環境委員会
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会
会議録情報#0
平成二十四年六月八日(金曜日)
午前九時開議
出席委員
委員長 生方 幸夫君
理事 大谷 信盛君 理事 川越 孝洋君
理事 近藤 昭一君 理事 矢崎 公二君
理事 横山 北斗君 理事 田中 和徳君
理事 吉野 正芳君 理事 江田 康幸君
岡本 英子君 柿沼 正明君
笠原多見子君 工藤 仁美君
空本 誠喜君 高邑 勉君
高山 智司君 玉置 公良君
森岡洋一郎君 山花 郁夫君
横光 克彦君 吉川 政重君
井上 信治君 近藤三津枝君
柴山 昌彦君 斎藤やすのり君
佐藤ゆうこ君
…………………………………
環境副大臣 横光 克彦君
環境大臣政務官 高山 智司君
参考人
(獨協医科大学准教授) 木村 真三君
参考人
(福島原発事故独立検証委員会委員長) 北澤 宏一君
参考人
(法政大学大学院客員教授) 宮野 廣君
参考人
(認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長) 飯田 哲也君
環境委員会専門員 高梨 金也君
—————————————
委員の異動
六月八日
辞任 補欠選任
岡本 英子君 笠原多見子君
岸田 文雄君 柴山 昌彦君
同日
辞任 補欠選任
笠原多見子君 菊池長右ェ門君
柴山 昌彦君 岸田 文雄君
同日
辞任 補欠選任
菊池長右ェ門君 岡本 英子君
—————————————
本日の会議に付した案件
原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案(内閣提出第一一号)
原子力安全調査委員会設置法案(内閣提出第一二号)
地方自治法第百五十六条第四項の規定に基づき、産業保安監督部及び那覇産業保安監督事務所並びに産業保安監督部の支部並びに産業保安監督署の設置に関し承認を求めるの件(内閣提出、承認第一号)
原子力規制委員会設置法案(塩崎恭久君外三名提出、衆法第一〇号)
————◇—————
この発言だけを見る →午前九時開議
出席委員
委員長 生方 幸夫君
理事 大谷 信盛君 理事 川越 孝洋君
理事 近藤 昭一君 理事 矢崎 公二君
理事 横山 北斗君 理事 田中 和徳君
理事 吉野 正芳君 理事 江田 康幸君
岡本 英子君 柿沼 正明君
笠原多見子君 工藤 仁美君
空本 誠喜君 高邑 勉君
高山 智司君 玉置 公良君
森岡洋一郎君 山花 郁夫君
横光 克彦君 吉川 政重君
井上 信治君 近藤三津枝君
柴山 昌彦君 斎藤やすのり君
佐藤ゆうこ君
…………………………………
環境副大臣 横光 克彦君
環境大臣政務官 高山 智司君
参考人
(獨協医科大学准教授) 木村 真三君
参考人
(福島原発事故独立検証委員会委員長) 北澤 宏一君
参考人
(法政大学大学院客員教授) 宮野 廣君
参考人
(認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長) 飯田 哲也君
環境委員会専門員 高梨 金也君
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委員の異動
六月八日
辞任 補欠選任
岡本 英子君 笠原多見子君
岸田 文雄君 柴山 昌彦君
同日
辞任 補欠選任
笠原多見子君 菊池長右ェ門君
柴山 昌彦君 岸田 文雄君
同日
辞任 補欠選任
菊池長右ェ門君 岡本 英子君
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本日の会議に付した案件
原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案(内閣提出第一一号)
原子力安全調査委員会設置法案(内閣提出第一二号)
地方自治法第百五十六条第四項の規定に基づき、産業保安監督部及び那覇産業保安監督事務所並びに産業保安監督部の支部並びに産業保安監督署の設置に関し承認を求めるの件(内閣提出、承認第一号)
原子力規制委員会設置法案(塩崎恭久君外三名提出、衆法第一〇号)
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生
生方幸夫#1
○生方委員長 これより会議を開きます。
内閣提出、原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案、原子力安全調査委員会設置法案及び地方自治法第百五十六条第四項の規定に基づき、産業保安監督部及び那覇産業保安監督事務所並びに産業保安監督部の支部並びに産業保安監督署の設置に関し承認を求めるの件並びに塩崎恭久君外三名提出、原子力規制委員会設置法案の各案件を議題といたします。
本日は、各案件審査のため、参考人として、獨協医科大学准教授木村真三君、福島原発事故独立検証委員会委員長北澤宏一君、法政大学大学院客員教授宮野廣君、認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長飯田哲也君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人各位からそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。
それでは、まず木村参考人にお願いいたします。
この発言だけを見る →内閣提出、原子力の安全の確保に関する組織及び制度を改革するための環境省設置法等の一部を改正する法律案、原子力安全調査委員会設置法案及び地方自治法第百五十六条第四項の規定に基づき、産業保安監督部及び那覇産業保安監督事務所並びに産業保安監督部の支部並びに産業保安監督署の設置に関し承認を求めるの件並びに塩崎恭久君外三名提出、原子力規制委員会設置法案の各案件を議題といたします。
本日は、各案件審査のため、参考人として、獨協医科大学准教授木村真三君、福島原発事故独立検証委員会委員長北澤宏一君、法政大学大学院客員教授宮野廣君、認定NPO法人環境エネルギー政策研究所所長飯田哲也君、以上四名の方々に御出席をいただいております。
この際、参考人各位に一言御挨拶を申し上げます。
本日は、御多用のところ本委員会に御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。参考人各位におかれましては、それぞれのお立場から忌憚のない御意見をお述べいただきたいと思います。よろしくお願いいたします。
次に、議事の順序について申し上げます。
まず、参考人各位からそれぞれ十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
なお、念のため申し上げますが、御発言の際はその都度委員長の許可を得て御発言くださいますようお願いいたします。また、参考人から委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、御了承願います。
それでは、まず木村参考人にお願いいたします。
木
木村真三#2
○木村参考人 おはようございます。獨協医科大学の木村真三と申します。
きょうは、実は皆さんにお配りしたレジュメの方にも出していますが、このお話をメーンにしてやっていきたいと思います。さらに、大変申しわけございません、誤字脱字が多々ありますことを、この場をおかりしておわび申し上げたいと思います。
それでは始めたいと思います。
まず、私が今回このような場所でお話をするということになりまして感じたのは、まず、原子力規制庁という法案作成の場ということですが、私自身の考えとしては、安全、安心という言葉自身が私は大嫌いです。安全というものは、技術革新、技術の進歩によって行われることですが、安心というのは全く受け手側の心理的なものである。全く違うものを一緒に言葉として使っていること自身がまず間違いであると私は思っております。
これまで私自身が文部科学省政務三役勉強会や内閣官房の低線量被曝影響ワーキンググループ等でお話をして申し上げてきましたが、まず、規制庁というよりは、ウクライナとかロシア、アメリカ等もつくられております緊急事態省の方がより効果的で、その発動権限等についてもよく研究なされているのではないかと私は思っております。
原子力発電自体を継続させるべきか、また、将来的に廃止していくべきかについて国民的な合意がなされていないまま、原子力の安全利用を前提とした組織を新設するのは適切でないと私は思っております。原子力を利用するのであれば、安全性について我々が徹底的に監視するという基本姿勢を持った組織をつくるべきであろうと私は思っております。
原子力規制庁、原子力規制委員会が一時的な組織でないかと受けとめられると職員の士気を低減させるおそれがあり、恒久的な組織として存続させる用意が必要であると考えております。
原子力規制委員会が独立性を持った三条委員会として設置されるとしても、その判断が環境省や内閣の政治的意図に左右されない姿勢を確保しなければならない。
東海村臨界事故の際も、科学技術庁は、自身の管轄下であった核燃料取扱事業所に対する事実の隠蔽や、自身が管轄する事業所についての不都合な事実を隠蔽するために、調査を阻止しました。
現に、私が当時の放射線医学総合研究所で現地に入りたいと申し上げたときに、まず企画の方からだめだと。所長の方にお願いをしていったときにも、本庁が許可をしないということで取り下げられてしまって、一週間初動がおくれてしまったということがあります。当時の政府は、緊急時の情報を集約するためのシステム構築は完成させたが、国民への情報公開への配慮は欠けていました。
今回、この事故に対しても全くそのとおりで、このようなことがあったがために、国民の政治不信、行政不信につながったと考えております。
チェルノブイリ原発事故調査を、ことしで十三年目、十二年間続けております。その経緯から申し上げましても、日本政府はチェルノブイリの教訓を全く生かしていないというふうに感じております。
今回の福島原発事故の際、参考人が当時所属していた厚生労働省所轄の独立行政法人労働安全衛生総合研究所でも、調査の規制が入りました。これは、当時の研究所幹部、本省から出向職員として来た理事、また、企画調整部首席の保身からではないかというふうに考えております。
さらに、事業仕分けの弊害から、科研費で私がチェルノブイリ研究をもとにこういうような震災等があったときに必ず生かせるというようなテーマとして出してきたものも、労働衛生ではないという理由により、廃止を震災二日前に研究所の役員会で決定され、廃止処分を受けました。
このようなことから考えても、こういう国立研究機関やそれに準ずるような機関が一体何のために存続するのかということを、まず皆さん、考えていただきたいと思います。こんなものは実際につくったって仕方がないんです。こんな小役人が実際に自分たちの保身のためだけでやってしまうような、それが、本来持つべき、国民の意図するものと全くかけ離れているということを、皆さん、どうかこの席上で考えた上で、今後の審議に入っていただきたいと思っております。
そのような気持ちから、今回の震災があった、事故が起きたといった瞬間に、ああ、やめなければならないということで、辞表を提出して、現地に三月十五日から入りました。
本来は三月十二日にもう既に入る予定でしたが、NHKのドキュメンタリーがどうしても撮りたいということで、一般公開という形では、今までの既存の考え方である論文や学会等の発表、こんなものはどうだっていいんです。これは、今緊急時における実態というものに対しては、すぐさまにでも国民にその情報を提供し適切な判断を促すというのが我々研究者の立場です。こういうことができないということで、考えたあげく、NHKの協力を得て現地に入りました。
実際、このような状況になったのは、政治も含めて、誰のためのものなのかということを問題提起したいと思います。
事故に関する情報を、前回の轍を踏まえて、ジェー・シー・オー事故、東海村臨界事故を踏まえて一元化したにもかかわらず、正しく事故状況を認識できず、間違った政治的判断を下すことになったということも、ここは問題と思います。
原子力、放射能の専門家、例えば東海村臨界事故で陣頭指揮をとったような先生方を身近に置けば、被害の拡大が現在よりも数段軽減されるというふうに私は思っております。誰がまともな専門家なのか判断するのは極めて困難です。目立った人材には、問題を抱えている場合が非常に多くあります。事故時対応や安全対策の実績で選ぶというような方法が良案ではないかと考えております。
首相官邸に指揮系統をまとめることは不可能であり、原子力安全委員会や原子力保安院と同じ機能だけではなく、事故を想定した事故対策班をあらかじめ設置しておくべきだと考えております。
その際に重要なのは、原発や産業発展を重視せず、国民の生命を守ること、第一義にそのことを考えてそのような人材を集めてくることが重要であると考えております。
その件に関して、ノーリターンルールではそのような人材が確保できるかということについて、皆さんもう少し考えていただきたいと思います。これは、民間も含めた上で、安全対策というものを徹底していかなければならないと私は思っております。
また、行政に関しても、経済産業省が、今回、大飯原発の再稼働の推進というようなこともあり、ここに書かれています資料を皆さんお読みになっていただければいいと思います。
このようなことがあったり、文部科学省が、当時、SPEEDIが活用されていないということも含め、さらに、事故後のモニタリングポスト、私は、いわき市川前町志田名というところにおとといの夜から入り、きのうの午前中そこで仕事をして、さらに、二本松で仕事をして帰ってきました。このようなときに、全てモニタリングポストがあるんですが、そこは全て除染されているんです。ほとんど除染された上にモニタリングポストが立っているんです。数値があたかも低く見せられているんですが、現実問題、そこには二マイクロシーベルトがあるところでも〇・三マイクロぐらいの数値しか出ていない。
このようなことが新聞報道で、全国紙で発表されてしまえば、福島の現実というものが、実は大したことないんだと国民に思わせてしまいがちです。ところが、福島県の地元紙などでは、挙げられた線量について事細かく書いておりますが、そのような数値は一切入っておりません。飯舘村にしても全く同じことが言えます。このようなことを、実際、文部科学省は一体どう考えているのかということを私は問いたいと思います。
また、気象庁についても、SPEEDIが動かなかったときにはそのバックアップ体制として機能しなければならないのに、国研である気象研究所には箝口令がしかれていた。この事実は私自身が確認しております。このようなことからも、実際、機能はしていない。誰のため、自分たちの保身のためだけというようなこんなものは、潰してしまった方がいいと思います。
また、その研究者が一番の問題です。研究者も論文至上主義というような形にとらわれてしまい、予算がいろいろな関係機関から配られるということで、それに迎合するような形で事故当時のマスコミに出られた方々はそう言っておられます。実際、そういう方々は、自分の研究費なんか、僕なんかは手弁当でやっているわけです。手弁当でやっているような人間でも、できる範囲でもやれることはいっぱいあるわけです。そのようなことを、実際、頭を使ってやっていないということが一番の問題だと思います。
また、原子力工学の専門家が、放射線影響に対して、人体の研究が何たるかわかっていないのにあたかも知ったかのような話をしたり、また、放射線医学の専門家が放射線計測学や物理学的、化学的な要素を含んだ話を住民説明会等でして、住民の不信感を買ってしまう。このようなことが実際多く見受けられております。
実際、私は、事故現場で今ホームステイしながら住み、暮らしていますが、そのようなところから非常に多くの言葉を聞いております。
このようなことから、研究者自身というものに対してもきちんとした対応をせねばならない。マスコミ等で出てきた情報というのは一体何カ月後、これは本来この人たちに最初に出すべきでしょうというのをやっていない。このようなことを、実際、あたかも学者面して話をすること自身がおかしいと私は思っております。
私の活動というものは、こちらの方にお渡ししていますが、これはほんの一部の抜粋です。最近有名になったのは二本松における汚染マンションの発見ですが、これも、私は当初からこれを予測した上で、個々の個人被曝線量をはかりながらきちんと見ていくというようなことで出しております。
そのようなことで、御質問等があればこの後受けますので、よろしくお願いします。
また、大飯原発の再稼働については、きちんとこの責任の所在を考えなければならない。東電、政府、また、野田首相においては全責任は自分自身でとると言われますが、一体何をするのか、どういったことを言っているのかというのが全く見えてこない。私は、これは国民の声を代弁して言っているつもりです。
このようなことで私の意見陳述は終わりたいと思います。どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →きょうは、実は皆さんにお配りしたレジュメの方にも出していますが、このお話をメーンにしてやっていきたいと思います。さらに、大変申しわけございません、誤字脱字が多々ありますことを、この場をおかりしておわび申し上げたいと思います。
それでは始めたいと思います。
まず、私が今回このような場所でお話をするということになりまして感じたのは、まず、原子力規制庁という法案作成の場ということですが、私自身の考えとしては、安全、安心という言葉自身が私は大嫌いです。安全というものは、技術革新、技術の進歩によって行われることですが、安心というのは全く受け手側の心理的なものである。全く違うものを一緒に言葉として使っていること自身がまず間違いであると私は思っております。
これまで私自身が文部科学省政務三役勉強会や内閣官房の低線量被曝影響ワーキンググループ等でお話をして申し上げてきましたが、まず、規制庁というよりは、ウクライナとかロシア、アメリカ等もつくられております緊急事態省の方がより効果的で、その発動権限等についてもよく研究なされているのではないかと私は思っております。
原子力発電自体を継続させるべきか、また、将来的に廃止していくべきかについて国民的な合意がなされていないまま、原子力の安全利用を前提とした組織を新設するのは適切でないと私は思っております。原子力を利用するのであれば、安全性について我々が徹底的に監視するという基本姿勢を持った組織をつくるべきであろうと私は思っております。
原子力規制庁、原子力規制委員会が一時的な組織でないかと受けとめられると職員の士気を低減させるおそれがあり、恒久的な組織として存続させる用意が必要であると考えております。
原子力規制委員会が独立性を持った三条委員会として設置されるとしても、その判断が環境省や内閣の政治的意図に左右されない姿勢を確保しなければならない。
東海村臨界事故の際も、科学技術庁は、自身の管轄下であった核燃料取扱事業所に対する事実の隠蔽や、自身が管轄する事業所についての不都合な事実を隠蔽するために、調査を阻止しました。
現に、私が当時の放射線医学総合研究所で現地に入りたいと申し上げたときに、まず企画の方からだめだと。所長の方にお願いをしていったときにも、本庁が許可をしないということで取り下げられてしまって、一週間初動がおくれてしまったということがあります。当時の政府は、緊急時の情報を集約するためのシステム構築は完成させたが、国民への情報公開への配慮は欠けていました。
今回、この事故に対しても全くそのとおりで、このようなことがあったがために、国民の政治不信、行政不信につながったと考えております。
チェルノブイリ原発事故調査を、ことしで十三年目、十二年間続けております。その経緯から申し上げましても、日本政府はチェルノブイリの教訓を全く生かしていないというふうに感じております。
今回の福島原発事故の際、参考人が当時所属していた厚生労働省所轄の独立行政法人労働安全衛生総合研究所でも、調査の規制が入りました。これは、当時の研究所幹部、本省から出向職員として来た理事、また、企画調整部首席の保身からではないかというふうに考えております。
さらに、事業仕分けの弊害から、科研費で私がチェルノブイリ研究をもとにこういうような震災等があったときに必ず生かせるというようなテーマとして出してきたものも、労働衛生ではないという理由により、廃止を震災二日前に研究所の役員会で決定され、廃止処分を受けました。
このようなことから考えても、こういう国立研究機関やそれに準ずるような機関が一体何のために存続するのかということを、まず皆さん、考えていただきたいと思います。こんなものは実際につくったって仕方がないんです。こんな小役人が実際に自分たちの保身のためだけでやってしまうような、それが、本来持つべき、国民の意図するものと全くかけ離れているということを、皆さん、どうかこの席上で考えた上で、今後の審議に入っていただきたいと思っております。
そのような気持ちから、今回の震災があった、事故が起きたといった瞬間に、ああ、やめなければならないということで、辞表を提出して、現地に三月十五日から入りました。
本来は三月十二日にもう既に入る予定でしたが、NHKのドキュメンタリーがどうしても撮りたいということで、一般公開という形では、今までの既存の考え方である論文や学会等の発表、こんなものはどうだっていいんです。これは、今緊急時における実態というものに対しては、すぐさまにでも国民にその情報を提供し適切な判断を促すというのが我々研究者の立場です。こういうことができないということで、考えたあげく、NHKの協力を得て現地に入りました。
実際、このような状況になったのは、政治も含めて、誰のためのものなのかということを問題提起したいと思います。
事故に関する情報を、前回の轍を踏まえて、ジェー・シー・オー事故、東海村臨界事故を踏まえて一元化したにもかかわらず、正しく事故状況を認識できず、間違った政治的判断を下すことになったということも、ここは問題と思います。
原子力、放射能の専門家、例えば東海村臨界事故で陣頭指揮をとったような先生方を身近に置けば、被害の拡大が現在よりも数段軽減されるというふうに私は思っております。誰がまともな専門家なのか判断するのは極めて困難です。目立った人材には、問題を抱えている場合が非常に多くあります。事故時対応や安全対策の実績で選ぶというような方法が良案ではないかと考えております。
首相官邸に指揮系統をまとめることは不可能であり、原子力安全委員会や原子力保安院と同じ機能だけではなく、事故を想定した事故対策班をあらかじめ設置しておくべきだと考えております。
その際に重要なのは、原発や産業発展を重視せず、国民の生命を守ること、第一義にそのことを考えてそのような人材を集めてくることが重要であると考えております。
その件に関して、ノーリターンルールではそのような人材が確保できるかということについて、皆さんもう少し考えていただきたいと思います。これは、民間も含めた上で、安全対策というものを徹底していかなければならないと私は思っております。
また、行政に関しても、経済産業省が、今回、大飯原発の再稼働の推進というようなこともあり、ここに書かれています資料を皆さんお読みになっていただければいいと思います。
このようなことがあったり、文部科学省が、当時、SPEEDIが活用されていないということも含め、さらに、事故後のモニタリングポスト、私は、いわき市川前町志田名というところにおとといの夜から入り、きのうの午前中そこで仕事をして、さらに、二本松で仕事をして帰ってきました。このようなときに、全てモニタリングポストがあるんですが、そこは全て除染されているんです。ほとんど除染された上にモニタリングポストが立っているんです。数値があたかも低く見せられているんですが、現実問題、そこには二マイクロシーベルトがあるところでも〇・三マイクロぐらいの数値しか出ていない。
このようなことが新聞報道で、全国紙で発表されてしまえば、福島の現実というものが、実は大したことないんだと国民に思わせてしまいがちです。ところが、福島県の地元紙などでは、挙げられた線量について事細かく書いておりますが、そのような数値は一切入っておりません。飯舘村にしても全く同じことが言えます。このようなことを、実際、文部科学省は一体どう考えているのかということを私は問いたいと思います。
また、気象庁についても、SPEEDIが動かなかったときにはそのバックアップ体制として機能しなければならないのに、国研である気象研究所には箝口令がしかれていた。この事実は私自身が確認しております。このようなことからも、実際、機能はしていない。誰のため、自分たちの保身のためだけというようなこんなものは、潰してしまった方がいいと思います。
また、その研究者が一番の問題です。研究者も論文至上主義というような形にとらわれてしまい、予算がいろいろな関係機関から配られるということで、それに迎合するような形で事故当時のマスコミに出られた方々はそう言っておられます。実際、そういう方々は、自分の研究費なんか、僕なんかは手弁当でやっているわけです。手弁当でやっているような人間でも、できる範囲でもやれることはいっぱいあるわけです。そのようなことを、実際、頭を使ってやっていないということが一番の問題だと思います。
また、原子力工学の専門家が、放射線影響に対して、人体の研究が何たるかわかっていないのにあたかも知ったかのような話をしたり、また、放射線医学の専門家が放射線計測学や物理学的、化学的な要素を含んだ話を住民説明会等でして、住民の不信感を買ってしまう。このようなことが実際多く見受けられております。
実際、私は、事故現場で今ホームステイしながら住み、暮らしていますが、そのようなところから非常に多くの言葉を聞いております。
このようなことから、研究者自身というものに対してもきちんとした対応をせねばならない。マスコミ等で出てきた情報というのは一体何カ月後、これは本来この人たちに最初に出すべきでしょうというのをやっていない。このようなことを、実際、あたかも学者面して話をすること自身がおかしいと私は思っております。
私の活動というものは、こちらの方にお渡ししていますが、これはほんの一部の抜粋です。最近有名になったのは二本松における汚染マンションの発見ですが、これも、私は当初からこれを予測した上で、個々の個人被曝線量をはかりながらきちんと見ていくというようなことで出しております。
そのようなことで、御質問等があればこの後受けますので、よろしくお願いします。
また、大飯原発の再稼働については、きちんとこの責任の所在を考えなければならない。東電、政府、また、野田首相においては全責任は自分自身でとると言われますが、一体何をするのか、どういったことを言っているのかというのが全く見えてこない。私は、これは国民の声を代弁して言っているつもりです。
このようなことで私の意見陳述は終わりたいと思います。どうもありがとうございました。拍手
生
北
北澤宏一#4
○北澤参考人 北澤でございます。
本日は、私は民間事故調の委員長をやらせていただいたということでこちらにお呼びいただいているかというふうに思いますけれども、規制庁との関係も考えて、二点お話ししたいと思います。
こういう横長の資料を一枚だけ、皆さんのお手元にお配りしているかと思います。
それで、私が申し上げたい二点は、一番目は、なぜあのような大きな事故になってしまったのかということの調査結果から学ぶことであります。第二は、なぜ事故対策ができていなかったのかということに関して、規制庁とのかかわりでどういうことが考えられるかということを申し上げたいというふうに思います。
この民間事故調といいますのは、一番下に書きましたけれども、日本再建イニシアティブ財団というところが新たにできまして、そこは、原子力、電力関係の企業からは寄附金をもらわないということで設立された財団なんですけれども、そこが中立を保って、国会の事故調それから政府の事故調、東電の事故調とは独立に調査、検証するんだということで、私も協力させていただいたわけであります。
それで、この事故調は全く権限がございませんでしたので、多くの方々から、そんな何の権限もない事故調に一体何が調べられるんだというふうに言われました。私もそう思っておりました。しかし、民主主義の国において民間の事故調がこのような大きな事故が起こったときには活動するというのは、民主主義国の責任でもあり特権でもあるというふうに言うことができるかと思います。
スリーマイルアイランドの事故が起きた三十年前にアメリカでも民間の事故調もできて、二十年後にまだそれを検証する本が出版されるというような感じで、スリーマイルアイランドの事故、これは福島に比べればはるかに小さな事故でありましたけれども、非常に大きなショックを持って迎えられたわけであります。
そういうことで、三月十一日の一周年までに私どもは報告書を出すことができました。それで、約三百人の方をヒアリングさせていただいて、三十人のワーキンググループ、これは若い人たちですけれども、彼らがヒアリングをして、その結果をまとめたわけであります。
この民間事故調の報告書といいますのは二千部ほど刷らせていただきまして、報道陣の報道によってその日のうちにあっという間にあちこちから問い合わせがありまして、すぐにはけてしまったというようなことがありました。ただし、民間事故調にはお金もないということで、仕方なく、市販本としてその後十日間のうちに印刷してもらって、出すことにさせていただきました。本屋さんの名前をつけただけで、報告書を全くそのまま市販本として出させていただいて、アマゾン・ドットコムの調査では、それが二週間ぐらいのうちにベストセラーになったということであります。
私どもの印象としましては、こういう報告書などというものを一般の方々が何万部も買ってくださるということは、日本の国民がいかに関心を持っているかということであったというふうに思っております。
そういう中から、きょう、二点ちょっとお話しさせていただきたいんです。
まず第一点は、なぜあのような大きな事故になってしまったのかということに関してでありますけれども、これは一言で申し上げれば、大量の放射能の源が過密に配置されていたということであります。つまり、量が多かったということと、過密配置であったというこの二点。ですから、この二点が今後も直らない限りにおいては、また大きな事故が起きる可能性を抱えているということであります。
それで、過密に配置されていると事故対策の活動が阻害されるんですけれども、それは、瓦れきが飛ぶ距離、それから、放射能レベルがベントなんかをしたときに上がってしまう距離の中に第二の原子炉があったり第二の放射能の源が配置されていると、そこへ近づけなくなってしまう。
それで、原子炉というのは、実は、人間がそこに手を加え続けないと暴れ出してしまう、そういう存在であったということであります。これは多くの方々が御存じないし、私自身も知りませんでした。つまり、ほっぽっておいたら原子炉というのは黙っていないということであります。
それはどういうことかといいますと、燃料棒から大量の放射能が出てくる。その放射能というのは大きなエネルギーを持っている粒子のことでありますので、大きなそのエネルギーというのが自分自身を加熱してしまって、熱くなって溶けてしまう。そうすると、そこから放射能がさらに出てきてしまう。そういう問題であります。
そのために冷やし続けなければならないわけですけれども、それが、人間が近づけなくなってしまうとできなくなってしまう。電源があれば自動的に遠隔操作できるわけでありますけれども、それができなくなった、電源が全て喪失してしまったというのが今回の福島の事故でありました。
それで、そのために事故が次々と拡大していくわけでありますけれども、余りにも過密に配置されていたということが、第一に我々が学ばなければならないことであるというふうに思います。
実は、福島の事故というのは、安全か安全じゃないかという、ゼロか一では決してありません。ゼロに限りなく近い事故もあるし、一に限りなく近い事故といいますか、うんと大きな事故もあり得るわけでありまして、ゼロか一では決してない。
ですから、今後も、安全か安全じゃないかという問いに関しては、答えることはできない問題であります。この程度に危険である、この程度に安全であるというそういう答え方になりますので、それともう一つ、なぜつくらなければならないのか、なぜ稼働させなければならないかということとのバランスで物事が決まっていく、そういう問題であるというわけであります。
したがいまして、どれだけ大きな事故が起きるのかというこの源を少しでも少なくするというこの問題というのは、これから非常に大きな問題だと思います。
なぜそんなに大量の放射能源が置かれているのかということなんですけれども、それは、使用済み核燃料をどこにも持っていけないという、この問題があるということであります。この問題がある限りは、原子炉は非常に危険な量の放射能を自分の建物の中に抱えておかなければならない、そういうことであります。これはよくトイレのないマンションであるというふうに原子炉が言われるのは、そういうことを表現しているというのがまず第一点であります。
第二点。その事故が〇・一でとまるのか、〇・三までいっちゃうのか、〇・五までいくのかというのは、事故が起こり始めてからの対策がどれだけ準備されていたかということによって決まります。残念ながら今回は、電源が失われて、そこから後の対策は実はほとんど立てられていなかったということが、私たちの調査でもわかっております。
どういうことかと考えてみますと、それは、電源が失われると、いろいろなことをマニュアルでやらなければ、手動でやらなければならないことになるわけであります。そうしますと、ふだん、自動で、遠隔操作でスイッチを押せばいろいろなことができるようになっているわけですけれども、それを全部手動でやらなければならない。では、一体、バルブとかそういったものがどこにあるのかというようなことがふだん訓練ができていないと、それは緊急時にはできないということになります。
ですから、一番最初の日、それから翌日、翌々日、そのころの福島第一のテレビに出てくる様子を見ると、非常にもたもたしているふうに見えました。
なぜかといいますと、やはりどうしていいかわからない。ではこうしようと言って、これは非常に泥縄的なことになるんですけれども、これをやってみる、やってみようと言って行くと、どこにあるかわからないというようなそういったことが続いていくわけであります。それで、探してそこにたどり着いてみると、もう放射能レベルが上がってしまっていて近づけない。
そして次に、では電源車を、電池をたくさん積んだものを持ってこようというようなことを考えても、それをどうやってつないでいいかわからない。あるいは、消防ポンプがやってきても、どうやって水を入れたらいいかそこが考えていなかったというようなことで、いろいろなことを対策を立てるんですけれども、私たちの報告書ではこれを、泥縄的な対策がいろいろ行われたというような書き方になっておりますが、それは今申し上げたようなことを意味します。そういうことのために、もはや手おくれという状況になってしまうわけであります。
それで、最初申し上げましたように、原子炉はとにかく燃料棒を冷やしていないと放射能が漏れるようにだんだんなっていってしまう、そういう問題でありました。ですから、なるべく早くいつ冷やせるかということが最も大事なことであったわけでありますけれども、それが今回できなかった。
これが、そこに書きましたように、推進、規制両方の組織的な怠慢によってそれが起こっていた、しかもそこにはおごりがあったというふうに、ちょっと厳しい口調で我々の報告書に書かれております。
このおごりとは何を意味するかということなんですけれども、実は、スリーマイルアイランドの事故が三十年前、チェルノブイリの事故が二十五年前にあったわけでありますけれども、海外はそれに非常に恐れをなして、いろいろな事故の対策というのを立てたわけであります。日本は、事故は起きないということのもとにその対策を立てなかった。日本は、原子力の技術は最もすぐれていて安全だというふうに、海外が対策を立てるときに、日本国内でそういうふうに言っていたということであります。
これは一番下から二行目に書いてありますけれども、日本では安全神話というものができて、その安全神話によって、規制側及び推進側も自分たち自身の手を縛ることになってしまった。なぜかと申しますと、一〇〇%安全であると言い張ったわけであります、これが安全神話なんですけれども、そうしますと、一〇〇%安全なものにそれ以上の安全はない、そういう論理ができていってしまうわけであります。
ほかの国は、安全性がまだ不十分だからということでいろいろな対策を立てて、遠くの方からぐるぐるとベントのバルブを回したり、そういったことができるようにいろいろな改造を加えていくわけでありますけれども、日本はやらなかった。なぜやらなかったか。一〇〇%安全だからというふうに言い張るからであります。そうすると、何の対策も立てられない。対策を立てようとすると、では一〇〇%安全じゃなかったんですねと言われてしまう、この問題であります。
そのために、一〇〇%安全だと言えば言うほど安全対策はできなくなっていってしまうということがこの三十年間起こっていた、その実態があったということを民間事故調は強調いたしました。そして、日本の技術はすぐれているというふうに言うことによって、一〇〇%安全ということをサポートするような言い方になっていたわけであります。
このことは、日本だけがなぜそんなガラパゴス化したようなそういう状況を迎えたのかということなんですけれども、これは、個々人が空気を読むという、そういう日本のこれはいい風土でもありますけれども、安全に対してもうからない規制をやらなければならないというこの原子力の特殊性、そういう分野においては、お互いに空気を読んで、規制側は推進側が困らないように、こういう形で今までの規制は行われていた。私たちはそれを、組織的な問題があったというふうに考えております。
したがいまして、組織及び法律によってそういう空気を読む、そういう雰囲気のもとで規制が行われ安全対策が考えられるようなそういう原子力行政では、今後も同じことが発生するということを申し上げたいと思います。
そうしますと、なぜ、空気を読む、そういう土壌ができてしまうのかというのが最後の問題になるわけでありますけれども、これは、先ほど木村先生のお話にも出てきましたけれども、ノーリターンルールとか、その辺のことが非常に大きな問題になる。
特に、日本では永久雇用システムのようなものが定着しておりますから、自分がいつ、どこに帰っていくのかという帰巣本能みたいなものが、これは公務員を初めいろいろな人たちにあります。私たちにもあります。
その帰巣本能、最後に戻っていく先というんですか、そういうものがあるために、そこに不都合になるようなことを、今自分が規制側にいてもやることができないというこの問題であります。
そのことを、今後、規制の組織をつくり、法律をおつくりになられるときには、ノーリターンルールというのはそういうことから出てきてはいますけれども、では、どこの巣に帰っていったらいいのかということまで考えないと、このノーリターンルールというのは実効が出てこないということになるかというふうに思います。
以上のことを申し上げまして、私のプレゼンテーションを終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →本日は、私は民間事故調の委員長をやらせていただいたということでこちらにお呼びいただいているかというふうに思いますけれども、規制庁との関係も考えて、二点お話ししたいと思います。
こういう横長の資料を一枚だけ、皆さんのお手元にお配りしているかと思います。
それで、私が申し上げたい二点は、一番目は、なぜあのような大きな事故になってしまったのかということの調査結果から学ぶことであります。第二は、なぜ事故対策ができていなかったのかということに関して、規制庁とのかかわりでどういうことが考えられるかということを申し上げたいというふうに思います。
この民間事故調といいますのは、一番下に書きましたけれども、日本再建イニシアティブ財団というところが新たにできまして、そこは、原子力、電力関係の企業からは寄附金をもらわないということで設立された財団なんですけれども、そこが中立を保って、国会の事故調それから政府の事故調、東電の事故調とは独立に調査、検証するんだということで、私も協力させていただいたわけであります。
それで、この事故調は全く権限がございませんでしたので、多くの方々から、そんな何の権限もない事故調に一体何が調べられるんだというふうに言われました。私もそう思っておりました。しかし、民主主義の国において民間の事故調がこのような大きな事故が起こったときには活動するというのは、民主主義国の責任でもあり特権でもあるというふうに言うことができるかと思います。
スリーマイルアイランドの事故が起きた三十年前にアメリカでも民間の事故調もできて、二十年後にまだそれを検証する本が出版されるというような感じで、スリーマイルアイランドの事故、これは福島に比べればはるかに小さな事故でありましたけれども、非常に大きなショックを持って迎えられたわけであります。
そういうことで、三月十一日の一周年までに私どもは報告書を出すことができました。それで、約三百人の方をヒアリングさせていただいて、三十人のワーキンググループ、これは若い人たちですけれども、彼らがヒアリングをして、その結果をまとめたわけであります。
この民間事故調の報告書といいますのは二千部ほど刷らせていただきまして、報道陣の報道によってその日のうちにあっという間にあちこちから問い合わせがありまして、すぐにはけてしまったというようなことがありました。ただし、民間事故調にはお金もないということで、仕方なく、市販本としてその後十日間のうちに印刷してもらって、出すことにさせていただきました。本屋さんの名前をつけただけで、報告書を全くそのまま市販本として出させていただいて、アマゾン・ドットコムの調査では、それが二週間ぐらいのうちにベストセラーになったということであります。
私どもの印象としましては、こういう報告書などというものを一般の方々が何万部も買ってくださるということは、日本の国民がいかに関心を持っているかということであったというふうに思っております。
そういう中から、きょう、二点ちょっとお話しさせていただきたいんです。
まず第一点は、なぜあのような大きな事故になってしまったのかということに関してでありますけれども、これは一言で申し上げれば、大量の放射能の源が過密に配置されていたということであります。つまり、量が多かったということと、過密配置であったというこの二点。ですから、この二点が今後も直らない限りにおいては、また大きな事故が起きる可能性を抱えているということであります。
それで、過密に配置されていると事故対策の活動が阻害されるんですけれども、それは、瓦れきが飛ぶ距離、それから、放射能レベルがベントなんかをしたときに上がってしまう距離の中に第二の原子炉があったり第二の放射能の源が配置されていると、そこへ近づけなくなってしまう。
それで、原子炉というのは、実は、人間がそこに手を加え続けないと暴れ出してしまう、そういう存在であったということであります。これは多くの方々が御存じないし、私自身も知りませんでした。つまり、ほっぽっておいたら原子炉というのは黙っていないということであります。
それはどういうことかといいますと、燃料棒から大量の放射能が出てくる。その放射能というのは大きなエネルギーを持っている粒子のことでありますので、大きなそのエネルギーというのが自分自身を加熱してしまって、熱くなって溶けてしまう。そうすると、そこから放射能がさらに出てきてしまう。そういう問題であります。
そのために冷やし続けなければならないわけですけれども、それが、人間が近づけなくなってしまうとできなくなってしまう。電源があれば自動的に遠隔操作できるわけでありますけれども、それができなくなった、電源が全て喪失してしまったというのが今回の福島の事故でありました。
それで、そのために事故が次々と拡大していくわけでありますけれども、余りにも過密に配置されていたということが、第一に我々が学ばなければならないことであるというふうに思います。
実は、福島の事故というのは、安全か安全じゃないかという、ゼロか一では決してありません。ゼロに限りなく近い事故もあるし、一に限りなく近い事故といいますか、うんと大きな事故もあり得るわけでありまして、ゼロか一では決してない。
ですから、今後も、安全か安全じゃないかという問いに関しては、答えることはできない問題であります。この程度に危険である、この程度に安全であるというそういう答え方になりますので、それともう一つ、なぜつくらなければならないのか、なぜ稼働させなければならないかということとのバランスで物事が決まっていく、そういう問題であるというわけであります。
したがいまして、どれだけ大きな事故が起きるのかというこの源を少しでも少なくするというこの問題というのは、これから非常に大きな問題だと思います。
なぜそんなに大量の放射能源が置かれているのかということなんですけれども、それは、使用済み核燃料をどこにも持っていけないという、この問題があるということであります。この問題がある限りは、原子炉は非常に危険な量の放射能を自分の建物の中に抱えておかなければならない、そういうことであります。これはよくトイレのないマンションであるというふうに原子炉が言われるのは、そういうことを表現しているというのがまず第一点であります。
第二点。その事故が〇・一でとまるのか、〇・三までいっちゃうのか、〇・五までいくのかというのは、事故が起こり始めてからの対策がどれだけ準備されていたかということによって決まります。残念ながら今回は、電源が失われて、そこから後の対策は実はほとんど立てられていなかったということが、私たちの調査でもわかっております。
どういうことかと考えてみますと、それは、電源が失われると、いろいろなことをマニュアルでやらなければ、手動でやらなければならないことになるわけであります。そうしますと、ふだん、自動で、遠隔操作でスイッチを押せばいろいろなことができるようになっているわけですけれども、それを全部手動でやらなければならない。では、一体、バルブとかそういったものがどこにあるのかというようなことがふだん訓練ができていないと、それは緊急時にはできないということになります。
ですから、一番最初の日、それから翌日、翌々日、そのころの福島第一のテレビに出てくる様子を見ると、非常にもたもたしているふうに見えました。
なぜかといいますと、やはりどうしていいかわからない。ではこうしようと言って、これは非常に泥縄的なことになるんですけれども、これをやってみる、やってみようと言って行くと、どこにあるかわからないというようなそういったことが続いていくわけであります。それで、探してそこにたどり着いてみると、もう放射能レベルが上がってしまっていて近づけない。
そして次に、では電源車を、電池をたくさん積んだものを持ってこようというようなことを考えても、それをどうやってつないでいいかわからない。あるいは、消防ポンプがやってきても、どうやって水を入れたらいいかそこが考えていなかったというようなことで、いろいろなことを対策を立てるんですけれども、私たちの報告書ではこれを、泥縄的な対策がいろいろ行われたというような書き方になっておりますが、それは今申し上げたようなことを意味します。そういうことのために、もはや手おくれという状況になってしまうわけであります。
それで、最初申し上げましたように、原子炉はとにかく燃料棒を冷やしていないと放射能が漏れるようにだんだんなっていってしまう、そういう問題でありました。ですから、なるべく早くいつ冷やせるかということが最も大事なことであったわけでありますけれども、それが今回できなかった。
これが、そこに書きましたように、推進、規制両方の組織的な怠慢によってそれが起こっていた、しかもそこにはおごりがあったというふうに、ちょっと厳しい口調で我々の報告書に書かれております。
このおごりとは何を意味するかということなんですけれども、実は、スリーマイルアイランドの事故が三十年前、チェルノブイリの事故が二十五年前にあったわけでありますけれども、海外はそれに非常に恐れをなして、いろいろな事故の対策というのを立てたわけであります。日本は、事故は起きないということのもとにその対策を立てなかった。日本は、原子力の技術は最もすぐれていて安全だというふうに、海外が対策を立てるときに、日本国内でそういうふうに言っていたということであります。
これは一番下から二行目に書いてありますけれども、日本では安全神話というものができて、その安全神話によって、規制側及び推進側も自分たち自身の手を縛ることになってしまった。なぜかと申しますと、一〇〇%安全であると言い張ったわけであります、これが安全神話なんですけれども、そうしますと、一〇〇%安全なものにそれ以上の安全はない、そういう論理ができていってしまうわけであります。
ほかの国は、安全性がまだ不十分だからということでいろいろな対策を立てて、遠くの方からぐるぐるとベントのバルブを回したり、そういったことができるようにいろいろな改造を加えていくわけでありますけれども、日本はやらなかった。なぜやらなかったか。一〇〇%安全だからというふうに言い張るからであります。そうすると、何の対策も立てられない。対策を立てようとすると、では一〇〇%安全じゃなかったんですねと言われてしまう、この問題であります。
そのために、一〇〇%安全だと言えば言うほど安全対策はできなくなっていってしまうということがこの三十年間起こっていた、その実態があったということを民間事故調は強調いたしました。そして、日本の技術はすぐれているというふうに言うことによって、一〇〇%安全ということをサポートするような言い方になっていたわけであります。
このことは、日本だけがなぜそんなガラパゴス化したようなそういう状況を迎えたのかということなんですけれども、これは、個々人が空気を読むという、そういう日本のこれはいい風土でもありますけれども、安全に対してもうからない規制をやらなければならないというこの原子力の特殊性、そういう分野においては、お互いに空気を読んで、規制側は推進側が困らないように、こういう形で今までの規制は行われていた。私たちはそれを、組織的な問題があったというふうに考えております。
したがいまして、組織及び法律によってそういう空気を読む、そういう雰囲気のもとで規制が行われ安全対策が考えられるようなそういう原子力行政では、今後も同じことが発生するということを申し上げたいと思います。
そうしますと、なぜ、空気を読む、そういう土壌ができてしまうのかというのが最後の問題になるわけでありますけれども、これは、先ほど木村先生のお話にも出てきましたけれども、ノーリターンルールとか、その辺のことが非常に大きな問題になる。
特に、日本では永久雇用システムのようなものが定着しておりますから、自分がいつ、どこに帰っていくのかという帰巣本能みたいなものが、これは公務員を初めいろいろな人たちにあります。私たちにもあります。
その帰巣本能、最後に戻っていく先というんですか、そういうものがあるために、そこに不都合になるようなことを、今自分が規制側にいてもやることができないというこの問題であります。
そのことを、今後、規制の組織をつくり、法律をおつくりになられるときには、ノーリターンルールというのはそういうことから出てきてはいますけれども、では、どこの巣に帰っていったらいいのかということまで考えないと、このノーリターンルールというのは実効が出てこないということになるかというふうに思います。
以上のことを申し上げまして、私のプレゼンテーションを終わらせていただきます。
どうもありがとうございました。拍手
生
宮
宮野廣#6
○宮野参考人 宮野でございます。
私は、長い間、原子力標準委員会の委員長をやりまして、公正、公平、公開という原則のもとに、規格基準づくりに携わってまいりました。そういう立場から、現在思うことを話をさせていただきます。
まず、きょうの課題であります安全規制の組織をどうするかということについて、一言まず申し上げさせていただきます。
安全規制というのは、原子力安全の確保をするというのが規制でございます。そこには、もちろん、政治、政策といったものが入る余地はないと私は思っておりますし、原子力安全の確保は合理的な科学的判断によるものでなければならないというのは、これまでお二人の話の中でも当然のことであると、私もそういうふうに思います。
安全を超えて安心を求めるという声はもちろんあるわけでございますが、それは、安全を確保した上で規制機関や事業者に信頼が生まれれば、当然、そこに安心が生まれてくるものであるというふうに思っているところでございまして、安全と安心は明確に分けて議論しなければならないというふうに考えているところでございます。
さて、原子力の平和利用としての原子力発電を推進するかしないかという問題は、エネルギー政策の一環として国民が決定することでありまして、それはさまざまな選択肢があるというふうに私も理解しております。
規制機関は、原子力発電のエネルギー政策上の位置づけがどういうふうになろうとも、その原子力安全を確保しなければならないというところは当然のことであります。
もちろん、安全規制というのは、人との関係を考慮した上で、その原子力安全の確保という命題に対して純然たる技術的領域の問題であり、専門家が何者からの影響も受けずに、責任を持って取り組むことが必要であるというふうに考えています。
こういうことは、IAEA、国際原子力機関の安全原則にも、規制機関の役割として独立性の重要性が指摘されておりまして、先進各国では、当然、独立性が保障されているのが現状であります。
この規制機関の独立性というのは、通常の安全確保、常時の安全確保と異常時の安全確保と双方において確保されなければならないというところが当然であります。
常時の原子力安全の確保ということは、規制機関が組織として独立をして、責任を持って安全確保に努めるということは最も重要なことであるというふうに思っております。
その上で、原子力の特殊性から、地域住民との関係が重要な要素となると考えております。
それは、原子炉設置者が、地域として必要な、もしくは対応できる意見をプラントの運用に取り入れて、地域住民とともに発電所の安全と地域の安全をつくり上げるということは、当然のことながら、やる姿勢が重要でありますが、それを規制機関が十分にバックアップしていくということも規制機関の重要な役割の一つであるというふうに考えているところであります。
原子炉は五層の安全対策がとられています。これは深層防護と言われておりますが、第一層が異常の発生の防止、第二層が拡大の防止、第三層が影響の緩和であり、そして第四層が、事故が発生したときの対応、異常が発生したときの対応、さらに、バックアップとして第五層が防災というふうに言われております。それぞれの層においては、異なる考え方で見て安全を確保していくという対策がとられるわけでございます。
安全を担うこの組織が、現場に人を配して、必要に応じて情報収集して、直接こういった各層に対応した対応をすぐに判断できるような手を打つことが重要であるというふうに考えておるわけでございまして、昨年の事故でも、当然皆さん御承知だったと思いますが、事故は待ってくれません。どんどん進みます。そういう意味で、すぐに技術的な判断ができるという体制が必要だということは当然であります。
専門家の役割が重要であり、異常との闘いの中でその専門家が結論を出し、トップがリーダーシップを持って技術的な判断を行うことが重要であり、トップの役割は極めて重要なものであると言えるわけであります。昨年の事故でも明らかになりましたように、政治的な判断というのは、それによって対策がおくれるということはあってはならないということを私たちは感じたのではないかというふうに思います。
事故を起こした原子炉の対応として、あくまでも、技術的に判断をしてすぐに対応できるようなそういう組織であることが重要であり、そこには政治の入る余地はないというふうに私は思っております。
しかし、第五層の防災という視点で見た場合には、地方、住民、市町村、県そして国、そういった住民の避難、退避ということは当然必要でありますし、事故の対応においても事業者が十分にできるわけではない。必要な資源を送らなければいけないということに対する支援は、国として最も重要な役割であり、それをできるのは首相である、総理大臣であるというふうに思っております。
そういう意味では、今回の福島の事故では、多くの組織が関与しておりました。その中で、役割分担をきちんとやることが重要だということを私たちは学んだのではないかというふうに思っております。そこで組織が技術的な問題と住民退避の問題をきちんと分けて迅速に対応することが必要であるということが最も重要な事故時の対応であるというふうに思っています。
このように、異常時にはオフサイトの対応は総理大臣が、そして、オンサイトの対応は規制組織の長が行うということで、国の機関の役割を明確にして、国全体として迅速かつ的確な判断、対応ができるようになるのではないかということでございます。
原子力安全の確保ということについて、航空機の歴史を見てみると、同様に多くの事故があったというふうに私たちも思っております。しかし、それを克服してきたのは、航空機の専門家が情熱を持って対策をとってきたからだ、規制をしてきたからだというふうに思っています。同様に、原子力の安全を担うのは、原子力の安全に情熱を持った専門家だというふうに思います。この専門家以上に原子力の安全を担う人たちはいないと私は確信をしております。
そういう人たちが原子力の安全を担うということが必要でありますし、そしてまた、昨年の事故を反省して、その反省の中から、何をすべきかということをきちんと決めていくことが大切なことではないかと私は思います。
これまで、原子力発電の、動かすという責任から安全とは何かという話を申し上げました。
一方で、安全確保のためには、とめるという判断をする勇気と責任を持つことが必要であります。そこにおいても、そこに政治的な判断もしくは経営的な判断があってはいけません。そういう意味で、科学的な、合理的な判断を行えるような組織が必要であるというふうに言えるわけであります。
原子力推進の政党や、もしくは反対の政党が政権をとることがあると思います。そういった場合でも、原子力の安全を担う規制機関の役割というのは変わりません。淡々と原子力安全を担っていく、そういう姿勢が必要であるということであります。
そのためには、組織全体がそういう動きをするためには、組織全体の長は、そういう意識、そういう見識を持った人がなるべきである、私はそういうふうに思うところであります。
動かす責任と、それから、とめる勇気を持った決断ということを申し上げました。このように、原子力の安全というのは、合理的、科学的な判断のもとに、動かすことととめることをきちんと判断できる組織であり、組織の長が必要であるというふうに私は確信するところであります。
これは私の主題でございますが、昨日、原子力学会の声明を出しましたということで、私たちがこれまでを反省して、こういう組織であるべきだというのをニュースに投げております。原子力学会のホームページでもごらんいただけると思いますが、原子力学会が安全規制に係る国会審議に向けての提言というのをお出ししました。ぜひごらんいただきたいというふうに思います。
きょうは詳しくは御紹介できませんが、四十年の寿命問題は、これも、技術的な判断、科学的な判断を行うべきだというふうに申し上げております。
そして、私がもう一つ申し上げたいところは、人材の育成だというふうに思います。規制組織は、人材を固定してそこに置くんだということに対応して、いかに人材を育成するかということをよく考えなければいけないというふうに思います。人材の硬直化を防ぐためには何をすべきかということであります。
組織の一元化ということでありまして、原子力の組織は、原子炉の安全だけではなく、セキュリティーの問題、それから核不拡散、スリーSと言われておりますが、そういったものを一元化することと、それの研究開発もあわせてこういう組織でやるということが私は必要ではないかと。それを行うことで、人材が研究開発にしばらく籍を置くことで広く世界を見ることができ、それが安全規制を行う糧となるというふうに思うところでありまして、他の部署との交流をなくすことでは、人材はそれだけでは育ちません。それをなくしたときには、どういうふうにして人材を育てるかということが最も重要な課題になるかというふうに思っております。
ぜひそういう組織にしていただきたいと思うところであります。
さて、最後に、IAEAの安全原則では、公衆それから利害関係者の意見を求めることというのが規制機関に求められているところでありますし、それから、数年前にIAEAが保安院を監査したときに言われたのは、役所の職員と原子炉設置者との間の良好な相互関係、信頼構築を推進すべきだというふうに指摘をされています。
私が日ごろから思っているところは、現場のことは現場の人たちはよく知っております。その責任者は責任を持って安全を確保しようと努力しております。しかし、今指摘ありましたように、規制機関と現場が対峙しているのが今の現状ではないかと私は危惧しております。憂えております。
そういう意味で、原子力事業者は、胸襟を開いて、現場の情報を規制の人たちに公開、それから一般の人たちにも広く公開をすることが必要ですし、その情報をもって規制機関は運転をしている現場に対してよくサービスを行う、適切な対応を行う、支援を行うということが必要だというふうに思っておりまして、お互いに良好な関係を築くことが最も重要な安全確保の道であるというふうに思います。
ただし、監視という意味では極めて厳しい目が必要だということで、世界は、そういう厳しい目で規制を行い、良好な関係を築いているというのが現実であります。
そういうことで、ぜひ信頼関係を築くような組織にしていただきたいというのが私の最後の願いでございます。どうぞよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →私は、長い間、原子力標準委員会の委員長をやりまして、公正、公平、公開という原則のもとに、規格基準づくりに携わってまいりました。そういう立場から、現在思うことを話をさせていただきます。
まず、きょうの課題であります安全規制の組織をどうするかということについて、一言まず申し上げさせていただきます。
安全規制というのは、原子力安全の確保をするというのが規制でございます。そこには、もちろん、政治、政策といったものが入る余地はないと私は思っておりますし、原子力安全の確保は合理的な科学的判断によるものでなければならないというのは、これまでお二人の話の中でも当然のことであると、私もそういうふうに思います。
安全を超えて安心を求めるという声はもちろんあるわけでございますが、それは、安全を確保した上で規制機関や事業者に信頼が生まれれば、当然、そこに安心が生まれてくるものであるというふうに思っているところでございまして、安全と安心は明確に分けて議論しなければならないというふうに考えているところでございます。
さて、原子力の平和利用としての原子力発電を推進するかしないかという問題は、エネルギー政策の一環として国民が決定することでありまして、それはさまざまな選択肢があるというふうに私も理解しております。
規制機関は、原子力発電のエネルギー政策上の位置づけがどういうふうになろうとも、その原子力安全を確保しなければならないというところは当然のことであります。
もちろん、安全規制というのは、人との関係を考慮した上で、その原子力安全の確保という命題に対して純然たる技術的領域の問題であり、専門家が何者からの影響も受けずに、責任を持って取り組むことが必要であるというふうに考えています。
こういうことは、IAEA、国際原子力機関の安全原則にも、規制機関の役割として独立性の重要性が指摘されておりまして、先進各国では、当然、独立性が保障されているのが現状であります。
この規制機関の独立性というのは、通常の安全確保、常時の安全確保と異常時の安全確保と双方において確保されなければならないというところが当然であります。
常時の原子力安全の確保ということは、規制機関が組織として独立をして、責任を持って安全確保に努めるということは最も重要なことであるというふうに思っております。
その上で、原子力の特殊性から、地域住民との関係が重要な要素となると考えております。
それは、原子炉設置者が、地域として必要な、もしくは対応できる意見をプラントの運用に取り入れて、地域住民とともに発電所の安全と地域の安全をつくり上げるということは、当然のことながら、やる姿勢が重要でありますが、それを規制機関が十分にバックアップしていくということも規制機関の重要な役割の一つであるというふうに考えているところであります。
原子炉は五層の安全対策がとられています。これは深層防護と言われておりますが、第一層が異常の発生の防止、第二層が拡大の防止、第三層が影響の緩和であり、そして第四層が、事故が発生したときの対応、異常が発生したときの対応、さらに、バックアップとして第五層が防災というふうに言われております。それぞれの層においては、異なる考え方で見て安全を確保していくという対策がとられるわけでございます。
安全を担うこの組織が、現場に人を配して、必要に応じて情報収集して、直接こういった各層に対応した対応をすぐに判断できるような手を打つことが重要であるというふうに考えておるわけでございまして、昨年の事故でも、当然皆さん御承知だったと思いますが、事故は待ってくれません。どんどん進みます。そういう意味で、すぐに技術的な判断ができるという体制が必要だということは当然であります。
専門家の役割が重要であり、異常との闘いの中でその専門家が結論を出し、トップがリーダーシップを持って技術的な判断を行うことが重要であり、トップの役割は極めて重要なものであると言えるわけであります。昨年の事故でも明らかになりましたように、政治的な判断というのは、それによって対策がおくれるということはあってはならないということを私たちは感じたのではないかというふうに思います。
事故を起こした原子炉の対応として、あくまでも、技術的に判断をしてすぐに対応できるようなそういう組織であることが重要であり、そこには政治の入る余地はないというふうに私は思っております。
しかし、第五層の防災という視点で見た場合には、地方、住民、市町村、県そして国、そういった住民の避難、退避ということは当然必要でありますし、事故の対応においても事業者が十分にできるわけではない。必要な資源を送らなければいけないということに対する支援は、国として最も重要な役割であり、それをできるのは首相である、総理大臣であるというふうに思っております。
そういう意味では、今回の福島の事故では、多くの組織が関与しておりました。その中で、役割分担をきちんとやることが重要だということを私たちは学んだのではないかというふうに思っております。そこで組織が技術的な問題と住民退避の問題をきちんと分けて迅速に対応することが必要であるということが最も重要な事故時の対応であるというふうに思っています。
このように、異常時にはオフサイトの対応は総理大臣が、そして、オンサイトの対応は規制組織の長が行うということで、国の機関の役割を明確にして、国全体として迅速かつ的確な判断、対応ができるようになるのではないかということでございます。
原子力安全の確保ということについて、航空機の歴史を見てみると、同様に多くの事故があったというふうに私たちも思っております。しかし、それを克服してきたのは、航空機の専門家が情熱を持って対策をとってきたからだ、規制をしてきたからだというふうに思っています。同様に、原子力の安全を担うのは、原子力の安全に情熱を持った専門家だというふうに思います。この専門家以上に原子力の安全を担う人たちはいないと私は確信をしております。
そういう人たちが原子力の安全を担うということが必要でありますし、そしてまた、昨年の事故を反省して、その反省の中から、何をすべきかということをきちんと決めていくことが大切なことではないかと私は思います。
これまで、原子力発電の、動かすという責任から安全とは何かという話を申し上げました。
一方で、安全確保のためには、とめるという判断をする勇気と責任を持つことが必要であります。そこにおいても、そこに政治的な判断もしくは経営的な判断があってはいけません。そういう意味で、科学的な、合理的な判断を行えるような組織が必要であるというふうに言えるわけであります。
原子力推進の政党や、もしくは反対の政党が政権をとることがあると思います。そういった場合でも、原子力の安全を担う規制機関の役割というのは変わりません。淡々と原子力安全を担っていく、そういう姿勢が必要であるということであります。
そのためには、組織全体がそういう動きをするためには、組織全体の長は、そういう意識、そういう見識を持った人がなるべきである、私はそういうふうに思うところであります。
動かす責任と、それから、とめる勇気を持った決断ということを申し上げました。このように、原子力の安全というのは、合理的、科学的な判断のもとに、動かすことととめることをきちんと判断できる組織であり、組織の長が必要であるというふうに私は確信するところであります。
これは私の主題でございますが、昨日、原子力学会の声明を出しましたということで、私たちがこれまでを反省して、こういう組織であるべきだというのをニュースに投げております。原子力学会のホームページでもごらんいただけると思いますが、原子力学会が安全規制に係る国会審議に向けての提言というのをお出ししました。ぜひごらんいただきたいというふうに思います。
きょうは詳しくは御紹介できませんが、四十年の寿命問題は、これも、技術的な判断、科学的な判断を行うべきだというふうに申し上げております。
そして、私がもう一つ申し上げたいところは、人材の育成だというふうに思います。規制組織は、人材を固定してそこに置くんだということに対応して、いかに人材を育成するかということをよく考えなければいけないというふうに思います。人材の硬直化を防ぐためには何をすべきかということであります。
組織の一元化ということでありまして、原子力の組織は、原子炉の安全だけではなく、セキュリティーの問題、それから核不拡散、スリーSと言われておりますが、そういったものを一元化することと、それの研究開発もあわせてこういう組織でやるということが私は必要ではないかと。それを行うことで、人材が研究開発にしばらく籍を置くことで広く世界を見ることができ、それが安全規制を行う糧となるというふうに思うところでありまして、他の部署との交流をなくすことでは、人材はそれだけでは育ちません。それをなくしたときには、どういうふうにして人材を育てるかということが最も重要な課題になるかというふうに思っております。
ぜひそういう組織にしていただきたいと思うところであります。
さて、最後に、IAEAの安全原則では、公衆それから利害関係者の意見を求めることというのが規制機関に求められているところでありますし、それから、数年前にIAEAが保安院を監査したときに言われたのは、役所の職員と原子炉設置者との間の良好な相互関係、信頼構築を推進すべきだというふうに指摘をされています。
私が日ごろから思っているところは、現場のことは現場の人たちはよく知っております。その責任者は責任を持って安全を確保しようと努力しております。しかし、今指摘ありましたように、規制機関と現場が対峙しているのが今の現状ではないかと私は危惧しております。憂えております。
そういう意味で、原子力事業者は、胸襟を開いて、現場の情報を規制の人たちに公開、それから一般の人たちにも広く公開をすることが必要ですし、その情報をもって規制機関は運転をしている現場に対してよくサービスを行う、適切な対応を行う、支援を行うということが必要だというふうに思っておりまして、お互いに良好な関係を築くことが最も重要な安全確保の道であるというふうに思います。
ただし、監視という意味では極めて厳しい目が必要だということで、世界は、そういう厳しい目で規制を行い、良好な関係を築いているというのが現実であります。
そういうことで、ぜひ信頼関係を築くような組織にしていただきたいというのが私の最後の願いでございます。どうぞよろしくお願いいたします。
どうもありがとうございました。拍手
生
飯
飯田哲也#8
○飯田参考人 認定NPO法人環境エネルギー政策研究所の飯田哲也と申します。よろしくお願いします。
お手元に二枚物のレジュメを用意しましたので、大体それに沿ってお話をしたいと思います。
その前に、私は、もともと神戸製鋼で、放射性廃棄物、特に使用済み核燃料の輸送、貯蔵処分の設計、研究、開発、製造にかかわって、安全解析、安全許認可、その後、電力中央研究所に行って原子力安全委員会の事務局の仕事と電気事業連合会の裏仕事をして、いわゆる原子力村という名づけ親として知られています。
しかも、全く偶然にも、私が原子力村時代に最後にやった仕事が、福島第一原発に今もある乾式貯蔵施設、キャスク貯蔵、そこにもかかわって、例えば、日本の安全規制の制度設計というか基準づくりの実務がどうあったのか、もう二十年も前ですから今は多少は改善しているかもしれませんが、そして、許認可の現場は一体どうあるのか、あるいは物づくりの現場がどうあるのかという、私は徹底的にリアリティーにこだわってきておりまして、そういった観点からすると、これまでの議事録とかを拝見しても、なかなか宙に浮いた感覚がありまして、あれだけの事故を起こした国で実質的に改善をしないと、今ここで改善しないと一体いつ改善できるのかということを、ぜひ国会議員の皆さんには覚悟を込めてしっかりやっていただきたいと思うんですね。
それで、サブタイトルとしては、形骸化、偽装された安全性から実質的、実効的な安全性をしっかり担保するということが必要だと思います。
まず、そういう観点から申し上げると、今、この原子力規制庁の議論が並行して進んでいますが、今事実として進んでいる、現実として進んでいる矛盾と、これからでき上がっていく規制庁なり安全規制体制のギャップをどう埋めるのか。魔法のように安全規制組織ができるとは思えないわけですね。
まず、再稼働問題です。
私、同時に大阪府市統合本部の特別顧問をしておりますが、ここの中で、私も一応原子力の専門家の片割れですが、各電力会社の原子力のアドバイザリーをしている佐藤特別参与と一緒に体系的な分析をして、大飯三、四号を初めとするあのストレステストの、極めて限定的な状況で安全性はどう考えても担保されていない。少なくとも、福島の事故を踏まえた安全性は担保されていないです。
それを、先日も議事録を拝見すると、細野大臣は、あるいは四大臣は、安全性を確認したと強弁される。これは明らかにうそですよ。しかも、専門家が安全ではないと言っているものを政治家が安全だと言うのは、これは政治の介入ですね。何でこんなことが今まかり通っているんですか。おかしいじゃないですか。
それで、その政治のもとでできる原子力規制庁がまともなものになるとは思えないわけです。
その結果として、国民は非常にリーズナブルですから、昨年の秋は、即時脱原発よりは、いつかはなくなってほしいという人が八割だったわけですが、もう今となっては再稼働反対が圧倒的多数になっているのは、これは、安全性の問題はこれで完全に信頼を喪失しているという問題だと思う。これは完全に政治の失敗だと私は思います。
この現実と、これからでき上がっていく原子力規制庁とそして規制体系というものは必ずつながっていますので、この問題をきっちり筋を通しながら、並行して法案の議論も必要だと思います。
同時に、原子力委員会の秘密会議の問題です。何か私の名前もうわさされていたと報道されていましたが、これは私も原子力村にいたときから常態化していて、それは当然だと思うんです。しかも、事務局は前々からみんな知っていました。電力会社や原子力の事業者の方々が出向で、私自身も出向で、しかも原子力安全規制の仕事をやっていた経験もありますから。そういう、ある種ずぶずぶの関係なわけですね。そういった組織が、原子力委員会という名のもとに、結局、規範性を欠いて今もなお運営されているといったこともやはりしっかりと見ていかないといけないだろうと思う。
そして、昨今報道されている美浜原発の駆け込みで四十年超えですね。四十年超えは例外だというような話が駆け込みのような形で行われる。これはもう明らかに政治の不作為だと思います。
確かに、形式的には、今、現行法でやるから認められる、あるいは、新しい法案ができても、それは例外ということできちっとやったら認められるかもしれません。
しかし、あれだけの事故を起こした国が、抜け駆けのような形で、しかも、これは安全規制の失敗でもありますから、冒頭のストレステストも含めて今進めている人たちは、ある意味、手が汚れている人たちですね。そういったものに対して政治がブレーキをかけないと、この国のモラルはどこまで落ちていくんだと。これは本当に世界に対して恥ずかしい状況だと私は思います。
そして、福島第一原発の教訓を一体どう学ぶんだ。これは、北澤先生が立派な報告書をつくられているので余り詳しく申し上げませんが、去年の秋にスイスの原子力規制庁、きょう添付資料で、北海道大学の吉田先生が翻訳をされたサマリーのところだけですが、膨大な分析をされて、そこからスイスの原子力規制庁は学ばないといけないことをされています。
その中で、これも北澤先生が指摘されていましたが、特に組織的な問題が非常に大きい。学習ができない組織、あるいは学習を阻害する。保安院が経産省に依存をしている、あるいは意思決定が非常に不透明である。これは今も非常に不透明ですね。なぜ美浜が進むのか、なぜ再稼働が進むのか極めて不透明で、裏側のことが進んでいる。もろもろ、あとはちょっと省略しますが、そして原子力村問題も指摘されている。
そして、北澤先生の民間事故調の報告は出ていますが、政府の事故調の最終報告、そして国会の事故調、皆さん自身がつくられた事故調の報告が出ていないのに、そこから学んでつくるべき規制庁や原子力安全規制体制の法案がなぜ先に進むのか。これも明らかに政治の不作為というか、おかしいと思われないんでしょうかというふうに私は思う。
これは、別の都合でほかのことが進む。これはまさに再稼働問題と一緒ですね。安全性をないがしろにしてほかの都合で物事が進むと、結局は安全神話にまた舞い戻りしているのではないかというふうに思います。
そして、私自身がいた原子力村の問題、これは本当に徹底的に、きちんと社会科学的にメスを入れる必要があると思うんです。
一人一人は、ほとんどの方は極めて誠実で、きちんとした技術者の方が多いわけです。しかしながら、これが、かつての旧日本軍のときの陸軍、海軍の問題と同じように、全体として膨大なある種の利益集団となっていくと、その誠実な方は押し黙り、ゆがんだ言論が前に出てくるといったことで、日本の安全性は極めてないがしろにされてきた。特に上に行けば行くほど、腹芸と寝わざで、きちんとした論理的なことをおっしゃらない。そうすると、下の者はその腹を読みながら、結局、情緒的コネクション、裏の仕事でしか物事ができなくなる。そして異論は、あの人はちょっとおかしいよねという形でだんだん遠ざけられて、実質的な議論はどんどん表舞台でされなくなっていく。いわゆる空気の支配ですね。
今回も、例えばノーリターンルールとかもありますが、形式的、形骸的なルールをつくることによって実質的なところが見逃されていく。どんな形式、ルールをつくっても必ず実質というのは中を抜いてきますから、実質をどういうふうに埋めていくのかということに知恵を尽くす必要があると思います。
それで、幾つか論点が挙がっていると思いますが、例えば専門性の確保。
これは、組織的な学習能力をいかに高めていくか。これまでの閉鎖的な組織文化を、いかに外部、特に国内外、そして批判的な人も含めたオープンな組織風土をどうつくれるか。一人一人が非常にモチベーションが高く、士気が高く、好奇心旺盛な学習文化をつくる。
そのためには、自立した個と国際的なネットワークに一人一人が結ばれていて、その人がやはり固有名詞で、きょう例えば木村先生とか北澤先生、宮野先生ですね、固有名詞で勝負をすると、世界に吹きさらされるので、恥ずかしいことができなくなるんですね。
これは、ノーリターンルールとか、私はそういうことではないと思うんです。一人一人が誇りを持った仕事ができる環境をどうつくるのかということ、その実質を問わなきゃいけないと思う。
私がいたスウェーデンの例ですと、まずはトップの人、本当に尊敬できる指揮官、専門性と人格的独立性をいかに確保する、そういう人を据えて、その人のもとで、ここにあるような専門性と人格、社会性、戦略性、機能性、よくある、前回も調達価格委員会等で、国会同意人事であれば何でもいいわけではなくて、いつの間にか決まってしまうような非常に不思議な人事が出てくるわけですが、そうではなくて、本当に人格的にこの人なら、その組織、日本の原子力安全規制を守れる、そういう人をきっちりと担保する、新しいトップとガバナンス体制をつくる必要があると思います。
それから、日本全体のやはり原子力技術の安全技術の底上げが必要で、これは一例ですけれども、私が二十年前から指摘している旧告示五〇一号問題とか、これはちょっと専門的になるのであれですけれども、昔は電気事業法の下にぶら下がっていた告示五〇一号というのは、これは、かつてASMEの、いわゆるアメリカで原子力機器をつくる機器基準は、そのまま横文字を縦文字にしたものが電気事業法の下にぶら下がっていたのが、今は機械学会の、一応形式的にはASMEのまねごとのようになっていますが、今、実態はいまだにASMEの横文字を縦文字にしたものでしかなくて、やはり、オープンな文化で実質的な技術基準をつくり上げていくような組織風土、これは法律の問題ではなくて、皆さんの問題ではなくて、民間というかアカデミアの話だとは思いますが、全体を底上げしていく。
しかしながら、これはやはり原子力村のところにメスを入れていくような規制庁のあり方が、範を垂れるという意味では、関係をしてくるのではないかと思います。
それから危機管理体制については、これも、やはり実態や能力を伴わない形式的体制をやめて、例えば総理の本部長が本当にいいのかどうか。これは、あの震災直前の九月一日の防災訓練で当時の菅首相がSPEEDIということを命令しておられるわけですが、実際に起きたときに、御本人を含めてどなたもSPEEDIのことは存じなかったという、いわば、台本を読み上げるような学芸会的あるいはセレモニー的なことは、いいかげんもうやめた方がいいんではないかというふうに思います。
そういう意味では、政治がとるべき責任と、専門家、いわゆる指揮官がとるべき責任をしっかり仕分けをして、政治家は任命責任と結果責任をとる、指揮官にやはりしっかりとした専門性の方を置くというような、そこらあたりのきちんとした仕分けが必要だと思います。
そういう意味でいうと、この国の全体のモラルとしてやはり私が一番問題だと思うのは、もう一年三カ月も経過をして、政治も、行政も、そして事故を起こした当事者の東電も、誰一人として責任をとっていないですね。これは、もちろん民事、刑事のことを言っているのではなくて、道義的な結果責任です。
これはなぜなのか。これは、将来世代に対しても、今の現世代に対しても、世界に対しても本当に恥ずかしいことですね。なぜ誰もみずから辞任をし、あるいは辞任を命じないのか。これは本当に恥ずかしいことだと思います。
その他のちょっと細かい論点はつぶして、論点に入っていない最後のところですね。
私は原子力委員会は廃止すべきだと思います。これはそもそも機能としてもう必要ない。そしてもう一つは、今回の秘密会議の問題もあります。モラルが極めて低下をしている。今回の規制庁にあわせて、実は原子力委員会だけではなくて、文科省にぶら下がっているさまざまな、今度、原子力村が縦割りになってしまうのをしっかりと統合するという意味でも、この原子力委員会の廃止というのは極めて象徴的になる。
もう一つは再稼働問題。電気が足りる足りないという話になっていますが、結局はそうではない。本当の問題は、電力会社の経営問題であり、そして、その先は使用済み燃料問題なわけです。そこをしっかり表に出した円卓会議のようなものをしっかりやらないと、この大飯三、四号で国民の反発をますます招いても、その先、問題はもっと大きくなる一方ですから、もうちょっと大きな問題解決の場をつくった方がいいのではないかというふうに思います。
どうもありがとうございました。拍手
この発言だけを見る →お手元に二枚物のレジュメを用意しましたので、大体それに沿ってお話をしたいと思います。
その前に、私は、もともと神戸製鋼で、放射性廃棄物、特に使用済み核燃料の輸送、貯蔵処分の設計、研究、開発、製造にかかわって、安全解析、安全許認可、その後、電力中央研究所に行って原子力安全委員会の事務局の仕事と電気事業連合会の裏仕事をして、いわゆる原子力村という名づけ親として知られています。
しかも、全く偶然にも、私が原子力村時代に最後にやった仕事が、福島第一原発に今もある乾式貯蔵施設、キャスク貯蔵、そこにもかかわって、例えば、日本の安全規制の制度設計というか基準づくりの実務がどうあったのか、もう二十年も前ですから今は多少は改善しているかもしれませんが、そして、許認可の現場は一体どうあるのか、あるいは物づくりの現場がどうあるのかという、私は徹底的にリアリティーにこだわってきておりまして、そういった観点からすると、これまでの議事録とかを拝見しても、なかなか宙に浮いた感覚がありまして、あれだけの事故を起こした国で実質的に改善をしないと、今ここで改善しないと一体いつ改善できるのかということを、ぜひ国会議員の皆さんには覚悟を込めてしっかりやっていただきたいと思うんですね。
それで、サブタイトルとしては、形骸化、偽装された安全性から実質的、実効的な安全性をしっかり担保するということが必要だと思います。
まず、そういう観点から申し上げると、今、この原子力規制庁の議論が並行して進んでいますが、今事実として進んでいる、現実として進んでいる矛盾と、これからでき上がっていく規制庁なり安全規制体制のギャップをどう埋めるのか。魔法のように安全規制組織ができるとは思えないわけですね。
まず、再稼働問題です。
私、同時に大阪府市統合本部の特別顧問をしておりますが、ここの中で、私も一応原子力の専門家の片割れですが、各電力会社の原子力のアドバイザリーをしている佐藤特別参与と一緒に体系的な分析をして、大飯三、四号を初めとするあのストレステストの、極めて限定的な状況で安全性はどう考えても担保されていない。少なくとも、福島の事故を踏まえた安全性は担保されていないです。
それを、先日も議事録を拝見すると、細野大臣は、あるいは四大臣は、安全性を確認したと強弁される。これは明らかにうそですよ。しかも、専門家が安全ではないと言っているものを政治家が安全だと言うのは、これは政治の介入ですね。何でこんなことが今まかり通っているんですか。おかしいじゃないですか。
それで、その政治のもとでできる原子力規制庁がまともなものになるとは思えないわけです。
その結果として、国民は非常にリーズナブルですから、昨年の秋は、即時脱原発よりは、いつかはなくなってほしいという人が八割だったわけですが、もう今となっては再稼働反対が圧倒的多数になっているのは、これは、安全性の問題はこれで完全に信頼を喪失しているという問題だと思う。これは完全に政治の失敗だと私は思います。
この現実と、これからでき上がっていく原子力規制庁とそして規制体系というものは必ずつながっていますので、この問題をきっちり筋を通しながら、並行して法案の議論も必要だと思います。
同時に、原子力委員会の秘密会議の問題です。何か私の名前もうわさされていたと報道されていましたが、これは私も原子力村にいたときから常態化していて、それは当然だと思うんです。しかも、事務局は前々からみんな知っていました。電力会社や原子力の事業者の方々が出向で、私自身も出向で、しかも原子力安全規制の仕事をやっていた経験もありますから。そういう、ある種ずぶずぶの関係なわけですね。そういった組織が、原子力委員会という名のもとに、結局、規範性を欠いて今もなお運営されているといったこともやはりしっかりと見ていかないといけないだろうと思う。
そして、昨今報道されている美浜原発の駆け込みで四十年超えですね。四十年超えは例外だというような話が駆け込みのような形で行われる。これはもう明らかに政治の不作為だと思います。
確かに、形式的には、今、現行法でやるから認められる、あるいは、新しい法案ができても、それは例外ということできちっとやったら認められるかもしれません。
しかし、あれだけの事故を起こした国が、抜け駆けのような形で、しかも、これは安全規制の失敗でもありますから、冒頭のストレステストも含めて今進めている人たちは、ある意味、手が汚れている人たちですね。そういったものに対して政治がブレーキをかけないと、この国のモラルはどこまで落ちていくんだと。これは本当に世界に対して恥ずかしい状況だと私は思います。
そして、福島第一原発の教訓を一体どう学ぶんだ。これは、北澤先生が立派な報告書をつくられているので余り詳しく申し上げませんが、去年の秋にスイスの原子力規制庁、きょう添付資料で、北海道大学の吉田先生が翻訳をされたサマリーのところだけですが、膨大な分析をされて、そこからスイスの原子力規制庁は学ばないといけないことをされています。
その中で、これも北澤先生が指摘されていましたが、特に組織的な問題が非常に大きい。学習ができない組織、あるいは学習を阻害する。保安院が経産省に依存をしている、あるいは意思決定が非常に不透明である。これは今も非常に不透明ですね。なぜ美浜が進むのか、なぜ再稼働が進むのか極めて不透明で、裏側のことが進んでいる。もろもろ、あとはちょっと省略しますが、そして原子力村問題も指摘されている。
そして、北澤先生の民間事故調の報告は出ていますが、政府の事故調の最終報告、そして国会の事故調、皆さん自身がつくられた事故調の報告が出ていないのに、そこから学んでつくるべき規制庁や原子力安全規制体制の法案がなぜ先に進むのか。これも明らかに政治の不作為というか、おかしいと思われないんでしょうかというふうに私は思う。
これは、別の都合でほかのことが進む。これはまさに再稼働問題と一緒ですね。安全性をないがしろにしてほかの都合で物事が進むと、結局は安全神話にまた舞い戻りしているのではないかというふうに思います。
そして、私自身がいた原子力村の問題、これは本当に徹底的に、きちんと社会科学的にメスを入れる必要があると思うんです。
一人一人は、ほとんどの方は極めて誠実で、きちんとした技術者の方が多いわけです。しかしながら、これが、かつての旧日本軍のときの陸軍、海軍の問題と同じように、全体として膨大なある種の利益集団となっていくと、その誠実な方は押し黙り、ゆがんだ言論が前に出てくるといったことで、日本の安全性は極めてないがしろにされてきた。特に上に行けば行くほど、腹芸と寝わざで、きちんとした論理的なことをおっしゃらない。そうすると、下の者はその腹を読みながら、結局、情緒的コネクション、裏の仕事でしか物事ができなくなる。そして異論は、あの人はちょっとおかしいよねという形でだんだん遠ざけられて、実質的な議論はどんどん表舞台でされなくなっていく。いわゆる空気の支配ですね。
今回も、例えばノーリターンルールとかもありますが、形式的、形骸的なルールをつくることによって実質的なところが見逃されていく。どんな形式、ルールをつくっても必ず実質というのは中を抜いてきますから、実質をどういうふうに埋めていくのかということに知恵を尽くす必要があると思います。
それで、幾つか論点が挙がっていると思いますが、例えば専門性の確保。
これは、組織的な学習能力をいかに高めていくか。これまでの閉鎖的な組織文化を、いかに外部、特に国内外、そして批判的な人も含めたオープンな組織風土をどうつくれるか。一人一人が非常にモチベーションが高く、士気が高く、好奇心旺盛な学習文化をつくる。
そのためには、自立した個と国際的なネットワークに一人一人が結ばれていて、その人がやはり固有名詞で、きょう例えば木村先生とか北澤先生、宮野先生ですね、固有名詞で勝負をすると、世界に吹きさらされるので、恥ずかしいことができなくなるんですね。
これは、ノーリターンルールとか、私はそういうことではないと思うんです。一人一人が誇りを持った仕事ができる環境をどうつくるのかということ、その実質を問わなきゃいけないと思う。
私がいたスウェーデンの例ですと、まずはトップの人、本当に尊敬できる指揮官、専門性と人格的独立性をいかに確保する、そういう人を据えて、その人のもとで、ここにあるような専門性と人格、社会性、戦略性、機能性、よくある、前回も調達価格委員会等で、国会同意人事であれば何でもいいわけではなくて、いつの間にか決まってしまうような非常に不思議な人事が出てくるわけですが、そうではなくて、本当に人格的にこの人なら、その組織、日本の原子力安全規制を守れる、そういう人をきっちりと担保する、新しいトップとガバナンス体制をつくる必要があると思います。
それから、日本全体のやはり原子力技術の安全技術の底上げが必要で、これは一例ですけれども、私が二十年前から指摘している旧告示五〇一号問題とか、これはちょっと専門的になるのであれですけれども、昔は電気事業法の下にぶら下がっていた告示五〇一号というのは、これは、かつてASMEの、いわゆるアメリカで原子力機器をつくる機器基準は、そのまま横文字を縦文字にしたものが電気事業法の下にぶら下がっていたのが、今は機械学会の、一応形式的にはASMEのまねごとのようになっていますが、今、実態はいまだにASMEの横文字を縦文字にしたものでしかなくて、やはり、オープンな文化で実質的な技術基準をつくり上げていくような組織風土、これは法律の問題ではなくて、皆さんの問題ではなくて、民間というかアカデミアの話だとは思いますが、全体を底上げしていく。
しかしながら、これはやはり原子力村のところにメスを入れていくような規制庁のあり方が、範を垂れるという意味では、関係をしてくるのではないかと思います。
それから危機管理体制については、これも、やはり実態や能力を伴わない形式的体制をやめて、例えば総理の本部長が本当にいいのかどうか。これは、あの震災直前の九月一日の防災訓練で当時の菅首相がSPEEDIということを命令しておられるわけですが、実際に起きたときに、御本人を含めてどなたもSPEEDIのことは存じなかったという、いわば、台本を読み上げるような学芸会的あるいはセレモニー的なことは、いいかげんもうやめた方がいいんではないかというふうに思います。
そういう意味では、政治がとるべき責任と、専門家、いわゆる指揮官がとるべき責任をしっかり仕分けをして、政治家は任命責任と結果責任をとる、指揮官にやはりしっかりとした専門性の方を置くというような、そこらあたりのきちんとした仕分けが必要だと思います。
そういう意味でいうと、この国の全体のモラルとしてやはり私が一番問題だと思うのは、もう一年三カ月も経過をして、政治も、行政も、そして事故を起こした当事者の東電も、誰一人として責任をとっていないですね。これは、もちろん民事、刑事のことを言っているのではなくて、道義的な結果責任です。
これはなぜなのか。これは、将来世代に対しても、今の現世代に対しても、世界に対しても本当に恥ずかしいことですね。なぜ誰もみずから辞任をし、あるいは辞任を命じないのか。これは本当に恥ずかしいことだと思います。
その他のちょっと細かい論点はつぶして、論点に入っていない最後のところですね。
私は原子力委員会は廃止すべきだと思います。これはそもそも機能としてもう必要ない。そしてもう一つは、今回の秘密会議の問題もあります。モラルが極めて低下をしている。今回の規制庁にあわせて、実は原子力委員会だけではなくて、文科省にぶら下がっているさまざまな、今度、原子力村が縦割りになってしまうのをしっかりと統合するという意味でも、この原子力委員会の廃止というのは極めて象徴的になる。
もう一つは再稼働問題。電気が足りる足りないという話になっていますが、結局はそうではない。本当の問題は、電力会社の経営問題であり、そして、その先は使用済み燃料問題なわけです。そこをしっかり表に出した円卓会議のようなものをしっかりやらないと、この大飯三、四号で国民の反発をますます招いても、その先、問題はもっと大きくなる一方ですから、もうちょっと大きな問題解決の場をつくった方がいいのではないかというふうに思います。
どうもありがとうございました。拍手
生
生
吉
吉川政重#11
○吉川委員 おはようございます。民主党の吉川政重でございます。
参考人の先生方には、本日は、大変お忙しい中、わざわざこの委員会にお出ましをいただきまして、また、ただいまは、それぞれの専門のお立場から貴重な御意見を賜りましたことを、改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。
さて、昨年の福島第一原発のこの事故は、我が国で初めて、原子炉の炉心融解、あるいは水素爆発という、極めて深刻な事態となりました。この事故によって、我が国のこれまでの原子力行政あるいは安全行政について、国内外の信頼、これは大きく損なわれてございます。
こうした中で、我が国の原子力安全対策、これを根本的に見直すことが不可避となり、従来の原子力安全・保安院の原子力規制部門を経済産業省から分離して、いわゆる原子力の規制と利用の分離を徹底して原子力の安全確保に関する事務の一元化を図るなど、関係組織の再編、これを行うために、このたび立法措置をとらせていただくということになりました。
このことについて、既に、政府・与党案とそれから自民・公明案の二つの法案が提案をされておりまして、この環境委員会でも審議がスタートしております。
その中で、与野党の協議も議論も深まってまいりまして、議論は進んでおるんですけれども、しかしその一方で、なお意見の隔たる項目もございまして、これらの点について、特にきょう御出席の専門家の先生方の御意見をお聞かせいただきたいというふうに思っております。
〔委員長退席、川越委員長代理着席〕
それで、今、政府・与党案とそれから自民・公明案、この大きな違いは、組織のあり方、形ですね、これがまず決定的に違っております。
政府・与党案は、環境省の外局に原子力規制庁という部署をつくりまして、従来の原子力安全・保安院の原子力安全規制部門を経産省から分離して、あるいは、従来、文科省、経済産業省あるいは国土交通省が所掌しておりました原子力安全規制に関する事務も一元化して、原子力安全の確保の任務を環境省の任務にするというものであります。
それに対して自民・公明案は、同じく環境省の外局に組織をつくるということについては共通しておりますけれども、国家行政組織法第三条に基づく原子力規制委員会、これを設置してこの任務に当たらせようというものでございます。
政府案は、いわゆる一人制の原子力安全規制庁長官という役職をつくって、それに任を当たらせる。それに対して自公案は、原子力規制委員会という合議制の委員会をつくってこれに当たらせるという、そういうところが大きく異なっているところであります。
それで、この自公案をベースに考えるとするならば、委員会というのは、世の中には委員会という名前の組織はたくさんございますけれども、この国家行政組織法の三条で言う委員会というのは、これは普通の委員会ではありません。今、日本に六つしかないんですね。これは行政庁であります。
行政庁というのは、国家の意思を決定して、これを外部に表示する権限を有する行政機関が行政庁であります。
これには二種類ありまして、一つは独任制の行政庁、つまり大臣とか長官であります。もう一つは合議制の行政庁であり、これが、いわゆる国家行政組織法で言う第三条委員会であります。今回、自公案で提案されているのは、このまさに第三条の行政委員会を設置するということであります。
この行政委員会を設置されるということの目的といいますかその意図というのは、当然、独立性というところを強化するというところがその意図があろうというふうに思うところであります。
そうしたら、政府の役割との関係はどうなのかということで、いろいろとお話を伺っておりますと、原発の敷地内、いわゆるオンサイトにおける原子炉事故等の収束のための専門的判断についてはこの規制委員会が責任を担う、それに対して敷地外、いわゆるオフサイトの住民避難などの対応については政府が責任を負うということで、役割分担をされるというそういうたてつけになってございます。
そもそも、この三条委員会に権限を担わせようとする最大の論拠は、より高いレベルの独立性が確保されるというのは今申し上げたとおりであります。そこには、政治の関与を極力排除しようという意図があるわけであります。
確かに、今回の福島原発事故に際しまして、原子力の専門家ではない当時の菅総理あるいは官邸サイドがオンサイトに過度に介入したことが現場に混乱を引き起こしたとの事故検証報告も出されており、この点は大きな課題であろうと私も考えております。
しかしその一方で、机の上ではこの委員会と政府の役割分担、これは分けられるとしても、緊急時や災害時のときにこのような線引きが果たして現場でできるのか、あるいは、専門的な観点からのみ全てを判断、決定することが果たして可能なのか。例えば緊急時の総理の指示権の確保は本当に必要ないのか、あるいは責任の所在が明確になるのか。委員会が所掌するとすれば、当然、合議制でありますから、一人の長官とか大臣という責任の所在というのは、これは明確にならないということも指摘をされております。
この点について、先ほど何人かの先生からは組織のあり方についての明確なお答えもあったと思うんですけれども、原子力規制委員会のあり方、この三条委員会という合議制の行政庁に行わせるべきなのか、それとも独任制、長官や大臣という責任者を据えて、その組織でこの事務を行わせるのがいいのか、この点についての先生方の御所見をまずお伺いをしたいというふうに思います。よろしくお願いいたします。
〔川越委員長代理退席、委員長着席〕
この発言だけを見る →参考人の先生方には、本日は、大変お忙しい中、わざわざこの委員会にお出ましをいただきまして、また、ただいまは、それぞれの専門のお立場から貴重な御意見を賜りましたことを、改めて御礼を申し上げます。本当にありがとうございます。
さて、昨年の福島第一原発のこの事故は、我が国で初めて、原子炉の炉心融解、あるいは水素爆発という、極めて深刻な事態となりました。この事故によって、我が国のこれまでの原子力行政あるいは安全行政について、国内外の信頼、これは大きく損なわれてございます。
こうした中で、我が国の原子力安全対策、これを根本的に見直すことが不可避となり、従来の原子力安全・保安院の原子力規制部門を経済産業省から分離して、いわゆる原子力の規制と利用の分離を徹底して原子力の安全確保に関する事務の一元化を図るなど、関係組織の再編、これを行うために、このたび立法措置をとらせていただくということになりました。
このことについて、既に、政府・与党案とそれから自民・公明案の二つの法案が提案をされておりまして、この環境委員会でも審議がスタートしております。
その中で、与野党の協議も議論も深まってまいりまして、議論は進んでおるんですけれども、しかしその一方で、なお意見の隔たる項目もございまして、これらの点について、特にきょう御出席の専門家の先生方の御意見をお聞かせいただきたいというふうに思っております。
〔委員長退席、川越委員長代理着席〕
それで、今、政府・与党案とそれから自民・公明案、この大きな違いは、組織のあり方、形ですね、これがまず決定的に違っております。
政府・与党案は、環境省の外局に原子力規制庁という部署をつくりまして、従来の原子力安全・保安院の原子力安全規制部門を経産省から分離して、あるいは、従来、文科省、経済産業省あるいは国土交通省が所掌しておりました原子力安全規制に関する事務も一元化して、原子力安全の確保の任務を環境省の任務にするというものであります。
それに対して自民・公明案は、同じく環境省の外局に組織をつくるということについては共通しておりますけれども、国家行政組織法第三条に基づく原子力規制委員会、これを設置してこの任務に当たらせようというものでございます。
政府案は、いわゆる一人制の原子力安全規制庁長官という役職をつくって、それに任を当たらせる。それに対して自公案は、原子力規制委員会という合議制の委員会をつくってこれに当たらせるという、そういうところが大きく異なっているところであります。
それで、この自公案をベースに考えるとするならば、委員会というのは、世の中には委員会という名前の組織はたくさんございますけれども、この国家行政組織法の三条で言う委員会というのは、これは普通の委員会ではありません。今、日本に六つしかないんですね。これは行政庁であります。
行政庁というのは、国家の意思を決定して、これを外部に表示する権限を有する行政機関が行政庁であります。
これには二種類ありまして、一つは独任制の行政庁、つまり大臣とか長官であります。もう一つは合議制の行政庁であり、これが、いわゆる国家行政組織法で言う第三条委員会であります。今回、自公案で提案されているのは、このまさに第三条の行政委員会を設置するということであります。
この行政委員会を設置されるということの目的といいますかその意図というのは、当然、独立性というところを強化するというところがその意図があろうというふうに思うところであります。
そうしたら、政府の役割との関係はどうなのかということで、いろいろとお話を伺っておりますと、原発の敷地内、いわゆるオンサイトにおける原子炉事故等の収束のための専門的判断についてはこの規制委員会が責任を担う、それに対して敷地外、いわゆるオフサイトの住民避難などの対応については政府が責任を負うということで、役割分担をされるというそういうたてつけになってございます。
そもそも、この三条委員会に権限を担わせようとする最大の論拠は、より高いレベルの独立性が確保されるというのは今申し上げたとおりであります。そこには、政治の関与を極力排除しようという意図があるわけであります。
確かに、今回の福島原発事故に際しまして、原子力の専門家ではない当時の菅総理あるいは官邸サイドがオンサイトに過度に介入したことが現場に混乱を引き起こしたとの事故検証報告も出されており、この点は大きな課題であろうと私も考えております。
しかしその一方で、机の上ではこの委員会と政府の役割分担、これは分けられるとしても、緊急時や災害時のときにこのような線引きが果たして現場でできるのか、あるいは、専門的な観点からのみ全てを判断、決定することが果たして可能なのか。例えば緊急時の総理の指示権の確保は本当に必要ないのか、あるいは責任の所在が明確になるのか。委員会が所掌するとすれば、当然、合議制でありますから、一人の長官とか大臣という責任の所在というのは、これは明確にならないということも指摘をされております。
この点について、先ほど何人かの先生からは組織のあり方についての明確なお答えもあったと思うんですけれども、原子力規制委員会のあり方、この三条委員会という合議制の行政庁に行わせるべきなのか、それとも独任制、長官や大臣という責任者を据えて、その組織でこの事務を行わせるのがいいのか、この点についての先生方の御所見をまずお伺いをしたいというふうに思います。よろしくお願いいたします。
〔川越委員長代理退席、委員長着席〕
木
木村真三#12
○木村参考人 質問にお答えしたいと思います。
私自身の考えでは、合議制というのは一番理想的ではありますが、緊急事態においては、合議の上での時間差というので、多くの災害の拡大につながっていく可能性はあると思っております。
その中で私が考えるのは、アメリカ等での緊急事態省ということで、総理ではなくて、その庁のトップがその現場で自己判断によってやっていく。ただし、その責任の所在というものは明確化するべきだというふうに考えております。
結局、この事故自身、緊急時ということを前提に置いた場合では、即決を求められるということが重要かと思います。この即決を求められる時間が長ければ長いほど、時間がかかればかかるほど、問題というもの、事故の被害というのは拡大していきますので、その部分というものをきちんと即決していくということが望ましいかと思います。
以上です。
この発言だけを見る →私自身の考えでは、合議制というのは一番理想的ではありますが、緊急事態においては、合議の上での時間差というので、多くの災害の拡大につながっていく可能性はあると思っております。
その中で私が考えるのは、アメリカ等での緊急事態省ということで、総理ではなくて、その庁のトップがその現場で自己判断によってやっていく。ただし、その責任の所在というものは明確化するべきだというふうに考えております。
結局、この事故自身、緊急時ということを前提に置いた場合では、即決を求められるということが重要かと思います。この即決を求められる時間が長ければ長いほど、時間がかかればかかるほど、問題というもの、事故の被害というのは拡大していきますので、その部分というものをきちんと即決していくということが望ましいかと思います。
以上です。
北
北澤宏一#13
○北澤参考人 今の御質問をちょっと言葉を私なりに直しますと、対策を行っていくときに、原子炉を経済的になるべく生き長らえさせて、それで、対策をやっていくときにはなるべく遅くまで水は入れたくないとか、どうしてもそういった気持ちがある。それに対して、安全性だけを考えれば、もうなるべく早くにベントをして、なるべく早くに水を入れてしまうのが一番いい。
そうすると、どこの時点でどうするのかというのは一体誰が決めるのかということで、電力会社の経営者が決めれば、どうしても遅くしたい、そういうことになりますから、それは誰が決めるのかということをはっきりさせなければならないという、そういうことが変わってまいります。
それで、一番は緊急時の対応ですから、そこの相反する時間軸上の願望というのを、安全サイドに行くのか、それとも経営サイドに行くのかということを誰かが判断して、よし、ここで行くぞということを決めるという、そこがはっきり決まっていればこれはやっていける。
今回の教訓からすればそれができるんだと思うんですけれども、組織をこうしたというだけでは、それははっきりとしないというところがあるかと思います。
以上です。
この発言だけを見る →そうすると、どこの時点でどうするのかというのは一体誰が決めるのかということで、電力会社の経営者が決めれば、どうしても遅くしたい、そういうことになりますから、それは誰が決めるのかということをはっきりさせなければならないという、そういうことが変わってまいります。
それで、一番は緊急時の対応ですから、そこの相反する時間軸上の願望というのを、安全サイドに行くのか、それとも経営サイドに行くのかということを誰かが判断して、よし、ここで行くぞということを決めるという、そこがはっきり決まっていればこれはやっていける。
今回の教訓からすればそれができるんだと思うんですけれども、組織をこうしたというだけでは、それははっきりとしないというところがあるかと思います。
以上です。
宮
宮野廣#14
○宮野参考人 私の見解は先ほどるる申し上げたと思いますけれども、昨年の事故を顧みますと、やはり、なぜ対応がおくれたのかといった議論が先日の国会でもありましたが、撤退する、しないという議論があったという話もあります。それは、現場を全く関係なしの、全くの茶番をやっていたと。要するに、東電の中でも経営者と現場は全く乖離しておりました。情報が行っていないということもありますし、国の中でも情報が全く来ていないという中でああいう議論をやっているというのは、非常におかしい。
現場は撤退なんということは絶対あり得ません。そのためにあの当時の所長の吉田は、今はもうがんで入院してまだ出てきていないと私は聞きました。それくらい、彼はずっとあそこにいて責任をとっていたというふうに思います。やはり現場が一番です。
本来は、オフサイトセンターが現場にあって、そこで規制機関が支援をすることになっていたはずです。それが機能しなくなった途端に、なぜ東京に本部が来て、遠隔でしようということになったのか、私は非常に不思議です。本来は、現場できちんと対応して、それを東京が支援をする、要するに国が支援をするという、そういう体制が必要です。
それをきちんとできるのは、やはり、技術的判断ができる組織、即対応できる組織を持つことであり、それが、事業者、現場を動かしている人間と連携をよくしてやるというのが必要だということで、それは、アメリカにおいてもフランスにおいても、世界では、同じそういう共通の組織になってそういう対応が今はできているというふうに私は思っております。ぜひそういう組織が必要だと思います。
以上であります。
この発言だけを見る →現場は撤退なんということは絶対あり得ません。そのためにあの当時の所長の吉田は、今はもうがんで入院してまだ出てきていないと私は聞きました。それくらい、彼はずっとあそこにいて責任をとっていたというふうに思います。やはり現場が一番です。
本来は、オフサイトセンターが現場にあって、そこで規制機関が支援をすることになっていたはずです。それが機能しなくなった途端に、なぜ東京に本部が来て、遠隔でしようということになったのか、私は非常に不思議です。本来は、現場できちんと対応して、それを東京が支援をする、要するに国が支援をするという、そういう体制が必要です。
それをきちんとできるのは、やはり、技術的判断ができる組織、即対応できる組織を持つことであり、それが、事業者、現場を動かしている人間と連携をよくしてやるというのが必要だということで、それは、アメリカにおいてもフランスにおいても、世界では、同じそういう共通の組織になってそういう対応が今はできているというふうに私は思っております。ぜひそういう組織が必要だと思います。
以上であります。
飯
飯田哲也#15
○飯田参考人 基本的には、今回の事故、十条通告がどこの時点かですが、とにかく平時から異常時は、いわゆる戦時の対応のような体制に切りかえることだろうと思いますね。
だとすると、いわば戦争に例えると、大本営参謀が現地の戦闘の指揮をとることは恐らく不可能なので、もちろん、全体のこちらの戦時の参謀は、例えば三条委員会でも委員長がその権限を持つということと、あとは、実際の事故炉に対してしっかりと権限を付与するような体制というのもやはり考えるべきだろうというふうに思います。
今回はそれが非常に混乱をしていたので、どこに中心があるのかというのは非常に混乱したのではないかというふうに思っています。
この発言だけを見る →だとすると、いわば戦争に例えると、大本営参謀が現地の戦闘の指揮をとることは恐らく不可能なので、もちろん、全体のこちらの戦時の参謀は、例えば三条委員会でも委員長がその権限を持つということと、あとは、実際の事故炉に対してしっかりと権限を付与するような体制というのもやはり考えるべきだろうというふうに思います。
今回はそれが非常に混乱をしていたので、どこに中心があるのかというのは非常に混乱したのではないかというふうに思っています。
吉
吉川政重#16
○吉川委員 ありがとうございます。
私があえてこれをお尋ねするのは、自民・公明の案でいきますと、基本的には、この三条委員会に原子力にかかわる権限を全て与えるということになるんですね。
しかも、どういう方が委員に任命されるかということについては、「原子力利用における安全の確保に関して専門的知識及び経験を有する者」というふうに限定されておりますので、これは、研究者、学者の皆さんがこの委員に任命されるということになると思うんですね。
先ほども言いましたけれども、この委員会というのは、従来の委員会、例えば専門的な見地からいろいろな提言をしていただいたりアドバイスをいただいて、それで政治家が物事を決定するというようなものじゃなくて、この委員会そのものが決定権限を持つということなんですね。
そこで私が危惧するのは、これは大変失礼ですけれども、いろいろな判断の中で、先ほど先生もおっしゃったように、純粋に専門技術的な見地からだけで判断が下せるのであれば私はこの委員会でやっていただいたらいいと思うんですけれども、現実には、それだけの判断では済まないような局面がやはりあるのではないかというふうに思うんですね。
例えば、先ほど先生がおっしゃったように、あの事故のときに東電の撤退の話がありました。それが実際に全員撤退だったのかどうかというのは、これは、民間事故調のきょうは委員長もお見えですけれども、それではまだはっきりしないんですけれども、ただ、ああいうときが起こった場合に、例えば現場の作業員からしたら命にかかわることなんですよね、それに対して専門技術的なお立場からだけで、だめだ、現場に残って闘えというようなことを判断するというのは、これはやはり、専門技術的な判断を超えた一つの政治的決断であろうというふうに思うんです。
ですから、たとえオンサイトであったとしても、全て専門技術的な判断だけで対応ができるというような局面ばかりではないということを私は思っております。ですから、そういう政治的なものを全て排除するということが果たして妥当なのかどうか。
もし、この自公案に基づく委員会ができたとしたら、多分きょうおられる先生方は、日本の原子力を代表される先生方なので、ひょっとしたら先生方がその委員に任命されるかもわかりません。
そのときに、例えば、先ほど原発の再開の話もございました。この原発の再開については、当然、安全性の審査については、先生方の御専門の知識で安全かどうかの判断はしていただけると思います。しかし、安全だからといって原発を再開することを認めるかどうかは、もう一つ別の判断があるんですね。
つまり、国全体としてエネルギー政策をどうするかという政策的な話がございます。原発の依存度をどうするかという話もあります。そういう中で原発の再開をするかどうかの判断というのはしていただく。これは従来は政治家がやっていました。
しかし、今回もしこういう形で法律ができますと、委員である先生方がその判断をしていただくということになるんですね。ですから、その判断の中には、純粋な専門技術的な判断を超える、一定の政策的、政治的決断というものはこれは必ず避けて通れないというふうに私は思うんですけれども、この点について、本当にこの三条委員会で、専門家の先生だけでそういう政策決定にかかわる分野までも果たしてやっていただけるのか。
従来は、国民から直接責任を負う政治家が先生方の意見を尊重して決定していたということで行われているんですけれども、それが、先生方自身がそれを決めていただくということになるんですけれども、果たしてそういうことが妥当とお考えなのか。先生方がもしその立場になったときにその判断を果たしてしていただけるのかどうかを、再度、ぶしつけな質問で大変恐縮でございますけれども、私の言おうとしていることはおわかりいただけるかどうかわかりませんが、ぜひお答えをいただきたいと思います。お願いいたします。ヤジ
この発言だけを見る →私があえてこれをお尋ねするのは、自民・公明の案でいきますと、基本的には、この三条委員会に原子力にかかわる権限を全て与えるということになるんですね。
しかも、どういう方が委員に任命されるかということについては、「原子力利用における安全の確保に関して専門的知識及び経験を有する者」というふうに限定されておりますので、これは、研究者、学者の皆さんがこの委員に任命されるということになると思うんですね。
先ほども言いましたけれども、この委員会というのは、従来の委員会、例えば専門的な見地からいろいろな提言をしていただいたりアドバイスをいただいて、それで政治家が物事を決定するというようなものじゃなくて、この委員会そのものが決定権限を持つということなんですね。
そこで私が危惧するのは、これは大変失礼ですけれども、いろいろな判断の中で、先ほど先生もおっしゃったように、純粋に専門技術的な見地からだけで判断が下せるのであれば私はこの委員会でやっていただいたらいいと思うんですけれども、現実には、それだけの判断では済まないような局面がやはりあるのではないかというふうに思うんですね。
例えば、先ほど先生がおっしゃったように、あの事故のときに東電の撤退の話がありました。それが実際に全員撤退だったのかどうかというのは、これは、民間事故調のきょうは委員長もお見えですけれども、それではまだはっきりしないんですけれども、ただ、ああいうときが起こった場合に、例えば現場の作業員からしたら命にかかわることなんですよね、それに対して専門技術的なお立場からだけで、だめだ、現場に残って闘えというようなことを判断するというのは、これはやはり、専門技術的な判断を超えた一つの政治的決断であろうというふうに思うんです。
ですから、たとえオンサイトであったとしても、全て専門技術的な判断だけで対応ができるというような局面ばかりではないということを私は思っております。ですから、そういう政治的なものを全て排除するということが果たして妥当なのかどうか。
もし、この自公案に基づく委員会ができたとしたら、多分きょうおられる先生方は、日本の原子力を代表される先生方なので、ひょっとしたら先生方がその委員に任命されるかもわかりません。
そのときに、例えば、先ほど原発の再開の話もございました。この原発の再開については、当然、安全性の審査については、先生方の御専門の知識で安全かどうかの判断はしていただけると思います。しかし、安全だからといって原発を再開することを認めるかどうかは、もう一つ別の判断があるんですね。
つまり、国全体としてエネルギー政策をどうするかという政策的な話がございます。原発の依存度をどうするかという話もあります。そういう中で原発の再開をするかどうかの判断というのはしていただく。これは従来は政治家がやっていました。
しかし、今回もしこういう形で法律ができますと、委員である先生方がその判断をしていただくということになるんですね。ですから、その判断の中には、純粋な専門技術的な判断を超える、一定の政策的、政治的決断というものはこれは必ず避けて通れないというふうに私は思うんですけれども、この点について、本当にこの三条委員会で、専門家の先生だけでそういう政策決定にかかわる分野までも果たしてやっていただけるのか。
従来は、国民から直接責任を負う政治家が先生方の意見を尊重して決定していたということで行われているんですけれども、それが、先生方自身がそれを決めていただくということになるんですけれども、果たしてそういうことが妥当とお考えなのか。先生方がもしその立場になったときにその判断を果たしてしていただけるのかどうかを、再度、ぶしつけな質問で大変恐縮でございますけれども、私の言おうとしていることはおわかりいただけるかどうかわかりませんが、ぜひお答えをいただきたいと思います。お願いいたします。ヤジ
生
木
木村真三#18
○木村参考人 私ができるかできないかというと、できます。そうなんですよ。それはその判断をしないといけないんです。そのための事故研究をずっとやってきたわけです。この事故研究をやっていない人間たちが入るからわからないわけですよ。
だから、そういう意味では、政治的判断、例えばこの再稼働の話というのは、また別個の話なわけじゃないですか。今回、この法案がどうするかというような、稼働の問題とその話は別であって、そもそも論で言うと、これは環境省の外局でいいのかというところからまず入ります。
なぜかというと、環境省には法律の専門家はいません。この専門家がいないところでどうやって束ねるのかというところからまず判断しなくてはいけないんです。環境大臣等を含んで合議をして、一体何が言えるのかというのが私の一番の疑問です。
だから、そういう部分も含めた上で、もし緊急事態が発生した場合、例えば、その現場における指揮系統で一番のトップが判断していくというような、それはそれぞれの事故現場の判断によるという一番常識的なやり方というのがいいとは思いますが、でも、その責任は、三条委員会以外でも、その行政の長という者がとっていくということでやればいいのかなと私は思っております。
以上です。
この発言だけを見る →だから、そういう意味では、政治的判断、例えばこの再稼働の話というのは、また別個の話なわけじゃないですか。今回、この法案がどうするかというような、稼働の問題とその話は別であって、そもそも論で言うと、これは環境省の外局でいいのかというところからまず入ります。
なぜかというと、環境省には法律の専門家はいません。この専門家がいないところでどうやって束ねるのかというところからまず判断しなくてはいけないんです。環境大臣等を含んで合議をして、一体何が言えるのかというのが私の一番の疑問です。
だから、そういう部分も含めた上で、もし緊急事態が発生した場合、例えば、その現場における指揮系統で一番のトップが判断していくというような、それはそれぞれの事故現場の判断によるという一番常識的なやり方というのがいいとは思いますが、でも、その責任は、三条委員会以外でも、その行政の長という者がとっていくということでやればいいのかなと私は思っております。
以上です。
北
北澤宏一#19
○北澤参考人 御質問の趣旨はよく理解できるところがあります。
ただし、これは、その人がその場になってその専門的な知識あるいは経営的な知識で判断できるかといったら、そんなものはできない、誰でもできない。つまり、何が今回足りなかったかというと、どういうことが起きたときに何をするのかというのがあらかじめ決まっていなかったということなわけであります。
それで、原子炉は複雑なシステムではありますけれども、何が起きそうか、ここが破られたらどうする、ではここが破られたらどうするというのは、これからそういう委員会ができたら、あらかじめ全て決めておくべきであります。
この程度のことが起きたらこの程度のことをやるんだということは、もうどんなに時間がかかってもきちんと決めるというのは当たり前のことでありまして、それができていれば、そういう全体の流れを見ながら、それが最後で首相が口を挟むようなことが起こってくるかもしれませんけれども、その情報の流れと決断の流れを首相にまでずっと見えるようなそういう体制を、この情報化の時代ですからつくりながら、そして、こういうことが起きたらこうするというあらかじめのマニュアルというのをちゃんとつくっておいてもらうというのが、これから一番必要になるんじゃないかというふうに思います。
以上です。
この発言だけを見る →ただし、これは、その人がその場になってその専門的な知識あるいは経営的な知識で判断できるかといったら、そんなものはできない、誰でもできない。つまり、何が今回足りなかったかというと、どういうことが起きたときに何をするのかというのがあらかじめ決まっていなかったということなわけであります。
それで、原子炉は複雑なシステムではありますけれども、何が起きそうか、ここが破られたらどうする、ではここが破られたらどうするというのは、これからそういう委員会ができたら、あらかじめ全て決めておくべきであります。
この程度のことが起きたらこの程度のことをやるんだということは、もうどんなに時間がかかってもきちんと決めるというのは当たり前のことでありまして、それができていれば、そういう全体の流れを見ながら、それが最後で首相が口を挟むようなことが起こってくるかもしれませんけれども、その情報の流れと決断の流れを首相にまでずっと見えるようなそういう体制を、この情報化の時代ですからつくりながら、そして、こういうことが起きたらこうするというあらかじめのマニュアルというのをちゃんとつくっておいてもらうというのが、これから一番必要になるんじゃないかというふうに思います。
以上です。
宮
宮野廣#20
○宮野参考人 私は、その判断を必ずやるんだ、安全に対する判断、原子力安全というものに対する判断を行うということなので、それはできますし、やるべきだというふうに思います。
それで、稼働する、しないという問題と原子力安全を確認するという問題は、私は全く別問題だと思います。
原子力発電所をどういうふうに使うか。先ほど申し上げました、選択肢はいろいろあると思いますが、どういうふうにするかは国民の合意が必要ですし、それは政治的な判断が必要なところだというふうに思います。
それから、安全については科学技術的に判断をするというのは、それは必要なことですし、単に科学的な判断というのは、式をどうのこうのつなげてというだけではありません、科学の中でもマネジメントをしなきゃいけない。要するに、全体をどう考えるかというのは、皆さん意見が多分違うんです。そこの中でどう結論を出していくかということがその委員会もしくは委員長の見識にかかわるところでありまして、それが重要なところだというふうに思います。
そういう意味では、十分にそこに責任を持つことができると思いますし、その結果は、当然、国、首相にも上げるべきでありますし、その後の判断は国としてやることが必要なことが出てくるというふうに思います。
以上であります。
この発言だけを見る →それで、稼働する、しないという問題と原子力安全を確認するという問題は、私は全く別問題だと思います。
原子力発電所をどういうふうに使うか。先ほど申し上げました、選択肢はいろいろあると思いますが、どういうふうにするかは国民の合意が必要ですし、それは政治的な判断が必要なところだというふうに思います。
それから、安全については科学技術的に判断をするというのは、それは必要なことですし、単に科学的な判断というのは、式をどうのこうのつなげてというだけではありません、科学の中でもマネジメントをしなきゃいけない。要するに、全体をどう考えるかというのは、皆さん意見が多分違うんです。そこの中でどう結論を出していくかということがその委員会もしくは委員長の見識にかかわるところでありまして、それが重要なところだというふうに思います。
そういう意味では、十分にそこに責任を持つことができると思いますし、その結果は、当然、国、首相にも上げるべきでありますし、その後の判断は国としてやることが必要なことが出てくるというふうに思います。
以上であります。
飯
飯田哲也#21
○飯田参考人 皆さんほぼ共通した意見だと思いますので、私も繰り返しになりますが、先ほどおっしゃった、まず平時の場合で言う再稼働であるとか、その後の原子力政策を推進云々という話は、これは、原子力規制庁とか規制委員会、どちらであっても、それは安全性だけの判断ですから、考慮すべきことではない。これは当然のことです。
それは全く別のもので、そして異常時の場合は、基本的には委員長がきちっと原子力の専門として判断されるべきだと思いますが、それがさらに多領域にわたって自衛隊云々ということであれば、総理に戻すか、別途FEMAのような組織を考えるかということをまたやればいいわけであって、委員会で全く私は問題ないというふうに思います。
この発言だけを見る →それは全く別のもので、そして異常時の場合は、基本的には委員長がきちっと原子力の専門として判断されるべきだと思いますが、それがさらに多領域にわたって自衛隊云々ということであれば、総理に戻すか、別途FEMAのような組織を考えるかということをまたやればいいわけであって、委員会で全く私は問題ないというふうに思います。
吉
吉川政重#22
○吉川委員 ありがとうございます。
今、与野党の議論の中で、組織のあり方と、もう一つは、最終的に災害時に首相のいわゆる指示権というものを全て排除するのか、それとも、それは最終的には一定残した方がいいのかということも今協議の中で議論をされているというふうにお聞きしております。
これについても再度先生方にお尋ねするんですけれども、今、原災法のもとで最終的に指示権というのは首相にあるんですけれども、これはやはりなくした方がいいとお考えなのか、それとも、これは従来どおり残した方がいいというふうにお考えなのか。時間がありませんけれども、これをもう一度先生方にぜひお尋ねしたいと思います。
よろしくお願いします。
この発言だけを見る →今、与野党の議論の中で、組織のあり方と、もう一つは、最終的に災害時に首相のいわゆる指示権というものを全て排除するのか、それとも、それは最終的には一定残した方がいいのかということも今協議の中で議論をされているというふうにお聞きしております。
これについても再度先生方にお尋ねするんですけれども、今、原災法のもとで最終的に指示権というのは首相にあるんですけれども、これはやはりなくした方がいいとお考えなのか、それとも、これは従来どおり残した方がいいというふうにお考えなのか。時間がありませんけれども、これをもう一度先生方にぜひお尋ねしたいと思います。
よろしくお願いします。
木
木村真三#23
○木村参考人 私にはわかりません。
これはもっと審議すべきことであって、今ここで私のような者が答えられるようなものではなくて、私は緊急時については専門家ですが、その平常時については私自身が専門家ではないので、この場で申し上げるようなことはございません。
以上です。
この発言だけを見る →これはもっと審議すべきことであって、今ここで私のような者が答えられるようなものではなくて、私は緊急時については専門家ですが、その平常時については私自身が専門家ではないので、この場で申し上げるようなことはございません。
以上です。
北
北澤宏一#24
○北澤参考人 安全規制の範疇内に属するのか、それとも国が危うくなるといったような、今回もそういう危険性があったわけでありますけれども、国全体がだめになるというようなそういったことまで予想されるような事態において首相が関与しないはずがない。
これは、安全だけで言える問題と、それから、避難の仕方とかそういったことまで含めて、首都圏の人たちがみんなどこに逃げていくのか、そちらの方にも原子炉があるのかどうかとか、いろいろなことを考えての判断というのはこの規制庁だけでできることではありませんから、最後の最後に、国全体にかかわる問題に関して首相が責任を持つのは当然だというふうに私は考えます。
この発言だけを見る →これは、安全だけで言える問題と、それから、避難の仕方とかそういったことまで含めて、首都圏の人たちがみんなどこに逃げていくのか、そちらの方にも原子炉があるのかどうかとか、いろいろなことを考えての判断というのはこの規制庁だけでできることではありませんから、最後の最後に、国全体にかかわる問題に関して首相が責任を持つのは当然だというふうに私は考えます。
宮
宮野廣#25
○宮野参考人 これも何度も申し上げておりますが、技術の範疇は規制委員会。先ほど、深層防護の話を申し上げました。第四層まではきちんと守るというのは、これは委員会の責任です。それが危なくなったとき、第五層をやるのは国です。
そういう意味では、お互いに切れているわけじゃなくて、連携をとりながらやることが重要なのであって、今、北澤さんが申し上げましたように、国の問題にかかわるところは、当然ながら、首相がやるのが当たり前です。それはかわりの誰かがやっても構いませんが、国としての判断は別にやることであって、この委員会は、安全規制の範疇で責任を最後まで持つということだというふうに思います。
以上です。
この発言だけを見る →そういう意味では、お互いに切れているわけじゃなくて、連携をとりながらやることが重要なのであって、今、北澤さんが申し上げましたように、国の問題にかかわるところは、当然ながら、首相がやるのが当たり前です。それはかわりの誰かがやっても構いませんが、国としての判断は別にやることであって、この委員会は、安全規制の範疇で責任を最後まで持つということだというふうに思います。
以上です。
飯
飯田哲也#26
○飯田参考人 私も、最終的にはもちろん首相だと思います。
ただし、個別の各論のところまで指揮をするというよりは、一個一個の大きな責任権限に関するいわば任命責任と、その任命した責任者がきちんと答申を出して、それを受けて最終的には政治家が判断する、そこの仕分けがきちんと仕分けされる必要があるというふうに思っております。
以上です。
この発言だけを見る →ただし、個別の各論のところまで指揮をするというよりは、一個一個の大きな責任権限に関するいわば任命責任と、その任命した責任者がきちんと答申を出して、それを受けて最終的には政治家が判断する、そこの仕分けがきちんと仕分けされる必要があるというふうに思っております。
以上です。
吉
吉川政重#27
○吉川委員 どうもありがとうございました。
組織論、そうした組織のあり方、それから、それぞれ組織の権限、国のかかわり、これについて先生方から見識をいただきまして、ぜひこれを参考に、今後、この委員会の中で法案についての議論を深めさせていただきたいというふうに思います。
本日はありがとうございました。
この発言だけを見る →組織論、そうした組織のあり方、それから、それぞれ組織の権限、国のかかわり、これについて先生方から見識をいただきまして、ぜひこれを参考に、今後、この委員会の中で法案についての議論を深めさせていただきたいというふうに思います。
本日はありがとうございました。
生
柴
柴山昌彦#29
○柴山委員 自由民主党の柴山昌彦です。
参考人の皆様におかれましては、きょうは本当に御多用の中、ありがとうございました。
今御質問があったところと関係をいたしますけれども、民間事故調の報告書の中には、菅総理の緊急時の現場介入について非常に批判をされております。
「官邸による現場のアクシデント・マネジメントへの介入が事故対応として有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、全く影響を与えていないか、無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていたものと考える。」「政府のトップが原子力災害の現場対応に介入することに伴うリスクについては、今回の福島原発事故の重い教訓として共有されるべきである。」というように書かれております。
しかしその一方で、今お話があった、東電の清水社長による福島第一原発からの退避の申し出を退けた件については、「この撤退拒否が東京電力により強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイント」であったとまで評価をしているんですね。
私は、この二つの記述が相矛盾しているようにちょっと思えてしまいます。
撤退拒否ということの事実関係はいろいろとあると思います。ただ、事実関係はさておき、北澤参考人にお伺いしたいんですけれども、この民間事故調の報告書の撤退拒否に対する評価というのは、撤退拒否という内容を評価されているのか、それとも、それを菅前総理が指示したということを評価されたんでしょうか。明確にお答えいただきたいと思います。
この発言だけを見る →参考人の皆様におかれましては、きょうは本当に御多用の中、ありがとうございました。
今御質問があったところと関係をいたしますけれども、民間事故調の報告書の中には、菅総理の緊急時の現場介入について非常に批判をされております。
「官邸による現場のアクシデント・マネジメントへの介入が事故対応として有効だった事例は少なく、ほとんどの場合、全く影響を与えていないか、無用な混乱やストレスにより状況を悪化させるリスクを高めていたものと考える。」「政府のトップが原子力災害の現場対応に介入することに伴うリスクについては、今回の福島原発事故の重い教訓として共有されるべきである。」というように書かれております。
しかしその一方で、今お話があった、東電の清水社長による福島第一原発からの退避の申し出を退けた件については、「この撤退拒否が東京電力により強い覚悟を迫り、今回の危機対応における一つのターニングポイント」であったとまで評価をしているんですね。
私は、この二つの記述が相矛盾しているようにちょっと思えてしまいます。
撤退拒否ということの事実関係はいろいろとあると思います。ただ、事実関係はさておき、北澤参考人にお伺いしたいんですけれども、この民間事故調の報告書の撤退拒否に対する評価というのは、撤退拒否という内容を評価されているのか、それとも、それを菅前総理が指示したということを評価されたんでしょうか。明確にお答えいただきたいと思います。