野澤清人 に関する国会発言

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1974-03-22 松岡克由 決算委員会 参議院

○松岡克由君 ところが、理容師とか美容師というのは、行ってやってくれるという安心感があるのです。ところが安心感がないのです、この調理師の場合は。ないから困るのです。まだ板さんのほうがよほどあれがあるのですね。そのぐらい堕落しているのですね。これはなぜ堕落したかというと、こういうことなんです。御承知ですけれども、これは調理師法が成立したのは十六年前ですね。参議院の草葉隆圓という議員が中心になって、議員立法です。当時の社労委員会でやったわけ

1959-11-10 鈴木隆夫 議院運営委員会 衆議院

○鈴木事務総長 御説明申し上げます。日程に入るに先だちまして、ただいまおきめいただきました吉田さん外六名の議員請暇の件をお諮りいたしまして、それから日程に入りまして、日程第一、畑地農業改良促進対策審議会委員の選挙を行ないまして、次に、日程第二の中央更生保護審査会委員任命につき同意を求めるの件、次に、日程第三の社会保険審査会委員長任命につき同意を求めるの件をお諮りいたしまして、その次に、日米安全保障条約改定に関する藤山外務大臣からの報告が

1959-11-10 荒舩清十郎 議院運営委員会 衆議院

○荒舩委員長 次に、故野澤清人君に対する追悼演説についての件でありますが、本件は、御遺族との関係で延期されておりましたが、先ほどの理事会での話し合いの通り、右の追悼演説は、本日の本会議において日本社会党の大貫大八君が行なうこととするに御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1959-11-10 大貫大八 本会議 衆議院

○大貫大八君 私は、諸君の御同意を得まして、議員一同を代表し、去る十月十八日病のため逝去いたされました本院議員正五位勲三等野澤清人君に対し、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)  私は、野澤君とは郷里を同じゅうするばかりでなく、かつて作新学院の同じクラスで机を並べて勉強し、弁論大会において互いに競争した仲であります。政治家となってからも、所属政党こそ異にしていましたが、平素何かと親交を重ね、君の人格、識見に対しては日

1959-11-10 加藤鐐五郎 本会議 衆議院

○議長(加藤鐐五郎君) 御報告いたすことがあります。  議員野澤清人君は去る十月十八日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。同君に対する弔詞は議長において贈呈いたしました。  この際、弔意を表するため、大貫大八君から発言を求められております。これを許します。大貫大八君。     〔大貫大八君登壇]

1959-11-10 加藤鐐五郎 本会議 衆議院

○議長(加藤鐐五郎君) これにて質疑は終了いたしました。      ————◇—————  大貫大八君の故議員野澤清人君に対する追悼演説

1959-10-30 永山忠則 社会労働委員会 衆議院

○永山委員長 これより会議を開きます。  去る十月十八日、本委員会の理事として長年御活躍になっておられました野澤清人君が御逝去されました。つつしんで哀悼の意を表し、御冥福を祈りたいと存じます。      ————◇—————

1959-10-26 荒舩清十郎 議院運営委員会 衆議院

○荒舩委員長 なお、この際お諮りいたします。一昨二十四日の当委員会におきまして、故粟山博君及び故野澤清人君に対する追悼演説は、来たる二十九日国務大臣の演説に対する質疑が終了いたしました後、引き続き行なうことに決定いたしておりましたが、故野澤君に対する追悼演説につきましては、当日郷里において葬儀が行なわれるため、御遺族との関係もございますので、これを延期しまして、他日適当の日の本会議においてこれを行なうことにいたしたいと思いますが、御異議

1959-10-24 荒舩清十郎 議院運営委員会 衆議院

○荒舩委員長 次に、追悼演説の件についてでありますが、去る九月二十日、福島県第一区選出議員粟山博君が逝去されました。また、去る十月十八日、栃木県第一区選出議員野澤清人君が逝去されました。ここにつつしんで哀悼の意を表します。  つきましては、両君に対する弔詞贈呈についてでありますが、粟山君は在職二十三年三ヵ月でありましたので、前例に従い、お手元に配付いたしてあります通りの特別弔詞を、去る九月二十三日の葬儀当日に議長から贈呈いたしましたの

1958-10-03 園田直 社会労働委員会 衆議院

○園田委員長 これより会議を開きます。  まず御報告することがございます。本委員会所属の野澤清人君が、閉会中国政調査のため東北地方に出張視察中、病気のために倒れられまして、ただいま入院中でございます。遺憾ながら今日の国会規則その他においては、議員の公務中の疾病あるいは傷害等に対する保護、扶助の法律がございませんので、とりあえず出張延期をいたしておきました。なお議院運営委員会の方に、これに対する早急な立法措置を要求しております。その後経

1958-09-26 園田直 社会労働委員会 衆議院

○園田委員長 御異議なしと認め、そのように決しました。  次に理事の補欠選任についてお諮りいたします。ただいまの野澤清人君の辞任及び加藤精三君の委員辞任に伴い理事に欠員を生じましたので、補欠選任を行いたいと存じますが、これは委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1958-09-26 園田直 社会労働委員会 衆議院

○園田委員長 休憩前に引き続き会議を再開いたします。  この際理事の辞任についてお諮りいたします。理事野澤清人君より理事辞任の申し出がありますが、これを許可するに御異議ございませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

1958-04-24 植村武一 社会労働委員会 衆議院

○植村委員長代理 これにて趣旨の説明は終りました。質疑に入ります。野澤清人君。

1958-04-24 森山欽司 社会労働委員会 衆議院

○森山委員 これより会議を開きます。  去る十九日付託されました野澤清人君外五名提出の健康保険法の一部を改正する法律案を議題とし、審査を進めます。  まず提出者より趣旨の説明を求めます。野澤清人君。     ―――――――――――――

1958-04-23 高瀬傳 地方行政委員会 衆議院

○高瀬委員 私は自分の選挙区の大田原市並びに隣接の湯津上村の合併問題につきまして、いささか自治庁長官の所見をただしたいと思っておるわけであります。この問題につきましては、過日、わが党の野澤清人君が予算総会において、また社会党の相馬助治君が参議院の委員会において、郡長官の所信をただしたようであります。従って、それらの問題に関する自治庁長官の所見は、地元の、町村合併に関係しておるところの大田原市並びに湯津上村の住民に非常な影響を与えておるこ

1958-04-16 森山欽司 社会労働委員会 衆議院

○森山委員長 速記を始めて。野澤清人君。

1958-04-16 森山欽司 社会労働委員会 衆議院

○森山委員長 これより会議を開きます。  国民健康保険法案及び国民健康保険法施行法案の両法案を一括議題とし、審査を進めます。  質疑に入ります。野澤清人君。

1958-04-15 野澤清人 社会労働委員会 参議院

○衆議院議員(野澤清人君) だんだんと私ごとのお話が出まして、当選確実になったようでありますが、(笑声)事態は、そうした深刻なお話し合いも、衆議院の自民党、社会党では話し合いをいたしまして、当時は、もしこの前の立法通りの考えで、既得権だけを尊重するという考え方でいくならば、年限を切らないで、無期限で当分の間ということで野放しにしたらよろしいじゃないかという御意見もありまして、それから一部には、年限切らぬでおくということは、付帯決議、また

1958-04-15 野澤清人 社会労働委員会 参議院

○衆議院議員(野澤清人君) ただいまの藤田先生の御発言ですが、御参考までに、私の郷里のお話を申し上げておきますが、現在宇都宮市では、無免許者の同居雇用を禁じました。従って、学校へ行っておる者だけがインターンとして昼夜かせげるようなことになっております。これ以外は全部禁じましたので、かなり骨が折れるようですが、一つの良俗だと思います。御参考までに申し上げておきます。

1958-04-15 野澤清人 社会労働委員会 参議院

○衆議院議員(野澤清人君) 山下先生の御質問、御意見等は、全く私も同感でありまして、衆議院の方の前の法律改正のときに出ました話の経過から判断いたしますというと、先ほどの第一、第二と、二つの問題点を指摘されましたが、十九条の解釈等は、全く先生のおっしゃる通りであると私も承知いたしております。つまり、当時期日がなし、また相当な論議になったために、指圧だけはあんまの業態でもよろしいが、温熱とか電気、光線等を使うものは別個にやはり考えなければな