佐藤榮作 に関する国会発言
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○五百旗頭参考人 失礼します。 このような重要な審査会にお招きいただいて、光栄に思い、感謝しております。 私は、学者、歴史家でありまして、インテリジェンスコミュニティーのメンバーではありませんし、情報セキュリティーの専門家でもない。その面では素人でございます。ただ、歴史家として、機密文書の旺盛な利用者、消費者として過ごしてまいりました。 第二次大戦中のアメリカの対日政策について、アメリカ公文書に基づく研究をやっておりましたが
○伊吹委員 総理の今の御答弁を、政府というお立場で、できるだけそのような人間をつくり出すための政策をスピードを上げてやってもらいたいということです、私がお願いしているのは。認識は一緒だと思いますが、どうも私の判断では、アクセルは随分勢いよく踏まれているんだけれども、今申し上げた自己抑制とか人間の品性を守っていくという方のブレーキの踏みぐあいを少し調整してもらいたいなというのが私の率直なお願いでございます。 それで、私は保守主義という
○村田国務大臣 加藤委員から過去の経緯を踏まえた非常に詳細な御質疑がありまして、余りに場面が緊迫をしておりますので、最後に一言だけ、私、例え話をさせていただきたいと思います。 私は、昭和三十二年のころ自治庁長官の秘書官をしておりました。当時の大臣は青木正さんであります。そして、青木正さんが警職法を担当せられることになって、愛知揆一法務大臣が自治庁長官を兼務されました。私は引き続いてその秘書官をやったのでありますが、当時大蔵大臣は佐藤
○上田(哲)委員 総理、私は、核兵器をつくらず、持たず、持ち込ませずと佐藤榮作総理がこの場で議論をしながら、その言葉がいわゆる非核三原則として定着していった経過を経験していますね。これはとにかく大事なことですよ。国会論議の中で、国論の最高機関であるこの国会の議場の中でそうした議論を積み重ねる中で、つくらず、持たず、持ち込ませずということが、いつの間にやらと言うと言葉が当たらないかな、自然のうちに成熟して一つの非核三原則という言葉に結実を
○和田(静)委員 この減税問題というのは、実はいろいろ経過がありまして、例えば秦野章さんが立候補されたときに四兆円という出し方がありました。私は当時参議院ですが、参議院の本会議で佐藤榮作総理といろいろの論戦をやらしていただきましたが、自治が尊重をされるという意味でそこに整合性を持っていくということについて、私は反対じゃないんですから、そういう意味で自治大臣、この一兆円減税というのは、もうじかに地方財政法五条にひっかかってくるわけですね。
○楢崎委員 後ほど申し上げますけれども、かつて朝鮮戦争のときに、当時は帝国海軍の生き残りの掃海部隊を海上保安庁が受け継ぎました。そして朝鮮戦争に米軍司令官の要請で派遣をし、二十隻です、そのときは、二隻爆沈して、一隻は座礁して、そして一人が亡くなられて、十七名が負傷されたという事件があります。この事件を、こういう内容を明らかにしたのは、ジェームス・E・アワーというアメリカの海軍少佐、この人は掃海艇長の経験がある方で「よみがえる日本海軍」と
○及川一夫君 本来の意味の仕事の重要性、電気通信事業をそういう立場でとらえていますと、それはよしとしましょう。ただ、電気通信事業の主役はどこにあるのかということになれば、電気通信で言えばNTTでありNCCである、一種で言えばそういうふうに一応なっています。しかも、これは経営の自主性ということを前提にして民間の活力を入れて、競争の原理を入れて必死になってサービス向上のためにやらねばならない立場ですね。郵政省はそういう立場にあるのだろうか。
○三浦委員 もうまともに答弁をされませんので、私の方から申し上げましょう。 これは対等とか平等とかの立場とか、自由意思で行われたものじゃありません。私は、ここに証拠を持ってきています。歴史の事実は、日本が武力によってさまざまな条約を韓国に強要して、そして朝鮮を侵略していったということを物語っているじゃありませんか。 私は、限られた時間ですから簡単に申し上げますけれども、この乙巳保護条約の調印の実態はどうなっているのか。先ほど言い
○国務大臣(森山眞弓君) 昭和四十四年の佐藤榮作総理大臣の御答弁の内容につきましては、私も記録をたどってみたわけでございますが、佐藤総理は「国会の御承認を得られないようなずさんな決算や行政は行なっておりませんので、そのような心配は御無用かと存じます。」とまずおっしゃっているわけでございます。そのことは現在の内閣につきましても同じでございまして、必要でございますれば、御説明を十分尽くして御理解をいただきたいというふうに考えております。
○種田誠君 官房長官の御見解のように私どもも努力をしてまいりたいと思うのですが、先ほど来の喜岡委員の御質問にもありましたように、今回の決算の中にも、多々予算上大きくこれから反映させなければならない重要問題が指摘されているわけであります。そういうことを考えますと、決算が不幸にして御承認を得られなかった、このような事情もあるかと思われます。 そのようなことを考えた場合、過去の国会における質疑の経過などを顧みた場合に、古くは昭和二十一年七
○中山国務大臣 私どものこの日本国が戦争で敗れて、沖縄返還という問題が長年の国民の願望でございましたし、また、北方領土の返還というものもあわせて国民の長い念願でございました。佐藤榮作総理の大変な御苦労で沖縄が返還されたことは、沖縄御出身の先生もよく御理解をいただいているところでございますが、大変な苦労が払われてきた経過がございます。 そういう意味も踏まえまして、私どもはこれから始まる日ソ間のこの交渉につきましても、言語に絶する双方の
○上田(利)委員 村岡郵政大臣、旧逓信大臣に、旧逓信大臣ということを含めてお尋ねをいたします。 先ほど阿部先生から、「あまねく」につきましていろいろとその持つ言葉の意味などについて御質問がございまして、的確な御答弁を郵政大臣からいただいておるわけでございますけれども、実はつい最近、小学校六年生が国会見学に参りまして、国会の仕組みや何かを私、お話をしたわけでございます。その中で、十八の常任委員会が衆議院にはありますよ、そしてその中に逓
○上坂昇君 ただいま議長から御報告がありましたとおり、本院議員亀岡高夫先生は、去る三月十三日、日大板橋病院において逝去されました。 亀岡先生は、二月二十四日の大喪の礼に参列されましたが、式の開会直前にお体の不調を訴えられ入院されました。激動の昭和の時代に別れを告げるようにみぞれまじりの雨が降りしきり、寒さが身にしみるときでしたから、私ども参列者ひとしく先生の御容体を案じ、一日も早い御回復をお祈り申し上げておりましたが、三月に入り一時
○佐藤昭夫君 あなたの六十二年度の所得は、これは所得税から逆算をして出てくるわけであります。現にそういう報道などもありますけれども、六十二年度の所得は約四千三百万円だ。ここから所得税、住民税、固定資産税というものを引きますと約二千万円が可処分所得となる。ところが、あなたは佐藤榮作さんの屋敷を月百万、そうすると年千二百万。また、河口別荘の借り賃月八十万、年九百六十万を支払う。こういうことになりますと、これだけで年間二千百六十万円。二千万円
○国務大臣(竹下登君) 私は、内閣官房副長官、長官、長いことその仕事をしておりましたが、佐藤榮作先生に、国会で物を言うときには行政府としての立場を逸脱した言葉を言ってはならないということを教わってまいりました。したがって、少し窮屈のように私自身が、これは国会そのもの でお決めになることでございますと、こう申してきておりますが、今の峯山委員の御質問に対して私なりに考えておることを申し上げるといたしますならば、まず一つは、これも白けてしま
○安井委員 食い違ったままでずっと今でも来ているというのは非常におかしいことなんですけれどもね。 いずれにしても、今も国会答弁を取り上げてお話がありましたけれども、私もいろいろ調べてみても、当時の佐藤榮作総理大臣は、北についての請求権というのは全く白紙だということを繰り返しておりますし、一九七四年の木村俊夫外務大臣などは、現在の韓国ないし韓国政府が朝鮮半島全体における唯一の政府であるという認識は日本政府は持っていませんというふうには
○粕谷国務大臣 私も東京生まれの東京育ちですから、沖縄の長官を拝命しましたときには率直に申し上げていささか意外な感じを受けないでもなかったのでございます。しかし、長官になりましてからしみじみと人間社会の因縁などというのを思い起こしたりしまして、私の師匠は佐藤榮作先生でございましたから、先生が政治生命をかけて返還に努力した、末弟である私がその沖縄の担当大臣になるのも何かのえにしかななんて思ったりしています。 何回か沖縄をお訪ねしており
○坂上委員 第一線の検察は、造船疑獄でこの指揮権が発動になって、中には辞表を出す、中には上司に強い談判をする、いろいろのことがありまして、第一線の検察の諸君に大混乱を与え、検察官自身が検察に対する不信を言ったわけでございます。これは間違いない事実でございます。そのことのために、当時指揮権発動いたしました犬養法務大臣が辞職をなさったということになっておるわけでございます。指揮権発動の結果、罪を免れましたのが佐藤榮作氏だと言われておるわけで
○山口鶴男君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員福永健司先生は、去る五月三十一日、入院先の社会保険大宮総合病院において、七十七歳の生涯を閉じられました。まことに痛惜の念にたえません。 私は、ここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、謹んで哀悼の言葉を申し述べます。 私が先生と親しく言葉を交わす機会を与えられましたのは、昭和四十五年、モナコで開催された列国議会同盟春季会議に同行したときでございました。 「僕は
○大矢委員 この差別につきましては大変な歴史があるようであります。その歴史の中で、昭和四十年八月十一日に同和対策審議会の答申が、会長木村忠二郎さんから内閣総理大臣佐藤榮作さんあてに出されました。この答申に盛られておりますこと、本当に長い間の差別の歴史、そして、それを許さない、今後このようなことがあってはならぬということがすべて書かれておると思います。ただこの中では、任務ではないということで、同和地区の起源を学問的に究明することは答申の中