松岡駒吉 に関する国会発言

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2001-04-02 平野貞夫 決算委員会 参議院

○平野貞夫君 私も報償費の重要性というのは結構若いころから聞かされていまして、実は私、若いころ、政治の理想に走り過ぎていたころ、衆議院議長や副総理をやられた林譲治先生から、政治というのはこんなに現実的なものだ、余り理想に走るなといってお説教されたときに、昭和二十年の米よこせデモが官邸を取り巻いて皇居前いっぱい大騒ぎになったときに、これは帝国議会のころでございますけれども、第一次吉田内閣ですが、そのときにどうしようもなくなって、当時の労働

2000-03-09 古関彰一 憲法調査会 衆議院

○古関参考人 古関でございます。  私に与えられました依頼状によりますと、日本国憲法の経緯ということでございます。  日本国憲法の経緯ということですと、ほぼ連想ゲームのように、押しつけであったのかなかったのかということが言われてきておるわけで、私は、皆様のお手元にレジュメのようなものを配らせていただいてあるかと思いますが、まず、押しつけ論というものはどこから出てきているのか、何が起源なのかというところからお話をさせていただこうと思い

1987-07-15 川俣健二郎 予算委員会 衆議院

○川俣委員 政府委員のお話は、時間がなくなったので結構です。  そこで、雇用問題ですが、労働基準法の改正が近く審議されるということで、私たちも意見を出しながら、あるいは労働四団体も出しておるわけですが、いよいよ労働基準法、戦後四十年、松岡駒吉でしたかね、労働大臣。この労働基準法というのは聖域というか、手をつけられなかった。代代の内閣は手をつけられない。野党は野党なりに、何となくこれに手をつけると不気味だった。憲法と言われるくらいのもの

1981-03-31 角屋堅次郎 内閣委員会 衆議院

○角屋委員 私は今回の質問に当たって、先ほども触れましたように、昭和二十八年の時点で、当時第十六国会で恩給法の一部を改正する法律案というのを当内閣委員会でいろいろ議論をされましたときの議事録、さらに二十八年の七月二十二日に衆議院本会議で通ります際の当時の稻村順三委員長の本会議報告、それに対するわが党の当時の神近市子さん、あるいはまた当時左右に分かれておりましたから、高橋等さんやあるいは高瀬博さんや堤ツルヨさん、濱地文平さん、こういう方々

1981-02-25 小林進 法務委員会 衆議院

○小林(進)委員 先ほどの問題と違いまして、いまの問題はひとつ早期に加入する方向ということで、前向きの御答弁がありました。これは非常に結構だと思います。  参考までに申し上げまするけれども、五十三年四月十八日、参議院の文教委員会で同じくこの問題でも附帯決議が行われておりまして、「著作隣接権保護の徹底を図るため、「実演家、レコード製作者及び放送事業者の保護に関する条約」にすみやかに加盟すること。」と、ぴたっとやはり立法府の意思が明確にな

1979-02-27 西宮弘 予算委員会第二分科会 衆議院

○西宮分科員 私も、ぜひそうあってほしい。また、そうするという道を歩んで、われわれの終局の理想に近づいていくという以外にはないのじゃないかと思います。  大変偉そうなことを言うようで恐縮でありますが、ここで、日本におけるいわゆる世界連邦というか、世界国家というか、そういうものの思想の系譜を若干御披露しておきたいと思うのです。  まず、幕末の碩学佐藤信淵、この人は「混同秘策」という書物をあらわしまして、その中で今日言うところの世界連邦

1978-03-03 西宮弘 予算委員会第二分科会 衆議院

○西宮分科員 実は私、この問題をこの機会にお伺いをいたしますのは、そこまで運んで大変結構だと思うのですが、私は常任委員会が法務なものですから……。  新聞報道によりますると、この国際人権規約の批准について一番問題になっているのは法務だというふうに、ある新聞が書いておったわけです。そこで私は、去年の国会で、法務委員会でそのことを指摘をいたしましたけれども、当時、法務大臣は就任間もないころでもありましたし、非常にはっきりしなかったわけです

1978-02-15 西宮弘 法務委員会 衆議院

○西宮委員 当然わかり切ったことをあえてお尋ねをいたしましたのは、これは法務省入管局で出した書物でありますけれども、それには法務省を人権擁護の府と呼んでいるわけですよ。たとえば文部省が学問、教育の府であると同じように、人権擁護の府、これが法務省なんだ、こういう言葉が入っているわけです。私も非常にそれは共鳴をしたわけです。人権擁護の府が、日本人の人権擁護については法務省の重大責任だ、こういうことを明らかにした一つの表現だと思うので、ぜひそ

1976-05-18 大出俊 内閣委員会 衆議院

○大出委員 妙なことをあなたはおっしゃいますがね。国土庁設置法というのは、これはあなたの方が出したのじゃないんだ。しかも、出てきたものを各党の皆さんにお集まりをいただいて、私の手元で、法制局の方とも相談をして、ほとんど全部中身を変えた。企画局、調整局とあった、それを私のところで企画・調整局と一本にした。途端に、いまだから申し上げるが、田中総理から横やりが入ってきたいきさつがある。そういういろいろあって、切り離して水資源をつくったんだ、わ

1974-08-08 大出俊 内閣委員会 衆議院

○大出委員 元公務員であった内田先輩が、国家行政組織法という法律はいかにいいかげんな法律であるかということで、昔御質問なさっている議事録を読みましてい私は感心した。実はたいへんな卓見でございまして、いま行政管理庁が出しているような改正案どころじゃない。よっぽど筋が通っている。あの国家行政組織法が政府から提案されたときに、衆議院の議長松岡駒吉さんはじめみんなでぶった切ってしまった。だから、全くふできな法律ですよ。そこをきちっとお突きになっ

1974-03-23 大竹平八郎 予算委員会 参議院

○大竹平八郎君 関連。  労働大臣にお尋ねいたしたいんですが、というのは、中労委のあり方、これについてお尋ねしたいと思うのであります。と申しますのは、いまからもうだいぶ、四十何年前ですが、日本のいわゆる労働運動のすこぶるはなやかな時代があったわけです。私は大正末期から昭和初期の大きな労働争議は、全部というほど体験いたしております。西尾君のリーダーの、ある銅山の問題とか、松岡駒吉君のリーダーの野田大争議とか、こういう問題を見まして、当時

1974-03-08 大出俊 内閣委員会 衆議院

○大出委員 これは、一ぺんあなた方のほうで——関係の職員の方の心配というのは、管理の責任ある立場からすれば除かなければなりません。そういう意味で、もちろんできる話、できない話がおありになりましょうが、しかし世の常のあり方として、どこの省でも、この種の問題は、回を重ねて何とか話をつけなければならぬ性格のものでありますから、そういう意味で、ぜみ話し合いを詰めてみていただけぬか、こう考えるわけでありまして、私ども事情を聞いてみて、第三者として

1973-12-12 田中角榮 予算委員会 参議院

○国務大臣(田中角榮君) 通年制という問題につきましては、これは過去にもずっと議論されてきた問題であることは、あなたも私と同じころから出ておりますから、よくおわかりになるとおりなんです。これは新国会法をつくるときからの問題でございます。しかし、会期制度ができたということは事実でございます。新憲法下第一回の衆議院は松岡駒吉議長、いまはない淺沼稲次郎氏が議運の委員長として、いまの国会法及び衆参両院規則で占領軍のメモとの折衝に当たったわけであ

1969-07-11 岡田利春 本会議 衆議院

○岡田利春君 ただいま佐々栄三郎君から懇切な御質問がございましたので、その質問に沿って御答弁申し上げたいと存じます。  昨夜の事態収拾に対して小平久雄君は一体どういう処置をもって対処いたしたのか、こういうお尋ねでありますが、これは先ほど私が提案理由の趣旨弁明で述べましたとおり、いわゆる社会労働委員会における一方的な強行採決は、これは不当にして何人も認めることのできないところでありまして、いち早く日本社会党、民主社会党及び公明党の三党の

1964-02-25 田原春次 社会労働委員会 衆議院

○田原委員 それはその起こった現象を言っているのであって、どうして部落が発生したかという点については、法務省の見解は明らかになりません。ここに私が調べた範囲の、部落の発生の学者の説を御紹介いたします。それに対する御見解を聞きたいと思います。  戦前でありますが、当時私はアメリカの中南部のミズリー州立大学というのに入っておった。それから、そのころニューヨーク州のシラキューズ大学に在学中だった、いま岩手の県知事をやっている千田正、それから

1963-06-22 角屋堅次郎 本会議 衆議院

○角屋堅次郎君 私は、提出者を代表し、ただいま議題となりました衆議院副議長原健三郎君の不信任決議案について、その趣旨を御説明いたしたいと存じます。(拍手)  まず最初に、決議の案文を朗読いたします。    衆議院副議長原健三郎君不信任決議案   本院は、衆議院副議長原健三郎君を信任せず。   右決議する。   〔拍手〕     理 由   衆議院副議長原健三郎君は、議長を代理し、あるいはこれを補佐し、公正な議会運営を果たす

1958-09-30 江崎真澄 議院運営委員会 衆議院

○江崎委員長 これより会議を開きます。  まず、本日の議事についてでありまするが、本日は、先般来御協議を願い、決定いたしました通り、まだ施政方針に関して岸内閣総理大臣が演説を行い、次に外交に関して藤山外務大臣が演説を行います。その所要時間は、おのおの二十分程度とのことであります。そのあとに建設大臣が、このたびの二十二号台風の被害状況の報告をいたします。その終了後一たん休憩いたしまして、参議院における国務大臣の演説が終りましてから、大体

1958-09-30 芦田均 本会議 衆議院

○芦田均君 本院議員松岡駒吉君は、去る八月十四日、病のために急逝されました、日ごろ元気な姿を見なれていたわれわれにとって、この悲報はまことに驚愕にたえないところであります。  私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、ここにつつしんで哀悼の言葉を申し述べます。(拍手)  松岡君は、明治二十一年四月八日、鳥取県岩美町に生まれました。町の高等小学校を卒業して後、機械工見習として舞鶴海軍工廠に入り、次いで北海道に渡って、室蘭製鋼所の旋盤

1958-09-30 星島二郎 本会議 衆議院

○議長(星島二郎君) 御報告いたすことがあります。議員松岡駒吉君は去る八月十四日、議員本間俊一君は去る八月二十日、議員小淵光平君は去る八月二十六日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。三君に対する弔詞は、それぞれ議長において贈呈いたしました。  この際、弔意を表するため、故松岡駒吉君に対しては芦田均君から、故本間俊一君に対しては竹谷源太郎君から、故小淵光平君に対しては栗原俊夫君から発言を求められております。順次これを許

1958-09-29 江崎真澄 議院運営委員会 衆議院

○江崎委員長 御異議なしと認めます。よって、さよう決定いたしました。  なお、追悼演説者につきましては、故松岡駒吉君に対しては芦田均君、故本間俊一君に対しては竹谷源太郎君、故小淵光平君に対しては栗原俊夫君がそれぞれ行われる旨、自由民主党と日本社会党から申し出て参っておりますが、そのように法定するに御異議はありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕