中村梅吉 に関する国会発言

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2019-02-27 津村啓介 予算委員会第一分科会 衆議院

○津村分科員 私の意見としてというのは意味がわかりませんけれども、問題提起をさせていただきます。  最後に、三点目の裁判官訴追委員会のあり方について伺わせていただきます。  私自身が裁判官訴追委員でございます。  裁判官弾劾法十条三項は、訴追委員会の議事はこれを公開しないと規定しておりますが、この解釈について、訴追委員会の公式ホームページをのぞきますとこう書いてあります。「訴追委員会の議事は、公開しないことになっています(弾劾法十

2011-02-25 中島政希 予算委員会第三分科会 衆議院

○中島(政)分科員 おはようございます。  江田法務大臣に質問をさせていただきます。  先般、江田大臣の所信を私も法務委員として拝聴いたしました。その中で、座右の銘として江田三郎先生の言葉を引用されました。道というものはもともとあるものではなくて、歩く人が多くなればそこが道になるのだ。もともとは魯迅の言葉でしょうか。私、大変印象深く、感銘を受けて拝聴いたしました。  というのは、私が学生のころ、菅直人さんが、あきらめないで参加民主

2005-06-08 牧野聖修 内閣委員会 衆議院

○牧野委員 歴代の法務大臣の名簿を取り寄せてみました。片山哲さん、吉田茂さん、中村梅吉さん、植木庚子郎さん、田中伊三次さん、小林武治さん、前尾繁三郎さん、倉石忠雄さん、奥野誠亮さん、坂田道太さん、秦野章さん、最近では梶山静六さん、後藤田正晴さん等々のすばらしい重鎮の皆さんのメンバーがここには歴代の法務大臣として並んでいる。  それから、本会議を開いたとき、大体、内閣総理大臣の隣には歴代、法務、外務、大蔵、農林とずっと座ってきたんですよ

2000-10-12 佐藤道夫 選挙制度に関する特別委員会 参議院

○佐藤道夫君 二院クラブの佐藤と申します。  先ほど前田参考人は、野党議員の姿が一人も見えない、極めて異常であるということをおっしゃいましたが、私は少なくとも与党には属しておりませんので野党という立場でございます。どうか御認識を改めていただきたいと思います。  そこで、先ほどの清水参考人の御発言の中から、本法案の提案はまことに時期尚早であるというお言葉、それから提案の仕方がいかにもフェアではない、アンフェアであるということ、私、これ

1996-03-14 山口鶴男 地方行政委員会 衆議院

○山口(鶴)委員 地方行政委員会で質問に立ちますのは四年ぶりでございまして、大変懐かしく存じます。ただ、今、国会が大変異常であることを私残念に思います。  私も長い間議運の理事として、あるいは国会対策委員長として、書記長として国会運営に携わってまいりました。何か、昨日イギリスの下院議員が国会にお見えでございまして、第一委員会室前でのこの座り込みの状況を見まして、我が国の国会ではこのような事態はない、こういうお話をされたということを本日

1991-08-30 木島日出夫 法務委員会 衆議院

○木島委員 まさにほとんど使われてない。  それで、この議事録の昭和四十九年四月二日の法務委員会の質疑において、中村梅吉国務大臣、それから当時の川島政府委員、法務省です、川島一郎法務省民事局長答弁、質問者からこの制度がいかに当事者の権利を侵害する害悪があるか、それをどうするんだということを詰められたのに対して、例えば川島一郎政府委員、こう言っているのですよ。  従来、商事調停、鉱害調停にあってはほとんど  利用されていなかった、今

1988-04-26 田村元 商工委員会 参議院

○国務大臣(田村元君) 全くそれは私も同感でございます。  もう時間がないところでこういうことを言うのは恐縮ですが、私は昭和三十五年に建設省の政務次官をしたことがあるんです。そのときの大臣が中村梅吉先生でございました。中村梅吉先生は昭和三十六年度から始まる道路整備計画二兆一千億の有名な五カ年計画でございましたが、それを発足せしめるに当たって共同溝というものに重点を置けと、すべて共同溝に埋めるようにしなさい、そうすれば下水道にも使えるし

1984-08-08 弥富啓之助 議院運営委員会 衆議院

○弥富事務総長 まず最初に、元議長故中村梅吉先生に対する弔詞贈呈の件につきまして、議長から報告がございまして、弔詞を朗読されることになります。  次に、議長発議で、戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案の参議院回付案を緊急上程いたします。共産党が反対でございます。  次に、動議によりまして、本日の日程に掲載されております四百二十三の請願とともに、本日委員会の審査を終了いたしました四十九の請願を追加して、合計四百七十二の請

1984-08-08 小沢一郎 議院運営委員会 衆議院

○小沢委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  なお、中村梅吉君に対する弔詞は、本日の本会議において、議長からその贈呈を報告し、弔詞を朗読されることになります。  その際、議員の方は御起立を願うことになっております。     ―――――――――――――

1984-08-08 小沢一郎 議院運営委員会 衆議院

○小沢委員長 これより会議を開きます。  まず、元議長中村梅吉君逝去につき弔詞贈呈の件についてでありますが、去る四日、元議長中村梅吉君が逝去されました。  ここに謹んで哀悼の意を表します。  弔詞につきましては、前例に従い、お手元の印刷物のとおりの特別弔詞を贈呈いたしたいと存じます。  この際、事務総長の朗読を求めます。     〔事務総長朗読〕  衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議をもってその功労を表彰され さきに

1984-08-08 福永健司 本会議 衆議院

○議長(福永健司君) 御報告いたすことがあります。  元本院議長中村梅吉君は、去る四日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。  つきましては、議院運営委員会の議を経て同君に対する弔詞を贈呈することといたしました。これを朗読いたします。     〔総員起立〕  衆議院は 多年憲政のために尽力し 特に院議  をもってその功労を表彰され さきに本院議長  の要職につき またしばしば国務大臣の重任に  あたられ終始

1982-12-09 中曽根康弘 本会議 衆議院

○内閣総理大臣(中曽根康弘君) 田川議員の御質問にお答えを申し上げます。  まず、松村謙三先生との関係について御質問がございまたが、松村先生は、私が最も尊敬している政治家でございます。松村先生は高橋達之助先生とともに、日中関係の打開に生涯を使われた方でございます。  その前は高崎先生がおられ、それから松村先生が引き継いだのでございますが、私は、高崎先生のころから先生に非常にかわいがられ、また松村先生からも引き続いてかわいがられた一人

1981-04-28 稲葉誠一 法務委員会 衆議院

○稲葉委員 そのとおりですね。そこでいろいろな問題が出てくるんですよね。いまの企業会計原則の問題が出てきたでしょう。これはどうして法律にしないの。  これは、この前四十九年のときに、中村梅吉法務大臣は、これは立法化しようということをここで言われているのですよ。立法化とはっきりは言わぬけれども、そういう意味のことを言われていますよ。企業会計原則というものを、内部的な機構としてやらないで、立法化してそういう制度をきちんとしたものにしたい、

1978-10-18 鳥居一雄 逓信委員会 衆議院

○鳥居委員 電気通信省から分かれる当時、中村梅吉委員が、国内通信のもうからない部分だけ残して海外通信のもうかる部分を分けて会社にしていくことに問題はないかという趣旨の指摘をしている議事録がありますが、技術革新によって音声級回線の一年の一回線当たりのコストが三十分の一以下になっている時代に値上げなんてとんでもない話であって――よく、向こうの論議で言えば、床屋さんその他がこんなに値上がりしているじゃないか、そういう中で価格据え置きのまま今日

1977-04-13 中曽根康弘 ロッキード問題に関する調査特別委員会 衆議院

○中曽根証人 それはわれわれ幹部の間ではずいぶんやりました。われわれ幹部というのは、櫻内、大石、中村梅吉先生、野田先生、稻葉先生で、こういう間ではよく討議しておったわけです。  あのころは、福田さんの方はアヒルの水かきということをやっておりましたけれども、周恩来の方から手紙を拒否されたりして、福田さんではとてもむずかしい、そういう世論でありました。そして、田中さんならやれる、そういうのがまた世論でもあった。それから、当時といまの状況と

1977-04-13 中曽根康弘 ロッキード問題に関する調査特別委員会 衆議院

○中曽根証人 いい機会を与えられまして、ここで明確に申し上げたいと思います。  私があのとき田中総理を総裁公選で支援しましたのは、日中国交回復をぜひ実現したい、そういう念願からでありまして、びた一文も金なんかはもらっておりません。  松村謙三先生という方がおります。この方はその晩年を日中国交回復にかけておられた方で、私を一番かわいがってくれた大先輩でございます。私は松村先生を非常に尊敬し、先生の弟子であることを誇りにしておった人間で

1977-04-13 中曽根康弘 ロッキード問題に関する調査特別委員会 衆議院

○中曽根証人 児玉譽士夫氏との関係は、たしか昭和三十六年ころからであったと思います。河野一郎先生が池田内閣ができたときに新党をつくろうとされましたときに、河野先生が友人を集めて相談をなさいました。そのときに、当時河野先生の指導下にあった私と森清代議士と重政代議士がその席に招かれまして、新党をやるかやらぬかという話があった。そのとき私は、やるべきでない、そういうことを申した。その席に児玉譽士夫被告がおったと思います。そして、その後——その

1977-03-04 有島重武 予算委員会 衆議院

○有島委員 お渡しした資料の一番最初のところは、国語学習が大変きらいになった人が年とともにふえ、それから好きな人がだんだん減っていくという図表です。これは国立教育研究所調べです。  それから二番目は、これは名前を言ってもらいたくないと言うのですけれども、私たちはこういった資料を持っています。  もう時間がありませんから、そこで、私は現在の国語審議会のやっていらっしゃるお仕事は日本共通語に限られておるということを指摘したいわけです。こ

1976-07-29 稻葉修 ロッキード問題に関する調査特別委員会 衆議院

○稻葉国務大臣 おしまいの方からやりましょう、二番目の方から。  児玉、中曽根の関係について、私は立ち会っているから、昭和四十三年だと思うが、佐藤さんの三選のときに萩原吉太郎さんとそれから永田雅一さん、児玉ば出ていなかったけれども。そしてこっちの方は中村梅吉さんとか私とか中曽根さん、それから櫻内さん、大石さん、山中貞則さん、野田武夫さん、それはぴしっと記憶はきわめて定かなんです。それで財界の人から佐藤三選に中曽根派をまとめてくれぬかと

1975-03-20 永井道雄 予算委員会 参議院

○国務大臣(永井道雄君) 実は、いま先生が御指摘になりました学校の問題についても若干存じておりますけれども、確かにそういうふうに、先生方の行動というものに対する信頼が失われる場合もございます。他方において、非常によく御努力になっている先生もございます。われわれいま大いに努力いたしております点は、やはり先生方が現在子供に接触していく場合に、学校以外の進学塾のようなものも非常に盛んになってきておりまして、これは世の中でほとんどすべての人が知