社会労働委員会医療保険制度に関する小委員会

1980-04-09 衆議院 全204発言

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会議録情報#0
昭和五十五年四月九日(水曜日)
    午前十時三分開議
 出席小委員
   小委員長 戸沢 政方君
      越智 伊平君    瓦   力君
      住  栄作君    田邊 國男君
      竹内 黎一君    八田 貞義君
      箕輪  登君    山崎  拓君
      湯川  宏君    大原  亨君
      金子 みつ君    前川  旦君
      村山 富市君    森井 忠良君
      谷口 是巨君   平石磨作太郎君
      梅田  勝君    浦井  洋君
      米沢  隆君
 出席政府委員
        厚生省保険局長 石野 清治君
 小委員外の出席者
        社会労働委員長 葉梨 信行君
        社会労働委員  田口 一男君
        参  考  人
        (日本医師会常
        任理事)    中山 昌作君
        参  考  人
        (全国自治体病
        院協議会会長) 諸橋 芳夫君
        参  考  人
        (健康保険組合
        連合会常務理
        事)      廣瀬 治郎君
        参  考  人
        (日本労働組合
        総評議会生活局
        長)      福田  勝君
        参  考  人
        (全日本労働総
        同盟生活福祉局
        長)      小寺  勇君
        社会労働委員会
        調査室長    河村 次郎君
    —————————————
四月九日
 小委員小沢辰男君三月二十七日委員辞任につ
 き、その補欠として八田貞義君が委員長の指名
 で小委員に選任された。
同日
 小委員前川旦君三月二十七日委員辞任につき、
 その補欠として大原亨君が委員長の指名で小委
 員に選任された。
同日
 小委員田中美智子君同日小委員辞任につき、そ
 の補欠として梅田勝君が委員長の指名で小委員
 に選任された。
同日
 小委員八田貞義君同日小委員辞任につき、その
 補欠として小沢辰男君が委員長の指名で小委員
 に選任された。
同日
 小委員大原亨君同日委員辞任につき、その補欠
 として前川旦君が委員長の指名で小委員に選任
 された。
同日
 小委員梅田勝君同日小委員辞任につき、その補
 欠として田中美智子君が委員長の指名で小委員
 に選任された。
    —————————————
本日の会議に付した案件
 医療保険制度に関する件
     ————◇—————
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戸沢政方#1
○戸沢小委員長 これより医療保険制度に関する小委員会を開会いたします。
 医療保険制度に関する件について調査を行います。
 本日は、本件につきまして参考人から意見を聴取することといたします。
 午前中は、日本医師会常任理事中山昌作君に御出席いただいております。
 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 中山参考人には、御多用中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございました。本件につきまして、忌憚のない御意見を承り、調査の参考にいたしたいと存じます。
 なお、念のため申し上げますが、本小委員会は医療保険制度改革の基本問題について調査を行うことになっており、健康保険法等の一部を改正する法律案の審査は行っておりませんので、御承知おき願います。
 次に、議事の進め方でございますが、まず参考人から御意見を二十分程度に要約してお述べいただき、その後、小委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。
 それでは、中山参考人にお願いいたします。座ったままで結構でございます。
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中山昌作#2
○中山参考人 中山でございます。貴重な発言の時間をいただきましたことをまず感謝申し上げます。
 初めにお断りしておきますが、私、医師ということでございますが、これからお話ししますことは、医師だけではなくて、医療関係者あるいは医療担当者といいましょうか、そのような方々全体に基本的に相通ずるものであろうと思うことをお話ししたいと思います。また、さらに広く言いますと、われわれが願う国民の健康という、その国民そのものと同じ立場で考えられているということを私は信じております。
 初めに、資料の説明を簡単にしたいと思います。
 四つほどございますが、武見会長資料としまして、「第六回医政研究委員会」というのがございます。これが資料の一番目とお考えいただきたいと思います。この中には、日本医師会がすでに昭和四十三年から抜本改正を唱えておりまして、その流れの中で検討されましたいままでのわが国における健康保険の問題点と、その問題点を解決するために、社会保険にかわるものとしては何が、どのような要件が必要かということが書いてございます。
 第一枚目のところに、「自由社会の医療」という、医療についての基本的な考え方の図がございます。
 一枚めくっていただきまして、ページ数では十四となっておりますが、その左下のところに、「社会保険に代わるもの」として十の要件が書かれてございます。これらの資料については、後ほどお目通しをいただければ幸いと思います。——失礼しました。表紙が外れているそうでございますので、ナンバー一、「世界の医療の流れ」となっております。ページが一ページから始まっておりまして、その一ページにありますのが「自由社会の医療」という概念図でございます。その次のページの左下にありますのが、社会保険にかわるものの要件を述べたものでございます。
 次の資料に移りますが、「健保法改正案作成にあたり学術的、社会科学的観点に立って要望すべき範囲と方向」という、やはり武見会長の文章でございます。これは昭和五十三年に出たものでございます。この中には、先ほど申しました日本医師会が多年主張してきました抜本改正の構想をさらに現代的に積み上げまして、特にその中で問題になりますのは老齢保険に対する予防給付、さらに言うならば、老齢保険を予防給付一本にしぼった形の、その点に関しては全く新しいアイデアを打ち出したものでございます。すでにお目通しの方もいらっしゃると思いますが、御一読願いたいと思います。
 三番目の資料は「Bioinsuranceの概念」というものでございます。これは昨年の世界医師会総会において武見会長が提出された文章でございますが、その中にやはり図が出ております。「未来の医療の社会進歩」というものでございます。
 これは医療制度全体を一つのフレームワークであらわしたものでございまして、一番上に「一般倫理」「特殊倫理」というものがありまして、それが両方相通ずるものとしてバイオエシックスという概念でまとめております。それらが、そこの図にありますように、医学の研究、教育、医療というものと互いにフィードバックしながら、医師あるいは医療関係者のアクティビティー、そして医療におけるフリーダムというものと関連し、それにさらに医療における公共性、特殊性が絡んでシステムができ上がっていく。しかも、その際に、経済が機能的にも構造的にも関与して出てくる。このような形で出てきたものでなければ、これらの医療制度を支える経済制度、特にその中の保険制度とはなり得ないということで、これは従来の保険、インシュアランスという言葉を使えば、どうしても古い概念がつきまといますので、全く新しい言葉をつくろうということでバイオインシュアランス、生保険あるいは生存保険と訳してもいいかもしれません、そのような言葉をつくり出したのでございます。したがって、インシュアランス、保険という言葉を使っておりましても、損害保険等に始まった従来の保険の概念は一切取り去って考えていただきたいと思うわけでございます。
 最後に、四番目には、昨日出された会長の「声明書」が入ってございます。これらも健康保険の基本的問題を考える上の参考となりますので、きょう提出させていただきました。
 本小委員会に呼ばれまして発言を求められました際に、私考えましたことは、いままでこの小委員会で非常に綿密な調査がなされていることは資料等によって拝見させていただいたわけでございますが、その中で、やはり一番基本的な総論部分を検討しておく必要があろうというふうに考えました。したがいまして、私はきょう総論部分についてお話をしたいと思います。すでに十分御承知のことの重複になるかもしれませんが、やはりその総論を踏まえて未来に向かっての方向を確定しておきませんと、幾ら各論部分で細かい議論をいたしましても、それが将来の進歩につながらないというおそれがございます。したがいまして、総論をお話しさせていただきたいと思います。
 まず、わが国の社会保障は公的扶助とかいろいろなものからでき上がっておりますが、その中で何といっても社会保険が最も大きな比重を持っているということは言えると思います。そして、この社会保険を統合して社会保障を行うということが、昭和二十五年の社会保障制度審議会の勧告にも盛られているわけであります。わが国の健康保険につきましては、強制加入ということで現在国民皆保険というふうになっておりますけれども、その制度は御存じのように分立しており、しかも加入する国民の側に立って考えれば、その分立した制度を選択する権利を持っていないという点を御注目願いたいと思います。しかし、これは現在社会保険とされているわけであります。したがって、医療保険を考えますと、社会保障としての機能が要求されているということをまず第一に考えなければならないと思います。
 そうしますと、それは医療保障ということになります。医療の保障ということになりますと、これは物の損害の保障という形ではどうしても補てんができません。戦後発達してきました人権意識にこたえ得るためにも、医療のそのものの給付、現物給付というものがまず絶対の必要条件になるということでございます。つまり、自由社会における人権を守るための医療保障という立場で物を考えていきたいと思います。
 以上から、まず医療についての理解が絶対に必要だということになるわけでございますので、大変僭越ではございますが、医療についての考え方を述べさせていただきたいと思います。
 医療とは何かという問いかけに対して、医療とは医学の社会的適用である、これはわれわれの会長である武見先生のいわば哲学でございます。と申しますのは、現実論として考えますと、医療というものは、医学の以前から、ヒポクラテスの、あるいはもっと昔からあるわけでございます。しかし、ここ一、二世紀の間、医学というものが科学的体系を備えてきたという現実を踏まえますと、どうしても医療はこの科学性を無視しては成り立たないということでございます。
 しかし、いま一点、医療が人間に対して行われるものであるということを考えますと、社会との関連というものを抜きにしては考えられません。ここに医療における人間関係が絶対に必要だということで、医療における科学性と人間性というもの、特に人間関係でございますが、この二つの必要さを強烈に物語った哲学であると私は考えます。
 もう一つ考えますことは、医療概念の拡大でございます。昔は、医療というのは痛みをとめたり、出血をとめたり、あるいは病気で苦しい、不安だという患者の苦痛をやわらげることに専念していたわけでございますけれども、医学がどんどん進歩し、それとともに公衆衛生というようなマスとしての対応の科学が進歩してきました。したがって、現在では、ただ病気の治療ということではなくて、病気になる前からの健康の増進、なってから後の治療、そして社会復帰までを含めて、さらに一人一人の人間の問題だけではなくて、地域の住民全体の健康の向上あるいは地域の健康度といいましょうか、人間を離れた地域環境そのものの健康度の向上ということまでにも貢献することができるようになってきたわけであります。この点を理解していただきたいわけでありまして、現代の医療はこのような広い範囲になっております。したがいまして、保健いわゆるヘルスという言葉を使いますが、私どもはメディシン、医療とヘルス、保健とは全くシノニム、同義語である、このように解釈しております。したがって、このような広い範囲を包括する医療をわれわれは包括医療、コンプリヘンシブ・メディシンというように呼んでいるわけであります。
 また、健康につきましても、WHOが言っておりますように、精神的、肉体的、そして社会的な健康ということももちろんでありますし、武見会長はこれを形態的、機能的、さらに遺伝的という言葉を使っております。この遺伝的というのは、先ほどのWHOの定義にも入り切れない広い範囲を含んだ将来へ向かっての健康であります。そのような広い健康を取り扱うというふうに考えていきたいと思うわけであります。
 これから先、今度は医療の特殊性について幾つか触れていきたいと思います。
 まず、医療の個別性であります。人間というのはホモサピエンスとしての一つの種の中に恐らく無限と言えるほどの個別性を持っております。この個別性というのは、人間の体だけではなくて、そこに起こる病気、あるいは病気によって起こってくる、あるいは治療によって起こってくる人間の体の変化にも個別性があります。この個別性に対応できなければ、医療というものは成り立ちません。また、そうでない医療は、患者の人権を尊重し、患者の自由を尊重したということにならないと思います。
 次に、医療の地域性であります。生物というのは環境によって変化をします。これは科学的に実証されております。入間も同じであります。その住む自然環境、社会環境によって変わっていく。したがって、そこに起こる病気も、それらによって変わってくるということであります。ここでエコロジー、環境科学というものが非常に大切になるわけであります。人間にとって最もなじみ深い環境というのは、家庭であります。そして、その家庭の存在する地域という、この二つが基本的な環境ということが言えると思います。この地域の環境特性とか地域における健康状況というものを離れて医療は成り立ちません。ここに地域医療というものの必要性が十分あるわけであります。日本医師会は、この点に注目いたしまして、すでに二十年来この理論を打ち立ててきました。そして、地域の医師会を指導して数多くの実践成績を上げております。これについても十分現実を見ていただきたいと思うわけであります。
 次に、医療の公共性ということであります。医療はすべての人々に関心があり、すべての人々が必要とするものであります。それだけではなくて、自他すべての人にかかわり合いがある。たとえば、昔で言いますと、悪性の伝染病がはやればほかの人にも迷惑がかかる、ほかの人にもうつるということがあったわけであります。現在においては一人の人が病気になれば、それをみんなの力で治さねばならぬ、いわゆる医療費がかかるということで、やはりすべての人に関係してくるわけであります。これが医療の公共性であると思います。
 しかし、医療には、公共性だけではないわけであります。経済学者の方は医療を公共財と呼んで分析をしようとなさいますけれども、それでは分析し切れないということをおっしゃっております。どういうことかといいますと、個体、一人一人の人間との対応に際してはもちろんのことですが、マス、大ぜいの人間に際しましても、先ほども言いましたように、医師と患者、あるいは医療関係者と住民との間の人間的な信頼関係、これがなければ成り立たないのであります。たとえば、医師に対する不信感があれば、それだけで患者側は同じ薬についても効き目が下がってしまうということも、科学的に実証されております。
 さらに言いますれば、どんな人間であっても最終的には医療の手の届かぬ死という問題に突き当たり、宗教的な解決策もあろうかと思いますけれども、現在わが国における習慣としては、最終的にこれはやはり医療がタッチせざるを得ない場面であります。この場合を考えましても、医師と患者の人間関係というものが成立しなければ、全然医療というものは成立しないということがおわかりいただけると思うのであります。
 それから、医療の公共性に関しましては、日本の医師がいかに公共性にこたえた仕事をしてきたかということは、恐らく外国を見ていただけば歴然とわかると思います。すでに明治の初めのころから学校医という制度、これは制度でございますけれども、そこに医師が献身的に奉仕をしてきました。現在は、それは産業医という形とか地域における健康教育という形で非常に定着しております。しかも、多少の報酬はあるかもしれませんが、ほとんどいわゆる奉仕に近い、ノンプロフィットの活動として医師会あるいは地域の医師は展開しております。この点も現状を篤とごらんいただきたいと思うわけであります。
 そのほか医療の特性といたしましては、治療の場面におきましては、医師と患者が同時に同じ場所にいなければいけないとか、同じ時期、同じ時刻にいなければいけないという同時性というものがございます。このためにまた逆に医療サービスは保存しておけない、蓄積しておけないということもございます。
 さらに、医療の不確定性ということがございます。この中ではいつ病気になるかわからない、治るかどうかわからない、どれだけ費用がかかるかわからないということはボールディング等によっても言われておりますけれども、これは患者側に立った言葉だけではなくて、医療を行う側に立っても不確定性があるわけであります。したがって、医療保険あるいは社会保障という形で医療を社会的な対策でやっていこうということが人々の間の要望として出てき、それが現在行われてきたということになります。マスとしての対応によって危険の分散あるいは負担の平等化ができるわけでありますけれども、その際、考えなくてはいけないのは、それだけではなくて、こういうマスとしての対応によって不確定要素の減少ということが可能だということであります。後でちょっと触れますけれども、地域医療とか予防的な施策というのはその一つの具体的な例でございます。
 もう一つ、今度は医療の原理についてお話しいたします。
 自由経済の原理といたしましては、人間の物的欲望に置いているわけでございます。そして、きわめて単純化された原理で非常に多くの経済現象が説明されてきたわけであります。しかし一方、これでは分析し得ない部分が出てきて、それに対する補正といいますか、修正がなされ、いわゆる混合経済体制というものが現在できてきたわけであります。それらへの批判はありますが、それは別といたしまして、医療における原理は何かと言いますと、治りたいという患者の気持ちと、治したいという医師の気持ちが原点でございます。この原点を除きますと医療というものは理解できないと思います。たとえば、患者の治療を目の前にして経済的な動機を優先させて判断するという医療は考えられません。これはどなたも御理解いただけることだと思います。ただ問題は、では、いついかなる場面でもそういうふうに対応できるかといいますと、必ずしもそうではありません。いま目の前に迫った患者の治療に、その場で選択できる範囲においてはこの原則は必ず貫けますけれども、時間を異にし、あるいは場所を異にした場合、たとえば例を引いてみますと、現在CT、コンピュータートモグラフィーという頭の中の変化に対する非常に有力な診断手段ができました。しかし、この機械一つに数億円かかるというものでございます。われわれ臨床家にとりましては、頭が痛い、頭をけがしたという人が来たときに、すぐその場でその検査をしたいわけであります。そうかといってすべての病院、すべての診療所にこのCTを設置することはできません。したがって、われわれはできるはずであるのにできないという実情にぶつかっております。これがいま言った原則に合わない部分であります。しかし、これとてもマスとしての対応、たとえば私どもでは医師会病院をつくっておりますが、そこにCTを設置するということによって対応ができるようになります。こういうことで私どもは地域医療というものを非常に広い範囲で考えておるわけであります。先ほど言った原理が守られないようなことは、医師集団あるいは医師会という活動によりましてこれをみずから補正をしていくということをわれわれは地域医療の理論の中に組み込んでおります。そして、それを実践しております。最後に、医学の進歩ということを考えなければなりません。知識というパンドラの箱をあけてしまった以上、後から後からあふれてくる知識に人間はおぼれてしまう。しかし、これから逃れることはできないと言われております。しかし、現実にはこの知識によって新しい技術分野を開発して、そして生存条件を向上させてきたわけでありますけれども、それ自身によって破滅の危険を感じているということで、現在いろいろ新しいエシックスが問題になってきたわけであります。医療においてもまた医学という知識の洪水から逃れることはできないわけであります。知識の進歩の方向をどのように方向づけるか、知識の進歩から何を選択するかということが今後非常に重要になってきます。これは細胞レベルあるいは酵素レベルでも選択というものの重要さが指摘されまして、それらを研究している学者からバイオエシックス、生の倫理あるいは生存の倫理という言葉が出てきたわけでありますが、医療においてもメディカルエシックスという新しい部分の新しい展開が要求されてきているわけです。これは人工蘇生器、有名なカレン事件等においても当てはまることでございますが、それらをすべて含んだバイオエシックスというものがなければこの選択が可能でないということであります。この医師の職業倫理あるいは特殊倫理といいますか、これとその選択を受ける患者側の一般倫理、特殊倫理との結合というものがなければ、医学というものはいま言った知識の洪水におぼれてしまうということであります。そうかといって医学の進歩をとめることはできない。進歩をとめれば将来の人間の福祉のチャンスを摘むことになるだけではなくて、病気にしろ不健康にしろ、それはそれなりにまた発展しております、それに対する闘いが医療でありますので、それに負けることになります。いかなる進歩を選択するかということが問題なのであります。医療制度というものは、私どもはこのような医療を社会へ定着させるものだというふうに考えております。そして、その医療制度を経済的に支えるのが医療経済でありまして、その医療経済の中で現在わが国で非常に重要な部分を担っているのが医療保険制度だ、健康保険制度だ、このように理解をしております。健康保険制度は決して医療制度そのものではありません。
 以上のことから考えてみますと、現在のわが国の社会経済あるいは社会生物学的状況の変化の中で一番大事なものは何かと言えば、まず急速な人口の老齢化だろうと思います。その次には、それにも関係しますけれども、たとえば栄養の過剰とか運動の不足とか情報のはんらん等々によりまして疾病構造、病気の種類が変わってきたということであります。かつての感染症優先の時代から、現在はいわゆる成人病の時代になってきた。これに対する医療のあり方も当然変わってこなければならないわけであります。
 その次に、人権意識の芽生え、向上であります。これも非常に重要なことであります。さらに言えば、資源の枯渇の問題もありましょう、あるいは環境の汚染の問題もありましょう、これらを考えながら総論的にこれから医療がどう行くべきかということを見据えて、そのためにはどのような各論が必要かということで、その各論を支える健康保険は何か、このように考えていきたいと思うわけであります。
 次に、医療と経済の問題について考えてみたいと思います。
 医療費というのは、私どもは地域社会の健康度を高めるための社会的費用、このように考えております。家庭に病人ができてその治療費がかさんで、そのために家庭の経済が破壊したり、あるいは病人の治療を中断せざるを得なくなったりというような場面は非常に悲惨であります。そのようなことになりたくないということで、現在わが国においては国民の連帯的な努力によって社会的な施策として健康保険というものをつくってきたし、それをいままでやってきたわけであります。しかし、いまの家庭の状況が社会全体で起こったらどうなるかということを考えねばならぬわけであります。当然家庭の場合と同じにどちらも、つまり経済の破滅も病気の治療の中断のどちらもとりたくないというのが本当の願いだろうと思います。しかし、ややもすると、家庭の場面でいやがったそれらの選択を、国家レベルではしてしまおうという人がいるのではないかというふうに危惧しております。そのような選択があり得ないとは思いませんが、それは最後の場面でしかないと思います。
 では、どうしたらいいかということになろうかと思います。そのためには医療のむだを排除せよという言葉があるわけであります。もちろん本当にむだがあれば当然排除すべきだと思います。現在あると考えられる中のむだは何かを考えますと、一番大きなものは、まず医療における計画性の導入がおくれたということであります。二番目には、医学の進歩のおくれがあってはならないということであります。しかし、考えますと、医療には一見むだのように見えてもむだでないものがたくさんあります。それは何かというと、医学の進歩のためのいわば投資である部分、あるいはさっき言いました、医療というものは保存がきかないために、常にある程度の余裕を持っていなければならないということがあります。これらは決してむだではないわけでありまして、これをむだと思って排除してしまいますと医療は萎縮あるいは崩壊に向かいます。さらに、もっと悪いことには、本当はむだでないことを費用が高いということだけでむだだという考え方がある場合であります。これはもともと考えが間違っているわけでございまして、その結果は当然わかるわけであります。必要なことは、有効なものをさらに有効にするということでありまして、これはさっき言いましたように、計画の導入ということでありますが、それは何かといえば医学の進歩の将来方向を見詰める、そしてさっき言いました社会的あるいは社会生物学的変化に対応し得るものを考えるということでございますが、私どもはここでプライマリーケアというものを提唱しているわけであります。以前から提唱してきました地域の医療の中で、さらにプライマリーケアを進めていこうということであります。
 そのプライマリーケアとは何かということを簡単に説明いたしますと、一次医療という言葉がよくありますが、そういうことではなくて私どもは基本医療と訳しておりますが、医学というものがどんどん細分化して、人間を見失って臓器レベル、細胞レベルの科学になってしまっておりますが、それらを総合して人間を尊重する立場で医療を行おうということであります。そして、同時に、病気ができてからではなくて病気ができる前の段階、疾病の発生段階あるいはさらに健康が崩れる前の予防段階でこれを把握していこうということであります。さらに、個々の人間だけではなくてその人間が住む家庭という環境の中でそれをとらえる、あるいはその家庭のある地域という環境の中でとらえる、つまり医療というものを個々の人間に対する医療行為だけではなくて、環境そのものの健康度を増すというところまでも一緒に考えていこう、こういう形が私どもの考えるプライマリーケアであります。このプライマリーケアを老人の場合にまず当てはめてやっていこう。これがいいと言っても、一挙にすべての医師が、すべての医療関係者がこれに向かうということは、経験的にもなかったことだし、システムとしてもでき上がっていなかったし、これに関する医学、科学そのものがまだ十分に発達しておりません。科学の発達の方向をそちらに向け、われわれの意識をそちらに集約し、そしてシステムをつくっていく、こういう努力が要りますので、その努力を支えるために非常に大きなてこになろうというのが、先ほど初めに御紹介しました会長の老齢保険を予防給付一本にする。これは予防給付といいましてもいわゆるプライマリーケアをやるということであります。老人といえども人間の続きでありまして、これを健康保険という国民全体の医療の枠からはみ出させることはよくないのでありまして、医療の一貫性ということでとらえていかなければなりません。しかし、その中で予防給付、プライマリーケアに関してはいままでと違うものだということをみんなが認識するために新しい制度をつくって、そしてそれが進みやすい方向でいこう、こういうことであります。このような考え方の中でバイオインシュアランスという新しい概念をつくってきたわけであります。
 一応ここで説明を終わりたいと思います。
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戸沢政方#3
○戸沢小委員長 以上で参考人の御意見の陳述は終わりました。
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戸沢政方#4
○戸沢小委員長 医療についての哲学、原理的なものを中心にいまお話し願いましたが、資料の中に日本医師会の考える健康保険の新しい発想等についての資料もございますので、そういうものも含めまして質疑をお願いいたしたいと思います。
 質疑の申し出がありますので、順次これを許します。山崎拓君。
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山崎拓#5
○山崎(拓)小委員 大変高邁な医療の哲学や原理について貴重な御意見を承りまして、ありがとうございました。そこで、いろいろ承ったのでありますが、お考えになっておりますようなそういう基本的な理念から、それに最もふさわしい医療の制度、保険制度が中心になりますが、それはどういう制度であるのかということについて、すでにいろいろ御発表になっておるわけでございますけれども、その点についてお話を承りたいと思うのでございます。
 きょう私どもがいただきました資料の中に「声明書」がありますが、この声明書の前段の中で、健保修正案は何ら学問上の条件に対してこたえていないという御指摘のもとで、「少なくとも早急の問題として人権尊重の立場に立って新しい給付を開発し、それによって高齢化の対策を若い時代から給付面の改善によって達成しなければならない。」云々と、こう書いてございますが、医師会の考えておられる具体的な方策あるいは制度というものについて、少しばかり御説明をいただきたいと思います。
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中山昌作#6
○中山参考人 それでは、御説明申し上げます。
 まず、私ども社会保障として医療保険を考えておりますので、その社会保障としての要件について初めにちょっと御説明を申し上げて、それが関連あるということでございますので御説明申し上げます。
 いままで述べてきたような医療の特性を支えるものでなければならないということと同時に、社会保障であり得るためには医療への患者、国民の接近が容易で平等でなければならないということがあります。そして、さらに所得再配分の機能を持たねばならないと思うわけであります。所得再配分というのは税でやるからよろしいではないかという議論がございますけれども、やはり税だけでは完全でないということがございます。なぜかと言えば、健康保険に関しましては健康者から病者へという所得の再配分がございます。老齢化問題を考えれば、若い人から老人へという所得の再配分もございます。さらに、健康なグループ、これはグループをつくりますと健康なグループは裕福なグループになります、それから不健康なグループ、結果として裕福でないグループヘの所得の再配分、これらの機能も持っていなければならないということになります。現在一と二、つまり健康者から病者へ、若い人から老人への機能は比較的よく行われております。しかし、たとえば老人保険を健康保険から切り離すということになりますと、ここはまた問題が出てきてしまいます。三番の裕福なグループから裕福でないグループヘの所得再配分、これがうまくいっていないということが現在の問題になろうかと思います。
 そこで、私どもがまず理想的と考えております医療制度、もちろん理想的と言っても今後社会の進歩に伴ってさらにどんどん修正を積み重ねていかなければならぬと思いますけれども、それは先ほどから言いましたように、まず地域医療ということでございます。地域医療というものは、その情報の核としまして私どもは地域保険調査会というものを考えております。これは昭和三十八年の医療制度調査会の答申の中にもその文言がすでに出てきておりますが、現在日本でもう数百のその調査会ができておりますが、ここでは医師だけではなくて地域の住民あるいは行政その他の学識経験者が入って、その地域における医療をどのように進めていったらいいかということを検討していくわけであります。そして、私ども医師の立場としましては、医師会で医師会員の意識を集めまして医師会病院というものをつくって、あるいはそれができないところでは臨床検査センターというものをつくっているところがございます。ここでお互いの技術を高めながらそれを公開する、そして患者にそれを十分に利用していただくという形で推し進める。
 それから、いま一方では国民に対する健康教育というのを非常に重点的にやっております。先ほど来説明してまいりましたように、医師と患者の人間関係というのは、医師側の倫理だけでは成立しません。患者側にもそれを受け入れる、みずから健康になろうという倫理観がなければならないということでございます。不健康は現在では不倫理であります。健康であろうということはみずからの努力で、努力はしなければならないわけであります。それらを健康教育という形によって国民に理解していただく、実践していただくという形をとっております。この三つの柱の上に成り立つのが地域医療ということで私どもは考えております。そして、これを支える医療保険制度として私どもが考えますのは、先ほどの資料の昭和五十三年八月の会長の論文の中にあるものでございます。地域保険というものを考えております。
 これは地域単位でつくりまして、あくまでも地域の特性を踏まえる。地域の特性ということの中には、地域住民の健康の状況、社会環境の状況、自然環境の状況、そしてそこにおける医師と患者の人間関係ができ上がっております。幸いに私ども医師、特に開業医というのは住民の中に一緒に住んでおりますので、非常にコミュニケーションがよろしゅうございます。現在コミュニティーの崩壊ということが言われてコミュニティーづくりの必要が言われておりますけれども、少なくともわれわれ医師は地域の住民との間にコミュニケーションを持っております。そのコミュニケーションをてこにして医療というものへのコンセンサスをまとめていくということがなければ、これは発展のしようがないわけであります。そのようなものをまとめる形で地域保険というものを考えます。三本立ての構想と私どもも言っておりましたけれども、本質はこの地域保険一本やりでございます。すべての人がこの地域保険に入り、そこでお互いのコミュニケーションを高め、お互いの情報を集めて将来の健康への対応をしていくということであります。しかし、これだけではもちろん不十分であります。現在非常に産業が高度化し、そこにおいて労働環境あるいはその地域の住民に与える影響というものもいろいろございます。また一方では、科学的には産業保健の科学が非常に進歩いたしました。それの専門の研究所もあれば大学もできたという状況でございますので、そのような科学的な進歩をとらえて、そして職場環境における健康づくりあるいは将来の疾病予防ということへの対応、このために産業保険というのを考えております。
 さらに、先ほど言いましたように、老齢対策としましては、老齢になった人の病気を治すのは地域保険の中でできるわけですし、それが望ましいのでありますけれども、その老齢化して病気になる前の、すでに若いときの段階から老齢化したときの不健康を防ぐための健康のチェックなり指導、生活指導でございますね、管理なり、そういうものをやるための、いわゆるプライマリーケアをやるための保険として老齢保険を考える。これをあわせて三本立てと言っております。
 これが現在私どもの考えている最も理想的な形でございます。
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山崎拓#7
○山崎(拓)小委員 地域保険の考え方を承ったのですが、私どもが保険制度、医療制度について抜本的な改革が必要だという見地からいろいろ検討をいたしておりますゆえんは、一つは、さっきお話の中に出ましたむだの排除の問題があるのです。これは御案内のとおり、昭和五十四年度の医療費が十一兆円にも及ぶというような実態の中で、もちろんお話の中にありましたように、費用が高いだけでむだとは言えない、それが真に必要なものであれば、もちろん金額にかかわらず、コストにかかわらず、それは支出されるべきものでありましょうけれども、しかし、万一その中にむだというものが含まれておるとすれば、それはどうしても排除しなければならぬということになろうかと思います。
 そこで、お伺いしたいのは、現在の医療においてむだがあるのかないのか、むだがあるとすればどういうむだなのか、そして、それは現在の制度に欠陥があるがためにそのむだがもたらされているのか、そして、もっと言えば、いまおっしゃるような地域保険の制度が確立されればそのむだというものは排除されるのか、その点についてお伺いしたいと思うのです。
 私が申し上げておりますむだは、国民一般の常識とされております、先生は常識とおっしゃるかどうかわかりませんが、たとえば薬づけ医療でありますとかあるいは検査づけ医療でありますとか、あるいは一部の医師に限られていると思いますけれども、今日の出来高払い制度を悪用して不当な所得を得ているというような現実、そういったものを指して申し上げているわけです。
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中山昌作#8
○中山参考人 医療のむだが本当にあれば、当然排除すべきだと思います。ただ、先ほど来言いましたように、むだに見えるけれどもむだでない部分、これは排除すべきではありません。したがって、本当のむだということにつきましても、いわゆる薬づけと言われておりますけれども、これにも二つ考え方があります。一つは、いわゆる本当にむだでありますね。それからいま一つは、やはりむだに見えてむだでない、いや本当は全然むだでない、たとえばわれわれは結核を薬づけによって撲滅してきました。急性白血病を薬づけによってずいぶんいい予後を得るようになってきました。これは当然むだじゃありませんね。そうじゃなくて、必要がないのに使った医療のむだ、これがあるかないか。これは全然ないなどとは私とても思いません。当然あるだろうと思います。その中にも余裕という意味で少しのむだがあるかもしれません。これは必ずしも排除すべきものではないかもしれません。そうじゃなくて、たとえば全く経済動機でもって、患者の治療の目的を外れた投薬があれば、これは本当にむだでございます。むだというよりむしろ悪でございます。これは当然やめるべきであります。そんなものを残せというふうには考えません。しかし、現在の制度の中でそれがわずかでもあるから、現在の制度が悪いというのは余りにも短絡的であろうと思います。
 先ほど私、自由経済の話をしました。自由経済の中で国民一般はみんなちゃんとした経済行動をしているわけであります。しかし、中には詐欺もあり、どろぼうもあります。詐欺があり、どろぼうがあるから自由経済はだめだといってこれを破壊する気にはならないだろうと思います。それと同じで、医療においてもそういう根本的な原則を守った全体の姿は残すべきであります。しかし、その中で排除できるものは、やはりむだがあれば排除すべきです。
 そのために地域医療がいいかどうかということですが、地域医療という場合に、私どもは比較的小さなグループから積み上げて考えていきます。たとえば現在、保険の審査、これは県単位でやっております。県単位でやりますとかなり広い範囲になりまして、患者についての情報が必ずしも十分審査員の耳にも目にも入りません。これがもし郡市区単位ぐらいになりますと、あの患者はこうでなかったではないかとか、この患者の治療はこれでまだ足りないくらいだとか、その判断ができるかもしれません。また、医師についても、あの医師の行動は、このレセプトからはいかにもたくさん使っているようだけれども、正しい医療をやっている人だということ、あるいはそうでない人だということ、これもわかるかもしれません。そういう意味で、地域医療という情報をもとにしてやっていく方が少なくとも現在より効率的になることは確かだと思います。かつてそういう経験がありました。
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山崎拓#9
○山崎(拓)小委員 地域医療、地域保険に現在の分立制度を統一した場合に、いわゆる医師の倫理が高められるというニュアンスに承ったのですが、もう少しその点をよく御説明していただけませんか。
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中山昌作#10
○中山参考人 医師が一人一人で働いている場面でも医の倫理というものは当然持っております。しかし、医師といえども人間でありますから、苦しい状況に立てばそれに対応することがないとは言えません。ところが、医師が集まって地域活動をする場合、医師会活動を現在地域活動でやっておりますけれども、とにかく全部をごらんになればびっくりするほどたくさんの社会活動をほとんどノンプロフィットでやっているわけでございます。それは何かというと、そういうふうにお互いに集まって、お互いの医師としてのあり方というものを考えながらお互いに切磋琢磨してやっていくということによって医の倫理が高まるということでございます。
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山崎拓#11
○山崎(拓)小委員 それから、もう一つお話しになった所得再配分の問題なんですが、地域保険に切りかえていけば、若い世代から老人の世代への再配分、あるいは健康者から不健康者への再配分がうまく機能していく、さらに豊かな人から豊かでない人への再配分がうまくいくというような話があったのですが、果たしていわゆる第三点の豊かな人から豊かでない人への再配分がうまくいくような地域保険制度というものができるのだろうかという点にわれわれは疑問を持つわけです。というのは、地域保険制度、つくり方にもよりましょうが、やはり地域によって相当格差がございますね。それなのに地域単位でそういう制度をつくっていけば、その地域間の格差というものは当然出てくるだろうということになります。
 ちょっと細かい話になって恐縮なんですが、この地域保険で保険料をどういうふうに住民にかけていくかという問題、徴収率の問題が出てくるわけですね。それは地域保険の場合は住民それぞれの所得というものが違いますから、税金の面でも所得の捕捉率というのは、クロヨンという言いならわしがありますように、非常に捕捉率が違っておりますね。そういう現実もありますので、果たして地域保険にすればそういう所得再配分の機能というものがうまく働くのかどうか、結局現在の保険分立制度とまた違った意味での不公平、不均衡というものが出てくるんじゃないかという懸念を持つのですが、その点いかがですか。
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中山昌作#12
○中山参考人 まず、所得の捕捉率について、これはどうも私ども責任を負えませんし、御返答いたしませんが、地域における格差の問題は当然考えなければなりません。そこで、私どもの考えております地域保険といいますのは情報の単位あるいは医療の単位として地域を考えておりますけれども、保険としてはさらに上部に調整機構を設けておりまして、全国レベルでの財政調整を当然考えております。
 さらに言いますと、先ほど来説明しましたように、医療保険の中に、医療が本当に必要としている給付は何かということをつかむ機構がいままでのあれではないわけであります。医療保険そのものの中には内在されてないんですね。保険者というものがあって財政を支配し、それによって保険が決められているというような形になっていたわけです。そうではなくて、われわれは医療の情報によって、現在必要とする医療は何か、その医療をどういうふうに給付すべきかということを同時に判断し、指導できるようなものをこの保険の中に組み込んでいくということで、この図の最後にございますが、最上位保険センターというものを考えております。これは全国レベルの医学の知識を集約して、そこでそういうものを考えていく、それが保険にすぐ反映できる形にしていく。いま言った地域格差の財政的な是正だけではなくて、医学的な格差もこれによって是正することが可能であろうと思います。
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山崎拓#13
○山崎(拓)小委員 最後に、もう一点お伺いしたいのですけれども、昨日発表されたこの声明書の中で、「高齢者の医療は国民医療から分離して考えるべきでなく、」云々と書いてありますね。今回健保法の改正案等を国会に出して審議をしておるわけですが、それと別個に、御承知のように、老人保健医療制度をできれば五十六年度から発足させる方向でいま検討が進められているということなんですね。そういう老人保健医療制度を発足させることによってこの面での疑問は解消できると思うのですが、そういう御認識ではないんですか。
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中山昌作#14
○中山参考人 ちょっと違うようでございます。私どもが考えておるのは、医療部門については、いわゆる治療とかいま健康保険で給付しているような狭義の医療については、老人であれ子供であれ一本化した地域保険なら地域保険でやっていくべきである、老人を切り離して考えるべきではない、こういうことでございます。先ほど来言っております老齢保険というのは、いままでやってきた医療と違う新しい形の医療を行うために、本来からいえばそれらを含めた全部地域医療一本でいいと思うのですが、しかし、いきなりでは幾ら制度の改革といってもそれには国民も医師も対応し切れない。したがって、ある程度実験的段階として、まず老齢保険のプライマリーケアだけ別建てにしていく。老齢者を別にするのではなく、老齢者対策を別にするということで、老齢者は一本でやっていく、こういうことでございます。
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戸沢政方#15
○戸沢小委員長 村山富市君。
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村山富市#16
○村山(富)小委員 大変次元の高いお話を承って参考になったわけです。
 地域医療、地域保険の考え方ですが、いまの日本の医療の一つの欠陥として、ある意味ではやはり過密過疎があると私は思うのです。人口の多い都市に集中して、農村、周辺部は過疎になっている。これは否めない事実だと思うのです。こういう状況になったのは一体どこに原因があると思われますか、これが一つです。
 もう一つは、地域医療を考える場合に、いま先生から話を聞いたのですけれども、日本には御案内のように国立病院、大学病院、あるいは自治体病院、日赤、済生会といったような公的医療機関もありますね。こういう国立、公的医療機関と地域医療の関連というのはどういうふうにお考えになっておるか、まずはその点お伺いします。
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中山昌作#17
○中山参考人 過密過疎が起こってきた原因というのは、一つにはやはりいままでの健康保険制度によると思います。かつて自由医療であった時代には、資本が集まるところに医師が集まるということはよく武見会長が分析しております。しかし、健康保険になると人口が集まるところに医師が集まる。これは制度に引きずられてどうしてもそうなる面がございます。
 では、これをどういうふうに打開するかということになってきますと、幾つかの方法があります。一番手っ取り早い方法としては、そこに医師がいなくても、いつでも医師が行かれるような道路の整備とかなんとかということで解決された部分も幾つかございます。しかし、離島とかその他そういうことのできないところもあります。これに対して、現在国立病院等が中心になってやるところもあるし、医師会が中心になってやるところもありますが、何らかの形でそこまで手を伸ばそうという努力はしております。ある部分できたところもあるし、まだできないところもあると思います。
 そのようなことで、先ほどの公的病院との関係の問題に入りますけれども、本来、公的病院こそそういうところに重点的に医療を配分するべき立場のものであるはずなのに、それがいま民間と同じように、人間の集まるところに集まってきたというところに大きな欠点があるのではないかと私は思います。私どもとしては、公的病院といえども地域医療の一環として組み込んで、お互いに協力してやるべきだと考えております。それを拒否するものではありません。しかし、現在の体質は、彼らはオープン化してないということで大変問題がございます。
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村山富市#18
○村山(富)小委員 先ほどお話がございましたように、患者さんは治りたい、医師は治したい、患者と医師とはこういう信頼関係によって結ばれて医療が成り立っている、それはまさにそのとおりだと思うのです。ただ、さっきもお話がございましたけれども、最近医学の進歩で大変高度な高額の医療器械が出ておりますね。こういう高額な医療器械が地域やら何かの関連もなくて無原則に持ち込まれていくというところに、さっきのお話じゃありませんけれども、やはりむだが若干あるのではないか。もう少し医療器械、医療機器、そうしたものを適正に配置することが当然考えられていいのではないか。さっきもちょっとお話がございましたけれども、やはり医療には公共性がある。医療機関、医療給付の面で公共性がもっと尊重されていいのではないか。そのために若干の規制が加えられたりなんかすることは当然考えられるのではないか。ですから、もう少し規制を考え、計画的に配置をしていくということがこれから必要ではないかと思うのですが、その点はどうですか。
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中山昌作#19
○中山参考人 何らかの手だてが必要だという点については賛成でございます。ただし、これが法的な規制によるべきかどうかという点は慎重に考えなければならないと思います。と申しますのは、先ほどの高額機器におきましても、たとえば地域医療、地域保健調査会が非常に活発な活動をしているところにおきましては、そのような物の配置がうまくいくようにお互いに相談をしてやっております。これは外からの規制ではないけれども、内部の自主的な規制ですね。これはある程度成功しております。しかし、そういうものが十分発達してないところは資本の動きによって勝手なものができてくるというところも確かにございます。
 したがって、私どもはいきなり規制するよりも、地域医療がもっと推進できるような形をとって、その中で自主的にやっていく方がいい。といいますのは、法的な規制というのはあくまでもかたいものでありまして、地域医療の実情がそれにそぐわなくなっても対応できません。それではやはり患者の不幸になりますので、順序としてそのように考えております。
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村山富市#20
○村山(富)小委員 大変生臭い話になって恐縮なんですけれども、先ほどからお話が出ました医療のむだですね。私は医学の進歩におくれないように先行投資をしたりなんかすることは決してむだではないと思うのです。ただ、これだけ医療費が毎年上がっていく中に、やはり相当部分のむだがあるのではないかということも否定できない事実ではないかと思うのです。先生から考え、あるいは日本医師会から見て、どういう点に一番排除すべきむだがあるというふうにお思いでしょうか。
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中山昌作#21
○中山参考人 排除すべきむだがないとは私は思いません。しかし、それが相当部分だとも思っておりません。どういう点にあるかということにつきましては、やはりこれは医師が医の倫理に十分目覚めていないという部分があれば、そこに起ってくると思います。これを直すよりほかないと思います。
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村山富市#22
○村山(富)小委員 たとえば、薬なら薬を例にとりますと、私どもがいろいろ調べて承知している範囲では、必要以上に薬が投与されているのではないか。現に、患者の皆さんが薬をもらって、そして全部薬を飲んでいない。もう痛みを感じない、あるいは治ったと思ったら飲まなくなる。こういうのでは、やはり大分現実に薬剤のむだがあるのではないかというふうに思うのです。外国の場合などでも、医療費の増高を抑制するために、総医療費を枠を決めて、そしてその総枠で抑えていくというようなことをやっている国もありますけれども、私は、医療費のそういった部面のむだを具体的に率直に出し合ってなくしていくということが、ある意味では日本の医療と日本の保険制度を健全に守っていく前提になるのではないかというふうに思っておるわけです。
 そこで、お尋ねをしたいと思うのですけれども、五十三年、五十四年度の保険財政は、当初政府が見込んだ予想よりもはるかに好転しているわけです。現に五十四年度は若干黒字になっておりますね。こういう現象が出てきた背景と理由はどういうところにあるというふうにお考えですか。
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中山昌作#23
○中山参考人 幾つかの質問がありますので、順番にいきます。
 まず、薬を患者が飲み残すからむだだというのは、非常に短絡的だと思います。私どもから言わせれば、患者が命をむだにしていると思う場合がしばしばございます。抗生物質なんか、治ってもやめたらだめなんであります。また再発しちゃうのですね。十分やって病気が起こらないようにしておかないと、この次再発したときには、その薬をやってももう効かなくなる危険さえあるわけです。そういうことまでもむだと思われては、これは心外でございます。しかし、実際にむだがないとは言っておりません。ある部分では多少あるでしょう。しかし、そこを混同なさらぬようにしていただきたいと思います。
 それから、外国で財政の枠をはめているから、やはり日本でもやるべきではないかということですが、それが最善の方法であればまねするのもいいですが、私どもはあれは最善の方法とは思っておりません。最善の方法は、私どもは、先ほど説明しましたように思っております。あれは最後の手段だ。確かに、医療費のために人間が餓死するような極端な場合があれば、これは抑制するのがあたりまえです。そうでないのに抑制するとしたらば、それは人権尊重の立場に立ったと言えるでしょうか。
 それから、財政好転の原因でございますが、幾つもありますが、その中で二つだけ説明します。
 私どもは、よく組合健保をつくらせなかったからだというふうに言ったことがあるのを御存じだと思います。確かにこの効果は、ここ二、三年の間ではそれほどではありませんが、かつて数年来のことを考えますと、これは明らかに大きな効果があります。
 しかし、もっと本当の効果は、これは厚生省などの出した統計を見ていただくとわかると思いますが、ずっと伸びてきた有病率が、ここ数年来頭打ちになってきております。これは非常に重大な事実であります。地域医療の展開の効果があったというふうに私どもは考えております。長い目で見ていただくと、医療費の増大というのも決して悲観的ではない。
 たとえば、いま非常に高い高いといって問題になっている人工透析の話に触れてみたいと思いますが、私が大学を出て医局に入って間もなく、初めて私どもの医局で人工透析を一回やりました。医局の総スタッフ、恐らく十二、三人から二十人の医師がかかりっ切りで、看護婦も二十人ぐらいついて、一晩も二晩もかかってやりまして、結局、不幸なことにその患者は亡くなりましたけれども、そのときの医療費は恐らくゼロであります。コストはゼロではないはずであります。医師が二十人、看護婦が数十八ついたわけであります。検査もかかっております。現在はそれに比べてはるかに安くできているのですね。しかも、それによって患者の生命が長らえて、ある部分社会復帰もできている。
 効果はそれだけではないのであります。その間に腎臓学の進歩がどんどんあって、将来はそういう患者が出なくなるための治療が現在開発されつつある段階です。あれはそのための一つの投資になっているわけです。そういうふうに見ていただきたいと思います。それが完成すると、医療費は途端にその部分に関しては安くなります。
 これはたとえば種痘のことを考えてもわかると思います。種痘ができるまでは、痘瘡で大ぜいの人が死んだ。それが種痘ができてぱたっと痘瘡が減るわけですね。それまでには相当長い期間がかかっている。結核についてもそうです。したがって、医療というのは、二年や三年で見てはだめであって、やはり二十年、三十年の歴史的な考察をしていただきたいと思います。
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村山富市#24
○村山(富)小委員 きょうは日本医師会の代表としておいでをいただいたのですけれども、いまの日本の医療をいろいろ扱う制度の中で、中医協というのがございますね。中医協は毎年医療費の改定をしたり、それからその他必要な会議を招集して作業をしているわけですけれども、その中医協がここ二年ばかり全然開かれなかった。そのために、五十一年度に医療費の実態調査だとか、その調査結果の扱いも決まらずにいままで推移してきているということが国会でも若干問題になりましたけれども、ああいうことからしますと、いまの日本の医療や日本の医療保険制度の中における中医協の持っている機能と役割りというものは大変大きいものがあると私は思うのですね。これだけ医療問題がやかましく議論をされている社会で、中医協が、全然ある意味では機能し得なかったというところにはいろいろな問題があると思うのですけれども、私どもが承知している範囲、あるいは、中医協が先般開かれましたけれども、その中医協の中でいろいろ議論をされ、意見が出されておる、そういう範囲を聞いてみますと、やはり中医協が二年間開かれなかった一つの理由に、全部かどうか知りませんけれども、診療側が出席をしなかった、その出席できなかった背景は、厚生省と日本医師会が断絶状態になってうまくなかったというところに原因がある、こういうふうにも言われているのですけれども、こういう現象、現状に対してどのようにお考えでしょうか。
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中山昌作#25
○中山参考人 中医協が開かれなかった原因に、日本医師会と厚生省あるいは保険局との断絶のことをおっしゃいましたけれども、まず第一に、この間に私どもは、中医協を開くから出席してくれという要請を一遍も受けておりません。第二に、その間に私どもは断絶でない時期が相当ございました。
 それから、中医協が医療保険に関して非常に重要だということは私どもも同感でありますが、ただ、先ほど私が説明しましたような将来の医療の進歩に向かってあれが本当に十分機能し得るかどうか、これはいささか疑問がございます。
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戸沢政方#26
○戸沢小委員長 金子みつ君。
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金子みつ#27
○金子(み)小委員 お願いいたします。
 先ほど先生のお話をいろいろ伺わせていただきまして、一つ伺いたいことがあります。
 それは、医療の話の中で、健康の定義というのを御説明くださいましたね。武見会長の健康の定義、それは形態的、機能的、遺伝的健康であるというふうに考えていらっしゃると伺ったのですけれども、それはよくわかるのですが、やはり人間の健康というのは身体の健康だけでなくて、それには、生活している人間ですから、生活ということが必ず関連してくると思います。そういたしますと、WHOが定義しておりますように、精神的、肉体的、社会的健康というのがございますね。社会的というのは、いわゆる生活をバックに考えた言い方だろうと思うのですけれども、それはなくてもいいというふうな考え方なんでしょうか。そこら辺がちょっとわからないのですが、そのことは含まれていないというふうに思えるのですけれども。
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中山昌作#28
○中山参考人 私どもは、WHOの定義を否定しているのではありません。あれはあれとして、ただ、あの中には遺伝的という問題が入っておりませんので、それを補完する意味で言っております。ですから、社会的というのを否定しているわけではございません。
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金子みつ#29
○金子(み)小委員 そうすると、素人わかりがするためには、それに遺伝的というのがプラスされたというふうに理解すればよろしいわけですね。
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