憲法調査会地方自治に関する調査小委員会
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会
会議録情報#0
平成十四年五月九日(木曜日)
午後二時開議
出席小委員
小委員長 保岡 興治君
伊藤 公介君 西田 司君
葉梨 信行君 平井 卓也君
森岡 正宏君 渡辺 博道君
筒井 信隆君 中川 正春君
中村 哲治君 永井 英慈君
江田 康幸君 武山百合子君
春名 直章君 金子 哲夫君
井上 喜一君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
参考人
(東京大学教授) 神野 直彦君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
—————————————
五月九日
小委員土井たか子君四月十一日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
地方自治に関する件
————◇—————
この発言だけを見る →午後二時開議
出席小委員
小委員長 保岡 興治君
伊藤 公介君 西田 司君
葉梨 信行君 平井 卓也君
森岡 正宏君 渡辺 博道君
筒井 信隆君 中川 正春君
中村 哲治君 永井 英慈君
江田 康幸君 武山百合子君
春名 直章君 金子 哲夫君
井上 喜一君
…………………………………
憲法調査会会長 中山 太郎君
参考人
(東京大学教授) 神野 直彦君
衆議院憲法調査会事務局長 坂本 一洋君
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五月九日
小委員土井たか子君四月十一日委員辞任につき、その補欠として金子哲夫君が会長の指名で小委員に選任された。
同日
小委員金子哲夫君同日小委員辞任につき、その補欠として土井たか子君が会長の指名で小委員に選任された。
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本日の会議に付した案件
地方自治に関する件
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保
保岡興治#1
○保岡小委員長 これより会議を開きます。
地方自治に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として東京大学教授神野直彦君に御出席をいただいております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
次に、議事の順序につきまして申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、神野参考人、お願いいたします。
この発言だけを見る →地方自治に関する件について調査を進めます。
本日、参考人として東京大学教授神野直彦君に御出席をいただいております。
この際、参考人の方に一言ごあいさつを申し上げます。
本日は、御多用中にもかかわらず御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人のお立場から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じます。
次に、議事の順序につきまして申し上げます。
最初に参考人の方から御意見を四十分以内でお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、発言する際はその都度小委員長の許可を得ることとなっております。また、参考人は小委員に対し質疑することはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。
御発言は着席のままでお願いいたします。
それでは、神野参考人、お願いいたします。
神
神野直彦#2
○神野参考人 本日は、このような席にお招きいただきまして、本当に光栄に存じております。私、法律の専門家ではございませんので、財政学の立場から地方財政につきまして意見を述べさせていただくということでお許しいただければというふうに存じております。
また、私、網膜剥離を患っておりまして目が不自由なものですので、失礼があるかと思います。その点についても御容赦いただければというふうに存じております。
それで、お手元にレジュメが行っているかと思いますが、現在、日本でも地方分権が大きな政策課題となっておりますが、この地方分権は、私の理解では、二つの大きな波がぶつかって日本で地方分権の推進が政策課題となって生じているというふうに理解をいたしております。一つの波は、歴史的に日本が追求してきた民主主義の波だろうというふうに理解をいたしております。そして、もう一つの波は、日本を初めとする先進諸国で、前世紀、つまり二十世紀の後半から共通に生じてまいりました分権の波。この二つの波が衝突をして、日本で地方分権の推進が積極的に図られようとしているという認識に立っております。その点につきまして、そうした二つの波の中で、地方自治を推進していくために地方財政がどういうように考えられてきたのかということを考えながら参考意見を述べさせていただきたいというふうに考えております。
お手元のレジュメを見ていただきますと、1のところで、まず、歴史的に追求してきた民主主義の波ということで、「過去からの教訓」というところがございます。1—1の後に、一九二八年の二月に行われました第十六回の総選挙で、時の二大政党の一つでありました政友会が掲げている選挙ポスターを引用してございます。この選挙ポスターは、地方に財源を与えれば、地方の完全な発達は自然にやってくるんだ、それから、地方分権というのは丈夫なものであって、地方はひとり歩きで発展することができる、それから、中央集権は不自由なものであって、地方の足をやせさせてしまって、つえをもらわないとだめになってしまう、こう訴えているわけです。この選挙ポスターは、恐らく現在でも通用できるようなポスターになっているのではないかと思います。
そして、なぜこの一九二八年に、時の最大とも言っていい政友会がこうした選挙ポスターを掲げたのかと申しますと、この一九二八年の総選挙は日本の総選挙にとって画期的な選挙でございました。つまり、第一回目の普通選挙だったわけです。
このときにどうしてこういう分権が重要な政策課題として掲げられたのかと申しますと、第一次世界大戦中の一九一八年に日本は米騒動という非常に不幸な事件を経験いたします。このときに諸物価が高騰いたしましたので、地方財政も破綻の危機に瀕するわけです。そこで、義務教育の国庫負担がこの年に成立をいたします。この義務教育国庫負担は、現在の義務教育の国庫負担と違いまして、財政調整、つまり現在で申しますと交付税の役割を果たしていたものでございまして、私ども地方財政学の立場から申しますと、現在の財政調整制度のはしりとして位置づけられているものです。
この一九一八年にできた義務教育国庫負担金の額が非常に少なかったものですので、三重県七保村の村長でいらっしゃいました大瀬東作という村長が、全国の町村に檄を飛ばしまして、全国的な町村の組織の結成を行おうといたします。七保村に準備会ができて、一九二一年に第一回の総会が行われます。これが現在の全国町村会です。
この全国町村会の総会では、二つのことを決定いたします。一つは、両税移譲。国税から地方税へ税源を移譲してほしい。この両税は、当時の地租と営業税という二つの税金です。この両税を国税から地方税に移譲してほしい。同時に、義務教育国庫負担金の増額をしてほしい。この二つの要求をいたします。現在で申しますと、国税から地方税に税源を移譲してもらいたい、同時に、交付税の増額を要求したということになるかと思います。
私たちは、この両税移譲運動を軸とする大正時代に行われたこの全国町村会が担ったような運動を大正デモクラシーというふうに呼んでいるわけでして、両税移譲運動を軸とした大正デモクラシーの成果として普通選挙ができ上がったわけですから、当然、第一回目の普通選挙では、両税移譲を初めとする地方分権の問題が重要なイシューになってくるわけです。政友会のこのときの公約は、両税、国税であった営業税と地租を地方に移譲するというのが公約でございましたので、そういう選挙として争われたということです。
その後、第二次世界大戦後になりまして、現在の私どもの税財政制度の基礎をつくりましたシャウプ勧告が行われますが、このシャウプ勧告は大正デモクラシーの両税移譲運動を踏まえながら勧告をいたします。
つまり、シャウプ勧告は補完性の原理。補完性の原理というのは、後で御説明いたしますけれども、市町村優先の原則です。まず市町村に仕事をやらせ、その後、市町村ができないものを道府県が、道府県ができないことを国がというふうに事務を割り当てていく。そして、能率性の原則。事務事業は、最もその事務を能率的にできる道府県なり市町村なりに割り当てる。そして、そのことによって行政責任を明確化させるという原則を打ち出して、事務を割り当てると同時に、財政面では、大正デモクラシーの運動を踏まえて、両税移譲、地租と営業税を国税から地方税に移譲しろという勧告を出すわけでございます。つまり、地租と家屋税を抱き合わせにして固定資産税として、この固定資産税を市町村の独立税として設定しなさい。それから、営業税の方は、現在の事業税でございますが、道府県の独立税として事業税を設定しなさい、こういう勧告をするわけでございます。
戦前の付加税主義、国税におんぶするといいますか、上に乗っける税金ではなくて、独自の税金として独立税主義をとる。
それからもう一つ、補助金の整理。これは、個別の補助金は原則として認めない、一般補助金である平衡交付金にまとめて一括しろ、こういうふうに勧告をいたしまして、現在の交付税制度を勧告するわけです。つまり、シャウプ勧告は、日本の大正デモクラシーが要求してきた両税移譲と財政調整制度の強化という二つのことを実現させたということになるかと思います。そして、同時にまた、地方債の起債の自由化を図っていくということをシャウプ勧告はうたったわけでございます。
次に、もう一つの波であります、先進諸国で共通に行われている分権の波についてお話をしたいと思います。
二十世紀の後半になってまいりまして、一九八〇年代あたりから経済のグローバル化ということが進んでまいりますと、一方でローカル化という現象が起きてまいります。グローバル化とローカル化と言われている現象です。経済は国民国家を超えて動き始めるけれども、人間の生活はグローバル化するわけではないので、地方に決定権を与えて分権を進めようという動きが世界的に生じてまいります。その象徴がヨーロッパで結ばれましたヨーロッパ地方自治憲章でございます。
ヨーロッパは、グローバル化に対抗するためにEUなどのヨーロッパ統合を進めると同時に、他方でヨーロッパ地方自治憲章を結んだわけでございます。現在、三十九カ国が署名し、三十五カ国が批准をいたしております。
このヨーロッパ地方自治憲章はどういう内容をうたっているかと申しますと、お手元の三枚目をお開きいただければと思います。ヨーロッパ地方自治憲章の重要なところだけを抜粋しております。
第四条の地方自治の範囲というところを見ていただきますと、四条の第一項でもって、「地方自治体の基本的な権限と責務は、憲法またはこれに準ずるような基本法において規定されなければならない。」こう規定いたしております。
それから、第三項を見ていただきますと、「公的部門が担うべき責務は、原則として、最も市民に身近な公共団体が優先的にこれを執行するものとする。国など他の公共団体にその責務をゆだねる場合は、当該責務の範囲及び性質並びに効率性及び経済上の必要性を勘案した上で、これを行わなければならない。」
これは補完性の原理をうたっておりますし、補完性の原理の後、上の政府に事務を割り当てるときには、能率性の原則というふうにシャウプ勧告が説明したような原則に基づいて割り当てなさい、こういうふうに言っているわけですね。
これはローマ法王の思想でございまして、個人でできないことを家族が、家族ができないことをコミュニティーが、コミュニティーでできないことを市町村が、市町村ができないことを道府県が、道府県ができないことを国が、国ができないことをEUがという、マーストリヒト条約でもうたわれております補完性の原理をここで明確にうたっているということでございます。
そして、地方の財政についてはどういう原則を掲げているかと申しますと、九条に掲げております。
ちょっと読ませていただきますと、「地方自治体は、国家の経済政策の範囲内において、かつみずからその権限の範囲内において、自由に使用することのできる適切かつ固有の財源を付与されなければならない。」
一ページおめくりいただきまして、「二 地方自治体の財源は、憲法及び法律によって付与された責務に相応するものでなければならない。」
「三 地方自治体の財源の少なくとも一部は、法律の範囲内において、当該地方自治体がみずからその水準を決定することができる地方税及び料金から構成されるものとする。」
「四 地方自治体に付与される財源の構造は、その責務の遂行に相応して伸長していくことができるよう、十分に多様でかつ弾力的なものでなければならない。」
「五 財政力の弱い地方自治体を保護するため、財政収入及び財政需要の不均衡による影響を是正することを目的とした財政調整制度またはこれに準ずる仕組みを設けるものとする。」
日本の交付税はグローバルスタンダードではないというようなことをよく言われますけれども、それは私は誤りだろうと思います。ヨーロッパ地方自治憲章でも明確に財政調整制度の必要をうたっておりますし、それから、よく、日本の交付税は財政需要も見るというのがおかしいと。財政、つまり課税力、税金をかけることだけを調整する、これが一般的だと言われますが、カナダなどではそういうやり方をとっておりますが、ヨーロッパではそういう考え方をとっていない。見ていただければわかりますけれども、「財政収入及び財政需要の不均衡による影響を是正することを目的とした」ということで、両面明確に規定しているということです。
「ただし、これは、地方自治体が自己の権限の範囲内において行使する自主性を損なうようなものであってはならない。」こういうふうに規定しております。
五項めでもって、財政の再分配というのは必要だというふうにうたっているわけですが、六項めでもって、「地方自治体は、財源の地方自治体への再配分に当たっては、その再配分の手法につき、適切な方法によりその意見を申し出る機会を与えられなければならない。」
再配分をしなければならないけれども、その再配分の手法については、地方自治体がその意見を具申する権限が与えられなければならないというふうにうたっているわけです。
七番目ですが、「地方自治体に対する補助金または交付金は、可能な限り、特定目的に限定されないものでなければならない。補助金または交付金の交付は、地方自治体がその権限の範囲内において政策的な裁量権を行使する基本的自由を奪うようなものであってはならない。」こういうふうに言っております。
補助金などは、特定補助金、日本で言う国庫支出金のように目的を限定したものはできるだけやめなければならないし、しかも、その交付に当たっては、補助要綱などで自治体の権限の範囲を狭めるようなことをしてはいけない、こういうことをうたっているところです。
八番目でございますが、「投資的経費の財源を借入金によって賄うため、地方自治体は、法律による制限の範囲内において国内の資本市場に参入することができる。」こういう資本市場へアクセスする権限をヨーロッパの地方自治憲章でうたっているところでございます。
それが2—1のところでございますけれども、最初のレジュメの方に戻っていただきますと、このヨーロッパ地方自治憲章では、補完性の原理をうたいながら、日本の交付税のような財政調整制度によって補完された自主財源主義、つまり、自主的な財源で行っている自主財政主義をうたっているというふうにまとめることができるのではないかと思います。
そして、自主財源、つまり地方税でもって財政を運営していく重要性というのはどこにあるのかと申しますと、これは、この後出ましたヨーロッパ評議会の報告書などを見てみますと四つ掲げられております。受益と負担の関係が地方税で行うようになれば明確になる、それから、自分たちの税負担でもって自分たちの公共サービスをあがなうということをすると民主主義は活性化する、それから三番目には、それによって地方自治体は自分たちの地域の財政需要に適した適切な政策を打つことができる、かつ、地方自治は拡充することになる、こういうふうに四つの理由を挙げております。
このヨーロッパ地方自治憲章を受けて、国連を中心にして世界地方自治憲章を制定しようとする動きができまして、昨年の秋にはこれがまとまりそうになったのですけれども、私の聞いている範囲内では、アメリカと中国という二つの大国が反対した態度をとったために実現にまだ至っていないというふうに聞いております。
お手元に世界自治憲章もお載せしておきました。地方自治憲章が二ページございますけれども、その後に世界自治憲章を掲げさせていただいております。ヨーロッパ地方自治憲章とほぼ同じでございまして、第四条を見ていただきますと、四条の三では、ここでも補完性の原理を明確にうたっていて、「行政の責務は一般的に市民に一番近い行政主体によって行われるべきである、ということを意味する補完及び近接の原理に基づき、」こういうふうにうたっているわけです。
それから、九条でもってやはり地方自治体の財源をうたっておりますけれども、ここでは基本的にヨーロッパ地方自治憲章と同じことをうたっておりますが、二枚目の五項を見ていただきたいと思います。二枚目の三、四、五項めを見ていただきますと、「脆弱な地方自治体のため、財政の持続性を、垂直的」、後で垂直的財政調整のお話をしますが、どうも日本の使い方とちょっと違いますので、垂直的といった場合には、国と地方自治体間の調整を意味しております。垂直的財政調整と水平的財政調整、つまり地方自治体間、またはこれの両方であるとにかかわらず、「特に財政調整制度により保護しなければならない。」こういうふうに明確に規定しているということです。あと、読んでいただければおわかりいただけると思いますので、省かせていただきます。
こういう二つの波がぶつかり合いながら、現在では、地方自治体に権限を与え、分権化を進めようという動きが出てきているのだというふうに考えております。
そこで、レジュメの二ページ目の、「政府間財政関係の分権化」についてお話をさせていただきたいと思います。
こういうふうに地方分権の動きが強まってきているわけですけれども、地方分権を進めるためには、財政、特に政府間財政関係、国と地方、あるいは地方間の政府間財政関係を分権化していく必要があるということでございます。
この政府間財政関係を調整するのには二つのレベルが必要になってきます。一つは、先ほども見ていただきましたように、世界地方自治憲章でも言っているように、政府間の財政関係を考える場合には、垂直的な財政調整と水平的な財政調整と二つのレベルを考えなければならないということです。
垂直的な財政調整というのは何を意味するのかと申しますと、これは、中央政府と地方自治体間の財政関係を調整することを意味いたします。何を具体的に行うのかといえば、どういう行政任務を中央政府に割り当てるのか、どういう行政任務を地方自治体に割り当てるのかということを決めるということが第一の仕事になります。
それからもう一つは、そういう行政任務を地方自治体が遂行できたり、あるいは中央政府が遂行できるように、国と地方に課税権を割り当てる。この二つのことが垂直的な財政調整になるということになるわけですね。
水平的な財政調整というのはどういうことを意味するのかと申しますと、水平的な財政調整というのは地方自治体間の財政調整を意味いたします。まず垂直的な財政調整を行って、こういう行政任務を地方自治体に割り当てるというふうに決めますと、つまり地方自治体に行政任務が割り当てられると、当然、その地方自治体には財政需要が発生いたします。それから、その地方自治体に行政任務を遂行することが可能になるような課税権を割り当てますと、当然、その課税権から、その地域社会から税収を調達することのできる能力、課税力が生じてまいります。この財政需要と課税力を両方考慮して財政力というのが決まるわけですけれども、この財政力に地方自治体間で格差が生じている場合にこれを調整するのが水平的な財政調整ということになるわけです。
ここで重要な点は、垂直的な財政調整を行うときに、地方自治体に行政任務を多く割り当てれば、当然ですけれども、垂直的な財政関係は分権化するということになるわけでございます。
ただ、ここで注意していただきたいのは、垂直的な財政調整を分権化いたしますと、水平的財政調整の必要性は強まるということですね。中央政府が何でも仕事をしてしまう、地方政府が余り仕事をしていないという状況においては、地方自治体間で財政調整、財政力の格差を是正する必要性は余りないわけでございますので、分権化してくると、水平的な財政調整の任務は逆に強まってくるという原則をお忘れいただかないようにしていただければというふうに思います。
さてそこでもって、中央政府から地方自治体に、つまり、地方自治体に多くの行政任務を割り当てますと、垂直的な財政調整は分権化するわけですが、垂直的な財政調整で地方自治体に多くの任務を割り当てても、分権化しない場合がございます。それが、ドイツ財政学の方で言いますと、二つの非対応、こういうふうに言っておりますが、垂直的財政関係において二つの非対応を生じてしまうと、財政関係で中央政府が地方政府に多くの任務を割り当てたとしても、分権化しないということになります。
一つは、行政任務を地方に多く割り当てるんだけれども、決定権を中央政府が握っているという場合であります。つまり、行政任務は地方に多く割り当てているんだけれども、決定と支出が非対応になっていて、決定の方は中央政府が持っていて、地方自治体は支出だけをしてしまっているというような状態。言いかえれば、決定と執行の非対応といってもいいかもしれません。決定は国が行うけれども、執行の方は地方政府が行うというような場合が一つございます。
もう一つは、行政任務と課税権が非対応になっているという場合でございます。つまり、行政任務は地方自治体に多く割り当てられているんだけれども、課税権の方は、行政任務を執行できるほどの課税権が割り当てられていなくて、国の方でもって税源を多く握ってしまっているという場合です。つまり、行政任務と課税権の非対応が起きていた場合には、仮に地方自治体が多くの仕事をしていたとしても、分権的ではないということになるわけでございます。
御案内のとおり、日本ではこの二つの非対応が生じておりました。つまり、行政任務における決定と執行との非対応が生じていた。この最たるものは機関委任事務ということにございました。これは地方分権推進委員会の勧告に基づいて現在では廃止されておりますので、一定の成果は見ているということになるかと思います。
もう一つの非対応が生じておりまして、それが、行政任務と課税権の非対応が生じている。地方には多くの仕事が割り当てられているんだけれども、課税権の方はわずかであるということです。
お手元の資料で、世界自治憲章が二枚ございました後に、棒グラフをつくって、三つの棒グラフがそれぞれの国にあるかと思いますが、日本を見ていただきますと、地方の歳出が左側のグラフでございますけれども、これは七割ないしは六割と言われているように多くあり、地方税と国税との比率が、真ん中になりますけれども、これは国税と地方税の比率が、地方税三ないしは四、国税が七ないしは六というふうに割り当てられていて、行政任務と課税権が非対応になっているということですね。
私は、こうした日本の国と地方の財政関係を集権的分散システムというふうに名づけております。これは、地方自治体が多くの仕事をしていれば分散、中央政府が多くの仕事をしていれば集中、こういうふうに考えますと、事務、つまり仕事は、日本の場合には地方が多く仕事をしているので分散型だけれども、課税権が与えられていなかったり決定権が与えられていなかったりして、決定権は国が握っていて集権的になっている、集権的な分散システムである。
したがって、日本の場合には、地方自治体に仕事を多くふやす必要はなくて、決定権を取り戻させるというようなことをすればいいのではないかというのが私の意見でございまして、集権的な分散システムを分権的分散システムにすれば、日本では地方分権は解決できるのではないかというふうに思っております。
その重要な課題は、第一の課題としての行政任務における決定と執行との非対応というのはひとまず機関委任事務の廃止で実現しておりますので、行政任務と課税権の非対応を解消すればいいのではないかというふうに考えられるわけです。その場合には、二つの基幹税を見直して、国税から地方税に移譲するということを考えておけばいいのではないかというふうに思われます。
お手元のページで下から三枚目をちょっと見ていただきたいと思いますが、「租税収入の対GDP比」というのがございます。連邦国家であるアメリカとドイツと、単一国家であります日本、スウェーデン、フランス、イギリス、こう見ていただきますと、アメリカは個人所得税を中央に多く持ってきているということがおわかりいただけるだろうと思います。逆に、スウェーデンは地方に個人の所得税を持ってきているわけです。一六%持ってきております。
それから、消費課税のうち、一般消費税というのを見ていただきますと、アメリカは地方に一般消費課税を持ってきている。ところが、日本、これはまだ地方消費税ができていないときでありますので地方消費税は入っておりませんが、スウェーデンの方は一般消費税を国の方に持ってきている、こういうやり方をとっているわけです。日本の場合には、個人所得税もアメリカと同様に少なくて、消費課税もほとんど設定されていないような状態になっているということでございます。
ドイツを見ていただきますと、ドイツは個人所得税と一般消費課税を非常にバランスよく国と地方で分け合っているわけです。
こういうことを考えてみますと、日本でも、個人所得税と消費税を国税から地方税に、仕事に合わせて移譲していくということが重要ではないかと思います。
ただし、その際、日本の国税と地方税の所得課税の分配は、お手元、下から二番目の図を見ていただけるとわかりやすいかと思いますが、日本の場合には、国税も地方税も累進税率でかけるという併存型で所得課税を分けているわけです。
ところが、北欧諸国やヨーロッパ諸国で地方所得税を導入している場合には、地方税を比例的にして、その上に累進的な国税を乗っける、こういう分配をしておりますので、日本もこういう形にすれば、地方所得税、つまり個人住民税を手厚くしても、地方間の財政力格差、課税力の格差は広がらずに、国税から地方税に移譲が可能になるのではないかというふうに考えておりますので、所得税から住民税へ移譲する場合には、住民税を例えば一〇%なら一〇%に一本の税率、現在では五%、一〇%、一三%とかけているわけですが、一本にしてしまう。そして、地方消費税は、これは比例税率ですから大体地方に満遍なく行きますので、この二つの税金を国税から地方税に落としていく。
そして、地方自治体に独自でサービスを給付するような権限が、独自の財源がふえますと増加いたしますので、地方自治体がそうした財源を利用して、地域住民が安心して新しい産業にチャレンジできるような公共サービスを、福祉、医療、それから新しい産業に挑戦するためには緊要な課題になっているのは教育ですから、この三つのサービスを充実させることによって、安心しチャレンジできるような、最近まで私は社会的セーフティーネットと言っていたんですが、社会的セーフティーネットというのはサーカスの綱渡りや何かで敷く下の安全のネットのことですので、安全のネットだけじゃもう足りないのでトランポリンにして、もう一度戻してあげる。教育、その他を含めた、社会的なセーフティーネットではなくて、社会的なトランポリンを地方自治体がつくっていくということをしていかないと、この不況も脱出できないのではないかというふうに考えております。
今御説明申し上げたことにつきましては、3−4のところでございますけれども、私、地方分権推進委員会の専門委員を務めさせていただきまして、そして最終報告の税財源に関する勧告についてまとめさせていただきましたが、その最終報告の考え方は、私の理解では、今私が説明してきたような、集権的な分散システムから分権的な分散システムに変えていこうという考え方で貫かれているというふうに理解をいたしております。これはあくまでも私の考え方でございますので、そう理解しております。
そして、そういうことによって、税財源の規定、分権推進委員会の最終報告を読んでいただきますと、そこには、西尾先生がお書きになったところでございますけれども、日本の憲法には地方自治の規定の中に地方の税財源の規定がないけれども、ヨーロッパ地方自治憲章などでは明確に税財源の規定を設けてあることを考えれば、地方自治の本旨を具体化することとして、今申しましたような地方税財源のあり方を明確にしていくということが憲法の地方自治の本旨を具体化していくことになるのではないかというふうに結んでおります。その点もお読みいただければと思います。
時間でございますので、これにて私のつたない参考意見を終わらせていただきます。
どうも、御清聴ありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →また、私、網膜剥離を患っておりまして目が不自由なものですので、失礼があるかと思います。その点についても御容赦いただければというふうに存じております。
それで、お手元にレジュメが行っているかと思いますが、現在、日本でも地方分権が大きな政策課題となっておりますが、この地方分権は、私の理解では、二つの大きな波がぶつかって日本で地方分権の推進が政策課題となって生じているというふうに理解をいたしております。一つの波は、歴史的に日本が追求してきた民主主義の波だろうというふうに理解をいたしております。そして、もう一つの波は、日本を初めとする先進諸国で、前世紀、つまり二十世紀の後半から共通に生じてまいりました分権の波。この二つの波が衝突をして、日本で地方分権の推進が積極的に図られようとしているという認識に立っております。その点につきまして、そうした二つの波の中で、地方自治を推進していくために地方財政がどういうように考えられてきたのかということを考えながら参考意見を述べさせていただきたいというふうに考えております。
お手元のレジュメを見ていただきますと、1のところで、まず、歴史的に追求してきた民主主義の波ということで、「過去からの教訓」というところがございます。1—1の後に、一九二八年の二月に行われました第十六回の総選挙で、時の二大政党の一つでありました政友会が掲げている選挙ポスターを引用してございます。この選挙ポスターは、地方に財源を与えれば、地方の完全な発達は自然にやってくるんだ、それから、地方分権というのは丈夫なものであって、地方はひとり歩きで発展することができる、それから、中央集権は不自由なものであって、地方の足をやせさせてしまって、つえをもらわないとだめになってしまう、こう訴えているわけです。この選挙ポスターは、恐らく現在でも通用できるようなポスターになっているのではないかと思います。
そして、なぜこの一九二八年に、時の最大とも言っていい政友会がこうした選挙ポスターを掲げたのかと申しますと、この一九二八年の総選挙は日本の総選挙にとって画期的な選挙でございました。つまり、第一回目の普通選挙だったわけです。
このときにどうしてこういう分権が重要な政策課題として掲げられたのかと申しますと、第一次世界大戦中の一九一八年に日本は米騒動という非常に不幸な事件を経験いたします。このときに諸物価が高騰いたしましたので、地方財政も破綻の危機に瀕するわけです。そこで、義務教育の国庫負担がこの年に成立をいたします。この義務教育国庫負担は、現在の義務教育の国庫負担と違いまして、財政調整、つまり現在で申しますと交付税の役割を果たしていたものでございまして、私ども地方財政学の立場から申しますと、現在の財政調整制度のはしりとして位置づけられているものです。
この一九一八年にできた義務教育国庫負担金の額が非常に少なかったものですので、三重県七保村の村長でいらっしゃいました大瀬東作という村長が、全国の町村に檄を飛ばしまして、全国的な町村の組織の結成を行おうといたします。七保村に準備会ができて、一九二一年に第一回の総会が行われます。これが現在の全国町村会です。
この全国町村会の総会では、二つのことを決定いたします。一つは、両税移譲。国税から地方税へ税源を移譲してほしい。この両税は、当時の地租と営業税という二つの税金です。この両税を国税から地方税に移譲してほしい。同時に、義務教育国庫負担金の増額をしてほしい。この二つの要求をいたします。現在で申しますと、国税から地方税に税源を移譲してもらいたい、同時に、交付税の増額を要求したということになるかと思います。
私たちは、この両税移譲運動を軸とする大正時代に行われたこの全国町村会が担ったような運動を大正デモクラシーというふうに呼んでいるわけでして、両税移譲運動を軸とした大正デモクラシーの成果として普通選挙ができ上がったわけですから、当然、第一回目の普通選挙では、両税移譲を初めとする地方分権の問題が重要なイシューになってくるわけです。政友会のこのときの公約は、両税、国税であった営業税と地租を地方に移譲するというのが公約でございましたので、そういう選挙として争われたということです。
その後、第二次世界大戦後になりまして、現在の私どもの税財政制度の基礎をつくりましたシャウプ勧告が行われますが、このシャウプ勧告は大正デモクラシーの両税移譲運動を踏まえながら勧告をいたします。
つまり、シャウプ勧告は補完性の原理。補完性の原理というのは、後で御説明いたしますけれども、市町村優先の原則です。まず市町村に仕事をやらせ、その後、市町村ができないものを道府県が、道府県ができないことを国がというふうに事務を割り当てていく。そして、能率性の原則。事務事業は、最もその事務を能率的にできる道府県なり市町村なりに割り当てる。そして、そのことによって行政責任を明確化させるという原則を打ち出して、事務を割り当てると同時に、財政面では、大正デモクラシーの運動を踏まえて、両税移譲、地租と営業税を国税から地方税に移譲しろという勧告を出すわけでございます。つまり、地租と家屋税を抱き合わせにして固定資産税として、この固定資産税を市町村の独立税として設定しなさい。それから、営業税の方は、現在の事業税でございますが、道府県の独立税として事業税を設定しなさい、こういう勧告をするわけでございます。
戦前の付加税主義、国税におんぶするといいますか、上に乗っける税金ではなくて、独自の税金として独立税主義をとる。
それからもう一つ、補助金の整理。これは、個別の補助金は原則として認めない、一般補助金である平衡交付金にまとめて一括しろ、こういうふうに勧告をいたしまして、現在の交付税制度を勧告するわけです。つまり、シャウプ勧告は、日本の大正デモクラシーが要求してきた両税移譲と財政調整制度の強化という二つのことを実現させたということになるかと思います。そして、同時にまた、地方債の起債の自由化を図っていくということをシャウプ勧告はうたったわけでございます。
次に、もう一つの波であります、先進諸国で共通に行われている分権の波についてお話をしたいと思います。
二十世紀の後半になってまいりまして、一九八〇年代あたりから経済のグローバル化ということが進んでまいりますと、一方でローカル化という現象が起きてまいります。グローバル化とローカル化と言われている現象です。経済は国民国家を超えて動き始めるけれども、人間の生活はグローバル化するわけではないので、地方に決定権を与えて分権を進めようという動きが世界的に生じてまいります。その象徴がヨーロッパで結ばれましたヨーロッパ地方自治憲章でございます。
ヨーロッパは、グローバル化に対抗するためにEUなどのヨーロッパ統合を進めると同時に、他方でヨーロッパ地方自治憲章を結んだわけでございます。現在、三十九カ国が署名し、三十五カ国が批准をいたしております。
このヨーロッパ地方自治憲章はどういう内容をうたっているかと申しますと、お手元の三枚目をお開きいただければと思います。ヨーロッパ地方自治憲章の重要なところだけを抜粋しております。
第四条の地方自治の範囲というところを見ていただきますと、四条の第一項でもって、「地方自治体の基本的な権限と責務は、憲法またはこれに準ずるような基本法において規定されなければならない。」こう規定いたしております。
それから、第三項を見ていただきますと、「公的部門が担うべき責務は、原則として、最も市民に身近な公共団体が優先的にこれを執行するものとする。国など他の公共団体にその責務をゆだねる場合は、当該責務の範囲及び性質並びに効率性及び経済上の必要性を勘案した上で、これを行わなければならない。」
これは補完性の原理をうたっておりますし、補完性の原理の後、上の政府に事務を割り当てるときには、能率性の原則というふうにシャウプ勧告が説明したような原則に基づいて割り当てなさい、こういうふうに言っているわけですね。
これはローマ法王の思想でございまして、個人でできないことを家族が、家族ができないことをコミュニティーが、コミュニティーでできないことを市町村が、市町村ができないことを道府県が、道府県ができないことを国が、国ができないことをEUがという、マーストリヒト条約でもうたわれております補完性の原理をここで明確にうたっているということでございます。
そして、地方の財政についてはどういう原則を掲げているかと申しますと、九条に掲げております。
ちょっと読ませていただきますと、「地方自治体は、国家の経済政策の範囲内において、かつみずからその権限の範囲内において、自由に使用することのできる適切かつ固有の財源を付与されなければならない。」
一ページおめくりいただきまして、「二 地方自治体の財源は、憲法及び法律によって付与された責務に相応するものでなければならない。」
「三 地方自治体の財源の少なくとも一部は、法律の範囲内において、当該地方自治体がみずからその水準を決定することができる地方税及び料金から構成されるものとする。」
「四 地方自治体に付与される財源の構造は、その責務の遂行に相応して伸長していくことができるよう、十分に多様でかつ弾力的なものでなければならない。」
「五 財政力の弱い地方自治体を保護するため、財政収入及び財政需要の不均衡による影響を是正することを目的とした財政調整制度またはこれに準ずる仕組みを設けるものとする。」
日本の交付税はグローバルスタンダードではないというようなことをよく言われますけれども、それは私は誤りだろうと思います。ヨーロッパ地方自治憲章でも明確に財政調整制度の必要をうたっておりますし、それから、よく、日本の交付税は財政需要も見るというのがおかしいと。財政、つまり課税力、税金をかけることだけを調整する、これが一般的だと言われますが、カナダなどではそういうやり方をとっておりますが、ヨーロッパではそういう考え方をとっていない。見ていただければわかりますけれども、「財政収入及び財政需要の不均衡による影響を是正することを目的とした」ということで、両面明確に規定しているということです。
「ただし、これは、地方自治体が自己の権限の範囲内において行使する自主性を損なうようなものであってはならない。」こういうふうに規定しております。
五項めでもって、財政の再分配というのは必要だというふうにうたっているわけですが、六項めでもって、「地方自治体は、財源の地方自治体への再配分に当たっては、その再配分の手法につき、適切な方法によりその意見を申し出る機会を与えられなければならない。」
再配分をしなければならないけれども、その再配分の手法については、地方自治体がその意見を具申する権限が与えられなければならないというふうにうたっているわけです。
七番目ですが、「地方自治体に対する補助金または交付金は、可能な限り、特定目的に限定されないものでなければならない。補助金または交付金の交付は、地方自治体がその権限の範囲内において政策的な裁量権を行使する基本的自由を奪うようなものであってはならない。」こういうふうに言っております。
補助金などは、特定補助金、日本で言う国庫支出金のように目的を限定したものはできるだけやめなければならないし、しかも、その交付に当たっては、補助要綱などで自治体の権限の範囲を狭めるようなことをしてはいけない、こういうことをうたっているところです。
八番目でございますが、「投資的経費の財源を借入金によって賄うため、地方自治体は、法律による制限の範囲内において国内の資本市場に参入することができる。」こういう資本市場へアクセスする権限をヨーロッパの地方自治憲章でうたっているところでございます。
それが2—1のところでございますけれども、最初のレジュメの方に戻っていただきますと、このヨーロッパ地方自治憲章では、補完性の原理をうたいながら、日本の交付税のような財政調整制度によって補完された自主財源主義、つまり、自主的な財源で行っている自主財政主義をうたっているというふうにまとめることができるのではないかと思います。
そして、自主財源、つまり地方税でもって財政を運営していく重要性というのはどこにあるのかと申しますと、これは、この後出ましたヨーロッパ評議会の報告書などを見てみますと四つ掲げられております。受益と負担の関係が地方税で行うようになれば明確になる、それから、自分たちの税負担でもって自分たちの公共サービスをあがなうということをすると民主主義は活性化する、それから三番目には、それによって地方自治体は自分たちの地域の財政需要に適した適切な政策を打つことができる、かつ、地方自治は拡充することになる、こういうふうに四つの理由を挙げております。
このヨーロッパ地方自治憲章を受けて、国連を中心にして世界地方自治憲章を制定しようとする動きができまして、昨年の秋にはこれがまとまりそうになったのですけれども、私の聞いている範囲内では、アメリカと中国という二つの大国が反対した態度をとったために実現にまだ至っていないというふうに聞いております。
お手元に世界自治憲章もお載せしておきました。地方自治憲章が二ページございますけれども、その後に世界自治憲章を掲げさせていただいております。ヨーロッパ地方自治憲章とほぼ同じでございまして、第四条を見ていただきますと、四条の三では、ここでも補完性の原理を明確にうたっていて、「行政の責務は一般的に市民に一番近い行政主体によって行われるべきである、ということを意味する補完及び近接の原理に基づき、」こういうふうにうたっているわけです。
それから、九条でもってやはり地方自治体の財源をうたっておりますけれども、ここでは基本的にヨーロッパ地方自治憲章と同じことをうたっておりますが、二枚目の五項を見ていただきたいと思います。二枚目の三、四、五項めを見ていただきますと、「脆弱な地方自治体のため、財政の持続性を、垂直的」、後で垂直的財政調整のお話をしますが、どうも日本の使い方とちょっと違いますので、垂直的といった場合には、国と地方自治体間の調整を意味しております。垂直的財政調整と水平的財政調整、つまり地方自治体間、またはこれの両方であるとにかかわらず、「特に財政調整制度により保護しなければならない。」こういうふうに明確に規定しているということです。あと、読んでいただければおわかりいただけると思いますので、省かせていただきます。
こういう二つの波がぶつかり合いながら、現在では、地方自治体に権限を与え、分権化を進めようという動きが出てきているのだというふうに考えております。
そこで、レジュメの二ページ目の、「政府間財政関係の分権化」についてお話をさせていただきたいと思います。
こういうふうに地方分権の動きが強まってきているわけですけれども、地方分権を進めるためには、財政、特に政府間財政関係、国と地方、あるいは地方間の政府間財政関係を分権化していく必要があるということでございます。
この政府間財政関係を調整するのには二つのレベルが必要になってきます。一つは、先ほども見ていただきましたように、世界地方自治憲章でも言っているように、政府間の財政関係を考える場合には、垂直的な財政調整と水平的な財政調整と二つのレベルを考えなければならないということです。
垂直的な財政調整というのは何を意味するのかと申しますと、これは、中央政府と地方自治体間の財政関係を調整することを意味いたします。何を具体的に行うのかといえば、どういう行政任務を中央政府に割り当てるのか、どういう行政任務を地方自治体に割り当てるのかということを決めるということが第一の仕事になります。
それからもう一つは、そういう行政任務を地方自治体が遂行できたり、あるいは中央政府が遂行できるように、国と地方に課税権を割り当てる。この二つのことが垂直的な財政調整になるということになるわけですね。
水平的な財政調整というのはどういうことを意味するのかと申しますと、水平的な財政調整というのは地方自治体間の財政調整を意味いたします。まず垂直的な財政調整を行って、こういう行政任務を地方自治体に割り当てるというふうに決めますと、つまり地方自治体に行政任務が割り当てられると、当然、その地方自治体には財政需要が発生いたします。それから、その地方自治体に行政任務を遂行することが可能になるような課税権を割り当てますと、当然、その課税権から、その地域社会から税収を調達することのできる能力、課税力が生じてまいります。この財政需要と課税力を両方考慮して財政力というのが決まるわけですけれども、この財政力に地方自治体間で格差が生じている場合にこれを調整するのが水平的な財政調整ということになるわけです。
ここで重要な点は、垂直的な財政調整を行うときに、地方自治体に行政任務を多く割り当てれば、当然ですけれども、垂直的な財政関係は分権化するということになるわけでございます。
ただ、ここで注意していただきたいのは、垂直的な財政調整を分権化いたしますと、水平的財政調整の必要性は強まるということですね。中央政府が何でも仕事をしてしまう、地方政府が余り仕事をしていないという状況においては、地方自治体間で財政調整、財政力の格差を是正する必要性は余りないわけでございますので、分権化してくると、水平的な財政調整の任務は逆に強まってくるという原則をお忘れいただかないようにしていただければというふうに思います。
さてそこでもって、中央政府から地方自治体に、つまり、地方自治体に多くの行政任務を割り当てますと、垂直的な財政調整は分権化するわけですが、垂直的な財政調整で地方自治体に多くの任務を割り当てても、分権化しない場合がございます。それが、ドイツ財政学の方で言いますと、二つの非対応、こういうふうに言っておりますが、垂直的財政関係において二つの非対応を生じてしまうと、財政関係で中央政府が地方政府に多くの任務を割り当てたとしても、分権化しないということになります。
一つは、行政任務を地方に多く割り当てるんだけれども、決定権を中央政府が握っているという場合であります。つまり、行政任務は地方に多く割り当てているんだけれども、決定と支出が非対応になっていて、決定の方は中央政府が持っていて、地方自治体は支出だけをしてしまっているというような状態。言いかえれば、決定と執行の非対応といってもいいかもしれません。決定は国が行うけれども、執行の方は地方政府が行うというような場合が一つございます。
もう一つは、行政任務と課税権が非対応になっているという場合でございます。つまり、行政任務は地方自治体に多く割り当てられているんだけれども、課税権の方は、行政任務を執行できるほどの課税権が割り当てられていなくて、国の方でもって税源を多く握ってしまっているという場合です。つまり、行政任務と課税権の非対応が起きていた場合には、仮に地方自治体が多くの仕事をしていたとしても、分権的ではないということになるわけでございます。
御案内のとおり、日本ではこの二つの非対応が生じておりました。つまり、行政任務における決定と執行との非対応が生じていた。この最たるものは機関委任事務ということにございました。これは地方分権推進委員会の勧告に基づいて現在では廃止されておりますので、一定の成果は見ているということになるかと思います。
もう一つの非対応が生じておりまして、それが、行政任務と課税権の非対応が生じている。地方には多くの仕事が割り当てられているんだけれども、課税権の方はわずかであるということです。
お手元の資料で、世界自治憲章が二枚ございました後に、棒グラフをつくって、三つの棒グラフがそれぞれの国にあるかと思いますが、日本を見ていただきますと、地方の歳出が左側のグラフでございますけれども、これは七割ないしは六割と言われているように多くあり、地方税と国税との比率が、真ん中になりますけれども、これは国税と地方税の比率が、地方税三ないしは四、国税が七ないしは六というふうに割り当てられていて、行政任務と課税権が非対応になっているということですね。
私は、こうした日本の国と地方の財政関係を集権的分散システムというふうに名づけております。これは、地方自治体が多くの仕事をしていれば分散、中央政府が多くの仕事をしていれば集中、こういうふうに考えますと、事務、つまり仕事は、日本の場合には地方が多く仕事をしているので分散型だけれども、課税権が与えられていなかったり決定権が与えられていなかったりして、決定権は国が握っていて集権的になっている、集権的な分散システムである。
したがって、日本の場合には、地方自治体に仕事を多くふやす必要はなくて、決定権を取り戻させるというようなことをすればいいのではないかというのが私の意見でございまして、集権的な分散システムを分権的分散システムにすれば、日本では地方分権は解決できるのではないかというふうに思っております。
その重要な課題は、第一の課題としての行政任務における決定と執行との非対応というのはひとまず機関委任事務の廃止で実現しておりますので、行政任務と課税権の非対応を解消すればいいのではないかというふうに考えられるわけです。その場合には、二つの基幹税を見直して、国税から地方税に移譲するということを考えておけばいいのではないかというふうに思われます。
お手元のページで下から三枚目をちょっと見ていただきたいと思いますが、「租税収入の対GDP比」というのがございます。連邦国家であるアメリカとドイツと、単一国家であります日本、スウェーデン、フランス、イギリス、こう見ていただきますと、アメリカは個人所得税を中央に多く持ってきているということがおわかりいただけるだろうと思います。逆に、スウェーデンは地方に個人の所得税を持ってきているわけです。一六%持ってきております。
それから、消費課税のうち、一般消費税というのを見ていただきますと、アメリカは地方に一般消費課税を持ってきている。ところが、日本、これはまだ地方消費税ができていないときでありますので地方消費税は入っておりませんが、スウェーデンの方は一般消費税を国の方に持ってきている、こういうやり方をとっているわけです。日本の場合には、個人所得税もアメリカと同様に少なくて、消費課税もほとんど設定されていないような状態になっているということでございます。
ドイツを見ていただきますと、ドイツは個人所得税と一般消費課税を非常にバランスよく国と地方で分け合っているわけです。
こういうことを考えてみますと、日本でも、個人所得税と消費税を国税から地方税に、仕事に合わせて移譲していくということが重要ではないかと思います。
ただし、その際、日本の国税と地方税の所得課税の分配は、お手元、下から二番目の図を見ていただけるとわかりやすいかと思いますが、日本の場合には、国税も地方税も累進税率でかけるという併存型で所得課税を分けているわけです。
ところが、北欧諸国やヨーロッパ諸国で地方所得税を導入している場合には、地方税を比例的にして、その上に累進的な国税を乗っける、こういう分配をしておりますので、日本もこういう形にすれば、地方所得税、つまり個人住民税を手厚くしても、地方間の財政力格差、課税力の格差は広がらずに、国税から地方税に移譲が可能になるのではないかというふうに考えておりますので、所得税から住民税へ移譲する場合には、住民税を例えば一〇%なら一〇%に一本の税率、現在では五%、一〇%、一三%とかけているわけですが、一本にしてしまう。そして、地方消費税は、これは比例税率ですから大体地方に満遍なく行きますので、この二つの税金を国税から地方税に落としていく。
そして、地方自治体に独自でサービスを給付するような権限が、独自の財源がふえますと増加いたしますので、地方自治体がそうした財源を利用して、地域住民が安心して新しい産業にチャレンジできるような公共サービスを、福祉、医療、それから新しい産業に挑戦するためには緊要な課題になっているのは教育ですから、この三つのサービスを充実させることによって、安心しチャレンジできるような、最近まで私は社会的セーフティーネットと言っていたんですが、社会的セーフティーネットというのはサーカスの綱渡りや何かで敷く下の安全のネットのことですので、安全のネットだけじゃもう足りないのでトランポリンにして、もう一度戻してあげる。教育、その他を含めた、社会的なセーフティーネットではなくて、社会的なトランポリンを地方自治体がつくっていくということをしていかないと、この不況も脱出できないのではないかというふうに考えております。
今御説明申し上げたことにつきましては、3−4のところでございますけれども、私、地方分権推進委員会の専門委員を務めさせていただきまして、そして最終報告の税財源に関する勧告についてまとめさせていただきましたが、その最終報告の考え方は、私の理解では、今私が説明してきたような、集権的な分散システムから分権的な分散システムに変えていこうという考え方で貫かれているというふうに理解をいたしております。これはあくまでも私の考え方でございますので、そう理解しております。
そして、そういうことによって、税財源の規定、分権推進委員会の最終報告を読んでいただきますと、そこには、西尾先生がお書きになったところでございますけれども、日本の憲法には地方自治の規定の中に地方の税財源の規定がないけれども、ヨーロッパ地方自治憲章などでは明確に税財源の規定を設けてあることを考えれば、地方自治の本旨を具体化することとして、今申しましたような地方税財源のあり方を明確にしていくということが憲法の地方自治の本旨を具体化していくことになるのではないかというふうに結んでおります。その点もお読みいただければと思います。
時間でございますので、これにて私のつたない参考意見を終わらせていただきます。
どうも、御清聴ありがとうございました。拍手
保
保
伊
伊藤公介#5
○伊藤(公)小委員 神野先生、大変貴重な御報告をいただきまして、ありがとうございました。地方分権のこれまでの歴史、また日本の税体系というものを大変わかりやすく御説明をいただきまして、ありがとうございました。
日本の税体系が集権的な分散システム、こういうものを、行政任務と課税権というものを見直していくべきだというようなお話がございましたが、私は、つたない自治省の政務次官で、実は全国の三千二百市町村に補助金をつけるという仕事を担当したこともございます。その後、国土庁の仕事などやって、今振り返ってみますと、やはり、先生が御指摘をいただいたように、日本の税体系というものが、ある意味では日本のそれぞれの個性というものをむしろ失わせてきているのではないか。
北海道から沖縄まで、三千二百を超える市町村の顔がだんだんみんな似てきた。それは、全国画一的なルールで一つ一つの公共事業に対して補助金をつける、国の決められたシステムあるいは計算にのっとっていろいろなものをつくっていけば、日本全国同じような顔になっていくのは当然でございまして、私は、まさに地方分権というものを今本気で考えなければならないときが来たし、また、何と言っても、先生御指摘をいただきましたように、課税権の問題が最も根本にあるんだろうというふうに思います。御指摘をいただいたとおりだと思います。
そこで、最近、東京都の銀行税問題ですね。私は、この銀行税問題そのものについて先生にどうだということをお聞きするということよりも、自治体の課税自主権の確立に関して一つの問題提起をしたのではないかというふうに思います。そのこと自身のよしあしや、また、それは法的な問題にもなっていくんだろうと思いますけれども、自治体が独自に創意工夫をした課税権を行使できるという状況に私たちは大胆に変えていかなければならないというふうに思うわけです。
今回の東京都のこのような試みが、こういうことによって、せっかくの提言が方向づけを見失うことのないように、むしろ、その方向が評価されて、課税権というものが積極的に拡大されていくという方向に行くべきだというふうに思いますが、まずこの点について、少し先生の御感想を含めてお伺いしたいと思います。
この発言だけを見る →日本の税体系が集権的な分散システム、こういうものを、行政任務と課税権というものを見直していくべきだというようなお話がございましたが、私は、つたない自治省の政務次官で、実は全国の三千二百市町村に補助金をつけるという仕事を担当したこともございます。その後、国土庁の仕事などやって、今振り返ってみますと、やはり、先生が御指摘をいただいたように、日本の税体系というものが、ある意味では日本のそれぞれの個性というものをむしろ失わせてきているのではないか。
北海道から沖縄まで、三千二百を超える市町村の顔がだんだんみんな似てきた。それは、全国画一的なルールで一つ一つの公共事業に対して補助金をつける、国の決められたシステムあるいは計算にのっとっていろいろなものをつくっていけば、日本全国同じような顔になっていくのは当然でございまして、私は、まさに地方分権というものを今本気で考えなければならないときが来たし、また、何と言っても、先生御指摘をいただきましたように、課税権の問題が最も根本にあるんだろうというふうに思います。御指摘をいただいたとおりだと思います。
そこで、最近、東京都の銀行税問題ですね。私は、この銀行税問題そのものについて先生にどうだということをお聞きするということよりも、自治体の課税自主権の確立に関して一つの問題提起をしたのではないかというふうに思います。そのこと自身のよしあしや、また、それは法的な問題にもなっていくんだろうと思いますけれども、自治体が独自に創意工夫をした課税権を行使できるという状況に私たちは大胆に変えていかなければならないというふうに思うわけです。
今回の東京都のこのような試みが、こういうことによって、せっかくの提言が方向づけを見失うことのないように、むしろ、その方向が評価されて、課税権というものが積極的に拡大されていくという方向に行くべきだというふうに思いますが、まずこの点について、少し先生の御感想を含めてお伺いしたいと思います。
神
神野直彦#6
○神野参考人 それでは発言させていただきます。
まず、課税自主権については、私は全く先生のおっしゃるとおりだと思います。もちろん、課税自主権を執行するに当たっては、地方自治体は、課税の平等とか本来守らなければならない原則がございますので、それを考えて実行すべきだというふうに思いますが、自主権を損なうような制限を行うべきではないというふうに考えております。
東京都の銀行税問題というのは、これは御案内のとおり、新しい税金ではございませんで、地方税法の七十二条の十九で、地方自治体が独自の判断でもって、事業の状況に応じて、外形標準を適用して構わないという条項の発動なわけですね。この七十二条の十九というのは発動されたことがないものですので、どういう場合にこれを発動できるのかということがわかるような判決を下してもらいたいというのが私の期待でございました。
ところが、残念ながら判決は、事業税を、通常これは応益原則で課税される税金だというふうに学界の方でも理解しておりますし、それから、国会で改正をされたときの説明文書でも応益原則とうたっておりますし、前回出されました政府の税制調査会の中間報告でも明確に応益原則に基づくものだというふうにうたっているわけですので、国民は応益原則で課税されるものだというふうに理解しているだろうと思いますけれども、判決は、これを応能原則で課税される税金であるというふうに判断し、銀行側の勝訴にしたわけですね。私は、どっちが勝訴したということではなくて、完全にこれは理解を間違えているのではないかというのが私の印象でございます。
そうなってまいりますと、地方自治体の方では、自分たちが新しい税金をつくったり、あるいは課税自主権を発動するときにどういう基準で行ったらいいのかという判断ができなくなりますので、先生ちょっと御心配のように、私も同じように、この判決は新しい税金を地方自治体が課税すべきかどうかというようなことに関連しているわけではないのですけれども、このことによって、地方自治体が自分たちの課税自主権を発動する際に、いわば後ろ向きになってしまうということについては非常に心配をしております。
この発言だけを見る →まず、課税自主権については、私は全く先生のおっしゃるとおりだと思います。もちろん、課税自主権を執行するに当たっては、地方自治体は、課税の平等とか本来守らなければならない原則がございますので、それを考えて実行すべきだというふうに思いますが、自主権を損なうような制限を行うべきではないというふうに考えております。
東京都の銀行税問題というのは、これは御案内のとおり、新しい税金ではございませんで、地方税法の七十二条の十九で、地方自治体が独自の判断でもって、事業の状況に応じて、外形標準を適用して構わないという条項の発動なわけですね。この七十二条の十九というのは発動されたことがないものですので、どういう場合にこれを発動できるのかということがわかるような判決を下してもらいたいというのが私の期待でございました。
ところが、残念ながら判決は、事業税を、通常これは応益原則で課税される税金だというふうに学界の方でも理解しておりますし、それから、国会で改正をされたときの説明文書でも応益原則とうたっておりますし、前回出されました政府の税制調査会の中間報告でも明確に応益原則に基づくものだというふうにうたっているわけですので、国民は応益原則で課税されるものだというふうに理解しているだろうと思いますけれども、判決は、これを応能原則で課税される税金であるというふうに判断し、銀行側の勝訴にしたわけですね。私は、どっちが勝訴したということではなくて、完全にこれは理解を間違えているのではないかというのが私の印象でございます。
そうなってまいりますと、地方自治体の方では、自分たちが新しい税金をつくったり、あるいは課税自主権を発動するときにどういう基準で行ったらいいのかという判断ができなくなりますので、先生ちょっと御心配のように、私も同じように、この判決は新しい税金を地方自治体が課税すべきかどうかというようなことに関連しているわけではないのですけれども、このことによって、地方自治体が自分たちの課税自主権を発動する際に、いわば後ろ向きになってしまうということについては非常に心配をしております。
伊
伊藤公介#7
○伊藤(公)小委員 もう一点伺いたいと思いますが、先生の御指摘をされたグラフの中にもございましたし、いろいろな資料を見ますと、それぞれの国にはそれぞれの税体系があるわけです。
国のシステムによって非常に税のあり方が違うわけでして、日本は、地方の歳入に占める自主財源の割合が四割だ、国税は六割。地方が丸く数字で言えば四割、それが補助金をつけて逆になっていくということで、先ほど先生も御指摘をされましたとおり、地方は非常に仕事をやっている、しかし税財源は国が持っていて、それが補助金で戻ってくる。そういうシステムに日本はなっているわけですが、イギリスは、国税が何と九五%、地方税は五%ぐらいなんですね。それから、フランスもまた、国税が何と八三、四%、地方税は一六、七%、こういうことですから、イギリスとフランスは圧倒的に日本よりも国税が多いわけですね。
アメリカとドイツは、先生御指摘もいただきましたように州制度、連邦制ですから、その間に、例えばアメリカの場合には、国税は約六〇%、しかしそこに州があって、州が二五%、地方が一五%ぐらいある。ドイツの場合も、国税が約五〇%、そして州が割合高くて三七、八%ですか、そして地方は一三、四%ということです。
国の形によって税体系が違うのは当たり前ですけれども、日本がこれから地方分権を進めていく上で、どういう税体系にしていくかということは、国のシステム、つまり、国と県と自治体としていくのか、あるいはこの州制度、連邦制度のように、例えば今いろいろ御議論もあります道州制といいますか、そういう問題をどうするのか。
あるいは、私どもがこの地方分権を進めていくときに、税財源の問題を大きく変えていっても、三千二百の市町村の中には、どこまでいっても非常に自主財源が少ないところがあるわけですね。圧倒的に少ない。例えば、私たちの東京ですら、あの一番奥の檜原村では、自主財源が多分十数%だと思います。きょうはたまたま私のふるさとの高遠町の町長さんお見えいただいておりますが、私の村も過疎でございますので、多分一五%とか、自主財源は非常に少ないだろうと思います。保岡委員長の地元も、前回の質問のときに私ちょっと御指摘させてもらいましたけれども、財政力指数の非常に低い市町村があるわけですね。
そういう問題は、これからの、課税権の問題も改革していかなきゃならないけれども、最終的にはそういうものをどうするかということを考えなきゃならないと思いますが、そういうことについては先生どんなふうにお考えになるのか。
この発言だけを見る →国のシステムによって非常に税のあり方が違うわけでして、日本は、地方の歳入に占める自主財源の割合が四割だ、国税は六割。地方が丸く数字で言えば四割、それが補助金をつけて逆になっていくということで、先ほど先生も御指摘をされましたとおり、地方は非常に仕事をやっている、しかし税財源は国が持っていて、それが補助金で戻ってくる。そういうシステムに日本はなっているわけですが、イギリスは、国税が何と九五%、地方税は五%ぐらいなんですね。それから、フランスもまた、国税が何と八三、四%、地方税は一六、七%、こういうことですから、イギリスとフランスは圧倒的に日本よりも国税が多いわけですね。
アメリカとドイツは、先生御指摘もいただきましたように州制度、連邦制ですから、その間に、例えばアメリカの場合には、国税は約六〇%、しかしそこに州があって、州が二五%、地方が一五%ぐらいある。ドイツの場合も、国税が約五〇%、そして州が割合高くて三七、八%ですか、そして地方は一三、四%ということです。
国の形によって税体系が違うのは当たり前ですけれども、日本がこれから地方分権を進めていく上で、どういう税体系にしていくかということは、国のシステム、つまり、国と県と自治体としていくのか、あるいはこの州制度、連邦制度のように、例えば今いろいろ御議論もあります道州制といいますか、そういう問題をどうするのか。
あるいは、私どもがこの地方分権を進めていくときに、税財源の問題を大きく変えていっても、三千二百の市町村の中には、どこまでいっても非常に自主財源が少ないところがあるわけですね。圧倒的に少ない。例えば、私たちの東京ですら、あの一番奥の檜原村では、自主財源が多分十数%だと思います。きょうはたまたま私のふるさとの高遠町の町長さんお見えいただいておりますが、私の村も過疎でございますので、多分一五%とか、自主財源は非常に少ないだろうと思います。保岡委員長の地元も、前回の質問のときに私ちょっと御指摘させてもらいましたけれども、財政力指数の非常に低い市町村があるわけですね。
そういう問題は、これからの、課税権の問題も改革していかなきゃならないけれども、最終的にはそういうものをどうするかということを考えなきゃならないと思いますが、そういうことについては先生どんなふうにお考えになるのか。
神
神野直彦#8
○神野参考人 まず、確かに国によって異なった税体系をとっておりますが、世界の流れを見てみると、ヨーロッパでは大体地方自治体の仕事というのは教会がやっていた仕事ですね。教会税を取ってやっていた仕事でございまして、先ほども申しましたように、医療とか福祉とか教育とかというようなことに限定されているわけですね。
ただ、二十世紀から十九世紀にかけて、そういう対人社会サービスが非常に需要がふえてまいりましたので、イギリスでもフランスでも大きな動きが出てまいりました。
これは、イギリスではレイフィールド委員会という委員会をつくって、先ほど申しました地方所得税を、スウェーデンのまねをして入れよう、こういう結論を出したところでございます。ただ、これは実現しませんで、御案内のとおり、コミュニティーチャージを導入して、ちょっと混乱をしているというのがイギリスの状態でございます。
それから、フランスも地方分権の改革を行いまして、ミッテランのときに、自動車の登録関係税含めて、国税から地方税に移譲しながら対応していこうということを行っているところです。
伊藤先生が御指摘のように、しかし、そうはいっても、地方によって、自主的な財源が少ないところがどうしても出てまいります。先ほども言いましたように、できるだけ自主的な財源でできるように税体系を変えて、自主的な財源でもできるようにしておく。どうしてもできなければミニマムを保障するというようなことをやるのが順序だろうと思いますので、現在の地方税の体系をまず改めるというのが先かと思いますが、その上で、どうしても小さいところ出てまいります。
これはどういうふうにやるのかということについては、二つやり方がございまして、一つは、合併をするというやり方ですね。もう一つは、合併をしないで協力をする、連合をするというやり方だろうと思います。
前者の方の合併をさせたのはスウェーデンでありまして、これは強制合併させております。一方の連合をとったのはフランスで、これは日本で言うと広域連合ですが、連合制度をとっていますが、この連合体にもフランスは課税権を与えております。
したがって、いずれにしても同じことだと思います。つまり、小さな自治体でできない行政を、できるだけ協力し合いながら、地方自治体が自分たちでできないことを少し大き目な団体をつくって実現させていくということをやっていくことしかないのではないかというふうに考えています。
この発言だけを見る →ただ、二十世紀から十九世紀にかけて、そういう対人社会サービスが非常に需要がふえてまいりましたので、イギリスでもフランスでも大きな動きが出てまいりました。
これは、イギリスではレイフィールド委員会という委員会をつくって、先ほど申しました地方所得税を、スウェーデンのまねをして入れよう、こういう結論を出したところでございます。ただ、これは実現しませんで、御案内のとおり、コミュニティーチャージを導入して、ちょっと混乱をしているというのがイギリスの状態でございます。
それから、フランスも地方分権の改革を行いまして、ミッテランのときに、自動車の登録関係税含めて、国税から地方税に移譲しながら対応していこうということを行っているところです。
伊藤先生が御指摘のように、しかし、そうはいっても、地方によって、自主的な財源が少ないところがどうしても出てまいります。先ほども言いましたように、できるだけ自主的な財源でできるように税体系を変えて、自主的な財源でもできるようにしておく。どうしてもできなければミニマムを保障するというようなことをやるのが順序だろうと思いますので、現在の地方税の体系をまず改めるというのが先かと思いますが、その上で、どうしても小さいところ出てまいります。
これはどういうふうにやるのかということについては、二つやり方がございまして、一つは、合併をするというやり方ですね。もう一つは、合併をしないで協力をする、連合をするというやり方だろうと思います。
前者の方の合併をさせたのはスウェーデンでありまして、これは強制合併させております。一方の連合をとったのはフランスで、これは日本で言うと広域連合ですが、連合制度をとっていますが、この連合体にもフランスは課税権を与えております。
したがって、いずれにしても同じことだと思います。つまり、小さな自治体でできない行政を、できるだけ協力し合いながら、地方自治体が自分たちでできないことを少し大き目な団体をつくって実現させていくということをやっていくことしかないのではないかというふうに考えています。
伊
保
永
永井英慈#11
○永井小委員 民主党の永井英慈でございます。
神野先生には、きょう、二回目、お話を伺いまして、前回はセーフティーネット論、それできょうはトランポリン論というようなことで、大変関心を持って伺いました。
きょうは、先生、財政の御専門なので、その視点からお話を伺いたいと思うんですけれども、私は、地方分権は待ったなし、すぐにでも実現しなければいけないこの国の緊急かつ最大の課題だと思っております。これは、今、構造改革、構造改革ということが叫ばれておりますけれども、究極の構造改革とは何かと私なりに考えてみますと、統治構造の改革が何よりも先、その核心が地方分権であると思っております。
日本は大変ゆゆしい事態になっております。例を挙げれば、学校崩壊、学級崩壊、授業放棄、教育の現場の荒廃は、もう目を覆うばかりであります。金融機関を初めとして、経済界、財界、産業界もこれまた大変なモラルハザードを起こしていることは、私が多くを申し上げる必要はないと思うんです。さらには、法曹というか司法の世界でも、まさに耳を疑うような出来事が報道されておるわけでございます。さらに、恥ずかしながら、日本の国政における疑惑の噴出、そのモラルハザードというのは、もう言語に絶する状態で、まさに政治不信の極に達していると思うんです。
そのようなことで、日本のあらゆる分野でモラルハザードが起きてしまって社会が大変な混乱に陥っていることは、私が多くを強調する必要はないわけでございます。
その一番の根源的な問題は何かということで、私なりに考えてみました。それは、極度の中央集権であります。中央政府に権限と財源を徹底的に集中させて、富国の政策、国力の増強、そういうことを中心に、明治以来一世紀以上にわたってこの国の形ができ上がってきたと思うのです。
そこで、どういう現象が起きたかというと、すべて国への依存、国へお願いする、国へ頼む、これが各自治体、地方に蔓延してきたことは事実です。同時に、地域の住民も行政に依存する、行政に頼むということで、地方自治体にしても国民にしても、自立心とか自己責任というような最も大切にすべきモラルの根源が失われて、依存心のみが肥大化してきてしまった。そこにモラルハザードの最大の原因があると思っております。
したがって、この巨大な中央集権こそ諸悪の根源であって、このすばらしい日本を立て直すには、徹底した地方分権によって、地方の自立を促す、地域の住民の創意工夫を生かしていく、そういう社会の構造にしていかなければならぬ、あるいは統治の構造にしていかなければならぬという基本的な考え方を持っておりまして、これから質問でございます。
今お話がありましたように、三千三百余りの市町村があります。その上に四十七都道府県があります。そして中央政府、国というような三層の構造になっておるわけでございますが、この地方分権においてどういう地方制度、どういう統治構造が理想的なのか。今伊藤先生からもお話が出ておりましたけれども、道州制をしいて、思い切って市町村という基礎自治体を統合していく、そこに地方、地域の自律性、能力というものを高めていく、そして広域自治体としての都道府県の合併等々も積極的に行っていく、州制度ですね、そういう道州制のような考え方について、先生のお考えをいただければと思います。
さらに、それに付随して、財政の面でもお話をいただければありがたいと思っております。ありがとうございます。
この発言だけを見る →神野先生には、きょう、二回目、お話を伺いまして、前回はセーフティーネット論、それできょうはトランポリン論というようなことで、大変関心を持って伺いました。
きょうは、先生、財政の御専門なので、その視点からお話を伺いたいと思うんですけれども、私は、地方分権は待ったなし、すぐにでも実現しなければいけないこの国の緊急かつ最大の課題だと思っております。これは、今、構造改革、構造改革ということが叫ばれておりますけれども、究極の構造改革とは何かと私なりに考えてみますと、統治構造の改革が何よりも先、その核心が地方分権であると思っております。
日本は大変ゆゆしい事態になっております。例を挙げれば、学校崩壊、学級崩壊、授業放棄、教育の現場の荒廃は、もう目を覆うばかりであります。金融機関を初めとして、経済界、財界、産業界もこれまた大変なモラルハザードを起こしていることは、私が多くを申し上げる必要はないと思うんです。さらには、法曹というか司法の世界でも、まさに耳を疑うような出来事が報道されておるわけでございます。さらに、恥ずかしながら、日本の国政における疑惑の噴出、そのモラルハザードというのは、もう言語に絶する状態で、まさに政治不信の極に達していると思うんです。
そのようなことで、日本のあらゆる分野でモラルハザードが起きてしまって社会が大変な混乱に陥っていることは、私が多くを強調する必要はないわけでございます。
その一番の根源的な問題は何かということで、私なりに考えてみました。それは、極度の中央集権であります。中央政府に権限と財源を徹底的に集中させて、富国の政策、国力の増強、そういうことを中心に、明治以来一世紀以上にわたってこの国の形ができ上がってきたと思うのです。
そこで、どういう現象が起きたかというと、すべて国への依存、国へお願いする、国へ頼む、これが各自治体、地方に蔓延してきたことは事実です。同時に、地域の住民も行政に依存する、行政に頼むということで、地方自治体にしても国民にしても、自立心とか自己責任というような最も大切にすべきモラルの根源が失われて、依存心のみが肥大化してきてしまった。そこにモラルハザードの最大の原因があると思っております。
したがって、この巨大な中央集権こそ諸悪の根源であって、このすばらしい日本を立て直すには、徹底した地方分権によって、地方の自立を促す、地域の住民の創意工夫を生かしていく、そういう社会の構造にしていかなければならぬ、あるいは統治の構造にしていかなければならぬという基本的な考え方を持っておりまして、これから質問でございます。
今お話がありましたように、三千三百余りの市町村があります。その上に四十七都道府県があります。そして中央政府、国というような三層の構造になっておるわけでございますが、この地方分権においてどういう地方制度、どういう統治構造が理想的なのか。今伊藤先生からもお話が出ておりましたけれども、道州制をしいて、思い切って市町村という基礎自治体を統合していく、そこに地方、地域の自律性、能力というものを高めていく、そして広域自治体としての都道府県の合併等々も積極的に行っていく、州制度ですね、そういう道州制のような考え方について、先生のお考えをいただければと思います。
さらに、それに付随して、財政の面でもお話をいただければありがたいと思っております。ありがとうございます。
神
神野直彦#12
○神野参考人 ありがとうございました。
道州制論は、私は非常に弱いところでございまして、前半のお話につきましては、全く先生のお考えに賛成させていただきます。
私の恩師の言葉で、人間は自由なるがゆえに連帯するという言葉があります。人間は自立して初めて人と協力できるんだというのが社会を構成する原則だろうと思いますので、自立をするということは、協力をしないということではなくて、自立しているがゆえに私たちはお互いに手を携えて生きていくんだということが、先ほど来言っております補完性の原理などの中心になるかと思います。
道州制論ですが、分権に実は二つの考え方がございまして、一つの考え方が、今説明申し上げました補完性の原理という考え方です。もう一つの考え方は、これはカナダとかオーストラリアがそういう考え方をとっているのではないかと思いますが、強い中央政府に対抗するためには強い地方政府でなければならないという考え方で、州の力を非常に強くするという考え方です。そうすると、今度は市町村よりもむしろ州を重視していこうという考え方が出てまいります。これは補完性の原理とは対抗するような考え方だろうと思います。
先生がおっしゃった道州制論というのは、ちょっとそれとは違う観点だろうと思いますが、道州制論は幾つかパターンがございまして、国のやっている権限とか仕事を道州に移していこうというような考え方と、逆に、道府県ではもう既に広域化してできなくなっているような仕事を、道州をつくることによって下から上に上げていこう、こういうような考え方があるかと思います。
私は、そこら辺をきちっと整理した上で、もう一つ都道府県の上に公共空間をつくる必要があるかどうかということを慎重に見きわめてコンセンサスをとる必要があるかと思います。
道州制みたいにもう一つ上を、道府県の上にこの分権の過程でつくった国はございます。イタリアもフランスも、デパルトマンという道府県の上にレジオンという自治体をつくっておりますし、ここには職業訓練とか高等教育などをやらせるためにつくりました。それからイタリアの場合には、医療を中心とした業務はレジオンでないとできないということでその上をつくっておりますので、どういう観点で道州をつくるかどうかということを含めて議論をして煮詰めていく必要があるだろうというふうに思っております。
この発言だけを見る →道州制論は、私は非常に弱いところでございまして、前半のお話につきましては、全く先生のお考えに賛成させていただきます。
私の恩師の言葉で、人間は自由なるがゆえに連帯するという言葉があります。人間は自立して初めて人と協力できるんだというのが社会を構成する原則だろうと思いますので、自立をするということは、協力をしないということではなくて、自立しているがゆえに私たちはお互いに手を携えて生きていくんだということが、先ほど来言っております補完性の原理などの中心になるかと思います。
道州制論ですが、分権に実は二つの考え方がございまして、一つの考え方が、今説明申し上げました補完性の原理という考え方です。もう一つの考え方は、これはカナダとかオーストラリアがそういう考え方をとっているのではないかと思いますが、強い中央政府に対抗するためには強い地方政府でなければならないという考え方で、州の力を非常に強くするという考え方です。そうすると、今度は市町村よりもむしろ州を重視していこうという考え方が出てまいります。これは補完性の原理とは対抗するような考え方だろうと思います。
先生がおっしゃった道州制論というのは、ちょっとそれとは違う観点だろうと思いますが、道州制論は幾つかパターンがございまして、国のやっている権限とか仕事を道州に移していこうというような考え方と、逆に、道府県ではもう既に広域化してできなくなっているような仕事を、道州をつくることによって下から上に上げていこう、こういうような考え方があるかと思います。
私は、そこら辺をきちっと整理した上で、もう一つ都道府県の上に公共空間をつくる必要があるかどうかということを慎重に見きわめてコンセンサスをとる必要があるかと思います。
道州制みたいにもう一つ上を、道府県の上にこの分権の過程でつくった国はございます。イタリアもフランスも、デパルトマンという道府県の上にレジオンという自治体をつくっておりますし、ここには職業訓練とか高等教育などをやらせるためにつくりました。それからイタリアの場合には、医療を中心とした業務はレジオンでないとできないということでその上をつくっておりますので、どういう観点で道州をつくるかどうかということを含めて議論をして煮詰めていく必要があるだろうというふうに思っております。
永
永井英慈#13
○永井小委員 財政調整の機能というのは極めて大事だと思います。
私が描いているのは、国と地方との財源調整、それから地方自治体間の財源調整ということを、透明性を高めて、基準をしっかり定めてやっていく必要があろうと思うんです。
それで、ちょっと飛びますけれども、ドイツでは共同税という制度を導入していると聞いておりますけれども、先生のお考えでは、我が国における共同税の導入、あるいは共同税徴収機構というような制度はどういうものでしょうか、ちょっとお伺いできればと思います。
この発言だけを見る →私が描いているのは、国と地方との財源調整、それから地方自治体間の財源調整ということを、透明性を高めて、基準をしっかり定めてやっていく必要があろうと思うんです。
それで、ちょっと飛びますけれども、ドイツでは共同税という制度を導入していると聞いておりますけれども、先生のお考えでは、我が国における共同税の導入、あるいは共同税徴収機構というような制度はどういうものでしょうか、ちょっとお伺いできればと思います。
神
神野直彦#14
○神野参考人 ドイツは協調的連邦主義と申しまして、州に課税高権、税金をかける権限があるのですけれども、アメリカのように州が連邦に対して強い自律権を持つのではなくて、連邦と州が共同して任務を果たしていこうという原則のもとに共同税というのをつくったというふうに私は理解をいたしております。そういう意味で、いわば垂直的な政府が連帯といいますか、協力し合ってつくり上げた制度が共同税だというふうに理解しております。
これは、共同税に一長一短ございますので、これも慎重に議論をすべきことだろうと思います。ドイツの場合には徴収権は州が持っているわけです。徴収権で申しますと、フランスの場合には全部国が持っております。スウェーデンの場合には独法化されておりますので、国の機構なのか、中央政府の機構なのかちょっとわからないのですが、独立した機関がとにかく徴税を一括して行うというやり方をとっております。
この共同で徴収をするという機構をつくったときの問題点は、取れなかったときどうするかということなんです。山奥に取りに行くのは非常に大変だから、全体で数が合えばいいので取らないというようなことが起きたときに、その山奥の大変にコストがかかるところを一元的に徴収をすると取られない可能性があるので、そのときには、フランスの場合には、中央政府が、取れなかった場合には全部予算どおりのものを地方政府に補償することにしているわけですね。
ですから、徴収ができなかった場合などについてどこがどういう責任をとるのかという問題が生じてまいりますので、私たちの財政学では、徴収権と、税金をつくる立法権と、それから税金をもらう権限、これはできれば三位一体にしていた方がいい。しかし、さまざまな場合がございますので、共同税という場合には立法権をどこが持つのかというのが問題になるわけです。
ドイツの場合には、中央政府と地方政府の共同の意思決定機関として参議院が位置づけられておりますので、そういう共同立法ができるということになっていますから、では立法権はどうするかと。徴収だけ共同にするのか、配分の方は今度は別々にするのか、こういう問題が出てまいりますので、そこら辺の状況を考えて、また税金によって異なる場合もございますから、共同税になじむ税とそうでない税金もございますので、慎重にこれも考慮して検討していく必要がある問題で、にわかに結論はなかなか出し得ないんではないかというふうに思っております。
この発言だけを見る →これは、共同税に一長一短ございますので、これも慎重に議論をすべきことだろうと思います。ドイツの場合には徴収権は州が持っているわけです。徴収権で申しますと、フランスの場合には全部国が持っております。スウェーデンの場合には独法化されておりますので、国の機構なのか、中央政府の機構なのかちょっとわからないのですが、独立した機関がとにかく徴税を一括して行うというやり方をとっております。
この共同で徴収をするという機構をつくったときの問題点は、取れなかったときどうするかということなんです。山奥に取りに行くのは非常に大変だから、全体で数が合えばいいので取らないというようなことが起きたときに、その山奥の大変にコストがかかるところを一元的に徴収をすると取られない可能性があるので、そのときには、フランスの場合には、中央政府が、取れなかった場合には全部予算どおりのものを地方政府に補償することにしているわけですね。
ですから、徴収ができなかった場合などについてどこがどういう責任をとるのかという問題が生じてまいりますので、私たちの財政学では、徴収権と、税金をつくる立法権と、それから税金をもらう権限、これはできれば三位一体にしていた方がいい。しかし、さまざまな場合がございますので、共同税という場合には立法権をどこが持つのかというのが問題になるわけです。
ドイツの場合には、中央政府と地方政府の共同の意思決定機関として参議院が位置づけられておりますので、そういう共同立法ができるということになっていますから、では立法権はどうするかと。徴収だけ共同にするのか、配分の方は今度は別々にするのか、こういう問題が出てまいりますので、そこら辺の状況を考えて、また税金によって異なる場合もございますから、共同税になじむ税とそうでない税金もございますので、慎重にこれも考慮して検討していく必要がある問題で、にわかに結論はなかなか出し得ないんではないかというふうに思っております。
永
保
江
江田康幸#17
○江田小委員 公明党の江田康幸でございます。
本日は、先生、貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。
幾つか質問をさせていただきたいと思っておるんでございますが、まず、先ほどからも議論に出ておりますように、日本全体が非常に経済が厳しい状況に至っております。これは地方においてはさらに厳しいわけでございまして、地方の経済の活性化ならずして国の経済の活性化もないと私は思っております。そういう経済の活性化に限らず、二十一世紀に対応した教育とか環境、福祉、医療、介護といった大きな問題がまた横たわっております。こういうようなものに対応して、地方の活性化をしていく上においても、やはり本来の意味での地方分権が、地方自治が進まなければそれはあり得ないと私理解しておるところでございます。
先生の著作の「分権改革の推進へ向けて」というのを前もって読ませていただいてきょうお聞きしたんですが、先生は非常に興味深いことをこの中でも冒頭から言われておりまして、都市再生一つとっても、人間の生活の場としての都市の再生で経済活動までが光ってくる、「人間の生活の「場」として都市が再生すれば、人間が集住するだけでなく、人間が交流し始めるからである。」こういう考えは非常に私も大事と思っておりまして、それがまた地方の特色、活性化に結びつくということではないかなと思っております。
これまでこの小委員会で、地方分権並びに広域化という、市町村合併等を勉強してきたわけですけれども、地方自治の確立には地方分権が必須であって、そしてその地方分権の中ではやはり、先ほどからも議論されておりますように、市町村においては体力を、また受け皿として、その体力をつけるという意味から広域化が必要であろう、それが二十一世紀型の介護、医療、環境、教育といった問題にも対応でき得るものになる。
そして、もう一つの大事な柱が、税財源の移譲でなければならない。今回は三回目の小委員会でございますが、これで一通り地方分権における大事な要点を先生方からお聞きしたことになるかと思っております。
この税財源の移譲について幾つか御質問しておきたいと思うんです。
先生が申されましたように、平成十三年七月の地方分権一括法によって、先ほど二つの非対応のうちの、それこそ決定と行政任務の非対応といいますか、そこのところは解消してきているようだ、しかし、支出と課税権の非対応が残っているということでございました。この課税権の中に、基幹税として所得税と消費税を地方に移譲していくということについてお話がありましたが、たしか、地方分権推進委員会の中でもこういうような意見があったかと思います。
国税の所得税と消費税の一部を地方税に移すように具体的な数字が挙がった。例えば所得税の基礎税率、これは今一〇%であると思いますが、その半分の五%分を地方税である個人住民税に回す。現在、消費税五%のうち一%は地方消費税となっているのでありますが、これに、さらに、国の一%分を削って、それを地方消費税に上乗せするというような構想もあったということを聞いております。そうすれば、個人住民税が三・二兆円、それから地方消費税が二・五兆円ふえることで、国と地方の税収比率が現在の六対四から五対五に近づいてくる。国税収入が減る分は国からの地方交付税や補助金を減らす。こういうような構想が言われているかと思うんですが、具体的な、こういう税財源の移譲において、地方所得税、地方消費税をどういうふうにやっていくか、それはまた一律にやって成功するのか、そういうようなところにおいて御意見をひとつまずいただきたいと思うんです。
この発言だけを見る →本日は、先生、貴重な御意見をいただきましてありがとうございます。
幾つか質問をさせていただきたいと思っておるんでございますが、まず、先ほどからも議論に出ておりますように、日本全体が非常に経済が厳しい状況に至っております。これは地方においてはさらに厳しいわけでございまして、地方の経済の活性化ならずして国の経済の活性化もないと私は思っております。そういう経済の活性化に限らず、二十一世紀に対応した教育とか環境、福祉、医療、介護といった大きな問題がまた横たわっております。こういうようなものに対応して、地方の活性化をしていく上においても、やはり本来の意味での地方分権が、地方自治が進まなければそれはあり得ないと私理解しておるところでございます。
先生の著作の「分権改革の推進へ向けて」というのを前もって読ませていただいてきょうお聞きしたんですが、先生は非常に興味深いことをこの中でも冒頭から言われておりまして、都市再生一つとっても、人間の生活の場としての都市の再生で経済活動までが光ってくる、「人間の生活の「場」として都市が再生すれば、人間が集住するだけでなく、人間が交流し始めるからである。」こういう考えは非常に私も大事と思っておりまして、それがまた地方の特色、活性化に結びつくということではないかなと思っております。
これまでこの小委員会で、地方分権並びに広域化という、市町村合併等を勉強してきたわけですけれども、地方自治の確立には地方分権が必須であって、そしてその地方分権の中ではやはり、先ほどからも議論されておりますように、市町村においては体力を、また受け皿として、その体力をつけるという意味から広域化が必要であろう、それが二十一世紀型の介護、医療、環境、教育といった問題にも対応でき得るものになる。
そして、もう一つの大事な柱が、税財源の移譲でなければならない。今回は三回目の小委員会でございますが、これで一通り地方分権における大事な要点を先生方からお聞きしたことになるかと思っております。
この税財源の移譲について幾つか御質問しておきたいと思うんです。
先生が申されましたように、平成十三年七月の地方分権一括法によって、先ほど二つの非対応のうちの、それこそ決定と行政任務の非対応といいますか、そこのところは解消してきているようだ、しかし、支出と課税権の非対応が残っているということでございました。この課税権の中に、基幹税として所得税と消費税を地方に移譲していくということについてお話がありましたが、たしか、地方分権推進委員会の中でもこういうような意見があったかと思います。
国税の所得税と消費税の一部を地方税に移すように具体的な数字が挙がった。例えば所得税の基礎税率、これは今一〇%であると思いますが、その半分の五%分を地方税である個人住民税に回す。現在、消費税五%のうち一%は地方消費税となっているのでありますが、これに、さらに、国の一%分を削って、それを地方消費税に上乗せするというような構想もあったということを聞いております。そうすれば、個人住民税が三・二兆円、それから地方消費税が二・五兆円ふえることで、国と地方の税収比率が現在の六対四から五対五に近づいてくる。国税収入が減る分は国からの地方交付税や補助金を減らす。こういうような構想が言われているかと思うんですが、具体的な、こういう税財源の移譲において、地方所得税、地方消費税をどういうふうにやっていくか、それはまた一律にやって成功するのか、そういうようなところにおいて御意見をひとつまずいただきたいと思うんです。
神
神野直彦#18
○神野参考人 分権委員会の議論の中では、今、先生がおっしゃったような数字は飛び交っておりましたが、最終的にまとめたものではございません。それで、私などが試算をいたしますと、先生が今おっしゃったような形でもって、一律の一〇%に所得税をいたしますと三兆円行きますし、地方消費税の方でも、先生がおっしゃったような数字で二・五兆円行きますので、それをやれば五対五という数値になるということになるかと思います。
地方財政学の方では、昔から割と五対五にしようという案が多かったのは、五対五にするといわゆる国庫支出金の分だけが行くだけでもって非常にうまくいく数値になりますので、そういう五対五にするという意見が昔からございましたので、それが一つの案かというふうに思います。
ただ、段階的にどうやるかというお尋ねかと思いますが、これについてはなかなか難しい問題がございます。つまり、移譲すれば、必ずどっかの地方自治体に多く行ったり、どっかの地方自治体に少なく行ったりいたしますので、これをどうにか余り現状と変化のないようにしようとすると、なかなか難しいテクニックを使わなければならないということになります。
これも私の学生などに説明をすると、なぜそんな、現状と変わらないようにする、激変緩和をしなくちゃいけないんですかと質問を受けるんですね。激変緩和をするのであれば改革しなきゃいいじゃないですかとよく素朴に質問されますが、それはいっても、さまざまな利害調整をするという意味で激変を緩和していくということで考えていきますと、一挙に五対五に持っていく中間段階として三兆円ぐらいの移譲を考えていくということであると、どうにか特定の地方自治体に税が集まるということを回避しつつ移譲することが可能になるということですので、私の個人的な考え方ですけれども、まずステップはそこかなということは思います。
先生がおっしゃった五対五にするということになってまいりますと、これは交付税とか、ほかの全体の、現状の仕組みの骨格をなしている部分にも手をつけないと、現状とかなりかけ離れた、特定の地方に税源が集まるという結果になってしまうということだと思います。ですから、まずできるところからステップでやっていくというのが現実的なのではないかというふうに思います。
この発言だけを見る →地方財政学の方では、昔から割と五対五にしようという案が多かったのは、五対五にするといわゆる国庫支出金の分だけが行くだけでもって非常にうまくいく数値になりますので、そういう五対五にするという意見が昔からございましたので、それが一つの案かというふうに思います。
ただ、段階的にどうやるかというお尋ねかと思いますが、これについてはなかなか難しい問題がございます。つまり、移譲すれば、必ずどっかの地方自治体に多く行ったり、どっかの地方自治体に少なく行ったりいたしますので、これをどうにか余り現状と変化のないようにしようとすると、なかなか難しいテクニックを使わなければならないということになります。
これも私の学生などに説明をすると、なぜそんな、現状と変わらないようにする、激変緩和をしなくちゃいけないんですかと質問を受けるんですね。激変緩和をするのであれば改革しなきゃいいじゃないですかとよく素朴に質問されますが、それはいっても、さまざまな利害調整をするという意味で激変を緩和していくということで考えていきますと、一挙に五対五に持っていく中間段階として三兆円ぐらいの移譲を考えていくということであると、どうにか特定の地方自治体に税が集まるということを回避しつつ移譲することが可能になるということですので、私の個人的な考え方ですけれども、まずステップはそこかなということは思います。
先生がおっしゃった五対五にするということになってまいりますと、これは交付税とか、ほかの全体の、現状の仕組みの骨格をなしている部分にも手をつけないと、現状とかなりかけ離れた、特定の地方に税源が集まるという結果になってしまうということだと思います。ですから、まずできるところからステップでやっていくというのが現実的なのではないかというふうに思います。
江
保
武
武山百合子#21
○武山小委員 自由党の武山百合子でございます。
先生、きょうは貴重なお話ありがとうございます。
早速ですけれども、国民は、地方自治、地方自治と言われているけれども、ほとんど権限がない、三割自治だ、その程度に思っているわけです。この一九二八年、総選挙用政友会ポスターで、本当に、今言われてもおかしくない、そのまま私たちにお返しされているような状態ですけれども、なぜ進まなかったのか、地方自治。国の責任、地方の責任、市町村の責任、国民の責任を先生ぜひお話ししていただきたいと思います。
この発言だけを見る →先生、きょうは貴重なお話ありがとうございます。
早速ですけれども、国民は、地方自治、地方自治と言われているけれども、ほとんど権限がない、三割自治だ、その程度に思っているわけです。この一九二八年、総選挙用政友会ポスターで、本当に、今言われてもおかしくない、そのまま私たちにお返しされているような状態ですけれども、なぜ進まなかったのか、地方自治。国の責任、地方の責任、市町村の責任、国民の責任を先生ぜひお話ししていただきたいと思います。
神
神野直彦#22
○神野参考人 この一九二八年あたりから地方分権の動きが出てまいりまして、それがなぜ進まなかったのかという歴史的な教訓は、今にも当てはまるわけですけれども、その後、日本は、非常に不幸なことに、大恐慌という不況を経験いたします。そうすると、国の財政も破綻し、もちろん地方の財政も破綻し、現在と同じような状況になっていくわけです。その過程の中で、結局、税源移譲とか分権とかという問題がないがしろになってしまった。結局、御案内のとおり、不幸な戦争の道を歩みつつ、集権的な構造をむしろ強めてしまう、戦時財政をやっていくためにはどうしても集権的な財政にせざるを得ませんので、強めてしまうという不幸な結果になってしまったということだと思います。
ですから、そこから教訓で引き出せることは、分権が叫ばれるときというのはいつも不況なんです。逆に、不況だから分権が叫ばれるのかもしれませんので、この不況をどうやって乗り切るのかというのは、先ほど来諸先生方の御意見にもありましたように、国民がこの不況の中で不安にあえいでいくと、戦争に入っていったりなんかした歴史を考えてみると、将来不安をできるだけ早く払拭する意味でも、地方自治体から人々の生活をちゃんと保障できるようなサービスを出していくということが必要だろうと思います。
それから、もう一つ重要な点は、私たちはどうしても、日本で民主主義が育たない、育たないということを繰り返しいろいろな場所でお説教されてきたのですが、この間ちょっとヨーロッパに行ってびっくりしたんですけれども、ヨーロッパでは民主主義を育てようという政策を政府がやっているんです。私たちは、そういう意味で、民主主義というものも、日本は民主主義が育たないねというふうにあきらめるのではなくて、どうしたら民主主義というのは日本で育つのだろうかという仕組みを諸先生方にも考えていただいて、そういう政策を打っていくということが重要ではないかと思います。
この発言だけを見る →ですから、そこから教訓で引き出せることは、分権が叫ばれるときというのはいつも不況なんです。逆に、不況だから分権が叫ばれるのかもしれませんので、この不況をどうやって乗り切るのかというのは、先ほど来諸先生方の御意見にもありましたように、国民がこの不況の中で不安にあえいでいくと、戦争に入っていったりなんかした歴史を考えてみると、将来不安をできるだけ早く払拭する意味でも、地方自治体から人々の生活をちゃんと保障できるようなサービスを出していくということが必要だろうと思います。
それから、もう一つ重要な点は、私たちはどうしても、日本で民主主義が育たない、育たないということを繰り返しいろいろな場所でお説教されてきたのですが、この間ちょっとヨーロッパに行ってびっくりしたんですけれども、ヨーロッパでは民主主義を育てようという政策を政府がやっているんです。私たちは、そういう意味で、民主主義というものも、日本は民主主義が育たないねというふうにあきらめるのではなくて、どうしたら民主主義というのは日本で育つのだろうかという仕組みを諸先生方にも考えていただいて、そういう政策を打っていくということが重要ではないかと思います。
武
武山百合子#23
○武山小委員 ありがとうございます。
それから、アメリカなんかを見ますと、先ほどお話にもありましたように、州の権限、それから市町村の権限が大変強いものですから、教育一つをとりましても、先生の採用を市町村でやっているわけです。教育委員長も、なりたい人が自分が立候補して委員長になるというような状態です。日本の場合は、校長先生をされた方が教育委員会に入られて、教育長になったりするわけです。
確かに、そこが大変大きな違いがありまして、ある町は、自主財源をつくるために、大きなショッピングセンターを誘致するとか、住宅をたくさんつくって、例えば固定資産税というものが、アメリカもそれぞれいろいろな凹凸ある州ですけれども、例えばコネティカット州とかですと、高級住宅街というものが各市町村にありまして、そこの固定資産税というのは大変高いんですね、五千ドルから五十万から百万、それ以上のところは半分以上あるところが大変多いわけです。そういうふうにして固定資産税を多くふやすことによって自主財源がふえる。また、固定資産税が教育の学校税になっていくということで、私の町は教育が非常に熱心だということで、またそこに住宅を求めて人が移動したり入ったりするわけなんです。日本もそういうふうなインセンティブを与える。
そういう意味で、自主財源を求めるには何に求めたらいいか。恐らく国民は、今合併の方向で走っておりますけれども、ごみ処理の問題は広域事業でやっておりますけれども、合併化、合併化ということで、今私の地元でもそういうお話が出ておりますけれども、意外とシビアで反対なんですね。そのネックになっているのは、地方分権してどんな地方自治が描けるかという絵がはっきりと示されていないと思うのです。その絵というのは権限と財源だと思うのです。それで、財源をどこに求めたらいいか、例えばの話をお話ししていただきたいと思います。
この発言だけを見る →それから、アメリカなんかを見ますと、先ほどお話にもありましたように、州の権限、それから市町村の権限が大変強いものですから、教育一つをとりましても、先生の採用を市町村でやっているわけです。教育委員長も、なりたい人が自分が立候補して委員長になるというような状態です。日本の場合は、校長先生をされた方が教育委員会に入られて、教育長になったりするわけです。
確かに、そこが大変大きな違いがありまして、ある町は、自主財源をつくるために、大きなショッピングセンターを誘致するとか、住宅をたくさんつくって、例えば固定資産税というものが、アメリカもそれぞれいろいろな凹凸ある州ですけれども、例えばコネティカット州とかですと、高級住宅街というものが各市町村にありまして、そこの固定資産税というのは大変高いんですね、五千ドルから五十万から百万、それ以上のところは半分以上あるところが大変多いわけです。そういうふうにして固定資産税を多くふやすことによって自主財源がふえる。また、固定資産税が教育の学校税になっていくということで、私の町は教育が非常に熱心だということで、またそこに住宅を求めて人が移動したり入ったりするわけなんです。日本もそういうふうなインセンティブを与える。
そういう意味で、自主財源を求めるには何に求めたらいいか。恐らく国民は、今合併の方向で走っておりますけれども、ごみ処理の問題は広域事業でやっておりますけれども、合併化、合併化ということで、今私の地元でもそういうお話が出ておりますけれども、意外とシビアで反対なんですね。そのネックになっているのは、地方分権してどんな地方自治が描けるかという絵がはっきりと示されていないと思うのです。その絵というのは権限と財源だと思うのです。それで、財源をどこに求めたらいいか、例えばの話をお話ししていただきたいと思います。
神
神野直彦#24
○神野参考人 私は、基本的に住民税だろうと思います。選挙権を持っている住民がお互いに負担し合う税に求めるべきだろうと思っています。
先生の比喩は大変すばらしいお話で、私も、地方税というのはいわばマンションの管理費のようなものだ。マンションの自分の家の中だけがきれいでいいんだと考えれば、お互いに負担し合う管理費は少なくして外は汚くていいという、そういう地方に住めばいいわけですね。それから、いや、むしろ管理費は高くても周りがきれいなところに住みたいというふうに思えば上げればいい。
先生がお話しのように、管理費が高くて管理が行き届いているところは嫌われるかというと、そんなことはなくて、逆にそういうところに集まるというのが普通の考え方ですので、今の管理費みたいな考え方でいえば、累進税率じゃなくて構いませんけれども、比例税率でお互いに負担し合う税として住民が負担するというのが基本に据えられるべきだろうというふうに思います。
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先生がお話しのように、管理費が高くて管理が行き届いているところは嫌われるかというと、そんなことはなくて、逆にそういうところに集まるというのが普通の考え方ですので、今の管理費みたいな考え方でいえば、累進税率じゃなくて構いませんけれども、比例税率でお互いに負担し合う税として住民が負担するというのが基本に据えられるべきだろうというふうに思います。
武
武山百合子#25
○武山小委員 先ほど外国の例をいろいろお話しいただいたんですけれども、日本がこれから地方分権するに当たって、どこかモデルケースを知りたいと思うのですね。どこか、この国のこういう部分をモデルにしたら日本の地方分権が進むのではないか、また理想とする、日本の社会にマッチするのではないかという国はどこでしょうか。
この発言だけを見る →神
神野直彦#26
○神野参考人 これはなかなか難しいのですが、日本はほかの国にはなれませんので、日本として考えることしかないだろうと思います。
塩崎先生が翻訳されている本で、「税制と民主主義」という本を著したスタインモという世界の超一流の学者が今私のところに来ておりますが、その先生がおっしゃるのには、日本に来て初めてグローバルスタンダードという言葉を聞いた、これは一体、こういう言葉があるというのはびっくりした。世界の国々では、気候も違うし風土もみんな違うはずなので、共通したルールというのはないはずだ、そんなことは設定できないはずなのに、なぜグローバルスタンダード、グローバルスタンダードと言うのかほとんど理解できなかったけれども、どうもよくよく聞いてみるとアメリカンルールを言っているようだというようなお話をされたことがあります。
私たちは、ほかの国と同じにはなれませんので、状況は確実に変わった、だから分権はしなければならないんだけれども、自分たちの国のどこをどう変えていったらいいのかという目で、自分たちで考えるべきだというふうに思います。
ただ、自分の姿が一体どういう姿かということを、いつも鏡で見ないと自分の顔がわからないように、自分の姿がどういうことかというのは認識しにくいものですので、参考にできる国ということで挙げさせていただければ、私は、ヨーロッパの国々の方がコミュニティーなどが存在していたという点で日本に割と似ているのではないかと思いまして、いつも私が比較させていただいているのは、スウェーデンとかフランスとかドイツなどのヨーロッパ諸国を比較の対象にさせていただいておりますので、私の個人的な考えでは、我々がどうやって変えていこうかという一つのモデルとして、ヨーロッパが挙げられるのではないかというふうに思います。
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私たちは、ほかの国と同じにはなれませんので、状況は確実に変わった、だから分権はしなければならないんだけれども、自分たちの国のどこをどう変えていったらいいのかという目で、自分たちで考えるべきだというふうに思います。
ただ、自分の姿が一体どういう姿かということを、いつも鏡で見ないと自分の顔がわからないように、自分の姿がどういうことかというのは認識しにくいものですので、参考にできる国ということで挙げさせていただければ、私は、ヨーロッパの国々の方がコミュニティーなどが存在していたという点で日本に割と似ているのではないかと思いまして、いつも私が比較させていただいているのは、スウェーデンとかフランスとかドイツなどのヨーロッパ諸国を比較の対象にさせていただいておりますので、私の個人的な考えでは、我々がどうやって変えていこうかという一つのモデルとして、ヨーロッパが挙げられるのではないかというふうに思います。
武
保
春
春名直章#29
○春名小委員 日本共産党の春名直章です。
きょうは、先生、本当にどうもありがとうございます。
言うまでもなく、戦後の出発点の、憲法が制定されたときに、第八章地方自治の章ができた。このできた大きな要因が、戦前の大日本帝国憲法の中には地方自治の章は一切なくて、国家の政策の遂行機関に地方行政制度が導入されていくという経過の中で、日本の民主主義にとって、民主化にとって不可欠であるということでこの第八章が盛られたというふうに理解しておりますが、この点での歴史的な意味といいますか、第八章の、そのことについての先生の御見解をお聞きしたい。
それから、その地方自治を体現化するために、戦後、地方財政制度の改革などもいろいろ提案もされて、一部は具体化されてきたと思うのです。
一九四九年と五〇年にシャウプ勧告が出されて、そこで、国庫支出金を、補助、奨励金を残して全廃する、それから平衡交付金制度をそれにかわって設ける、それからもう一つは機関委任事務制度を全廃する、既に四九年、五〇年でこれは提案されているわけですね。しかし、今日までそれがほとんど実現されずに来ていた。
そこで、地方分権一括法で三年前に機関委任事務の方はようやくなくなるということになったわけですが、先生も、「二〇二五年日本の構想」という本の中で、今回の分権改革の課題はシャウプ勧告の課題であって、戦後改革の課題の再設定だというような表現も使っていらっしゃると思うのです。逆に言えば、こういうシャウプ勧告が実現されていれば、今日もう少し違った地方自治体の姿があったのじゃないかなというふうにも思います。
なぜシャウプ勧告が実行されなかったのか。その点についてもお聞かせいただけたらと思います。
この発言だけを見る →きょうは、先生、本当にどうもありがとうございます。
言うまでもなく、戦後の出発点の、憲法が制定されたときに、第八章地方自治の章ができた。このできた大きな要因が、戦前の大日本帝国憲法の中には地方自治の章は一切なくて、国家の政策の遂行機関に地方行政制度が導入されていくという経過の中で、日本の民主主義にとって、民主化にとって不可欠であるということでこの第八章が盛られたというふうに理解しておりますが、この点での歴史的な意味といいますか、第八章の、そのことについての先生の御見解をお聞きしたい。
それから、その地方自治を体現化するために、戦後、地方財政制度の改革などもいろいろ提案もされて、一部は具体化されてきたと思うのです。
一九四九年と五〇年にシャウプ勧告が出されて、そこで、国庫支出金を、補助、奨励金を残して全廃する、それから平衡交付金制度をそれにかわって設ける、それからもう一つは機関委任事務制度を全廃する、既に四九年、五〇年でこれは提案されているわけですね。しかし、今日までそれがほとんど実現されずに来ていた。
そこで、地方分権一括法で三年前に機関委任事務の方はようやくなくなるということになったわけですが、先生も、「二〇二五年日本の構想」という本の中で、今回の分権改革の課題はシャウプ勧告の課題であって、戦後改革の課題の再設定だというような表現も使っていらっしゃると思うのです。逆に言えば、こういうシャウプ勧告が実現されていれば、今日もう少し違った地方自治体の姿があったのじゃないかなというふうにも思います。
なぜシャウプ勧告が実行されなかったのか。その点についてもお聞かせいただけたらと思います。