片山哲 に関する国会発言

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2023-02-20 池田憲治 予算委員会第一分科会 衆議院

○池田政府参考人 お答えいたします。  昭和二十二年十月の皇籍離脱につきましては、その皇籍離脱を審議した同年十月十三日の皇室会議におきまして、議長でありました片山哲内閣総理大臣から、今次戦争が終結しました直後より、皇族のうちから、終戦後の国内国外の情勢に鑑み皇籍を離脱し一国民として国家の再建に努めたいという御意思を表明せられる向きがあり、宮内省におきましても事情やむを得ないところとしてその御意思の実現を図ることとなり、この後、途中省略

2022-02-07 池田憲治 予算委員会 衆議院

○池田政府参考人 昭和二十二年の皇籍離脱につきましては、これを審議した同年十月十三日の皇室会議におきまして、議長である片山哲内閣総理大臣からその背景等が説明されており、その内容は次のとおりでございます。  今次戦争が終結しました直後より、皇族のうちから、終戦後の国内国外の情勢に鑑み皇籍を離脱し一国民として国家の再建に努めたいという御意思を表明せられる向きがあり、宮内省におきましても事情やむを得ないところとしてその御意思の実現を図ること

2020-12-03 小山永樹 外交防衛委員会 参議院

○政府参考人(小山永樹君) お答え申し上げます。  お尋ねいただきました皇籍離脱の経緯につきましては、本件が審議されました昭和二十二年十月十三日の皇室会議の会議録が宮内庁に残されております。この会議録におきましては、議長であります片山哲内閣総理大臣から、「今次戦争が終結しました直後より、皇族のうちから、終戦後の国内国外の情勢に鑑み、皇籍を離脱し、一国民として国家の再建に努めたいという御意思を表明せられる向があり、宮内省におきましても、

2020-02-19 池田憲治 予算委員会 衆議院

○池田政府参考人 お答えいたします。  宮家は、法定の制度ではなく、独立して一家をなす皇族に対する一般的な呼称であり、また、いわゆる旧皇族とは、昭和二十二年十月十四日に皇室典範の規定に基づいて皇籍を離脱した方々と承知しております。具体的には、山階宮、賀陽宮、久邇宮、梨本宮、朝香宮、東久邇宮、竹田宮、北白川宮、伏見宮、閑院宮、東伏見宮の十一宮家五十一方でございます。  その皇籍離脱を審議いたしました昭和二十二年十月十三日の皇室会議にお

2006-04-21 馬淵澄夫 国土交通委員会 衆議院

○馬淵委員 民主党の馬淵でございます。  この国土交通委員会、住生活基本法の審議に際しまして、私にも質疑の機会をいただきました。きょうは、この住生活基本法、いわゆる、この国の国民の住居並びにその生活を規範していく基本法でございます。  きょうは、その理念並びに我が国における住宅政策の基本的な考え方というものを、ぜひ大臣から国民の皆さん方に、わかりやすい、政治家としてのお言葉で御答弁をいただきたいと思っております。  さて、この住生

2005-06-08 牧野聖修 内閣委員会 衆議院

○牧野委員 歴代の法務大臣の名簿を取り寄せてみました。片山哲さん、吉田茂さん、中村梅吉さん、植木庚子郎さん、田中伊三次さん、小林武治さん、前尾繁三郎さん、倉石忠雄さん、奥野誠亮さん、坂田道太さん、秦野章さん、最近では梶山静六さん、後藤田正晴さん等々のすばらしい重鎮の皆さんのメンバーがここには歴代の法務大臣として並んでいる。  それから、本会議を開いたとき、大体、内閣総理大臣の隣には歴代、法務、外務、大蔵、農林とずっと座ってきたんですよ

2000-04-06 進藤榮一 憲法調査会 衆議院

○進藤参考人 大変難しい質問でございまして、可能な限りお答えしたいと思います。  基本として、私の考え方、現実認識というのは、憲法制定権者たちといいましょうか立法者たちがつくった憲法第一章のねらいというのから、今日の日本の天皇制というのは少し外れ過ぎているのではないかと思うのですね。  例えば、私は昨年二カ月コペンハーゲンに過ごしておりました。あそこは君主がいるのですけれども、君主というのは、イギリスでもそうですし、ヨーロッパでも、

2000-02-24 西修 憲法調査会 衆議院

○西参考人 御紹介いただきました西でございます。  このような席でお話をさせていただくことを大変光栄に存じております。よろしくお願いいたします。  本憲法調査会の目的は、日本国憲法について広範かつ総合的に調査を行うということでございます。そして、最初にいわば憲法成立過程について共通の認識を得よう、そういうところからスタートなさっていらっしゃる、こういうことに関して深い敬意を表したいと思っております。  イギリスの法諺、法律の格言に

1995-11-08 北橋健治 宗教法人に関する特別委員会 衆議院

○北橋委員 私の持ち時間は残念ながらあともう二、三分しかないのですが、実はこの問題は、やはり公党に対する各地ではらまかれている誹謗中傷、あるいはテレビという公器を通じたところで全く根拠のないことを、根も葉もないことを言っている。まさに宗教団体の代理戦争をあおるかのごとき、宗教を政争の具にするかのごとくいろんなことに使われているものですから、私どもとしては今の御答弁では納得ができません。恐らく同僚委員の方からさらに突っ込んでいただけると思

1994-07-22 久保亘 本会議 参議院

○久保亘君 私は、日本社会党・護憲民主連合を代表し、先般の村山総理の所信表明演説に関連してお伺いいたします。  私は、今この壇上で我が党の委員長に対して村山総理と呼びかけることに深い感慨を覚えるものであります。  私たち日本社会党が民主党、国民協同党の三党で片山哲委員長を首班とする連立内閣を成立させたのは一九四七年四月、まさに戦後の混乱と希望が同居する時代でありました。当時、国民は十五年戦争の惨禍とファシズムの暗い谷間から平和と民主

1993-04-27 自見庄三郎 政治改革に関する調査特別委員会 衆議院

○自見委員 いろいろな意見があって、これを国民が聞いていただくということは大変大事なことでございますけれども、一点だけ、古文書と言われましたけれども、決して古文書じゃない、今でもこの論議は、実はこの小選挙区制の批判が、反論が、今先生が言われましたように出ておるわけで、地方的人物が出るとか、競争が苛烈になるとか、新人が出られないとか代表されざる多数票とかですね。  ですから、やはりこれはイギリスではずっと続いている制度ですから、古いから

1993-04-27 佐藤観樹 政治改革に関する調査特別委員会 衆議院

○佐藤(観)議員 今自見委員の方から、片山哲さんの「小選挙区制を主張」という「選挙法改正の急務」、それから蝋山政道さんの「小選挙区制を断行すべし」というコピーをいただきまして、大変自見さんがいろいろな角度から研究されておることに敬意を表するわけでございますけれども、私が議会へ来て、昭和四十四年でございますが、その当時でも、あるいは先輩の方々からも小選挙区制の、過去そういった議論が党内的にはあった、あのとき小選挙区制にやっておけば政権はか

1993-04-27 自見庄三郎 政治改革に関する調査特別委員会 衆議院

○自見委員 そうですね。初代の委員長でございまして、言うまでもなく、戦後の第一回の新憲法によりまして当時の社会党が第一党になりまして、内閣総理大臣になられた方でございまして、社会党の初代の委員長ということでございます。御存じのように、私もちょっと勉強させていただきましたけれども、昭和二十二年ですか、第一回の今の中選挙区に大選挙区から戻って選挙をやった後の第一党の党首ということですね。当時、民主党とあるいは国民協同党で組閣をされたわけでご

1993-04-27 自見庄三郎 政治改革に関する調査特別委員会 衆議院

○自見委員 それでは、政治改革について質問をさせていただきたい、こう思うわけでございます。  今さっきからいろいろな論議があったわけでございます。小澤議員からも、必ずしも合理的な投票ではないというふうな大変正直な答弁もありましたし、選挙制度というのは、人間がつくるものですから、なかなか難しいところがあるというふうに私は勉強させていただいておるわけでございます。私もこの政治改革特別委員会の委員をさせていただきまして、各党各派の本当に真摯

1992-06-04 浅野勝人 議院運営委員会 衆議院

○浅野委員 本会議の審議・運営をどのように改革したらよいか。与謝野理事の発言と重複しますが、趣旨説明と採決の方法に絞って口火を切らさせていただきます。  趣旨説明についてですが、今私たちは、帝国議会の本会議中心主義から委員会中心制へ切りかえて、委員会の審査を重視しています。したがいまして、国会法五十六条は、議案が提出されたら議長は直ちに所管の委員会に付託し、委員会の審査が終わるのを待って初めて本会議の議題とすることを基本原則にしていま

1989-06-20 中村哲 外務委員会 参議院

○中村哲君 そうですが、これは私は聞き損なったことかと思うんですが。ただ、今ソビエトではグルジヤの問題とか等々、トルコ人の系統の人種の人たちとのトラブルがありますね。だから、自然にトルコについてソビエトの何か強い関心があるのかと思ったが、これについては全然ないんですか。――ああそうですが。それはその程度で。  それで、先般まだ国際的な反応・それからいろんな見解が十分わからなかった時期で外務大臣の中国に対する見解をお聞きしたわけなんです

1988-04-26 中村哲 外務委員会 参議院

○中村哲君 私自身も中国には最も早く、もう三十年も前になりますけれども、片山哲さんが前首相という資格で中国に招待を受けましたときに一緒に参りまして、中国側が日本に発言する場合には、当時の印象では相手が政府側であろうとまた民間であろうと言うべきことは言う、そして筋をきちんと通す、建前をきちんとするという、これを重んじておりまして、したがって最近の中国との間の光華寮問題なんかについても言うべきけじめをきちんとするということに非常に気を使って

1987-08-25 田口健二 内閣委員会 衆議院

○田口委員 そこで、外務省の朝鮮民主主義人民共和国に対する政策の問題で一点お伺いをしたいと思うのです。  先ほど申し上げましたように、日本と朝鮮半島はまさに一衣帯水の間柄でありますけれども、言われておるのは、北側については最も近くて遠い国という言葉が普通使われるほど国と国との関係は非常に厳しい状況にあると思うのです。これは私は、特に人的交流、このことの大事さというのも常々考えておりましたけれども、後ほどまた質問の中で出てくるのでありま

1982-03-01 竹本孫一 予算委員会第二分科会 衆議院

○竹本分科員 実は、私も二十年前に、星島二郎さんや片山哲先生と一緒にMRAのコーの会合に出たことがあるのです。二十年ぶりに昨年の八月、一週間以上コーに参りましていろいろいい経験をいたしました。そのとき驚いたことは、そのコーの会議に日本の外交官はだれも来ていないのですよ。  そこで、僕がいま大臣に要望を申し上げたいと思いますのは、そのコーの会議というのはまことに意味がある会議でございました。まず第一に、政治家会議というのがございましたけ

1979-08-30 原田憲 本会議 衆議院

○原田憲君 ただいま国権の最高機関である衆議院において、私の永年勤続表彰の御決議をいただき、まことにありがたく、心より深く感謝申し上げ、厚く御礼申し上げます。(拍手)  思えば、私が本院に初めて議席を持ちましたのは、昭和二十二年、新憲法下最初の総選挙の当選によるもので、弱冠二十八歳の年少議員でありました。  その後、病のため、立候補を断念したり、苦杯をなめる等、幾多の困難に当面いたしましたが、不屈の闘魂と懸命の努力により、再び本院に