございました。大変広範な、そして深い分析を伺いまして、何を質問したらいいか迷っております。
最初に、地方分権の推進力ということをおっしゃいまして、五つ挙げておられます。私は、政治家の端くれとしまして、地方分権しなきゃならないという動機でございますが、明治憲法では地方自治という項目がなかった、とにかくがむしゃらに殖産興業とか軍事力をつくって、日本の独立を守る、そして、現行憲法において民主化し、経済的な興隆を遂げたということで、一つの成熟段階に来て、第三の段階を目指している、こういうことであろうと思います。二十一世紀の日本が、今までつくり上げました経済力を背景にしまして、活力のある国家として、これから日本を担っていく若い人たちが働きがいのある、生きがいのある社会をつくっていく、そういう課題を持っていると思うんです。
しかも、今現実を見ますと、東京とか、やや劣って大阪とか、失礼ですが、名古屋とかその他の地方都市がございますが、大都市に非常に人口が集中し、逆現象が全国各地に起こっていて、文化も経済力もいろいろなものがアンバランスになっております。
そういう意味で、日本の国に住んでいる国民がそれぞれ文化の恩恵を受け、豊かな経済の恵みを受けて、しかも社会的に意味のある仕事をしていくためには、今のままではどうしようもないんじゃないか、そういう意味で地方分権を考えてみたいな。国土政策といいますか、そういう動機も私はつけ加えてみたいと思いますが、先生、どう思われましょうか。
この発言だけを見る →先生、ありがとうございました。大変広範な、そして深い分析を伺いまして、何を質問したらいいか迷っております。
最初に、地方分権の推進力ということをおっしゃいまして、五つ挙げておられます。私は、政治家の端くれとしまして、地方分権しなきゃならないという動機でございますが、明治憲法では地方自治という項目がなかった、とにかくがむしゃらに殖産興業とか軍事力をつくって、日本の独立を守る、そして、現行憲法において民主化し、経済的な興隆を遂げたということで、一つの成熟段階に来て、第三の段階を目指している、こういうことであろうと思います。二十一世紀の日本が、今までつくり上げました経済力を背景にしまして、活力のある国家として、これから日本を担っていく若い人たちが働きがいのある、生きがいのある社会をつくっていく、そういう課題を持っていると思うんです。
しかも、今現実を見ますと、東京とか、やや劣って大阪とか、失礼ですが、名古屋とかその他の地方都市がございますが、大都市に非常に人口が集中し、逆現象が全国各地に起こっていて、文化も経済力もいろいろなものがアンバランスになっております。
そういう意味で、日本の国に住んでいる国民がそれぞれ文化の恩恵を受け、豊かな経済の恵みを受けて、しかも社会的に意味のある仕事をしていくためには、今のままではどうしようもないんじゃないか、そういう意味で地方分権を考えてみたいな。国土政策といいますか、そういう動機も私はつけ加えてみたいと思いますが、先生、どう思われましょうか。
岩
岩崎美紀子#6
○岩崎参考人 おっしゃるとおりだと思います。それぞれの地域に自治体が置かれているわけでありますが、その地域性を考えないで地方分権を語ることはできませんので、国土をどうするか、国土政策的な要素というのはかなり強くあると思います。
この発言だけを見る →葉
葉梨信行#7
○葉梨小委員 そして、今先生がいろいろケースに分けてお示しいただきました。先生のお話は、先生のお書きになった論文を拝見したりしまして、これはじっくり消化しなきゃいけないと思っているわけでございますが、その中で、中央の権限が地方に及ぶ、地方が中央に影響力を与える、いろいろなケースを考えていらっしゃいます。そのときには、中央と地方、行政の権限同士の行き来だと思うんですけれども、私ども国会議員は、全国各地から、小選挙区から選ばれ、比例区からも選ばれて、地方の代表でもあるわけです。国政を論ずると同時に地方の代表である。こういう地方分権を進めていくとした場合の国会議員の役割、今果たしている役割、将来果たすべき役割、先生はどうお考えになられましょうか。
この発言だけを見る →岩
岩崎美紀子#8
○岩崎参考人 なかなか難しい御質問だと思います。国はやはり地方から成り立っているわけでありますので、そこから代表される先生方というのは、国家全体と地域も考えることができる極めて貴重な両方の視点を持たれているというふうな気がします。
しかし、地方が考える地方分権ではない、国が考える地方分権というのを考えることができるのは国会議員の先生方だけなので、閉鎖的な空間としての国というのではなくて、世界の中での日本、その日本の中での地方というふうなことを考えることができるのは国会議員の先生だけだと思うんです。地方で地方分権をというのは自分の領域しか考えませんので、それとはやはり違う考え方で、国のあり方といいましょうか、日本がよって立つこれからの、世界に向けてどのような役割を果たしながら、かつ内政的にはどのようなことを国民に供給できるかというようなことを大所高所に立って考えられるというふうな、二つの使命を背負っていらっしゃるというふうに考えます。
この発言だけを見る →しかし、地方が考える地方分権ではない、国が考える地方分権というのを考えることができるのは国会議員の先生方だけなので、閉鎖的な空間としての国というのではなくて、世界の中での日本、その日本の中での地方というふうなことを考えることができるのは国会議員の先生だけだと思うんです。地方で地方分権をというのは自分の領域しか考えませんので、それとはやはり違う考え方で、国のあり方といいましょうか、日本がよって立つこれからの、世界に向けてどのような役割を果たしながら、かつ内政的にはどのようなことを国民に供給できるかというようなことを大所高所に立って考えられるというふうな、二つの使命を背負っていらっしゃるというふうに考えます。
葉
葉梨信行#9
○葉梨小委員 そういう役割を持った国会議員がこれからの地方分権の時代にどういうふうにして真の分権を実現していくか、それはこれから我々が考え、勉強していくことであろうし、またお教えをいただかなきゃならないと思います。
最後に伺いたいのは、日本人には歴史と伝統がございます。日本人のメンタリティーというのがございます。その面から見まして、今先生は、理想型として、道州制に、あるいは広域行政型、恐らく道州制に持っていくことが大事じゃないかとおっしゃりたいように私は伺いましたけれども、日本人の長い歴史の中で培いました民族としてのメンタリティーから、そういう地方自治というものがどこまで実現できるか。カナダに勉強され、あるいはフランスに勉強され、いろいろ外国人の地方自治のあり方を見てこられた目から見て、日本人の地方分権というもの、地方自治というものをどう考えたらいいか、お聞かせいただきたいと思います。
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岩
岩崎美紀子#10
○岩崎参考人 私は、他人と違うことをやるということに対して、それを不安に思うか、誇りに思うかというところが大きな違いだと思います。地方分権というのは、ちょっと言葉は大胆ですけれども、平等性からの脱却をしないといけないわけで、多様であるということは違うということでありまして、すべて同じではないということになります。ですから、その多様性を是とするかしないかで、多様であることは嫌だ、ほかの地域よりも劣っているとか違うことは嫌だというのであれば、日本には地方分権というのはなじまないと思います。何かすごくはっきり言っちゃいますけれども。
しかし、日本の長い歴史を見ますと、それぞれの地域性というか地域文化こそ誇りに、民族の切り捨てではない地域文化というのは本当にぜいたくな多様性なわけであります。ですから、そこを復権するのは今しかないような気がします。ここは、近代化の過程である程度中央集権型になれてきましたので、ちょっと多様性に対するアレルギーはあるかもしれませんけれども、日本人のDNAには多様なものを認めていくというふうなおおらかさはあるかなという気がしますので、そこに訴えるしかないかなという気がします。
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葉
葉梨信行#11
○葉梨小委員 先生、ありがとうございました。この分権型の地方自治を実現するというのは、強い意思がなきゃできないことだと思います。そういう意味で、これからもいろいろお教えをいただきたいと思います。ありがとうございました。
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中
中村哲治#13
○中村(哲)小委員 民主党の中村哲治でございます。
本日は、大変示唆に富んだ御教示をいただきまして、ありがとうございました。
先生がおっしゃいました、今は相互浸透の形である、それを相互依存の形にしていかなくてはならない、すなわち、それぞれが自立する中で、地方自治体と国が協力していく関係をつくっていかないといけないというのは、まさにそのとおりだと実感しました。我が党民主党が一番大きな政策の柱として地方分権を訴えておりますのも、そういうふうな、地域が自立する中で共存していく、そういうふうな形がこの国に今一番大切なことではないかと考えておることからも、本当に親近感を持って聞かせていただきました。
まず先生にお聞きしたいのは、地方分権を進める上で、地域文化性と地域政党とが、どちらかが必要なのではないかということをお話しなさいました。私は、その中で、マスコミの果たすべき役割というのは非常に大きいのではないかということを実感しています。
日本では、テレビの場合はマスメディア集中排除原則がありますので、地域ごとに、特に都道府県単位にテレビが置かれることになっておりますが、キー局の制度がありますから、どうしても東京からの文化の発信に集中してしまっているのではないかと実感しております。地域政党ができるにしても地域文化性ができるにしても、まず東京からの文化の発信の一極集中というものを排除する必要があるのではないかということを今実感として持っております。
その一つの解決の方法として、首都機能の移転ということもあるかと思いますが、先生の首都機能の移転についての御意見をお聞かせください。
この発言だけを見る →本日は、大変示唆に富んだ御教示をいただきまして、ありがとうございました。
先生がおっしゃいました、今は相互浸透の形である、それを相互依存の形にしていかなくてはならない、すなわち、それぞれが自立する中で、地方自治体と国が協力していく関係をつくっていかないといけないというのは、まさにそのとおりだと実感しました。我が党民主党が一番大きな政策の柱として地方分権を訴えておりますのも、そういうふうな、地域が自立する中で共存していく、そういうふうな形がこの国に今一番大切なことではないかと考えておることからも、本当に親近感を持って聞かせていただきました。
まず先生にお聞きしたいのは、地方分権を進める上で、地域文化性と地域政党とが、どちらかが必要なのではないかということをお話しなさいました。私は、その中で、マスコミの果たすべき役割というのは非常に大きいのではないかということを実感しています。
日本では、テレビの場合はマスメディア集中排除原則がありますので、地域ごとに、特に都道府県単位にテレビが置かれることになっておりますが、キー局の制度がありますから、どうしても東京からの文化の発信に集中してしまっているのではないかと実感しております。地域政党ができるにしても地域文化性ができるにしても、まず東京からの文化の発信の一極集中というものを排除する必要があるのではないかということを今実感として持っております。
その一つの解決の方法として、首都機能の移転ということもあるかと思いますが、先生の首都機能の移転についての御意見をお聞かせください。
岩
岩崎美紀子#14
○岩崎参考人 首都機能移転ですが、首都機能というのが一体何を意味するのかというところで、移転する意味があるのかないのかが決まってくると思うわけであります。つまり、地方分権が進んでいけば、首都機能は、いわゆる中央政府が小さくなっていくわけでありますので、肥大しているので移転して小さくということであれば、それはただ引っ越しをして小さくなるわけでありますので、それはちょっとないと思うのです。見えざる遷都と昔言いましたけれども、地方分権を進めれば大分違ってくるのかなという気がします。
ちなみに、首都機能移転論が出てきたときに、私もちょっといろいろ勉強しておりますと、小さな首都というのは、連邦国家は小さな首都なんですが、オタワ、キャンベラ、ワシントン等々そうですが、連邦制のもとでの首都というのは、プレース・オブ・パーラメント、国会のある場所というのが首都になっています。
しかしながら、単一国家の首都というのはすべて集中していますので、プレース・オブ・パワー、権力の場所というふうになっておりますので、権力の場所というところを、少し権力、権限を地方分権していくと、それほど首都機能移転の必要はないのかなという気がします。
ただ、東京にずっとあってというところは、心機一転するにはいいかなという気がしますけれども、それは余りにも、もうちょっと理論武装が必要かなという気がします。
この発言だけを見る →ちなみに、首都機能移転論が出てきたときに、私もちょっといろいろ勉強しておりますと、小さな首都というのは、連邦国家は小さな首都なんですが、オタワ、キャンベラ、ワシントン等々そうですが、連邦制のもとでの首都というのは、プレース・オブ・パーラメント、国会のある場所というのが首都になっています。
しかしながら、単一国家の首都というのはすべて集中していますので、プレース・オブ・パワー、権力の場所というふうになっておりますので、権力の場所というところを、少し権力、権限を地方分権していくと、それほど首都機能移転の必要はないのかなという気がします。
ただ、東京にずっとあってというところは、心機一転するにはいいかなという気がしますけれども、それは余りにも、もうちょっと理論武装が必要かなという気がします。
中
中村哲治#15
○中村(哲)小委員 少し議論の順序が逆だったのかもしれません。
私が申したいのは、地方分権するためには、先生がおっしゃったように、地域文化性ないしは地域政党が必要である。私は、マスコミの分化がなければ、地域文化性なり地域政党というのはできないのではないかということを実感しております。
例えば、私が生まれ育ったのは奈良なんですが、大阪文化圏。私の選挙区に住んでいる人たちも、奈良に勤めに行くというよりは大阪に勤めに行く人が半数程度いるということで、関西全体で考えることによって、一つの地方分権、広域行政のあり方というのが志向できるのではないか、目指していけるのではないかということが実感としてあるわけです。
しかし、関西圏の中で、マスコミないしそういうふうな文化発信が、大阪、京都、兵庫、また奈良、そういう一体となったマスコミのあり方がなければ、関西州というか関西圏を中心とした広域の自治体というのはできないのではないかと実感しているわけでございます。それをつくっていくためのインセンティブとして、まず、経済の中心である東京と国会の存している場所とを分けた方がいいのではないか。
先ほど、権力の集中だとおっしゃいましたように、日本の場合は議院内閣制をとっているわけですから、国会のある場所と中央官庁、官邸のある場所というのは、恐らく同じ場所になるかと思います。そうすると、必然的に官邸情報ないしは国会情報を伝えるマスコミの機能は、首都機能の移転によって東京から違う地域にもたらされる。そうすると、キー局の機能というのも東京一極集中ではなく、必ず首都が移転された地域と東京と、二つの情報発信基地といいますか、地域が必要になってきます。
そういう意味で、地域の文化性、地域政党を育てるという観点から、マスコミを分散化させる必要がある。そのために、首都機能の移転というのは、手段として有効ないしは必要なのではないかという観点からお聞きしたかったわけでございますが、その点について御意見いかがでしょうか。
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例えば、私が生まれ育ったのは奈良なんですが、大阪文化圏。私の選挙区に住んでいる人たちも、奈良に勤めに行くというよりは大阪に勤めに行く人が半数程度いるということで、関西全体で考えることによって、一つの地方分権、広域行政のあり方というのが志向できるのではないか、目指していけるのではないかということが実感としてあるわけです。
しかし、関西圏の中で、マスコミないしそういうふうな文化発信が、大阪、京都、兵庫、また奈良、そういう一体となったマスコミのあり方がなければ、関西州というか関西圏を中心とした広域の自治体というのはできないのではないかと実感しているわけでございます。それをつくっていくためのインセンティブとして、まず、経済の中心である東京と国会の存している場所とを分けた方がいいのではないか。
先ほど、権力の集中だとおっしゃいましたように、日本の場合は議院内閣制をとっているわけですから、国会のある場所と中央官庁、官邸のある場所というのは、恐らく同じ場所になるかと思います。そうすると、必然的に官邸情報ないしは国会情報を伝えるマスコミの機能は、首都機能の移転によって東京から違う地域にもたらされる。そうすると、キー局の機能というのも東京一極集中ではなく、必ず首都が移転された地域と東京と、二つの情報発信基地といいますか、地域が必要になってきます。
そういう意味で、地域の文化性、地域政党を育てるという観点から、マスコミを分散化させる必要がある。そのために、首都機能の移転というのは、手段として有効ないしは必要なのではないかという観点からお聞きしたかったわけでございますが、その点について御意見いかがでしょうか。
岩
岩崎美紀子#16
○岩崎参考人 おっしゃるように、ちょっと順序を逆にお答えしてしまって申しわけございませんでした。
マスコミがかなり東京に集中しているというのは、これは見えないところでいろいろな東京浸透、東京のいろいろな文化が出ていくということで、見えない集権化という気が本当にいたします。それを分けることで、地域文化性が育てられるというのは仰せのとおりだと思います。
確かに、マスコミの報道を見ておりますと、ほとんど東京発信型でありますので、私も筑波ですから、茨城の端で、何か東京のニュースばかり見ている気がするわけでありますけれども。
少し救いになるのは、インターネットが大分出てきましたので、一方的に送りつけられる映像だけではないのを見ることができるので、そういう意味で、マスコミを分散させることではなくて、新たな発信ができる情報づくりというので、インターネットという新しいメディアでやっていくことで、この問題は少し動かせるかなという気はしないわけではありません。
関西はやはり文化の一大拠点でございますので、逆に東京に拮抗し得るような関西文化というのがあるわけですから、その辺で頑張っていただけることがほかのところにも大きな力になるのではないかなという気がします。
首都機能移転については、多分政治と経済を分けていくということだと思いますけれども、それも考えていく一つの意味はあると思っています。
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確かに、マスコミの報道を見ておりますと、ほとんど東京発信型でありますので、私も筑波ですから、茨城の端で、何か東京のニュースばかり見ている気がするわけでありますけれども。
少し救いになるのは、インターネットが大分出てきましたので、一方的に送りつけられる映像だけではないのを見ることができるので、そういう意味で、マスコミを分散させることではなくて、新たな発信ができる情報づくりというので、インターネットという新しいメディアでやっていくことで、この問題は少し動かせるかなという気はしないわけではありません。
関西はやはり文化の一大拠点でございますので、逆に東京に拮抗し得るような関西文化というのがあるわけですから、その辺で頑張っていただけることがほかのところにも大きな力になるのではないかなという気がします。
首都機能移転については、多分政治と経済を分けていくということだと思いますけれども、それも考えていく一つの意味はあると思っています。
中
中村哲治#17
○中村(哲)小委員 インターネットが地域情報の共有化に非常に役に立つというのはまさにそのとおりだと私も実感しておりまして、それも実践していかないといけないなと思いながら、メールマガジンやホームページをつくっているところであります。
最後に、政令都市と府県との関係について、ちょっと違う次元の話なんですが、お聞きしたいと思います。
と申しますのは、政令市というのは、政令市になってしまうと、国と直接結びつくことになりますから、府県との関係がまたずれてしまう。例えば、大阪府の元職員であった方にお聞きしたんですが、大阪市と大阪府、同じ大阪にありながら非常に仲が悪い。例えば女性支援センターをつくるにしても、大阪市は大阪市の中につくる、大阪府も大阪市の中につくる。同じものが二つできてしまう。そういうことを考えましても、道州制という言葉がいいのかわかりませんが、こういうふうな地方分権をやっていく中で、政令指定都市と府県の関係というのはやはり見直していかないといけないのではないか。今の状況は不幸だと思うんですけれども、それについてのお考えをお聞かせください。
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と申しますのは、政令市というのは、政令市になってしまうと、国と直接結びつくことになりますから、府県との関係がまたずれてしまう。例えば、大阪府の元職員であった方にお聞きしたんですが、大阪市と大阪府、同じ大阪にありながら非常に仲が悪い。例えば女性支援センターをつくるにしても、大阪市は大阪市の中につくる、大阪府も大阪市の中につくる。同じものが二つできてしまう。そういうことを考えましても、道州制という言葉がいいのかわかりませんが、こういうふうな地方分権をやっていく中で、政令指定都市と府県の関係というのはやはり見直していかないといけないのではないか。今の状況は不幸だと思うんですけれども、それについてのお考えをお聞かせください。
岩
岩崎美紀子#18
○岩崎参考人 昔、特別市というのがございましたけれども、一層制というふうに言っていいのでしょうか、府県のもとに置かれない、そういう特別市構想というのがあったわけであります。政令市がすべてそういうふうになるかならないかはちょっといろいろ問題があると思うのですけれども、どちらかというと、動きとしては、都市自治体はより自立する方向でいかないと、日本のように、可住地の面積が少ない、森林率七〇%くらいの国土の中で、それ以外のところに百万以上の都市が十個ぐらいあるというのは世界でも珍しいわけであります。そうすると、都市自治体がある程度自立をしていくということがかなり重要なのかなという気がしますので、私は、特別市構想というのは実はひそかに応援をしているわけであります。そうなると、どうしても府県のことを考えざるを得なくて、道州制になってしまうのかなという気はしています。
デザインを組むのは非常に大変ですけれども、まず都市の自立というのを考えることも、ダブらないという意味で効率、それから人々のアイデンティティーということで、より強いアイデンティティーが求められるかなという気がします。
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中
保
江
江田康幸#21
○江田小委員 公明党の江田康幸でございます。
本日は、先生、お忙しい中、非常にグローバルな視点で、また海外にも居住されていて、そういう観点から日本を見ていただいて、地方分権改革についての非常に参考ある御意見をいただきましてありがとうございました。
私は、さきの二先生とは違いまして、ちょっとどろどろと具体的に勉強をさせていただきたいと思っておりますので、二、三点御質問させていただきます。
先ほど先生が、今後の日本の地方分権改革で三つの課題があると言われました。一つは、財政面での分権、税財源の移譲についてということでございました。これについてちょっと御質問をさせていただきたいんですが、さきの地方分権推進委員会が小泉首相に提出しました最終報告で、地方の歳入面での自由度を増すために、所得税や消費税の一部移譲と交付税の補助金の減額を明記しておりました。すなわち、国税である所得税の一部を地方税である個人住民税に移して、消費税は地方交付税の原資となっている部分を地方消費税に組みかえることが望ましいということを最終報告に盛り込んでおりました。
これは、地方分権一括法に欠けていた具体的な税財源の移譲の問題に踏み込んだということで評価ができると思うんですが、現実的には、所得税とか消費税というのは法人税に比べて地域間の偏りが比較的少ないでしょう、それでも、額が大きくなれば当然市町村レベルでの財政力の格差はさらに広がってくる。この格差をならすために市町村の合併という手段は有効であると言えるんですが、しかし、やはり財政基盤の弱いもの同士が一緒になるという現実も今ございますので、そうなってくると評価ができない。また、農村とか離島、そういうところでも、もともと財政基盤が強くないから地域の問題がこういうふうに残るわけでございます。
だから、地方交付税が果たしてきた再配分の仕組みが今後とも非常に重要になると思っておるのでございますが、そういっても、今度はまたさらに、国が集めた税金を地方に分配するというやり方はやはり改めていかないと本来の自治にいかないのであろうという、矛盾したというか、そういう考えが私の頭の中を去来します。
そういうことに関して、地方税財源の移譲について先生の御意見をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします、長くなりましたが。
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私は、さきの二先生とは違いまして、ちょっとどろどろと具体的に勉強をさせていただきたいと思っておりますので、二、三点御質問させていただきます。
先ほど先生が、今後の日本の地方分権改革で三つの課題があると言われました。一つは、財政面での分権、税財源の移譲についてということでございました。これについてちょっと御質問をさせていただきたいんですが、さきの地方分権推進委員会が小泉首相に提出しました最終報告で、地方の歳入面での自由度を増すために、所得税や消費税の一部移譲と交付税の補助金の減額を明記しておりました。すなわち、国税である所得税の一部を地方税である個人住民税に移して、消費税は地方交付税の原資となっている部分を地方消費税に組みかえることが望ましいということを最終報告に盛り込んでおりました。
これは、地方分権一括法に欠けていた具体的な税財源の移譲の問題に踏み込んだということで評価ができると思うんですが、現実的には、所得税とか消費税というのは法人税に比べて地域間の偏りが比較的少ないでしょう、それでも、額が大きくなれば当然市町村レベルでの財政力の格差はさらに広がってくる。この格差をならすために市町村の合併という手段は有効であると言えるんですが、しかし、やはり財政基盤の弱いもの同士が一緒になるという現実も今ございますので、そうなってくると評価ができない。また、農村とか離島、そういうところでも、もともと財政基盤が強くないから地域の問題がこういうふうに残るわけでございます。
だから、地方交付税が果たしてきた再配分の仕組みが今後とも非常に重要になると思っておるのでございますが、そういっても、今度はまたさらに、国が集めた税金を地方に分配するというやり方はやはり改めていかないと本来の自治にいかないのであろうという、矛盾したというか、そういう考えが私の頭の中を去来します。
そういうことに関して、地方税財源の移譲について先生の御意見をお伺いしたいと思いますので、よろしくお願いします、長くなりましたが。
岩
岩崎美紀子#22
○岩崎参考人 結論から申しますと、地方交付税に相当する平衡交付金というふうに、イコライゼーションペイメントというふうな水平的な財政調整機能というか、そういうふうな財政移転は、私は、国の責務だと思います。地方分権を進めていって課税自主権等々を幾ら強化しても、おっしゃるように税源そのものがなければ税は徴収できないわけでありまして、いろいろな課税自主権をどんどん行使することは、タックスジャングルといいましょうか、税制乱立を招くことになりまして、それは国民のためには決してよろしくないことだと思います。
しかしながら、現在の地方交付税のあり方がそのままいいとは私は思いません。でも、地方税にもいわゆる骨太の方針のようなものがあると思うんですが、一番重要なのはやはり税源で、自分で徴収してそこで賄うというふうな地方税をいかに強化するかということで、税源の移譲というのがあると思います。その次に、歳出と歳入のバランスをとるということでありますが、国よりも地方の方がたくさん支出をしている、仕事をしているわけですので、その分の税源は移譲するということであります。
税源の移譲の後に、次に来てほしいのは、細々した条件のついた補助金を一括というか包括的に、分野ごとに、これは教育に使っていいのだとか、これは福祉ですとか、これは介護ですとか、各プログラムの細かなことではなくて、その分野ごとにブロックグランツにしていくということで、先ほど申し上げました地方の裁量が生かせる、フレキシビリティー、柔軟に、プログラムが幾つもあって錯綜して、重複するというふうなむだも省くことができますので、そういうことが言えると思います。これは二番目に来ると思うんですね。
それでも、やはり税源がないところはないわけでありますので、そういうところはそれでいいのだというふうに、地方団体ではなくて、国がまさに国土政策的にも考えて、国がそこのところの人々に対して一定の保障をするというふうな意味での水平的な財政調整というのは、私は、これは国の責務だと思っています。
恐縮ですが、カナダは連邦国家ですけれども、イコライゼーションペイメントの平衡交付金というのが国家統合のボンド、のりというんでしょうか、求心力というふうに言われているぐらい、国の責務である。どこに住んでいるかで、同じ国民が、ただ住んでいる場所が違うだけで税金が高いとかサービスが悪いというのはおかしいということなので、この交付税という水平的な財政調整は国の責務だと思います。あり方というか、実際の配分の仕方というのは少し問題があるかもしれませんけれども。ということで、そちらの方の、交付税を支持する方の答えになります。
この発言だけを見る →しかしながら、現在の地方交付税のあり方がそのままいいとは私は思いません。でも、地方税にもいわゆる骨太の方針のようなものがあると思うんですが、一番重要なのはやはり税源で、自分で徴収してそこで賄うというふうな地方税をいかに強化するかということで、税源の移譲というのがあると思います。その次に、歳出と歳入のバランスをとるということでありますが、国よりも地方の方がたくさん支出をしている、仕事をしているわけですので、その分の税源は移譲するということであります。
税源の移譲の後に、次に来てほしいのは、細々した条件のついた補助金を一括というか包括的に、分野ごとに、これは教育に使っていいのだとか、これは福祉ですとか、これは介護ですとか、各プログラムの細かなことではなくて、その分野ごとにブロックグランツにしていくということで、先ほど申し上げました地方の裁量が生かせる、フレキシビリティー、柔軟に、プログラムが幾つもあって錯綜して、重複するというふうなむだも省くことができますので、そういうことが言えると思います。これは二番目に来ると思うんですね。
それでも、やはり税源がないところはないわけでありますので、そういうところはそれでいいのだというふうに、地方団体ではなくて、国がまさに国土政策的にも考えて、国がそこのところの人々に対して一定の保障をするというふうな意味での水平的な財政調整というのは、私は、これは国の責務だと思っています。
恐縮ですが、カナダは連邦国家ですけれども、イコライゼーションペイメントの平衡交付金というのが国家統合のボンド、のりというんでしょうか、求心力というふうに言われているぐらい、国の責務である。どこに住んでいるかで、同じ国民が、ただ住んでいる場所が違うだけで税金が高いとかサービスが悪いというのはおかしいということなので、この交付税という水平的な財政調整は国の責務だと思います。あり方というか、実際の配分の仕方というのは少し問題があるかもしれませんけれども。ということで、そちらの方の、交付税を支持する方の答えになります。
江
江田康幸#23
○江田小委員 ありがとうございました。
それでは、小泉内閣が、改革プログラムの中で、それを具体化した構造改革に関する基本方針というのを出しておりますが、地方の自立とともに、地方の競争についてかなり踏み込んだ提示をこの中でしていることになりますが、一つには、地方交付税の見直し調整と地方税の充実。先生とよく似たことなのか、これについて、もう時間がないですが、先生、この小泉内閣の改革プログラムの評価はどう思われますでしょうか。本来の地方自治に向かうための策としてです。
この発言だけを見る →それでは、小泉内閣が、改革プログラムの中で、それを具体化した構造改革に関する基本方針というのを出しておりますが、地方の自立とともに、地方の競争についてかなり踏み込んだ提示をこの中でしていることになりますが、一つには、地方交付税の見直し調整と地方税の充実。先生とよく似たことなのか、これについて、もう時間がないですが、先生、この小泉内閣の改革プログラムの評価はどう思われますでしょうか。本来の地方自治に向かうための策としてです。
岩
岩崎美紀子#24
○岩崎参考人 私は、先ほど、税とサービスの関係を水平的に調整するのは国の責務だと申しましたが、公共財政と、それを地域経済というか私的な部門でどう使うかという話と少し分けて考えておく必要があると思います。プライベートエコノミーとパブリックファイナンスというのが、どうも交付税がボンドになって話がくっついてしまっているところがあると思います。
ある意味で、地方の自立というのは、まさに、地方にできることは地方に任せて、民でできることは民に任せるというふうな、小泉内閣の一番地方自治の面で出ていたものだと思いますけれども、私は、地方の自立というのは支持するのですが、地方の競争というのは実は余り支持しないわけであります。
地方の競争というのは、それぞれの自治体を競争させて、こっち側から見て、ああ競争している、競争しろしろというふうにあおるわけで、そこに住んでいる人たちはそこの自治体に住んでいるわけですから、そこで幸せに暮らせればいいのに、横がどうなっているか、先ほどの他人を気にしなきゃいけない地方自治というのは少し不幸な気がします。
ですから、地方の競争というのは、結果として競争原理が働いて元気になれるというのならいいのですが、競争しろというふうにして走らすのは、まさにこれは再度近代化へのキャッチアップのような気がして仕方がないわけです。ですから、地方の自立は支持したいと思います。でも、その自立というのは、地方によってあり方が違うという、多様な自立というふうに考えたいと思います。
この発言だけを見る →ある意味で、地方の自立というのは、まさに、地方にできることは地方に任せて、民でできることは民に任せるというふうな、小泉内閣の一番地方自治の面で出ていたものだと思いますけれども、私は、地方の自立というのは支持するのですが、地方の競争というのは実は余り支持しないわけであります。
地方の競争というのは、それぞれの自治体を競争させて、こっち側から見て、ああ競争している、競争しろしろというふうにあおるわけで、そこに住んでいる人たちはそこの自治体に住んでいるわけですから、そこで幸せに暮らせればいいのに、横がどうなっているか、先ほどの他人を気にしなきゃいけない地方自治というのは少し不幸な気がします。
ですから、地方の競争というのは、結果として競争原理が働いて元気になれるというのならいいのですが、競争しろというふうにして走らすのは、まさにこれは再度近代化へのキャッチアップのような気がして仕方がないわけです。ですから、地方の自立は支持したいと思います。でも、その自立というのは、地方によってあり方が違うという、多様な自立というふうに考えたいと思います。
江
保
武
武山百合子#27
○武山小委員 自由党の武山百合子でございます。
きょうは、幅広いお話をどうもありがとうございました。
私、実はアメリカのニューヨーク近郊に長いこと住んでおりまして、日本と大変大きな違いを感じながら住んでいた一人でございます。本当に多種多様な地方自治といいますか、一万人前後の村から三万人ぐらいの町から、それこそ十万人、二十万人の市から、それぞれの多様な自治が、本当に歴史があるというか、それがよいと思う部分と、もちろん欠点もございますけれども、日本と比較した場合、日本の場合、例えば東京都、これは東京都という大きな一つのくくりですけれども、それと地方の小さな都市、また五十万都市、市町村、そういうところと比べましたときに、それとまたアメリカの分権の中で比べますと、アメリカの場合、教育もほとんど広域の事業で分権されています。それから、病院、公共のサービスは、ほぼ平均してそこのニーズに合った公共のサービスがあります。と同時に、細かいことを言いますと、弁護士さん、病院、デパート、人々が公共のサービスで欲しいというものはある程度そろっているわけです。
では、日本はどうかというと、大きな都市、それから県庁所在地、そういうところにはそろっているんですけれども、私の住んでおります埼玉県東部地区は、春日部という都市、人口二十万ちょっとなんですけれども、本当にいい病院があるか、いい学校があるかというふうに考えますと、やはり浦和、西の方のいわゆる人口増加地帯に集中するわけです。そうすると、本当に公共のサービスが国民に公平に行き渡っているかといいますと、格差が非常にあるということを感じるんですね。もちろん、その市町村の首長の自治の仕方によって大きな格差があるわけですけれども、どうして日本は進まないのか、その辺のお考えを聞きたいと思います。
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私、実はアメリカのニューヨーク近郊に長いこと住んでおりまして、日本と大変大きな違いを感じながら住んでいた一人でございます。本当に多種多様な地方自治といいますか、一万人前後の村から三万人ぐらいの町から、それこそ十万人、二十万人の市から、それぞれの多様な自治が、本当に歴史があるというか、それがよいと思う部分と、もちろん欠点もございますけれども、日本と比較した場合、日本の場合、例えば東京都、これは東京都という大きな一つのくくりですけれども、それと地方の小さな都市、また五十万都市、市町村、そういうところと比べましたときに、それとまたアメリカの分権の中で比べますと、アメリカの場合、教育もほとんど広域の事業で分権されています。それから、病院、公共のサービスは、ほぼ平均してそこのニーズに合った公共のサービスがあります。と同時に、細かいことを言いますと、弁護士さん、病院、デパート、人々が公共のサービスで欲しいというものはある程度そろっているわけです。
では、日本はどうかというと、大きな都市、それから県庁所在地、そういうところにはそろっているんですけれども、私の住んでおります埼玉県東部地区は、春日部という都市、人口二十万ちょっとなんですけれども、本当にいい病院があるか、いい学校があるかというふうに考えますと、やはり浦和、西の方のいわゆる人口増加地帯に集中するわけです。そうすると、本当に公共のサービスが国民に公平に行き渡っているかといいますと、格差が非常にあるということを感じるんですね。もちろん、その市町村の首長の自治の仕方によって大きな格差があるわけですけれども、どうして日本は進まないのか、その辺のお考えを聞きたいと思います。
岩
岩崎美紀子#28
○岩崎参考人 市町村の首長さんによっていろいろなサービスの違いが出てくるというのは確かだと思いますが、やはりお金がないというのが一番大きいのかなという気がします。日本の地方自治体は、歳入の自治も非常に低いのですが、歳出の自治というのも非常に低くて、何に使わなくてはいけないというのはほとんど決まってしまっているので、より個性的な事業をしようと思うとどうしてもお金がないというふうな状態が続いているというのが、恐らく、豊かなところはいろいろなサービスができてくるし、できないところはできないままで、ますます格差が広がるというところだと思います。
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